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by hinaseno
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カテゴリ:ナイアガラ( 296 )



大瀧さんが『アメリカン・ポップス伝』のために可能な限り当事者、あるいは当事者に近い人物からの証言を得ようとしていたことは知っていましたが、朝妻さんをつてにしていたこと、そして朝妻さんによってその具体的なやりとりの内容が紹介されていたのは驚きでした。


とりわけいちばん驚いたのはスティーヴ・バリに連絡を取ろうとして、朝妻さんが可能性のある人としてメールした人の奥さんが、あのキャロル&シェリルのシェリルのだったという話。

年明け、久しぶりに「Sunny Winter」を聴いた日か、その次くらいにその名前が大瀧さん経由の話で出てくるとは思いもよりませんでした。今年最初のセレンディピティでした。


朝妻さんの記事、消えちゃうといけないのでここに貼っておきます。2017年12月30日にアップされたもの。


「大瀧詠一から亡くなる前に依頼されたこと」

大瀧詠一君が亡くなってもう4年になる。
亡くなる少し前に大瀧君はNHK-FMで放送していた『大瀧詠一のアメリカン・ポップス伝』の次の回の為の資料集めをしていて、リバティー・レコードでA&Rとプロモーションを担当し、一時はジャッキー・デシャノンと結婚していたバド・デイン(ジャッキー・デシャノンの「ウエイト」はバドがプロデュースしていた)や、リッキー・ネルソンやレターメンのアレンジャーとして数多くのヒットを出していたジミー・ハスケルに連絡を取って欲しいと頼まれた。
バド・デインとは彼がリバティーの後A&Mに移っていて、その時知り合いになっていたし、ジミー・ハスケルとは業界のパーティーで人に紹介されて連絡先を聞いていたのでそれぞれすぐに大瀧君から頼まれた質問をぶつけた。どちらも確か、ジャン&ディーン(か、スナッフ・ギャレット)に関する質問だった気がする。ジミー・ハスケルはわざわざミュージシャン・ユニオンに問い合わせてくれて古い記録を取り寄せてくれるほどの協力ぶりを見せてくれた。
その後少し経って、今度は”スティーヴ・バリの連絡先を知りませんか?“とまた大瀧君から連絡があった。彼は昔、P.F.スローンと組んでいくつものヒット曲を書いたほかにプロデューサーとしてもグラスルーツやトミー・ロウのヒットを出していた。僕は1970年に一カ月、毎日スティーヴ・バリのスタジオに通っていたのだが、当時はメールアドレスもなく、彼の所属していたダンヒル・レコードも跡形もなくなっていて、どうやってスティーヴの現在の連絡先を探したら良いか考えた。
そこで思いついたのがエヴァン・メドウという男だ。彼にはウインドスエプトという僕がアメリカでやっていた音楽出版社の社長/会長を務めて貰っていたが、そのずっと前にABCレコードに居たことがあるのを知っていたので、”スティーヴ・バリの連絡先を知りたいんだけど・・”とメールした。すると”うちの奥さんのシェリルとスティーヴは昔何曲かレコードを出したことがあるし、今でも連絡は取れるよ・・”と言う返事と共に今のスティーヴのメールアドレスが送られてきた。シェリルのお姉さんは作詞家のキャロル・コナーズで、フィル・スペクターと一緒に「To Know Him Is To Love Him」を歌っていた、テディー・ベアーズのメンバーであったことは知っていたが、シェリルがスティーヴとレコードを出したことはその時初めて聞いてびっくりした。
大瀧君のスティーヴに対する質問が何だったのかもう覚えていないが、大瀧君の質問に対する答えの中に”高校の頃、学校が終わると「ノーティーズ」というレコード店でアルバイトをしていたんだけど、このお店はジェリー・リーバーも働いていたことのあるお店だったんだ“というところを大瀧君は、とても面白がって、”これは良い話題だ、次の番組の中で使おう!”と喜んでいた。確かにプレスリーの数多くのヒットを書いている、リーバー・ストラー・コンビの一人ジェリー・リーバーとその後のヒット・ライター/プロデューサーのスティーヴ・バリが同じレコード店で働いたことがあると言うのは、何か因縁を感じさせる。
残念ながら、大瀧君がこの事柄をどういう風に番組の中で取り上げようと思っていたのかを知る術はないが、大瀧君の事だからきっと面白い話を聞かせてくれたに違いない。このこと一つだけをとっても大瀧君のあまりにも早い旅立ちが悔やまれてならない。

リバティがらみの話で大瀧さんが質問していたのはおそらくスナッフ・ギャレットのことではないかと思います。ああ、聴いてみたかった。

それからスティーヴ・バリに質問した答えの中で、スティーヴ・バリが高校時代にジェリー・リーバーと同じレコード店でアルバイトしていたという話も面白いし、大瀧さんがその話に「これは良い話題だ、次の番組の中で使おう!」と喜んでいたっていうのもいいですね。いったいどんなストーリーを組み立てていたんでしょうか。


さて、次回はそのレコード店つながりの話をしようかと思っています。ある女の子が、あるレコード店でちょっと働いたという話。この話が飛び込んできたときにはびっくりやらうれしいやらで、で、何かできないかと僕が考えたことは…。


それから今日はとっても楽しみにしていた日。外はいい天気でよかった。


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by hinaseno | 2018-01-21 10:43 | ナイアガラ | Comments(0)

今日はちょっと「Sunny Winter」な日、かな。

「Sunny Winter」という曲を初めて聴いたのは1984年9月13日に放送された『山下達郎 サウンド・ストリート』のサーフィン&ホット・ロッド特集。この日かかった曲は全部で11曲。サーフィン&ホット・ロッドなんてジャンルの音楽があることを知ったのはたぶんこの時が初めて。ビーチ・ボーイズの5曲以外で知っていたのはジャン&ディーンの「Surf City」だけ(作曲はブライアン・ウィルソン)。

ほかにかかった曲を見たら結構興味深いものがあります。まずは6曲目にかかったリップ・コーズ(The Rip Chords)の「Hey Little Cobra」。




大瀧さんの「コブラ・ツイスト」とそっくりというかそのままだったんでびっくりした記憶があります。ちなみにこの曲を書いたのは「Sunny Winter」を歌ったキャロル&シェリルのキャロルことキャロル・コナーズ。曲をプロデュースして、歌っていたのはビーチ・ボーイズと関係の深いテリー・メルチャーとのちにビーチ・ボーイズのメンバーに加わるブルース・ジョンストン。

次の7曲目にかかったのが、そのテリー・メルチャーとブルース・ジョンストンが作ったブルース&テリーというグループの歌った「Summer Means Fun」。




これはサーフィン&ホット・ロッドの中でも最高の1曲ですね。曲を書いたのはP.S.スローンとスティーヴ・バリ。

で、そのP.S.スローンとスティーヴ・バリが作ったグループであるファンタスティック・バギーズ(The Fantastic Baggys)の「A Surfer Boy's Dream Come True」が次にかかります。




この曲も最高。曲を書いたのはやはりP.S.スローンとスティーヴ・バリ。ブライアン・ウィルソンが書いたバラードに勝るとも劣らない。ということでこのときからP.S.スローンとスティーヴ・バリのファンタスティック・バギーズを追い求める日々が始まったんですが、彼らのCDがようやく出たのは1992年のこと。


さて、僕が年明けに「Sunny Winter」を聴いた日かその次の日くらいに見つけたのがこの記事でした。上に書いた人たちの名前が何人も出てきます。

記事のタイトルは「大瀧詠一から亡くなる前に依頼されたこと」。昨年の12月30日、つまり大瀧さんの命日にアップされていました。記事を書いたのは、昨年、このブログでいろいろと書いていた朝妻一郎さん。

この記事の内容についてはまた次回にということで。


ところで、今日1月20日は太田裕美さんの誕生日。ということは、…ですね。誕生日、おめでとう、です。

何かお祝いする曲をと考えていたら、太田裕美さんがこんな曲を歌っていました。あの「さらばシベリア鉄道」のB面の曲です。




タイトルは「HAPPY BIRTHDAY TO ME」。作詞は松本隆さんではなく昨年亡くなられた山川啓介さん。作曲は浜田金吾さん。浜田金吾さんは名曲「青春の翳り」を書いた人です。


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by hinaseno | 2018-01-20 14:06 | ナイアガラ | Comments(0)

松本さんによって1番の「水いろの陽に濡れるテーブルに/きみはほおづえき/今朝の夢のつづき思い出す」に相当する3行分の歌詞が加えられたことで言葉数も整い、ようやく曲は完成に…と、行くはずだったのにそうはならなかったんですね。

原因はやはり松本さんが書いた本来の詞の行や段落分けを無視した大瀧さんの曲作りにありました。


改めて1番のサビまでの歌詞の確認を。松本さんが書いた詞はこうなっていました。


 水いろのひかりさしこむ窓に
 きみはひとりぽつん
 風にきみの顔がにじんで

 水いろの陽に濡れてるテーブルに
 きみはほおづえつき
 今朝の夢のつづき思い出す

  さあ
  あたまに帽子のせて
  でかけなさいな
  ほら外はいい天気だよ

ここを大瀧さんはこう歌うようなメロディにしたんですね。

 水いろのひかりさしこむ
 窓にきみはひとりぽつん
 風にきみの顔がにじんで
 水いろの陽に濡れてるテーブルに

 きみはほおづえつき今朝の
 夢のつづき思い出す

  さあ
  あたまに帽子のせて
  でかけなさいな
  ほら外はいい天気だよ

さて、この形で新たに書かれた3行の入った2番の歌詞を1番で作られたメロディに入れてみると、こう歌うことになります。

 水いろのひかりあふれる
 部屋に朝は悲しすぎる
 風にきみの夢がにじんで
 水いろの陽に溶けだした朝

 きみの肩のうえでやさ
 しさが小さくふるえている

 さあ
 あたまに帽子のせて
 でかけなさいな
 ほら外はあんなにいい天気だよ

1番で、本来は次の行の最初に置かれている「今朝の」という言葉を前のフレーズの最後に入れたために、2番では「きみの肩のうえでやさ/しさが小さくふるえている」と歌わなければならなくなっているんですね。

「やさしさ」が切り離されている!

いくら大瀧さんでもこれには抵抗があったようです。多少つながりがおかしくなっても(でも、不思議な面白さが生まれる)言葉を切り離してしまうことをしばしばされますが、それはあくまで文節単位。一つの単語まで切り離してしまうことは(たとえば「颱風」のように自分で書いた詞でない限り)まずやらない。


それからもう一つ、この「外はいい天気(だよ)」にはリンダ・スコットの「I've Told Every Little Star」のイントロの部分を取り入れていて、で、「I've Told Every Little Star」は最後に再びイントロのフレーズに戻るという構成になっているので、それと同じようにするにはサビを最後に持ってこない方が自然な感じがすると判断したかもしれません。

ということで、最後のサビと「きみの肩のうえで/やさしさが小さくふるえている」の2行をカットして、「水いろの陽に溶けだした朝」まで歌って最初のフレーズに戻るというパターンも考えてみたはず。でも、「溶けだした朝」で終わるのも歌ってみたらかなり不自然。


で、結局、松本さんにわざわざ考えてもらった3行をバッサリとカットして「風にきみの夢がにじんで」で終わる形にしたんですね。限られた時間の中で曲を仕上げなければならなかったので仕方がなかったんだと思います。歌詞メモに大きく×を入れたのはもちろん大瀧さんのはず。


曲を完成させたものの大瀧さんにはいくつかの不満足感が残ったので(もっといい曲になるという感触があったんでしょうね)、たぶん早い段階で、おそらく帰国してすぐくらいに曲の作り直しを始めたにちがいありません。

とりわけ気になったのがカットした3行のうちの最後の2行。「きみの肩のうえで/やさしさが小さくふるえている」の部分ですね。いい言葉だけにカットしたことにうしろめたさを感じたのかもしれません。


というわけでそれをなんとか入れようといろいろ考えて仕上げたのが「風にきみの夢がにじんで」のすぐあとに、「きみの肩のうえで/やさしさが小さくふるえている」を「小さく」を重ねてつなげるという形。言葉数を整えるために「ふるえている」を「ふるえてる」にして。で、出来上がったのがこのフレーズですね。


 きみの肩のうえで やさしさが
 小さく 小さく ふるえてる

そしてもう一度繰り返す。


 小さく 小さく ふるえてる


で、イントロのフレーズに戻る。

見事という他ないです。

それからもともとは「あんなに」が入る予定でメロディを作ったはず「ほら外はい~い~い~い~天気だよ」を「ほら外はあんなにいい天気だよ」に戻して。

もう一つ言えば、一番のサビの後に転調して半音上がる形になっているのも素敵です。


というわけで今年最初にギターで弾いているのはもちろん「外はいい天気だよ」。単純な巡回コードを使った曲なんですが、「やさしさが」の後に一瞬ポロンと出てくるディミニッシュ・コードがたまりません。でも、そこにそのコードが入るのはねらったわけでなく、たまたまなんですね。


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by hinaseno | 2018-01-15 13:08 | ナイアガラ | Comments(0)

この話もいよいよ大詰め。

本当は2回で終わりにして、「きみの肩のうえでやさしさ…」の部分は大瀧さんが考えたんだという結論にするつもりだったんですが、実はそうでなかったということで長い話になりました。あれは松本さんから出た言葉だったとは。しかも想定外の「3行」。それがきちんと証拠として残っているのだからびっくり仰天でした。


ところで昨日は終日『定本はっぴいえんど』を読んでいました。とりあえずまずは大瀧さんのインタビュー、それから松本さん、細野さんのインタビューを読みました。大瀧さんのが一番長いんですね。まあ、大瀧さんは当時の出来事をきちんと書いた手帳や、歌詞のメモなどいろんなものを持っていたので、証言としては一番信用がおけたのだろうと思います。


さて、いろいろ読んでいて、ひとつだけおっというものを見つけました。それは松本さんがロスから国際電話で歌詞を聞いた相手のこと。

僕が持っている『HAPPY END』のCDの解説や、あるいは大瀧さんの2012年のインタビューでは電話した相手は当時のはっぴいえんどのマネージャーの石浦信三さんということになっているんですが、『定本はっぴいえんど』の執筆者の『HAPPY END』の解説では電話したのは石浦さんではなく松本さんの奥さんということになっていました。


大滝がアイディアを使いはたし詞が書けないということで、松本が国際電話で自宅に電話し、夫人に『風のくわるてつと』の中で、まだ曲のついてないものを読んでもらい、それを控え、大滝に渡している。

まあ、マネージャーの石浦さんからにせよ、松本さんの奥さんからにせよ、『風のくわるてつと』に収められた形の詞が伝えられたことだけは確かなようです。


さて、改めて『定本はっぴいえんど』に掲載された「外はいい天気だよ」の歌詞の手書きメモを。

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それからこちらは『風のくわるてつと』に載っている詞。

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最後の×の部分以外は基本的にはそのままですね。漢字、ひらがなの表記もほぼ同じ。

違いはというと『風のくわるてつと』では「机」となっているのが「テーブル」に、「ほおづえついて」が「ほおづえつき」になっています。

おそらく字数を整えるために変更したはずなので、このメモは電話で伝えられたのを書き取ったそのままのものではなく、大瀧さんが曲を作り始めて、大瀧さんの意見を取り入れる中で書き換えられたものと推測できます。


大きな違いは『風のくわるてつと』の詞では最後に「さあ あたまに帽子のせて…」のサビが繰り返しがくるのですがメモの方ではカットされて、新たな歌詞が3行加えられていること。


メモで最後のサビがカットされていることに関しては、ただ単に繰り返しなので書くのを省いただけのことだろうと思っています(最初に大滝さんに渡されたメモには当然書かれていたはず)。大瀧さんが作ろうとした曲の1番の構成を見ればわかるように、最後にサビが来るからこそ必要な部分としてあの3行が書き加えられているはずなので。


ちなみにその最後のサビはこんな歌詞。1番の後に出てくるサビと少し違っています。


 さあ
 あたまに帽子のせて
 でかけなさいな
 ほら外はあんなにいい天気だよ

最初のサビの「いい天気だよ」の前に「あんなに」という言葉が入っているんですね。4文字も多い歌詞を同じメロディで歌うのは難しいのでは、と、知らない人であれば思うかもしれませんが、実はこの曲は「あんなに」が入った方が自然な形のメロディになっているんです。ところが『HAPPY END』版の「外はいい天気」でも、結局最後のサビがカットされて、「あんなに」が入っていない最初のサビだけが残ったのでそこは「い~い~い~い~」と歌っているんですね。はっきり言えばかなり不自然。

やはり大瀧さんは最後に「あんなに」を入れた形のサビがくる形の曲作りをしていたことは間違いありません。だからこそ、そのために1番と同様の形をした3行の言葉を松本さんに考えてもらう必要があったんです。


ちなみにはっぴいえんど後に作り直された「外はいい天気だよ」では、最後にサビは来ないものの、一度目のサビで「あんなに」を入れて歌っているんですね。そっちの方がもちろん自然です。


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by hinaseno | 2018-01-14 14:18 | ナイアガラ | Comments(0)

いやあ、寒いですね。今朝起きたら室温は4度。部屋に温度計を置いてから最低を記録しました。外はマイナス4度だったようです。僕の肩の上にある(はずだと思っている)「やさしさ」もぶるぶるとふるえていました。

これでは肩に上にある(はずだと思っている)「やさしさ」が凍りついてしまいそうな気がしたので久しぶりにマフラーを買いに近くのスーパーに行きました。

で、紳士服売り場をぶらぶらと歩いていたら、くまくまちゃんカラーのミニマフラーと目があって即買い。ちなみにブランドはゴールデンベア。

ほくほくした気持ちで家に戻っていざ巻こうとしたら巻き方がわからず悪戦苦闘。仕方がないのでネットで調べたら片側に穴が空いていてそこを通すことがわかりました。ということでくまくまちゃんみたいなかわいい格好でこのブログを書いています(ちなみに部屋にエアコンは付けていません。音楽のジャマなので)。


ところで例の資料、昨日の午後ようやく届きました。いやあ、すごいですね。とりあえずまず最初に分析作業を数時間。予想以上に難航。ある程度結論付けたものの、確信までは至らず昨日は終わり。今朝目が覚めて、寒いけど水色の光が差し込む中、ふと、ある対談が載っている本のことを思い出して確認。なんと、そこにはっきりと書かれていました。

ということで新年早々、うれしい発見になりました。情報をくれた方、本当にありがとうございました。

それにしても、元日の朝、天気が良くて、たまたま流れてきたフレーズから、数年来置き去りにしていたままの謎がこんなふうに解決しようとは思いもよりませんでした。


と書いてもなんのこっちゃ、ですね。

ある情報をいただいてすぐに注文したのは『定本はっぴいえんど』(1986年)。はっぴいえんど研究には必読の書と言われていますが、持っていなかったんですね。そこに掲載されていたのがこの写真。

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破りとられた紙に書かれているのは「外はいい天気だよ」の手書きの歌詞。隣のページの下には「「外はいい天気だよ」歌詞のメモ 於ロスレコーディング」というコメントがあります。


一番下の大きく×が付けられた箇所も気になりますが、まずは筆跡鑑定から。松本隆さんの字なのか、それとも大瀧さんの字なのか。

松本さんの字は個性的なので見ればすぐにわかるだろうと思っていたんですが、思った以上に難航してしまいました。

上に貼った写真には隣のページに掲載された「はいからはくち」の歌詞メモも入れたんですが、その歌詞を書いているのはもちろん松本さん。松本さんは『風街ろまん』や太田裕美さんの『手作りの画集』の歌詞カードを書いているんですが、誰が見ても松本さんの字ってわかるような字なんですね。

ただしそれは清書した段階でのもの。「外はいい天気だよ」歌詞のメモは清書ではなく、たぶん急いで走り書きされたものなので、よく見慣れた松本さんの字とは感じが違うんですね。で、確認のために大瀧さんの字をいろいろと調べてみたんですが、大瀧さんの字だという判断も、大瀧さんの字ではないという判断もできない。う~ん、困ったな、なにか特徴的な文字はないかと逐一調べて、ようやくひとつ見つけました。

それは「か」。

松本さんの書く「か」はいつも必ず右の点が下の方に打たれ、しかも左側の部分にくっつくように書かれているんですね。それに対して大瀧さんは右上に離れて打っています(普通の人はそう書きます)。というわけで「外はいい天気だよ」歌詞メモは、×が付けられた部分も含めてまず松本さんが書いたもので間違いないという結論に至ったので昨夜は眠りにつきました。


今朝目が覚めて、できればもう少し確証のようなものがあればと考えていたとき、ふと、そういえば『風街茶房』に載っている大瀧さんと松本さんの対談で、確か歌詞のメモに関する話があったことを思い出しました。

で調べてみたらなんと! はっぴいえんどのメンバーの記憶はいい加減なものが多いという話からです。ちなみに対談が行われたのは2000年2月21日。


大瀧:覚え悪いんだよ、みんな。全然ダメ(笑)。
松本:誰も信用できない(笑)。
大瀧:俺の話を聞いていれば間違いないよ。手帳つけているからね。『定本はっぴいえんど』に書いているはっぴいえんどのスケジュールなんて、全部おれの手帳を写したんだから(笑)。あと、今日持ってくれば良かったんだけど、松本の手書きの詞も全部残ってるんだよ。「はいからはくち」、「乱れ髪」、「外はいい天気」……みんなあるんだよ。銀行のメモ用紙とかその辺のノートに書いたやつ(笑)。それ全部集めてまとめたんだけど、まとめるとモノって目の前から消えるもんだね。

ということで、『定本はっぴいえんど』に載っていた「外はいい天気だよ」は、大瀧さんが松本さんから渡された松本さん手書きの詞であることはまちがいがなさそうです。


これが確かめられたということで、いよいよ詞の分析ということになります。ポイントはもちろん×が付けられた最後の3行ですね。そこには『風のくわるてつと』にはなかった言葉が書かれています。

そして問題の最後の「2行」に書かれていたのはこの言葉でした。


 きみの肩のうえで
 やさしさが小さくふるえている



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by hinaseno | 2018-01-12 14:56 | ナイアガラ | Comments(4)

「2行」問題は資料が届くまでおいておくとして、とりあえず確かなことは大瀧さんとしては『HAPPY END』に収録された「外はいい天気」には納得のいかないものがあって、でも曲としては気に入っていたので、はっぴいえんど解散後に曲に手を入れて、最後に「きみの肩のうえでやさしさが、小さく小さくふるえてる」を入れた形のものを完成形としてとらえていたにちがいないということ。そしてそのタイトルは松本さんの本来の詞に使われている「外はいい天気だよ」。

はっぴいえんど解散後ははっぴいえんど時代の曲をあまり歌わなかった大瀧さんが、唯一「外はいい天気だよ」だけはいろんなライブで歌い続け、さらに『DEBUT』にきちんとした形で収録したことを考えると、大瀧さんが「外はいい天気だよ」を作品としてかなり気に入っていたことがわかります。

確かにこれは『ロンバケ』の作品に並ぶほどの名曲です。


この曲を名曲たらしめている要因は、なんといっても大瀧さんのその作曲法。本当にすごいなと思います。

前回も書いたようにこの曲は詞先。

松本隆さんは最近のインタビューで、詞先で曲をつくれる人があまりいなくなったと何度も語っていました。大瀧さんや細野さん、あるいは筒美京平さんと仕事をしていたときには詞先の作品が多かったけど、それには作曲者の能力が高くないとできないんだと。


ただ、大瀧さんの場合、普通の詞先のやり方ではないんですね。詞をもらっても多くの場合すぐに言葉を分解して、言葉数だけを確認することから始めます。例えば「風にきみの 顔がにじんで」のフレーズであれば「3・3・3・4」として。

ということなのでしばしば本来の詞にあったはずの言葉のつながりが切り離され(ずらされ)、離れていたはずの言葉がくっついて、不思議な世界が生まれる。きっと松本さんもびっくりだったでしょうね。


ちょっと具体的に。

いずれにしても、まず最初にあった詞は、まちがいなく『風のくわるてつと』に収録されていたもののはずなので、改めてその詞を。


 水いろのひかりさしこむ窓に
 きみはひとりぽつん

 風にきみの顔がにじんで……

 水いろの陽に濡れる机に
 きみはほおづえついて
 今朝の夢のつづき思い出す

 さあ
 あたまに帽子のせて
 でかけなさいな
 ほら外はいい天気だよ

 水いろのひかりあふれる部屋に
 朝は悲しすぎる

 風にきみの夢がにじんで

 さあ
 あたまに帽子のせて
 でかけなさいな
 ほら外はあんなにいい天気だよ

松本さんは曲が付けられることを想定して詞を書いているので、曲のイメージはこうだったはず。


〈1番〉水いろのひかりさしこむ窓に
    きみはひとりぽつん
    風にきみの顔がにじんで

〈2番〉水いろの陽に濡れる机に
    きみはほおづえついて
    今朝の夢のつづき思い出す

〈サビ〉さあ
    あたまに帽子のせて
    でかけなさいな
    ほら外はいい天気だよ

〈3番〉水いろのひかりあふれる部屋に
    朝は悲しすぎる
    風にきみの夢がにじんで

〈サビ〉さあ
    あたまに帽子のせて
    でかけなさいな
    ほら外はあんなにいい天気だよ


ところが大瀧さんは松本さんがイメージした形を見事なまでにぶっ壊しているんですね。いや、壊したというよりも実際には少しずらしただけなんですが。

驚くのは本来は〈2番〉の1フレーズ目になるはずの「水いろの陽に濡れる机に」を〈1番〉の最後に入れていること。で、〈1番〉の始まりの「水いろのひかりさしこむ窓に きみはひとりぽつん」のフレーズを「きみはほおづえついて 今朝の夢のつづき思い出す」の部分で使っている。切れ目が変わっているんですね。そのために「今朝の」と「夢」が切り離されて「つきけさの」という不思議な言葉が生まれたり…。

一応大瀧さんが歌った形で詞を書いてみます。


 水いろのひかりさしこむ
 窓にきみはひとりぽつん
 風にきみの顔がにじんで
 水いろの陽に濡れる机(テーブル)に

 きみはほほづえつき今朝の
 夢のつづき思い出す

 さあ
 あたまに帽子のせて
 でかけなさいな
 ほら外はいい天気だよ

大きく見ればここまでが1番ということになるでしょうか。問題は2番ですね。


 水いろのひかりあふれる
 部屋に朝は悲しすぎる
 風にきみの夢がにじんで

ここまで1番同様に歌っても、最後のサビに行くためには、1番の「水いろの陽に濡れる机(テーブル)に/きみはほほづえつき今朝の/夢のつづき思い出す」の3行分に当たる歌詞が足らない。

ということで(松本さんを交えて?)なんらかの試行錯誤があったはず。もちろんそれが例の「2行」問題にかかわる話。


でも、結局大瀧さんは1番と同じ形の2番を作らずに「風にきみの夢がにじんで」の部分を1番の「風にきみの顔がにじんで」とは違うメロディにして、松本さんの本来の詞にあった最後のサビを歌わない形の曲に仕上げました。


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by hinaseno | 2018-01-10 15:46 | ナイアガラ | Comments(1)

昨日、このブログに書いたことに関して、ある方から貴重な情報をいただきました。実はこの話は昨日と今日の2回で終える予定でいたのですが、確認のためちょっと時間がかかりそうです。そして予定していたストーリーもどうやら変わりそう。でも、こういうのがあるから面白いんですね。肩の上で、小さくふるえていた「やさしさ」は、もしかしたら天使だったかもしれない。


というわけで結論(というほどのものでもなかったけど)部分はちょっと先送りして、ここでちょっと興味深い音源を紹介します。実は1975年7月29日(前日7月28日は大瀧さんの27歳の誕生日)に放送された「ゴー!ゴー!ナイアガラ」で「外はいい天気(だよ)」のライブ・バージョンがかかっているんですね。こんな歌詞になっているんです。


 水いろの光 あふれる
 部屋にきみは ひとりぽつん
 風にきみの 顔がにじんで
 水いろの陽に ぬれてるテーブルに
 きみにほゝづえつき 今朝の
 夢のつづき おもい出す
 さあ 頭に帽子のせて
 出かけなさいな
 ほら 外はあんなにいい天気だよ

 水いろの光 さし込む
 部屋に朝は 悲しすぎる
 風にきみの 夢がにじんで
 きみの肩のうえで やさしさが
 小さく 小さく ふるえてる
 小さく 小さく ふるえてる

なんと最後に「きみの肩のうえでやさしさが、小さく小さくふるえてる」が入っているんですね。ライブということで(バックはシュガーベイブ!)アップテンポのアレンジがなされていますがメロディは「外はいい天気だよ ’78」と全く

同じ。一番の「水いろの光 さし込む」と2番の「水いろの光 あふれる」が逆になっている以外は歌詞もほぼ同じ。

このライブ、どうやら1974年7月11日に公開録音された文化放送の「三ツ矢フォークメイツ」で演奏されたもののようです。74年といえば『HAPPY END』の翌年。たった1年で大瀧さんは歌詞を変えたバージョンを作っていたんですね。78年になって『DEBUT』に収録するために作り変えたわけではありませんでした。


さて、ここでちょっと「外はいい天気」が作られた時の状況を。

「外はいい天気」が収録された『HAPPY END』はアメリカで制作されたんですが、大瀧さんは実はアメリカに出発する日(1972年10月4日)の前日までファーストアルバムを制作していました。作業はアメリカに出発する当日の朝まで続いていました。ということで、新しい曲は何一つ用意していないままアメリカに行ったわけです。たぶん能力もエネルギーも使い果たしていて、とても新しい曲を作れる状態ではなかったはず。で、おそらくアメリカに着いてから松本さんに何か曲になっていない詞はないかと訊いたんでしょうね。

で、松本さんは国際電話でマネージャーに連絡を取って、すでに作詞を終えていた未発表の作品を聞き取って大瀧さんに渡したんですね。それが「田舎道」と「外はいい天気(だよ)」。いずれも翌月に発売される『風のくわるてつと』に収録されているので、渡された歌詞は『風のくわるてつと』に載っているものと同じはず。ただ、聞き取りの過程でいくつかの違いが生じていたかもしれませんが。

というわけなので「外はいい天気」はもちろん詞先。相当あわただしい中で曲が作られたのはいうまでもありません。


ここで大瀧さんのちょっとおもしろい証言を。例の『KAWADE夢ムック 増補新版 大瀧詠一』に収録されているインタビュー。聞き手は湯浅学さん。


湯浅:はっぴいえんどの3枚目をレコーディングする時は、すっからかんな状態でしたか。
大瀧:そう、また曲を作れったってねえ。作業が終わってその日に飛行場だよ、売れっ子でもあるまいし。しかも、初めての外国だから。
湯浅:じゃあ「田舎道」も向こうで作った?
大瀧:うん。「外はいい天気」も詞がなくて、松本が国際電話で送ってもらったんだけど、そしたら詞が2行長かった。どちらも詞が先なんだけどね。


この話で気になっていたのは「松本が国際電話で送ってもらったんだけど、そしたら詞が2行長かった」の言葉。この「2行」の秘密を解明する手がかりが、どうやら昨日いただいた情報の中にありそうなんですね。


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by hinaseno | 2018-01-09 13:04 | ナイアガラ | Comments(4)

今朝はとてもいい天気で、水色の光が差し込んでいます。

という書き出しで、昨日書いていたんですが、アップができませんでした。今朝は雨。


ところで今年の元日の朝はとてもいい天気で、窓からは水色の光が差し込んでいたので、自然にある曲のメロディが流れてきました。


 水いろの光 さし込む 
 部屋に君は ひとりぽつん

いや、「部屋」ではなく「窓」だったっけ。

曲はもちろん大瀧さんの「外はいい天気」、いや「外はいい天気だよ」、いや正確には「外はいい天気だよ ’78」…。

何を言ってんだかって感じですが、実はこの大好きな曲のことをこれまでずっとあいまいなままにしていたのでここでちょっと整理しておこうと思います。

この曲が作られたのははっぴいえんど時代。1973年2月に発売されたはっぴいえんどの3枚目のアルバム『HAPPY END』に収録されました。曲のタイトルは「外はいい天気」。

YouTubeに『HAPPY END』の全曲の音源があったので貼っておきます。「外はいい天気」は23:14から。




作詞はもちろん松本隆さん。歌詞はこうなっています。


外はいい天気

 水いろのひかりさしこむ窓に
 きみはひとりぽつん
 風にきみの顔がにじんで
 水いろの陽に濡れる机(テーブル)に
 きみはほほづえついて
 今朝の夢のつづき思い出す
 さあ
 あたまに帽子のせて
 でかけなさいな
 ほら外はいい天気だよ
 水いろのひかりあふれる部屋に
 朝は悲しすぎる
 風にきみの夢がにじんで

で、1978年8月に発売されたアルバム『DEBUT』で、オリジナルのメロディと歌詞を少し変えてこの曲をカバーするんですね。タイトルは「外はいい天気だよ ’78」。78年発売のアルバム用にカバーしたので「’78」が付けられていますが(『DEBUT』には他にも何曲か「’78」が付けられています)、オリジナルは「外はいい天気」だったのに「だよ」という言葉が添えられているんですね。クレジットは作詞松本隆となっています。


外はいい天気だよ ’78

 水いろの光 さし込む
 部屋にきみは ひとりぽつん
 風にきみの 顔がにじんで
 水いろの陽に ぬれてるテーブルに
 きみにほゝづえつき 今朝の
 夢のつづき おもい出す
 さあ 頭に帽子のせて
 出かけなさいな
 ほら 外はあんなにいい天気だよ

 水いろの光 あふれる
 部屋に朝は 悲しすぎる
 風にきみの 夢がにじんで
 きみの肩のうえで やさしさが
 小さく 小さく ふるえてる
 小さく 小さく ふるえてる

一応「外はいい天気」も「外はいい天気だよ ’78」も歌詞カードをそのまま写しています。漢字・ひらがな表記だけでなくいくつか言葉も変えられていますね。ただ「外はいい天気」では歌詞カードでは「ほほづえついて」となっていますが、大瀧さんは「ほほづえつき」と歌っていたりもします。大瀧さんが松本さんの書いた通りに歌わないことがときどきあるのは以前も指摘した通り。


2つの歌詞でまず違っているのは「外はいい天気」では水色の光がさしこんでいるのは「窓」なのに「外はいい天気だよ ’78」では「部屋」になっていること。

それから「外はいい天気」では「風にきみの夢がにじんで」で終わるのに、「外はいい天気だよ ’78」ではそのあとにこんな言葉が続くんですね。


 きみの肩のうえで やさしさが
 小さく 小さく ふるえてる
 小さく 小さく ふるえてる

ちなみに僕は「外はいい天気だよ ’78」を最初に聴いて、はっぴいえんどの『HAPPY END』を手に入れたのはずいぶんあとだったので、「窓」にも「風にきみの夢がにじんで」で終わることにもずいぶん戸惑いました。その後も聴いていたのは「外はいい天気だよ ’78」の方で、耳に馴染んでいるのは断然こちらの再録音バージョン。


さてさて、タイトルも含めていろいろと気になることが多いので、いくつか確認を。まずは松本隆さんの詞(詩)を収めた『風のくわるてつと』(1972年11月刊行)を見てみました。『風のくわるてつと』は『HAPPY END』が発売される前年に出ているんですね。ということはまだ曲になる前の詞ということになります。で、タイトルはなんと「外はいい天気だよ」。「だよ」が付いているんですね。

詞はこうなっています。改行等、そのまま。


外はいい天気だよ

 水いろのひかりさしこむ窓に
 きみはひとりぽつん

 風にきみの顔がにじんで……

 水いろの陽に濡れる机に
 きみはほおづえついて
 今朝の夢のつづき思い出す

 さあ
 あたまに帽子のせて
 でかけなさいな
 ほら外はいい天気だよ

 水いろのひかりあふれる部屋に
 朝は悲しすぎる

 風にきみの夢がにじんで

 さあ
 あたまに帽子のせて
 でかけなさいな
 ほら外はあんなにいい天気だよ


詞に関していえば、ほぼ『HAPPY END』と同じ。水色の光が差し込むのは「窓」。どうやらそこは大瀧さんが(たぶん歌いやすさも考えて)変えたようです。

それから注目すべきは「外はいい天気だよ ’78」の最後に出てくる「きみの肩のうえで やさしさが…」の部分がないこと。どうやらそこは大瀧さんが書き足した可能性が高そうです。そしてこの曲の魅力の秘密もそのあたりに隠されていることがわかってきました。


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by hinaseno | 2018-01-08 10:08 | ナイアガラ | Comments(4)

「たとえば、星を見るとかして」と題した長い話は昨日、最終回としましたが、いくつか書き残したこともあったので、それをちょっと。

河野通和さんのトークイベントの後は参加者が河野さんにサインをしてもらいながら、それぞれの方々がひとりひとり河野さんと話をされていました。こんな雰囲気。

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もちろん僕もサインをしていただきながら少し話を。僕のセレンディピティを話しました。

何度も書いているように僕にとっての本にまつわる最高のセレンディピティはなんといっても夏葉社から出た関口良雄さんの『昔日の客』なのですが、実は河野さんの『言葉はこうして生き残った』にはまさにその『昔日の客』の話が出てくるんですね。「こんな古本屋があった」という章。

そこには夏葉社から復刊された『昔日の客』の最後に収められた「復刊に際して」の言葉が「息子さんの証言」として引用されています。この「息子さん」こそ関口直人さん。ということで、それにからめて僕のセレンディピティを聞いてもらいました。

とはいうものの後ろにずらっと人が並んでいたので、「(あまりにも膨大すぎる)すべて」を聞いてもらうわけにはいかなかったのですが。


でも、とりあえず、ある日、知り合いのライブカフェのオーナーからほぼ日で糸井さんとも対談をされている大瀧詠一さん(ここで河野さんは頷かれました)の昔のラジオ番組を聴いていたら「関口」という名前が出てきて、で、調べたらまさに『昔日の客』の著者の関口良雄さんの息子さんだとわかって、しかもそのわかった日に関口さんがさきほどのライブカフェにいて…、なんてことを語りながら持っていった『昔日の客』を開いたら、石川さんと関口さんのツーショットの写真がはさんであって、それを河野さんにお見せして。

その写真を見ながら河野さんはメルマガに『昔日の客』のことを書いたら、直人さんからお礼の手紙をいただいたとおっしゃっていました。


さすがにこれだけでも5分くらいはかかってしまって、後ろに並んでいる人も何人もいたので、そこで河野さんに挨拶をしてその場を離れました。


でも、本当は、次のようなことも聞いてもらいたかったけど、いくらなんでも長すぎる話。

まずは、ほぼ日で大瀧さんが糸井重里さんと対談された時のこと。この時の対談はまだネットで読むことができますね。これは一番最後のページですが、この下のほうに対談順にリンクできるようになっています。

これがその時の記念写真。

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一番左が大瀧さん、そのとなりが糸井さん、それから三木鶏郎さんの晩年の助手を勤められた竹松伸子さん、そして一番右がCM音楽プロデューサーの大森昭男さん。はっぴいえんど解散後に、大瀧さんに最初にCMソングを作るように声をかけたのが大森さん。で、その大森さんのCM制作会社であるONアソシエイツにいらしたのが関口直人さんなんですね。


それからさらに、石川さんの中学時代の同級生で、同じ会社に勤められていたのが『考える人』にも寄稿されていた内田樹先生で、さらにその内田先生と、小・中学校も同級生で、石川さんと内田先生が勤めていた会社を経営されていたのが平川克美さんで、その方の『言葉が鍛えられる場所』という本が、まさにこのスロウな本屋のサイトのトップページの一番目立つところに置かれているんです…、などなど話し続けたかったんですが、ここまで語っていると1時間は超えてしまいますね。


ところで、河野通和さんの「ほぼ日の学校長だより」にはセレンディピティ以外にも興味深いことがいっぱい書かれているんですが、そのうちの一つがこの「無人島に持っていく1冊」と題された話。僕が関口さんとお会いした神田の神保町の話から始まります。河野さんはそこで開かれたシンポジウムに招かれていたんですが、最後に「もし無人島に行くとすると、持っていきたい1冊は何ですか?」という質問が出たんですね。

無人島に持っていく1冊の本とか1枚のレコードとか、僕もやはり訊いてみたくなりますね。でも、自分のことを考えるとかなり悩んでしまいます。

ということで河野さんも困ったようで、結局こう答えられたんですね。

「出版社の廊下には“束見本(つかみほん)”といって、本の中身はまっ白だけれども、実際の製本時と同じ紙で作られたダミー本が、たくさん積んであります。本の重さ、厚さ、触感を確かめるために作る見本です。その白い本を持っていきたい」と。


ちょっと反則っぽい感じですが、でもこれは素晴らしい答えだと思いました。ふと、無人島レコードという本で、大瀧さんがただひとりレコードではなく本(『レコード・リサーチ』を選んだことを思い出しました。

「音をレコード盤に記録するのではなく、そのまま頭に記録する……という方式。そういう反則ワザで逃げられないかしら? ようするに、自分が”レコード”ってことだな」と。


それからほぼ日には河野さんが19歳の読んでほしいということで選んだ「19歳の本棚」というのが掲載されていて、実はこの中に池澤夏樹の『スティル・ライフ』も入っているんですね。河野さんのイベントの少し前に気づいていたんですが、幸いなことにというべきかこのコメントを読んでいませんでした。もしこれを読んでいたら、あの日、涙が出るほどの興奮を覚えなかったはず。こいういのも縁ですね。縁にはタイミングというのがあります。


ところでここに並べられた30冊の本のうち僕が読んだのは8冊。どれも20代から30代はじめに読んでいます。そういえば余白珈琲さんは、なんと『スティル・ライフ』をまさに19歳の時に読んだそうです。


最後に、再び大瀧さんの話に。

昨日久しぶりにほぼ日の糸井さんとの対談を読みました。いや、いい言葉がいっぱいなんですね。「天使」って言葉も出てきて、思わずにっこりでした。

対談の冒頭、糸井さんが「どうして、三木鶏郎さんのことに、竹松さんはそんなに詳しいんですか?」と言った後の大瀧さんの発言がいかにも大瀧さんらしいんですね。こう言っています。「そう、そう、そう! 俺も今日はそこから始めてもらいたい。『詳しい』の前に『なぜ、三木鶏郎さんに興味を持ったのか』というのを聞きたいんです」。で、竹松さんが「そこからですか?」と聞くと大瀧さんは「そこからじゃないと」と念を押します。


やっぱり大瀧さんは「縁」とか「きっかけ」がまず何よりも気になるんですね。

それから「不本意」の話とか「質よりも量」の話とか、目から鱗のような話が続きます。でも、ところどころで一同「ハハハハハ‥‥!」という状態も作っていて。やはりすごい人です。


この対談の最後の方に語った大瀧さんの言葉を最後に引用しておきます。


現実を‥‥結果をそのまま受け止るというのが、歴史の改竄はよくないというのと同じで、あったことはそのまま受け止めるべきだと思う。そういうようにしておくと、受け継がれるの。改竄したものというのはね、受け継がれないんだ。だから、我田に水を引いたり‥‥という種類のものはね、必ず、落ちていく。

大瀧さんはいつも「受け継ぐ」ことの大切さを考えていたんですが、大瀧さんが亡くなって以降、「受け継ぐ」ことよりも「壊す」ことしか考えていない歴史改竄主義者が大声でいい加減なことばっかり言うようになってきました。たぶん生きていたら耐えられないのじゃないかと思うほどに。

とにかく彼らにはぜひ来年は「落ちてい」ってほしいです。


さて、今日は大瀧さんの命日。もう4年。時の経つのは本当に早いですね。今年もいっぱい大瀧さんの音楽を聴かせてもらいました。そして今年気がついたこともいくつも。まだまだ奥が深いです。


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by hinaseno | 2017-12-30 11:42 | ナイアガラ | Comments(0)

今日は久しぶりの雨。雨の水曜日、雨のウェンズデイですね。

こんな日はコーヒーがひときわ美味しく感じられて、さあコーヒーをめぐる話を、と思いましたが、それはもう少し後にして、書きかけのままになっているこちらの話を。


ロイ・オービソンの「Only The Lonely」タイプの曲を下敷きにしたJ.D.サウザーの「ユー・アー・オンリー・ロンリー」みたいな作品を作りたいと考えて始まった『ロング・バケイション』プロジェクトで、いちばんのポイントになるのは他人に提供してボツになった曲ではない2つの曲「カナリア諸島にて」と「雨のウェンズデイ」であることは前に指摘しました。

この2つの曲に共通する特徴はなんといってもピアノ。いずれの曲にもピアノのソロの印象的なフレーズが出てきます。エンディングもピアノのやや長めのソロ。演奏しているのは松任谷正隆さん。ユーミンの旦那さんですね。

とりわけ「雨のウェンズデイ」のピアノの使われ方はJ.D.サウザーの「ユー・アー・オンリー・ロンリー」とかなり似ています。基本的には松任谷正隆さんのアドリブによる演奏が多そうな気がしますが、「ユー・アー・オンリー・ロンリー」を意識していることは明らか。

でも、もちろん大瀧さんなりの遊びが入っていて、♫Wow Wow Wednesday♫の後に出てくるピアノのフレーズはバート・バカラックの「Walk On By」。これの0:34あたりに出てくるフレーズですね。これは大瀧さんの指示。




ピアノのソロといえば最も気になるのは「カナリア諸島にて」のエンディングですね。大瀧さんの曲はほとんどが一発録りなんですが、このエンディングのピアノはあとでダビングで追加されたそうです。

その部分のメロディについてはこれまで長い間考えていて、やはり松任谷さんのアドリブなんだろうと思いつつも、大瀧さんの何らかの”指示(「こんな感じでやって」、という程度の)”があったはずだと思っているのですが、明確にこれだっというものは見つかっていませんでした。


でも、もしかしたら、ってことで、かなりこじつけ気味で考えたのは、ロイ・オービソンのこの「Come Back To Me (My Love)」のエンディングを参考にしたのではないかと。




「Come Back To Me (My Love)」は日本で全く評価されていなかったロイ・オービソンを何とか日本の人に広めようとして、日本独自にシングルが発売されてヒットした曲。大瀧さんもこの曲をとても愛していたんですね。その証拠に大瀧さんが亡くなった時に残されていたジュークボックスにロイ・オービソンの曲で唯一この曲が入っていました。

で、この曲の日本でのヒットに尽力した人の中心にいたのが朝妻一郎さんでした。大瀧さんがJ.D.サウザーの「ユー・アー・オンリー・ロンリー」みたいな作品を作ろうと考えたときに、その下敷きになったロイ・オービソンの「Only The Lonely」タイプの曲のひとつである「Come Back To Me (My Love)」を、朝妻さんへの贈り物として、そっと、わかる人にはわかるという形で入れたのではないかと。


こじつけと言われればそれまでですが。


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by hinaseno | 2017-11-08 16:00 | ナイアガラ | Comments(0)