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by hinaseno
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カテゴリ:ナイアガラ( 338 )



アメリカン・ポップス伝パート4第5夜、ジャン&ディーンの「Baby Talk」をかけた後の大瀧さんのコメント。


「『Baby Talk』を発売したのはDoré(大瀧さんは「ドリ」と発音していましたね) レコード。ここからはジャン&ディーンが来る前に特大のヒットが出ておりました」


ここで、かかったのがフィル・スペクターがいたテディ・べアーズの「To Know Him Is To Love Him」。大瀧さんから語られるのはつながりの話ばかりです。


このテディ・ベアーズがDoréから出した2枚目のシングルが先日紹介した「Wonderful Loveable You」。同じ月にルー・アドラーとハーブ・アルパートがプロデュースしたジャン&ディーンの「Baby Talk」が出ていたということになります。


さて、大瀧さんはそのあとハイ・スクールつながりの話をするんですがこれがすごい。テディ・べアーズが通っていたのはLAにあるフェアファックス・ハイスクール。で、スペクターの先輩がジェリー・リーバー、ルー・アドラー、ハーブ・アルパート。後輩がラス・タイトルマン、スティーヴ・ダグラス、さらにP.F.スローンとスティーヴ・バリ。


ところで今回の話の中心人物であるルー・アドラーとハーブ・アルパート。ハーブ・アルパートについてはA&Mを設立してからのことはそこそこ知っているし、レコードやCDも何枚か持っています。一方のルー・アドラーについたはキャロル・キングがシンガー・ソングライターとしてデビューするきっかけを与えた人くらいしか認識していなかったんですが、いろいろやってたんですね。

今回、彼について調べるために、買おうと思いながら買っていなかったこのAceから2014年に出ていたCDを手に入れてみたら知らなかったことがいくつも。

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まずはジャン&ディーンのこの「Honolulu Lulu」という曲。この曲大好きです。




1963年に出たジャン&ディーンの全米ナンバー1の大ヒット曲「Surf City」のB面だった曲。この時期にはハーブ・アルパートもルー・アドラーも彼らのプロデュースからは離れていたんですが、この曲を書いていた一人がルー・アドラーだったんですね。ちなみにレコード盤の作曲者のクレジットには「Berry-Christian-Spunky」と記載。この最後のSpunkyというのがルー・アドラーだったようで、AceのCDには「Lou Adler, Jan Berry, Roger Christian」と記載されています。

で、このCDに収録されている曲で何よりも驚いたのがこのエヴァリー・ブラザーズの「Crying In The Rain」。




この曲のプロデューサーはなんとルー・アドラーだったんですね。レコード盤のクレジットにはプロデューサー名が記載されていないし、かなり細かいところまで調べてブックレットに載せているBear Familyのボックスにもプロデューサー名はNo Creditでしたが。

Aceの解説を読むとルイー・アドラーは「Crying In The Rain」の他に「No One Can Make My Sunshine Smile」「Don't Ask Me To Be Friends」そして「How Can I Meet Her?」もエヴァリー・ブラザーズと一緒にやったとのこと。この3曲、いずれもジャック・ケラーの曲なんですね。どうやらエヴァリー・ブラザーズにキャロル・キングやジャック・ケラーの曲を歌わせたのはルー・アドラーだったようです。彼はスナッフ・ギャレットのやり方を真似ていたんですね。

これはルー・アドラーとエヴァリー・ブラザーズの写真。隣にはエンジニアをしていたボーンズ・ハウも。

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もう一つ、ルー・アドラーでびっくりしたこと。彼が結婚したのが1964年の6月なんですが、その相手がなんとシェリー・フェブレー。これには腰が抜けるくらいびっくり。

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きっかけはなんだろうと調べたら、彼女のコルピックスでの最後のシングル「Football Seasons Over」の両面の曲のSupervisorとしてルー・アドラーの名前が書かれていました(プロデューサーはデヴィッド・ゲイツ)。

こちらはそのB面の「He Don't Love Me」のレーベル。

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作曲者の名前にジャン&ディーンのジャン・ベリーの名前があるというのはやはりルー・アドラーつながりなんでしょうね。


ところで2人が結婚したときルー・アドラーは31歳、シェリー・フェブレーは20歳。

そういえばシェリー・フェブレーの「He Don't Love Me」といえばそれを下敷きにして作ったのが大瀧さんが松田聖子に書いたこの「冬の妖精」。これも大好きな曲。




考えたら大瀧さんが松田聖子をプロデュース、いやクレジット通りに言えばスーパーヴァイズしたとき大瀧さんは33歳。松田聖子は20歳。つまり大瀧さんが松田聖子と結婚したようなものですね。もちろん大瀧さんはすでに結婚して子供もいたんだけど。

ってことで最後はワンダフルでもなんでもないつながりで終わります。ちなみにルー・アドラーとシェリー・フェブレーは2年ほどで離婚したようです。だからどうした、ですが。


シェリー・フェブレーは結婚した後でコルピックスを離れてレコードを出しているんですが、そのプロデューサーはもちろんルー・アドラー。で、曲を書いたのはルー・アドラーのもとでコンビを組んだP.F.スローンとスティーヴ・バリ。




by hinaseno | 2019-01-13 15:21 | ナイアガラ | Comments(0)

エルヴィス・プレスリーといえば、この前の日曜日に放送された「大瀧詠一『ゴー・ゴー・ナイアガラ』ベストセレクション」の3回目は「My Elvis」と題されたエルヴィス特集。大瀧さんの好きなエルヴィスの曲が次から次へと全部で22曲もかかるんですが(初めて聴いた時は知らない曲だらけだった)、その1曲目にかかるのが「Rip It Up」。邦題は「陽気に行こうぜ」。

この曲、「幸せな結末」に向けた例のリハビリ・セッションで大瀧さんが歌っていたものですね。もしも1998年にナイアガラ・トライアングルVol.3が出ていれば収録されていたかもしれません。

ところでナビゲーターの宮治淳一さんとゲストの萩原健太さんの話で気がついたんですが、曲の合間のコメントで大瀧さん、何度もエルヴィスの曲を口ずさんでいるんですね。ほんのワンフレーズくらいですが、それがとってもいいんです。そこだけ取り出した音源を作ろうかと思ったくらい。


それはさておき、今回のradikoから録った音源、なんとまたまた不具合が生じていました。今回は無音。まあ、無音の方が一時的に回線が途切れたのかもしれないと推測できて、前回の時ほどの気持ちの悪さはありませんでしたが、でも、不思議なのはこれまでかなりの番組をradikoから聞いたり録音したりしているのに、不具合が生じるのは大瀧さんの番組のときだけ。これ、きちんとリアルタイムで聞けってことなんでしょうねぇ。radikoのタイムフリーで聞くっていうのはやっぱりどこかうしろめたさがあります。まあ、もしアメリカン・ポップス伝パート5が放送されるのならば、絶対にradikoのタイムフリーなんか使わないけど。


さて、話はリアルタイムで聴いた(当時radikoなんてなかったけど)アメリカン・ポップス伝パート4の第2夜。放送されたのは2013年8月14日。この日の特集は50年代のウェストコースト事情で、その最後にサム・クックの話が出てきたんですね。まず最初にゴスペル・グループのThe Soul Stirrersの曲が2曲かかります。The Soul Stirrersはかなり古い頃から活動しているんですが、かかるのはThe Soul StirrersがR&B専門レーベルSpecialtyと契約した後の2曲。その2曲目にかかった曲のタイトルが、なんと「Wonderful」。グループで新たにリード・ボーカルになったのがサム・クック。リリースは1955年。




これはゴスペル・ソングなんですが、この曲を原型にしてポップ調の曲をつくってサム・クックが歌ったのがこの「Lovable」。1957年リリース。




これ、続けて聴いたら笑っちゃいますね。「Wonderful」も「Lovable」も似た発音の単語なので、曲の歌い出しは全く同じって感じです。

それにしても「Lovable」の前に元歌があったのには驚きでした。しかもそのタイトルがサム・クックには縁の深い言葉である「Wonderful」とは。


ところで話が少しそれますが、フィル・スペクターがいたテディ・ベアーズの曲に「Wonderful Loveable You」という曲があるんですね。「Loveable」は「Lovable」の別表記。




曲を書いたのはフィル・スペクター。曲はサム・クックの歌った「Wonderful」とも「Lovable」とも似てませんが、タイトルに「Wonderful」と「Lovable」を並べるなんて、なんか匂いますね。

ちなみにテディ・ベアーズのが「Wonderful Loveable You」をリリースしたのは1959年5月。レーベルはDoré。実はそのDoréから同じ1959年5月に別の興味深い曲がリリースされているんですが、それはまた次回に。


さて、話はアメリカン・ポップス伝に戻ります。サム・クックが所属していたレコード会社Specialtyの社長はサム・クックが「Lovable」のようなポップ調の曲を歌うのを好まなかったということで、なんとサム・クックと「Lovable」をプロデュースしたバンプス・ブラックウェルを解雇しちゃうんですね。ただ、そのSpecialtyで57年6月に行われた最後のセッションの音源が彼らに手渡されたので、それをできたばかりのレコード会社Keenレコードからリリース。それが超ビッグヒットとなった「You Send Me」。

このあたり、曲の運命ってわかならいものですね。


このKeenレコードにいたのがルー・アドラーとハーブ・アルパートのコンビ。彼らは自分たちのレコードを出す一方で他のアーティストに曲を提供したりプロデュースをしたりしてたんですね。で、Keenレコードにやってきたサム・クックをプロデュースするようになる。ということでこの3人のコンビによる曲が立て続けにかかります。「Everybody Likes To Cha Cha Cha」「Only Sixteen」そして「(What A) Wonderful World」。

この曲のあとサム・クックはRCAレコードに移ってルー・アドラーとハーブ・アルパートのコンビはなくなります。


この日の放送の最後はこんな言葉で締めくくられます。


ウェスト・コーストのシーンでは50年代(初期)はジョニー・オーティス、中期がリーバー=ストーラー、そして50年代後半にはルー・アドラーとハーブ・アルパート。彼らがウェスト・コースト・サウンドを支えたプロデューサーでした。このあとにも続々登場しますが、それはまた次の機会にお話ししたいと思います。それではまた明晩。


だれもがその「続々」を期待していて、どきどきわくわくしていたら、明晩はなんとフォークだったんですね。

それはさておき、なんとなく聴き流してしまっていたルー・アドラーとハーブ・アルパートのコンビのこと。いろいろと調べました。彼らは「(What A) Wonderful World」のほかに、もう一曲、サム・クックに曲を書いていたんですね。それがこの「All Of My Life」という曲なんですが、これがすばらしくいいんですね。年末はずっとこの曲を聴いていて、この曲とともに年が暮れていきました。




by hinaseno | 2019-01-10 16:42 | ナイアガラ | Comments(0)

1995年に出たSOLOというグループのアルバム、SOLOには「(What A) Wonderful World」の他にサム・クックの曲のカバーが4曲収録されていました。「Everybody Loves To Cha Cha Cha」「Cupid」「Another Saturday Night」そして「A Change Is Gonna Come」。この5曲と他のアーティストの何曲かのカバーがジャム&ルイスの曲と交互に収録されてるんですね。華麗なジャム&ルイス・サウンドで歌われる曲と基本的にアカペラで歌われるサム・クックのカバー。僕はもちろんサム・クックのカバーの方を愛していました。


さて、1995年といえば大瀧さんは、ってことですが、以前に「1995年の大瀧詠一」という長い話を書いていますね。中心にあったのは「ちびまる子ちゃん」の主題歌である渡辺満里奈さんの「うれしい予感」にまつわる話。

その話の最初にも書いていますが、1995年は僕が夢前川と出会った年でもありました。もちろんその前から何度も夢前川を車で渡ってはいましたが、その流域の風景に惹かれ、上流から下流にかけてあちこちに行くようになることになったのが1995年。ということなので渡辺満里奈さんの「うれしい予感」や翌年に出たアルバム『Ring-a-Bell』、そしてSOLOのアルバムを聴くと夢前川周辺の風景を思い出してしまいます(渡辺満里奈さんがのちに夢前川の流域の町の出身の人と結婚したのはびっくりでした)。


それはさておき、大瀧さんがその渡辺満里奈プロジェクトを進めている頃に急接近したのがウルフルズというグループでした。もちろん大瀧さんと縁があったから。伊藤銀次さんがプロデュースして、大瀧さんの曲をカバーしていたんですね。ってことで大瀧さんは彼らとのナイアガラ・トライアングルVol.3の構想を密かに進めていたことは確かだろうと考えています。でも、もう一人のアーティストが見つからなかったためだったか、結局は実現しなかったけど。

そのコラボレーションで唯一形となっているのは大瀧さんがプロデュースした渡辺満里奈さんの『Ring-a-Bell』の1曲目に収録された「金曜日のウソつき」という曲にウルフルズ がコーラスとして参加していること。

でも、絶対に何かいっしょにやっていたはず。そのあたりのこと来月2月9日にアゲインで行われる「銀次の部屋」で聞けるかもしれません。 ゲストがウルフルズの元ディレクターで、もともと大瀧さんの書生でもあった子安次郎さん、そして司会が大瀧さんの最初の弟子でウルフルズのプロデューサーでもあった伊藤銀次さんがトークをするわけなので、あの1995年当時のウルフルズ がらみの秘話をぜひ聞きたいです。


で、そのウルフルズ がなんとサム・クックの「(What A) Wonderful World」のカバーをやっていたことを昨日知りました。タイトルは「ワンダフルワールド」。




1番は英語詞をそのまま歌って、で、2番からトータス松本さんの書いた日本語詞で歌われるんですが、それが最高なんですね。オリジナルの「Don’t know much」が「どの街」になっているところがたまらないです。

ウルフルズの「ワンダフルワールド」は「かわいいひと」のカップリングで1997年10月に発売されていますが、その前にフジテレビで放送された「それが答えだ!」という主題歌で使われていたようです。そのドラマが終了したのが9月。で、曜日は違うけれど同じフジテレビで10月から始まったのがキムタク、松たか子主演のドラマ「ラブジェネレーション」。その主題歌となったのが大瀧さんの「幸せな結末」。「幸せな結末」は1997年11月に発売されています。いやぁ~興味深い時期です。

ナイアガラ・トライアングルVol.3構想がうまく進んでいれば、いちばん最初の予定では1988年3月21日発売予定だった『ナイアガラ・トライアングルVol.3』が10年遅れの1998年3月21日に発売されて、ウルフルズの「ワンダフルワールド」も収録されることになっていたかもしれません。さらに大瀧さんのエルヴィスのカバー曲も収録。あっ、エルヴィスのカバーといえば…。


by hinaseno | 2019-01-09 14:55 | ナイアガラ | Comments(0)

昨夜放送された「大瀧詠一『ゴー・ゴー・ナイアガラ』ベストセレクション」の2回目、記念すべき『ゴー・ゴー・ナイアガラ』の第1回目の「キャロル・キング特集①」、今朝、起きてすぐにradikoのタイムフリーで録音して聴きました(今回、録音はバッチリ)。でもでも…

冒頭、ナビゲーターの宮治淳一さんが「ノーカットで」と言われたので大いに期待して聴いたんですが、驚きのカットがされたものでした。宮治さんが最後にその説明をするかなと思ったけど、それもなし。気がつかれていないはずはないのだけれど。


改めて説明を。

大瀧さんは最初の放送で、キャロル・キング作品集の特集なのに間違ってジャック・ケラー作曲のエヴァリー・ブラザーズの「How Can I Meet Her」をかけたんですね。そのことは4週後に放送されたジャック・ケラー特集で言ってました。ジャック・ケラー特集のときに本当はエヴァリー・ブラザーズの「How Can I Meet Her」をかけたかったけど、キャロル・キング特集で間違ってかけてしまったので、かけるのをやめたと。

ところがそれを聴いて、改めてキャロル・キング特集を聴き返してみてもエヴァリー・ブラザーズの「How Can I Meet Her」はどこにもかかっていない。番組もきちんと60分で終わっていて、どこかで曲をカットしているようにも思えない。

ただ、よく聴いてみたらいくつか不自然なところがあるのに気づいたんですね。それはエヴァリー・ブラザーズの「Crying In The Rain」がかかったあと。キャロル・キング自身が歌う「Crying In The Rain」がかかる直前の大瀧さんの「キャロル・キング、『Crying In The Rain』」の声はそれまでとは声のトーンが全く違う。

で、曲がかかった後でエヴァリー・ブラザーズの紹介が始まるんですが、そこで「『Crying In The Rain』が6枚目で『How Can I Meet Her』が7枚目で、7枚目の『That's Old Fashioned』がA面でした」とコメント。エヴァリー・ブラザーズの「Crying In The Rain」に続けて「How Can I Meet Her」をかけていたことは間違いないんですね。

まあこれは僕がジャック・ケラーが好きで、ジャック・ケラー特集を何度も何度も聴いていたから気づきえたこと。


では、なぜキャロル・キング自身が歌った「Crying In The Rain」に差し替えられたものが存在し、それが今、僕や、多くの人が聴いているか。

それはある時期から『ゴー・ゴー・ナイアガラ』のカセットサービスというのを始めたのが大きな理由。大瀧さんは希望者に過去に放送したものも含めて放送を録音したテープを配るというサービスをされたんですね。テープ代以外はお金は一切取らない。このサービス精神ってすごいというか、当時としては画期的だったはず。権利とか、お金とか、いろんな面倒くさいことがからんで、今では絶対にできないことですね。

で、まあ、そのカセットサービスをする時に大瀧さんは間違えて収録したことに気がついたエヴァリー・ブラザーズの「How Can I Meet Her」をカットしてキャロル・キング自身が歌う「Crying In The Rain」を入れたものを作ったんでしょうね。たまたまどちらも時間が1:50だったというのも都合がよかった。少しでも長い曲だと60分のテープには収まらなくなるので。ついでにいえば『KAWADE夢ムック 大瀧詠一』に収められた『ゴー・ゴー・ナイアガラ』の曲目リストも、その作り直されたテープをもとにして作成されてるんですね。


さて、昨夜の放送ですが、エヴァリー・ブラザーズの「Crying In The Rain」がかかったあと、なんと曲がばっさりとカットされていたんですね。「How Can I Meet Her」もかからないし、カセットサービスのために差し替えられたはずのキャロル・キングの「Crying In The Rain」もかからない。

もちろん宮治さんが勝手に編集するはずはないので、昨夜の放送ではキャロル・キングの「Crying In The Rain」に差し替える前の、「How Can I Meet Her」をカットしたものが使われたようです。「How Can I Meet Her」をかけた正真正銘の第一回放送のものは残っていないのかもしれないですね。

残念だったな~。大好きなジャック・ケラー作曲の「How Can I Meet Her」が、間違いという形でもいいから『ゴー・ゴー・ナイアガラ』でかかるのが聴きたかった。

というわけで今年最後の曲はエヴァリー・ブラザーズの「How Can I Meet Her」を。大瀧さんも大好きな曲です。それでは来年もよろしく。




by hinaseno | 2018-12-31 12:44 | ナイアガラ | Comments(0)

別れのコラージュ


今日は大瀧さんの命日。5年かぁ…、ですね。

いくつもの素晴らしい作品を残してくれて、毎年ナイアガラ・デイには蔵出し音源が出続けることになるんでしょうけど、リアル・タイムで大瀧さんの声が聴けないというのはさびしいですね。最高の語り手でしたから。


さて、そんな大瀧さんの命日に合わせる形で、昨日、武蔵小山のアゲインで恒例のモメカルによる大瀧詠一トリビュート・ライブが行われたようです。石川さんがブログに書かれていたリストを見ておっと思ったのは「別れのコラージュ」という文字。でも、演奏されたのではなくて、石川さんのMCで触れられたのかな。


「別れのコラージュ」のことについてはこの日のブログに書いていますね。「スピーチ・バルーン」と同じ曲なんですが、まだタイトルが定まっていない時期にライブで披露されたバージョン。ここで聴けます。




「スピーチ・バルーン」と詞がちょっとだけ違うんですね。冒頭の「細い影」が「白い影」に。で、おそらく「白い影」つながりで、プロコル・ハルムの「青い影」(原題は「「A Whiter Shade Of Pale」)のアレンジが取り入れられている。


「別れのコラージュ」というタイトルで曲が披露されたのは1980年12月16日に行われたLET’S DEBUT AGAINというライブ。石川さんはこの日のライブに行かれていたはず。

そういえば来年のナイアガラ・デイに発売される『NIAGARA CONCERT ’83』のCD2にはLET’S DEBUT AGAINからの音源が7曲も収録されるみたいですね。だったらLET’S DEBUT AGAINの全曲を入れたアルバムを出せばいいじゃん、って感じ。まあ、『ロングバケーション』40周年のときにいろんなものをまとめてどっさり、ってなるのかもしれないけど。考えたらそれも3年後だ。

だったら『ロングバケーション』40周年盤に向けての希望を書いておこう。ライブ音源以上に聴きたいのはそれぞれの曲のデモ。それからヴォーカルだけを取り出したSTACK-O-VOCALS(例のビーチ・ボーイズの『Pet Sounds Sessions』に収められていたあれです)。とりわけ多重コーラスが聴ける「カナリア諸島にて」と「恋するカレン」のヴォーカル・オンリーのバージョンは聴いてみたいな。

ついでで言えば同じ1981年に出た松田聖子の『風立ちぬ』のA面(大瀧サイド)のデモと純カラも入れて欲しい。いくらなんでもその次の50周年まで待てる人はそんなにいないと思うので。

よろしく、です。


さあ、今夜は「大瀧詠一『ゴー・ゴー・ナイアガラ』ベストセレクション」の2回目。『ゴー・ゴー・ナイアガラ』の記念すべき”正真正銘の”第1回目の放送がオンエアーされるとのことなのですごく期待しています。ジャック・ケラー作曲のエヴァリー・ブラザーズの「How Can I Meet Her」がかかるんでしょうか。

でも、きちんと録音できるのかな。そういえば前回録音していたものには昨年のモメカルのライブでの石川さんのMCが入ってたんだ。原因はいまだに不明。


by hinaseno | 2018-12-30 16:21 | ナイアガラ | Comments(0)

↑というタイトルで、5年前の夏にリッキー・ネルソンの「Travelin' Man」にまつわる話をこの日から4回に分けて書きました。久しぶりに読んだら、自分で書いた話なのに「へえ~」って感じになります。村上春樹の『ダンス・ダンス・ダンス』につなげていたとは思わなかった。


この話の主役は「Travelin' Man」の曲を書いたジェリー・フラーということになりますが、でも、僕が最も惹かれたのはサム・クックのマネージャーが一度だけ聴いた「Travelin’ Man」のデモテープをたまたま隣の部屋で壁越しに聴いてその曲の魅力を理解し、曲をもう一度聴かせてほしいとマネージャーの部屋に訪ねて行き、結局、ゴミ箱に捨てられていたデモテープをもらったジョー・オズボーンのこと。当時ジョー・オズボーンはリッキー・ネルソンのバンドのベースを務めるようになったばかり。これは!って思ったでしょうね。ということで、ロカビリーから新しい方向に踏み出そうとしていたリッキー・ネルソンのもとに「Travelin’ Man」のデモテープが手渡されることになります。

このエピソード、たまらないですね。大瀧さんのアメリカン・ポップス伝がもう一回でも続いていれば、必ずこの話が出てきたはず。


1961年3月13日、ジミー・ハスケルのプロデュース/アレンジで「Travelin’ Man」が録音される。リードギターはもちろんジェームス・バートン。そしてベースがジョー・オズボーン。さらに後日、エルヴィスのバックコーラスで有名なジョーダネアーズがそれにコーラスを入れて完成。

「Travelin’ Man」は4月にリリースされて全米ナンバーワンの大ヒット。このあと同タイプの曲がつづけさまに作られます。「A Wonder Like You」「Young World」「Teenage Idol」「It's Up To You」そして「For Your Sweet Love」。1曲を除いて曲を書いたのはすべてジェリー・フラー(「Teenage Idol」だけはJack Lewisという人が曲を書いていますが、ジェリー・フラーの変名じゃないのかな?)。

これらの曲の全てベースを弾いていたのがジョー・オズボーン。このパターンの曲は彼のベースが奏でるリズムなくしては考えられない。


ちなみにこれは『The Adventures of Ozzie and Harriet』の中で歌われた「Travelin’ Man」。




右側でギターを弾いているジェームス・バートンがやっぱり目立っていますが、左でベースを弾いているのがジョー・オズボーン。


アメリカン・ポップスの歴史を考えたときに、「Travelin’ Man」という曲が(歌詞は本当にくだらないけど)いかに重要な曲だったかということは何度も何度も声を大にして語りたいところ。とりわけ大瀧さんのことを考えればこの曲がなければ『ロング・ヴァケーション』は絶対に生まれなかった。

『ロング・ヴァケーション』に向けて大瀧さんが作った「ロンリー・ティーンエイジ・アイドル」や「星空のプレリュード」は明らかにリッキー・ネルソンの「Travelin’ Man」タイプの曲を意識して作られています。で、それが「カナリア諸島にて」、そして「風立ちぬ」という作品へと成長していく。


さて、一旦はゴミ箱に捨てられた「Travelin’ Man」を救い出したジョー・オズボーンが先日、12月14日に亡くなりました。享年81。大瀧さんが亡くなったのも、リッキー・ネルソンが亡くなったのも12月。

で、大瀧さんといえばやはりつい先日、来年のナイアガラ・デイに発売されるものが発表されました。タイトルは『NIAGARA CONCERT ’83』。注目すべきは初回限定版に収められたCD-2「EACH Sings Oldies from NIAGARA CONCERT」。過去のライブから大瀧さんがカバーした作品を集めたものですが、その中にリッキー・ネルソンのカバーが2曲ありました。「Fools Rush In」、そして「Travelin’ Man」。楽しみですね。

まあ個人的にはライブ集よりはデモ集がよかったんだけど。それは再来年かな。

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by hinaseno | 2018-12-27 15:19 | ナイアガラ | Comments(1)

What A Wonderful World


『望星』に掲載された池内紀さんの「マッチのにおい」を読んだせいか、『リオ・ブラボー』ではマッチが出るたびに、おっ、おっ、となりました。マッチをつける時、いろんなところでこするんですね。壁、柱、机、一番驚いたのは、ウォルター・ブレナンがなんと自分のズボンのお尻のあたりでこすってつけた時。これは気づかなかった。『リオ・ブラボー』の中でマッチが重要な要素を占めていたことがよくわかりました。

と、書きながら、去年の年末に書いたブログを読んだら、12月22日に書いた話の最初は『リオ・ブラボー』。まあ、この映画、この時期になると見たくなるんですよね。

ちなみにその日のブログ、後の話はアゲインで行われたモメカルのライブの話になっていますね。あっ、ちょっと怖い。

怖いというのは…。実はさっき、radikoから録音してDVDに落とした「大瀧詠一『ゴー・ゴー・ナイアガラ』ベストセレクション」を聴いていたら、ちょうどロネッツの「Frosty The Snowman」がかかったあとの大瀧さんの話の途中で、なんと、いきなり石川さんの声が入ってきてたんですね。約、一分間。理由は全くわからない。実際の放送でそれが流れたはずがないので、僕のパソコンでなんらかの誤作動が起きたんだと思うんですが、とはいえ、録音状態にしてその場を離れていたので原因はわからない。

で、その石川さんの話というのが、どうやら去年のモメカルのライブの時のMC。僕のパソコン内にある数ある音源の中からなんでそれの、その部分だけが、ほんの1分ほどだけ再生されたんだろう。こんなの編集したってできない。これ、石川さんにお送りしようかな。でも、やっぱり怖いですね~。


ところで昨日の朝、1枚のCDが届きました。注文したのが日曜日の晩だったんで、早すぎですね。急ぎ便にしたわけでもないのに。

届いたアルバムはクリスマス・アルバムではないけれど、どこかクリスマスっぽさを感じられるもの。その紹介の前に、そのきっかけとなった日曜の晩の話を。

夜、ふと、サンデーソングブックを聴き逃したことに気がついたんですね。で、例によってradikoのタイムフリーで聴きました。内容は竹内まりやさんをゲストに呼んでのクリスマス特集。そこでかかったのがこの曲でした。




1993年の冬に発売された達郎さんの『Season’s Greeting』に収められた「My Gift To You」。アレキサンダー・オニールの曲のカバー。このアルバムで一番気に入った曲でした。

曲紹介の時に達郎さんが触れたのがこの曲を書いたソングライティング・コンビ、ジャム&ルイス。

ああ、ジャム&ルイス!

僕は「My Gift To You」をきっかけにジャム&ルイスの作品を追いかけた日々がありました。そのときに買ったCDはほぼ全て手放してしまったんですが、

でも、ふと1枚のアルバムのことを思い出したんですね。当時、ジャム&ルイスがらみで購入して一番気に入って聴いたもの。ジャケットはよく覚えているけどグループ名が思い出せない。

で、ジャム&ルイスのプロデュース作品のリストをチェック。日本のウィキペディアのリストにはない。で、アメリカのウィキペディアの方を見たらすごいリストがありました。そのあふれんばかりのプロデュース作品の中から、そのあまりにも目立たないグループ名を見つけ出しました。

SOLO。

ああ、SOLOだ。4人組のグループなのにSOLO。アルバムタイトルも『SOLO』。1995年の作品。まさに、僕がジャム&ルイスにどっぷりとはまっていた頃に出たんですね。彼らのデビュー作ですが驚くほどのクオリティの高さ。このCD、誰にあげたかも思い出しました。

で、即ポチ。昨日届いたんですね。

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20数年ぶりの再会となりました。これは本当によく聴きました。このアルバムはもちろんジャム&ルイスの作った曲が何曲も収録されているんですが、僕が気に入ったのはカバー。

とりわけこの1曲目の「What A Wonderful World」が最高なんですね。




「What A Wonderful World」といってもルイ・アームソングで有名な曲ではありません。こちらはサム・クックの曲のカバーですね。曲を書いたのもサム・クック。いや、今よく調べたらこの曲を書いたのはルー・アドラーとハーブ・アルパート。

ハーブ・アルパートは昨日紹介したばかりでしたね。これは、たまたま。


そういえば、と調べたら、やはり。アメリカン・ポップス伝Part4(第2夜)の最後にルー・アドラーとハーブ・アルパートがサム・クックをプロデュースした話が出てきてました。その日の最後にかかったのがサム・クックの歌う「(What A) Wonderful World」。




そしてサム・クックの「(What A) Wonderful World」といえば、リッキー・ネルソンの「Travelin' Man」へと話がつながっていきますね。アメリカン・ポップス伝のPart5では間違いなく出てきた話。

大瀧さんはその日のプログラムの冒頭、こう切り出したはず。

アメリカン・ポップス伝Part4(第2夜)の最後にかけたサム・クックの「(What A) Wonderful World」を下敷きにして作った曲がありました。タイトルは「Travelin' Man」。曲を書いたのはジェリー・フラー。彼はその曲をサム・クックに歌ってもらおうと、彼のマネージャーにデモテープを送りました。でも、マネージャーは曲を一回聴いただけで、テープをゴミ箱に捨てました。ところがその曲を思わぬところで聴いていた人がいたんですね…」と。


by hinaseno | 2018-12-25 15:50 | ナイアガラ | Comments(0)

今日はクリスマス・イヴですね。例年通り、クリスマス・ソングの話を何か書こう、できれば大瀧さんの話に繋げられたらなと思っていたら、朝になってあれこれいろんな話題に事欠かない状態になっていました。

とりわけあるミュージシャンがなくなったという情報が入ってきて、ああ、彼もまた12月の旅人になったんだなと、朝からしばらく彼のことを考えていました。「もし彼がいなければ」という重要な人です。大瀧さんのアメリカン・ポップス伝がもう少しだけ続いていれば、まちがいなく彼の話が出てきました。ああ、聴いてみたかった。

彼については、また次回に書くことにします。


さて、昨夜「大瀧詠一『ゴー・ゴー・ナイアガラ』ベストセレクション」というのが放送されました。ナビゲーターは宮治淳一さん。

過去の放送をデジタルリマスタリングして3回にわたって放送されて、昨日はその第1回目。放送されたのは1975年12月22日に放送されたクリスマス特集。ビーチ・ボーイズとフィル・スペクターのクリスマス・アルバムを特集したものですね。今となってはこの2枚はクリスマスには欠かせないアルバムとなっていますが、当時、日本でこの2枚を持っていた人は果たしてどれだけいたんだろう。

毎年のことだけど、今日はそのアルバムを聴こうと思っていたんですが、せっかくなので大瀧さんの番組を聴くことにします。で、今、ターンテーブルに載せているのはフォー・シーズンズのクリスマス・アルバム。2年後に放送された『ゴー・ゴー・ナイアガラ』のクリスマス特集ではそのフォー・シーズンズのアルバムから何曲かかかっています。

そういえば昨日、先日放送された村上SONGSを録音したものをCDに落としてステレオでちょっと大きな音で聴いていてわかったんですが、村上SONGSでかかったフォー・シーズンズの「I Saw Mommy Kissing Santa Claus」はレコードからの音源でした。曲が始まる前、結構プチプチいってたんですね。さすが村上さん。


「大瀧詠一『ゴー・ゴー・ナイアガラ』ベストセレクション」で楽しみなのはなんといっても来週の「キャロルキング特集①」。記念すべき『ゴー・ゴー・ナイアガラ』の第1回目の放送。でも、僕が持っているものは(多くの人がそうであるように)正真正銘の第1回目の放送のものではないんですね。あとで、間違いを訂正したもの。

最初の放送ではエヴァリー・ブラザーズの「Crying In The Rain」のあとに間違ってジャック・ケラー作曲の「How Can I Meet Her」をかけてしまって、あとで間違いに気づいてそこにキャロル・キング自身が歌った「Crying In The Rain」をはめ込んでいる。ってことで、そこのつながりがすごく不自然なんですね。

宮治さんによれば次回は「1975年6月10日に放送された正真正銘の第1回目の放送」とのこと。間違ってジャック・ケラー作曲の「「How Can I Meet Her」がかかる瞬間を聴けるんでしょうか。もしキャロル・キングの歌う「Crying In The Rain」がかかったら宮治さんに苦情書かなくちゃ。


ところで、今年は結局クリスマスアルバムを1枚も買えませんでした。神戸の元町の中古レコード屋さんで買い物したかったんだけど結局行けなかったし、ネットで1枚だけ注文していたクリスマスのCDも届かなかったし。

それから一昨日、毎年年末になるとレコードを買っているHi-Fiのサイトでクリスマスアルバムをチェックしていたら、おっと思うものが見つかったんですね。これは!っと思って購入しようと思ったら、それはSOLD OUTに。

それが『Something Festive』というアルバム。A&Mが出したクリスマスの企画アルバムなんですが、選曲がとってもいいんですね。また、来年、どこかで出会えたらと思います。

で、そのアルバムにも何曲か収録されているハーブ・アルパートの『クリスマス・アルバム』に久しぶりに針を落として聴いていたんですが、その中で耳に留まったのがこの「Let It Snow! Let It Snow! Let It Snow!」。




この曲のアレンジって「カナリア諸島にて」で聴かれる、あのフレーズが出てくるんですね。南の島のクリスマスって感じですごくいい。

「Let It Snow! Let It Snow! Let It Snow!」が生まれたのは1945年の7月。ちょうど荷風さんが岡山にいた時。曲を書いたのはサミー・カーンとジュール・スタインのコンビ。夏の暑い盛り、サミー・カーンが暑いからビーチへ行って涼もうと言ったら、仕事好きのジュール・スタインは涼しい曲を書こうと提案して生まれた曲とのこと。


ちなみに僕が「Let It Snow! Let It Snow! Let It Snow!」で一番好きなのはこのディーン・マーチンのバージョン。




ディーン・マーチンといえば、今、ちょうど彼が主演する西部劇『リオ・ブラボー』を見ているところ。この映画、年末になると見たくなるんですね。主演は他にジョン・ウェイン、そしてリッキー・ネルソン。明日はそのリッキー・ネルソンの話になります。リッキー・ネルソンがいなければ「カナリア諸島にて」も『ロング・ヴァケイション』も生まれませんでした。そしてリッキー・ネルソンも12月の旅人なんですね。


by hinaseno | 2018-12-24 12:55 | ナイアガラ | Comments(4)

冬の色の風が吹き始めて、枯れた葉が枝を離れ、いっぱい落ち始めています。

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今朝起きて、Instagramを眺めたら、アメリカの田舎の風景の写真をいっぱい撮っている人がこんな写真が投稿しているのを見て、大瀧さんの「木の葉のスケッチ」のメロディーが流れてきました。

それを聴こうかと思ったけど、久しぶりにそのオリジナル・カラオケ・バージョンを聴いたらそれがとってもよくって。以前のブログでも書いたような気がしますが、大瀧さんの数あるオリジナル・カラオケの中で一番好きなのがこの「木の葉のスケッチ」のオリジナル・カラオケ・バージョン。

メロディよりもカラオケを先に作るという作品作りをしていたこの時期の大瀧さんは、カラオケから無限に引き出すことのメロディの中のうちで選んだのが『EACH TIME』に収められているんですね。そして松本隆さんがそのメロディにあの詞をつけた。

でも、僕はこのカラオケを聴きながら、あのメロディではない違うメロディを考えるのが好きなんですね。

ってことで、これも縁なのでこんなCDを作りました。

ちょっとバタバタしているのに、われながらよくやるな。

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これを聴きながらあの方々を迎えに行こう。


by hinaseno | 2018-11-02 09:42 | ナイアガラ | Comments(0)

今日から先日の寺尾紗穂さんのライブの話を書く予定でいましたが、昨夜、さくらももこさんの訃報が飛び込んできたので、取り上げないわけにはいかないですね。

僕にとってさくらももこさんといえばやはりこの『ちびまる子ちゃん』のテーマソングということになります。タイトルは「うれしい予感」。歌っているのは渡辺満里奈さん。




作詞はさくらももこさん、作曲は大瀧詠一さん、そして編曲は大瀧さんの変名としては久しぶりに使われたCHELSEA。

さくらももこさんは大瀧さんの大ファンで、ずっと大瀧さんに主題歌を作ってほしいと思っていたんですね。で、『ちびまる子ちゃん』の第2期がスタートする前年の1994年のたぶん年の初めくらいに大瀧さんにダメ元で依頼します。すると大瀧さんからはこんな返事が。

「もし今年、ジャイアンツが優勝したら、ちびまる子ちゃんのテーマソングを作ります」

と。

このナイアガラー的には有名なエピソードについて、さくらももこさんが語っている話がネットに貼られていたので紹介しておきます。『おめでとう』という本に書かれているようです。


「大瀧さんは大の長嶋ファンなのだ。長嶋さんが一度ジャイアンツを去り、そして復帰してまたジャイアンツの監督になるという事はジョン・レノンが生き返ってビートルズが再結成するのと同じくらいあり得ない事なのにそれが起こったのだからすごいのだ、と熱弁していた姿を思い出す。それで私も、いつもの年よりも必死でジャイアンツを応援した。あんなに白熱して野球を観た事はない。どうか勝ちますようにと神に祈りながら観た。祈りが通じ、ジャイアンツが優勝した。するとすぐに大瀧さんからFAXが届き、『約束通り、まる子ちゃんのテーマソングを作ります』と書かれていた」

ちなみにジャイアンツが優勝を決めたのはかの有名な「10.8」。優勝を決めた後、すぐにレコーディングを開始します。で、その年の暮れに収録された新春放談ではシングル・バージョンとテレビバージョンの両方を流していたので、大瀧さんとしては驚くほど早い仕事になっています。個人的には、前にも書いたかもしれないけど、曲は(あるいはオケは)かなり前に書かれていたのではないかと考えています。もしかしたら『EACH TIME』の前の、『NIAGARA TRAIANGLE VOL.2』を作っていた頃に。ちなみにいえば『A LONG VACATION』と『EACH TIME』のアレンジャーは多羅尾伴内という変名を使っていますが、『NIAGARA TRAIANGLE VOL.2』のアレンジャー名はCHELSEA。「うれしい予感」と同じなんですね。


その「うれしい予感」が『ちびまる子ちゃん』の第2期の最初の放送日に流れます。1995年1月8日。この日のお昼にはこの年の新春放談の第2回目の放送があった日。『ちびまる子ちゃん』の放送に先駆けて「うれしい予感」のテレビバージョンと、番組の挿入歌である植木等さんの歌う「針切じいさんのロケン・ロール」が本邦初公開という形でかかっています。

そしてこの2曲のカップリングしたシングル盤が2月に発売ということになるんですが、放送の翌週の1月17日に阪神淡路大震災が起こります。シングル発売に向けてのプロモーションを前日に始めたばかりだったんですが、大瀧さんとしてはシングルの発売やプロモーション活動を続けることに悩むんですね。大きな災害が起きたときには、一度きちんと立ち止まった方がいいと。「うれしい予感」というタイトルも、大震災や、さらに3月に起こった地下鉄サリン事件を考えると、相当に戸惑ったようです。


とまあ、いろいろと「うれしい予感」が生まれた年にはいろいろと考えさせられることが多かったんですが、曲はとにかく抜群にいいです。久しぶりに聞き返したら、この曲の歌詞には「天使」が登場してたんですね。

「まほうかけてくれた天使が ここにいるんだよ」と。


そういえば昨日さくらももこさんについていろいろと調べていたら、さくらももこさんは大瀧さんの「魔法の瞳」が好きだと。この曲への意識から「まほうかけてくれた天使」という言葉が生まれたのかもしれませんね。

以前、天使ソングをいろいろと探していたときに大瀧さんが「天使」と歌っている曲はないかと探して見当たらなかったんですが、あったんですね。ってことで、今朝から『DEBUT AGAIN 』に収録された大瀧さんの歌う「うれしい予感」を追悼の気持ちでずっと聴いています。


ああ、もう一つ、天使といえば、村上RADIOに出した僕の質問というのは村上さんの好きな天使ソングを教えてくださいというものでした。ちょこっとエンジェルスの大谷くんの話を添えて。

大谷くん、1994年生まれですね。さくらももこさんが巨人の優勝を願い続けていた時に生まれていたんだ。


これは「うれしい予感」をレコーディングをしていた頃の写真。右からさくらももこさん、大瀧さん、そして渡辺満里奈さん。写真が載ったのは『ミュージック・マガジン』という雑誌。

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by hinaseno | 2018-08-28 13:32 | ナイアガラ | Comments(0)