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Talks About Music, Books, Cinema ... and Niagara


by hinaseno
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今日はあまり時間がありませんので紹介するのは2曲だけになります。
1曲目はボビー・ヴィーが歌った「Just Like Lookin' In A Mirror」という曲。ボビー・ヴィーはスナッフ・ギャレットのリバティ・サウンドを代表するシンガー。大好きです。この曲はボビー・ラッセルらしいメロディが聴かれるとっても魅力的な曲なのですが、どうやら未発表に終ったようです。YouTubeに音源がなかったので作りました。


それから、ボビー・ラッセルが作った曲の中で、まちがいなく最高の楽曲の1つである「Sure Gonna Miss Her」のカバーを。
オリジナルは先日リンクしたゲイリー・ルイス&ザ・プレイボーイズの歌ったもので、スナッフ・ギャレットのリバティ・サウンドを代表する曲ですが、いろんな人がカバーしています。そんな中で特に気に入ったのがレノン・シスターズという女の子たちが歌ったもの。レノン・シスターズは数あるシスターズの中では可憐な声質が僕の好みなので、中古レコード屋さんで見かけたらレコード買っています。
曲のタイトルは女の子が歌ったということで「Sure Gonna Miss Him」”Her”が”Him”になっていますね。デュ・デュ・デュ・デュー・デューというコーラスが最高にいいです。大瀧さんの曲もそうですが、ボビー・ラッセルの楽曲は女の子との相性がとってもいいんです。数は非常に少ないのですが。

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# by hinaseno | 2012-12-15 14:07 | 音楽 | Comments(0)

ある作曲家に興味を持って、まず最初にすることは自分のパソコンのiTunesにその作家の名前を入れての検索です。最初はフルネームで、それからファースト・ネームは最初のアルファベットだけにして、さらにはラスト・ネームだけにして。
例えばボビー・ラッセルであれば、まず”Bobby Russell”、それから”B. Russell”、そして”Russell”と検索していくことになります。外国のレコードに記載されている作家の名前は日本とは違って必ずしもフルネームになっていないんですね。ですから、かりに”Russell”という名前が出てきても、それがボビー・ラッセルとは限りません。実際、ボビー・ラッセルの曲をプロデュースしていたスナッフ・ギャレットのすぐそばにはレオン・ラッセルというソング・ライターがいたのですから。それからB.Russellということでいえば、バート・ラッセル(Bert Russell)やボブ・ラッセル(Bob Russell)という作家がいます。もちろん”Bobby Russell”という名前が出てきたからといって、本当にあのボビー・ラッセルなのかどうかも確証があるわけではありません。きちんと裏を取らなければならないんですね。

といっても僕のような個人的な趣味でやっている人間であれば少々の間違いは誰からもとがめられるわけではありません。でも、それが公共の電波に乗るとなるとそういうわけにはいきません。今年放送された大瀧さんの「アメリカン・ポップス伝」には、有名な人から無名な人に至るまでかなりの人が登場します。メインのアーティストならまだしも、バックで演奏している人を確認し、その裏を取る作業は想像もつかない労力を必要とされるだろうと思います。でも、大瀧さんはそれをされているんですね。50分の番組を作る背後には僕にとっては途方に暮れるような時間があったことは確かなんですね。おそらく今のDJでそこまでのことをされている人は一人もいないはずです。今、生きているミュージシャンであれば訊けばすむことでしょうけど、大瀧さんが扱う音楽はもう50年以上も前の海外の音楽。そして関わった人の多くは亡くなっています。でも、きちんと裏を取られているんですね。石川さんと電話で話をさせていただくときに、いつも石川さんが尊敬の念を持って語られるのはその部分です。

さて、僕のパソコンからあっさりと”Bobby Russell”という名前で出てきた曲がありました。アン・マーグレットの「Take All The Kisses」という曲。ベア・ファミリーというレーベルから出ているアン・マーグレットのボックスから気に入った曲だけをパソコンに取り込んで、作曲者の名前をブックレットから打ち込んでいたんですね。パソコンに取り込んだのはかなり前のこと。おそらく僕はそのときに一度はBobby Russellという名前を確認していたんですね。
調べてみるとアン・マーグレットの「Take All The Kisses」は1963年に録音されてます。ボビー・ラッセルの作った有名な曲は60年代の後半から70年代にかけてのものがほとんどですから、ちょっと古い。曲調も僕がイメージとしてもっているボビー・ラッセルらしさはどこにもない。でもとってもいい曲であることだけは確かなのですが。
で、改めてアン・マーグレットのブックレットをみると、解説のところに「Honey」「Night the Lights Went Out in Georgia」「Little Green Apples」を書いた人、との記載が。この3曲はボビー・ラッセルの最も有名な曲で石川さんの特集にも収録されています。ベア・ファミリーは信頼のおけるレーベルなので間違いはなさそうです。
ということで、前置きがかなり長くなりましたがアン・マーグレットの「Take All The Kisses」を。

この「Take All The Kisses」という曲に関してはもう少し思い出があります。
この曲はアン・マーグレットの代表曲である「バイ・バイ・バーディー」のB面の曲なんですが(「バイ・バイ・バーディー」はボビー・ラッセルの曲ではありません)、当時、石川さんから僕が希望したものや石川さんが僕に聴いてもらおうと思って選んだものをアトランダムに送っていただいた「ゴー!ゴー!ナイアガラ」を聴いていたら「バイ・バイ・バーディー」の話が少し出てきて、「その曲のB面の曲は先日かけたんですけどね」との大瀧さんの言葉が添えられたんです。で、すぐに石川さんに連絡して調べていただいたら、なんと例の大瀧さんの大好きな曲ばかりをかけている「マイ・ジューク・ボックス特集」でかけれらていたんですね。早速その時のものを送っていただいて聴いてみたら、大瀧さんにはめずらしく作曲者の説明がなく曲がかけられています。調べてみたら「Take All The Kisses」のレコードに記載されているのは”Russell - Willis”。これじゃあ、わかりませんね。

大瀧さんはこの「Take All The Kisses」をかけた後、こうコメントしています。

「バイ・バイ・バーディー」のB面ではありましたけれども、非常に僕が大好きなバラードでね。こういうバラードっていうのは、年を僕はかなり経てしまいましたけれども、ティーンエイジャーの頃の甘く切ない恋心を、きゅーっと胸を締め付けると言うか、そういったような感じを思い起こさせてくれるのがこういったようなバラードでございます。


ちなみにこの放送があった時の大瀧さんは27歳。まだまだ若いですよね。
このちょっとした「発見」を石川さんは大瀧さんにもメールでお伝えしたそうで、「あれはボビー・ラッセルの曲でしたか」との返事をいただいたとのことでした。間接的にではあれ、本当にうれしい出来事でした。

さて、「Take All The Kisses」にはもう少し余談があります。
実はこの曲はアン・マーグレットがオリジナルではなかったんですね。オリジナルはConnie & The Conesというボーカル・グループ。コニーという女の子がリードシンガーでバックに男性のコーラス(The Conesというおそらくは2人組のグループ)が入っています。どうやらこのコーンズにボビー・ラッセルがいたようです。彼が作ったグループなのかも知れません。曲が作られたのは1960年。ボビー・ラッセルが20歳のときです。
では、Connie & The Conesの「Take All The Kisses」を。

驚くことにアン・マーグレットの歌ったものと曲調もアレンジもほとんど同じです。アン・マーグレットの歌ったものはこのConnie & The Conesをほぼそのままカバーしていたんですね。それほどヒットした曲ではないはずですが、どんないきさつがあったのでしょうか。何らかのナッシュビルつながりがあったのでしょうか。

それからこのカップリングの「No Time For Tears」という曲もボビー・ラッセルが作っています。いかにもあの時代のティーン・ポップスという感じです。コニーもとっても魅力的な声を持っています。彼女は後にソロデビューしているみたいです。

今日の最後は、さっきのConnie & The Conesとは逆に男の子のリードボーカルに女性2人のコーラスがついたフリートウッズのこの曲を。 タイトルは「Ruby Red, Baby Blue」。素敵なタイトルです。


この曲はボビー・ラッセルと彼のナッシュビル時代からの親友バズ・ケイスンとの共作。1964年に作られた曲。地味な曲ですがとても綺麗なメロディ。特にサビでぐっとくるような旋律がでてきます。

そういえばこの曲のタイトル、大瀧さんが太田裕美に作ったこの「Blue Baby Blue」という曲と少しかぶります。曲の雰囲気も少し似ていますね。詞を書いたのは松本隆さん。大瀧さんの作った曲の中では5本の指に入るくらい大好きな曲です。まさに「ティーンエイジャーの頃の甘く切ない恋心を、きゅーっと胸を締め付けると言うか、そういったような感じを思い起こさせてくれる」バラードですね。
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# by hinaseno | 2012-12-14 11:10 | 音楽 | Comments(0)

ブログを始めて一番困ってることがあります。その日書いた内容のカテゴリを何にするかということ。当初、便宜的に「音楽」、「文学」、「映画」、そして「全体」と分けたのですが、正直、もうめちゃめちゃですね。昨日も最初は実は文学で書き始めたのですが、それ以外の話が多くなって結局「全体」ということに。
僕は昔からジャンル分けがあまり好きではないと言うか、たぶん嫌いな気がします。僕の大切に思っているものが、自分の意にそぐわない、売り手側によって勝手にジャンル分けされた場所に入れられているのを見ると、悲しくなったり、あるいは腹が立ったりすることがあります。
考えてみると、僕の好むものは、あるジャンルにどっぷり入り込んだものではなく、その周辺、あるいは辺境にあるもののように思います。ジャズが好きと言っても、ごりごりのジャズではなく、どちらかといえば軽いジャズを好むので、中古レコード屋さんに行くと「ジャズ」だけでなく「イージー・リスニング」、あるいは「ブラジリアン」とかいろいろ見なくてはいけません。アル・カイオラさんなんて、どのジャンルに収まっているのかさっぱり見当たりません。ボーカルものでも、ジャズとポップスとポピュラーの間にあるようなものを好むので、これも結局全部見なくてはいけません。というわけで、一軒のレコード屋さんにいくと膨大な時間を使うことになります。

そういえば先日触れた平川克美さんの『俺に似たひと』をジュンク堂に買いに行って見つけたのは、確か福祉・介護のコーナーだったように思います。確かに父親の介護の話が中心ではあるのですが、実際はそれだけにとどまらない大きな「物語」になっています。僕はネット上で連載されていたときにいくらかは内容を知っていましたので、普通に文芸コーナーの男性作家のところに行ったのですが見当たりませんでした。結局、検索して置かれている場所を確認したのですが、何も知らないであの本を福祉・介護の本と思って手にとられたら、きっとちょっと違うな、ということになるのではないでしょうか。

昨日、銀次さんのCDを買いにタワーに行って、まず見たのはJ-POP(このジャンル分けの名称が出てきた時もびっくり、というか戸惑いました)のコーナーでしたが見当たりません。で、見渡すと「大人の〜」みたいなコーナーがあったので見たら、そこには銀次さんのスペースがありました。 J-POPと「大人の〜」を分けるのは何なのでしょうか。でもそこに『GOLDEN☆BEST 伊藤銀次~40th Anniversary Edition~』はありません。仕方がないので店員に聞いてみたらベストものばかりを入れているカゴの中に置かれていました。ああ、ややこしい。だから結局、最近はネットでポチするのが多くなるんですね。

と、愚痴っぽくなりましたが、伊藤銀次さんの『GOLDEN☆BEST 伊藤銀次~40th Anniversary Edition~』はとても素晴らしいものでした。今もこれを書きながら聴いています。
何度も書いていますが、僕は『ロンバケ』以降の後追い世代で、僕の記憶としては銀次さんのことを知るのは『ナイアガラ・トライアングルVol.1』ではなく、佐野元春さん経由でした(大瀧さんの後追いは『レッツ・オンド・アゲイン』で中断したので)。初期の佐野さんのアレンジ(共作に近い作業をしていたんだと思います)をしていたのが銀次さんだったんですね。特に『Heart Beat』というアルバムに収められた、銀次さんのアレンジしたこの「悲しきRadio」のイントロのピアノなんて今聴いても心ときめきます。銀次さんなくしては生まれなかった曲だと思っています。
YouTubeにはライブ・バージョンしかなかったのですが、途中にいくつか入るアドリブ以外は原曲のアレンジのまま演奏されています。


さて、銀次さんの『GOLDEN☆BEST 伊藤銀次~40th Anniversary Edition~』のブックレットには銀次さんと交流のあった人のお祝いの言葉が載っています。最初に大瀧さん。いかにも大瀧さんらしい言葉です。そして次が佐野さん。この佐野さんの言葉がとっても素敵なんです。メッセージが詩になっています。そして銀次さんという人の存在の大きさが本当によく表れています。

1枚の写真がある。僕はギターを抱え、くわえたばこで椅子に座り、銀次がその僕をみている。20代の前半。とある、レコーディングスタジオでの風景。1980年、デビューしたてのまだまもない頃の景色。多分、アルバム『heart Beat』のレコーディングだろう。
僕は世の中というものを信じていなかった。大人も子供も、システムも、メディアも何もかも。まだ薄ぺらかった胸板に思いっきり息を溜めて、あたりかまわず、陽気に毒づいていた。擦り傷だらけのミニチュア・シュナウザーだった。
そんな中でただ一人、僕を大目に見てくれる人がいた。それが伊藤銀次だった。まだ技量もなくただ夢を語るだけの僕を理解しようとしてくれた。彼が僕に夢を見てくれるのなら、僕はそれにじゅうぶん応えようと頑張った。おかげで僕はひねくれたミュージシャンにならずにすんだと思っている。
それは銀次からのアドバイスだった。『信念のままに迷わずに行け』。僕はわかったと答えた。その約束を、僕は今でも守っているつもりだ。
銀次、デビュー40周年、おめでとうございます。

a0285828_9243371.jpg佐野さんが書いている「1枚の写真」は、この写真の別テイクでしょうか。佐野さんは椅子から立ち上がっています。銀次さんはおそらくは後方の真ん中に立っている人。




銀次さんはブックレットの最初に銀次さんがデビューするきっかけをつくられた大瀧さんへの感謝の言葉を述べています。そして佐野さんの銀次さんへの感謝の言葉。
大瀧さんがいなければ、"たぶん"今の銀次さんはいなかったでしょうし、銀次さんがいなければ、"たぶん"今の佐野さんもいなかったでしょう。そしてこの3人がいなければ、"絶対に"今の僕はいませんでした。いくら感謝しても感謝しきれないほどのものをいただきました。いや、今もいただき続けています。

さて、銀次さんのCDの最初に収められた曲は「幸せにさよなら」、福生のスタジオで録音されたものですね。そして最後に収められたのが、石川さんのアゲインで録音された「ウキウキWatching」(最高です!)。
「福生の音」で始まって「アゲインの音」で終っていたんですね。

最後にその「幸せにさよなら」を貼っておきます。


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# by hinaseno | 2012-12-13 09:29 | 音楽 | Comments(0)

いつもこのブログは朝起きて書いているのですが、アップした後で、誤字や脱字を確認したり、数時間たって書き落としたことを思い出して書き足したり、あるいは書くべきではないなと思っとことを削ったりしています。
昨日も数時間してから「福生の音」という言葉を書かなければと気づいて書き足しました。そう、今年の『大瀧詠一的2012』のポイントは語られた内容もさることながら、それぞれの人の声の響き方を含めて「福生の音」が刻み込まれているわけですから。

「福生の音」という言葉は、山下達郎さんが大瀧さんとの新春放談でよく使っていました。大瀧さんの福生の自宅にあるスタジオで録音された曲をかけたあとなどに「福生の音がしてるんですよ」って。たとえば、この『ナイアガラ・トライアングルVol.1』に収められた達郎さんの「フライング・キッド」は、達郎さんの解説によれば、達郎さんが1週間ほど福生のスタジオに1週間ほど寝泊まりしたときの経験から(1週間寝泊まりする原因が達郎さんと大瀧さんで食い違っているのが面白い)、福生の空気を音にしようと作った曲とのことです(これも音源がなかったので作りました)。


大瀧さんの楽曲について言えば『ロンバケ』以降はCBSソニーの六本木スタジオで録音されていて、「ソニーの音」がしているのですが、それ以前のものは大瀧さんの作品は福生スタジオで録音されているので「福生の音」がしてるわけです。といっても、今調べてみたら福生で録音された音源でも、CBSソニーの六本木スタジオでミックスダウンされているのもあるみたいで、『ロンバケ』以前でも「ソニーの音」が混じっているわけですが。
でも、いろんな音楽を聴いていると、アーティストに関係なく、レコーディングされたスタジオ独特の響きのある音が刻み込まれていることがわかることがあるんです(気がするだけかもしれませんが)。

『大瀧詠一的』はこれまでは石川さんのカフェ・アゲインで録音されていたので、当然「アゲインの音」がしているんです。で、今年のは「福生の音」。そういうのを聴き比べてみるのも面白いです。

ところで「アゲインの音」といえば、今日発売の伊藤銀次さんの『GOLDEN☆BEST 伊藤銀次~40th Anniversary Edition~』の最後にボーナス・トラックとして収められた「笑っていいとも」の主題歌である「ウキウキWATCHING」は、そのアゲインで収録されているそうですので、間違いなく「アゲインの音」がしているんですね。今から買いに行って聴いてみます。これを読まれた方もぜひ。

ここに、昨年ラジオデイズに銀次さんが出演されて、銀次さんが「ウキウキWATCHING」を演奏されている映像がありました。お相手は平川さんですね。銀次さん自身が歌われるのがとってもいい感じであることがわかっていただけると思います。ただ、このラジオデイズの収録されたのはラジオデイズのスタジオのようですので「アゲインの音」はしていません。あしからず。


ところで、「ゴー!ゴー!ナイアガラ」の「ナイアガラ・トライアングル特集」を聴いていたら、銀次さんがレイモンド・チャンドラーを読んでいると語っていて、なるほどなと思いました。いい本を読んでいる人はわかります。

実はこれから選挙の期日前投票に行って、それから少し買い物をしてくる予定なのですが、まずタワーに行って銀次さんのCDを買って、それから書店にも行きます。書店で買ってこようと思っているのは、まさに出たばかりのレイモンド・チャンドラーの『大いなる眠り』。翻訳はなんと村上春樹。それからやはり出たばかりの木山さんの小説。

ここで政治的なことはあまり書くつもりはないのですが、いろいろな政党がたくさんあってよくわからないとかテレビで言われていますが、ちょっと見れば、ジャンクな本ばかり読んで(元作家であれ)、ジャンクな音楽ばかり聴いて、ジャンクな映画ばかり見ている人はすぐにわかります。そういう人たちの語る物語は何の深みもないチープなものですから。それに何よりも声の響きがわるい。そういう人たちが政治の中心にくることだけは避けたいと心から願っています。

口直しに、最後に木山さんの詩を2つ。木山さんの詩には、他の詩人にはない独特の響きがあります。まさに「木山さんの音」がしているんです。特に、昨日の「いいな」「いいな」のようなちょっとした会話言葉に。
一つ目は「返り花」。大正14年、雑司ヶ谷に住んでいたときに書かれた詩です。住んでいた下宿のすぐ目の前に小学校があったんですね。その風景と木山さんの記憶の風景が重なっている詩ではないかと思います。

さくらの返り花が校庭に咲いた。
あたたかい冬の日
学校一の低能児タマやんが
ふところ手をしてそれを眺めてゐた。
わたしはタマやんをゆかしく思ひ
花をとつてやらうかといふと
タマやんはにこりとかぶりをふつた。
「どうして」とたづねたら
「どうしてでもない」とこたへた。

「どうしてでもない」という言葉の響き。まさに「木山さんの音」です。

それからもう一つは「白いシヤツ」。これは昭和6年に書かれた詩。みさをさんと結婚して間もないときのしですね。幸せな空気がいっぱいにあふれた詩です。特に「あのひと」の一言の言葉の響きが最高に素敵です。

旅でよごれた私のシヤツを
朝早く
あのひとは洗つてくれて
あのひとの家の軒につるした。
山から朝日がさして来て
「何かうれしい」
あのひとは一言さう言つた。

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# by hinaseno | 2012-12-12 09:52 | 全体 | Comments(4)

木山捷平の大好きな詩のひとつに「大根」という詩があります。詩が書かれたのは昭和5年。姫路での2年間の教師生活を終えて、再び上京した翌年です。

「大根」

友達が土産にくれた大根を
すぐ食ふのもをしいので
何もない部屋にかざつた。

おれの部屋には
それが又とてもよく似合つた。

別な友達がやつて来て
「いいな」「いいな」と言うて帰つた。


冬の風景ですね。大根を部屋に飾るというのも素敵ですが、なんといってもそれを見た友達が言った「いいな」「いいな」という言葉が素敵すぎます。なんでもない言葉なのですが、 先日書いた布谷文夫さんの「許してーな」「許してーな」につながるような、 どこか神話的な響きがあります。

昭和5年というと木山さんが26歳のとき。友人もおそらくは同年齢のはず。当時の人たちは今とは比べものにならないくらいに早熟(というか、それが当たり前だったのでしょうけど)だったことを考えれば、「いいな」「いいな」はあまりにも子供的な言葉のように思います。しかも2度も繰り返すなんて。
でも、僕は昨日から、心の中で何度も「いいな」「いいな」をつぶやき続けていました。

昭和5年に、木山さんが下宿していたのは南葛飾郡小松川。現在は江戸川区ですね。東京のいろんな場所に移り住んだ木山さんが、おそらくは、ただ1回住んだであろう東京の東部の場所ですね。
先日読んだ岡崎武志さんの『上京する文学』には、東から上京した人は東京の東部に住み、西から上京した人は東京の西部に住むことが多いと書かれていて、なるほどなと思ったのですが、同じ東京の中でも少しでも故郷に近いところに住みたいという心の表れなんでしょう。なんとなくわかるような気がします。
木山さんも最初は、おそらく故郷や、あるいは姫路から離れようとする意識が強くて東京の東の方に住んだけれども、2年後には西部の豊多摩郡大久保に住み、あとは練馬区立野町に居を構えるまで、中央線の沿線沿いに住み続けています。なんとなく、少しずつ、西へ、西へと移り住んでいる気がします。故郷への思いがそうさせたのでしょうか。

さて、昨日、その中央線をもう少し西に行って立川駅で青梅線に乗り換えて北西に向かった人がいます。手には「福生行きの切符」(今は実際にはそんな切符はありませんが、その人の心の中ではきっとそうであったはず)を持って。福生に住んでいる人の家に行くために。

その頃、別の2人も車で福生に向かわれていました。

福生に住んでいる人、いうまでもなく大瀧詠一さん。そして中央線に乗って福生に向かわれたのは内田樹さん。そして車で福生に向かわれたのは平川克美さんとアゲインの石川茂樹さん。

昨日の内田先生のお昼過ぎにはこんなツイートが。

これから中央線に乗って、はるか北西に向かいます。だん・だだん・だん。

最後の「だん・だだん・だん」は、大瀧さんの敬愛するフィル・スペクターの最も有名な曲である「ビー・マイ・ベイビー」のイントロの、ハル・ブレインのドラムの音でしょうか。

そう、年末恒例の『大瀧詠一的』(ラジオデイズのサイトで配信)を収録されるために、なんと大瀧さんの自宅の福生に行かれたんですね。すごすぎます。大瀧さんの多くの楽曲がレコーディングされた場所。そしてあの「ゴー!ゴー!ナイアガラ」を放送していた場所でもあります。ちょっとこれを聴いてみてください。先日触れた布谷さんの特集のものです。その最初でこう言っています。

「はあ〜い、Everybody、こちら福生Studio、This is EACH OHTAKI’s GO!GO! NIAGARA」


福生スタジオは大瀧さんファンにとってはまさに聖地。そこに、3人は行かれたんです。前にも少し書きましたように僕はもうかなり前からこの3人の方々のことを知っていたのですが(面識はまだありません)、でも、ついに、ついに福生に行かれることになったということを知り、人ごとながら感無量でした。「いいな」「いいな」をつぶやき続けていた意味が分かっていただけるでしょうか。

お3方が福生で見られたものは、これからそれぞれが何らかの形で書かれるものを待つことになりますが、とりあえずはラジオデイズで年末にアップされる予定の『大瀧詠一的2012』を聴くのが楽しみで仕方ないですね。そこにはまぎれもなく"福生の音"が刻み込まれているわけですから。ああ、待ち遠しい。

そういえば、大瀧さんは東北の出身ですが、東京の西部(北西)にずっと住み続けています。岡崎さんの説には当てはまりませんね。でも、「西」というよりは「北」と考えれば故郷に近い方角と考えることができるのかもしれません。

さて、それぞれが対談後にどういう言葉を出されたかをここに書き留めておきたいと思います。
最初は昨夜12時前の内田先生のツイート。

福生の大瀧詠一師匠のスタジオで恒例の平川君、石川君と三人で師匠を囲んでの「年末放談」収録だん。いや~、凄い凄いと聞いてはおりましたが、想像を絶するわくわく「探偵事務所」でした。個人でここまでやっている人は世界ひろしと言えども、師匠の他にはおられんでしょう。
収録の後、青梅の料亭で皆さんと歓談。師匠にとっても美味しい晩ごはんをご馳走して頂きました。まことに愉快な一日でした。帰りの車中で「大瀧さんみたいな人が同時代に一人いると知っているだけで生きる支えになるね」と三人で嘆息しました。


それからその後の平川さんのツイート。

福生より帰宅なう。恒例の『大瀧詠一的』収録、第六回目であった。師匠の懐でまことに心地よい七時間を過ごすことができました。ありがとうございました。
帰りの車中、内田くん、石川くんと三人で、しみじみと語り合う。年一回師匠の謦咳に接することで、身を清められる。この鼎談の模様は、今月末より三回に分けてラジオデイズで聴くことができます。しばらくお待ちください。
知性も徳性も、利害損得と無縁な場所に宿る、を実感。


そして今朝の石川さんのブログの言葉。

凄い一日を過ごせて感無量です。以上!

で、石川さんは、「今日の一曲」としてビートルズの「イエスタデイ」をリンクしていました。果たしてこれが意味するものは。


ところで、木山さんは郊外へよく散歩されていて、友人だった太宰治が入水自殺した玉川上水に何度か行っているようです。玉川上水と福生はそんなに遠くない場所。もしかしたら木山さんのエッセイか日記に福生のことが出てくるかもしれません。
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# by hinaseno | 2012-12-11 10:47 | 全体 | Comments(1)