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by hinaseno
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カテゴリ:ナイアガラ( 376 )



今日7月28日は大瀧さんの誕生日。ということで大瀧さんつながりの話を。

先日、久しぶりに奉還町商店街を歩きました。あそこにいくと必ず立ち寄るのが商店街の奥にある映画関連のグッズと中古レコードを売っている店。もう何度も行っているのに名前を覚えていない。

外のワゴンにシングル盤が並んでいるんですが、結構いいのがあるんですね。数もかなりあるので、ゆっくり見たいところですが、時間があまりなかったので例によってオールディーズのところだけをざっと。ぱっと目に留まったのがこれ。

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クリフ・リチャードの「コンスタントリー(Constantly)」。これいい曲なんですね。





この曲を知ったのは「ゴー!ゴー!ナイアガラ」のクリフ・リチャード特集。特集の最後から2曲目にかかったのが「コンスタントリー」。

大瀧さんのコメントはこうでした。

「これまた名曲です。クリフ・リチャードの1964年頃の曲です」。

この特集を聴くまでクリフ・リチャードの曲で知っていたのは「ヤング・ワン」と「サマー・ホリデイ」くらい。この特集でいろんな曲を知ってクリフのファンになったんですね。考えたらこの特集の最後にかかった「I Could Easily Fall (In Love With You) 」(邦題は「いつも青空」)のシングル盤もこの奉還町の店で買いました。


さて「コンスタントリー」をシングル盤で何度か聴いていてふと思ったのはイントロが大瀧さんの「幸せな結末」に似た感じだなと。

調べたらコード進行はC-Em-Dm(F)-G(G7)。一緒でした。似てる感じがするわけです。ただ、大瀧さんがこのコード進行を使った曲は他にもあるけど、とりわけ「幸せな結末」に似てると思った理由のようなものがこのシングル盤の解説に書かれていたんですね。解説を書いているのは高崎一郎さんです。


 セラチーニ作曲の美しいカンツォーネ「つた」が原曲で、M・ジュリアンが詞をつけたものです。伴奏の編曲・指揮はノリー・パラマーという贅沢な歌です。


目を留めたのは「カンツォーネ」という言葉。確か新春放談で「幸せな結末」はカンツォーネを意識して書いたっていってましたね。としたらきっかけはこの「コンスタントリー」だったかもしれない。

ところで高崎さんの解説によればクリフの「コンスタントリー」は「つた」というタイトルのカンツォーネの曲が原曲だということで調べました。原題は「La Hiedra」。オリジナルが誰だかはわかりませんでしたがこのTrio Los Panchosが1962年に歌っているのがあったのでそちらを貼っておきます。「コンスタントリー」のメロディが出てくるのは1:20あたり。




「コンスタントリー」の作曲者としてクレジットされているSeraciniって誰なんだろうと思っていましたが、イタリアのカンツォーネの作曲家だったとは。まあ、こういうことを知れるのが昔のシングル盤のいいところ。

ところでこのシングル盤、ジャケットのコンディションはあまりよくなくて書き込みもあるんですね。見たら「コンスタントリー」の歌詞を訳しかけていました。

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タイトルの「Constantly」は「常に変わらず」と。で、歌詞の中では「Constantly」は「いつも」と訳しています。こういうのが見れるのもうれしいこと。古書でも書き込みは結構好きです。


さて、話は変わりますが、YouTubeをチェックしていたらおすすめの中にこんなものが。例の「仙人秘水」について新春放談で大瀧さんが語っているところ。この話、以前紹介しましたね。




何年か前にこのときの話を聞き返して、よし「仙人秘水」を飲もうと思って注文して、今はその2箱目を飲んでいるところです。


by hinaseno | 2019-07-28 14:41 | ナイアガラ | Comments(0)

トミー・ロウ関係の話も一応今日最終回ということにしておきます。書きたいことをざざっとまとめて。

まずはこのアルバムのこと。

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1967年に出た『IT’S NOW WINTERS DAY』。

トミー・ロウのことを調べていたときにこのジャケットが目に入って思い出したんですね。僕がトミー・ロウという名前を最初に知ったのはこのアルバムだったなと。

このアルバムは一時期たくさん出ていたソフトロック関連の本に必ず取り上げられていたんですね。当時僕はソフトロックにかなり入れ込んでいたのでもちろんチェックしました。たまたま手に入れたソフトロックのコンピレーションCD(『The Melody Goes On: Soft Rock Volume 2』)にこのアルバムから3曲収録されていて聴いたんですが(いずれもトミー・ロウが書いた曲)、どれもあまり心惹かれず、結局このトミー・ロウのアルバムはスルー。

それにしてもこのアルバムのジャケット、『Sheila』のアルバムのジャケットとは違い過ぎて、とても同一人物には思えません。曲も「Sheila」や、その時期に作られた曲とは全然違うんですね。


トミー・ロウとの次の出会いは大瀧さんが亡くなった後、雑誌『レコード・コレクターズ』に掲載された、大瀧さんのジュークボックス特集。そこにトミー・ロウのシングル盤が入っていたんですね。そのA面の曲がこの「Sweet Pea」。




曲を書いたのはやはりトミー・ロウ。『IT’S NOW WINTERS DAY』の前年に発表されているので、ちょっとソフトロック的。B面の「Much More Love」はスペクターを意識した曲かな。

正直言えば、どちらも曲としてはイマイチな感じで、これが大瀧さんのジュークボックスに入ったまま残されていたというのは意外な感じがしました。ただ、「Sweet Pea」のイントロのドラムがなんとなく「ペパーミント・ブルー」に似ているなと。


さて、アゲインでの亀渕昭信さんのトークイベントが近づいていますが、亀渕さんが『亀渕昭信のロックンロール伝』(2011年)を出したときに、同時にこんなCDを出されていたことを最近知りました。

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『AKINOBU KAMEBUCHI PRESENTS YOU'RE NEVER TOO OLD TO ROCK 'N' ROLL / 亀渕昭信のロックンロール伝~16歳の僕はドーナッツ盤に恋をした』。

全部で28曲収録されているんですが、何とこの中にトミー・ロウの「Sheila」が入ってたんですね。オリジネーターというべきアーティストがずらりと並ぶ中にトミー・ロウの曲が入っているのはやや意外な感じ。それだけこの曲に思い入れがあるんでしょうね。ちなみにトミー・ロウの「Sheila」の前はバディ・ホリーの「Bo Diddley」、その前はボ・ディドリーの「Road Runnner」。この流れ、解説の萩原健太さんは「カメさんが仕掛けたロックンロール・ビートの尻取りだ」と。


ところで『亀渕昭信のロックンロール伝』という本の副題は「ビートルズ以前、16歳の僕はドーナッツ盤に恋をした」。CDの方では「ビートルズ以前、」という言葉は外されていますが、収録された曲はすべて「ビートルズ以前」、つまり1963年まで。

『亀渕昭信のロックンロール伝』という本はもともとジブリの『熱風』という雑誌に連載されていたものをまとめたものなんですが、本が出たときの亀渕さんと大瀧さんの対談が行われていて、今もジブリのサイトで読むことができます(改めて読み直したら大瀧さんの話の中にトミー・ロウの「Sheila」が出てきていました)。


この対談の中にも掲載されていますが、この本が出たとき大瀧さんはご自身のホームページでこんなコメントを寄せていたんですね。前に一度紹介しましたが改めて。


私がポップス・ファンになった1962年には、亀渕さんは既に「送り手側」におられたわけで、私は送り出されるままを素直に受け取っていたリスナーでありました。亀渕さん、朝妻さん、木崎さん、皆さんによって「育てられた」のであります。全員の認識の共通点は、("until 1963 / from 1964" ということですね。ロックンロール誕生からビートルズ登場以前が、BB(Before Beatles) 以降が、AB(After Beatles) ポップス史は明確にここにラインが引けます。
ただ、これは「断絶」ではありません。また「不連続」でもなく、前の「地層」の上にチョット離れたところから「火山灰」のように大量に飛んできて降り積もったのです。(下の「腐葉土」は豊潤でしたし、また同じ「火山帯」だったので「同質」の灰でした)
55年(或いは56年)の「ロックンロール誕生」時も同じような構造でしたが、あれはアメリカの「国内」で起きたことでした。64年は「英国」からの改革というのが "アメリカン・ポピュラーミュージック史" としては全く新たな現象でした。亀渕さんが仰るように、確かにポップス史として語られるのは「64年以降が多い」と私も感じています。また「63年以前」ならお三方がおられます。私の役目は「63と64」の間がどう繋がっているかを明らかにすることではないかと、そう思っております。時代の「変わり目」の混沌とした状況が好きなのです)


ポイントは最後に出てくるこの言葉。


「私の役目は「63と64」の間がどう繋がっているかを明らかにすることではないかと」

亡くなる直前まで作業を続けられていた「アメリカン・ポップス伝」もそうですが、「ゴー!ゴー!ナイアガラ」も実はまさにそれをやっていたんですね。

その意味ではバディ・ホリー特集はとても興味深いものがあります。なぜならバディ・ホリー特集のパート2もパート3もラストはビートルズがバディ・ホリー関係のカバー曲だったんですね。大瀧さんの強いメッセージを読み取ることができます。

ちなみにその2曲はビートルズのオリジナルアルバムには収録されていないので、ビートルズファンでも知らない人の方が多いはず。

まずはパート2の最後にかかった「Crying, Waiting, Hoping」。曲を書いたのはバディ・ホリー。




で、パート3の最後は「Don’t Ever Change」。これはクリケッツの曲のカバー。曲を書いたのはキャロル・キング。




放送ではこの曲をかけた後、この曲の影響で作られたと推測している「I'll Get You」をかけています。


というわけでトミー・ロウの「Sheila」をきっかけにいろんな発見があり、改めて「ゴー!ゴー!ナイアガラ」の奥深さを思い知りました。

そういえばバディ・ホリー特集パート3の最後のほうで、ノーマン・ペティがかかわったJimmy Gilmer and The Fireballsの曲をかけたあと(Fireballsは大瀧さんのづきなグループのようで、第1回目の男性ボーカル特集のときにも3曲もかけていました。ボーカルのジミー・ギルマーも好きなんでしょうね)、こんな話が出たんですね。


ジミー・ギルマーはほかには『BUDDY’S BUDDY』というタイトルのアルバムでバディ・ホリーの歌ばっかり集めた貴重な盤が出てますが、僕、非常にほしい。持ってない。

このアルバム、調べたらわが愛するACEから「The Original Norman Petty Masters」シリーズの1つとして2on1でCDとして20年ほど前に出ていました。で、聴いたらこれが素晴らしいんですね。ボビー・ヴィーのバディ・ホリー・カバー集よりもいいです。

とりわけ気にいたのがこの「Wishing」。これ最高。最近、こればっかりリピートしています。




実はバディ・ホリー特集パート3でもうひとつ、おっというのがあったんですが、それは日を改めてということにします。


by hinaseno | 2019-04-27 13:30 | ナイアガラ | Comments(0)

向いにゃ東独大使館


トミー・ロウ~バディ・ホリー関連の話を書くつもりでいたんですが、昨日読んだ、あるサイトの記事で、おっというものがあったのでそちらを紹介します。それは以前にも紹介したことのある『週刊てりとりぃ』というサイトの先週更新されたブログの最初に載っているこの記事

このサイト、「週刊」ということなので、毎日チェックしているわけではなく、久しぶりに覗いたら見覚えのあるジャケットがどんと載ってたんですね。そう、大瀧さんの『ナイアガラ・カレンダー』。

記事のタイトルは「続・「名月赤坂マンション」は今」。

おっ、じゃなく、おおっ!、でした。「続」ってことは、その前があったんだなと思ってあわてて前の週の記事も見ました。


この記事を書いているのは伊藤アキラさん。

ナイアガラーで伊藤アキラさんの名前を知らない人はいないはず。大瀧さんが手がけた数多くのCMソングのほとんどの作詞を手がけた人です。一番最初の「サイダー」も伊藤アキラさん。

その伊藤アキラさんがこのサイトの記事を書き始めて、おおっと思っていたんですが、その内容も最初からわくわくものだったんですね。

連載している記事の副題は「自伝準備稿」。そう、今、伊藤アキラさんは自伝を書く準備をされていて、それの準備稿という形でこの連載を始められたんです。第2回目には伊藤銀次さんの自伝も紹介されていました。伊藤アキラさんの自伝となれば必ずや大瀧さんの話が出てくるだろうと思っていたら、やはり、でした。


で、その内容はというとCM制作のときの話ではなく、大瀧さんがナイアガラの事務所をたたんだときの話。でも、暗い話では全然ない。特に大瀧さんとJASRACとの攻防の話は大笑い。

「大瀧にはまいるんだよ。電話が長いっ。だんだんこっちの耳がいたくなってきて、ま、いっか、という気分になってしまう」という当事者の話が最高。大瀧さんの家に税務署の職員がやってきたときのエピソードを思い出しました。

それはさておき今回の「名月赤坂マンション」の話は個人的にはツボの連続。

『ナイアガラ・カレンダー』に収録された「名月赤坂マンション」は大瀧さん自身が「私小説」と語っているように、実話をもとにして詞が書かれているんですね。で、赤坂マンションはナイアガラの事務所があった場所。この場所、なにかきっかけがあるたびに地図を見ては探していました。最近では伊藤銀次さんと子安次郎さんのトークの中で赤坂のナイアガラ事務所のことが出てきたので、ちょっと探しました。


ところで赤坂にあったナイアガラ事務所は大瀧さんのいくつかのアルバムにちゃんと住所が書かれているんですね。たとえばシリア・ポールの『夢で逢えたら』には彼女のファンクラブの入会希望の宛先としてその住所が載っています。


〒107 東京都港区赤坂7-5 赤坂マンション202

ただ、Googleマップで「港区赤坂7-5」を入力すると、ここまでの番地では地図の赤い範囲が示されるだけで赤坂マンションの場所が特定できないんですね。それでも「名月赤坂マンション」の歌詞に出てくる「稲荷坂」が見つかっただけでうれしく思ったものでした。

で、もう少し拡大して「赤坂マンション」というものがあるかなと思ったら「赤坂協栄マンション」とか「ライオンズマンション赤坂」とか「赤坂リキマンション」というのが見えるものの「赤坂マンション」という名称の建物はない。


ここでポイントとなるのが「名月赤坂マンション」の2番の歌詞に出てくるこの言葉。


「向いにゃ東独大使館」

そう、東独大使館。東独(とうどく)、つまり今はなき東ドイツの大使館が赤坂マンションの向かいにあったと。では、東独大使館はどこにあったかってことですが、その前に。


何度も書いているように、僕は大瀧さんの曲に限らず、歌詞カードを見ながら曲を聴くことがあまりないので、ここに「東独大使館」という言葉が入っていることを知ったときにはびっくりでした。曲は何度も聴いていたのに。

『ナイアガラ・カレンダー』の30周年盤が出た2008年の新春放談でその話が出たんですね。

こんなやりとり。達郎さんはずっと笑い続けています。


山下:それでですね、9月のいよいよ「名月赤坂マンション」、問題作の。
大瀧:実話だからね。(中略)これは完璧に私小説ですよ。田山花袋ですよ、ポップス界の。
山下:(笑)
大瀧:ほんとにここで社員と別れたんだから。
山下:(笑いが止まらない)
大瀧:で、「右に見えるは他人の家」だ。「他人」と書いて「ひと」と読むからね。そりゃ、あたりまえだ。だれでもいいよね。「向いにゃ東独大使館」。東ドイツがあったのよ。東ドイツがそのときになくなると思わなかったからね。
山下:(笑)時代ですね。
大瀧:東独大使館って言ってたんだよね。なんか、でも「東独(とうどく)」をああいうふうに歌ってるから「届く」というふうにまあ押韻として、「むかいにゃ、と~どく」っていう、そういう「届く」っていう押韻もあるかなって思いながら歌いましたよ。言っときますけど。歌ってるときに「と~どく」って、あっ東ドイツってすぐわかる人は少ないだろうなと思ったよ。
山下:なるほど。
大瀧:でも、実際ほんとに向かいに東ドイツの大使館があったんですよ。赤坂マンションにね、ナイアガラ・エンタープライズがあったんだけれども、もう積み重なる借金でね、解散することになったのよ。その社長の悲哀だよね。それを歌にしたと。

その東独、東ドイツ大使館なんですが、例の東京地層地図とか見ても載っていないんですね。で、パソコンで検索したら伊藤アキラさんが紹介しているサイトの記事にたどり着いて、なるほどってことになったんですが、それ以上前には進みませんでした。

まあ、40年ほど前のことなので図書館などに行って当時の住宅地図を見れば簡単にわかりそうだなと思ったんですが、伊藤アキラさんの記事、それから伊藤さんが紹介していた人の記事によれば赤坂マンションはどうやらこの地図の赤い印の場所、そして、東ドイツ大使館の領事部があった場所は青の丸で示した場所になるようです。

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このあたりの建物、景観は当時とはかなり違っているはずですが、子安さんに確認したら詳しくわかるかもしれませんね。


それはさておき伊藤アキラさんの記事を読んで改めて「名月赤坂マンション」をじっくりと読み直したんですが、ひとつ気になっていた2番の歌詞は「おさらば アバヨ」となっていることがわかりました。「おさらば~よ」っと歌っているようでなんか変だなと思っていたんですが。

で、「おさらば アバヨ」で検索したらどうやらこれは三橋美智也の「おさらば東京」の「あばよ東京おさらばだ」の歌詞からとっているようです。

伊藤アキラさんが1番の歌詞を分析して「歌謡曲、映画、演劇、小説、等々。大瀧さんの脳内に沈殿していた日本の芸能遺産を縦横無尽に使い倒した歌詞1番を各行全てをまとめあげた。恐るべし大瀧芸。私はこういう詞が好きだ。惜しい人を失ったとつくづく思う」と書いています。全くその通りですね。


最後にもう一つ、1番の最初の「今宵可霧か この室も」の部分の歌詞のこと。歌詞カードに「今宵可霧」となっていたことには気がつきませんでした。何度かちらっとは見ていたはずなのに。

伊藤さんはこの「可霧」は「限り」の誤入力だろうと推測されていますが、誤入力で「可霧」は出ないだろうなと。おそらくこれは和歌によく使われる掛詞なのではないかと。「かぎり」という言葉の中に秋の季語の「霧」を入れたと。

「東独」と「届く」も掛詞みたいなものですからね。


ちなみに曲に関しては橋幸夫の「潮来笠」、クレイジーキャッツの「めんどうみたョ」ラインで作られているようです。いわゆる股旅物。股旅物って言っても、今、どれだけの人が理解できるんだろうかって話になりますが。


by hinaseno | 2019-04-26 12:25 | ナイアガラ | Comments(0)

トミー・ロウの「Sheila」がかかっていたってことで聴き直している「ゴー!ゴー!ナイアガラ」の「バディ・ホリー特集(Part3)」ですが、「I Fought The Law」と「Love's Made A Fool Of You」のあとも興味深い話のオンパレード。やりたくって仕方がなかった特集みたいで大瀧さんも絶好調(舌好調)。次から次へといろんな”つながり”の話を繰り出してきて、最後には驚きのビートルズの曲がかかります。

ところでこの時期の「ゴー!ゴー!ナイアガラ」は放送時間が30分になっているので曲がかかるのはせいぜい10曲ほど。当初の放送時間が1時間だった頃には20曲くらいかかっているので、きっと喋り足りない、かけ足りないって感じだったでしょうね。

さて、「バディ・ホリー特集(Part3)」、例の『KAWADE 夢ムック 増補新版 大瀧詠一』に載っている放送曲目リストを見るとかかった曲はやはり10曲となっています。

でも、実はそうじゃないんですね。

アメリカン・ポップス伝のときみたいにちらっとだけかけた曲が結構あって、実際にかかった曲は全部で17曲。


ちなみに本に掲載された曲目リストの最後はビートルズの「Don't Ever Change」となっているんですが、そのあとにもう1曲ビートルズの曲がかかっているんですね。

ただし曲名は言わないで。

情けない話ですがその曲、どうにも曲名が浮かばなかったのでShazamで確認しました。

それがこの「I'll Get You」。




いい曲ですね、この曲。僕の好きなビートルズの曲を集めたプレイリスト(全62曲)にも入ってます。

曲を書いたのはジョン・レノン。


この「I'll Get You」のサビの部分にかなりの影響を与えたのがその前にかかったクリケッツの「Don't Ever Change」だと大瀧さんは指摘していました。鋭いです。




これも大好きな曲。曲を書いたのはキャロル・キングとジェリー・ゴフィンのコンビ。「ゴー!ゴー!ナイアガラ」の第1回目で特集された人たちがここで登場してくるというのはちょっと鳥肌もの。


ところで「I'll Get You」は「She Loves You」のB面だったんですね。シングルも持っていないしオリジナルのアルバムにも収録されていないのであまり聴く機会がなくて『Past Masters, Vol. 1』がCDになったときに初めて知りました。


改めて確認したらビートルズのオリジナル曲が「ゴー!ゴー!ナイアガラ」でかかるのは後にも先にもこの「I'll Get You」だけ。まあ、ビートルズが歌った曲自体あまり「ゴー!ゴー!ナイアガラ」でかかっていないんですが、かかった曲は全てカバー。ビートルズのオリジナル曲をかけないというのが一つの方針となっていたことは確かなようです。曲名を言わなかったというのもそのこだわりのせいだったかもしれません。


by hinaseno | 2019-04-24 15:46 | ナイアガラ | Comments(0)

「ゴー!ゴー!ナイアガラ」の「バディ・ホリー特集(Part3)」の話の続き。この日の特集で一番ワクワクするのはトミー・ロウの「Sheila」のあとにかかる4曲。ここ、何度聴いてもたまらない。

トミー・ロウの「Sheila」をかけたあと、バディ・ホリーが事故死してからのクリケッツ(The Crickets)の話になります。そしてかかった曲がバディ・ホリーが抜けた後のクリケッツの2曲。まずは「I Fought The Law」。




曲を書いたのはバディ・ホリーがなくなったあとクリケッツに加わったソニー・カーティス。

この人、クリケッツだけでなくいろんな人に曲を書いているんですが、エヴァリー・ブラザーズの「Walk Right Back」とかボビー・ヴィーの「More Than I Can Say」とか本当にいい曲書くんだ。

「I Fought The Law」はやはり3コードの曲なんですが、メロディックでしかもかっこいい。とりわけかっこいいのがギターのフレーズ。このギターを弾いているのもやはりソニー・カーティスです。

で、次にかけるのがバディ・ホリーのカバー「Love's Made A Fool Of You」。その前に一応オリジナルを。




で、こちらがクリケッツのカバー。




こっちの方が数段かっこいいですね。特に間奏やエンディングに出てくる♫チャカチャカチャ~ン、チャカチャカチャ~ン、チャカチャカチャチャ~ン♫のギターのフレーズがたまらないです。このフレーズ、バディ・ホリーのオリジナルにはありません。


「I Fought The Law」と「Love's Made A Fool Of You」は1960年にリリースされた『In Style With the Crickets』というアルバムのB面の最後に並んでいるんですね。「I Fought The Law」がB面5曲目で「Love's Made A Fool Of You」がB面ラストの6曲目。

で、このあと大瀧さんがかけたのがこの2曲のカバーでした。いずれも同じグループが演奏したものなんですが、それを紹介するとき大瀧さんのテンションがすごく上がるんですね。そのグループはボビー・フラー・フォー(The Bobby Fuller Four)。大瀧さん、「ボビー・フラー・フォ~」と絶叫します。

まずは「I Fought The Law」。クリケッツよりギターがさらにかっこよくなっていますね。




そして「Love's Made A Fool Of You」。♫チャカチャカチャ~ン、チャカチャカチャ~ン、チャカチャカチャチャ~ン♫のフレーズが何度も出てきます。いや~、かっこいい。




で、前置きが長くなりましたが大瀧さんの「Love's Made A Fool Of You」はまさにこのボビー・フラー・フォーをカバーしてたんですね。最初、大瀧さんのカバーを聴いたときに、バディ・ホリーのオリジナルと全然違う演奏をしているなと思ったんですが、実はクリケッツがカバーしたものをカバーしたボビー・フラー・フォーをカバーしていたわけです。

バディ・ホリーが好きだといっても、彼の曲をそのままカバーするのではなく、まずはバディ・ホリーのフォロワーの中でも最も優れた曲の一つであるトミー・ロウの「Sheila」をカバーし、さらに「Love's Made A Fool Of You」に関してはカバーのカバーをカバーしていたと。このあたり、繋げることの大切さをいつも考えている、いかにも大瀧さんらしいやり方ですね。


by hinaseno | 2019-04-23 11:29 | ナイアガラ | Comments(0)

ここのところずっと「ゴー!ゴー!ナイアガラ」の「バディ・ホリー特集(Part3)」を聴いています。放送されたのは1978年2月27日。ちなみに「バディ・ホリー特集(Part1)」が放送されたのは1978年2月6日。1959年2月3日に飛行機事故で亡くなったので、彼の追悼特集でもあったんですね。

トミー・ロウの「Sheila」がかかった「バディ・ホリー特集(Part3)」はバディ・ホリーに影響を受けた人たちの曲特集ということでバディ・ホリーが歌った曲は1曲もかからなかったので、実は1回しか聴いていませんでした。今回、トミー・ロウがらみで改めて聴いたら、いや、おもしろい。そうだったのか!っていう発見がいくつもありました。


「バディ・ホリー特集(Part1)」ではバディ・ホリーの代表的な曲がずらっとかかるんですが、一番有名なのは2曲目にかかったこの「Peggy Sue(ペギー・スー)」でしょうか。バディ・ホリーを知らなくてもこの曲はどこかで耳にしたのではと思います。




曲を書いたのはバディ・ホリーとノーマン・ペティとジェリー・アリソンの3人。この日の1曲目にかかった「That'll Be The Day」(ジョン・フォードの『捜索者』の言葉から取られているんですね)もこの3人の共作。この3人は3人とも詞も曲も書け、しかも3人とも似たような曲を書くので、だれがどの部分を手がけたか全然わかりません。

ちなみにジェリー・アリソンはバディ・ホリー&クリケッツのオリジナルメンバー(主にドラムを担当)でバディ・ホリーが亡くなった後はクリケッツのリーダーとして活動していました。

それからノーマン・ペティはプロデューサーで、自分のスタジオも持っていていろんなミュージシャンのレコードを制作しています。バディ・ホリーも彼が世に送り出した一人。

そういえば「バディ・ホリー特集(Part3)」ではノーマン・ペティが手がけた作品をいくつか紹介していたんですが、その中でへ~っと思ったのはこの曲。




日本では「峠の幌馬車」という題で有名な「Wheels」。ビリー・ヴォーン楽団を始めいろんな人たちがカバーしているんですが、そのオリジナルがこのストリング・ア・ロングス(The String-A-Longs)。大瀧さんによるとストリング・ア・ロングスというグループは「ノーマン・ペティの秘蔵っ子」なんだそうですが、実はつい先日紹介した小松久のライブ(@アゲイン)でこの曲が演奏されたときに小松さんがストリング・ア・ロングスというグループのことを紹介されていて、へ~っと思って覚えていたんですね。


さて、バディ・ホリーの曲(ノーマン・ペティとジェリー・アリソンが手がけた曲を含みます)の大きな特徴はほとんどが3コードでできているんですね。

AとDとEの3つのコード。

「Peggy Sue」もこの3つのコードでできています。からっからな感じはマイナーコードが入らないから。だから日本人には受けなかったと大瀧さんは指摘しています。ただ、バディ・ホリーのすごいところはAとDとEの3つのコード(キーをCにしたらCFG)でもメロディックな曲を書けるところ。このあたりのことはラジオデイズの「大瀧詠一的」のこの回で語られています(平川さんの話が最高に笑える)。




トミー・ロウの「Sheila」はまさにAとDとEの3つのコードで曲を書いているんですね。で、バディ・ホリーの曲に負けず劣らずというか、それ以上にメロディックな曲になっているんです。曲を書いたのはトミー・ロウ自身。いい曲書きます。

この曲は演奏、リズムは一聴してわかるように「Peggy Sue」を下敷きにしているんですが、面白いのは歌唱。シャックリ唱法はもちろんですが、2番で声色を変えて、やや甘ったれた感じで歌うところも「Peggy Sue」を真似ているという。その辺り、何度聞いても楽しくなります。大瀧さんはさすがにそこまではやってなかったけど。




by hinaseno | 2019-04-22 14:11 | ナイアガラ | Comments(0)

大瀧さんのNIAGARA CALENDAR(1977年)の1曲目に収録された「Rock'n'Roll お年玉」のエンディングあたりでこんなフレーズが出てきます。

Rubber ball, I'll come bounci' back to you
Oh, Susie Darlin’


“Rubber ball, I'll come bounci' back to you”はボビー・ヴィーの「Rubber Ball」、”Oh, Susie Darlin’”はトミー・ロウの「Susie Darlin’」に出てくるフレーズ。


実は3年前のブログでこの部分の歌詞に触れ、トミー・ロウについて結構書いていました。僕はボビー・ヴィーが大好きでそっちに意識の重点がいっていたので、トミー・ロウのことは書いているのに全然意識してなかったんですね。

一応再録しておきます。


ボビー・ヴィーとトミー・ロウ。この2人、大瀧さんにとってはバディ・ホリーのフォロワーとしてつながっているんですね。ちなみにバディ・ホリーの「Maybe Baby」は3曲目に折込まれています。
バディ・ホリーは大瀧さんも大好きなので、バディ・ホリー・タイプの曲を作って、その独特の歌い方のまねをしています(たとえば「シャックリ・ママさん」あるいは「A面で恋をして」)。で、バディ・ホリーの歌い方をまねたシンガーも大好きで、その代表的な二人がボビー・ヴィーとトミー・ロウ。
というわけでバディ・ホリーの曲がかかれば条件反射的にボビー・ヴィーとトミー・ロウの曲をかけたくなるようです。
例えば1975年12月8日に放送された「ゴー!ゴー!ナイアガラ」ではバディ・ホリーの「Maybe Baby」をかけたあとにトニー・ロウの「Susie Darlin'」とボビー・ヴィー「More Than I Can Say」を続けてかけています。
それから1976年10月19日の放送ではバディ・ホリーの「Fool's Paradise」をかけたあとにやはりトミー・ロウの「Sheila」とボビー・ヴィー「When You're in Love」を続けてかけています。
さらには1978年2月27日のバディ・ホリー特集(パート3)では1曲目にボビー・ヴィーの「Buddy’s Song」、2曲目にトミー・ロウの「Sheila」をかけています。

ってことで「Sheila」は「ゴー!ゴー!ナイアガラ」で2度かかっているんですね。2度かかるというのはとてもめずらしいこと。


ところで改めて”Oh, Susie Darlin’”のフレーズについて。ネットに上がっているトミー・ロウの「Susie Darlin’」の歌詞を見ると”Oh, Susie Darlin’”ではなく”Oh-uh, Susie Darlin’”となっています。


そう、「オッホ、スージー・ダーリン」と歌っているんですね。もちろん大瀧さんも。この「オッホ(カタカナにしづらい)」にあたる部分が(大瀧さんがその言葉を発明したはずの)シャックリ唱法。




実はボビー・ヴィーの「Rubber Ball」も「Rock'n'Roll お年玉」の”Rubber ball, I'll come bounci' back to you”のあとに「ウ~ッウウウッ(カタカナにしづらい)」てな感じでやはりシャックリ唱法が出てくるんですが、そこにシャックリつながりの別の曲である「Susie Darlin」のシャックリを入れているというのがなんともおもしろいところ。




ちなみに『NIAGARA CONCERT ’83』のディスク2『EACH Sings Oldies from NIAGARA CONCERT』に収録されたトミー・ロウの「Sheila」のカバーはメドレーとなっていて、「Sheila」のあとに大瀧さん作詞作曲の「シャックリママさん」(タイトルからわかるようにバディ・ホリーのシャックリ唱法のパロディ)、そしてバディ・ホリーの「Love’s Made A Fool Of You」と続きます。

大瀧さんの「Sheila」のカバーでも随所にシャックリが出てきますが、オリジナル(トミー・ロウ)やそのオリジナル(バディ・ホリー)に負けないくらい実にかっこいい。

ああ、ちなみに「A面で恋をして」でも「A面で微笑んでドーナツ盤の上でクルクルと踊るよ ジルバ」のあとやエンディングにでてくる「ッアヘイ ッアヘイ」はシャックリ唱法。これはバディ・ホリーのこの「Everyday」を真似ています。




by hinaseno | 2019-04-20 14:11 | ナイアガラ | Comments(0)

『NIAGARA CONCERT ’83』のディスク2『EACH Sings Oldies from NIAGARA CONCERT』に収録されたトミー・ロウの「Sheila」のカバーを聴いて以来、ずっとSheilaに夢中。

ところでトミー・ロウの「Sheila」は日本盤でも出ていたようで、その邦題は「可愛いシェイラ」。「Sheila」をローマ字的に読むと「シェイラ」となりそうですが、大瀧さんも、それからオリジナルのトミー・ロウもどう聴いても「シーラ」と歌っているんですね。で、「Sheila」の発音を調べたらやはり「シーラ」。音的にはシェイラの方が可愛い感じがするけど。


そういえば、あの亀渕昭信さんがなんと、今度、「令和」の初日である5月1日にアゲインにやってきてトークイベントをされるんですね。お相手は伊藤銀次さん。そう「銀次の部屋」のゲストとして亀渕さんが登場されるわけです。すごいですね。死ぬほど行きたい。

亀渕さんといえば以前、このブログで紹介した「ゴー!ゴー!ナイアガラ」の「新春早口オールディーズ大会」のゲストが亀渕昭信さん。ただ、この日の亀渕さんは「ハワイ出身のチブ・メーカー」ということになっていて、外国訛りのあやしい日本語を早口で喋り続けるわけですが、まあ、とにかく笑えます。企画としてはチブ・メーカーさんはアメリカン・ポップスにかなり詳しいということになっているので(事実、亀渕さんは日本で最もアメリカン・ポップスに詳しい人の一人)、大瀧さんはいろんなアーティストの名前を出して、即座にそのアーティストに関する話をさせるんですね。はっきり言ってすごいです。

前半はチャートの上の方に来るアーティストの名前を挙げていたんですが、意地悪な大瀧さんは後半、ややマイナーなアーティストの名前を挙げてチブ・メーカーさんを困らせるんですね。で、やや困った様子が続く中、大瀧さんが名前を挙げたのがトミー・ロウ。

ちょっとその部分を。


大瀧:じゃあ有名なとこ、ばっと行きましょうか。じゃあトミー・ロウ行ってみましょう。
亀渕(チブ・メーカー):トミー・ロウ? オー、トミー・ロウ、わたし、知ってますね。トミー・ロウ、わたし、友達ありました。あー、トミー・ロウはいろいろこうしてしゃべってる間考えてますが…「シェイラ」ありました。
大瀧:「シーラ」! 出てきましたね。
亀渕:「シーラ」ね。おー、バディ・ホリーの友達。バディ・ホリーの真似していましたね。とてもね。ヴェリー・インフルエンスありましたね~。

「ヴェリー・インフルエンス」って、とても影響を受けたってことですね。

ちなみにこの日の放送の選曲はすべて亀渕さんだったようで、大瀧さんがトミー・ロウの名前を出す前にバディ・ホリーの曲と、歌詞の中にバディ・ホリーの名前が出てくるトミー・ディーの「Three Stars」という曲がかかっていたので、亀渕さんがバディ・ホリーのファンであることは大瀧さんもよく知っていたはず。もしかしたら大瀧さんはトミー・ロウの名前を出して亀渕さんを試したのかもしれませんね。

で、亀渕さんの口から「シェイラ」が出てきたので、大瀧さんもうれしくなって、ただ、そこで大瀧さんははっきりと「シーラ」と言ってるんですね。そしたら亀渕さんも「シーラ」と。


ここで改めて考えてみると、大瀧さんは「有名なとこ」ってことで、トミー・ロウの名前を出したんですが、トミー・ロウ、あるいは「Sheila」ってどれだけ有名なんだろうって思ってしまいます。日本盤は出ていたようですが、どれだけ売れたんだろう(寺内タケシとブルージーンズをバックにほりまさゆきという人がカバーをしていますね)。ネットとかにそんなに上がってないし、大して売れなかったんじゃないでしょうか。

それよりもなによりも彼が真似をしていたオリジネーターのバディ・ホリーすら、日本ではさっぱり評価されていなかったはずなので。


ちなみに僕はこの日の放送を初めて聴いたときにトミー・ロウの名前が出ても全然ピンとこなかったし、もちろん「Sheila」って曲も知りませんでした。ってことでこの部分は聞き流していたんですが、この日のブログにこの日名前が挙がっていた人を書き留めていたので、過去のブログをチェックしていたときにそこに名前が出ていたことがわかって聞き返したというわけです。

で、他にも何度かトミー・ロウのことをブログに書いていたんですね。どれも名前を書き留めていただけだったんですが。改めてわかったのは、大瀧さんってかなりトミー・ロウが好きなんだなっていうことでした。

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by hinaseno | 2019-04-19 15:22 | ナイアガラ | Comments(0)

大瀧さんがらみの話以外ですごく羨ましいなあという話がありました。子安さんが手がけられた人の名を何人か挙げられた中で、ちょっと驚いた人が。川島なお美さんの次くらいに手がけたのかな。

その人の名は中井貴一さん。


結構すごい話が出てくるんですが、その前に中井さんのことを時系列的に確認しておきます。

生まれたのは1961年。父親は小津安二郎の映画などに出演していた佐田啓二。貴一という名前をつけたのも小津。でも、3歳の誕生日を目前にして父、佐田啓二は交通事故で亡くなります。

その父の17回忌の法要の時に佐田啓二のゴルフ友達だった映画監督の松林宗恵にスカウトされて、大学在学中の1981年に松林監督の『連合艦隊』(東宝)に出演。翌年にはテレビドラマにも初出演。


中井さんといえば何と言っても1983年の『ふぞろいの林檎たち』ですね。最初から見たわけではないけど、友人に教えられて夏休みに入った頃に初めて見た記憶があります。ってことはパート1の最後から2回目くらいかな。パート2以降は全部見ました。

初めて中井貴一という俳優を見たのはまさに『ふぞろいの林檎たち』を見る直前の1983年7月2日公開の映画『プルメリアの伝説 天国のキッス』(東宝)。主演は松田聖子と中井貴一。松田聖子が主演した映画を映画館で見たのは後にも先にもこれだけ。1983年7月といえば松田聖子さんが『ユートピア』を出して間もない時期。その前作『Candy』では大瀧さんが2曲も曲を書いていたのに『ユートピア』では大瀧さんの曲が1曲もなくて残念な思いをしたものです。でも『ユートピア』、いいアルバムですけどね。とりわけ好きなのは大村雅朗さんが曲を書いた「セイシェルの夕陽」。

その『ユートピア』に収録された「天国のキッス」が『プルメリアの伝説』の主題歌にもなっています。作曲は細野晴臣さん、作詞はもちろん松本隆さん。『プルメリアの伝説』の映画の挿入歌で、やはり大村雅朗作曲の「パシフィック」という曲があるんですが、これも素晴らしい曲です。

話はそれますが、どうやら大村雅朗を特集した番組がどうやらテレビで放送されるようです。もし放送されたら是非見てください。


話は逸れてしまいましたが中井さんがレコードデビューしたのはその翌年の1984年の春。中井さんの人気がかなり出てきたのでレコードを出そうということになったんですね。で、その話が子安さんのところに来たと。

中井さんが東宝ということで、第二の加山雄三って感じで売り出したようで、作詞は加山さんのいくつもの曲の詞を手がけた岩谷時子さん、そして作曲は加山さんと同じく茅ヶ崎に住んでいて加山さんとも親しかった加瀬邦彦さんのコンビに依頼。デビュー曲は「青春の誓い」。

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発売されたのは1984年3月21日。4月にはあの「ザ・ベストテン」の今週のスポットライトにも出ていますね。ちなみにその週の1位はチェッカーズの「涙のリクエスト」。のちにドラマで何度も共演することになる小泉今日子さんの「渚のはいから人魚」が6位、松田聖子さんの「Rock'n Rouge」が8位。

「青春の誓い」という曲、iTunesでちょこっと聴いたら、いかにも夏っぽい爽やかな曲ですが、でもそんなには売れなかったのかな。

驚いたのは、中井さんを手がけている時に子安さんは何度も田園調布の中井さんの家に通っていたという話。中井さんのお母さん(ということは佐田啓二の奥さんということですね)やお姉さんとも親しく言葉を交わすようになっていたそうです。ただ、中井さんのお母さんには帰る時になると「ご苦労さん、電気屋さん」と最後まで言われ続けていたとか。東芝というとイコール電気屋だというふうになっていたんですね。

いや、でも羨ましい話。大瀧さんも羨ましがられたんじゃないかな。ああ、そういえば東宝が東京宝塚の略だというのを知ったのは大瀧さんでした。ラジオデイズでのトークの中で話されたっけ。東宝という会社のことにもかなり詳しく調べられていたな。


by hinaseno | 2019-03-31 13:52 | ナイアガラ | Comments(0)

今日はマリナーズの試合を見ながらこれを書いています。投げているのは岩手県出身の菊池雄星くん。大谷くんの先輩ですね。

先日のイチローの引退試合のときもテレビを見ましたが、久しぶりにマリナーズの試合を見ることができてにこにこしています。で、マリナーズの試合を見るとやっぱりこの写真を思い浮かべます。

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左から渡辺満里奈さん、大瀧さん、さくらももこさん。『ちびまる子ちゃん』の主題歌を大瀧さんが作曲プロデュースして渡辺満里奈さんが歌うことがきまったときに、大瀧さんが満里奈さんにプレゼントしたのがマリナーズのジャムパーだったんですね。

イチローのマリナーズ入団が決まったのはこの6年後のこと。大瀧さんとしては満里奈とマリナーズをかけてのシャレだったわけですが、満里奈さんとの縁も含めて何か未来を予見していたよう。


大瀧さんがまさに満里奈さんをプロデュースしていたころに子安さんが手がけていたのがウルフルズ。満里奈さんの「うれしい予感」発売直前に起きたのが阪神淡路大震災でした。僕が1997年の夏に初めて姫路文学館に行くきっかけとなったのもいろいろ辿っていけば阪神淡路大震災だったなと(話せば長いんだ)。あれはやっぱり人生を変えた大きな出来事でした。

阪神淡路大震災が起きたときに大瀧さんは「うれしい予感」の発売を一旦止めるように働きかけます。曲のタイトルも含めて今出すべきではないと。でも、止められなかったんですね。大瀧さんはずっとそれを悔やみ続けていたようです。やめるべきときにはやめなければいけないと。「新しいことをやるときには墓参りをしろ」という言葉を裏返して考えてみれば、大瀧さんの気持ちはよく理解できます。

で、まさにその阪神大震災が起きた直後、ウルフルズも1枚のシングルを出す予定になっていました。そのシングルに大瀧さんがからんでいるんでるんですが、このあたりの話が一番震えました。すごいなとしかいいようがない。

でも、とりあえず順序立って子安次郎さんと銀次さんのトークの話の続きを。ところで子安さんの話で興味深いのは、子安さんの語られる話の中に「偶然」とか「たまたま」という言葉が何度も出てくるんですね。あるいは「運が良かった」とか「ラッキー」だったとか。大瀧さんの最も近いところにいた方らしいなと。


さて、大学時代に大瀧さんの福生で書生のようなアルバイトをしていた子安さんですが、1978年にナイアガラをたたんだと同時にその書生生活も終わることになります。大瀧さんはナイアガラ最後のアルバム『レッツ・オンド・アゲン』のサンプル盤を子安さんに2枚渡して「好きなところへ行け」と告げたとか(ちなみにその『レッツ・オンド・アゲン』のインナーの写真の中に子安さんも映っているそうです。変装とかさせているみたいなので、どれだかわからない)。

で、子安さんはいくつかレコード会社の入社試験を受けます。最初に受けたのが出来たばかりのEPICソニー。でも、2次試験で落ちる。

EPICソニーといえばなんといっても佐野元春。もし子安さんがこのときEPICに入社していれば翌年にEPICと契約した佐野さんに何らかの形で関わっていたかもしれません。ちなみに伊藤銀次さんは佐野さんのデビューアルバムからアレンジャーとして関わることになります。まあ、この段階では縁がなかったということですね。

次はビクターに。でも書類審査でアウト。で、その次に受けた東芝EMI。本当はディレクター希望でしたが、とりあえず最初は営業をがんばりますとアピールして入社が決まります。入社後、社内でいろいろあって(不運なように思えて結果的にはラッキーなことがいくつも)、で、引っ張ってもらったのが日本歌謡史に燦然と輝く草野浩二さん(かの有名な漣健児の弟)。そのときに草野さんから任されたのが川島なお美さんでした。最初に手がけたのが「ラブ・ミー・タイト」というシングル。ここから子安さんのディレクター生活がスタートします。でも、このシングルはアレンジャーを決めただけ。

このころから川島なお美さんがすごく人気が出てくるんですね。もちろん僕も何度もテレビで見ていました。

で、子安さんがディレクターとして本格的に手がけた川島さんのアルバムが『SO LONG』(1982年12月1発売)。

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このアルバム、手に入れたくなるようなすごい内容。当時10万枚くらい売れたそうです。

子安さんはこのアルバムを制作するにあたってプロデューサーを立てます。それが大瀧さん、佐野さんとともに『ナイアガラ・トライアングルVol.2』を出したばかりの杉真理さん。ナイアガラの流れを踏襲しながら仕事をスタートしたわけです。

このアルバムが興味深いのは(聴いてみたいと思うのは)、杉さんが11曲中8曲も曲を書いているということもあるんですが、その杉さんと、そして大瀧さんとも縁の深い、あの平井夏美こと川原伸司さんが2曲提供していること。平井夏美(=川原伸司)さんのことは渡辺満里奈さんの『Ring-a-Bell』というアルバムにからめて、以前かなり書いています。

そういえばその平井夏美の一連の話の最後に書いたこの日のブログの最後に、こんなことを書いています。


話はものすごくそれますが、前にラジオデイズのことにふれて平川克美さんのことを書きました。大瀧さんはアゲインの石川さん経由で平川さんに会うことになるのですが、平川克美という名前を見て、一瞬”空目”が起こって、こうつぶやかれたのではないでしょうか。
「川原のペンネームみたいな名前だな」
そして、きっと会う前からずっと知っているような親しい気持ちになれたのではないかと思います。

まあ半分冗談ではあったんですが、銀次さんと子安さんのトークで面白いことがあったんですね。気がついたのは僕だけでしょう。

平井夏美さんの名前が出て、二人で盛り上がったときに銀次さんがぽろっと平井夏美さんのことを「平川夏美さん」て言ったんですね。銀次さんは『銀次の部屋』で対談する以前から平川さんのことを知ってるんですが、二人の名前が混じってしまってたと。

僕が昔、冗談半分で書いた推測もあながち外れてはいなかったかもしれない。


by hinaseno | 2019-03-30 14:03 | ナイアガラ | Comments(0)