木山捷平が大正14年に住んでいた雑司ヶ谷の家の真ん前にあった小学校の跡地に建てられた豊島区役所、単なる高層ビルかと思ったら、下の方すごいんですね。最初に写真を見たときはなんだこれって思ってしまいました。
今の地図と昔の地図を見比べてみると、この張り出した部分はもしかしたら木山さんが住んでいた長屋があった場所だったかもしれません。
今、そのなんだかよくわからない茶色のガラス窓からはいったいどんな風景が見えているんでしょうか。
ちなみにこれはネットで見つけた、区役所が建つ前の日出小学校の正門(たぶん)前から校庭と校舎を撮った写真。
本当は空襲で焼ける前の写真があればよかったのですが、残念ながら見つかりませんでした。
でも、きっと木山さんが間借りしていた部屋の2階からは校庭で遊ぶ子供達の姿がよく見えていたでしょうね。
ということで、大正14年に木山さんが見たり聴いたりした風景を描いた詩を2つほど紹介しておきます。
1つ目の詩には桜の樹が出てきます。ちなみにこれは日出小学校の校庭に咲いていた桜をとらえた写真(やはりネットで見つけました)。
この詩はこの日に紹介した大西重利さんが81歳のときに書いた詩にどこか似ています。
次の詩には、村井武生から影響を受けたに違いないフレーズが出てきます。音楽で言えばサビのような感じですね。
今の地図と昔の地図を見比べてみると、この張り出した部分はもしかしたら木山さんが住んでいた長屋があった場所だったかもしれません。
今、そのなんだかよくわからない茶色のガラス窓からはいったいどんな風景が見えているんでしょうか。
ちなみにこれはネットで見つけた、区役所が建つ前の日出小学校の正門(たぶん)前から校庭と校舎を撮った写真。
本当は空襲で焼ける前の写真があればよかったのですが、残念ながら見つかりませんでした。
でも、きっと木山さんが間借りしていた部屋の2階からは校庭で遊ぶ子供達の姿がよく見えていたでしょうね。
ということで、大正14年に木山さんが見たり聴いたりした風景を描いた詩を2つほど紹介しておきます。
1つ目の詩には桜の樹が出てきます。ちなみにこれは日出小学校の校庭に咲いていた桜をとらえた写真(やはりネットで見つけました)。
雨あがりの朝
雨あがりの朝――
しめりのいい校庭に朝日がさして
ひろびろと広い校庭よ
女の子がひとり
はや学校にやつて来て
ひとりでまりをけつて遊んでゐる。
白い新しいまりを追ひかけ
追ひかけてはけつて
ひとりでかけまはつて遊んでゐる。
さくらの若葉がきらきらと朝の微風にかがやいて――
ひろびろと広い校庭の朝よ。
この詩はこの日に紹介した大西重利さんが81歳のときに書いた詩にどこか似ています。
次の詩には、村井武生から影響を受けたに違いないフレーズが出てきます。音楽で言えばサビのような感じですね。
午後の一時
午後の一時
そこの小学校のベルがなつて
子供等のざわめきがはたと止んでしまひ
この森のあたりが
太古のやうな静けさに浸された。
背中にひややかな感触を覚えながら
草の上に仰向けになつてゐると
職のない、そして
貧しい一人の男の頬をも
微風はさわやかになでてくれる。
こんなにもなつかしい静けさのなかで
かうして今日も亦
さみしさを淋しんでゐると
ぼくのあたまの上で
時をおきつつないてゐる
小鳥の声のいとほしさ。
ぼくの目は
木の枝から木の枝へと
今
一羽(いつぴき)の小鳥のゐどころをさがしはじめた。