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by hinaseno
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気候もよくなってきて、ここのところ外を歩くことが多くなってきました。ときどきは走ったり。

そういえば何年も走るときに使っていたイヤホンがすぐ外れるようになって、いいものがないかといろいろ調べて、見つけたのがSoundPEATS Q30というイアホン。Bluetoothのイヤホンって初めてだったんでどうなんだろうと思ったけど、これが快適。耳にちゃんと収まるし、なによりも長いコードがブラブラすることがない。値段の割に音質もまずまずだし。


というわけでこれを付けていろいろと聴いていますが、歩くときには基本的にラジオ番組を録音したもの。「ゴー!ゴー!ナイアガラ」、「新春放談」、そして「大瀧詠一的」。

で、昨日聴いていたのは「大瀧詠一的2010」。もう、何度聴いたかわからないけど、何度聴いても笑ってしまうし、何度聴いても新しい発見があります。


この年の話の中心は大瀧さんがされた小津安二郎の『長屋紳士録』研究と池部良主演の『青い山脈』のこと。でも、最後の最後にちょっと別の話が出るんですね。司会の平川さんが「これはみんなから訊くな訊くなって言われてたんだけど、紅白の…」という風に話を切り出します。

実はこの年の暮れに大瀧さんが紅白歌合戦に出場するという情報がどっと流れたんですね。もちろん大瀧さんのことをよく知っている人であれば絶対にそんなことはありえないと思っていて、実際、出られることはなかったわけですが、「大瀧詠一的2010」が収録されたとき(12月初旬?)は、まだそのうわさがくすぶっていたので、平川さんが訊かれたんですね。でも、内田先生や石川さんは、その話をするときっと大瀧さんが気分を害されるのではと思って、その話は避けるようにと言っていたようです。でも、平川さんは切り出したんですね。

実は僕も一番最初にこれを聴いたときにはひやりとしました。でも、面白いことに大瀧さんはその話が出ることを待っていたんですね。「それがど頭だと思ってたの」と。大瀧さん、その話の準備をしっかりしてたんです。

で、これがへ~っという話の連続。自分自身に関するうわさを細かく分析し、メディアリテラシーのことにまで触れられるんですね。かなり長い話。

ただ、この話の途中でちょっとした事件が起こります。平川さんのトイレ事件(これについては以前書きましたね)。話が佳境に入ってきて大瀧さんが「これから30分話が続くよ」と言った瞬間に、「ちょっとトイレに」ってなったんですね。話を振った当の本人が話の腰を折っちゃったわけです。

平川さんがトイレに行っている間、大瀧さんと内田先生と石川さんの3人が平川さんのことを話始めるんですが、何度聴いても爆笑。

ここで、大瀧さんが平川さんと重ねたのが布谷文夫さん。そして例として話されたのがハンバーグの話。「環七のね」「ハンバーグどうしたのさ」「美味しいんだよ」と布谷さんとのエピソードを紹介されて爆笑、爆笑となるわけですが、正直、何の話?なんですね。でも、このハンバーグの話は「ゴー!ゴー!ナイアガラ」でのエピソード。

どこだったっけ、と思ったら1976年2月17日の放送。3回前のブログで紹介した御葉書特集の翌週でした。

特集は「ナイアガラ・トライアングル」。というわけでゲストは伊藤銀次さん、山下達郎さん、そしてアルバム『ナイアガラ・トライアングル』の最後の曲「ナイアガラ音頭」(これがなければ「イエロー・サブマリン音頭」も生まれなかった)を歌った布谷文夫さん。

布谷さんが登場するのは後半の方なんですが、ここからは爆笑の連続。アルバムの曲紹介の予定が完全に脱線。で、布谷さんが突然、当時環七にあったアミーゴというハンバーグ屋の話になるんですが、何を言いたいのかよくわからない。「ハンバーグがね」と言いかけてやめるので、大瀧さんが困って「ハンバーグがどうしたの?」と聴いたら、布谷さんも自分が何を言おうとしてたのかわからなくなってぼそっと一言「すごいおいしいんだよね」と。一同、一瞬間があって大爆笑。


大瀧さん、30年以上たってもこのやりとりをはっきりと覚えていたんですね。きっとこの時の放送をあとで何度も聞き返したんでしょうね。

そう考えると「大滝詠一的2010」のあの場面も何度も聞き返したはず。ああいうの大好きなんですね、大瀧さん。


さて、今、平川さんの突然話の腰を折るというのを上手にすくいとれるのが小田嶋隆さん。小田嶋さんもその役割をよくわかっているようです。本来、自分はそういうことをする人間ではないんだと言っていますが、相手が平川さんだと仕方なくそうなってしまうようです。

その小田嶋さんもつい先日ミシマ社から新刊が出ました。タイトルは『上を向いてアルコール』。この本、昨日贈られてきたので、またゆっくりと読んでみようと思います。小田嶋さん、先日は報道ステーションにも出演されていましたね。最後にキャスターの富川さんから「オリンピックって、やっぱりおもしろいですね」と言われて「そうですね」と答えられたのにはちょっとショック(笑)。そういう人ではないのにね。


そういえば一昨日、アゲインで平川さんのトークイベントが行われましたが、後半は小田嶋さんがゲストで来られたようです。体調が悪かった平川さんを助けに来たんでしょうか。いったいどんな話になったんでしょうね….

と書き終えてブログをアップしようと思ったら、そのアゲインの石川さんからなんとそのイベントを録画したものを贈っていただきました。

感涙。

いつもいつも本当にありがとうございます。ああ、見るのが楽しみ。


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by hinaseno | 2018-02-28 15:26 | ナイアガラ | Comments(0)

陽気に行こうぜ


オリンピックの話の続き。昨日書き忘れたことでした。

今回のオリンピックで、おっと思ったところがあったんですね。それは男子フィギュアスケートのショートプログラム。羽生結弦くんがどんな演技をするのか気になって彼が登場するまでテレビをつけたままにしていたときのこと。テレビは見ていなかったので、それぞれが演技している時に使われた曲がぼんやりと耳に入っていました。知った曲もあれば知らない曲もある。

そんな中で突然、聞き覚えのあるロックンロールが流れてきたんですね。1曲目の曲のタイトルはわからなかったのですが歌っているのはすぐにわかりました。エルヴィス・プレスリー。

演技していたのはロシアのミハイル・コリヤダという選手。彼はエルヴィスの曲をメドレーで使っていたんですね。

2曲目は誰もが知っている「Can’t Help Falling In Love(好きにならずにいられない)」。そして3曲目はなんと「Rip It Up(陽気に行こうぜ)」。


「Rip It Up(陽気に行こうぜ)」という曲を知ったのは、例の大瀧さんのナイアガラ・リハビリ・セッション。キムタクと松たか子さん主演のドラマ『ラブジェネレーション』の主題歌である「幸せな結末」を製作するために、あまりに久しぶりにレコーディングが行われるので、自分自身や演奏するミュージシャンの勘を取り戻すために行なったセッションの中の1曲が「Rip It Up(陽気に行こうぜ)」。新春放談で流れたんですね。これの1曲目。




この曲が収録されたアルバム、ジャケットが最高なんですね。

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いつかLPで手に入れたいと思ってるんですが、なかなか出会えません。「Rip It Up」の入った4曲入りのEPでもいいのだけど。


ところでミハイル・コリヤダ選手がショートプログラムのときに使った1曲目は調べたら「Steamroller Blues」という曲でした。僕の持っているエルヴィス関係のCDには入っていませんでした。

そんなに有名ではない曲のはずだけど、どういう意図でこの曲を選曲したんだろう。ちなみにこの曲、僕はジェームス・テイラーのバージョンで知りました。


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by hinaseno | 2018-02-27 15:31 | 音楽 | Comments(0)

一昨日の夕方、後楽園に近い出石町(いい町です)をてくてくと歩いて古い民家を利用して作られているアートスペースで開かれていた「珈琲のための器展」という展示会を見てきました。店内には全国の作家が作ったコーヒーカップ(マグカップ)がずらり。土間や畳の部屋、廊下に所狭しと並べられていました。

それらを小一時間ほど眺めていていましたが、ふと気づくと気に入ったものは同じ作家のものであることがわかりました。工藤和彦さんという作家さん。現在は北海道に移住されて作品を作っているようです。

北海道というだけでシンパシーがわいたので、どれか1つ買おうと思ったんですが、かなり悩んでしまう。結局選んだのはこれ。

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ただ他のも気になるので、もしかしたらもう一度行くかもしれない。コーヒーカップはいくつもあるのだけれど。


ところで北海道といえばLS北見。そう、例のカーリング女子のチームですね。今回のオリンピックのカーリング女子の試合はほぼすべて見ました。1試合3時間くらいかかるのでいろんな時間がとられてしまったけど。

カーリングのファンになったのは2006年のトリノ・オリンピックのとき。そのときにマリリンの愛称で人気が出た本橋麻里さんで、その彼女が作ったのがLS北見というチーム。国内で代表を決める予選のことから応援していました。やっぱり北海道のチームというのが大きいでしょうね。

チームで一番好きなのはサードの吉田知那美さん。彼女の笑顔はなんとも素敵で、チームの明るさは間違いなく彼女が作っていますね。明るいだけでなく、インタビューなどでの受け答えを聞くと、とてもクレヴァーな人であることもわかります。一人旅が好きで、好きな言葉は「安心して絶望できる人生」とのこと。共感大です。


今回のオリンピックで一番好きなのはこの時の彼女のインタビューでしょうか。




予選の最後の試合、勝てば自力で準決勝進出という状況だったんですが、この試合、彼女の調子が悪くて(確かに悪かった)、負けた責任は自分にあると思ってしまってインタビューの時に号泣したんですね。

そんなときに通りがかったのが、日本が負けた後にアメリカを破って日本の準決勝進出を決めることになったスウェーデン・チーム。金メダルを取ったチームですね。

スウェーデン・チームは日本チーム同様に明るくていい感じの子が多く、たぶん日本チームとも日頃から仲がよかったようで、上の映像のようなシーンになるんですね。生で見てたんですが、こっちまでもらい泣きしそうになりました。メダルを授与された後の彼女のインタビューも素晴らしかったです。

スウェーデンって国、いいですね。またラッセ・ハルストレムの映画を観たくなりました。やっぱり『ギルバート・グレイプ』がいいかな。


今回のオリンピックでもうひとつよかったのはやはりずっと応援していた小平奈緒選手が金メダルをとったこと。彼女のインタビューも素晴らしかったですね。あの年齢で信じられないほどアスリートとして成長している背景には、人間としての成長がともなっていたことを改めて確認しました。

とりわけ印象的だったのはレース終了後にライバルの韓国人選手のもとに走り寄って、ふたりで言葉を掛け合いながらそれぞれの国旗を背負ってリンクをいっしょに滑ったシーン。このシーンも最高でした。


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by hinaseno | 2018-02-26 13:05 | 雑記 | Comments(0)

三寒四温という感じで、だんだんと暖かい日が増えてきました。で、暖かい日が増えてくると、しばらく聴いていなかったさわやかな音楽を聴きたくなってきます。何年か前に作ったさわやかサウンドの曲を集めたCDも調べたら2月に作っていました。2015年2月25日のブログにそのCDのことを書いています。前日、つまり2月24日に作ったと。ちょうど3年前の今日。


今年も数日前にそのCDにも収められている曲が唐突に僕の心の中に舞い降りてきたんですね。スパンキー&アワ・ギャングの「Like To Get To Know You」。




この曲と出会ったときの話はすでに書いてますね。1989年の新春放談で初めて聴いて、それから間もなく神戸の三宮近くにあったCDショップでこの曲の収録されたCDを手に入れました。

ただ、それ以降、いわゆるソフト・ロックというのがブームになっていろんなものを聴いているうちにやや忘れかけた存在になっていたんですが、あることがきっかけでこの曲の素晴らしさに改めて知り、今では死ぬほど好きな曲の一つになっています。


きっかけは、やはり「ゴー!ゴー!ナイアガラ」でした。4年前の3月の初めに1976年2月10日に放送された「御葉書」特集を聴きながら姫路駅の南のあたり(南畝町です)を散歩していたらこの曲がかかったんですね。

この特集を聴いたのはその時が初めて。御葉書の特集となっていますが、かかった曲はどれもさわやかサウンドの曲ばかり。やっぱり大瀧さんも2月になって少し暖かくなってきた頃にこんな曲を聴きたくなるみたいです。


ところで不思議なもので「Like To Get To Know You」が流れ始めたときに歩いていた場所をいまだに覚えているんですね。ときどきありますね。曲を聴いた場所を鮮明に覚えているということが。

今、ちょっと調べたら、あの「南畝町288」からほんの200mほど離れたあたり。本当によく歩いたな、あのあたり。

せっかくなのでGoogleマップのストリートビューを使ってヴァーチャルウォークしました。

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赤い矢印が歩いていたところ。右上の水色の丸したところが「南畝町288」。姫路に縁のない人にとっては(縁のある人でも)なんのこっちゃですね。


で、久しぶりに昨日1976年2月10日放送の「ゴー!ゴー!ナイアガラ」を聴きました。すると面白いことに太田裕美さんの「木綿のハンカチーフ」の話が出てきてたんですね。「木綿のハンカチーフ」のことをいろいろ書いていたときに、「ゴー!ゴー!ナイアガラ」のどこかで「木綿のハンカチーフ」の話が出てたはずだったなあと思っていたんですが、この回だったんですね。

葉書を書いてきたリスナーはおそらくはっぴいえんどのファン。「木綿のハンカチーフ」は前年1975年の暮れに発売されているので、発売されて間もない時期に大瀧さんの番組に葉書を書いたようです。こんな葉書。


松本さん作詞の「木綿のハンカチーフ」を1位にする会を作って、『歌謡なんとか』の番組に必死になってリクエストしているのです。今度の歌は詞の中に松本さんの顔がちらついてちょっといいんじゃないかな。

で、大瀧さんの言葉。


いいですね。今度の太田裕美の「木綿のハンカチーフ」、僕も非常に好きでね。♫君のはららほにゃらは~♫ってのがいいですね~。あ~、ぎゃんぎゃんリクエストしてください。

面白いのはこのとき大瀧さんが「木綿のハンカチーフ」の一節を♫君のはららほにゃらは~♫って歌ってるんですが、まだそれほど聴いていなかったのかメロディもうろ覚え、歌詞もはっきりしなくてどこを歌っているのかわからないんですね。


このリスナーが葉書を書いた時には「木綿のハンカチーフ」はまだ知る人ぞ知る曲という感じだったようです。こうしたリスナーが歌謡番組に何枚もリクエスト葉書を送り続けた結果、曲が多くの人の耳に届いて大ヒットにつながったんでしょうね。


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by hinaseno | 2018-02-24 15:23 | 音楽 | Comments(0)

尾道のことを書きながら、尾道と同じくらいに大好きな海街のことを考えていました。


牛窓、そして塩屋。


牛窓といえば、僕が2年前の春に何十年ぶりかで尾道を訪れてみようと思ったきっかけはミルクという名の白い猫に会うためでした。正しくいえば牛窓を舞台にした想田和弘監督の映画『牡蠣工場』を尾道の映画館で観るという目的。『牡蠣工場』の主人公(?)が「ミルク」だったんですね。

想田さんが牛窓を撮っていたことはリアルタイムで知っていたので、それが作品となって公開されるのを心待ちにしていたんですが、ところがいろんな事情から岡山での上映が先延ばしになっていたんですね。これ以上待てないってことで、土曜日に観に行ったら上映は前日の金曜日が最終日だったと。


その『牡蠣工場』が公開される前、ミシマ社から出版された想田さんの『観察する男』を読んでいたら興味深いことが書かれていたんですね。牛窓で撮影したものがあまりにも多くて、とても一つの作品には収まりそうもないので、『牡蠣工場』とは別にもう一つ作品が作れると。

その「もう一つの作品」(正直に言えばそちらの方を)を『牡蠣工場』を観る前から待ち望んでいたんですが、それがようやく完成したんですね。タイトルは『港町』。


こちらはその『港町』の公式サイト。予告編の映像を観ても僕のよく知っている風景ばかり。このシーンに映っている猫は、昨年の6月にようやく出会うことができた「ミルク」ですね。

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それから一瞬映るこのシーン。

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『東京物語』の福善寺で撮られたこのシーンとそっくり(この墓を見つけるのは大変でした)。

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このサイト、下の方に並んでいるコメントを見たら平川克美さんと内田樹先生の名が。これもうれしいですね。お二人らしい語り口でたまらないです。

一応それぞれのコメントを。まずは平川さん。


ここでは、ひとは海からの贈与で生活し、猫は人からの贈与で生きている。過疎と老いが忍び寄る港町で、ひとびとは黙々と働き、墓参し、ときに笑う。水上で、路上で、山間で、彼らが語り始めたとき、わたしは、人生の深淵を覗きこんでいるような気持ちになった。

それから内田先生のコメント。


出て来る人たちはみんなカメラに向かってよく話す。多くが笑顔で、同意を求めて、感情をこめて話す。無言の時さえ表情は饒舌だ。でも、その笑顔の下にはどこかしら「私の思いが伝わるはずがない」という絶望に似たものが感じられる。私自身でさえ自分が何を考えているのかわからないのに、あなたにわかるはずがない。人間はみなその孤独に耐えて生きているのだとあらためて知らされた。

この映画、岡山でも上映が決まっているみたいですが、前回のリベンジというわけではなけれど尾道の映画館で観てみたいと思っています。


さて、塩屋のこと。僕の住んでいるところからは尾道とほぼ同じくらいで、真反対の方角にある海街です。

余白珈琲さん、塩屋に住む場所が見つかって、来月引越しをすることが決まったんですね。懸案だった煙問題も一石二鳥というような感じで解決できたみたいです。いや、彼らに「一石二鳥」って言葉はふさわしくないか。たまたま縁があった、というか縁の尻尾をつかんだだけという感じです。

場所はかなり急な坂を上ったところにあるようです。彼らが落ち着いた頃に訪ねることができたらと思っています。ちなみに焙煎の部屋からは海が見えるとのこと。いいですねえ。潜水艦の暖簾と合いそうです。


ところで僕は余白珈琲さんから毎月20日に焙煎した珈琲豆を送って(贈って)もらっているんですが、一昨日届いた豆の焙煎日である2月20日は彼らが引っ越すことになった家が建てられた日だそうです。いや、これも縁ですね。

ちなみに建てられたのは1969年。

1969年の2月というと、はっぴいえんどの人たち、とりわけ大瀧さんと細野さんが不思議な縁でつながり始めた頃。面白いものですね。


そういえば次回珈琲豆が送られてくるのは3月21日ということになりそうですが、その日はもちろんナイアガラ・デイ。

僕はたぶん前日に届くかもしれないシリア・ポールの『夢で逢えたらVOX』の、とりわけ「香り’77」をなんどもリピートしているだろうと思います。


「香り」といえば、一昨日、余白珈琲さんの包みを届けてくれた郵便配達の人が「コーヒー豆のいい匂いがしますね」と言ってくれたんですね。マスクをしていたのにもかかわらず、いい香りが届いたんですね。

「とても美味しいんですよ。よかったら注文してみてください」と言ったらにっこり。ちょっとだけ楕円が膨らんだ感じがしました。


楕円といえば、平川克美さんの『21世紀の楕円幻想論』の重版が決まったそうです。おめでとうございます。でも、もっともっといろんな人に届いてほしいです。

その平川さんの本の発売記念イベントが2月26日にアゲインで行われるんですね。行きたいなあ、と思っていたらなんと、翌月の20日と21日に平川さんと松村圭一郎さんのトークイベントの告知が。

隣町珈琲で対談が行われるのはナイアガラ・デイの3月21日。これ、たまたまなんでしょうか。ああ、行きたい。


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by hinaseno | 2018-02-23 14:57 | 雑記 | Comments(0)

浄土寺の手前の信号を右折して国道を東に進むトラックを手を振りながら追いかける一美。でも、どうも風景が違う。どうやらこのシーンは違う道路で撮影されていることがわかりました。

どこかということですが、手がかりはたくさんありました。それは道路沿いに立ち並ぶビルや電柱に取り付けられた看板。現在も残っているものが多いんですね。わかりやすいものでいえば仁井時計店。あるいは大村石材店。そう、そこは市役所のある通り。

地図で確認するとこうなります。

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青い線がトラックの走った方向。で、赤い線がトラックを追いかけて一美の走った道。なんと実際には出発した一夫の家に戻っている形になっているんですね。この道には『東京物語』の撮影の時に小津や俳優たちが泊まった竹村家(竹村旅館)もあります。

ちなみにその竹野屋で撮影された『東京物語』のこのカット。


東山千栄子の葬儀の後にみんなが集まって食事をする場所ということになっています。実際の食事のシーンはもちろんセット。『転校生』の冒頭、一夫の家から見える海の風景が見えるシーンが出てきます。

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この窓の外に見える風景は『東京物語』の竹村屋からの風景と似てるんですね。

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ということなので最初は一夫の家は竹村屋なのかと思っていました。


さて、改めて一美が走っているこの場面を。

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彼女が走っていているのは市役所が入っている市民会館の前の道。映画を撮影した時にはこの市民会館のビルを建設中だったようですね。

この場所、例によってストリートビューで確認してみます。

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実は世田谷ピンポンズさんのライブの日の夕方、僕はここの場所の写真を撮っていました。

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なぜかといえば、ここはまさに『東京物語』の冒頭のこのシーンが撮られた場所だとわかったから。大林さんはまさにこのシーンが撮られた場所から一美を走らせたんですね。

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前にも書いたように『転校生』の冒頭で、『東京物語』のラストシーンの汽車が走り去って行くのを撮ったのとほぼ同じアングルで電車がやってくるシーンを撮っているんですが、『転校生』のラストでは逆に『東京物語』の冒頭の子供たちが学校に通うシーンを撮った同じ場所で一美がトラックを追いかけるシーンを撮っていたんですね。まさにシンメトリックな構造になっていたわけです。


ところで、この市役所前の道を走るシーンをDVDでコマ送りしながら、ストリートビューの現在の風景と見比べていたんですが、そこで驚くようなものを発見したんですね。

それは一美が走るのをやめる寸前にとらえられたトラックが走っていくシーン。最後の最後ですね。

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このときトラックの向こうの右手に見えている瓦屋根の大きな家が竹村家。左の電柱には「竹村屋」と書かれた看板も見えます。

驚いたのは右のトラックの停まっている建物に取り付けられた看板の文字。


「栗吉木材店」!


栗吉木材店というのは『東京物語』の冒頭の、小学生たちが登校するシーンで見えていた看板に書かれていた会社と同じ名前(『東京物語』のほうでは「栗吉材木店」となっています。どうやら『東京物語』で唯一といってもいい本物の看板が映っている「栗吉材木店」は竹野屋の近くに移転していたようです(現在は栗吉木材店はありません)。

それにしても、これが『転校生』の最後の最後に映されいるというのは偶然にしてはできすぎていますね。


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by hinaseno | 2018-02-20 15:11 | 映画 | Comments(0)

映画後半、再び御袖天満宮を訪れた一夫と一美はもう一度いっしょに階段を転げ落ちてもとの体に戻ります。ここから感動的な場面が続くんですね。何回見ても泣けます。

これは一夫の家族がトラックで横浜に引っ越す場面。

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それまでのいくつかのシーンで一夫の家が海沿いにあることはわかっていたんですが、このシーンでようやく場所を特定することができました。浄土寺の真下。浄土寺の門のすぐそばから撮影してるんですね。浄土寺に行けば見慣れた風景。


ところで一夫の家で興味深いのは玄関のすぐそばの壁に貼られてたポスター。

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なんとジョン・ウェイン主演の西部劇『駅馬車』。監督はもちろんジョン・フォード。西部劇好きにとってはにっこり。

ただ、これはもちろん映画のために取り付けたもの。ポスターの上には「上映中」との文字がありますが『駅馬車』の日本公開は1940年(昭和15年)。リバイバル上映ってことになるんでしょうね。


さて、浄土寺といえば『東京物語』のいくつものシーンが撮られた場所ですが、『転校生』では主人公の家を浄土寺の真下に設定したにもかかわらず、お寺が映ることは一度もありません。多宝塔くらいちらっと映ってもいいのに。でも、おそらく”あえて”入れないようにしたんでしょうね。

でも、映画を見終えてから、ふとあることに気がつきました。気づいたことに我ながら感心。


これは何度も紹介している『東京物語』の浄土寺のシーン。

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上に貼った引越しのシーンとは浄土寺の境内の内側と外側ということもあってか風景的には一見なんのつながりもなさそうに見えます。

でも、この2つの風景、かなり近い場所からほぼ同じ方向をとらえていたんですね。

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この写真の水色の丸で示したのが『東京物語』のカメラが置かれていたあたり。矢印が上のシーンを撮影した方向。

それから赤色の丸で示したのが『転校生』の引越しのシーンを写した場所。矢印は撮影した方向。


カメラが置かれていた位置は距離にして20mちょっと。写した方向もほぼ同じだったんですね。

これはきっと大林さんなりの『東京物語』、あるいは小津への敬意の形なんでしょうね。あるいは畏敬の念と言ってもいいかもしれません。


さて、このあと引越しのトラックは線路沿いの国道を曲がって東に進みます。

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そして一美は「さよなら、わたし」と叫びながらトラックを追いかけます。



でも彼女が走った道は、浄土寺前の国道ではなかったんですね。なんと走っていたのは『東京物語』でロケされた道でした。

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by hinaseno | 2018-02-19 12:41 | 映画 | Comments(0)

映画の後半、男の子になった一美は家出を決意。女の子になった一夫は彼女(彼?)を追いかけます。二人が向かうのは船着場。

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ここからは、おっ!おっ!おっ!の連続でした。

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二人が船で行ったのは瀬戸田(生口島)。

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そういえば『東京物語』でも東山千栄子の葬儀の後、海の見える料亭で久しぶりに集まった家族で食事をしていたときに、確か生口島に行った思い出話をしていたなと。


生口島から戻ってきた二人は再び船着場を歩きます。そして、このシーン。

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これぞまさに『東京物語』のこのカットと同じ場所。

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と思ったら違ってたんですね、船着場の場所が。

背景が少し違っていたのもありますが、おやっと思ったのは一番上に貼った写真。もし中央桟橋であれば桟橋の手前の右側に『東京物語』で一番最初に映るこの住吉神社の大灯籠(右手に見えるのが中央桟橋)が見えないとおかしいんですね。

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いろんな角度から見える背景の山や島も中央桟橋から見たものとはちがう。

で、調べてみたら『転校生』で二人が船に乗った船着場は中央桟橋ではなく尾道駅の真正面にある駅前桟橋でした。


実は今の駅前桟橋はかなりしゃれた感じになっているんですが、ちょっと古い写真を探してみたら駅前桟橋は中央桟橋とほぼ同じ造りをしていたことがわかりました。桟橋部分だけを見たら区別がつかないですね。

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まあ、結局勘違いではありましたが、でも二人が桟橋を歩くシーンを撮るときに大林さんが『東京物語』のあのカットを意識しなかったはずがありません(大林さんは中央桟橋と駅前桟橋の区別がついていたのかな)。


勘違いといえば、『東京物語』で家族が船で行ったというのは生口島ではなくそのとなりの大三島。瀬戸田へ行ったのは『東京物語』には出ていなかったけど、小津の映画にいくつも出ている佐田啓二と岡田茉莉子が主演した『集金旅行』(原作は井伏鱒二)のほうでした。


あわてて書かなくてよかった。


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by hinaseno | 2018-02-18 15:43 | 映画 | Comments(0)

大林さんが『転校生』を撮るときに、小津の『東京物語』をどれだけ意識していたかという問いはたぶん無意味。尾道で映画を撮る人間が『東京物語』を意識しないはずがないですね。

『転校生』でも明らかに『東京物語』を意識したシーンもあれば、たまたまかなというものもあったり。大瀧さんが音楽制作でやっているように誰か気づける人がいるかなと思ってそっと取り入れているのもあるのかもしれません。とりあえず発見できた限りのものを紹介しておきます。

まずは冒頭の8ミリでとらえられたこのカット。線路脇から電車がやってくるのをとらえています。

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『東京物語』を見慣れた人間にとっては、いきなり、おっとなります。『東京物語』のラストシーンで尾道から東京に戻る原節子を乗せた汽車が尾道を離れていくこのシーンと対照になってるんですね。大瀧さんに言わせればシンメトリック。背後に映ってる山は同じです。

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ウィキペディアによると『転校生』のあのシーンを撮ったのは大林さんではなく当時17歳だった娘さんの千茱萸さんとのこと。彼女にフィルムを渡して「尾道の風景を撮って来て」と撮影に行かせたものだそうです。彼女が撮ったたくさんの尾道の風景の中から大林さんがこれはと思うものを選んだはずで、電車がやってくるシーンを選んだときには『東京物語』のラストシーンのことを考えないはずはなかっただろうと思います。


映画を観ていて一番驚いたのは、一美の祖母の法事が行われたこのお寺が映ったとき。

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なんと場所があの福善寺。

そう、『東京物語』で東山千栄子の葬儀が行われたのと同じ寺。一美の祖母の墓もこのお寺の背後の墓地にあるんですね。「とみ」と、そして「しょうじ」の墓の近くに眠らせていたとは。

ちなみに『転校生』の一美の祖母の墓は本堂のすぐ側の場所。

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『東京物語』に映るこのカットの赤丸をしたあたりに一美の祖母の墓があることになっています。

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これは『東京物語』の別のカット。このカットの手前に映っている墓の近くということになります。

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これは世田谷ピンポンズさんのライブの日に撮った写真。左端に『東京物語』に映っている墓が並んでいます。で、一美の祖母の墓は赤の矢印をしたあたり。

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通りが一つ違っていますが、撮影したカメラマンが立った位置はたぶん墓一つ挟んでいるくらいの場所。もしかしたら同じ場所なのかもしれない。

大林さんはきっと小津がこのあたりでロケをしていたのを見てたんでしょうね。


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by hinaseno | 2018-02-17 12:53 | 映画 | Comments(0)

小津安二郎の『東京物語』が公開されたのは1953年(昭和28年)11月。そして大林宣彦の『転校生』が公開されたのは1982年(昭和57年)4月。

『転校生』が公開された1982年の4月といえば、まさにこの頃にレンタル・レコード屋ができ始めて、その店の1つで「大滝詠一」と書かれた仕切りの札を見つけて、出たばかりの『NIAGARA TRIANGLE Vol.2』を借りた頃。で、おそらく5月のゴールデンウィークくらいに大学のゼミの旅行で尾道に行ったんですね。きっかけはたぶん『転校生』だったはず。僕は映画を観てなかったけど尾道に行ったかなりの人が映画を観ていたようで、街を歩きながら「この坂は『転校生』に映っていた場所だ」とか話しているのを聞いていました(今から考えるとちょっとあやしいけど)。

ちなみに僕が尾道に行ったのはそのときがたぶん2度目。その2年前くらいに友人2人と尾道の”塔”めぐりをしていました。浄土寺、西国寺、天寧寺。

『転校生』はテレビで放送されたのを観たけど、ふ~んっという感じ。天寧寺の三重塔は映ったけど一番好きな浄土寺の多宝塔が映らなかったことに不満を持ったような気がします。『東京物語』を初めて観たときには、なにはともあれ浄土寺の多宝塔が映ったことに興奮しました。


ところで前回紹介した『大林宣彦のa movie book尾道』(2001年発行)、図書館で借りてきましたが、期待していたほどのことは書かれていませんでした。とりわけ気になっているのはあの男の子と女の子が入れ替わるシーンが撮られた御袖天満宮のこと。

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大林さんが『転校生』の最も重要なシーンの撮影場所として御袖天満宮を選んだ理由が一番知りたいことなんですが、残念ながらこの本で確認することはできませんでした。何かで語られているんでしょうか。

結局この本で大林さんが『東京物語』について語っていたのは1つだけでした。大林宣彦公認ファンクラブであるOBsクラブの質問に答えたもの。こんな質問です。


昭和二十八年八月にあの小津安二郎が『東京物語』を尾道で撮影していたとき、監督は何をしていましたか? もしかして撮影現場を見ていたのでしょうか? また監督は小津映画に関してどういう意見を持っておられますか?

これに対する大林さんの答え。


『東京物語』の撮影現場にいました。小津安二郎監督とその映画とは、ぼくにとって最も尊敬する映画作家であり、映画のひとつです。『東京物語』が尾道で撮影されたことは、ぼくの古里自慢、映画人としての大いなる誇りです。

小津安二郎が『東京物語』を撮影したとき大林さんは15歳。たぶん高1のはず。映画好きだった大林少年であれば小津が尾道でロケした8月14日から19日の6日間、夏休みということもあって、きっとロケの様子をずっと見て回っていたんじゃないかと思います。


気になるのはそのふた月前の6月に小津たちがロケハンに来たときに大林さんはどうしていたかということ。もっといえば結局は映画では使わなかったけれど、6月30日に小津たちが御袖天満宮でロケハンをしていたことを大林さんは知っていたのかなと。

改めて考えてみれば、『東京人』の1997年9月号に掲載された1953年6月から7月にかけての厚田さんの「撮影日程表」の6月30日のところに記載された「天満宮」がいったいどこにあるんだろうと調べていて、その前後にかなり乱雑な字で書かれている「練瓦坂」「福善寺」という言葉を手がかりに御袖天満宮をつきとめたら、そこがまさに『転校生』のあのシーンが撮られた場所だと知ってびっくりしたわけですね。

この日のブログで書いているように、小津はこのシーンを撮影する場所の候補の一つとしてこの御袖天満宮をおそらく地元の人の案内で訪れたはず。

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でも、結局、御袖天満宮ではなく浄土寺の境内を使ったわけですが、小津が『東京物語』のあの神々しいラストシーンを撮影する候補として考えたはずの御袖天満宮の境内で、大林さんは『転校生』のラストシーンで女の子の体になってしまった男の子に立小便をさせているのがなんとも笑ってしまいました。


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by hinaseno | 2018-02-16 15:06 | 映画 | Comments(0)