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by hinaseno
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今日の神戸新聞の朝刊の第一面の「正平調」というコラムに、先日の姫路文学館の望景亭で開かれた世田谷ピンポンズさんの話が載っているという情報を発見したので早速神戸新聞のサイトでチェックしたら、なんとなんとあの木山捷平の「船場川」に関する話が。これはすごい。全文引用します。

あえないで帰る月夜 船場川はいつものように流れていたり…。フォーク歌手世田谷ピンポンズさんの歌「船場川」は、作家木山捷平(しょうへい)の詩に曲を付けたもの。船場川は姫路城の西を流れる川だ◆世田谷と名乗るが、京都在住。複数形だがグループではなく、単独で活動している。まだ35歳の若さだが、ギター一本引っさげて、古い文学作品や懐かしの風景を歌う◆歌声に乗ると、昭和の私小説作家の孤独が今の私たちに重なり、心を揺らす。当のピンポンズさんも、学生時代は全く友達がいなかったらしい。とかく人の世は生きづらいが、どこかに理解者がいれば救われる◆現在、15~39歳で約54万人、40~64歳では60万人以上が引きこもり状態にあるという。一人で抱え込まず、悩みを吐き出すすべはないものか◆先月、姫路文学館での演奏会で、ピンポンズさんは提案した。「姫路の信号機で『船場川』を流してみては?」。やり場のない感情を歌が代弁し、道行く人々と共有できれば、少しは心の和らぐ人がいるだろうか◆しかしメロディー式信号機というのも、近頃はとんと見かけなくなった。つくづく古いものがお好きなようで。そんな忘れられた、目立たない場所に目を凝らしてこそ、大切なものが見えるのかもしれない。(2019・6・24)


ピンポンズさんのこと、そして木山捷平のことが新聞の第一面に載るなんて。正平調のコラムニストの方、5月のライブに来られていたんですね。しかもいい話。とりわけ最後の「姫路の信号機で『船場川』を流してみては?」あたりからの話はたまらないですね。

ああ、新聞ほしい。だれか、余分に買っておいてください。


ところで正平調(「しょうへいちょう」と読むのかなと思ったら、どうやら「せいへいちょう」のようですね)、ちょっと過去のコラムを辿ってみたら、最近のだけでもおっという話がいくつもありました。6月14日にはアッバス・キアロスタミ監督の「友だちのうちはどこ?」のことが書かれていました。わが国の首相がイランを訪問した話のまくらです。


映画の話を少し。男の子が級友のノートを誤って家に持ち帰ってきた。イランの小さな村を舞台にした、アッバス・キアロスタミ監督の「友だちのうちはどこ?」(1987年)である◆級友はきょうも宿題をノートに書いてこず、先生にひどく叱られていた。男の子はノートを返そうと家を飛び出したものの、その子の家がどこにあるのかを知らない…


僕個人としてはアッバス・キアロスタミに登場している人たちに激しく共感し、宗教に関係なく同じアジア人として共通するものをいくつも見出していたんですが、でも、わが国の首相は…

いや、やめておこう。ということで後半は省略。

さらに過去のコラムを辿ると、今月の初めにも木山捷平が登場していました。前日くらいに起きた事件の話のまくらとして使われているんですが、ここで引用されている話は木山さんが姫路にやってくる直前の出来事のこと。正平調のコラムニストの方はンポンズさんのライブをきっかけに木山捷平が姫路に来たいきさつなどをいろいろと調べられたのかもしれないですね。こちらは全文引用します。


作家の木山捷平(しょうへい)が若い頃である。不摂生で体をこわし、実家に帰省を願い出たのだが、黙って仕事をやめて大学に通っていた息子を父は許さない◆考えの甘さを戒める父の手紙はしかし、こう結ばれていた。「わかつたとは言ふてくれるな」(梯久美子著「百年の手紙」より)。物わかりよく反省するお前ではなかろう、と。父は結局、帰省費も出してやる◆心配をかけるわが子を最後には救ってやりたい。どの親もそうだと思うだけにやりきれない。76歳の元農林水産事務次官が44歳の長男を殺害したとされる事件である。長男が実家に身を寄せてすぐの惨劇だった◆川崎市で児童ら20人が殺傷された事件からまだ日がたたない。長男は私たちに暴力をふるい、小学校の音にも腹を立てる。これでは他人に危害を加えるかもしれない…。そんな趣旨の供述を父はしているという◆体にあざがあったという老父の心情に思うところなしとはしないが、見識も人脈も広いはずの元官僚トップが自ら出口をふさいでしまっては救いがなくなる。助けを求めたり相談したり、道を探ってほしかった◆とは言いつつ、わがことに置き換えれば、誰でも考え込む。「家族の問題だ」という世間の風潮がカーテンを閉めさせ、外の光を見えなくさせる。(2019・6・5)


最後にもう一つ紹介。今年の3月29日の朝刊に載ったコラム。松田聖子さんが歌った「制服」という曲の話。作詞はもちろん松本隆さん。実はこのコラム、松本隆さんがリツイートしてたんで、ネットで読んでいました。


卒業シーズンを彩る一曲に松田聖子さんの「制服」がある。四月からは都会に/行ってしまうあなたに/打ち明けたい気持ちが…。歌の続きによれば、「あなた」は東京に出るらしい◆進学や就職などに伴い、若い人がふるさとを離れていく。ひと昔前ならまぶしく映った青春の光景も、今では少し違って見える。人とモノは都市圏に集中するばかり。先細っていく地方の危機が叫ばれて久しい◆「制服」を手がけた作詞家、松本隆さんが神戸に拠点を移して7年になるという。先週の本紙夕刊で語っていた。アメリカにはニューヨークだけでなくラスベガス、サンフランシスコと歌手の活躍できる町が多くある。「日本も東京だけじゃダメだ」と◆地方の踏ん張りどき、いやむしろここが元気でないといけない、とは音楽だけに限った話ではないだろう。といって、言うはやさしい「地方創生」にどんな妙手を打てるのか。一緒に考える今がいい機会である◆統一地方選の論戦が兵庫でも始まる。地元で新生活を迎え、初めて1票を投じるという若者もいるに違いない。「あなた」が住む都会より、わが町のほうが暮らしよい-そんな知恵を少しでも多く聞けたらいい◆候補の皆さんには若者にも響く言葉で具体策を語ってもらおう。(2019・3・29)


正平調、いいですね。明日から朝日新聞に連載されている鷲田清一先生の「折々のことば」とともに、毎朝チェックすることにします。


by hinaseno | 2019-06-24 11:51 | 雑記 | Comments(0)

大きなガラス窓に切り取られた夕暮れの街の、窓の下側の縁に沿ってひし形の構造物が数分ごとに現れてくる。右から左に、あるいは左から右に。ときには2つのひし形がすれ違うこともある。

そんな不思議な風景をバックにして彼女はアップライトピアノを弾きながら歌う。室内には巨大なスピーカー。それはかつて市内にあった「東京」という名の純喫茶に置かれていたもの。

何年か前、市内の純喫茶を調べていたときに、たまたま書店で見つけた純喫茶関係の本で「東京」という名の純喫茶が岡山市内にあることを知った。最高の純喫茶だと絶賛していたので、ぜひ行ってみようと思ってネットで場所を確認していたら、その直前くらいに閉店したことがわかった。残念すぎる話。

ただ、そこに置かれていた巨大なスピーカーが別の店に移されたことあとで知る。その店の名前は何度も目にしていたし、その店のあるビルにも何度か足を運んでいたものの、店には一度も入ったことがなかった。

場所はあの禁酒会館の見えるビルの二階。店の名は「サウダーヂな夜」。

「サウダーヂ」というのはポルトガル語で郷愁とか憧憬、あるいは切なさの意味を持つ言葉。ボサノヴァ好きの人でサウダーヂという言葉を知らない人はまずいない。

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寺尾紗穂さんのライブがここで行われることを知って即申し込みました。ライブが行われたのは6月1日。

でも、行けそうにないという状態になっていたんですね。ライブの5日ほど前にキャンセルを伝えるメールを書いて送信しかけたんですが、やはり無理してでも行こうと決めました。たぶん許してくれるだろうと。


僕が寺尾紗穂さんのライブに行くようになったのは紗穂さんのお父さんの寺尾次郎さんが亡くなったことがきっかけでした。次郎さんが亡くなられたのは昨年の6月6日。今回のライブは次郎さんの一周忌の直前でした。

昨年の1月末に平川克美さんの『21世紀の楕円幻想論』が出版されて、それを読み終えて間もない頃、たまたまネットの画像検索で寺尾紗穂さんの「楕円の夢」に出会います。曲を聴いたらとても素晴らしく、歌詞には平川さんの『21世紀の楕円幻想論』に重なる言葉がいくつも出てきていました。

さらに5月に牛窓を舞台にした想田和弘監督の『港町』が公開されて、そのパンフレットには平川さんと並んで寺尾紗穂さんのコメントも寄せられていたんですね(想田監督の前作『牡蠣工場』のパンフレットにも想田さんと寺尾紗穂さんの対談が載っていました)。

ということで寺尾紗穂さんへの興味が一気に高まって、彼女のことをいろいろと調べていた矢先に寺尾次郎さんが亡くなくなられました。ちょうどそのときに8月に彼女のライブが加古川であることを知って、行ったんですね。寺尾次郎さんが亡くなってからは2ヶ月ほど経っていましたが、その日のライブの直前に亡くなられた音楽ライターの吉原聖洋さんの話も出てきてライブの後半は2人にまつわる曲が歌われ、紗穂さんは何度も声を詰まらせていました。

ということで次郎さんが亡くなられてちょうど1年になる6月に岡山の、僕の大好きな場所で紗穂さんのライブが開かれることに不思議な縁を感じていました。まさかその直前に僕の父親が亡くなるとは思ってもいなかったんですが、そんなことにも縁を感じてしまいました。


その日聴けた中で一番うれしかったのは「夕まぐれ」。時間的にもぴったりでした。それから「あじさいの青」も。

で、初めて聴いた、つまりまだ持っていないCDからの曲も何曲か歌われたんですが、特によかったのは「残照」。すぐそばに座っていたカップルも「この曲いいねえ」と言っていました。

ということでライブの後には「残照」が収められたアルバム『残照』と、『わたしの好きなわらべうた』を購入。『残照』にはやはりその日のライブで歌われた「骨壷」も収められていました。骨壷を持ったばかりだったので、「あなたの骨壷持ちたかったな」と歌われ始めたときには、変な話ですが笑ってしまいました。

紗穂さんのCDはペットサウンズで何枚か買ったんですが、残りはライブで少しずつ買っていこうと決めてもうあと数枚でコンプリート。今回は『わたしの好きなわらべうた』は買うのを決めていて、もう一枚『たよりないもののために』か『残照』のどちらかを買おうと思ったんですが、結局『残照』に。

でもライブで『たよりないもののために』の「九年」という曲が、岡山の白石島で出会った少女のことを思い出して作った歌だと聴いて、どうしようかと悩んだんですが、『たよりないもののために』はまだ新しいのでなくならないと思って。

白石島は岡山の西の笠岡諸島の一つ。むか~し、海水浴に行きました。木山捷平の「尋三の春」に出てくる北木島の隣ですね。木山さんのエッセイか小説に白石島って出ているのかな。


ライブの最後、アンコールで紗穂さんが「何かリクエストありますか?」って言ったときに、紗穂さんと目が合ったんですね(合った気がしただけかもしれないけど)。もちろん聴きたい曲はいくつもあったんですが(たとえば冬にかわれての「耳をすまして」とか「yuraruyuruyura」とか「カンナ」とか「午睡」とか「ハイビスカスティー」とか)、でも声を出す勇気はありませんでした。


ライブの終了後、買ったCDにサインをもらうときに紗穂さんとちょっと会話。紗穂さんの方から声をかけてもらいました。

「先日の渋谷のライブに平川克美さんが来てくれたんですよ」

「知ってます。雑誌にそのときのこと、書かれていました」

「なんという雑誌ですか」

「『望星』という雑誌です。僕もちょこっと登場しています」


ピアノの前で歌う紗穂さんの背後を動いていたひし形は路面電車のパンタグラフ。僕が座った席からは車体は見えなくて、見えていたのはパンタグラフとそれが通っている電線でした。


「夕まぐれ」という曲には「電線」という言葉が出てきます。


 夕まぐれ 私ひとり
 踊る電線 カットして
 自由な空


そう、電線の上でひし形たちが踊っていました。

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by hinaseno | 2019-06-22 13:37 | 音楽 | Comments(0)

「井伏鱒二」と「Daddy Long Legs」。

この二つの言葉のつながりが気になって、この言葉を目にした本が置かれていた古書店に行ってきました。2階の、海外文学が並んでいる棚のあたり…、でも、ない。どこにも。

その古書店でまずはチョコレート・ガール探偵をしたあと(収穫はほとんどなかった)、今度はあしながおじさん探偵になって「井伏鱒二」と「Daddy Long Legs」と書かれた本を目にしたはずの棚を何度も往復したけれど見当たらない。「井伏鱒二」も「Daddy Long Legs」も。

売れたんだろうか、それとも僕の勘違い?

あきらめて帰りかけたときに目に留まったのがこの本でした。

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装丁が素敵だなと思って手に取ったらチェーホフでした。訳は松下裕。松下裕は筑摩書房から出ているチェーホフ全集の訳者。中央公論社から出ている神西清訳のチェーホフ全集を手に入れる前に何冊か持っていましたが、でも、この本は筑摩書房からのものではありません。どこから出ているのかと見たら…。


「麥秋社」

ムギは「麦」でなく「麥」。小津安二郎監督の映画『麥秋』と同じ。

「麥秋社」という名前の出版社があるなんて知りませんでした。これも縁、ということで全集を持っているのに買ってきました。どんな「幸福」が描かれているんだろう。


さて、今日6月17日は原節子さんの誕生日。生きていれば99歳。来年は生誕100年ということになるので、またいろいろと動きがあるんでしょうね。

一昨日から見始めた『麥秋』、主演はもちろん原節子さん。彼女の役名は紀子(のりこ)。紀子三部作の2作目ですね。

紀子三部作の1作目の『晩春』では紀子がほとんど恋愛感情といってもいいような思いを父に抱いているのですが、この『麥秋』では紀子は兄の省二に対して恋愛感情に近い思いを抱いているのを知ることができます。でも、その省二は戦争に行ったまま消息不明になっている。紀子の家族それぞれが次の段階に踏み出せない原因となっているのが省二の不在。

逆に言えば省二が永遠に戻ってこないこと(=死)を受け入れたときに、それぞれが次の段階に歩みを進めることになる。紀子が省二の幼馴染の謙吉と結婚を決めるきっかけとなったのも省二。紀子があのニコライ堂の見える喫茶店で謙吉から省二の手紙を受け取ったときに省二の死を受け入れたんだろうと思います。


ところで、ちょっと久しぶりに見ている『麥秋』、好きなシーンがいっぱい出てくるんですが、そのほとんどはやはり原節子さんが登場しているシーン。

映画が始まって10分くらいのあたりで出てくるこのシーンも大好き。

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場所は北鎌倉駅。紀子はホームで電車を待っているとき、少し離れたところで本を読んでいる謙吉に気づいて近づいて声をかけます。挨拶を交わした後、謙吉はその本の話を始めます。


謙吉「面白いですね『チボー家の人々』ーー」
紀子「どこまでお読みになって?」
謙吉「まだ四巻目の半分です」
紀子「そう」

映画に登場した『チボー家の人々』は白水社から山内義雄訳で出ていたもの。全11巻ですが全巻の翻訳が完成したのは映画が公開された翌年の1952年。映画公開段階で10巻までは出ていたようですね。謙吉はまだ半分も読めていなかったわけです。


ところで『チボー家の人々』といえば確か一昨年、夏葉社の島田潤一郎さんが読んでいることを知って、いいきっかけなので僕も読んでみようかと思ったんですが、結局、手に取らないまま。

で、その島田さん、先日、『チェーホフ全集』を読み始めたとツイートしていました。おおっ!と思って、いいきっかけなので僕も読んでみようかと思ったんですが、結局、手に取らないまま。こればっかりです。

そういえば中央公論社の『チェーホフ全集』は小津の『秋刀魚の味』に映っていました。


by hinaseno | 2019-06-17 13:15 | 映画 | Comments(0)

『早春』と『港町』


昨日は、昼過ぎにNHK-BSで三石を舞台にした小津安二郎監督の映画『早春』が放送され、深夜(日付では今日)には日本映画専門チャンネルで牛窓を舞台にした想田和弘監督の『港町』が放送されるというミラクルな一日。たまたまなんでしょうけど、僕にとっては夢のよう。

想田和弘監督の『港町』と小津映画とのつながりについてはこのブログでも書いたように思いますが、先日、『小津安二郎大全』という結構すごい本が発売されて、その中に想田さんも寄稿されていました(内田樹先生も寄稿)。

タイトルは「小津映画との出会い」。こんな書き出しです。


 映画青年でもなかった僕がいま映画を作る仕事をしている理由のひとつは、小津安二郎の映画に出会ってしまったからである。
 大学時代、雑誌に載っていた小津作品(おそらく『晩春』だったと思う)についての短い文章を、たまたま目にした。たぶん川本三郎さんによるコラムだったと思う。

きっかけは川本三郎さんですね。

で、出会いというものの多くがそうであるように、本当の出会いは”再会”という形で訪れます。それは想田さんがニューヨークの美大の映画学科に留学したときのこと。


 入学してすぐ、必修の映画理論の授業を取った。授業で上映される作品リストを一瞥して、またもや「あっ」と声をあげてしまった。世界の名作に交じって『東京物語』の文字があったのである。
 国際色豊かな同級生たちと試写室の椅子に座り、電気が暗くなり、映写機が動きだした。そしてあの松竹の富士山とともに斎藤高順の音楽が鳴り始めた瞬間、僕は不覚にも泣いてしまった。

で、映画学科を卒業後、想田さんはドキュメンタリーと出会い、ドキュメンタリーの映画を撮るようになる。想田さんの文章はこう結ばれています。


 知らぬ間に小津とは真逆の手法に行ってしまったなあと思う。同時に、ある意味では小津からまったく離れていないとも思う。ジャンルや手法は異なっても、僕は今でも相変わらず、小津のように「生きること」や「死ぬこと」を描きたい、と思い続けているからである。


考えたら、僕は近しい人が死んだときの作法のほとんどを小津の映画から学んだような気がします。で、それは間違いなく僕の生き方を作っていったんだろうと。


想田さんの『港町』はやはりつい先日DVDで発売されたばかりなので、見逃した方はぜひ手に取って見てください。

小津の『早春』は今ではDVD、Blu-rayなどたくさん出ています。

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そういえば昨日『早春』が放送されたので、僕のブログへのアクセスがどどっと増えていました。また、新たに三石で早春探偵をする人が増えるかもしれません。それから想田さんの映画を見てこの週末、牛窓で港町探偵をする人もきっといるはず。僕はしばらく牛窓に行っていません。また行きたいな。


さて、今日からはちょっと久しぶりに小津の『麦秋』を見るつもり。『麦秋』の「麦」は正しくは「麥」なので『麥秋』と表記すべきですね。次は『麥秋』つながりの話を書く予定です。


by hinaseno | 2019-06-15 12:32 | 映画 | Comments(0)

吉田篤弘さんの『チョコレート・ガール探偵譚』、一日で一気に読了しました。僕にしてはめずらしく、というかめったにないこと。まあ、遅読っていうのが一番の理由ですが読んでいる途中で気になったことがあると、読むのを中断してパソコンや他の本、あるいは地図などを調べたりしているうちに時間が経ってしまうんですね。

今回もやはり何度も中断してパソコンやらスマホでいくつものことを調べていましたが、でも少しでも空いた時間を見つけては読み進め、結局は一日で読み終えることができたんですね。あまりに面白くて途中でやめることができませんでした。

そういえば本を読みながら、最初に気になって調べたのは、筆者が「チョコレート・ガール」という題名の映画に出会ったあとすぐに書かれているこの言葉でした。


 それでは、とばかりにスマートフォンを取り出し、画面に指先をすべらせて、「チョコレート・ガール 成瀬巳喜男」と検索すれば、すぐに詳細な情報が得られるはずだ。
 しかし、そうしなかった。検索をすれば、この映画が現存するのかしないのか、ただちにわかる。(中略)
 が、ひとまず検索はせず、いましばらく踏みとどまった。そう書きながら自分でも笑ってしまう。こんな大げさな云い方がおかしくないほど、検索で答えを得ることはもはや常識なのだ。
 しかし、ここはひとつ踏みとどまりたかった。さっさと答えを知ってしまうのが勿体ないような気がしたからである。

この気持ち、すっごくわかります。僕もときどき、あえてネット検索を避けることがあります。

ただ、『岡山の映画』を読んで、成瀬の『チョコレート・ガール』のことを知ったときには、すぐにパソコンで「チョコレート・ガール 成瀬巳喜男」と検索しました。それで公開日、原作、出演者などを知ったんですね。主演の水久保澄子の名前は初めて知りました(『チョコレート・ガール探偵譚』を読んで、彼女が小津安二郎の『非常線の女』に出ていたことがわかりました)。

で、今回、吉田さんのこの部分を読んで、改めて「チョコレート・ガール 成瀬巳喜男」と検索してみたら、ちょっとびっくり。なんと半年前(2018年12月)に僕が書いた記事がトップから3つめに挙がってました。

おおっ、もしかしたら吉田さんは、あの記事を読んだかも、と思ったんですが、あとがきにこんな言葉が。


ここに収められた文章は平凡社の「こころ」に連載したもので、第一回が掲載されたのは2016年の冬だった。

ということは連載を始めたときに「チョコレート・ガール 成瀬巳喜男」と検索しても、まだ僕の記事は存在しない。

でも、連載を終えたのが今年の4月のようなので、どこかの段階で検索されて僕のブログを読んだかなと思ってみたり。少なくとも読者か、あるいは吉田さんと一緒に”チョコレート・ガール探偵”をしていた人は読んでくれていたようです。

それはさておき、ネットの検索はしないでおこうと決めた吉田さん、ではどうするか。当然こうなります。


 さて、電網から離れて過去を検索するとなれば、図書館か古書店で探るのが古来の方法である。自分の流儀としては、図書館の前にまずは古書店を探しまわるのが常で、流儀というより、放っておいても古書店へは日参しているので、自分のなわばりの中で何が見つかるか、と云った方が正しい。

というわけで、『チョコレート・ガール探偵譚』は古本好き、古本屋好きにとってもたまらない話が出てくるですね。でも、結論的に言えば、やはり東京って、うらやましいなあ、の一言に尽きます。古本屋に限らず、何か調べようと思ったら、東京にいればさっと行けますからね。


それにしても改めて吉田篤弘さんって、嗜好するものとか性格とかよく似ているなあと。

例えばこんな部分。


 そもそも、自分がなぜこの映画に興味をもったかといえば、単純に「チョコレート・ガール」という言葉の響きにひかれたのである。

これがもし『腰弁頑張れ』だったら反応はしなかったはず。そう、僕も吉田さん同様、昔からチョコレートが大好きなんですね。今も毎日、午後のコーヒーを飲んだ後に必ずチョコレートを食べています。チョコレートを食べない一日なんて考えられない。

それから『チョコレート・ガール』が封切られた昭和7年の風景の中に入り込む部分があって、その風景の描写にこんな言葉が出てきます。


 驚嘆すべきは空の青さだった。そこへアドバルーンがいくつも上がっている。

アドバルーン!

『チョコレート・ガール』が昭和7年の映画だと知って、まず僕が頭に浮かんだのがアドバルーンが上がっている都会の風景だったんですね。

東京の空にアドバルーンが上がり始めたのは昭和6年頃。いくつものアドバルーンが上っている、あの鈴木信太郎の「東京の空(数寄屋橋附近)」はまさにその昭和6年に描かれたもの。吉田さんもよく知っているんですね。

で、エピローグにはこういう言葉が出てきます。


私がいつでも書きたいのは何かを探す話で、探しているあいだにあれこれと考えたり、探すためにどこかへ出かけて歩きまわることができれば、それでいいのである。

これも、似たようなことをこのブログで書いたような気がします。

「脱線」が多いのも似てますね。そしていうまでもありませんが探している途中で起こる「たまたま」のエピソードもいくつも出てきます。

たとえば『チョコレート・ガール』のことが掲載された『キネマ旬報』昭和7年9月11日号をコピーを手に取ったときのこと。


 しかし、この「昭和7年9月11日号」という文字の並びを見るにつけ、どことなく感じ入るものがあり、さて、どうしてなのかとしばらく考えるうち、思いがけないものに行き当たった。
 父の誕生日である。
 完全に一致というわけではないが、父は昭和7年9月7日の生まれで、つまり、私の父は「チョコレート・ガール」が封切になった12日後にこの世に生まれ落ちたのだ。
 そうなのか、と複雑な思いになった。
 チョコレート・ガールと父はほとんど隣り合わせた生年月日を持ち、同じ時代の同じ空気を吸いながら育った。

僕であればここで「縁」という言葉を使いたくなります。

日付に関する「父」との「縁」といえば、『チョコレート・ガール探偵譚』の奥付に書かれている発行日。僕の父親の命日と2日違いでした。これも縁ですね。


というわけで個人的にはいろんな縁を感じる「チョコレート・ガール」。たぶんこの本を出した後も、吉田さんやその周辺の人、あるいは読者の何人かがチョコレート・ガール探偵を続けられていると思いますが、僕もチョコレート・ガール探偵団の一人として、できることをやっていこうと思います。

吉田さん、チョコレート・ガール探偵団バッヂでも作ってくれないかな。

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by hinaseno | 2019-06-11 12:53 | 文学 | Comments(0)

「チョコレート・ガール」という言葉を聞いてピンと来る人ははたしてどれくらいいるんだろう。

先日、SNSに流れてきた言葉の中に「チョコレート・ガール」という文字を見つけ、思わず目を留めてしまいました。

よく見たらそれは最近出たばかりの本のタイトル。


『チョコレート・ガール探偵譚』


筆者はなんと吉田篤弘さん。そこには主演女優である水久保澄子の名前も書かれていたのでまちがいない。

成瀬巳喜男の戦前の幻の映画『チョコレート・ガール』。


成瀬に『チョコレート・ガール』というタイトルの映画があったことを知ったのは、昭和初期の西大寺商店街を調べていたときのこと。昨年の暮れに書いたこの日のブログで紹介しています。西大寺商店街に戦前から映画館がいくつもあったことを知ったので、松田完一著『岡山の映画』(岡山文庫 昭和58年発行)を読んでみたら成瀬の『チョコレート・ガール』の話が書かれていたんですね。それは昭和7年のこと。当時松田さんは10歳か11歳。こう書かれていました。


松竹映画「チョコレートガール」は売出しのチョコレートを主題にした明治製菓とのタイアップ作品だが、監督の成瀬巳喜男の水々しい感覚と的確な映像表現で、上京する姉が、駅まで見送りに来た弟に投げ与えたチョコレートが、勢あまって線路に落ちてしまい、そのまま汽車は遠ざかるラストシーン。成瀬巳喜男のその後の成長を暗示する見事な映画であった。


僕はこのあと「これ、見たいですね。フィルム。現存するんでしょうか」って書いています。で、もちろんこれを書いた後、成瀬の『チョコレート・ガール』をいろいろと調べました。でも、どうやらフィルムは失われていることがわかったんですね。主演の水久保澄子はアイドル的な人気を得ていたようで『チョコレート・ガール』はまさに幻の映画という感じ。


興味深いのはこの映画が公開された昭和7年。

昭和7年公開の映画といえば何といっても小津安二郎の『生れてはみたけれど』。そう、平川克美さんが隣町探偵団で、まさに探偵したあの映画です。製作は『チョコレート・ガール』と同じく松竹蒲田。『生れてはみたけれど』の公開は6月で『チョコレート・ガール』の公開は8月。突貫小僧が両方の映画に出ていますね。

川本三郎さんが『郊外の文学誌』の「小市民映画の生まれたところ 蒲田とその周辺」で、島津保次郎の『隣の八重ちゃん』や、小津の『東京の合唱』『生れてはみたけれど』など、松竹蒲田で作られた郊外を舞台にした小市民映画に触れて、「小市民映画とは、この昭和6年の満州事変と昭和12年の支那事変(日中戦争)との間の安岡章太郎のいう『平和な安穏な休憩期間』『一瞬の繁栄期』に作られた、豊かな都市郊外生活者の映画だったということが出来る」と書いていますが、『チョコレート・ガール』もまさに「平和な安穏な休憩期間」「一瞬の繁栄期」に松竹蒲田で作られた映画で、とすれば『生れてはみたけれど』と同様に目蒲線か池上線あたりでロケされた可能性も高く、映画を観たい気持ちは高まる一方でした。

吉田篤弘さんは『チョコレート・ガール』についてどれだけ調べ、どんな物語に仕立て上げたんだろう。読むのが楽しみでなりません。


と、ここまで書いて一昨日にアップしようと思っていたんですが、時間がなく、で、昨日、『チョコレート・ガール探偵譚』を買ってきました。

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装幀はもちろんクラフト・エヴィング商會。なにからなにまで最高ですね。ところでこの本、帯を見たら「金曜日の本」との文字。どうやら「金曜日の本」というシリーズで出したのかもしれません。


「金曜日の本」といえば、これも何度か書いたような気がしますが僕が吉田篤弘さんに注目するきっかけとなった『おかしな本棚』で、最初に驚いたのが「金曜日の本」と題されたページでした。

そこに『ぼくは散歩と雑学が好きだった。 小西康陽のコラム1993-2008』と川本三郎さんの『銀幕の東京』が並んでいたんですね。それから少し離れたところには小川洋子さんの中で一番好きな小説『猫を抱いて象と泳ぐ』もあって、これだけでこの人とは趣味がぴったりだ! と思ったものでした(ちなみに後で知った本では『猫を抱いて象と泳ぐ』のとなりには映画『森崎書店の日々』に『昔日の客』とともに映った野呂邦暢の『愛についてのデッサン』があり、隣のページにはジャック・フィニィの『ゲイルズバーグの春を愛す』もある)。


これらの本の中でとりわけ川本三郎さんの『銀幕の東京』は映画のロケ地を歩くためのバイブルのような本で、大瀧さんの成瀬巳喜男研究も平川克美さん&隣町探偵団の『生れてはみたけれど』研究もこの本あればこそ。僕もやはりこの本で小津の『早春』に出会い、さらに1昨年に武蔵新田を歩いたのも、この本で取り上げられていた川島雄三の『銀座二十四帖』に出会ったから。

ということなので吉田篤弘さんの『チョコレート・ガール探偵譚』も、おそらくは川本三郎さんの『銀幕の東京』を意識、あるいは影響で書かれたものに違いありません。

いや、さらに読むのが楽しみになりました。


で、すぐに読もうと思っていたんですが、実は今、この4月に出た本を2冊同時に読んでいるんですね。それが『わたくしのビートルズ 小西康陽のコラム1992-2019』と、山極寿一、小川洋子著『ゴリラの森、言葉の海』。

小西さんの本はまさに「金曜日の本」のページに載っていた『ぼくは散歩と雑学が好きだった。 小西康陽のコラム1993-2008』の続編。約10年ぶりですね。ちなみに先日、尾崎一雄の『人生風景』を見つけた古本屋は小川洋子さんの生まれ育った”教会”のすぐ近くで、店の行き帰りに”教会”の前を通りました。

なんだかつながっていますね。

小西さんの本は内容がぎっしりなのでまだ50ページあたりを読んだところ、それから『ゴリラの森、言葉の海』はちょうど半分読んだところ。中断してこれから吉田篤弘さんの『チョコレート・ガール探偵譚』を読むことにします。

もしかしたらですが吉田さんが本を書くときに、僕が昨年にちょこっと書いていたことを読まれていたかもしれないと思いながら。


冒頭の一行だけ読むと、なんと。


「その古本屋は私鉄電車の操車場近くにあった」


操車場!

操車場といえば平川さんが連載していた隣町探偵団で知ったんですが、小津の『生れてはみたけれど』には目蒲線の南側にあった大きな操車場が映っているんですね。それはこの「原っぱ」のシーン。

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子供達(左が『チョコレート・ガール』にも出演している突貫小僧)の後ろに連結車輛が止まっているのがその操車場。ただ、この操車場は目蒲線、つまり私鉄電車の操車場ではなくJRの操車場のようですが。


吉田さんがはたしてどここにあった操車場をイメージして物語を作っていったのかはわかりませんが、『チョコレート・ガール』と同年に同じ松竹蒲田で製作された『生れてはみたけれど』の風景を入れていった可能性はますます高まってきます。

いずれにしても『チョコレート・ガール探偵譚』は、吉田篤弘さんの中で最高の作品になるような気がします。あ〜読むのが楽しみだなあ。


by hinaseno | 2019-06-08 11:04 | 文学 | Comments(0)

Daddy Long Legs


あそこの古本屋で目が一瞬捉えたあの風景はなんだったんだろう。

「井伏鱒二」と「Daddy Long Legs」。


  *   *   *


その道は昨年の夏くらいから週に1回は車で通っていて、その前も何度も通っていた。でも、その日、僕が目にしたのは道の両側一面に黄金色に輝く麦秋の風景。あちこちで収穫の作業中。


「麦秋」という言葉を知ったのは小津安二郎の映画『麦秋』。小津の中で最も愛している作品。理由は自分との縁を感じさせてくれることがいくつも散りばめられているから。

映画を知った頃、麦秋が秋ではなく初夏、あるいは春の終わり(晩春、春の暮れ)の時期であることも同時に知ったけど、まさに麦秋というべき風景に出会ったのはたぶん初めて。こんなにも美しいとは。

その風景に見とれながら、ずっと口ずさみ続けていた曲がある。

「Daddy Long Legs」。


  *   *   *


2年前の5月に東京へ行った時、神保町に泊まったのは『麦秋』でいちばん好きなシーンが撮られたニコライ堂を見たかったから。ニコライ堂は大好きな画家松本竣介がいくつも描いている。

ニコライ堂を見た後で向かったのは数寄屋橋。鈴木信太郎が昭和6年に描いた「東京の空(数寄屋橋付近)」の風景を見るため。絵に描かれている泰明小学校が今も残っている。

そこを見た後、銀座を歩き、成瀬の『秋立ちぬ』の舞台を見た後で、武蔵小山歩きをした。一緒に歩いてくれたのはアゲインの石川さんと高橋和枝さん(二人に会う前に見た石川さんの実家は取り壊されたとのこと)。

その高橋さんが別れ際にくれたのがこれ。

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高橋さん手製のてるてる坊主と、鈴木信太郎の菓子袋に入ったお菓子。

鈴木信太郎の絵を見たとき、僕がどれほど驚いたことか。高橋さんに会う前、まさにその鈴木信太郎が描いた風景の場所に行っていたなんて知るはずもないのだから。


正直、鈴木信太郎は「東京の空」しか知らなかったけど、そのときから大好きな、大切な画家の一人になった。上の袋の右上にも書かれている「す.」のサインもたまらない。

すぐに図録を買って、彼が僕の好きな作家の本の装画を描いていたことを知る。井伏鱒二の『多甚古村』、内田百間の『御馳走帖』、尾崎一雄のいくつかの本。古本屋でちょこっと探したけど見つからず、だんだん古本屋にも行けなくなって、それっきり。


ところが2週間前のある日、たまたまネットで源氏鶏太の文庫本の表紙を目にして、それがすぐに鈴木信太郎の絵だとわかり(「す.」のサインがポイント)、急に欲しくなって、で、10日ほど前、しばらくご無沙汰していた古本屋に行った。あまりゆっくりと時間がとれなかったので、井伏鱒二、内田百間、尾崎一雄、源氏鶏太という名前だけを重点的に探す。ネットに上がっていた源氏鶏太の文庫本は春陽文庫のものだったので春陽文庫もチェック。春陽文庫というの知らなかったけど、「春陽」っていい名前だ。

小一時間ほどいて、結局見つかったのは源氏鶏太の春陽文庫2冊と単行本2冊。


店を出るときに、急に、ある本の背文字が蘇える。「井伏鱒二」そして「Daddy Long Legs」。

「Daddy Long Legs」は日本では「あしながおじさん」と訳され、それが一般に広まっていることはよく知っているけど、その棚にあったのは「Daddy Long Legs」と書かれたもの。

でも、もし洋書だったら井伏と並んでいるはずはないし、井伏が「Daddy Long Legs」を翻訳した本、あるいは「Daddy Long Legs」について何か書いた本が出ているのかなと思ったりしながらも、すでに車のエンジンをかけていたので引き返すことなくその日は家に帰る。


その3日後(このブログを休んだ日の前日)、1年以上行っていない別の古書店に行く。

そこには春陽文庫の源氏鶏太がずらっと並んでいたけど、結局、鈴木信太郎の装画は1冊だけ。ただ、図録に載っていなかった尾崎一雄の『人生風景』を発見して大満足。本のタイトルも鈴木信太郎による装幀・装画も最高。

ところで鈴木信太郎が装画を描いた可能性のある本を探していたときに、ふと目を捉えた文字があった。

「Daddy Long Legs」。

「あしながおじさん」ではなくやはり英語で「Daddy Long Legs」と書かれたもの。


「あ、また『Daddy Long Legs』」


と思ったものの、手にはとらず店を出る。

で、車のエンジンをかけたときに、頭の中に忘れかけていた曲のあるメロディが流れてくる。


♫ダディ・ロング・レッグズ~♫


歌っているのは須藤薫。

どのアルバムに入っていたっけと思って家に帰って探す。1987年にリリースされた『Hello Again』。ざっと聴いてみて覚えていたのは杉真理作曲の「Hello Again」と同じメロディに別の歌詞がつけられた「同い年の恋」、それからわたせせいぞう作詞の「坂道はパール色」、そして「Daddy Long Legs」。後の曲は全く印象に残っていない。

『Hello Again』はそのタイトルからもわかるように須藤薫にとってはしばらくぶりのアルバム。実は僕は須藤薫さんのことは「あなただけI LOVE YOU」で知って、当時出ていたアルバムをすべて貸レコード屋で借りてカセットテープで聴いていたので、『Hello Again』はリアルタイムで買った彼女の初めてのアルバム。

『Hello Again』以後、彼女は毎年、コンスタントにアルバムを発表していて全部買った。『Hello Again』の次が伊藤銀次プロデュースの『More Than Yesterday』、次に小西康陽プロデュースの『Tender Love』、さらに『Continue』、『Winter Moon』。この中でダントツで聴いたのは『Tender Love』。「春の陽射し」という曲がとりわけ好きだったということは以前書いた。ということなので『Hello Again』をよく聴いたのはたぶん1987年だけ。

改めて「Daddy Long Legs」を聴いたけど、やはり素晴らしい曲。詞も曲も。

作曲はこのアルバムのスーパーヴァイザーの杉真理かと思ったら違っていた。木村聡という人。ピンとこない。

調べたら1985に大瀧さんや須藤薫さんと同じCBS/SONYから木村聡というアーティスト名でデビューし、現在はなつし聡というアーティスト名で活動している。なつし聡のウェブサイトのプロフィールにはまさに『Hello Again』の発売された1987年にこんなことが書かれていた。

「1987年、当時のメジャーレコード業界のやり方に激怒し、プロダクションと大喧嘩。録音していた2ndアルバムはお蔵入り」と。

その後も不運が続いたようです。でも、昨年出た最新ミニアルバム『さよならジャングルジム』のタイトル曲「さよならジャングルジム」を聴いたら「Daddy Long Legs」に通じる懐かしさを呼び起こすようないい曲だった。

「Daddy Long Legs」の作詞をしたのは細田博子という人。こちらも知らない。どうやら一時期だけ作詞活動をしていたよう。須藤薫の『Hello Again』では「Daddy Long Legs」の他に2曲作詞している。アルバム最後の「美しい暦」という須藤薫自身が作曲した曲の詞を書いているので、須藤薫と親しい関係にあった人なのかもしれない。


ところで『Hello Again』について調べていたら、最初、LPでも出ていたことがわかった。僕はたぶん1986年にCDデッキを買ったので、それ以降新譜が出たらCDで買うようになっていて、『Hello Again』ももちろんCDで買った。でも、LPが出ていたとは。

ってことがわかるとLPがほしくなって入手。

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気になるのはB面。

「Daddy Long Legs」はB面2曲目であることがわかる。

B2だ!。


一応B面のトラックリストを。

B1「サヨナラは5月の吹雪」。

B2「Daddy Long Legs」

B3「無言のメッセージ」

B4「Sweet Little Heartache」

B5「美しい暦」


A面には「出会い」の明るい曲が多いのに対して、B面は「別れ」につながる内省的な曲が多い(2月発売なのに5月の別れの曲があることに少し驚く)。iTunesストアをチェックしたら、このアルバムで人気があるのはA面に集中。でも、僕はずっとB面を聴いている。少女と大人の女性を同居させた須藤薫の声はなんと魅力的なんだろう。


そういえば数日前に「井伏鱒二」「Daddy Long Legs」のことを思い出して、井伏鱒二が「Daddy Long Legs」を翻訳している本があるのかと調べてみたけど、そういうのはなかった。

でも、何か気になる。

あそこの古本屋で目が一瞬捉えたあの風景はなんだったんだろう。

「井伏鱒二」と「Daddy Long Legs」。

こういう些細なことに縁を感じてしまうタチなので、今度またあの本屋に行ってみよう。本の置かれていた場所はだいたい覚えている。


ところで「Daddy Long Legs」は「あしながおじさん」と訳されているけどほんとは「あしながパパさん」ですね。僕の父親はぜんぜん足長じゃなかったけど。

調べたら「Daddy Long Legs」はクモに近いザトウムシと書いてあって、びっくり。『あしながおじさん』の作品にもそのムシが登場しているとのこと。知らなかった。『あしながおじさん』は読んだことがないけど、これも縁なので今度読んでみようかな。


by hinaseno | 2019-06-04 12:46 | Comments(0)