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by hinaseno
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大瀧さんがらみの話以外ですごく羨ましいなあという話がありました。子安さんが手がけられた人の名を何人か挙げられた中で、ちょっと驚いた人が。川島なお美さんの次くらいに手がけたのかな。

その人の名は中井貴一さん。


結構すごい話が出てくるんですが、その前に中井さんのことを時系列的に確認しておきます。

生まれたのは1961年。父親は小津安二郎の映画などに出演していた佐田啓二。貴一という名前をつけたのも小津。でも、3歳の誕生日を目前にして父、佐田啓二は交通事故で亡くなります。

その父の17回忌の法要の時に佐田啓二のゴルフ友達だった映画監督の松林宗恵にスカウトされて、大学在学中の1981年に松林監督の『連合艦隊』(東宝)に出演。翌年にはテレビドラマにも初出演。


中井さんといえば何と言っても1983年の『ふぞろいの林檎たち』ですね。最初から見たわけではないけど、友人に教えられて夏休みに入った頃に初めて見た記憶があります。ってことはパート1の最後から2回目くらいかな。パート2以降は全部見ました。

初めて中井貴一という俳優を見たのはまさに『ふぞろいの林檎たち』を見る直前の1983年7月2日公開の映画『プルメリアの伝説 天国のキッス』(東宝)。主演は松田聖子と中井貴一。松田聖子が主演した映画を映画館で見たのは後にも先にもこれだけ。1983年7月といえば松田聖子さんが『ユートピア』を出して間もない時期。その前作『Candy』では大瀧さんが2曲も曲を書いていたのに『ユートピア』では大瀧さんの曲が1曲もなくて残念な思いをしたものです。でも『ユートピア』、いいアルバムですけどね。とりわけ好きなのは大村雅朗さんが曲を書いた「セイシェルの夕陽」。

その『ユートピア』に収録された「天国のキッス」が『プルメリアの伝説』の主題歌にもなっています。作曲は細野晴臣さん、作詞はもちろん松本隆さん。『プルメリアの伝説』の映画の挿入歌で、やはり大村雅朗作曲の「パシフィック」という曲があるんですが、これも素晴らしい曲です。

話はそれますが、どうやら大村雅朗を特集した番組がどうやらテレビで放送されるようです。もし放送されたら是非見てください。


話は逸れてしまいましたが中井さんがレコードデビューしたのはその翌年の1984年の春。中井さんの人気がかなり出てきたのでレコードを出そうということになったんですね。で、その話が子安さんのところに来たと。

中井さんが東宝ということで、第二の加山雄三って感じで売り出したようで、作詞は加山さんのいくつもの曲の詞を手がけた岩谷時子さん、そして作曲は加山さんと同じく茅ヶ崎に住んでいて加山さんとも親しかった加瀬邦彦さんのコンビに依頼。デビュー曲は「青春の誓い」。

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発売されたのは1984年3月21日。4月にはあの「ザ・ベストテン」の今週のスポットライトにも出ていますね。ちなみにその週の1位はチェッカーズの「涙のリクエスト」。のちにドラマで何度も共演することになる小泉今日子さんの「渚のはいから人魚」が6位、松田聖子さんの「Rock'n Rouge」が8位。

「青春の誓い」という曲、iTunesでちょこっと聴いたら、いかにも夏っぽい爽やかな曲ですが、でもそんなには売れなかったのかな。

驚いたのは、中井さんを手がけている時に子安さんは何度も田園調布の中井さんの家に通っていたという話。中井さんのお母さん(ということは佐田啓二の奥さんということですね)やお姉さんとも親しく言葉を交わすようになっていたそうです。ただ、中井さんのお母さんには帰る時になると「ご苦労さん、電気屋さん」と最後まで言われ続けていたとか。東芝というとイコール電気屋だというふうになっていたんですね。

いや、でも羨ましい話。大瀧さんも羨ましがられたんじゃないかな。ああ、そういえば東宝が東京宝塚の略だというのを知ったのは大瀧さんでした。ラジオデイズでのトークの中で話されたっけ。東宝という会社のことにもかなり詳しく調べられていたな。


by hinaseno | 2019-03-31 13:52 | ナイアガラ | Comments(0)

今日はマリナーズの試合を見ながらこれを書いています。投げているのは岩手県出身の菊池雄星くん。大谷くんの先輩ですね。

先日のイチローの引退試合のときもテレビを見ましたが、久しぶりにマリナーズの試合を見ることができてにこにこしています。で、マリナーズの試合を見るとやっぱりこの写真を思い浮かべます。

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左から渡辺満里奈さん、大瀧さん、さくらももこさん。『ちびまる子ちゃん』の主題歌を大瀧さんが作曲プロデュースして渡辺満里奈さんが歌うことがきまったときに、大瀧さんが満里奈さんにプレゼントしたのがマリナーズのジャムパーだったんですね。

イチローのマリナーズ入団が決まったのはこの6年後のこと。大瀧さんとしては満里奈とマリナーズをかけてのシャレだったわけですが、満里奈さんとの縁も含めて何か未来を予見していたよう。


大瀧さんがまさに満里奈さんをプロデュースしていたころに子安さんが手がけていたのがウルフルズ。満里奈さんの「うれしい予感」発売直前に起きたのが阪神淡路大震災でした。僕が1997年の夏に初めて姫路文学館に行くきっかけとなったのもいろいろ辿っていけば阪神淡路大震災だったなと(話せば長いんだ)。あれはやっぱり人生を変えた大きな出来事でした。

阪神淡路大震災が起きたときに大瀧さんは「うれしい予感」の発売を一旦止めるように働きかけます。曲のタイトルも含めて今出すべきではないと。でも、止められなかったんですね。大瀧さんはずっとそれを悔やみ続けていたようです。やめるべきときにはやめなければいけないと。「新しいことをやるときには墓参りをしろ」という言葉を裏返して考えてみれば、大瀧さんの気持ちはよく理解できます。

で、まさにその阪神大震災が起きた直後、ウルフルズも1枚のシングルを出す予定になっていました。そのシングルに大瀧さんがからんでいるんでるんですが、このあたりの話が一番震えました。すごいなとしかいいようがない。

でも、とりあえず順序立って子安次郎さんと銀次さんのトークの話の続きを。ところで子安さんの話で興味深いのは、子安さんの語られる話の中に「偶然」とか「たまたま」という言葉が何度も出てくるんですね。あるいは「運が良かった」とか「ラッキー」だったとか。大瀧さんの最も近いところにいた方らしいなと。


さて、大学時代に大瀧さんの福生で書生のようなアルバイトをしていた子安さんですが、1978年にナイアガラをたたんだと同時にその書生生活も終わることになります。大瀧さんはナイアガラ最後のアルバム『レッツ・オンド・アゲン』のサンプル盤を子安さんに2枚渡して「好きなところへ行け」と告げたとか(ちなみにその『レッツ・オンド・アゲン』のインナーの写真の中に子安さんも映っているそうです。変装とかさせているみたいなので、どれだかわからない)。

で、子安さんはいくつかレコード会社の入社試験を受けます。最初に受けたのが出来たばかりのEPICソニー。でも、2次試験で落ちる。

EPICソニーといえばなんといっても佐野元春。もし子安さんがこのときEPICに入社していれば翌年にEPICと契約した佐野さんに何らかの形で関わっていたかもしれません。ちなみに伊藤銀次さんは佐野さんのデビューアルバムからアレンジャーとして関わることになります。まあ、この段階では縁がなかったということですね。

次はビクターに。でも書類審査でアウト。で、その次に受けた東芝EMI。本当はディレクター希望でしたが、とりあえず最初は営業をがんばりますとアピールして入社が決まります。入社後、社内でいろいろあって(不運なように思えて結果的にはラッキーなことがいくつも)、で、引っ張ってもらったのが日本歌謡史に燦然と輝く草野浩二さん(かの有名な漣健児の弟)。そのときに草野さんから任されたのが川島なお美さんでした。最初に手がけたのが「ラブ・ミー・タイト」というシングル。ここから子安さんのディレクター生活がスタートします。でも、このシングルはアレンジャーを決めただけ。

このころから川島なお美さんがすごく人気が出てくるんですね。もちろん僕も何度もテレビで見ていました。

で、子安さんがディレクターとして本格的に手がけた川島さんのアルバムが『SO LONG』(1982年12月1発売)。

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このアルバム、手に入れたくなるようなすごい内容。当時10万枚くらい売れたそうです。

子安さんはこのアルバムを制作するにあたってプロデューサーを立てます。それが大瀧さん、佐野さんとともに『ナイアガラ・トライアングルVol.2』を出したばかりの杉真理さん。ナイアガラの流れを踏襲しながら仕事をスタートしたわけです。

このアルバムが興味深いのは(聴いてみたいと思うのは)、杉さんが11曲中8曲も曲を書いているということもあるんですが、その杉さんと、そして大瀧さんとも縁の深い、あの平井夏美こと川原伸司さんが2曲提供していること。平井夏美(=川原伸司)さんのことは渡辺満里奈さんの『Ring-a-Bell』というアルバムにからめて、以前かなり書いています。

そういえばその平井夏美の一連の話の最後に書いたこの日のブログの最後に、こんなことを書いています。


話はものすごくそれますが、前にラジオデイズのことにふれて平川克美さんのことを書きました。大瀧さんはアゲインの石川さん経由で平川さんに会うことになるのですが、平川克美という名前を見て、一瞬”空目”が起こって、こうつぶやかれたのではないでしょうか。
「川原のペンネームみたいな名前だな」
そして、きっと会う前からずっと知っているような親しい気持ちになれたのではないかと思います。

まあ半分冗談ではあったんですが、銀次さんと子安さんのトークで面白いことがあったんですね。気がついたのは僕だけでしょう。

平井夏美さんの名前が出て、二人で盛り上がったときに銀次さんがぽろっと平井夏美さんのことを「平川夏美さん」て言ったんですね。銀次さんは『銀次の部屋』で対談する以前から平川さんのことを知ってるんですが、二人の名前が混じってしまってたと。

僕が昔、冗談半分で書いた推測もあながち外れてはいなかったかもしれない。


by hinaseno | 2019-03-30 14:03 | ナイアガラ | Comments(0)

これは5月に行われるイベントのチラシ。

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日当たりの良い縁側に座って外の新緑の景色を眺めているのは世田谷ピンポンズさん。この場所は…。


7年前の2012年9月4日、記念すべき(って大げさに言うほどのことではないけど)最初の日のブログに貼ったのがこの写真でした。

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流れているのは船場川。姫路城の北西にある清水橋という小さな橋から撮っています。

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写真を撮ったのは同じ日のお昼の12時過ぎ。ただ、この日に紹介した詩のイメージに合わせて画像編集しています。日が落ちた薄暗い感じにして、さらには90年近く前の感じも出そうとセピア色も入れました。

紹介した詩はもちろん木山捷平が昭和2年に姫路で書いた詩「船場川」。改めてその詩を。


 あへないで帰る 
 月夜 
 船場川はいつものやうに流れてゐたり
 僕は
 流れにそうてかへりたり。

船場川の写真を撮ろうと思ったときに、まず浮かんだのがあの清水橋の場所でした。好きだったんですね、あのあたりの場所。まあ、近くに図書館や美術館、公園、動物園などがあって、よく車では通っていたんですが、ある秋の日、あのあたりを車で通っていたら(そのときに流れていたのはブロッサム・ディアリーの「Sweet Surprise」。ってことで1997年の晩秋だとわかりました)、一本の赤く色づいた木が目に入ったんですね。たいした木ではないけど、一本だけとても綺麗に色づいていたので、ちょっとそこに車を止めて写真をパチリと。そのときに撮った写真、アルバムに残っていました。

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せっかくなのでそのあたりを船場川に沿って歩きました。いわゆる「千姫の小径」と名付けられている道。それからはよくあのあたりを歩くようになりました。不思議なもので必ず頭の中にはブロッサム・ディアリーの「Sweet Surprise」が流れてくるんです。今でも、あのあたりに行くと。




清水橋のあたりを歩くとき、たいてい車を止めていたのは城内図書館の駐車場。で、ときどきは姫路図書館の駐車場にも(以前は横に気軽に止められた)。

その姫路図書館に初めて行ったのがその1997年の夏でした。だれかの展示を見た後で目に入ったのが一軒の古い日本家屋。入れることがわかったんで、中に入り、もちろん縁側に腰を下ろしました。いい建物だなあと。その建物が望景亭。

その日、望景亭で何枚か写真を撮ったはずだけど見当たらない。なぜだか、その望景亭の前を流れている川を撮ったこの1枚だけが残っている。

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望景亭にはもう一回行ったかな。

で、まさにその望景亭で世田谷ピンポンズさんのライブが開かれるんですね。こんなに楽しみなことはない。いろんな思い出が蘇ってきそうです。

姫路の木山捷平のことを知ってから、文学館には何度も行って、いろんなものを見せてもらったり調べてもらったりしました。

改装後にはピンポンズさんの「船場川」のCDも持って行って、文学館でピンポンズさんのライブをやっていただけないでしょうかと言ったこともあるんですが、今回はおひさまゆうびん舎さんの強力な働きかけでライブが実現したんですね。夢のよう。


ライブが行われるのは5月19日日曜日。まさに晩春。

これまでピンポンズさんは「春」「早春」「5月」というタイトルの曲を作っています。縁側に茶碗が二つ置かれているイメージをもとにして新たに「晩春」というタイトルの曲が生まれたら嬉しいなとふと思ってしまいました。上林さんの作品と同じく「晩春日記」でもいいけれど。


望景亭はかなり広い会場なのでたくさん入れるようです。ぜひ、足を運んでみてください。縁側でお茶を飲みながら見るのもいいかもしれません。きっととびきり素敵なスウィートサプライズがあるはず。

申し込み、お問い合わせはおひさまゆうびん舎さんへ。


by hinaseno | 2019-03-29 15:41 | 音楽と文学 | Comments(0)


  晩春

 尋ねて来たのに
 主人は不在である。 
 主婦も不在である。 
 新緑の縁側に 
 茶碗が二つ置いてある 
 ――では失敬、
 ぼくは待つてゐるわけにはいかないのだ。

この「晩春」と題された詩が書かれたのは木山捷平が亡くなった昭和43年。死が近づきつつあることが読み取れるような詩で、ちょっと息苦しい気持ちになってしまいます。

ただ、その2年前の昭和41年、当時62歳だった木山さんはこんな詩を書いているんですね。詩のタイトルは「六十年」。


  六十年

 尋ねて来たのに主人は不在である。 
 主婦も不在である。 
 開けひろげた深緑の縁側に 
 茶碗が二つ置いてある 
 座蒲団も二つ置いてある。

最初の2行は「晩春」と全く同じ。その次の2行もほぼ同じ。縁側に茶碗が置かれている風景ですね。「六十年」では茶碗以外に「座蒲団」も置かれていますが、詩としては「座蒲団」がない方がいいような気もします。木山さんもそう感じたのか2年後にその「座蒲団」の1行を省いて「――では失敬、ぼくは待つてゐるわけにはいかないのだ。」を付け足しています。


ところで、昨日、スマホに入れている『木山捷平全詩集』で「縁」という言葉を検索していたら、こんな俳句があるのを見つけました。


  茶碗二つ新樹の庭の縁の上

これはまさに「晩春」あるいは「六十年」に描かれた風景。同じ日に書かれたいくつかの俳句の後には「昭・35・6・2 向島 百花園にて」とあったので、昭和35年6月2日の木山さんの日記を見ると


 文壇俳句会、向島百花園にて、四時より。池袋よりトローリーバスで行った。
 席題、祭、新樹、梅雨、鮎、嘱目

このあとにこの日木山さんが詠んだ俳句が全部で11句並んでいます。で、その中に「茶碗二つ新樹の庭の縁の上」も。ちなみに『全詩集』に掲載されているのは『日記』からとられたのかと思ったらそうでもない。『日記』に載っているのに省かれているものもあれば、言葉や表記が変えられているのもあります。

で、11句の俳句の後にはこう書かれていました。


 小生等外、小皿入小梅干一個をもらった。参加賞、テーブルクリーナー。

ということで、どの俳句も選からは漏れたようで木山さんは参加賞と梅を一個だけもらって帰ったんですね。

ただ、この日書いた俳句の一つである「茶碗二つ新樹の庭の縁の上」のイメージはどうやら木山さんにずっと残り続けることになったんですね。もともとは俳句会が開かれていた新緑の百花園にある建物の縁側でお茶を飲んでいた人が立ち去って茶碗が2つ残っているという風景がたまたま木山さんの目に入って俳句にしただけだったのかもしれないのに、そのイメージが6年後に「六十年」という詩になり、さらに2年後のまさに死がさし迫っていたときに「晩春」という詩に形を変えていった。

興味深いのは「六十年」も「晩春」も、会いにいったけれども会えなかったという、そう、木山さんのが昭和2年に姫路で書いた「船場川」の詩のあのイメージに重ねられていること。

昭和2年の23歳の木山さんは「友」の家の前で暗くなるまで半日くらいは待つことができた。「六十年」を書いたときでも数時間は待っていたかもしれない。でも、「晩春」を書いたときの木山さんは1分すらも待つことができなくなっていた。


と、ここまでが今回書こうとしていることの前置き。前置きの前に前置き(のようなもの)を書いてしまったのですっかり長くなってしまいました。次回は本題に入ります。大事な告知。


by hinaseno | 2019-03-28 12:03 | 音楽と文学 | Comments(0)


「晩春」と「初夏」は5月下旬のちょうど今頃の時期を表す言葉なのにずいぶん肌触りが違う。明るさも、湿り気も、風の吹き具合も違う感じがします。いうまでもないけど「晩春」の方が少し暗くて湿度もある。

こんな書き出しで昨年の5月のブログに、読んだばかりの上林暁の『晩春日記』の話を書いていました。今朝、ふと「晩春」と「初夏」という言葉についていろいろと考えていたら、ああ、そういえば以前書いていたなと。


3日前、3月の気持ちよく青空が広がった中、神戸の西のはずれの海の見える鉄道沿線を歩いたので、今朝、急に村上春樹の『カンガルー日和』に収録された「5月の海岸線」を読みたくなったんですね。

『カンガルー日和』は最初に「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」、さらに「5月の海岸線」も入っていることからなんとなく春の雰囲気があります。おもしろいことに「バート・バカラックはお好き?」という作品もあるのでバカラックも春に聴きたくなっちゃうんですね(実際、最近よくバカラックを聴いている)。バカラックには「エイプリル・フール」という素敵な曲もあるし。ああ、それから海のことも感じさせてくれる作品も多い。例えば「1963/1982年のイパネマ娘」とか。


ところで神戸に向かうとき、車の中でずっと聴いていたのは出たばかりの大瀧さんの『NIAGARA CONCERT ’83』のDisc 2の「EACH Sings Oldies from NIAGARA CONCERT」の曲順を入れ替えて、大瀧さんのカバーとオリジナルの曲を交互に入れて作ったCD。本当は塩屋に向かう電車や塩屋のあたりを歩くときもそれを聴こうと思ったのにヘッドフォンを忘れてしまって結局聴けなかった。これは残念だったな。大瀧さんがカバーしていたのは1955年から1963年にかけてのアメリカン・ポップス。エルヴィス・プレスリー、カール・パーキンス、クローヴァーズ、バディ・ホリー、リッキー・ネルソン、ジョニー・ティロットソン、ポール・アンカ、ボビー・ダーリン、バリー・マン、フリートウッズ、パリス・シスターズ、トミー・ロウ。海の見える滝の茶屋駅あたりの線路沿いの道をこれを聴きながら歩けなかったというのが唯一の心残り。


さて、村上春樹の「5月の海岸線」を読むと、1963年、つまり村上さんも大瀧さんも中学3年生だったときの話が出てきます。ちなみに「5月の海岸線」の舞台になっているのは塩屋とは反対側の芦屋。つまり神戸の東のはずれの海沿いの場所。1963年のアメリカン・ポップスが最も輝いていたときの神戸の海沿いの風景がここにあります。


もっと大きくなってからは(もうその頃には海もすっかり汚れていて、僕たちは山の上のプールで泳ぐようになっていたけれど)、夕方になると犬をつれて(犬を飼っていたんだよ、白くて大きな犬だ)海岸道路を散歩したものさ。砂浜で犬を放してぼんやりしていると何人かのクラスの女の子たちに会えた。運がよければ、あたりがすっかり暗くなるまでの一時間くらいは彼女たちと話しこむことだってできた。長い丈のスカートをはき、髪にシャンプーの匂いをさせ、目立ち始めた胸を小さな固いブラジャーの中に包み込んだ1963年の女の子たち。彼女たちは僕の隣りに腰を下ろし、小さな謎に充ちた言葉を語り続けた。彼女たちの好きなもの、嫌いなもの、クラスのこと、街のこと、世界のこと……、アンソニー・パーキンス、グレゴリー・ペック、エルヴィス・プレスリーの新しい映画、そしてニール・セダカの「別れはつらいね(ブレーキンアップ・イズ・ハード・トゥ・ドゥ)」。

創作が含まれているとはいえ、日本とは思えないくらいにカラッとしている。1963年の女の子たちの話の中に日本のスターの話が一切出てこないのもすごいですね。日本的なものが排されているといえばニール・セダカの曲のタイトル。原題は「Breaking Up Is Hard To Do」。村上さんが書いている通り「別れはつらいね」という意味。でも、この曲、日本でもシングル盤が出ていて別の邦題がついているんですね。

「悲しき慕情」。

なんとも暗くて湿度がいっぱいのタイトル。曲との落差がありすぎ。もし村上さんがあそこで邦題の「悲しき慕情」なんて書いていたら、風景までイメージが違ってきますね。とはいっても実は「5月の海岸線」は決してカラッと明るいだけ作品ではなく、すぐに”暗い”話が出てくるんですが。


と、前置きのつもりが、全然そうならなかったのですが、とりあえず「5月」の話。

改めて「初夏」と「晩春」のことを言えば、やっぱり「晩春」という言葉のほうがなんとなく「文学」に相性がいいような気がするなと。この場合の「文学」はどちらかといえば私小説的なものになってくるけど。そうえいば小津安二郎も『晩春』も、もともとは広津和郎の「父と娘」という小説が原作。


ところでずっと以前にも一度紹介したことがありますが、木山捷平に「晩春」と題された詩があります。次回はその話から。


by hinaseno | 2019-03-27 13:42 | 音楽と文学 | Comments(0)

旧グッゲンハイム邸でライブを見るのは今日が2回目。前回は昨年の5月の佐川満男さんのライブ。あの日も立ち見が出るほどでしたが、今回もそれとかわらないくらいの超満員。どうにか前の方に座れたものの、でも残念ながらドラムのあだち麗三郎さんが見えない場所。

1曲目は冬にわかれてのアルバム『なんにもいらない』から大好きな「耳をすまして」。「耳をすまして」はアルバムでは2曲目ですが、以前も書いたように、この曲、キャロル・キングのいた3人組のバンド、The Cityの『夢語り』の1曲目に収められた「Snow Queen」に似た感じの曲なのでライブの1曲目としては最高でした。

2曲目も『なんにもいらない』から「おかしなラストプレイ」。3曲目は『青い夜のさよなら』から「バスの中で」。「トコトコバス」好きとしてはうれしかったな(この曲に限らず、歌われる1曲1曲が、まるで自分に配慮してくれるように思ってしまうんですね)。4曲目は『たよりないもののために』から「幼い二人」。これもとってもよかった。

で、再び『なんにもいらない』から伊賀航さん作曲の「白い丘」とあだち麗三郎さん作曲の「冬にわかれて」の2曲。『なんにもいらない』はしばらく聴いていなかったんですが、ライブで改めて曲の良さを再認識しました。紗穂さんの曲も素晴らしいですが、あだちさんや伊賀航さんの曲も味わい深い。とりわけ伊賀さんの書いた「白い丘」の静謐な美しさはライブで聴くとまた格別なものがありました。

7曲目は『放送禁止歌』から「アジアの汗」。曲のモデルとなった人の話も語られました。

で、前半の最後は『愛の秘密』から「お天気雨」。紗穂さんのライブは2回目ですが、みんなの体の動きを見て、この曲を好きな人多いことがよくわかりました。


後半の1曲目は『なんにもいらない』から伊賀さん作曲の「君の街」。ここでのMCが楽しかったな。2曲目も『なんにもいらない』から「甘露日」。

その「甘露日」が歌われていた頃、ふと唐突に思ったのが誰かのカバーをやってくれないかなということ。できれば初めて聴けるものをと。

そこでまず浮かんだのが、さっきワンダカレーで聴いたばかりの金延幸子さんの曲。たぶん誰もまだカバーしていないはずの「空はふきげん」か、あるいは浜田真理子さんもカバーした大好きな「あなたから遠くへ」だったらいいなと。

それから次に浮かんだのが大貫妙子さん。大貫妙子さんの曲だったら何がいいだろうと思い始めた瞬間、紗穂さんの口から「大貫妙子さんの曲を一曲やります」と。

これにはびっくり。まるで村上春樹の「偶然の旅人」みたいな展開。ただ、村上さんは曲名まで考えていて、その通りの曲が演奏されたんだけど、僕はまだ曲名を考える前でした。でも、紗穂さんから曲名を聴いてさらにびっくりすることになります。

「『Grey Skies』というアルバムの中の曲」ということでまずドキッと。以前、何度か書いたように『Grey Skies』は僕が大貫妙子さんで一番好きなアルバム。曲を紹介するときの紗穂さんの言葉で知ったんですが『Grey Skies』の多くの曲で紗穂さんのお父さんの寺尾次郎さんがベースを弾いてたんですね。調べたら10曲中7曲。『Grey Skies』の中では一番好きな「午后の休息」も次郎さんがベースを弾いていました。




で、紗穂さんがこの日カバーしたのが「Wander Lust」!。もちろんベースは寺尾次郎さん。




「Wander Lust」のことはこの日のブログでも書いていますね。『Grey Skies』の中ではどちらかといえば聴き流していた曲でしたが、大瀧さんが「ゴー!ゴー!ナイアガラ」でかかってびっくりしたんですね。かなりファンキーな曲で大瀧さんの趣味ではなさそうに思えたので、この曲を大瀧さんがかけたのを「意外」に思ったんですが、それがきっかけでこの「Wander Lust」を強く意識するようになりました。

この「Wander Lust」、前日の東京のライブで初めて披露されたとのことでしたが、すごく難しい曲だと。確かにこの「Wander Lust」のメロディは半端ないですね。僕なんかとても歌えない。

家に戻って改めて大貫さんの「Wander Lust」を何度か聴いたけど、ドラムの上原裕さんとベースの寺尾次郎さんのリズム隊はすごいな(ちなみにギターは山下達郎、キーボードは坂本龍一)。先日亡くなったハル・ブレインとジョー・オズボーンのリズム隊を想起させるものがあります。今回のあだちさんと伊賀さんのリズム隊も素晴らしかった。もちろん紗穂さんのピアノ、そして歌も。大満足の1曲でした。

「Wander Lust」の次は大好きな「月夜の晩に」に。『なんにもいらない』を初めて聴いたときに最も気に入ったのがこの曲でした。大満足。

それから韓国のライブ会場で発売され、先日、日本でも買えるようになった自主制作の『君は私の友達』に収録された2曲の新曲も歌われました。まずはタイトル曲の「君は私の友達」。これ、本当にすごい曲で(こんな表現しかできないのが情けない)、CDで聴いたときにびっくりしたんですが、ライブではさらにあだちさんの変則なリズムが入ってきて(このときのあだちさんの演奏も見たかった)、ピアノの演奏とか、それに合わせて歌うの相当に大変なんじゃないかと思いながら聴いていました。

次は兵庫の子守唄が2曲。「生野の子守唄」と「うちのこの子は」。「生野の子守唄」は前回の加古川でのライブでも聴きましたが、「うちのこの子は」は今回のライブのために探してきたそうです。兵庫は全国的に見ても子守唄が多いそうです。

後半の8曲目は寺尾次郎さんの葬儀の日に、金沢でのライブに向かう新幹線の中で作ったという「北へ向かう」。そして9曲目は音楽ライターの吉原聖洋さんがなくなったあとに作られた「なんいもいらない」。昨年の8月に加古川でライブが行われたときの1週間ほど前に吉原さんが亡くなられて、で、確かそこで初披露されて、次のアルバムに入れる予定ですと言われていました。アルバムのタイトルにすることも決めていたんですね。

10曲目は『なんにもいらない』から「優しさの毛布でわたしは眠る」。

確かこの曲の最後、ピアノの最後の音が消えかける瞬間に電車が通る音がいいタイミングで聴こえてきたんですね。

で、11曲目、これがラストの曲ですと言って演奏されたのが『なんにもいらない』の「君が誰でも」。

でも、ラストじゃなかったですと言って、本当のラストとなったのが『君は私の友達』から「心のままに」。

で、アンコールは期待通り「楕円の夢」。曲の前に、紗穂さんが少し楕円の話を。たぶんライブに来ていた人は紗穂さんの考えている楕円を理解しているはず。冬にわかれてバージョンで聴く「楕円の夢」も格別でした。


実はこのライブのときにもうひとつだけ願っていたことがありました。それは『楕円の夢』のLPをここで買って、そして紗穂さんにサインしてもらうこと。その願いも最後に叶ったんですね。

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ってことで、最初から最後まで至福のときを過ごすことができました。紗穂さんと、あだちさん、伊賀さんとの噛み合ってんだか噛み合ってないんだかよくわからない独特の間合いのトークも心から楽しめました。


そしてビッグニュースというか次なる贈り物が。

6月に岡山でライブをするという告知を。紗穂さんが岡山に来ることはライブの始まる前にスケジュールを見て知っていたんですが、場所はまだ書かれていなくてどこだろうと思っていたら、なんと、この風景が見えるビルにある会場。

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ここは岡山市内で僕が特に好きな場所。路面電車が向きを変え、向こうには禁酒会館も見える。一度ここで誰かのライブを見れたらなと思っていたんだ。いや〜、うれしい。

路面電車の走る音が、紗穂さんの歌とどんなふうにからんでくれるのか今からとても楽しみ。岡山の子守唄も歌ってくれるはず。

でも、チケット、ちゃんと取れるのか心配だけど。


※ネットに上がっていたセットリストを見て記憶違いの多さにびっくりして大幅に加筆修正しました。


by hinaseno | 2019-03-26 13:01 | 音楽 | Comments(0)

子安さんの話はまだまだ続くことになるんですが、ちょっとリアルタイムの話。忘れないうちに昨日のことを書いておきます。


昨日、久しぶりに塩屋に行ってきました。目的は旧グッゲンハイム邸で寺尾紗穂さん率いる冬にわかれてのライブを見に行くため。紗穂さんのライブが旧グッゲンハイム邸で開かれると知ったときには狂喜乱舞。

どうせ行くならといろんなやりたいことを考えていて(思いつきばかり)、例によって計画的なことは一切なく行き当たりばったり(ばったりと倒れそうになったときもあった)。でも、結果的に願い事はすべてかなった感じ。思わぬ嬉しい偶然もあったし。塩屋って町は本当に不思議。


塩屋に行く前に立ち寄ったのは姫路のおひさまゆうびん舎さん。取り置きをお願いしていたものをいただきに。それは高橋和枝さんが作られたとびっきり素敵な壁飾り。「9」という数字を使ったユーモアあふれる作品。タイトルは「ここの か」。

実は姫路に車で向かう中、ふと、それを塩屋の余白珈琲さんにプレゼントしようと思ったんですね。お二人が塩屋にやってきてこの3月でちょうど1周年ってことだったので、そのお祝いも兼ねて。とはいえ、会えたら会いましょうって感じで、きちんとしたことは何も決めていなかったので、もし会えなかったら自分の部屋に飾ることにしちゃおうという、かなりいい加減な感じの贈り物。

ただ、ふと、うまく余白珈琲さん達に会えて、で、「9(ここのか)」が二人にとって縁のある数字であればいいなと思ったんですね。すると、なんとすごい縁が。それについてはもう少し後で。


ところでこの日の天気。岡山の方は晴れときどき曇りだったんですが、姫路に近づくについて雨がぱらついてきて、姫路から電車に乗って塩屋に行くときには傘を持って行っといたほうがいいかなと考えてたんですが、おひさまさんを出たときには雨も上がって晴れ間が広がっていました。さすが、おひさま。

で、その晴れ間を見て、ふと、”あそこ”に立ち寄ってみようと思いついたんですね。あそことは山陽電鉄の塩屋の隣の駅の滝の茶屋駅。山電を使って神戸に行ったことも何度もありますが、滝の茶屋駅も塩屋と同じく通り過ぎるだけでした。ところが昨年『海に見える駅』を読んだらこの滝の茶屋駅が載っていてびっくりしたんですね。これは一度立ち寄らなくちゃと考えていて、で、どうせ立ち寄るならやっぱり綺麗な青空が広がっている日がいいなと。

不思議なもので姫路を出るときにはまだ雲はいっぱい空に浮かんでいたのに、塩屋に近づくにつれてどんどん雲はなくなって、滝の茶屋駅で下車したときには雲はほとんどない絶好の天気に。

ふきげんな空はごきげんな空に変わっていました。

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いや~、最高の風景ですね。ここにずっと座っていたいな、と思いつつ、余白珈琲さんの家に行くと伝えた時間は近づいていたので、10分くらいで駅を出ました。

駅を出てすぐに目に入ったのがこの滝の茶屋駅前商店街と書かれたアーケード。

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へ~、商店街があるんだ、と思ったものの、よく見たら店らしきものが見当たらない。上まで歩いてみようかと思いましたが結構な坂だったのでやめました。

で、線路沿いを。

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この線路沿いの風景がまた最高。海が見えて線路があって、で、坂がある。好きなものが全部揃ってるって感じ。

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と、沿線沿いの風景を楽しんでいるうちにかなりの時間が過ぎ去っていて、すでに余白珈琲さんの家に行くと連絡していた時間はオーバー。本当は塩屋に一旦降りてから前回歩いた道を通って余白珈琲さんの家に行こうと考えていましたが、携帯のナビで近道のルートが出たのでそちらを行くことに。

でも、それが大失敗。すごい坂でしかも風景が単調。さらに道に迷ってしまって、へとへと状態。ナビに表示された時間を大幅にオーバーして余白珈琲さんの家に到着。でも、待ってくれていました。

二階の炬燵で大石くんの淹れてくれたコーヒーを飲みながら3人でしばし歓談。そう、「9(ここのか)」の話。

プレゼントを渡すとき、優衣ちゃんに「9」という数字になんか縁があったらいいんだけど、と訊いたら、すぐに目が輝いて「入籍した日です」と。これにはびっくり。彼らが塩屋にやってきたのが昨年の3月8日で、翌日9日(ここのか)に入籍してたんですね。こういうのがたまたま起こるってところがいいんだな。いや~、うれしかった。

これは「ここの か」を持った余白コーヒーさん。

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さて、ライブ前に一応腹ごしらえをしておこうと、立ち寄ったのは前回来たときに教えてもらったワンダカレーさん(「ワンダカレー」って英語では「wandacurry」と表記するんですね)。店に入ったときにかかっていたのはなんと金延幸子さんの「あなたから遠くへ」。こんな場所でこの曲をこんなタイミングで聴けるとは。

注文したのは前回と同じ田仲とうふカレー。

これを食べながら金延さんの『み空』のアルバムをずっと聴いていました。もちろん大瀧さん作曲の曲も。「時にまかせて」、そして「空はふきげん」。


♫ふきげんな空は雨模様なのです~♫


実際にはふきげんだった空は、とってもいい天気に。店を出るときには日は暮れていたけど。

で、旧グッゲンハイム邸に向かいました。チェックしたらチケットは完売。開演の10分ほど前に行ったら、門の外まで人は並んでいました。

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by hinaseno | 2019-03-25 12:53 | 雑記 | Comments(0)

大瀧さんの最初の弟子である伊藤銀次さんと、福生で書生として働いていた子安次郎さんがプロデューサー、マネージャーという形で手がけたウルフルズの話に入る前に、子安さんのことを少し説明しておきます。

僕が子安次郎さんの名前を初めて目にしたのは、2012年に出た『KAWADE 夢ムック 増補新版 大瀧詠一』に掲載されたラジオ「ゴー!ゴー!ナイアガラ」全放送曲目リストでした。この最初のページにこんな言葉が書かれていたんですね。


※本リストは、子安次郎氏私有の曲目リストをもとに作成いたしました。記して感謝いたします。(編集部)

このリストを見たときの驚きと喜びといったらなかったですね。この本が出る少し前くらいからアゲインの石川さんとの交流が始まって、少しずつ「ゴー!ゴー!ナイアガラ」を録音した音源を送っていただけるようになったんですが、とにかく大瀧さんが番組でかけていた曲が一気にわかったというのは僕の音楽人生の中では忘れられない事件でした。このリストを眺める日が何日続いただろう。知らない曲には印をつけて、手に入るものは少しずつ手に入れて聴く日々が続きました(YouTubeもiTunesも今ほどには充実していなかったな)。

ときどきはミスに気づいたりするのも楽しかった。一番笑ったのはディオンの「The Wanderer」が「The One Dollar」になっていたこと。でも、僕もある時期まではラジオを聴きながら曲目をチェックして曲目リストを作成していたことがあって、その頃にはこんなミスなんてザラにありました。

今も頻繁に利用しているこちらのサイトの「ゴー!ゴー!ナイアガラ・データベース」もその『KAWADE 夢ムック 増補新版 大瀧詠一』に掲載されたリストをもとに作成されています。これらがなければと思うと、子安さんには感謝の気持ちしかありません。


で、子安さんという方がどういう人なのかがわかったのは2017年に出た『大滝詠一読本 完全保存版2017 EDITION』に収録されたインタビュー記事。

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子安さんの写真も載った7ページにわたるこの記事(聞き手は同じく書生だった湯浅学さん)を読んで、いろんなことがつながりました。この人だったんだなと。

その本にも書かれていますが、子安さんが大瀧さんとつながりができたきっかけはやはり「ゴー!ゴー!ナイアガラ」でした。子安さんはその第1回目から聴いているだけでなく、その予告が流れたのも聴いていたとのこと。

毎回必ずエアチェックしていたそうですが、何度か録り逃したときがあって、そのときに赤坂のナイアガラ事務所に行ってコピーサービスのテープを借りにいったりしているうちに事務所の人とだんだんと親しくなったと。ときには子安さんの録ったテープを事務所に貸すこともあったそうです。

そんなある日、福生で人を探しているから手伝わないかと話が来るんですね。そこからバイト代もほとんどでないという書生生活が始まったわけです。


by hinaseno | 2019-03-22 15:44 | ナイアガラ | Comments(0)

大瀧さんの長い”説教”の中で言われたいくつもの言葉の中で特に印象に残った「新しいことをやるときには墓参りをしろ」という言葉の意味を、他のいろいろな話と重ね合わせながら子安さんが考えたのは、自分の根っこが何なのかをちゃんと理解することが大切なんだということ。

で、子安さんは自分自身の根っこのことを考えます。それははっきりしている。いうまでもなく福生=大瀧さん。何かわからないことがあれば福生の方を見て物事を考えるようにすればいいと。


大瀧さんの””説教”のすぐ後くらいにウルフルズの話が来て、結局引き受けることにします。ただ、真っ新な状態のバンドではなく、デビューして一度大失敗したバンドをもう一度盛り返すことの大変さはわかっていました。だれかに力を借りなければ無理だなと。そう考えるきっかけとなったのはやはり大瀧さんから言われていた言葉。

「お前は才能ないからミュージシャンをあきらめてディレクターやってんだろう。自分の才能ないんだったら才能を集めるのがお前の仕事だ。才能を集めなかったらいいものできるわけないだろう」

ということで才能を集めるためにはプロデューサーが必要だと考え、さらにウルフルズのプロデューサーを誰にするかということを決めるためにポイントを考えます。そこで再び思い浮かべたのが大瀧さんのあの言葉。

「新しいことをやるときには墓参りをしろ」

そうだ、新しいアーティストをやるときにはそのアーティストの根っこがどこにあるのかわかっていなければならないんだと。その点、ウルフルズの根っこはわかりやすかった。

「関西」「バンド」「R&B」「歌詞」。

この4つのことがよくわかっている人にプロデューサーを頼めばいい。子安さんの頭にすぐにある人物の名前が思い浮かび、その人に依頼の電話をかけます。電話をかけた相手は伊藤銀次。

かつて大阪でごまのはえというバンド名で活動していたときに大瀧さんに見てもらい、そこで意気投合してプロデュースを引き受けてもらうことになり、福生で大瀧さんの厳しい指導を受けた、まさに大瀧さんの最初の弟子ともいうべき人。


その伊藤銀次さんがゲストを招いて話をする企画『銀次の部屋』、アゲインではもう何度目になるでしょうか。平川克美さんがゲストに招かれたのは前回だったっけ、前々回だったっけ。その『銀次の部屋』に子安さんを呼ぼうと思うんだということを石川さんから聞いた時には、絶対に面白い対談になるにちがいないと楽しみにしていましたが、実際本当に興味深い話の連続でした。なんせ大瀧さんの最初の弟子と書生だった人の話ですから面白くないはずがありません。とりわけお二人がディレクターとプロデューサーとして関わることになったウルフルズにまつわる話は知らないことばかりで、へぇ~の連続。

へぇ~っといえば、子安さんが初めてウルフルズを見に行ったときのライブで、ドラムのサンコンさんが「ウララカ」を歌ったというエピソードは銀次さんも知らなかったようで、「へぇ~」って言ってました。


ということで、お二人のトークでヘェ~っと思った話、もう少し書いていこうと思います。大瀧さんの新しいアルバムのことについてはもう少し後で。

そういえば今日、墓参りに行ってきました。新しいことを何か始めるというわけではなかったけど。


これがアゲインでのトークイベントの様子。左が伊藤銀次さんで右が子安次郎さん。

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by hinaseno | 2019-03-21 16:17 | ナイアガラ | Comments(0)

そのバンドがデビューしたのは1992年5月。翌月にはファーストアルバムを出したものの全く売れず制作部は解散。バンドも契約終了という状態になる。ただ、そのバンドの可能性を信じていた制作現場の若いスタッフが、そのレコード会社のディレクターである「彼」にそのバンドを引き受けてほしいと持ちかけてくる。「売れてないけど、すごくいいバンドですから」と。


「彼」はとりあえず1回そのバンドのライブを見に行くことにする。場所は下北沢の小さなライブハウス。

ライブはとても長く、縦長のセットリストの一番下まできてようやく終わりかと思ったら、まだライブは続くことがわかる。実は裏にもセットリストが載っていて、ライブの前半が終わったところだった。

ライブの折り返しの最初はソロ・コーナー。リード・ボーカルの人だけが歌うのかと思ったら、他のメンバー3人も順番にソロを歌い始める。まず、ギターのメンバー。これはどうにか大丈夫。次はベースのメンバー。かなり怪しくなってくる。で、最後に歌ったのがドラムのメンバー。冗談だろうと思えるくらいに下手な歌。でも、彼はこう歌い始める。


♫表通りには人垣 ウララララウラ~♫


そう、大瀧さんの「ウララカ」。

「彼」は不思議な縁を感じる。

実は大学を出たての頃、「彼」は、「ゴー・ゴー・ナイアガラ」が始まって間もない時期からナイアガラの事務所をたたむまでの約3年間(1975年から1978年)大瀧さんの福生で書生として働いていた。

その後、「彼」は東芝EMIに入社。入社後も大瀧さんとの交流は続き、何かあると大瀧さんにアドバイスを求めていた。「彼」がディレクターとして関わって初めて大成功を収めたのがBOØWY。それによって「彼」のディレクターとしての手腕は一気に評価されるようになる。


そんなある日、大瀧さんから呼び出しが来る。「ちょっと来い」と。

呼び出された場所は福生ではなく赤坂プリンスホテル。「こいの滝渡り」に出てくる赤坂見附にあったホテル。そこの部屋で「彼」は3時間、ほぼ監禁状態で大瀧さんから今までとは全く違う強い口調で”説教”を受けることになる。

”説教”とはいえ、例によって相撲と野球の喩え話から始まる。延々と続く”説教”を聞きながら、基本的には自分のやっていることをもう一度きちんと見直せ、天狗になるなということを伝えようとしているのだと理解する。いつまでもバトンを持っているんじゃなくて、次にきちんとつなげろと。


そこで大瀧さんに言われたいくつもの話の中で、最も心に残ったのが「新しいことをやるときには墓参りをしろ」という言葉。その意味を十分に理解できないまま、とりあえず「彼」は先祖の墓参りに行くことにする。「彼」のもとにそのバンドをやってくれないかという話がきたのはその直後のこと。

で、引き受けるかどうか決めかねていたときに見たライブで、そのバンドの、普通であればソロで歌ったりすることのないメンバーが歌ったのが大瀧さんの「ウララカ」。

偶然のような必然の始まり。

そのバンドの名前はウルフルズ。

そして「彼」の名は子安次郎。


by hinaseno | 2019-03-19 14:28 | ナイアガラ | Comments(0)