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Talks About Music, Books, Cinema ... and Niagara


by hinaseno
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見ることのできなかった前半部分(対談していた場所はおそらく浦沢さんの仕事場)はさておき、後半は対談の舞台が変わります。場所はニューヨーク。佐野さんは『Someday』を発表した後、突然日本を離れてニューヨークに渡るのですが、僕も佐野さんのファンになったばかりのときだったので、当時ずいぶん驚きました。
でも、ニューヨークという街から佐野さんが体全体で受けとめていたものを、ラジオ(元春レディオショー)や雑誌(『THIS』)など、色んな形で発表してくれて、今になって考えてみると、その時期の佐野さんに最も影響を受けていたように思います。音楽ではなくて、言葉と写真(多くはモノクロ)に。
その時期に佐野さんが過ごしていた場所(元春レイディオショーでかけるためのレコードを買っていたレコードショップ、詞を書いていたカフェやセントラルパーク、あるいは佐野さんもポエトリーリーディングに参加したという教会、最後はかの有名なビッグピンク)を浦沢さんと訪ね歩きながら対談が行われます。いや興奮しました。これが見れただけでも大満足でした。

で、番組を観終えた後、『THIS』や『ELECTRIC GARDEN』を取り出して、当時の写真を眺めていました。番組を録画できなかったので確認できませんが、例えば佐野さんと浦沢さんが話をしていたカフェのテーブルは、この写真の場所かなと思ったり。
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1984年発行の『THIS』(Volume 4)には大瀧さんのかなり長いコメントが載っています。最も興味深いのは「A面で恋をして」を録音していたときの話。有名(?)な”Oh, yeah!”事件ですね。大好きなエピソード。
「A面で恋をして」のときも、”Oh, yeah!”ってひとことだけでもうまくのっかるまで何度もやり直してたもの、ひとりで。関係者一同、みんなあきれ顔してたけどさ、もう気のすむまでやらせたよ。思いきりやれって(笑)。あの人は”Oh, yeah!”のやり方ひとつで他の部分が光もするし、かげりもするってことをよく知ってるんだ。だから、どの”Oh, yeah!”にするかっていうのは大きいんだね、彼にとって。スタジオのすみの方へ行って何度も練習していたもの、”Oh, yeah! Oh, yeah!”って。まいったね(笑)。

気のすむまで思いっきりやれっていう理解者がいたっていうのは佐野さんにとっても幸せなことだったでしょうね。

大瀧さんは佐野さんがニューヨークで生活することによってサウンドが大きく変わることを予測しています。
精神とかはそんなに極端に変わらないだろうけど、サウンドの好みはきっと変わる。今よりもわりとあったかめにするか、またはソリッドにするか。それは大きな意味を持ってると思うよ。あの人の音作りにとって。次のアルバムに針を落とした瞬間、ドアタマでどんな音が飛びだしてくるか、そこがいちばんの興味だね。

で、発表されたのが『VISITORS』。僕が初めて発売当日に買った佐野さんのアルバム。浦沢さんも発売当日に買われたとのこと。
そのアルバムに針を落とした瞬間、つまり1曲目の「Complication Shakedown」の最初の音が飛びだしてきたときの驚きといったらなかったですね。戸惑いに近い驚きでしたが。もちろん浦沢さんも、多くの佐野さんファンも驚き、戸惑われただろうと思います。でも、それがまさに1980年代初頭のニューヨークの空気。
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by hinaseno | 2014-04-08 11:42 | 雑記 | Comments(0)

番組の見れなかった前半部分、そこでおそらく佐野さんの漫画好きなこと、漫画家になりたかったことが語られていたんでしょうね。

佐野さんの漫画といえば、すぐに思い浮かぶエピソードがあります。
それは1982年3月のこと。場所はハワイから戻る飛行機の中。
隣に座っていたのは杉真理さん、そしていうまでもなく大瀧さん。ナイアガラ・トライアングルVol.2が完成して、そのプロモーションもかねてハワイに行かれたんですね。飛行機嫌いの大瀧さんは嫌がったかもしれませんが。
その帰りの機内で佐野さんは持っていた何枚かの紙に漫画を描き始めます。イラストではなくて漫画。ちゃんと吹き出しも付いていて、きっとストーリーもあったんでしょうね。
それを見ていた大瀧さんはその漫画を気に入ったようで、で、どうしたかというと。

佐野さんに向かってこう言います。
「その漫画の版権を譲って欲しい」

冗談なのか本気なのかわからなくて、当然佐野さんはびっくり。でも、大瀧さんは本気(大瀧さんの本気には冗談も含まれているんでしょうけどね)。
で、その絵をナイアガラの帰属にするということで、10枚を1万円で購入することで話をまとめます。2人でニッコリと微笑んで握手しているところを写真に収めて契約完了。

このエピソードについての大瀧さんのコメント。
ハワイの飛行機の中で彼のイラストを何枚か見て気に入ったんだけど、ちょっと少女漫画風でね。吹き出しの所にコメントが入ってるんだけど、そこに彼の面白さが表れてたね。佐野って真面目な人間だって思われてるけど、今、真面目と不真面目っていうのをすぐ対比させてとらえる傾向があると思うのね。で、そういう意味で両面を持っていると思う。         
                         (『MUSIC STEADY』 1985年3月号より)

ちなみにこれは1985年発売の『ELECTRIC GARDEN』に収められた本の中に収められた、佐野さん自身を描いたイラスト。指が6本?
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佐野さんがさらっと描いたイラストは、どこかジョン・レノンが描いていたものに似ているような気がします。
でも、きっと大瀧さんが佐野さんから買ったのは、もっと細かく描き込んだものだったんでしょうね。
その漫画、どこかで公になっているのかな。
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by hinaseno | 2014-04-07 08:17 | 雑記 | Comments(0)

昨夜、風呂上がりにテレビをつけたら佐野元春さんが出ていてびっくり。
だれかとの対談。
もちろんその対談相手はすぐにわかりました。漫画家の浦沢直樹さん。びっくり、びっくり。

「SWITCHインタビュー 達人達」という番組。この番組、以前、内田樹先生と能楽師の観世清和さんの対談があったときに一度見たもの(素晴らしい内容で録画して何度か見ました。内田先生の家の内部が見れて感動)。
その後も、この番組を何かの機会にちらっと見たような気がしますが、佐野さんと浦沢さんが対談されているのを見て心ときめきました。ただし、10時から始まった番組は、すでに半分近く経過。嬉しい気持ちと悔しい気持ちを抱えたまま番組を見ました。

佐野さんのことについてはこのブログ的には説明はいらないと思うので浦沢直樹さんのことを。
実は浦沢さんの漫画にものすごくどっぷりとはまった時期がありました。
もともと漫画少年で、高校生くらいまでは漫画家になりたいなんて思って漫画を描き続けていて、もちろん漫画もたくさん読み、テレビアニメもたくさん見ていたのですが、大学生になった頃からぱったりと漫画を読むのをやめてしまいました。

たぶん20年くらい前のある日、テニス帰りにたまたま立ち寄った喫茶店で、めったに手にとらない週刊誌を手にとってみたら(『ビッグコミックスピリッツ』ですね)、そこにテニスをテーマにした漫画が載っていたので読んでみたら、いっぺんに引き込まれてしまいました。それが浦沢直樹さんの『Happy!』。
それから毎週その喫茶店に通っては『Happy!』を読むというのがひとつの習慣になりました。ただ、その喫茶店もあるときに閉店。というわけで、ときどき書店で単行本を立ち読み。その後出た完全版は買いました。
それからまた別のある日、ある年下の知人が、これ、きっと気に入ると思うよって紹介してくれた漫画がありました。それが例の『20世紀少年』。『ビッグコミックスピリッツ』で『Happy!』のあとに連載されたものですね。僕が読んだのはちょうど単行本の第1巻が出た頃。
これには衝撃を受けました。あまりにドツボの漫画だったので。
といいつつ、自分では買わずに借りて読んだり立ち読みしたり。でも、ある日、全巻、大人買いしました。
その後『PLUTO』も、何巻かは買って読んでいました。
というわけで、1995年くらいからの10年間は浦沢さんの漫画ばかり読むという日々が続いていました。

『20世紀少年』がなぜドツボだったかというと、そこに描かれていた少年の日々の記憶が、まさに僕が過ごしていたものとそっくりだったんですね。仲間といっしょに秘密基地を作ったり、宝物を埋めたり。
そしてもうひとつ、『20世紀少年』には「音楽」がありました。そう、浦沢さんは音楽、特にボブ・ディランが大好きなんですね。

10年くらい前、確か『プロフェッショナル 仕事の流儀』に浦沢さんが出られて、和久井光司さんといっしょにギターで曲を演奏しながら歌を歌っている姿を見てなるほどなと思ったものです(浦沢さんと和久井さんはときどきアゲインでライブをされているのを知ったときにもびっくりでした)。

昨日の番組の最初の方は見ていなかったのですが、どうやらミュージシャンになりたかった漫画家と、漫画家になりたかったミュージシャンの対談というのがひとつのテーマだったようですね。

ちょっと長くなってしまったので、この続きはまた明日にでも。

ところで、ジーン・ピットニーといえば村上春樹の『1973年のピンボール』につながっているのですが、ボブ・ディランというと『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』を思い浮かべます。
レンタカー会社の女の子がディランの声を「まるで小さな子が窓に立って雨ふりをじっと見つめているような声」と表現しているのが好きです。そんな素敵な表現ができるレンタカー会社の女の子ってどこかにいるんでしょうか。

というわけで今日は朝からディランを聴いています。一番好きなのは『Blonde On Blonde』に収められた「I Want You」という曲。
そういえば『Blonde On Blonde』の1曲目は「Rainy Day Women #12 & 35」。村上春樹の短篇に「雨の日の女 #241・#242」というのがありますね。
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by hinaseno | 2014-04-06 09:09 | 雑記 | Comments(0)

恋のハーフ・○○○


今日、4月5日はジーン・ピットニーの命日なので、もう少しだけジーン・ピットニーの話を。

最初に買ったジーン・ピットニーのレコードはRhinoから出ていた2枚組のベスト盤。おそらく1986〜87年頃。それを買ったときにはすでにジーン・ピットニーの曲のいくつかは知っていましたが、そのレコードで初めて聴いて大好きになって、しばらくはジーン・ピットニーの曲で一番好きであり続けたのが「Half Heaven - Half Heartache」。この曲はアメリカで大ヒットしたので、昨日の「Little Betty Falling Star」と違って、ジーン・ピットニーのベストには必ず入っています。



曲もジーン・ピットニーの歌い方も、明らかにロイ・オービソンの「Crying」を意識して作られている”大作”といっていい曲ですね。ジーン・ピットニーも自慢の声を張り上げています。
こういう大サビのある曲が以前は好きだったのですが、だんだんと”小品”好みになってきている今からすれば、ちょっと気恥ずかしい感じもします。でも、本当にいい曲。

曲を書いたのはGeorge GoehringとWally GoldとAaron Schroederの3人。どういう役割分担だったんでしょうか。Aaron Schroederはジーン・ピットニーのマネージャーで、例の「Rubber Ball」をジーン・ピットニーと共作した人。Wally Goldとのコンビでエルヴィスの「It's Now Or Never」や「Good Luck Charm」などの曲を書いています。Wally Goldはレスリー・ゴーアの「It’s My Party」の作者のひとり。George Goehringはコニー・フランシスの「カラーに口紅」の作者のひとり。

「Half Heaven - Half Heartache」は、もちろん「ゴー!ゴー!ナイアガラ」のジーン・ピットニー特集のときにかかっています。第1回目の特集ですね。
曲をかけたあと、ちょっと興味深い話が。
どうやら日本のある音楽番組で、この曲の邦題を一般から公募したらしいんですね。で、決まったのが、なんと「恋の1/2」。こんな邦題があったなんて全然知りませんでした。

それにしても、いくら”half”があるからといって「1/2」はすごいですね。直訳すれば「半分天国、半分心痛」。恋をすれば、天国的な気分になる反面、同じくらいに心の苦しみもあるということなんでしょうけど。

じゃあ僕だったらどんな邦題にするんだろうかと、ちょっと考えてみました。
「恋の」というのは60年代っぽいのでそれは付けておいて、”half”を「半分」と訳すのはダサいので「ハーフ」のままにして考えたのが「恋のハーフ・○○○」。
あとは「○○○」に入れる言葉を、と考えていたら、すぐに浮んだのが太田裕美さんの「恋のハーフ・ムーン」。もちろん大瀧さんが作った曲。作詞は松本隆さんですが、イメージ的にはピッタリ。

でも、それではと考え直して、最近、浅田真央ちゃんがよく使っている言葉をいただいて、今の時代にも使えそうなタイトルとして考えたのが「恋のハーフ・ハーフ」。「恋の」ではなく「恋は」でもいいのですが。
あっ、結局「恋の1/2」と、あまり変わらないですね。
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by hinaseno | 2014-04-05 10:34 | 音楽 | Comments(0)

Little Betty Falling Star


さて、昨日少し触れた、ジーン・ピットニーの「Little Betty Falling Star」の話。
ところで、明日4月5日はジーン・ピットニーの命日だったんですね。どれくらいの人がジーン・ピットニーのことに触れてくれるんでしょうか。

ジーン・ピットニーはバカラックの曲をいくつも歌っていて、大ヒットしている曲も多いのですが、「Little Betty Falling Star」はアルバムの中の1曲。ジーン・ピットニーの歌ったバカラック作品としては”小品”と言ってもいいですね。



曲も地味といえば地味。というわけで、「Little Betty Falling Star」はジーン・ピットニーのかなりの曲数を収録したベストにも入っていません。同じように、バカラックの作品集に収められることも少ない。僕は10年ほど前にオーストラリアのRavenというレーベルから出た『The Rare Bacharach』というCDで初めてこの曲を知りました。でも、当時は地味なこの曲はあまり僕の心に響くことはありませんでした。

というわけなので、「ゴー!ゴー!ナイアガラ」のジーン・ピットニー特集でこの曲がかかったときはちょっとびっくり。というよりも、こんないい曲があったのかと思って調べたら、僕のiTunesにあったんですね。ほとんど聴いていませんでした。で、「ゴー!ゴー!ナイアガラ」を聴いて以来「Little Betty Falling Star」は僕の愛聴曲になっています。
ジーン・ピットニーはとても歌唱力があるので、それを活かした(声を張り上げるサビがあるような)大作が多いのですが、大瀧さんは明らかに”小品”好み。

興味深かったのは、大瀧さんがこの曲に何度も使われている”バ・バ・バ・バン”というギターのフレーズがリンダ・スコットの「I've Told Ev'ry Little Star」に使われているのと同じだという指摘をされていること。



ギターの音の響きも同じですね。
「I've Told Ev'ry Little Star」がヒットしたのが1961年。「Little Betty Falling Star」は1963年のアルバムに収められているので、「星」つながりということで、バカラックがいただいたんでしょうね。ギターの響きが何となくアル・カイオラではないかと思ったりもしています。

というわけで、50年前に作られたジーン・ピットニーの「Little Betty Falling Star」という地味な曲を「ゴー!ゴー!ナイアガラ」をきっかけに好きになり、さらにそれがリンダ・スコットの「I've Told Ev'ry Little Star」とペリー・コモの「Catch A Falling Star」につながっていく。
「ゴー!ゴー!ナイアガラ」という番組の奥の深さを感じます。
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by hinaseno | 2014-04-04 10:24 | 音楽 | Comments(0)

今朝、ずっと聴いているのはペリー・コモの「Catch A Falling Star」という曲。



曲を作ったのはバカラック...、ではなかったんですね。

実は今日はジーン・ピットニーの「Little Betty Falling Star」という曲のことについて書こうかと思っていました。でも、予定変更。

ジーン・ピットニーの「Little Betty Falling Star」という曲を書いたのはバカラック。詞を書いたのはハル・デイヴィッドではなくて、ボブ・ヒリアード。
この曲、「ゴー・ゴー・ナイアガラ」の2度目のジーン・ピットニー特集でかかっています。
「ゴー・ゴー・ナイアガラ」で、最も多く聴き返していた日のものですが、「Little Betty Falling Star」をかけた後の大瀧さんのコメントに耳を留めてしまいました。
バカラックには他には”Catch a falling star an’ put it in your pocket, Never let it fade away...”ハモっちゃったな。「Catch A Falling Star」というペリー・コモのヒット曲もありますけどもね。

"Catch a falling star an’ put it in your pocket, Never let it fade away"
の部分はメロディを口ずさんでいます。

ペリー・コモの「Catch A Falling Star」は大ヒットした曲のようですが僕は知りませんでした。しかもそれがバカラックの曲だということも。僕のiTunesの「バカラック・ソングブック」というプレイリストにも入っていない。

調べてみたら曲を書いたのはバカラックではありませんでした。Lee Pockriss作詞、Paul Vance作曲。
このコンビ、有名なところではブライアン・ハイランドの「ビキニスタイルのお嬢さん」を書いています。この曲ですね。



大瀧さん、間違っていました。で、もう少し確認してみると、この「Catch A Falling Star」は僕のよく知っている「Magic Moment」のB面。「Magic Moment」はもちろんバカラックの曲。勘違いの原因はここにあったんでしょうね。

そんな勘違いはさておき、大瀧さん、ペリー・コモの曲を昔からよく聴いているんですね。「ゴー・ゴー・ナイアガラ」ではペリー・コモの曲を一度もかけていませんが、でも、ジャック・ケラー特集ではかなりマイナーであるはずの「Beats There A Heart So True」という曲を紹介したりと。

新春放談でもペリー・コモのことを語られていたことがありました。ペリー・コモの歌のうまさを絶賛されていましたね。どちらかといえばポピュラー歌手のひとりとして気にも留めていなかったペリー・コモをその頃から意識するようになりました。

というわけで、結果的にはまたひとつ、大瀧さんを通じてペリー・コモの曲を知ることになりました。
曲も、そして詞もとっても素敵で、僕好みの曲です。

歌詞の中に何度も出てくる” A Pocketful of Starlight”という言葉がいいですね。
曲のタイトルや歌詞の中に“Pocketful”という言葉が出てくると反応してしまいます。エルヴィスやジミー・ウェッブの曲にもありますね。
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by hinaseno | 2014-04-03 10:11 | 音楽 | Comments(0)

『象工場のハッピーエンド』に収められた「ジョン・アプダイクを読むための最良の場所」は何度読んだかわからないくらいに好きなエッセイ。その書き出しの部分はほぼ完全に記憶しています。
春が来るとジョン・アプダイクを思い出す。ジョン・アプダイクを読むと1968年の春を思い出す。我々の頭の中には幾つかのそのような連鎖が存在する。ほんのちょっとしたことなのだけど、我々の人生や世界観はそのような「ほんのちょっとしたこと」で支えられているんじゃないか、という気がする。

この文章の影響でジョン・アプダイクの小説をいくつも読みました。でも、僕の場合はこうなります。
春が来るとバート・バカラックを思い出す。バート・バカラックを聴くと1990年代の春を思い出す。我々の頭の中には幾つかのそのような連鎖が存在する。ほんのちょっとしたことなのだけど、我々の人生や世界観はそのような「ほんのちょっとしたこと」で支えられているんじゃないか、という気がする。

というわけで、昨日からずっと聴いているのはバート・バカラックの「Not Goin' Home Anymore」。インストルメンタルの、どこか懐かしさを感じさせる素敵な小品です。



この曲にはハル・デイヴィッドが詞を付けたものもあります。タイトルは「Where There's A Heartache (There Must Be A Heart)」。僕はアストラッド・ジルベルトの歌っているものが好きです。



そんなバカラックの曲を聴きながら今朝から考えていたのはタモリさんのこと。

ここ数日はタモリさんでしたね。32年間も続いた『笑っていいとも』が終わったという。
その「笑っていいとも」が始まる前年の1981年に、タモリさんに関わる大事なプロジェクトが進められていたんですね。大瀧さんプロデュースによるタモリさんのアルバムが制作されていたという。『A LONG VACATION』完成直後のこと。でも、タモリさんも、そして大瀧さんも、それぞれに急激に忙しくなってプロジェクトは中断。
数曲は作られていたようですが未発表のまま。大瀧さんがタモリさんとどんな楽曲を生み出していたのか、ものすごく気になります。作品として形になっているかどうかはわかりませんが、1曲でもいいから発表してもらえたらと思っています。

それとは別に、大瀧さんは『タモリ倶楽部』をよく見ていたようで、大瀧さんが新たな関心の対象に向かうときに、同じ年回りのタモリさんも同じようなことをやってるなと、新春放談で何度か語られていました。
「街歩き」もまさにそうですね。タモリさんの坂好きは有名。日本坂道学会の副会長もされています。

『東京人』の2007年4月号には「タモリの東京坂道ベスト12」というのが載っています。タモリさんが選んだ坂は、青木坂(広尾)、狸穴坂(麻布)、綱坂(三田)、道源寺坂(六本木)、鼠坂(音羽)、湯立坂(小石川)、胸突坂(目白台)、鮫河橋坂(四谷)、なべころ坂(中目黒)、相ノ坂(青葉台)、名もなき美坂(白金)、桜坂(田園調布)。
「名もなき美坂」は、どうやらタモリさんの命名のようです。写真を見る限り僕が行ってみたいのは昭和の匂いがする狸穴坂(「まみあなざか」と読むんですね)です。今調べたらサザンの曲にも出てくるようです。

いずれにしても『ブラタモリ』の復活を願っています。
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by hinaseno | 2014-04-02 08:45 | 雑記 | Comments(0)

『象工場のハッピーエンド』についてもう少し。
僕は3種類の『象工場のハッピーエンド』を持っています。

まずは1983年にCBSソニー出版から出たもの。1980年代初頭のCBSソニーというと、やはり大瀧さんや松田聖子につながります。この頃、CBSソニーはいろんな新しい試みをやってたんですね。この時期にCBSソニーによって生み出されたものに僕は多大な影響を受けているんですね。ちなみに、このCBSソニーの『象工場のハッピーエンド』を手に入れたのは数年前のこと。
次に1986年に新潮文庫から出たもの。僕が最初に買って、ことあるごとに手にとっていたのはこれですね。僕の持っているのは第3刷。1988年。たぶんこの年の夏くらいに『ノルウェイの森』を初めて読んで、すぐに文庫本で出ていたものを全部買い集めたんだと思います。
1988年というと、ブライアン・ウィルソンが初のソロ・アルバムを出した年でもあります。
それから1999年に講談社から新版の『象工場のハッピーエンド』が出ていますね。

昨日この3冊を並べてみて初めて気づいたのですが、安西水丸さんのイラストって本によってかなり違っていたんですね。収められているページが違っていたり、あるいはこっちの本に収められているイラストが別の本には収められていなかったりとか。

安西水丸さんを特集した『イラストレーション』という雑誌の2011年3月号で、水丸さんが村上さんとの仕事で描いた絵をご自分で30位まで選んでいるのですが、その2位と3位が『象工場のハッピーエンド』に収められた絵でした。ちなみに1位は『ブルータス』の表紙になった村上さんの走っている姿を描いた絵。
僕が一番好きなのは以前に紹介したこの絵。ブライアン・ウィルソンのことを書いたエッセイに添えられたものですね。
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そんなことを考えつつ、『象工場のハッピーエンド』をぱらぱらと読んでいたら、ペーパーバックの話が出てきました。村上さんが初めて買ったペーパーバックはロス・マクドナルドの”My Name Is Archer”という短編集。17歳くらいの頃、ホレース・シルヴァーのレコードを聴きながら読んでいたとか。すごいですね。

ところで、しばらくバタバタしていて、朝、ゆっくりとコーヒーを飲む時間が持てなかったのですが、ようやくそれが持てるようになりました。
『象工場のハッピーエンド』にはコーヒーの話が出てきます。「ある種のコーヒーの飲み方について」というエッセイ。村上さんが書いているのはおそらくは神戸の風景のはず。
雨に日の海の近くのコーヒーショップ。店内に流れているのはウィンストン・ケリーのピアノ。村上さんの16歳のときの思い出。
最後にこんなことが書かれています。
時には人生はカップ1杯のコーヒーがもたらす暖かさの問題、とリチャード・ブローティガンがどこかに書いていた。コーヒーを扱った文章の中でも、僕はこれがいちばん気に入っている。

リチャード・ブローティガンという名前も、そしてウィンストン・ケリーというピアニストの名前もこの本で知りました。
村上さんが引用した言葉が収められているリチャード・ブローティガンの本は『芝生の復讐』。「コーヒー」というエッセイの中の言葉ですね。
藤本和子さんの訳はこうなっています。村上さんもきっと藤本さんの訳を読んでいたはず。
ときには人生は、ただコーヒー、それがどれほどのものであれ、一杯のコーヒーがもたらす親しさの問題だということもある。

藤本さんの訳の「親しさ」(原文では”intimacy”)が、村上さんの記憶では「暖かさ」となっているのが面白いですね。

ところで、僕は『象工場のハッピーエンド』の「ある種のコーヒーの飲み方について」の中の村上さんの次の言葉が、コーヒーを扱った文章の中でいちばん気に入っています。
僕が本当に気に入っていたのは、コーヒーの味そのものよりはコーヒーのある風景だったかもしれない。

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by hinaseno | 2014-04-01 10:43 | 文学 | Comments(0)