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by hinaseno
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カテゴリ:ナイアガラ( 312 )



今、読んでいるのは先月末に発売されたばかりの『伊藤銀次 自伝 MY LIFE, POP LIFE』。

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銀次さんといえば、ってどう紹介していいか難しいですね。僕としてはナイアガラ・トライアングルの一人として初めて知りました。そして先日紹介した「1973年に引っ越した場所から始まる物語」の主役でもあります。この人がいなければ、という人の中の最も重要な人であることは間違いありません。


大瀧さんがON・アソシエイツの大森昭男さんからCMソングの依頼されるひと月前の1972年12月に、大瀧さんは大阪で活動していたバンドのプロデュースを依頼されます。バンドの名前は”ごまのはえ”。リーダーは銀次さん。大阪で話をした大瀧さんと銀次さんは意気投合。ごまのはえのプロデュースを引き受けることを了解します。

そのごまのはえが上京して福生に住むようになったのが翌73年の3月。まだ三ツ矢サイダーのCMの試行錯誤を繰り返していたとき。4月には、そのごまのはえを使って「アシアシ」と「サマー・ローション」のレコーディングします。


それにしてもごまのはえっておかしなバンド名ですね。考えたのはもちろん銀次さん。そのバンド名に限らず、例えば大瀧さんと出会う前に出たデビュー・シングルのタイトルの「留子ちゃんたら」とかB面の「のぞきからくり」とか、変わったタイトルの曲名も銀次さんが考えたもの。銀次さんは大瀧さんに負けず劣らず雑学の人ですが、とりわけ文学に詳しくて「のぞきからくり」の歌詞は萩原朔太郎の影響を受けているとか。

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さて、本はちょうど半分くらいを読んだところ。今日は佐野元春さんとの出会いを読む予定です。この出会いがなければ『ナイアガラ・トライアングル Vol.2』は、たぶんありませんでした。

今まで読んだところで興味深いのはやはり大瀧さんがらみのところ。知っているエピソードもあれば知らないエピソードもいっぱいです。大瀧さん経由で知っている話も微妙に食い違っているものもあったりします。そんな中、一番よかった話をひとつ。


ごまのはえは大瀧さんのアドバイスなどもあってメンバーが何人か交代し、1973年の夏頃にグループ名をココナツ・バンクに変更します。ちなみに新たに加わったメンバーの一人が駒沢裕城さんで、その駒沢さんと銀次さんが夏のある日、高円寺のライブハウスに行って達郎さんが作っていた自主制作盤に出会うという日本ポップス史上、最も重要な出来事が起こるわけですが、このココナツ・バンクという名前への変更はその直前。

ココナツ・バンクというバンド名の由来について、かつて大瀧さんはインタビューでこう語っていました。


7月に運命的なCMがやってきた。「ココナツ・コーン」(ブルボン)。これもごまのはえがバック。これが思いのほかうまくいって。これが(後に)「恋はメレンゲ」につながる。このとき”ココナツ、ココナツ”というリフレインを思いついて。それからたまたま辞書を引いていたら”バンク・ホリデー”って言葉が見つかった。で、”ココナツ・バンク・ホリデー”っていうバンド名に変えたらどうだ、いつまでもごまのはえでもないだろうと。改名したのは「ココナツ・コーン」をやったから。改名を機にメンバー・チェンジをした。布やん(布谷文夫)のレコーディングをやりながらメンバーを固めていった。銀次に歌を歌わせて、駒沢を入れた。

これを読むとココナツ・バンクというバンド名を考えたのは大瀧さんのようになっていますが、『伊藤銀次 自伝』に書かれていた銀次さんの話は少し違っていました。


ごまのはえとして大瀧さんにプロデュースをしていただいてる間にメンバーが変わり、時代の変化と共にサウンドも変わり、本来のごまのはえサウンドとは違うものになってきたので、それに伴ってバンド名も変えようということになって。もう平仮名のバンド名を古く感じるようになってたんですよ。
ココナツ・バンクというバンド名は、レフト・バンクってバンドが昔いたでしょう。「バンク」って響きがいいなと思ってね。そこにトロピカルな雰囲気が欲しくて、いくつか言葉を並べた中から「ココナツ」を選んで、ココナツ・バンク。
候補はこれ1個だけじゃなかったんですよ。リトル・フィートのアルバムのデザインをやっていたネオン・パークの名前を取って、ネオン・ローラー・パークっていうのもあったし。4つか5つか考えた中から、大瀧さんが選びました。

というわけで銀次さんの話ではココナツ・バンクというバンド名は銀次さんが考えたことになっています。まあ、大瀧さんと銀次さんはいっしょに言葉遊びをするのが大好きだったので、いろいろとアイデアを出し合っているうちにこれでいこうとなったんでしょうね。ただ、「ココナツ・コーン」というCMがきっかけになったのは確かだと思います。


大瀧さんはバンド名をココナツ・バンクに決めたときに銀次さんにこう言ったようです。


「りすとかくまが、栗やクルミを転がしながら銀行へ納めに行くような感じがしてかわいいね」

なんともメルヘンチックな言葉。りすやくまが、栗やクルミを転がしながら納めに来るココナツ銀行。いいですね~。なんだか高橋和枝さんの絵本を思い出して、うれしくなりました。

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by hinaseno | 2018-04-13 15:39 | ナイアガラ | Comments(0)

僕にとっての奇跡の1日といえば、もう何度も書いているように石川さんから贈っていただいた「ゴー!ゴー!ナイアガラ」のシリア・ポール特集を聴いていたときに「関口」という名前が出て、それが『昔日の客』の関口良雄さんの息子さんである関口直人さんだとわかり、そしてそれがわかったまさにその日に関口直人さんが武蔵小山のアゲインに来られていて電話までいただいたという日に尽きるわけですが、そのシリア・ポール特集で関口さんの話題になっていたときに、実は大瀧さんはそのときに「この話はもう前に出てんだ」と言ってたんですね。


その「前」を聞けたのはかなりあとのことだったんですが、それがシリア・ポール特集の3ヶ月前に放送されたNiagara CM Special特集でした。放送されたのは1977年3月22日。まさにシリア・ポールのアルバムを制作していた時期。

この日の放送は大瀧さんのCMの仕事の関係者3人がゲストに招かれていました。大瀧さんにCMの曲を依頼したON・アソシエイツの大森昭男さん、その曲の作詞を手がけた伊藤アキラさん、そして音楽プロデューサーの牧村憲一さん。この時の話はこの日のブログで少し紹介していますね。

改めて関口さんの話が出てくる部分を。大瀧さんのCM作りがいかに大変だったかの話の後にこの言葉が出てきます。


「僕も会社、ONというのを始めたばかりで、そこにアシスタントディレクターと言うね、関口という若者が…(この瞬間、全員が大爆笑)...若者がいるわけなんだけれども、彼、この仕事、入ってもらったはいいけどね、こんなに地獄攻めしてね、逃げ出しはしないかと心配したけれども。しかし頼まれていることで、スポンサーのためにやっているんだけど、そこから生まれてくる空気の中でさ、やっぱり自分自身が楽しかったしね、そういうことあったと思うのね」

なんともユーモアと愛情に溢れた話なんですね。はっぴいえんどを事実上解散して、福生に移って、さあこれからどうやって仕事をしていこうかという時期に最初に声をかけてくれた人(「縁」ですね)ということで感謝の気持ちを強く抱いたに違いありませんが、なによりも話ができる人、冗談が通じる人であったというのが一緒に仕事をしようと思った一番の理由ではないかと思います。


でも、大森さん(会社を立ち上げたばかり)が大瀧さんにCMを依頼したものの、制作は難航するんですね。一番の原因は大瀧さんの声。サイダーという爽やかな飲料水にはふさわしくない声だと三ツ矢サイダーの会社の責任者の人たちが拒否感を示したんですね。で、大瀧さんは女性が歌ったバージョンを含めていくつものパターンの曲を作ることになります。でも、なかなかOKが出ない。業を煮やした大森さんが一番最初に作ったバージョンをこっそりと流したんですね。そうしたらそれを見た視聴者からの反響が来て、それを責任者の人たちに見せて納得させたと。

そのCMがこれ。




『ロンバケ』で大瀧さんのことを知って、レンタル屋レコードで『Niagara CM Special』を借りてこの曲を聴いたときに、これは聴いたことがあると思ったのには理由がありました。当時、毎週必ずみていた『スター誕生』のメインスポンサーが三ツ矢サイダーで番組の合間のCMでこれが流れていたんですね。

翌年作られたこちらの「Cider 74」は当時いい曲だと思って、口ずさんだりもしていました。今聞いても素晴らしい作品。




そして、この話も繰り返しになりますが、大瀧さんのCM曲といえばなんといっても日立の「オシャレさん」。『ロンバケ』と出会う少し前にテレビで流れていたわけですが、最高に好きなCMソングでした。ちなみにこの「オシャレさん」も大森さんのON・アソシエイツの制作。


改めていうまでもなく、大瀧さんはCMで様々な音楽的な実験をしていて、それがのちに自分の作品に生かされる形となっていました。「Cider 74」とか「オシャレさん」とかがなければ絶対に『ロンバケ』が生まれることはありえない。

はっぴいえんどをやめてひとりになった大瀧さんにCMという形で数々の作品を生み出す機会を与えた大森昭男さんという存在がいかに重要であったかがわかります。


その大森さんが先月に亡くなられていたことを最近になって知りました。ご冥福をお祈りします。天国でまた大瀧さんと素敵なCM曲作ってください。


これは以前紹介した「ほぼ日」での写真。一番右が大森昭男さんです。

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by hinaseno | 2018-04-11 15:10 | ナイアガラ | Comments(0)

今朝は早く起きて、エンジェルスの大谷君の本拠地初登板を見る予定だったんですが、昨夜、眠りに落ちた頃に大きな地震で起こされ、さらに余震が何度か続いて、で、ようやく落ち着いて眠りについたので、目が覚めたらちょうど試合が終了したときでした。でも、すごかったようですね。7回1アウトまでは一人のランナーも出さないパーフェクト・ピッチングをやっていたようです。見たかったなあ。とりあえず記念に写真を貼っておきます。

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赤のエンジェルスのユニホームが本当に似合っていますね。大瀧さんも天国でニコニコしながら試合を眺めていたに違いありません。


ところで今朝はある人のことを書こうと思って、以前自分がブログに書いていたことをチェックしていたら、そこに大谷君のことをちょこっと書いていてびっくり。記事を書いていたのは5年前の2013年2月3日。この日のブログのタイトルは「1973年に引っ越した場所から始まる物語」

こんなことを書いていました。


今日、僕が書く文章は1973年1月から始まります。考えてみるとまさにそこが僕にとっての「入り口」でした。僕にとってあまりにも「遠く離れた街」、でも、とても身近に「人々の声」を聞き取ることができます。
そしてこの話の「出口」は、たぶん1973年8月。阪神の江夏豊が史上初の延長戦ノーヒットノーランを達成した月。その延長戦を終わらせたのは自ら放ったサヨナラホームラン。なんてかっこいいんだろうと思った。日本ハムに入った大谷君がそんなことをやってのける日が来るといいですね。

大谷君はこの前年の秋のドラフトで日本ハムに指名されて、もともと日本の球団ではなくてメジャーリーグ行きを表明していた大谷君はずいぶん悩むんですね。でも、日ハムから二刀流のプランを提案されて日ハム入団へと傾いたわけです。

正直、このときには大谷君が本当に二刀流なんてできるんだろうか、本当に成功するんだろうかと半信半疑でいたわけですが、この5年後、彼がメジャーリーグのグラウンドに立ち、シーズンが始まってまだ10日くらいしか経たないのに3試合連続のホームランを打ち、2勝目を挙げているなんて想像すらできませんでした。


なんてことを書いていたら、すでにかなり長くなってしまいましたね。

今日書く予定にしていたのは、先日のブログで貼っていた、例のシリア・ポールの「香り ’77」のクレジットに載っている人のこと。あの関口直人さんの上に記載されている人です。

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プロデューサー:大森昭男(ON・アソシエイツ音楽出版)

僕と大瀧さんの音楽との最初の出会いを用意してくれたのもこの人のおかげ。この人がいなければ、大瀧さんのミュージシャンとしてのその後はなかったかもしれません。それくらい大瀧さんにとっては大きな存在の人。


さっきリンクした日のブログのタイトルは「1973年に引っ越した場所から始まる物語」。そこに書いているように大瀧さんは1973年の1月末に福生に引っ越します。で、引っ越してまもなく「大滝詠一史的には大事件」が起こるんですね。『レコード・コレクターズ増刊 大滝詠一 Talks About Niagara』(p.49)でのインタビューに書かれているので引用します。


73年の1月に大滝詠一史的には大事件が起こるんですよ。サイダーのCMの話です。そのときON・アソシエイツ(CM制作会社)の大森昭男さんと伊藤アキラさん(作詞家)に会って。

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by hinaseno | 2018-04-09 12:54 | ナイアガラ | Comments(0)

「仙人秘水」


子供の頃に見ていた特撮のテレビ番組やアニメなんかでは、よく仙人が登場していました。何か悩みにぶつかった主人公が山奥にこもって修行するとき、必ず仙人のような人が現れる。仙人は積極的に何かを教えるということは決してしない。だから主人公は仙人のちょっとした言葉、ちょっとした行動からヒントを見つける。子供心にこの仙人のような存在にどこか憧れていました。


大瀧さんはまさに仙人のような人でした。実際、「福生の仙人」なんて肩書きがつけられた記事がいくつも書かれています。そんなふうに呼ばれるようになったいきさつは定かではありませんが、ずっと福生に”引きこもり”、人に会うのは1年間でほんの数人という話(これはご自分で話されていたこと)を聞けば、仙人のような人だと思わないわけにはいきません。一時期、映画研究のために街歩きをしていたというのは本当にめずらしいことでした。


改めて考えてみれば、お顔も、もし仙人がいるとすればこんな顔をしているんだろうなと思えるような顔でした。

この『ポップス・イン・ジャパン』という雑誌(1991年7月)に載った写真なんかを見ると、まさに仙人って感じです。

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まあ、岩手県の山奥で生まれ育った頃から、仙人的素養は十分にあったわけですが。調べたら岩手県には仙人峠という場所もありますね。遠野市と釜石市の境界ということは、大瀧さんが過ごされていた場所にも近い。


ところで、ここのところ机を離れて別の場所で片付けをしたり掃除をしたり、時にはちょっとした大工仕事のようなことをすることが多く、そんなときには音楽よりも語りのあるものを聞く方がよくて、ずっと新春放談を聴き続けています。

で、つい先日、2001年1月14日の新春放談を聞いていたら、こんな話が出てきたんですね。おそらく大瀧さんが持参したペットボトルを取り出して語り始めたはず。


大瀧:まぁ、水を飲んでいればね、あのぉ~
山下:「仙人秘水」って、何それ!?
大瀧:うっふっふっふっふ。
山下:何これ?
大瀧:だから、これを飲んでいればね…
山下:ちょっと見して、これ。
大瀧:だからさ、死なないんだよ。アッハッハッハッ
山下:何これ? どこで出してんの?
大瀧:なんでこんなにウケるんだ。こんなとこで。も~。
山下:最っ高。
大瀧:(笑い止まらず)
山下: 製造販売元釜石鉱山株式会社。岩手県釜石市。すごすぎる。
大瀧:(笑い止まらず)
山下:これ…
大瀧:別に宣伝でもなんでも…
山下:取り寄せてるんですか。
大瀧:うん。
山下:自然のままに「仙人秘水」ナチュラル ミネラル ウォーター。
大瀧:宣伝してどうするんだよ(笑)。よしなよ、もう。
山下:はあ~。「仙人秘水」は「おおみねやま」(大峰山)っていうんですか? 「たいほうざん」ってんですか。
大瀧:いや、よく知らないんだ。
山下:岩手県なのに。
大瀧:うん。
山下:え~、1147m、深さ600m、 釜石鉱山の入口から3kmの地底に湧く自然の水。 数十年の歳月をかけて、磁鉄鉱、 花崗岩、石灰岩などの岩盤に濾過された自然鉱泉水をボトリングしました。水の分子が極めて細かくまろやかな味。体にやさしい弱アルカリ性ミネラルウォーターです。これいつも飲んでんですか?
大滝:飲んでるよ。
山下:これ、どっか取り寄せるんですか。それとも近所で売ってんですか?
大瀧:いや、取り寄せて。
山下:で、どこで知ったんですか、この「仙人秘水」って。 これだ!って思ったんでしょ。
大瀧:思ったよ。
山下:アッハッハッハ
大瀧:別に、だから、たまたまね。
山下:アッハッハッハ。ウケすぎ。
大瀧:その〜、地元だとか、そういうふうにみんな思うんだろうけども、ネーミングがこれじゃなかったら飲まなかったよ。別にこのネーミングだったら北海道でもどこでもよかったんだよ。
山下:全国のナイアガラ・ファンのみなさん。我々が思っている以上にですね、よく自覚してるんですよ、そういうことを。
大瀧:フッフッフッフッフ
山下:そうかぁ~、「仙人秘水」。
大瀧:水があればね、大丈夫だよ、うん。かなり生きられるよ、水で。ねえ。
山下:あのねえ、何も僕らはヒマラヤに登ろうっつってんじゃないんですからね。
大瀧:フッフッフッ、おかしい。
山下:すごいな~。今日、いっちばんウケた。
大瀧:ウケたねえ。
山下:最高。
大瀧:こんなにウケるとは思わなかったなぁ。
山下:最高。
大瀧:だからそういうふうにしてね、水で生きられるの、人間は。かなりね。そういうことを考えずにね、根本的なことを考えた方がいいかなっと思って。まずは水だよ。

大瀧さんと達郎さん、延々と笑い続けているんですね(笑いの部分って書き起こすのが難しい)。お二人もそうですが、聞いているこっちももう大笑い。達郎さんが「これだ!って思ったんでしょ」と言った後の大瀧さんのきっぱりとした「思ったよ」という答えがなんとも笑えます。

それはさておきこの「仙人秘水」、この日の放送を聞く都度に手に入れようと思いつつ、いつの間にか忘れていてしまっていたんですが、今回ようやく入手しました。

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ちなみに僕がいつも飲んでいるのはevianかvolvic。いずれもフランスのミネラルウォーターですね。日本の天然水はどれもくせがあって苦手。


さて、この「仙人秘水」、飲んでみましたが、これほど「まろやか」という表現がぴったりな水は初めて。全くクセがありません。ちょっとやめられそうにありません。


ナイアガラーの人からは、何を今更、って言われそうな話でした。


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by hinaseno | 2018-04-06 13:21 | ナイアガラ | Comments(0)

ウィキペディアなどで佐川満男さんのプロフィールを見て、「へえ~っ」と思ったことがいくつかあったので最後にそれを。


まずは「小へえ~」(捷平と翔平にかけてます)。

佐川満男さんは俳優もされていて、現在もいろんなドラマなどに出演されているようなのですが、つい先日まで放送されていたNHKの朝ドラ「わろてんか」に出演されていたんですね。あの松本穂香さんが出演していた「ひよっこ」のあと番組。佐川さんはNHKの大阪放送局の連ドラにはほとんで出ているみたいですね。これはネットで拾った「わろてんか」のワンシーン。

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次は「中へえ~」。

佐川さんをディスコグラフィを見ていたらただひとつだけ僕のパソコンに入っている、よく知っている曲がありました。これが大好きな曲だったんですね。この「フランス人のように」という曲です。1969年の曲。




作曲は筒美京平。あの「木綿のハンカチーフ」を作曲した人ですね。「フランス人のように」は僕の持っている『筒美京平: HITSTORY 1967-1997』の1枚目に収録されていました。

筒美京平が1960年代に書いた曲で死ぬほど好きな曲が3曲あるんですがそのうちの1曲。

ちなみにあとの2曲は弘田三枝子の「渚のデイト」と西田佐知子の「くれないホテル」。どれも、この時代の日本で作られたとはちょっと信じられないくらいに洒落た曲なんですね。


で、次は「高へえ~」。

ドラマは全然見ないので俳優としての佐川さんを見ることはなかったんですが、でもテレビで佐川さんが主役をつとめる番組、というか番組の一つのコーナーを唯一ときどき見てたんですね。たまたまではなく意識して。

その番組とは例の『ちちんぷいぷい』。司会は西靖さん。その「前略、旅先にて」というコーナーで旅人として出演していたのが佐川さん。佐川さんは毎回必ず素敵な絵を描いていたんですが、それがとってもよかった。

このコーナー、2000年から始まっていたということは角さんが司会をしていた頃からですね。

もともとこのコーナーは時間と曜日の関係から見ることはなかったんですが、ある時知り合いからこのコーナーが好きだと聞いて、で、見たら、なんとも僕好みのいい感じ。以来、見れるときには見ていました。あの旅人が佐川満男さんだったというのは超びっくりでした。普通の名もない画家かと思っていました。


そして最後に「大へえ~」。

これはやはり佐川さんが塩屋の出身だったということですね。そして塩屋の旧グッゲンハイム邸でライブをされるということ。これはやはりこれ以上ない驚きでした。これまで佐川さんがどれだけ定期的に塩屋でライブをしていたかはわかりませんが、あの塩屋で何度かは「Walk With Me(二人の並木径)」を歌われていたはず。


「Walk With Me(二人の並木径)」という曲のことを、今、どれくらいの人が知っているのかと考えると、きっと昔からの佐川さんのファンと限られたナイアガラーというごくごく一部の人のはず。

でも、もしかしたら塩屋では「Walk With Me(二人の並木径)」という曲を知り、それを愛している人がかなりいるのではないかという気がします。ますます塩屋が好きになりました。


ところで佐川さん、シリア・ポールというシンガーが「Walk With Me」を歌っているのご存知なんでしょうか。


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by hinaseno | 2018-04-03 12:43 | ナイアガラ | Comments(0)

真っ赤なエンジェルスのユニフォームを着た大谷翔平選手が今朝、メジャーで初先発初勝利をあげたようです。すばらしいことですね。

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エンジェルといえば先日の世田谷ピンポンズさんのおひさまゆうびん舎7周年記念ライブの話を書いたときに、ひとつ書き忘れていたことを思い出しました。ブログに貼るつもりで写真を撮って保存していたのに。

それはこれ。

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7周年記念ライブ「三月の便り」のポストカードと小さな天使が描かれたかわいらしいケース。どちらも描いたのは輪佳(waca)さん。

今、輪佳(waca)さんはいろんな天使(エンジェル)を描き続けているんですね。どれもすごくかわいいんですが、個人的にはやはり赤い髪をしたエンジェルが好きです。


で、赤といえば、昨日、世田谷ピンポンズさんが「赤」という曲の映像をツイートされていてびっくり。これが素晴らしいんですね。どうやらおひさまゆうびん舎の夜の部で歌われたようです。いつか聴きたいです。


ところで、前から書こうと思っていたことですが、「Walk With Me」の歌詞にはエンジェルが出てくるんですね。それは曲の最初。


Walk with me, my little darling
Walk with me, my little angel
わたしと一緒に歩いて、わたしの小さなダーリン
わたしと一緒に歩いて、わたしの小さなエンジェル


昨日の最後にちょこっと紹介した1987年に出たCDの大瀧さんによる解説では、この部分に関する話が出てきます。


原曲はニール・セダカのヒット曲「悲しきクラウン」のB面。セダカ来日の際、同じレコード会社ということで佐川ミツオのデビュー・ソング「二人の並木径」として贈った曲。この曲の女性によるカヴァーは少ないと思われるが、歌詞の内容からもそう不思議な感じはなく、ただ女性が男性に〈ANGEL〉と呼ぶのだけは少々無理があったかと、思わないでもないが、女性が女性に歌いかけている歌、とでも新解釈していただくなりして、英語圏の文化に御精通の方は、カタイこといわずに聴いて頂きたい。

大瀧さんがこの解説を書いてから20年後、シリア・ポールがカヴァーしてからは30年後の2007年に、ある日本の女性が「Walk With Me」をカヴァーしたんですね。しかも佐川ミツオが歌ったそのままの歌詞で。タイトルは「二人の並木径 ~ Walk With Me ~」。

歌ったのは宙美(ひろみ)というアーティスト。実は宙美さんは佐川満男さんが1971年に結婚した伊東ゆかりさんとの間にできた一人娘なんですね。

これがそれが収録されたCD。

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シングルCDですね。この2曲目に収録されています(ちなみにこのCDにはカラオケも収録)。




佐川満男さんの娘の宙美さんが「Walk With Me」をカヴァーしていたということはアゲインの石川さんがHPに書かれていたのを読んで知りました。今から6年前の2012年の7月頃のこと。このとき、実は石川さんにとってちょっとした事件のようなうれしい出来事が起こっているんですね。


CDのジャケットの裏側に書かれているように、このアルバムのプロデューサーは小松久さん。

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詳しく見ると、この「二人の並木径 ~ Walk With Me ~」のアレンジも小松さんがされていて(1曲目のアレンジは別の人)、さらに小松さんはこの曲ではギターも弾いています。


その小松久さん。どうやらアゲインの近くにお住まいのようで、以前からアゲインでライブをされていたんですね。

というわけで石川さんはこのことを早速大瀧さんに報告。石川さんが間をとり持つ形で大瀧さんと小松さん、そして石川さんの間で「Walk With Me」をめぐるいろんな話がなされたようです。どんな話がされたんでしょうね。それにしてもこのあたりの縁もすごすぎます。


ところで調べた限りニール・セダカ作曲の「Walk With Me」のカヴァーは他には見当たりません。今のところ歌ったのはニール・セダカとジミー・クラントンと佐川ミツオとシリア・ポールとそして宙美さんの5人。もし他に知っていたら教えてください。


最後に、蛇足ではありますが、このCDのクレジットをよく見たらニール・セダカの名前が表記が誤っていました。ニールの部分ですね。「Niel」となっていますが正しくは「Neil」。


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by hinaseno | 2018-04-02 12:49 | ナイアガラ | Comments(0)

佐川満男さんが佐川ミツオという芸名でシングルを出した2年後の1962年、ようやくニール・セダガ自身のシングルに「Walk With Me」のオリジナル・バージョンが「King Of Clowns」のB面として収録されることになります。録音してからも2年の歳月が経っていました。

これがそのシングル。

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一応曲を。




発売されたのは1962年3月。で、おそらく、それからあまり時をおかずに日本盤のシングルが発売されます。これですね。

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ジャケットのデザインはアメリカ盤と同じ(イメージは教壇に立つ先生?)。タイトルが邦題に変わっていますね。「King Of Clowns」は「悲しきクラウン」(このタイトルで「クラウン」が道化師であることをどれだけの人がわかっていたんだろう)、で「Walk With Me」は佐川ミツオのデビュー・シングルと同じ「二人の並木径」。

ジャケットの裏の解説には、「Walk With Me(二人の並木径)」についてこんなことが書かれています。

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2年前、ニール・セダカが来日した時、佐川ミツオのデビュー・ソングとして贈った曲。

ちなみに1962年というのは大瀧さんが中学2年になった年。大瀧さんが解説で「丁度この頃、セダカは来日していて、この曲を(同じビクターということで)佐川ミツオにプレゼントしています。(このエピソードは『ミュージック・ライフ』で知りました。当時はワタシは中学2年)」と書いているのを見ると、おそらく『ミュージック・ライフ』の1962年の4月号か5月号あたりでニール・セダカのこのシングルが取り上げられていたんでしょうね。


さて、このニール・セダカが歌ったものを聴いて早速それをカバーしたのが、あのジミー・クラントン。




その「Walk With Me」が収録されたアルバムがこれ。残念ながらこのLPは持っていません。

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アルバム・タイトルが『Venus In Blue Jeans』。そう、この1962年の夏に「Venus In Blue Jeans」がヒットしてその流れで作られたアルバムに「Walk With Me」が収録されたんですね。このアルバムが出たのはたぶん1962年の12月頃。このLP、大瀧さんももちろん持っていました。


ネットの画像をレーベルをチェックしてみたら「Venus In Blue Jeans」の作曲者はジャック・ケラーではなくシングルと同様にニール・セダカになっていますね。

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シングルを発売して半年近く経っているのにまだ訂正されていないとはちょっとびっくり。誰も指摘する人がなかったんでしょうか。

それはさておきシリア・ポールのアルバムで「Walk With Me」をカバーし、そしてその4年後に「Venus In Blue Jeans」を下敷きにして松田聖子の「風立ちぬ」を作っているということを考えると、このあたりのつながりは実に興味深いものがあります。


ところで「ゴー!ゴー!ナイアガラ」ではシリア・ポールのアルバムが作られた前年の1976年8月16日に放送された男性シンガー特集でニール・セダカとジミー・クラントンが歌った「Walk With Me」が続けてかかっています。少しずつ構想を固めていた頃なんでしょうね。

この曲をかけた後の大瀧さんの言葉。


ジミー・クラントン、「Walk With Me」でした。その前はオリジナルのニール・セダカ、「Walk With Me」でした。これが日本語のタイトルが、なんだこりゃ、「二人の並木径」という(笑)タイトルでしたけれどもね。この解説文を読みますとね、ニール・セダカが日本に来た時に、佐川ミツオにデビュー・ソングとして贈った曲というふうに書いてありますね。佐川ミツオのレコードってのがたぶんあるんでしょうね、「二人の並木径」。この曲、聴いてみたいものですけどね。
ずっと以前、去年ですね、6月9日に「ゴー!ゴー!ナイアガラ」が始まりましてから、アルドン・スクリーンジェムス系統というね、わけのわからないスタッフ・ライターの特集をずっとやってきましたけども、その中で中核をなしますところのキャロル・キングと並んで中核をなしますニール・セダカの曲で「Walk With Me」でしてね。
ジミー・クラントンも♫ビ~ナ~ス・イン・ブルー・ジ~ンズ、ザ・シンデレラ・アイ・ア~・ド~♫(笑)の人ですけどもね、その人が「Walk With Me」をカバーやっているわけなんですね。ヒュルルルってハープがたくさん入ってきましたけどね。さすがに『Venus In Blue Jeans』のLPだけありますわな、ホントに。


ということでこの1976年8月の段階では大瀧さんは佐川ミツオの「二人の並木径」は聴いたことがなかったようです。

でもシリア・ポールで「Walk With Me」をカバーすることになったんでレコードを手に入れたんでしょうね。シリア・ポール特集の前の週である1977年6月7日に放送されたジャパニーズ・グラフィティ特集で佐川ミツオの「二人の並木径」をかけています。曲の前にこんな紹介。


来週は6月25日発売の『夢で逢えたら』、LPのほうですね、シリア・ポールの特集しますけどもね。来週と再来週、2週間にわたって特集しますけども、その中で取り上げた曲があるんですよね。ニール・セダカの「Walk With Me」っていう曲なんですけどもね。それをなぜか昔、日本の人がカバーして取り上げていましてね。今日はまずそれを聴いてもらおうと思います。

ところで昨日ちょっと久しぶりにそのシリア・ポール特集を聞いたんですが、なんと「Walk With Me」はかかっていないんですね。気づきませんでした。

1977年6月25日に発売されたシリア・ポールの『夢で逢えたら』のアルバムに入っているインナー・スリーブの大瀧さんによる「Walk With Me」の解説にはこう記されています。

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ニール・セダカのヒット曲のB面には、いい曲が多い。(例えば「星へのきざはし」の「フォーティー・ウィンクス・アウェイ」や「かわいいあの娘」の「アイ・ビロング・トゥ・ユー等」)、この曲は「悲しきクラウン」のB面に収められていた曲で、他にはジミー・クラントン、佐川ミツオがカヴァーしていた。

さて、今回の『夢で逢えたら VOX』の、萩原健太さんの手の入った(ややこしいな)大瀧さんのライナーノーツには『We Love Celia』の他に、1987年に出たCDの解説が少し含まれているんですね。そちらの解説にちょっと興味深いことが書かれているのですが、例によってかなり長くなったのでそれは次回に。小松久さんの話までたどり着けませんでした。


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by hinaseno | 2018-04-01 13:56 | ナイアガラ | Comments(0)

塩屋の旧グッゲンハイム邸のイベントカレンダーに載っている佐川満男さんが、「Walk With Me」をニール・セダカからプレゼントされて「二人の並木径」というタイトルで歌った佐川ミツオだと気がついたのは、萩原健太さんによって”書き直し”がなされたライナーノーツのおかげでした。

ちょっとその部分を。

これが大瀧さんが書いた「We Love Celia」の解説。


丁度この頃、セダカは来日していて、この曲を(同じビクターということで)佐川ミツオにプレゼントしています。(このエピソードは『ミュージック・ライフ』で知りました。当時はワタシは中学2年)

で、『夢で逢えたらVOX』の萩原健太さんによってちょっと手が加えられた大瀧さんのライナーノーツはこうなっています。


ちょうどそのころ、セダカは来日していて、同じビクター・レコード所属ということでこの曲を佐川ミツオ(のちに満夫)にプレゼントしています。このエピソードは『ミュージック・ライフ』で知りました。当時はワタシは中学2年でした。

表記も含めて丁寧にわかりやすくなっていますが、かなり言葉が変えられていますね。この部分に限らず、言葉の変更がどれだけなされているかを細かく見比べながら読んでいました。で、佐川ミツオの部分に括弧でくくられた言葉を見つけたんですね。


(のちに満夫)。

そうか佐川ミツオさんは芸名をカタカナから漢字にして活動を続けられたんだなと。で、ちょっとネットで「佐川満夫」という名で検索したら「佐川満夫」では一件もヒットせず、最初に出てきたのが「佐川満男」のウィキペディアでした。それを見ると「1960年、「二人の並木径」でビクターレコードから佐川ミツオとして歌手デビューした」と書いてあるのを見つけて、健太さん、間違えたんだなと。


その時にはそれ以上佐川満男さんについて調べることはしませんでしたが、こういういきさつがあったから旧グッゲンハイム邸のイベント・カレンダーで「佐川満男」という名前が目に入ったんですね。

おっと思って、そのイベントをクリックしたらそこには佐川満男さんのプロフィールが書かれていました。で、その最初に「1960年「二人の並木径」でビクターレコードから歌手デビュー」との言葉。間違いない。「このまちにうまれて」というライブのタイトルからもわかるように、佐川さんの実家は塩屋にあって、そうやら今も塩屋(近辺)に住んでいるようです。


いやあ、これも縁、ですね。

先日、健太さんが手を加えた大瀧さんのライナーをちょっと批判的に書いていたけど、そのおかげで気づくことができたわけですから、世の中わからないものです。


ところで、そのプロフィールにはいろいろと興味深いことが書かれていて、何度も「へえ~」となってしまったんですが、それは後で書くことにして、その前に改めて「Walk With Me」という曲のことをおさらいしておこうと思います。


Bear Familyから出ているNeil Sedakaの『Oh Carol - The Complete Recordings 1956-1966』というボックスのブックレットに載っているデータによると、「Walk With Me」が録音されたのは1960年2月8日。作詞はハワード・グリーンフィールド、作曲はニール・セダカ。アレンジはスタン・アップルバウム。


大瀧さんの解説で「因みにこれはサム・クックの「You Send Me」を下敷きにした曲です」と指摘しているのにはびっくりでした。これは大瀧さんの耳で発見したんでしょうね。確かにそっくり。ほぼそのままのメロディを使っているところまであります。考えたらタイトルもつながりがありますね(いずれも「Me」で終わる3つの単語)。「何も“下敷き”は日本人の専売特許ではない」というのがちょっと笑えます。


ところでBear Familyのボックスによると1960年2月8日は「Walk With Me」のほかに3曲録音しています。「You Mean Everything To Me」「I Must Be Dreaming」そしてバリー・マン作曲の「Forty Winks Away」。

このうち「Forty Winks Away」は「Stairway To Heaven(星へのきざはし)」のB面として翌月にリリース。かなりマイナーな感じの「You Mean Everything To Me」も同年8月に両A面の1曲としてリリース。

曲としてははるかにいいはずの「I Must Be Dreaming」と「Walk With Me」はシングルとして発売される予定がない状態に置かれていたようです。

(ちなみに「I Must Be Dreaming」はようやく翌年1961年の5月に「Little Devil(小さい悪魔)」のB面としてリリース)。


さて、ニール・セダカが来日したのは1960年4月。4月16日から29日にかけて7回公演しています。

このときに、どういう経緯かはわかりませんが(聞いてみたいですね)デビューをひかえていた佐川満男さんに会って、自身でリリースする見込みのない「Walk With Me」をプレゼント。おそらく2月に録音したものをそのまま渡したんでしょうね。歌詞の一部を日本語にかえて1960年7月5日に発売。これが佐川満男さんのデビュー・シングル。

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ちょっと長くなったので今日はここまで。


※追記

これを書き終えて、もしやと思ってアゲインのライブスケジュールを見たら、なんと!

本当は今日、この「Walk With Me」がらみの絶対に外せない話として小松久さんのことまで書こうと思っていたんですが、驚いたことに昨日、アゲインでその小松久さんのライブが行われたんですね。今日のアゲインのブログに貼られている写真は小松さんのはず。

それにしても、アゲインという所はいつもこういう偶然を用意してくれていますね。びっくりすぎます。


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by hinaseno | 2018-03-31 13:11 | ナイアガラ | Comments(0)

僕は「香り ’77」など未発表音源満載のCD-4から聴き始めたんですが、そこに「1977 Original Album Karaoke」が収録されていたこともうれしかったですね(全曲でないのはなぜ?)。

とりわけよかったのが「Walk With Me」。

この曲、やっぱりいいですね。

『夢で逢えたら』のアルバムで一番好きなのはなんといっても「The Very Thought Of You」なんですが、今回改めて『夢で逢えたらVOX』に収録された「Walk With Me」を何度も聴いているうちに、この曲のことがますます好きになってしまいました。


ところで『夢で逢えたらVOX』には全部で6つのバージョンの「Walk With Me」が収録されています。

オリジナルバージョン、ONKIO HAUS MIXバージョン、’87 吉田保Mixバージョン、オリジナルバージョンのカラオケ、’87 吉田保Mixバージョンのカラオケ、そして驚きのTake 1バージョン。

「Walk With Me」についてはこの日この日のブログですでに書いているので、今回はいろんなバージョンの話でも書いてみようかと思っていたら、あることがきっかけでちょっとびっくりするようなことがわかったんですね。それが上のタイトルになっているわけですが、もちろんなんのこっちゃ、ですね。


その前に例の「We Love Celia」に収められた大瀧さんによる「Walk With Me」の解説を紹介しておきます。


 このアルバムでの“通好み”の一曲。(ロンバケでいうなら「スピーチ・バルーン」)
 C・キング、B・マン、E・グリニッジのアルドン系では先輩格の“ニール・セダカ”。この人を入れないとアルドン系は片・手落ちになります。(NOT片手・落ち)
 サスガに“ジュリアード出身”だけあってカシコイ曲作りをする人です。
 私はこの人のB面が好きで、そこで選んだのが「悲しきクラウン」のB面。(邦題は「二人の並木径」。因みにこれはサム・クックの「You Send Me」を下敷きにした曲です。何も“下敷き”は日本人の専売特許ではない)
 丁度この頃、セダカは来日していて、この曲を(同じビクターということで)佐川ミツオにプレゼントしています。(このエピソードは『ミュージック・ライフ』で知りました。当時はワタシは中学2年)
 アメリカではジミー・クラントンが、アルバムの中でカバーしています。(こちらのバージョンのアレンジもこのアルバムでは加味しました)
 セダカ、佐川、クラントンと全員“男性”で、この曲を“女性”が歌ったのは多分このシリア・バージョンが世界で初めてではないかと思います。
 ボーナス・トラックとして吉田保さんによる86年ミックスを入れたのは、ヴォーカルの“エコーの付加度”による印象の違いを味わって頂きたかったのです。
 笛吹銅次バージョンは、ほぼノー・エコーですから異常に“オン”に聞こえます。生々しさからくる気恥ずかしさを感じるかもしれませんが、それが正直な印象にもなり、写真で言えば“クロース・アップ”の趣があって、思い入れの強い人にとってはこのバージョンがヨイでしょう。
 一方、吉田保さんのバージョンは、エコーが深い分心地好く、コーラスも厚く聞こえ、音楽的な“一体感”があり、一般の人も安心して聴ける作りになっています。(歌が“ウマク”聞こえますし(^_^))その分、やや“遠景”という印象も受けます。
 《“寄り”と“引き”》
 “同じ”オケでも、ミックスで全く別の印象を持たせることが“可能”なのです。(“お好み”でお召し上がり下さい)


最初に「アルバムでの“通好み”の一曲。(ロンバケでいうなら「スピーチ・バルーン」)」と書かれています。確かにこれはアルバムを何度も聴き続けているうちにじわっと良さがわかってくる感じの曲なんですね。


作曲者はニール・セダカ。「悲しきクラウン」のB面の曲。いかにもB面らしい曲です。解説で大瀧さんは「私はこの人のB面が好きで」と書いていますが、これは別の解説でも同じことを書かれたのを読んで、で、僕は『ニール・セダカ B-side collection』というCDを作ったんですね。これ、とってもいいんだな。

そういえば『夢で逢えたら』の「Walk With Me」の次に収録された大瀧さん作曲の「こんな時」の下敷きになっているのはやはりニール・セダカのB面の曲である「I Must Be Dreaming」。ちゃんとつなげていますね。


さて、本当はここで大瀧さん自身がミックスした2つのバージョンと吉田保さんのミックスしたバージョンの印象の違いなど(《“寄り”と“引き”》のこと。あるいは待望のONKIO HAUS MIXのこと)を話すつもりでいたんですが、昨日気がついたびっくりな話に。


話は僕の大好きな海街である塩屋のことに。

塩屋といえば先日、余白珈琲さんがこの3月の初めに塩屋に引っ越されたこと、そこで早くもいろんなつながりを作っていることを少し書きましたね。気候も良くなってきたので、そろそろ訪ねて行きたいと思っているところです。


一昨日、余白珈琲さんのInstagramを読んだら、あのグッゲンハイム邸で珈琲を淹れたと。なんだか自分のことのようにうれしくなってしまいました。

グッゲンハイム邸ではいろんなライブ・イベントが行われているんですが(前にも書いたように僕がグッゲンハイム邸に関心を持ったのはここで大好きな青葉市子さんがライブをしたから)、余白珈琲さんが珈琲を入れた日にライブをしていたのがMy Bubbaという女性デュオ。

My Bubbaというグループは知らなかったのでYouTubeでチェックしたら、これがとってもいいんですね。何ともいえない空気感。たとえばこんな曲とか。




こういうのが身近に聴ける場所があるなんて最高ですね。グッゲンハイム邸の建物も、庭も素晴らしいし、なによりも目の前に海が広がっているし。ああ、うらやましい。


で、ふとグッゲンハイム邸でどんなイベントがあるのかと思って調べたら、イベント・カレンダーというのがあったんですね。それを見ていたら…。


まず、目をとめたのが4月5日のイベント。あの柴田元幸さんが来るんですね。行きたいなあ。

で、次の5月のカレンダーを見たらそこにびっくりするような名前を発見。


佐川満男!


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by hinaseno | 2018-03-30 12:36 | ナイアガラ | Comments(0)

昨日アップされた岡崎武志さんのブログ(okatakeの日記)を読んでいたら「木山捷平散歩小説集、というのが作れるぞ」と書いてあってにっこり。ぜひぜひ作って下さい。できれば「秋」(秋をけりけりの方)や「船場川」などの詩も入れて。夏葉社から出れば最高です。


さて、前回引用した「We Love Celia」に掲載された「夢で逢えたら」の「語り」のこと、興味深い話がいっぱいですね。他のライナーに書かれていたこともありますが、これが一番詳しいです。

「夢で逢えたら」にセリフを入れたのは、大瀧さんが吉田美奈子さんのために最初に書いた「わたし」が“セリフ”から始まった曲で、そして、たまたま結果的に「夢で逢えたら」がその続編ということになったので、継続性を考えたためだと。

ここで「何か“継続性“を持たせるのがワタシの流儀」という言葉が出てきます。大瀧さんの音楽を考える上で絶対に押さえておかなければならないことですね。でも、この”継続性”は多くの場合たまたまによるところが多かったりするのも大瀧さんらしいところ。例えばこんな話。


実は、美奈子嬢に「わたし」の前歴があるように、シリア嬢にもこの“語り”に至る(彼女側の)前歴があるのです。それが、彼女の所属した《モコ・ビーバー・オリーブ》のデビュー作「忘れたいのに」です。この「忘れたいのに」(もちろんセリフはシリアさんです)の途中の“語り”と、この「夢で逢えたら」の語りを繋いで聞くと、あーら不思議、トーンが全く“同じ”です。


これがモコ・ビーバー・オリーブのデビュー曲である「忘れたいのに」。1:18あたりからシリア・ポールの語りが出てきます。




「忘れたいのに」は「夢で逢えたら」の8年前に出た曲なんですが、大瀧さんが書いている通り、トーンが全く“同じ”、ですね。プロデューサーである大瀧さんとしてはセリフに関して「もう少し“軽く”言ってくれないかなぁ」とは思っていたようですが、シリアさんの女優としての前歴から、ああいった切々とした語りになったのは仕方がなかったんですね。


で、そのモコ・ビーバー・オリーブの第3弾シングル「海の底でうたう唄」の作曲者が、大瀧さんがずっとCMの仕事をしていた会社の関口直人さん(ウィキペディアはいまだに関口真人になってますね)であることがわかって、その関口さんがディレクターを務めてシリアが歌うCM曲を作ったわけですから、大瀧さんとしては、その偶然も含めて「何か“継続性“を持たせる」ものを取り入れたのではないかと。それが「香り ’77」の「語り」の部分。


“継続性“といえば、曲の中に過去の曲(多くはポップス)のいろんな要素を取り入れるのも“継続性“の一つの形。でも、ポップスだけじゃないんですね。

「夢で逢えたら」の語りの最初に出てくる「今も私 枕かかえて 眠っているの」は都々逸の「ひとり寝るのは 寝るのじゃないヨ 枕抱えて 横に立つ」から取っていたと。「三亀松風に歌って下さい、っても知らないだろうネ」と書いてますが、もちろん知りません。調べたら柳家三亀松という人。三亀松は「みきまつ」と読むようです。

で、この都々逸から取っているという話の後にこんな言葉が。


(ナイアガラーの方は、洋モノの、私が以前にどこかで書いたり放送したりして知っているネタの下敷きだけを探すのではなく、自分の国・日本のことも研究して、ナイアガラ・ソングに散りばめられた“日本文化”を探り当てることも、そろそろお始めになられては如何なモノでしょうか(^_^)。後は、分かりやすく作った『ロンバケ』ではなく、分かり難く作った『イーチ・タイム』もそろそろ...。いつまでも幼稚園児を相手にしていたのでは刀が錆びますゼ)

結構厳しいお言葉。

曲ごとの解説では他にも「返歌」とか「本歌取り」などの古くからある歌詠みの文化の伝統を踏まえて作っているという証言や、あるいは「男性・女性とりかえばや」や「本卦還り」なんてことも出てきます。

深いです。本当に。


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by hinaseno | 2018-03-28 12:43 | ナイアガラ | Comments(0)