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by hinaseno
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昨夜放送された「大瀧詠一『ゴー・ゴー・ナイアガラ』ベストセレクション」の2回目、記念すべき『ゴー・ゴー・ナイアガラ』の第1回目の「キャロル・キング特集①」、今朝、起きてすぐにradikoのタイムフリーで録音して聴きました(今回、録音はバッチリ)。でもでも…

冒頭、ナビゲーターの宮治淳一さんが「ノーカットで」と言われたので大いに期待して聴いたんですが、驚きのカットがされたものでした。宮治さんが最後にその説明をするかなと思ったけど、それもなし。気がつかれていないはずはないのだけれど。


改めて説明を。

大瀧さんは最初の放送で、キャロル・キング作品集の特集なのに間違ってジャック・ケラー作曲のエヴァリー・ブラザーズの「How Can I Meet Her」をかけたんですね。そのことは4週後に放送されたジャック・ケラー特集で言ってました。ジャック・ケラー特集のときに本当はエヴァリー・ブラザーズの「How Can I Meet Her」をかけたかったけど、キャロル・キング特集で間違ってかけてしまったので、かけるのをやめたと。

ところがそれを聴いて、改めてキャロル・キング特集を聴き返してみてもエヴァリー・ブラザーズの「How Can I Meet Her」はどこにもかかっていない。番組もきちんと60分で終わっていて、どこかで曲をカットしているようにも思えない。

ただ、よく聴いてみたらいくつか不自然なところがあるのに気づいたんですね。それはエヴァリー・ブラザーズの「Crying In The Rain」がかかったあと。キャロル・キング自身が歌う「Crying In The Rain」がかかる直前の大瀧さんの「キャロル・キング、『Crying In The Rain』」の声はそれまでとは声のトーンが全く違う。

で、曲がかかった後でエヴァリー・ブラザーズの紹介が始まるんですが、そこで「『Crying In The Rain』が6枚目で『How Can I Meet Her』が7枚目で、7枚目の『That's Old Fashioned』がA面でした」とコメント。エヴァリー・ブラザーズの「Crying In The Rain」に続けて「How Can I Meet Her」をかけていたことは間違いないんですね。

まあこれは僕がジャック・ケラーが好きで、ジャック・ケラー特集を何度も何度も聴いていたから気づきえたこと。


では、なぜキャロル・キング自身が歌った「Crying In The Rain」に差し替えられたものが存在し、それが今、僕や、多くの人が聴いているか。

それはある時期から『ゴー・ゴー・ナイアガラ』のカセットサービスというのを始めたのが大きな理由。大瀧さんは希望者に過去に放送したものも含めて放送を録音したテープを配るというサービスをされたんですね。テープ代以外はお金は一切取らない。このサービス精神ってすごいというか、当時としては画期的だったはず。権利とか、お金とか、いろんな面倒くさいことがからんで、今では絶対にできないことですね。

で、まあ、そのカセットサービスをする時に大瀧さんは間違えて収録したことに気がついたエヴァリー・ブラザーズの「How Can I Meet Her」をカットしてキャロル・キング自身が歌う「Crying In The Rain」を入れたものを作ったんでしょうね。たまたまどちらも時間が1:50だったというのも都合がよかった。少しでも長い曲だと60分のテープには収まらなくなるので。ついでにいえば『KAWADE夢ムック 大瀧詠一』に収められた『ゴー・ゴー・ナイアガラ』の曲目リストも、その作り直されたテープをもとにして作成されてるんですね。


さて、昨夜の放送ですが、エヴァリー・ブラザーズの「Crying In The Rain」がかかったあと、なんと曲がばっさりとカットされていたんですね。「How Can I Meet Her」もかからないし、カセットサービスのために差し替えられたはずのキャロル・キングの「Crying In The Rain」もかからない。

もちろん宮治さんが勝手に編集するはずはないので、昨夜の放送ではキャロル・キングの「Crying In The Rain」に差し替える前の、「How Can I Meet Her」をカットしたものが使われたようです。「How Can I Meet Her」をかけた正真正銘の第一回放送のものは残っていないのかもしれないですね。

残念だったな~。大好きなジャック・ケラー作曲の「How Can I Meet Her」が、間違いという形でもいいから『ゴー・ゴー・ナイアガラ』でかかるのが聴きたかった。

というわけで今年最後の曲はエヴァリー・ブラザーズの「How Can I Meet Her」を。大瀧さんも大好きな曲です。それでは来年もよろしく。




by hinaseno | 2018-12-31 12:44 | ナイアガラ | Comments(0)

別れのコラージュ


今日は大瀧さんの命日。5年かぁ…、ですね。

いくつもの素晴らしい作品を残してくれて、毎年ナイアガラ・デイには蔵出し音源が出続けることになるんでしょうけど、リアル・タイムで大瀧さんの声が聴けないというのはさびしいですね。最高の語り手でしたから。


さて、そんな大瀧さんの命日に合わせる形で、昨日、武蔵小山のアゲインで恒例のモメカルによる大瀧詠一トリビュート・ライブが行われたようです。石川さんがブログに書かれていたリストを見ておっと思ったのは「別れのコラージュ」という文字。でも、演奏されたのではなくて、石川さんのMCで触れられたのかな。


「別れのコラージュ」のことについてはこの日のブログに書いていますね。「スピーチ・バルーン」と同じ曲なんですが、まだタイトルが定まっていない時期にライブで披露されたバージョン。ここで聴けます。




「スピーチ・バルーン」と詞がちょっとだけ違うんですね。冒頭の「細い影」が「白い影」に。で、おそらく「白い影」つながりで、プロコル・ハルムの「青い影」(原題は「「A Whiter Shade Of Pale」)のアレンジが取り入れられている。


「別れのコラージュ」というタイトルで曲が披露されたのは1980年12月16日に行われたLET’S DEBUT AGAINというライブ。石川さんはこの日のライブに行かれていたはず。

そういえば来年のナイアガラ・デイに発売される『NIAGARA CONCERT ’83』のCD2にはLET’S DEBUT AGAINからの音源が7曲も収録されるみたいですね。だったらLET’S DEBUT AGAINの全曲を入れたアルバムを出せばいいじゃん、って感じ。まあ、『ロングバケーション』40周年のときにいろんなものをまとめてどっさり、ってなるのかもしれないけど。考えたらそれも3年後だ。

だったら『ロングバケーション』40周年盤に向けての希望を書いておこう。ライブ音源以上に聴きたいのはそれぞれの曲のデモ。それからヴォーカルだけを取り出したSTACK-O-VOCALS(例のビーチ・ボーイズの『Pet Sounds Sessions』に収められていたあれです)。とりわけ多重コーラスが聴ける「カナリア諸島にて」と「恋するカレン」のヴォーカル・オンリーのバージョンは聴いてみたいな。

ついでで言えば同じ1981年に出た松田聖子の『風立ちぬ』のA面(大瀧サイド)のデモと純カラも入れて欲しい。いくらなんでもその次の50周年まで待てる人はそんなにいないと思うので。

よろしく、です。


さあ、今夜は「大瀧詠一『ゴー・ゴー・ナイアガラ』ベストセレクション」の2回目。『ゴー・ゴー・ナイアガラ』の記念すべき”正真正銘の”第1回目の放送がオンエアーされるとのことなのですごく期待しています。ジャック・ケラー作曲のエヴァリー・ブラザーズの「How Can I Meet Her」がかかるんでしょうか。

でも、きちんと録音できるのかな。そういえば前回録音していたものには昨年のモメカルのライブでの石川さんのMCが入ってたんだ。原因はいまだに不明。


by hinaseno | 2018-12-30 16:21 | ナイアガラ | Comments(0)

↑というタイトルで去年の暮れにブログを書いた日々がありました。年の暮れになったら、毎年、このタイトルで文章を書こうかな。

ということで星のことを考えています。星が本当に綺麗に見える季節。

いうまでもないけど僕のパソコンには星の曲を集めたプレイリストを作っています。1曲目はレイヴンズの「Count Every Star」。ドゥワップの名曲中の名曲。歌詞も含めてロマンチックの極致。




夜空の星を一つ一つ数える。願いをこめて。

ああ、星を数えるといえばこれです。

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何度か紹介している青葉市子さんのCD。この日のブログで、例の「・・・・」「・・・・・」「・・・・・・」を打ってもらうという願いを書きましたが、打ってもらえたんですね、ついに。

1枚目からのアルバムをどさっと袋から出した時には市子さんも戸惑われた感じでしたが、どうやら理解してくれたようです。本来ならば、そこで買ってサインをしてもらうってことにすべきなんですけど。

僕が出したCDを見て、市子さんが最初に言ったのが「『0』が白くなってる」でした。そう5年前に出た4枚目のアルバム『0』はもともとは薄いピンク色をしているんですが、背のあたりがすっかり色があせてしまってたんですね。それから心配していた5枚目の『マホロボシヤ』の真っ黒なジャケットには蛍光マジックに持ち替えてくれて金色の点を5つ。そして最新作『qp』ではまた別の水色のペンに持ち替えて「・・・・・・」。


もちろんライブ会場でも一枚買いました。『qp』のLP。サインもらいました。

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前回の時はアルファベットで横書きのサインだったんですが、今回は漢字で縦書きのサイン。今年の後半、一番よく聴いたのがこのレコードでした。


青葉市子さんのライブレポートは詳しく書く機会を持てませんでしたが、それはもう本当に素晴らしいライブでした。で、何が感動したかというと、ちょうど西大寺町の交差点を曲がる路面電車の音が聴こえてきて市子さんの曲に重なるんですね。市子さんもそれを意識しながら歌っているのがわかる。たまらなかったな。

これはライブ後に市子さんが歌っていた場所を撮った写真。

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市子さんの弾いていた小さなギターが机の上に置かれたまま。もし、その日、三石駅で平川さんと石川さんと別れた後、自分でも信じられないほどに寂しい気持ちを抱えていたんですが、市子さんのライブでやさしく癒してもらいました。


さて、去年も書きましたが今年も余白珈琲さんから「星々」と名付けられたコーヒー豆が届きました。去年はその星々を飲みながら、星にたくさんの願いをしたけれど、その願いが今年いっぱい叶って、ただただ驚いています。

で、その余白珈琲さんから贈ってもらったのが『ちょうどいいコーヒー』というかわいらしい冊子。本を作っていることは前から聞いていたんですが、ようやく実現したんですね。

大石くんがいい文章を書くことはわかっているけど、本当にいいエッセイが並んでします。毎朝、コーヒーを飲みながら、パソコンを立ち上げる時間を待っているときに一編ずつ読んでいました。

「映画館」「ラジオ」「すきま」…、タイトルを見ただけでもニコニコしてしまいます。で、エッセイに添えられた優衣ちゃんの描いた絵もすごくいい。

最後の「ちょうどいいい(おわりに)」というあとがきのようなエッセイは牛窓から戻って書いたとのこと。その最後に「縁側」という言葉が出てきてにっこり。優衣ちゃんの絵も最高。

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この本、神戸の1003さんとかにも置いているようです。ぜひ手に取ってみてください。

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by hinaseno | 2018-12-29 12:06 | 雑記 | Comments(0)

↑というタイトルで、5年前の夏にリッキー・ネルソンの「Travelin' Man」にまつわる話をこの日から4回に分けて書きました。久しぶりに読んだら、自分で書いた話なのに「へえ~」って感じになります。村上春樹の『ダンス・ダンス・ダンス』につなげていたとは思わなかった。


この話の主役は「Travelin' Man」の曲を書いたジェリー・フラーということになりますが、でも、僕が最も惹かれたのはサム・クックのマネージャーが一度だけ聴いた「Travelin’ Man」のデモテープをたまたま隣の部屋で壁越しに聴いてその曲の魅力を理解し、曲をもう一度聴かせてほしいとマネージャーの部屋に訪ねて行き、結局、ゴミ箱に捨てられていたデモテープをもらったジョー・オズボーンのこと。当時ジョー・オズボーンはリッキー・ネルソンのバンドのベースを務めるようになったばかり。これは!って思ったでしょうね。ということで、ロカビリーから新しい方向に踏み出そうとしていたリッキー・ネルソンのもとに「Travelin’ Man」のデモテープが手渡されることになります。

このエピソード、たまらないですね。大瀧さんのアメリカン・ポップス伝がもう一回でも続いていれば、必ずこの話が出てきたはず。


1961年3月13日、ジミー・ハスケルのプロデュース/アレンジで「Travelin’ Man」が録音される。リードギターはもちろんジェームス・バートン。そしてベースがジョー・オズボーン。さらに後日、エルヴィスのバックコーラスで有名なジョーダネアーズがそれにコーラスを入れて完成。

「Travelin’ Man」は4月にリリースされて全米ナンバーワンの大ヒット。このあと同タイプの曲がつづけさまに作られます。「A Wonder Like You」「Young World」「Teenage Idol」「It's Up To You」そして「For Your Sweet Love」。1曲を除いて曲を書いたのはすべてジェリー・フラー(「Teenage Idol」だけはJack Lewisという人が曲を書いていますが、ジェリー・フラーの変名じゃないのかな?)。

これらの曲の全てベースを弾いていたのがジョー・オズボーン。このパターンの曲は彼のベースが奏でるリズムなくしては考えられない。


ちなみにこれは『The Adventures of Ozzie and Harriet』の中で歌われた「Travelin’ Man」。




右側でギターを弾いているジェームス・バートンがやっぱり目立っていますが、左でベースを弾いているのがジョー・オズボーン。


アメリカン・ポップスの歴史を考えたときに、「Travelin’ Man」という曲が(歌詞は本当にくだらないけど)いかに重要な曲だったかということは何度も何度も声を大にして語りたいところ。とりわけ大瀧さんのことを考えればこの曲がなければ『ロング・ヴァケーション』は絶対に生まれなかった。

『ロング・ヴァケーション』に向けて大瀧さんが作った「ロンリー・ティーンエイジ・アイドル」や「星空のプレリュード」は明らかにリッキー・ネルソンの「Travelin’ Man」タイプの曲を意識して作られています。で、それが「カナリア諸島にて」、そして「風立ちぬ」という作品へと成長していく。


さて、一旦はゴミ箱に捨てられた「Travelin’ Man」を救い出したジョー・オズボーンが先日、12月14日に亡くなりました。享年81。大瀧さんが亡くなったのも、リッキー・ネルソンが亡くなったのも12月。

で、大瀧さんといえばやはりつい先日、来年のナイアガラ・デイに発売されるものが発表されました。タイトルは『NIAGARA CONCERT ’83』。注目すべきは初回限定版に収められたCD-2「EACH Sings Oldies from NIAGARA CONCERT」。過去のライブから大瀧さんがカバーした作品を集めたものですが、その中にリッキー・ネルソンのカバーが2曲ありました。「Fools Rush In」、そして「Travelin’ Man」。楽しみですね。

まあ個人的にはライブ集よりはデモ集がよかったんだけど。それは再来年かな。

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by hinaseno | 2018-12-27 15:19 | ナイアガラ | Comments(1)

What A Wonderful World


『望星』に掲載された池内紀さんの「マッチのにおい」を読んだせいか、『リオ・ブラボー』ではマッチが出るたびに、おっ、おっ、となりました。マッチをつける時、いろんなところでこするんですね。壁、柱、机、一番驚いたのは、ウォルター・ブレナンがなんと自分のズボンのお尻のあたりでこすってつけた時。これは気づかなかった。『リオ・ブラボー』の中でマッチが重要な要素を占めていたことがよくわかりました。

と、書きながら、去年の年末に書いたブログを読んだら、12月22日に書いた話の最初は『リオ・ブラボー』。まあ、この映画、この時期になると見たくなるんですよね。

ちなみにその日のブログ、後の話はアゲインで行われたモメカルのライブの話になっていますね。あっ、ちょっと怖い。

怖いというのは…。実はさっき、radikoから録音してDVDに落とした「大瀧詠一『ゴー・ゴー・ナイアガラ』ベストセレクション」を聴いていたら、ちょうどロネッツの「Frosty The Snowman」がかかったあとの大瀧さんの話の途中で、なんと、いきなり石川さんの声が入ってきてたんですね。約、一分間。理由は全くわからない。実際の放送でそれが流れたはずがないので、僕のパソコンでなんらかの誤作動が起きたんだと思うんですが、とはいえ、録音状態にしてその場を離れていたので原因はわからない。

で、その石川さんの話というのが、どうやら去年のモメカルのライブの時のMC。僕のパソコン内にある数ある音源の中からなんでそれの、その部分だけが、ほんの1分ほどだけ再生されたんだろう。こんなの編集したってできない。これ、石川さんにお送りしようかな。でも、やっぱり怖いですね~。


ところで昨日の朝、1枚のCDが届きました。注文したのが日曜日の晩だったんで、早すぎですね。急ぎ便にしたわけでもないのに。

届いたアルバムはクリスマス・アルバムではないけれど、どこかクリスマスっぽさを感じられるもの。その紹介の前に、そのきっかけとなった日曜の晩の話を。

夜、ふと、サンデーソングブックを聴き逃したことに気がついたんですね。で、例によってradikoのタイムフリーで聴きました。内容は竹内まりやさんをゲストに呼んでのクリスマス特集。そこでかかったのがこの曲でした。




1993年の冬に発売された達郎さんの『Season’s Greeting』に収められた「My Gift To You」。アレキサンダー・オニールの曲のカバー。このアルバムで一番気に入った曲でした。

曲紹介の時に達郎さんが触れたのがこの曲を書いたソングライティング・コンビ、ジャム&ルイス。

ああ、ジャム&ルイス!

僕は「My Gift To You」をきっかけにジャム&ルイスの作品を追いかけた日々がありました。そのときに買ったCDはほぼ全て手放してしまったんですが、

でも、ふと1枚のアルバムのことを思い出したんですね。当時、ジャム&ルイスがらみで購入して一番気に入って聴いたもの。ジャケットはよく覚えているけどグループ名が思い出せない。

で、ジャム&ルイスのプロデュース作品のリストをチェック。日本のウィキペディアのリストにはない。で、アメリカのウィキペディアの方を見たらすごいリストがありました。そのあふれんばかりのプロデュース作品の中から、そのあまりにも目立たないグループ名を見つけ出しました。

SOLO。

ああ、SOLOだ。4人組のグループなのにSOLO。アルバムタイトルも『SOLO』。1995年の作品。まさに、僕がジャム&ルイスにどっぷりとはまっていた頃に出たんですね。彼らのデビュー作ですが驚くほどのクオリティの高さ。このCD、誰にあげたかも思い出しました。

で、即ポチ。昨日届いたんですね。

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20数年ぶりの再会となりました。これは本当によく聴きました。このアルバムはもちろんジャム&ルイスの作った曲が何曲も収録されているんですが、僕が気に入ったのはカバー。

とりわけこの1曲目の「What A Wonderful World」が最高なんですね。




「What A Wonderful World」といってもルイ・アームソングで有名な曲ではありません。こちらはサム・クックの曲のカバーですね。曲を書いたのもサム・クック。いや、今よく調べたらこの曲を書いたのはルー・アドラーとハーブ・アルパート。

ハーブ・アルパートは昨日紹介したばかりでしたね。これは、たまたま。


そういえば、と調べたら、やはり。アメリカン・ポップス伝Part4(第2夜)の最後にルー・アドラーとハーブ・アルパートがサム・クックをプロデュースした話が出てきてました。その日の最後にかかったのがサム・クックの歌う「(What A) Wonderful World」。




そしてサム・クックの「(What A) Wonderful World」といえば、リッキー・ネルソンの「Travelin' Man」へと話がつながっていきますね。アメリカン・ポップス伝のPart5では間違いなく出てきた話。

大瀧さんはその日のプログラムの冒頭、こう切り出したはず。

アメリカン・ポップス伝Part4(第2夜)の最後にかけたサム・クックの「(What A) Wonderful World」を下敷きにして作った曲がありました。タイトルは「Travelin' Man」。曲を書いたのはジェリー・フラー。彼はその曲をサム・クックに歌ってもらおうと、彼のマネージャーにデモテープを送りました。でも、マネージャーは曲を一回聴いただけで、テープをゴミ箱に捨てました。ところがその曲を思わぬところで聴いていた人がいたんですね…」と。


by hinaseno | 2018-12-25 15:50 | ナイアガラ | Comments(0)

今日はクリスマス・イヴですね。例年通り、クリスマス・ソングの話を何か書こう、できれば大瀧さんの話に繋げられたらなと思っていたら、朝になってあれこれいろんな話題に事欠かない状態になっていました。

とりわけあるミュージシャンがなくなったという情報が入ってきて、ああ、彼もまた12月の旅人になったんだなと、朝からしばらく彼のことを考えていました。「もし彼がいなければ」という重要な人です。大瀧さんのアメリカン・ポップス伝がもう少しだけ続いていれば、まちがいなく彼の話が出てきました。ああ、聴いてみたかった。

彼については、また次回に書くことにします。


さて、昨夜「大瀧詠一『ゴー・ゴー・ナイアガラ』ベストセレクション」というのが放送されました。ナビゲーターは宮治淳一さん。

過去の放送をデジタルリマスタリングして3回にわたって放送されて、昨日はその第1回目。放送されたのは1975年12月22日に放送されたクリスマス特集。ビーチ・ボーイズとフィル・スペクターのクリスマス・アルバムを特集したものですね。今となってはこの2枚はクリスマスには欠かせないアルバムとなっていますが、当時、日本でこの2枚を持っていた人は果たしてどれだけいたんだろう。

毎年のことだけど、今日はそのアルバムを聴こうと思っていたんですが、せっかくなので大瀧さんの番組を聴くことにします。で、今、ターンテーブルに載せているのはフォー・シーズンズのクリスマス・アルバム。2年後に放送された『ゴー・ゴー・ナイアガラ』のクリスマス特集ではそのフォー・シーズンズのアルバムから何曲かかかっています。

そういえば昨日、先日放送された村上SONGSを録音したものをCDに落としてステレオでちょっと大きな音で聴いていてわかったんですが、村上SONGSでかかったフォー・シーズンズの「I Saw Mommy Kissing Santa Claus」はレコードからの音源でした。曲が始まる前、結構プチプチいってたんですね。さすが村上さん。


「大瀧詠一『ゴー・ゴー・ナイアガラ』ベストセレクション」で楽しみなのはなんといっても来週の「キャロルキング特集①」。記念すべき『ゴー・ゴー・ナイアガラ』の第1回目の放送。でも、僕が持っているものは(多くの人がそうであるように)正真正銘の第1回目の放送のものではないんですね。あとで、間違いを訂正したもの。

最初の放送ではエヴァリー・ブラザーズの「Crying In The Rain」のあとに間違ってジャック・ケラー作曲の「How Can I Meet Her」をかけてしまって、あとで間違いに気づいてそこにキャロル・キング自身が歌った「Crying In The Rain」をはめ込んでいる。ってことで、そこのつながりがすごく不自然なんですね。

宮治さんによれば次回は「1975年6月10日に放送された正真正銘の第1回目の放送」とのこと。間違ってジャック・ケラー作曲の「「How Can I Meet Her」がかかる瞬間を聴けるんでしょうか。もしキャロル・キングの歌う「Crying In The Rain」がかかったら宮治さんに苦情書かなくちゃ。


ところで、今年は結局クリスマスアルバムを1枚も買えませんでした。神戸の元町の中古レコード屋さんで買い物したかったんだけど結局行けなかったし、ネットで1枚だけ注文していたクリスマスのCDも届かなかったし。

それから一昨日、毎年年末になるとレコードを買っているHi-Fiのサイトでクリスマスアルバムをチェックしていたら、おっと思うものが見つかったんですね。これは!っと思って購入しようと思ったら、それはSOLD OUTに。

それが『Something Festive』というアルバム。A&Mが出したクリスマスの企画アルバムなんですが、選曲がとってもいいんですね。また、来年、どこかで出会えたらと思います。

で、そのアルバムにも何曲か収録されているハーブ・アルパートの『クリスマス・アルバム』に久しぶりに針を落として聴いていたんですが、その中で耳に留まったのがこの「Let It Snow! Let It Snow! Let It Snow!」。




この曲のアレンジって「カナリア諸島にて」で聴かれる、あのフレーズが出てくるんですね。南の島のクリスマスって感じですごくいい。

「Let It Snow! Let It Snow! Let It Snow!」が生まれたのは1945年の7月。ちょうど荷風さんが岡山にいた時。曲を書いたのはサミー・カーンとジュール・スタインのコンビ。夏の暑い盛り、サミー・カーンが暑いからビーチへ行って涼もうと言ったら、仕事好きのジュール・スタインは涼しい曲を書こうと提案して生まれた曲とのこと。


ちなみに僕が「Let It Snow! Let It Snow! Let It Snow!」で一番好きなのはこのディーン・マーチンのバージョン。




ディーン・マーチンといえば、今、ちょうど彼が主演する西部劇『リオ・ブラボー』を見ているところ。この映画、年末になると見たくなるんですね。主演は他にジョン・ウェイン、そしてリッキー・ネルソン。明日はそのリッキー・ネルソンの話になります。リッキー・ネルソンがいなければ「カナリア諸島にて」も『ロング・ヴァケイション』も生まれませんでした。そしてリッキー・ネルソンも12月の旅人なんですね。


by hinaseno | 2018-12-24 12:55 | ナイアガラ | Comments(4)

これは昭和10年の京橋近辺の地図。今日の話はこれを見ながら。

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まず、荷風の『断腸亭日乗』の昭和20年6月21日の日記を改めて紹介します。今日の話のポイントとなるのは最後に書かれた部分です。


晩飯を喫して後月よければ菅原氏と共に電車にて京橋に至り、船着場黄昏の風景を賞す、暮靄蒼然、広重の風景版画に似たり、橋下に小舟を泛べ篝火を焚き大なる四手網をおろして魚を漁るものあり、橋をわたりて色町を歩む、娼家の戸口にはいづこも二級飲食店の木札を出し燈火はほの暗き暖簾のかげに女の仲居二三人立ちて人を呼び留む、されど登楼の客殆無きが如く街路寂然たり、店口に写真を掲るものと然らざるものとあり、掲るものは小店なるが如し、たまたま門口に立出る娼婦を見るに紅染の浴衣にしごきを巾びろに締め髪を縮したるさま、玉の井の女に異らず、青楼の間に寺また淫祠あり、道暗くして何の神なるを知らねど情景頗画趣あり、歩みて再び表道に出で電車の来るを待ちしが、附近に映画館ありて今しも閉場せしとおぼしく、屐聲俄に騒しく人影陸続たり、電車来るも容易に乗りがたきを思ひ月を踏んで客舎にかへる。

戦前の地図を見ると、路面電車の停留所が今より多いんですね。現在の西大寺町駅と小橋駅の間に京橋駅、中島駅と2つの駅があります。この日荷風は来た時には京橋駅で下りたようですが、帰りはどうやら西大寺町駅で乗ろうとしたようです。でも、人が多くて結局あきらめて歩いて宿に帰っています。人が多かった理由はすぐ近くに映画館があって、映画が終わった時間と重なったため。


はて、当時、このあたりにはどんな映画館があったんだろうかと思って取り出したのが『岡山の映画』(岡山文庫 昭和58年発行)でした。

地図の赤丸のところにある金馬館、帝国館、若玉館というのが映画館だったんですね。このあたりは千日前といって今も映画館があります。

ところで昨日紹介した昔近所のおじいさんにもらったスクラップ・ブックには帝国館と、それから岡山倶楽部という映画館のマッチのラベルが貼られていました。おじいさん、映画にも通っていたんだな。

これが帝国館。

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そしてこれが岡山倶楽部。

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岡山倶楽部のマッチはほかにもいくつかありました。おじいさんが一番よく通っていた映画館のようです。

これは『岡山の映画』に載っていた昭和初期の帝国館(上)と岡山倶楽部(下)の写真。

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ところで『岡山の映画』は初めの方は岡山の映画史のような話が続いているんですが、中ほどからかなりの分量をさいて書かれているのが「私の映画遍歴」という話で、これがめっぽう面白い。

で、筆者の松田完一さんの筆者略歴を見たら、なんと西大寺町の生まれ。つながるものですね。生まれたのは大正10年。ということで昭和初期のあの辺りの風景を生き生きと描いいます。興味深い話もいっぱい。

松田さんは昭和7年ごろから映画を見始めたようで、最初の頃に見た映画で特に印象に残っているものとして挙げていたのが成瀬巳喜男の『チョコレートガール』。


松竹映画「チョコレートガール」は売出しのチョコレートを主題にした明治製菓とのタイアップ作品だが、監督の成瀬巳喜男の水々しい感覚と的確な映像表現で、上京する姉が、駅まで見送りに来た弟に投げ与えたチョコレートが、勢あまって線路に落ちてしまい、そのまま汽車は遠ざかるラストシーン。成瀬巳喜男のその後の成長を暗示する見事な映画であった。

これ、見たいですね。フィルム。現存するんでしょうか。

それからあのおじいさんが一番よく通っていた映画館、岡山倶楽部についてはこんな言葉が。


岡山の映画館の中でも、第一は何と言っても上品さが売物の岡山倶楽部である。

なんかちょっとほっとしました。おじいさんからもっといろんな話を聞いてみたかったな。でも、あまりにも気づくのが遅すぎました。

さて、この松田完一さんの『岡山の映画』には最後にあっと驚くような映画の話が出てくるんですが、それについて語り出すと、話が長くなりすぎてクリスマスが来てしまいそうなのでやめておきます。そっちの映画、なんとか見れないのかな。


by hinaseno | 2018-12-23 15:34 | 雑記 | Comments(0)

来年のナイアガラデーの情報が入ってきて、そちらの話も書きたいところですが、あいかわらず京橋、西大寺町商店街近辺に心が奪われている日々。熱心に調べているわけでなく、なんとなく”呼ばれている”という感じが続いているだけですが。

ところで『望星』の2019年1月号に掲載された平川克美さんの「岡山つながり」、読みました。感想は、ふふふってところで。

最後のオチが笑えるんですが、これはフィクションではありません(岡大での講演で平川さんはご自分の書かれたエッセイについて「7割くらいは嘘」なんて言われましたが、それは言い過ぎ、ですね)。

最終日の朝、牛窓に迎えに行って「どうでしたか」と訊いたら、石川さんが開口一番に言われたのがまさにその言葉でした。僕も書こうかと思ったけど、結局やめました。『望星』はなかなか手に入れにくい雑誌ですが、ぜひぜひ読んでみてください。僕は記念にもう一冊買いました。


ところで、『望星』の今月号の特集は「におい」。目次を見ていてパッと目がとまったのが「マッチのにおい」というタイトルのエッセイ。エッセイを書かれていたのが池内紀さんだったので読んでみたら、おっ、おっと思えるような話の連続。「マッチにはにおいとともに、強い物語性をおびていた」という言葉には深く同意。

池内さんが同じマッチ好きの安野光雅さんといっしょに編んだ『燐寸文学全集』というのを紹介されていて、これは!って思って購入。さっき届いたんですが、これはすごい。木山捷平のあの詩も予想通り収録。「さっぱり売れなかった」ということですが、これ最高。今年一番の収穫かもしれない。


ところで池内さんのエッセイで、マッチのラベルの話題になった時に、”そういえば”と思い出したのがこれでした(以前一度紹介したような気もする)。

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これは近所に住んでいたおじいさんが、僕が小学生だったときにくれたもの。布張りのスクラップブックの表紙には『マッチのレッテル』とおそらく作った日付である「昭和二年二月十一日」の文字。ご自分の名前も洒落た自体で書いてますね。

スクラップブックは全部で28ページ。1ページに6枚くらいのラベルが貼られていて、マッチ箱の表と裏の両方を貼ったものもあれば、片面だけを貼っているものもある。店の種類で一番多いのは飲食店。それからカフェー。「カフェー」というのが「カフェ」とはちがって風俗関係のお店だと知ったのなんてごく最近のこと(たぶん永井荷風の『つゆのあとさき』について川本三郎さんが書かれたものを読んで知ったはず)。

なんとなく記憶の片隅で、これをくれたときに「お父さんやお母さんには内緒だよ」と言われたような気がしていて、ずっと隠し持っていました。でも、いつの間にか(というかたぶんもらってすぐに)この本のことを忘れ、で、10年ほど前に押入れの中を片付けていたら箱の中から出てきたんですね。

それにしてもおじいさんには子も孫もいたのになぜ僕にくれたんだろう。僕の中にそういうものへの関心を持つ可能性を芽があることを見抜いていたんだろうか。そしてそれは今となってみればその通りだったんだけど。


おじいさんは明治生まれの人だったので、これを作った昭和2年は二十歳前後のはず。まあ遊び盛りですね。マッチのラベルを見ると東京や大阪のお店もいくつかあるけど(確か国鉄に勤務していたはず)、住所が確認できるもので一番多いのは西大寺町とそれに並んでいる新西大寺町のお店のものでした。いいタイミングすぎますね。これを見ても昭和初期にはあのあたりは岡山の一番の歓楽街として賑わっていたことがわかります。

ってことでラベルを紹介。

まずは 西大寺町の「つるや食堂」。

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同じく西大寺町の「列車食堂」。どんなのか行ってみたいな。

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西大寺町の「カメヤのパン」。

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これは新西大寺町の「あずまや」。

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同じく新西大寺町の「敷島」。

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そして西大寺町のカフェー「ヨアケ」。「岡山デ一番感ジノヨイ美人揃ノカフエー」と書いてます。

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「ヨアケ」はもう一つありました。おじいさん、通ってたのかな。裏には「岡山カフエー会 代表美人揃」と。

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こうなると空襲を受ける前の西大寺町、京橋あたりの様子を知りたくなるもの。一番いいのは写真。

で、まず手元にある『おかでん七十年の歩み』(昭和55年発行)を見たら、こんな写真が。

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これは前回の一番上に貼った写真と同じ場所、つまり西大寺商店街の入り口から京橋方向を撮ったもの。撮影されたのは昭和7年3月。交差点の右側の青葉市子さんがライブをしたビルのあった場所には優良教育玩具という大きな看板を掲げたビルがあります。


で、これは逆にその交差点から西大寺商店街を写した絵葉書。

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昭和3年に撮影されたものとのことなので、まさにあのおじいさんが通っていた時期。よく見たら左にスクラップブックに貼られていた「つるや食堂」が! これはうれしい。


さて、スクラップブックには映画館のマッチと思われるものもいくつかありました。”そういえば”と思い出して取り出したのがかなり前に買ったままきちんと読んでいなかった『岡山の映画』(岡山文庫)なんですが、これがまた面白いくらいにいろんなものがつながっていたんですね。それはまた次回に。


by hinaseno | 2018-12-22 14:38 | 雑記 | Comments(0)

三石でお二人と別れた日の夜、戻ってきたのはこの場所。

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これは西大寺町商店街のアーケードの東の入り口あたりで撮った写真。左のほうには路面電車が向きを変えているのが見える。向かっているのは京橋。路面電車のすぐ左のあたりには西大寺町駅がある。

この2日前の午後に、ここを平川さんと石川さんと歩いたばかり。改めて考えてみれば今回の岡山滞在で一番長い時間3人で一緒に歩いた場所でした。ということで、ここも(もともと好きな場所ではあったけど)自分のふるさとと呼んでいいような大切な場所になった気がします。一緒に歩けて本当によかった。

でも、ここを歩くことにしたのは、たまたまでした。


平川さんが岡山に来ることが決まったのとほぼ同じ頃に青葉市子さんが岡山でライブをすることがわかったんですね。お二人が岡山を発つ日の日曜日と翌日の月曜日の2日間。ライブ会場を調べたら上の写真に写っているビルの2階のフォークロアというお店。行けるとしたら日曜日しかないので予約開始の日を待って無事予約。すると店の方から、できればライブの前に店に来て前売り券を購入してほしいとの連絡。ということで、10月の初旬に久しぶりに西大寺町商店街を京橋の方まで歩いたんですね。2階の店の窓から眺めた路面電車の走る風景も素晴らしかった。

そのときにできればここを一緒に歩けたらいいなと思ったんですね。当初は牛窓に行く途中に車で京橋を渡るくらいのことにしておこうと考えていたんですが予定変更。でも、当日まで、あくまで可能であればということにしていました。


さて、今月初めのことですが、平川さんから「『8年越しの花嫁』という映画を見たことある?」という連絡が来たんですね。平川さんによると、たまたまWOWOWで放送されたものを見たら、岡山で歩いた場所がいっぱい映っていたと。

『8年越しの花嫁』のことはどこかでそのタイトルだけは見た(あるいは聞いた)ような気がしたんですが、見たことはありませんでした。

ネットを調べればどこでロケをしたかすぐにわかると思ったけど(実際Google検索に「8年越しの花嫁」と入れただけで、そのあとに「ロケ地」や「岡山」というキーワードが出てくる)、とりあえずどんな映画なのかも調べないまま入手(DVDの表紙や、そのタイトルだけしか見なかったら、絶対に見そうにない)。

冒頭、いきなり西大寺町商店街が映ったんですね。主人公の二人(佐藤健さんと土屋太鳳さん)が最初に言葉を交わすシーン。

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で、二人は一緒に西大寺町商店街を京橋の方に向けて歩く。

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このシーンを見て、ふと思い出したのは川本三郎さんの『青いお皿の特別料理』に収録された「事務所開き」のこのラストシーン。


窓から町を見下ろすと、新井くんと増田さんが商店街を歩いている。増田さんのほうが早くも先に立ち、新井くんを引きつれるようにしている。

映画の二人を青葉さんがライブをしたビルから眺めたら、きっとこんな感じだろうな。

青葉さんがライブをしたビルといえば次のシーン。

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場所は西大寺町商店街を出てすぐのことをにある西大寺町駅。左に見えているビルがまさにそれ。2階の灯りがついているのが青葉市子さんがライブをしたフォークロア。


このあとも京橋近辺は何度も映ります。主人公の男性が住んでいる場所は『先生!』で広瀬すずさんが通っている高校とほぼ同じ場所に想定されているんですね。東山行きの路面電車の終点近くにある東山公園でもロケされていました。

調べたら他にもここ数年、あの京橋あたりで映画が撮影されているようです。いつのまにかあそこはロケ地として注目の場所になってたんですね。


京橋を渡る路面電車が映る映画としてパッと思いつくのはこの日のブログで紹介した今村昌平監督の『黒い雨』(1989年)のこのシーン。

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映っている橋は京橋の東にある中橋(京橋、中橋、小橋は今では一つの橋のように見えるけど)。これを撮影したのはかつて遊郭があった西中島。ストリートビューで確認したら、ちょうどこのあたりで撮影したシーンのようです。

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このあたり、対岸の東中島から平川さんが「あのあたりにはそれらしい建物が並んでいるね」と指をさされた場所。

ただ、このシーンは本編ではいくつかの牛窓でのロケシーンと共にカット。DVDの特典にだけ収録されています。ちなみにカメラマンは小津の映画で撮影助手として三石にも来ていた川又昂さん。

ちなみに『8年越しの花嫁』の脚本は岡田惠和さん。いろいろとつながっていますね。


それはさておき、あのあたりは以前はそんなには注目されていなかった場所。そう考えると、川本三郎さんが1999年の春にあのあたりを電車で通って、数年後にそこを舞台にした小説を書かれたというのは、さすが川本さんだなと改めて思います。物語性のある風景を発見されていた。


ところでこの『8年越しの花嫁』、大瀧さんつながりの人が西大寺町商店街のあたりを歩いているんですね。このシーン。

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車椅子に乗っている土屋太鳳さんのそばを歩いているのは薬師丸ひろ子さん。次にはこんなシーンも。

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この映画、これほど泣けるかというくらいに涙が止まらなかった。ぜひ一度見てください。


by hinaseno | 2018-12-19 11:38 | 映画 | Comments(4)

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これを書き始めたときに郵便が届く。楽しみにしていた『望星』の最新号(2019年1月号)。目次を見ると、


路の記憶36 岡山つながり 平川克美


おおっ!

でも、読むのはこれを書き終えてからにする。


さて、三石。

小津の『早春』で池部良が淡島千景に「小さな町だぜ」と言っていた通り、山に囲まれた谷あいの本当に小さな町。見るべき場所を全部見て回っても1時間もかからない。

まず最初に向かったのは四列穴門と呼ばれる煉瓦拱渠。三石には他にもいくつか煉瓦で作られた拱渠があるけど、ここがやはりいちばん見所がある。

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この場所に関して何よりも貴重なのがこの写真。

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歩いているのは小津安二郎。『小津安二郎新発見』(講談社α文庫)に「『早春』ロケハン」と記されたこの小さな写真を発見したときにはとにかく興奮した。映画には写っていないけど、あの小津がここを歩いていたんだと。


次に四列穴門のすぐそばにある三石小学校へ歩いていく。途中、川べりに立っている古い建物をしばらく眺めて、平川さん「この建物、なかなかいいな。これを買って、なんか商売しようかな」と言う。「でも、人、来ないでしょう」と答える。実際、そこは近くに小学校や公民館がある三石のメイン通りなのに人通りは全くない。

三石小学校に立ち寄ったのはこの素晴らしい木造校舎を見てもらうため。取り壊されることなくずっと残っていてほしいと思う。

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そして、三石で一番見てもらいたかった場所へ。『早春』のこのシーンの場所。池部良はこれだけを撮影するために三石にやってきた。

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ここを見つけたときの喜びといったらなかったな。後ろの2本の煙突が今も残っているというのは奇跡というしかない。

ってことでここで記念写真。どっちが池部良でどっちが淡島千景なんでしょう。

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「淡島千景って本当にいい女だよ」と平川さん。「木暮実千代もいいし」と。正直、小津の映画を見始めたときには淡島千景とか木暮実千代なんてちっとも魅力的に思えなかったけど(川本三郎さんは木暮実千代の顔をマダム顔って言ってた)、年のせいか少しずつその魅力がわかってきた、かな。「いい女だよ」といわれて「そうですね」と頷くことはできなかったけど。


ということでこれで三石で見るべき場所は終わり。車を停めた場所に戻って駅に行く。ほんの数分で到着。階段下から見ると、本当にかわいい駅だ。

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駅に着いて、いつのまにかここが無人駅になっていることを知る。石川さんは無人駅は初めてだと言われていた。

駅舎で電車が来るのを待っていると、駅員が入ってきて切符購入機からお金を取り出す。聞くと和気駅からやってきたと。お隣の吉永駅も無人駅になっているらしい。

ふと考えたら、この日、三石の町で出会った人はこの駅員だけ。しかも三石の人ではなく和気からやってきたと。電車の時間が近づいてようやく一人学生のような子が駅に入ってくる。寂しい町であることは間違いない。

そういえば昔、三石に立ち寄る度に何度かあちこちを探し歩いて、6年前の早春にようやくあの場所を見つけた後、喉が渇いたので冷たいものを飲もうと四列穴門の近くにある小さな食料品店に立ち寄ったら、店のおばさんに以前から僕の姿を見ていたと言われてびっくりしたことがある。歩く人がほとんどいない場所を、キョロキョロとしながら歩いている人間がいると、やっぱり目立つようで、ちょっと噂になっていたらしい(かなり怪しまれていたと言うこと)。それくらいに人通りがない。

もし、あの四列穴門のそばの建物で何かするとしたら、果たしてどんな商売ができるだろうと考えてみる。

う〜ん。


電車の時間が迫ってお二人がホームに上がる。ただし乗るのは反対側。それぞれこっちだなと確認される。

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そして最後に記念写真。

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今から63年前の昭和30年9月、三石での撮影を終えた小津たちもこのホームで記念写真を撮っている。この写真、今も公民館に飾られているのかな。今、この写真の中に小津安二郎を発見できる人は、果たしてどれだけいるんだろう。

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最後のシーンはこの日書いた。あれを書いたときには寂しくて抜け殻のようになっていたな。

ということで長く続いたこの「Tokyo Fighting Kids in Okayama」も今日で終わりです。平川さん、石川さん、本当にありがとうございました。


でも、ちょっと話は続く。

お二人を見送った後、自宅に戻り、一息ついてから、再びお二人と歩いた”あの場所”に向かう。来岡した初日にそこを案内したことがきっかけとなって、すごく大切になった場所。それに着いてはまた次回。

さあ『望星』を読もう。


by hinaseno | 2018-12-17 14:45 | 雑記 | Comments(0)