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by hinaseno
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カテゴリ:雑記( 369 )



ときどき、あっと驚く人の言葉を紹介してくださっている鷲田清一先生の「折々のことば」(朝日新聞朝刊連載)、昨日はなんと寺尾次郎さんの言葉。びっくり。鷲田先生はいったいどういうルートで寺尾次郎さんのことを知ったんでしょうか。

鷲田先生が引用していたのはネット上に公開されていたこちらのインタビューの、「ゴダール作品を翻訳する上で大切にしたことは?」という質問者に対してのこの答えの言葉からでした。


翻訳者はイタコのようなもの。監督が言いたいことを最長6秒しか映らない文字でどう表現するかが勝負です。普通の作品ならできるだけ観客のわかりやすい言葉に置き換えればいいのですが、ゴダールでそれをすると、監督を裏切ることになる。だから、この2本の字幕も、初めて観る人にはよくわからないものになっているでしょうが、そのわからなさを持ち帰って自分の中で時間をかけて咀嚼してくれたらなと思います。それこそが映画の楽しさだと思うので。


「最長6秒しか映らない文字でどう表現するかが勝負」という映画の字幕の世界は、同じ翻訳といっても時間や字数制限のない本の翻訳とは全然違うんですね。映画の字幕はとんでもない訳に驚かされることが多々ありますが、「最長6秒しか映らない文字」で表現する大変さは容易に想像がつきます。
昔、知り合いに字幕と言葉を追いかけるのは大変だから、字幕と吹き替えの両方があれば絶対に吹き替えの方を見ると言っていた人がいたんですが、僕は絶対に字幕。その俳優の実際の声を聞けない吹き替えなんて考えられません。

ところで寺尾次郎さんは字幕翻訳家とともに元シュガーベイブのベーシストとして紹介されるんですが、実はシュガーベイブの『SONGS』のレコーディングには参加していないんですね。追悼ということで『SONGS』をかけてもそこには寺尾さんの音は入っていないんです。『SONGS』の40周年盤などにボーナス・トラックとして入っているライブ・バージョンでは寺尾さんがベースを弾いていますが。

ってことでナイアガラ関係の曲で寺尾次郎さんがベースを弾いているのを確認しておきます。きちんとレコーディングされたものはそんなに多くありません。

まずは大瀧さん関係。調べたらたった4曲。

「ナイアガラ・ムーン」

「ナイアガラ・ムーンがまた輝けば」

「Cider ‘77」

「土曜の夜の恋人に」


で、達郎さん関係のものは全部で4曲。すべて『ナイアガラ・トライアングル VOL.1』に収録されています。

「ドリーミング・デイ」

「パレード」

「遅すぎた別れ」

「フライング・キッド」


ということなので、代表曲となると達郎さんの「ドリーミング・デイ」か「パレード」ってことになりますね。達郎さんの番組で寺尾さんの追悼特集がされたらまずなんといってもこの2曲がかかりそうです。


ところで大瀧さんがプロデュースした『SONGS』の30周年盤(2005年発売)のブックレットには寺尾次郎さんのコメントが載っていました。字幕翻訳家らしく短い言葉です。


なんともはや30年とは…。いつの間にかプロとなり、大瀧さんから「学生アルバイト」というミドルネームを頂戴、その予言どおり卒業とともに足を洗ってしまった。今でも活躍するクマやター坊や村松くんやユカリの消息を知るたびに「継続は力なり」の言葉は偉大だと思う今日この頃です。


「クマ」とは山下達郎、「ター坊」とは大貫妙子さんのことです。


ところでここ数日、寺尾さんが字幕をされたジョン・フォードの『太陽は光り輝く』を見ていました。映画の最後にこの映画のタイトルの元となっているフォスター作曲の「My Old Kentucky Home」が歌われるんですが、その歌詞の一部が字幕に出ていたので紹介しておきます。


太陽は光り輝く
わが故郷 ケンタッキーに
夏の日差しの中
子供たちははしゃぎ回る
トウモロコシはよく実り
牧草地は花盛り
鳥たちが飛び交い
日がな一日 歌を歌う…

この歌を捧げよう
わが懐かしきケンタッキーに
今や 懐かしきケンタッキーは
はるか彼方


ちょっと興味深かったのは「My Old Kentucky Home」の歌詞を見たら「子供たち」って言葉は出てこないんですね。本来の歌詞に出てくるのは「darkies」、つまり黒人たち。ところが1986年にこの曲が ケンタッキー州の州歌となった時にこの部分は「people」に変えられているんですね。

ちなみにジョン・フォードの映画が製作されたのは1953年。南北戦争の傷とともに黒人差別も題材になっているこの作品で、フォードもあの部分を黒人の差別用語である「darkies」と歌わせたくなかったようで、歌詞をよく聴いたら確かに「children」と歌っていました。ちなみに映画で「My Old Kentucky Home」を歌うのは黒人の人たち。

次郎さんがここを本来の歌詞ではない「子供たち」となっていることに気がついて訳したときに、紗穂さんたちのことを思い浮かべたでしょうか。心の中では遠く離れてしまった家に暮らしている娘たちのことを。


さて、「My Old Kentucky Home」の歌詞の最後は「far away」。次郎さんはそこを「はるか彼方」と訳していました。

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寺尾紗穂さんが寺尾次郎さんが亡くなったときに書いた「遠くて遠い」という言葉につながりますね。

次郎さんが亡くなる前、紗穂さんに葬式で歌ってほしいと望んだ紗穂さんの「ねえ、彗星」にはこんな歌詞が出てきます。


やたらに涙もろいとか 遠く旅するところとか
君と僕とは似ているよ ずっと前から思ってた


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by hinaseno | 2018-07-14 15:03 | 雑記 | Comments(0)

小田川…


テレビのニュースで流れてくる倉敷、そして「まび」という町名をぼんやりと聴いていたときには、そこがあの場所だとはわかりませんでした。あっと気がついたのはそこに流れている川の名前。

小田川。


ここ数日、ニュースで大規模に氾濫した川の様子が流れているのは井原鉄道井原線の吉備真備駅あたり。そこは僕が3年前の春に、小田川沿いを歩きながら目指していた駅でした。実際には足の痛みがあまりにもひどくなって、そこにたどり着けず、その2つ手前の三谷駅で電車に乗ることになったのですが。

ちなみに吉備真備駅は「きびのまきびえき」と読みます。和気清麻呂と並んで古代の日本の政治に大きな影響を与えた岡山の人物として有名な吉備真備が生まれた場所がそのあたりということで、その名にちなんで駅名にしたんでしょうね。その吉備真備駅があるのが倉敷市の真備町にあることは以前、地図を見ていた時に確認していましたが、真備を「まきび」ではなく「まび」と読むとは知りませんでした。


ところで僕がなぜそこまで行ってみようと思ったかといえば、木山捷平の昭和18年5月14日の日記に木山さんが吉備真備の墓を訪ねたことが書かれていたこと、あるいはその旅をもとにした「ねんねこ」という作品に興味を持ったためで、そのときの木山さんに倣ってそのあたりを歩いてみようと思ったんですね。

ただし、木山さんはその日は矢掛駅から歩いたのですが、僕はその前に総社の荷風にゆかりのある場所を歩き&走り、それから木山さんが矢掛の中学校に通うのに渡っていた小田川にかかる観音橋から蛇行する小田川に沿って歩いていたので、矢掛駅にたどり着いた時にはすでに相当な距離を歩いていたので最終的に足がひどいことになってしまったんですね。


このあたりの話のことは「早春の小田川」と題したこの日のブログから長々と書いています。

ただ、足を痛めてしまって目的の場所までは行けなかったとはいえ、この日のことに関してはいい思い出しかありません。季節も良くて、天気も良くて、そして何よりも小田川の風景が素晴らしかったんですね。とりわけこの流れ橋のある風景はたまらないものがありました。

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流れ橋というのは、洪水が起こったときに固定していない橋桁だけが流れて橋脚は残るようにしている橋。もし固定していたら橋脚部分も流されてしまって後で修復するのが大変なので、洪水の起こりやすい川で昔から作られていたんですね。でも、今も残っているのはそんなにはないんじゃないでしょうか。

そういえば3年前に行った時にも橋脚だけが残っている橋がありました。小田川は何年かに一度は洪水が起こっているようです。でも、今回ほどひどいものははじめてではないでしょうか。


今回の被害を伝える写真や映像で一番驚いたのは、あのかなり高架となっている井原鉄道井原線の路線が水の上にギリギリ出ているのがわかったこと。いかにひどい洪水かがわかりました。

井原鉄道井原線の三谷駅で電車に乗ったとき、こんな車通りの少ない田舎の町を通る路線が高架になっていて、しかもかなりの高さだったことに驚いたのですが、これもやはり洪水が起こりやすいことを想定して作られていたんですね。


何度も書いたようにここで足を痛めて、おひさまゆうびん舎で開かれていた小山清展に当初の予定を遅らせて行ったことで、世田谷ピンポンズさんとお会いするという縁に恵まれたわけですが、あの日、足を痛めることなく吉備真備駅まで歩くことができていればその縁はなかったわけで、小田川のことを思うときにはどうしても世田谷ピンポンズさんとの縁のことを考えてしまいます。ただ、足を痛めることができていれば、もしかしたら吉備真備駅周辺に住む人と思わぬ縁が生まれたかもしれません。

とにかく水没してしまった家で亡くなった人がいないこと、二階の屋根に取り残されて身動きできない人が全員無事に助けられること、そして今日雨が降らないこと、小田川に青空が戻ってくることを心から願っています。


それにしても歯がゆいことが多すぎます。


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by hinaseno | 2018-07-08 12:56 | 雑記 | Comments(0)

6月の風、坂の終わり


姫路のおひさまゆうびん舎で開かれていた吉田篤弘さんの『神様のいる街』(夏葉社)フェアも今日が最終日。で、来週水曜日から始まるのが高橋和枝さんの『あめのひのくまちゃん』フェア。梅雨の時期にこの絵本のフェアをするというのは窪田さんのかねてよりの願い。それがようやく実現するんですね。

それにしても水曜日から始まるというのはたまたま? 

「水曜日」「雨」といえば大瀧さんのあの曲を思い浮かべないわけにはいかないので。今度の水曜日、雨降るといいですね(姫路の天気予報は雨)。


そういえば寺尾次郎さんが亡くなられた先々週の水曜日、6月6日も雨でした。その前日、こんなビッグニュースが届いたんですね。

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なんと村上春樹がラジオのDJを。選曲も村上さん。そして音楽に関する質問にも答えると。こんなチャンスを逃してはいけないと、すぐに応募しようと考えましたが、質問ありすぎて悩んでしまいました。その前にもう一つ悩んだのがラジオネーム。

とりあえずそっちを先に決めておこうと、あれこれと考え始めたのが6月6日の雨のウェンズデイ。でも、全然いいのが浮かばない。こうなったら「雨のウェンズデイ」でいこうかと思って、そこから連鎖的にいろんな名前が浮かんでくることになりました。


まずは「雨の水曜日」、そして「水曜日の雨」。でもイマイチだなと思ってそこで出てきたのが「六月の雨」。もちろんこのときに太田裕美さんに「九月の雨」という曲があることをちらっと考えました。作詞はもちろん松本隆さん。

で、ここで浮かんだのがこの曲でした。




ジョアン・ジルベルトの「Águas de Março」という曲。ボサノヴァの名曲で、数多くの人が歌っています。曲を書いたのはアントニオ・カルロス・ジョビン。

この曲、英題は「Waters Of March」。ところが邦題は「三月の水」となったり「三月の雨」となったり。内容的を考えると「雨」。ちなみに南半球のブラジルでは3月は夏の終わり。この曲の歌詞にも「夏の終わりを告げる 三月の雨」という言葉が出てきます。南半球の「三月の雨」は日本では「九月の雨」ということになります。

それはさておき、僕は個人的には「三月の水」という邦題の方が好きなんですね。最初にこの曲を知った時の邦題が「三月の水」だったこともありますが、こちらの方がいろんなイメージがわくし、日本の早春のまだ冷たい川や海の水のことも浮かんできます。

ちなみに「Águas de Março」が収録されたジョアン・ジルベルトのこのアルバム。

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オリジナルにはタイトルがなく、ただ「JOAO GILBERTO」と記されているだけ。でも、邦題は『三月の水』。

ということでラジオネームは「六月の雨」から「六月の水」に変更。これで決定ということにしました。


次の日。木曜日。晴れ。

朝一番で近所の書店に行きました。その日発売される『文學界』7月号を購入するため。村上春樹の最新の短編が収録されていたので、いち早く読みたいなと。でも、書店に入荷するのは翌日の金曜日になるとのこと。別の書店に行ってもいっしょだろうと思い、注文して帰りました。

ちょっと予定が狂ったので、この日に質問を出すことにしました(締め切りは3日後の6月10日の日曜日)。質問はだいたい夜のうちに考えていたので、それをまとめて書きました。このブログで書いていた話です。

で、ラジオネームを「六月の水」と入力しようとしたとき、ふと手がとまってナラ・レオンのこのアルバムのことを思い出しました。このアルバムを買ったのは神戸の元町のいまはもうないレコード屋さん。

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アルバムのタイトルは『五月の風(Vento de Maio)』。外に出たときに、ちょっと5月のような爽やかな風が吹いていたからかもしれません。「風」もいいな。いや、「風」のほうがいいなと。

というわけでラジオネームは急遽「六月の風」に変更。ポルトガル語では「Vento de Junho」。うん、悪くないな。ってことで送信。


さて、その次の日の金曜日。朝一番で書店から『文學界』が入荷したとの電話がありました。昼頃買いに行きましたが、時間がなかったので、夜読むことにしました。

収録されている短編は全部で3つ。最初に読んだのは一つ目の「石のまくらに」。短歌を作る女性が出てくるんですが、彼女の作った短歌を見てびっくり。なんと「六月の水」という言葉が最後に。

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村上さんが「六月の水」という言葉を考えた時、絶対にジョビンの「三月の水=三月の雨」のことを考えたに違いありません。


で、翌日、2つめと3つめの短編を読みました。3つ目の短編のタイトルは「チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ」。

ボサノヴァの話というだけでもびっくりでしたが、8曲収録されたこの架空のアルバムに、アントニオ・カルロス・ジョビンの曲がなんと6曲も。

世の中どうなっているんでしょう。


ところで昨日久しぶりにジョアン・ジルベルトの『三月の水』のアルバムを取り出して、A面1曲目の「三月の水」を聴いていたら、なんと針とび。同じ部分が延々と繰り返されることに。これです。

これを聴いていたら繰り返されている部分の言葉が気になったんですね。ちょっと調べてやろうと。ただ、この曲の歌詞、とにかくすごいんですね。しかもポルトガル語。針とびがするのは曲の後半。2度くらいどこ歌ってんのかわからなくなってようやく3度目にたどり当てました。

É o fim da ladeira

意味を調べたら「坂の終わり」。

思わず『港町』に出てきた牛窓のあの坂や、余白珈琲さんの家のある塩屋の坂のことを思い出しました。「坂の終わり」というラジオネームもよかったなと。

面白いのはこの「é o fim da ladeira」の直前にはこんな言葉が出てくるんですね。

É o vento ventando

「Vento」は先ほど紹介したように「風」。ジョビンが英語でリライトした歌詞では「It's the wind blowing free」となっています。「気ままに吹いている風」。そんな風が集まる「坂の終わり」。


たまたまにしては、ちょっと出来過ぎ。


というわけで8月5日に放送される村上RADIO、今からどきどきします。果たして「六月の風」というラジオネームが読まれることになるでしょうか。もしよかったらチェックしてみてください。

ところで今日は気持ちのいい6月の風が吹いています。


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by hinaseno | 2018-06-17 15:51 | 雑記 | Comments(0)

Far Away from You


神戸の元町近辺を舞台にした話が綴られている吉田篤弘さんの『神様のいる街』のことを書いて以来、神戸がらみの話が続いていますが今日も。

来週末から、その元町の商店街にあるミニシアター『元町映画館』でいよいよ想田和弘さんの牛窓を舞台にした映画『港町』が公開されます。公開初日の6月23日(土)には、上映後になんと想田和弘監督と内田樹先生のトークがあるんですね。行きたいなあ。でも、時間が合わない。

神戸近辺にお住いの人、ぜひぜひ観に行ってください。僕の大好きな牛窓の風景が次から次に出てきます。


その前日、つまり一週間後の22日(金)には、大好きな女性シンガーの浜田真理子さんが旧グッゲンハイム邸でライブをされます。行きたくて仕方がないけど、これまた時間が合わない。

その浜田さん、つい先日、新しいアルバムを出されたばかりなんですね。アルバムのタイトルは『NEXT TEARDROPS』。前作同様、浜田さんの幼い頃の写真をジャケットに使っています。

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浜田さんの曲は新しい曲でもどこか懐かしく聴こえてしまうんですね。飾りっ気とか技巧が全く感じられない歌い方のせいでしょうか。これは簡単なようで、実はすごく難しいこと。本当に稀有な歌手だと思います。もちろん曲の作り手として優れていることはいうまでもありません。

今回のアルバムの超目玉は個人的にはなんといっても金延幸子さんの「あなたから遠くへ」のカバー。金延幸子さんには大瀧さんがいくつか曲を提供していますが、大瀧さんのクレジットにない金延さんのオリジナル曲もどこかはっぴいえんど時代の大瀧さんの香りが漂っています。

大瀧さんはとりわけこの「あなたから遠くへ」という曲には思い入れが深いようで、1997年に発売された渡辺満里奈さんの『Ring-a-Bell』でもカバーしています。アレンジも大瀧さん。これがとにかく素晴らしいんですね。


もうひとつ、「あなたから遠くへ」と大瀧さんのつながりといえば例の「夢で逢えたら」。大瀧さんが作詞した歌詞はこんな言葉から始まります。


あなたは私から遠く離れているけど

これは「たまたま」ではなく大瀧さんが意識して織り込んだもの。まあ、ちょっとした「シャレ」だったのかもしれませんが。


「あなたから遠くへ」といえば、最近もう一つ驚いたことがありました。こちらの海外のサイトに金延幸子さんが先月されたライブの音源がアップされて(無料でダウンロードできます)、なんとその中で「あなたから遠くへ」を歌っていたんですね。金延さんが今も現役でライブをされていたことにも驚いたんですが、72年当時とほとんど変わらない感じで歌われていることにも驚きました。ちなみに英語のタイトルは「Far Away from You」。英題もいいですね。


ところで浜田真理子さんといえば、一つ大事なことを書きそびれていました。それは3月28日にKHKのテレビで放送された『マイ・ラスト・ソング~人生の最後に聴きたい歌は』という番組のこと。

『マイ・ラスト・ソング』というのは演出家の久世光彦を偲んで、小泉今日子さんが浜田さんと続けている舞台で、一度は見たいと思っているのですが、なんとテレビでやったんですね。ゲストのひとりは『万引き家族』をはじめ是枝監督の映画の常連になっている樹木希林さん。司会は又吉直樹さん。

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実際の舞台では小泉さんが朗読して浜田さんがピアノを弾きながら歌うというスタイル。でも、この番組では浜田さん以外の人も歌っていました。一番つっこみたくなったのは2曲目に歌われた「プカプカ」。

「プカプカ」といえば、おひさまゆうびん舎で開かれたゆずぽんさんたちの結婚式のときに世田谷ピンポンズさんが歌ってくれた曲。ピンポンズさんが歌ったきっかけは、ゆずぽんさんと又吉さんがほぼ同時くらいに「プカプカ」をピンポンズさんがカバーしたらぴったりだという発言をしたこと。だったら又吉さん、番組の制作者にピンポンズさんを強くプッシュしてくれたらよかったのに、この日の番組で「プカプカ」を歌ったのは奇妙礼太郎というアーティスト。おいおい、それはないでしょ、又吉さん、でした。

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それはさておき、この日一番うれしかったのは1曲目(!)に浜田さんが歌った曲。大瀧さんの、と同時に大瀧さんのお母さんの大好きな平野愛子の「港が見える丘」。これはよかったな~。

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この曲と、それから「あなたから遠くへ」を浜田さんが歌うのを塩屋で聴けたら、どんなに素敵だろう。

でも、今回は縁がなかった、というしかないですね。


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by hinaseno | 2018-06-15 15:08 | 雑記 | Comments(0)

先日、NHKドキュメンタリー、ファミリーヒストリー「細野晴臣~タイタニックの宿命 音楽家の原点~」が再放送されたので久しぶりに見たんですが(坂本龍一さんの回は残念ながら見逃してしまいました)、ああいう番組は第三者的には面白くても、当事者にとってはきっと知るのが怖い部分も多々あるはず。知りたくないような事実にぶつかる可能性もあるはずなので。

物事や人のルーツを調べるのが好きな僕にしても、母のルーツに関してはなんとなく遠ざけていました。船で渡ってきたという”言い伝え”の話も、”呼ばれて岡山に迎えられた”ということになっているけど、実は何かよからぬことがあったために出た/逃げてきた可能性も否定できなかったので。母の祖母から母が聞いていた”言い伝え”というのは母の祖母が捏造した話ではないかと思う部分もあったんですね。


でも、母はその”言い伝え”を信じ続け、先祖が徳島にいた自分のルーツの場所を探し続けました。手掛かりになるのは母の旧姓と最初に岡山に渡ってきたとされる先祖の名前、先祖がいた本家が徳島で営んでいたという問屋の名前、そして本家がいた村にあるという名字の名のついた神社。


今のインターネットの時代なら、これだけの材料があれば先祖が住んでいた町を特定できそうな気がします。でも、実際にはかなり困難であることがわかりました。

母の旧姓は全国どこにでもある名前。その姓がついた神社も全国にあって、同じ徳島にもいくつかある。先祖の家が営んでいた問屋も戦前までは存在していたようですが、母が探し始めた頃にはすでに問屋はなく、その屋号もよくある名前。

ということで今、僕が母から調べてと頼まれても相当に手間取って、もしかしたら特定できずに母が母の祖母から聞いたという”言い伝え”は作り話だったと判断したかもしれません。


ということで家事と父の家業の手伝いの合間(1日のうちでその時間はあまりにも少なかったはず)に母は先祖の地を探し求める努力をし続けます。基本的には徳島のいろんな町の役場に電話をかけて訊いてみるという、ちょっと気の遠くなるような作業。


で、ある日、徳島のある小さな町の役場に電話をしたとき、応対した人が母親の質問に困り、そういえば役場に同じ名字の人がいますのでその人に訊いてみますということで、母の旧姓の同じ名字の人に電話を代わってもらいます。母親が本家の屋号を告げると、その人は「ああ、その家は私の家のすぐそばにありました」と答えたんですね。

その町にはその名字が家がかなりあるので、違う村に住んでいる人であればたぶんわからなかったはず。それからその人は昭和12年生まれだったので、戦前のことも覚えていた。さらに幸運なことに、本家の問屋が大阪に移った後、その人がまさに母の一族の会長をしていることもわかったんですね。たまたまとはいえ奇跡のような話。

母は事情を父に話し、すぐに父と一緒に徳島に行きます。


それから約20年後、先日のゴールデンウィークに”一代に一度は”という言い伝えに従って、かなり足の悪くなった母と一緒に徳島に行ってきました。四国に行くのも本当に久しぶりで、瀬戸大橋線に乗ったのも初めて。ずっと以前、何度か四国に行っていたときはいつも宇高連絡船に乗っていました。結論から言えば、宇高連絡船のほうが10000万倍いいですね。甲板をあっちに行ったりこっちに行ったりしながら眺めていた島々の風景の素晴らしさは橋の上から見たそれとは比べ物になりません。僕の船好きはそれがきっかけでした。いや、江戸時代にはるばる四国から船で渡って来た先祖の血が流れているからなのかもしれません。


上林暁の『晩春日記』の最後に収録された「四国路」でも、主人公の「私」の娘さんは宇高連絡船に乗って四国に渡り、高松から土讃線で高知に向かいます。僕たちは池田駅で徳島線に乗り換えて、先祖のいた土地に向かいました。

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最寄りの駅に着くと一族の代表者の3人が出迎えてくれました。初めて会うのに懐かしいような気持ちになるから不思議。子供の頃から僕は父よりも母の資質を多く受け継いでいると思っていたので、まさに思い描いていたような自分に近しい人たちがそこにいました。中には学者肌の人がいて、きちんと資料を作って延々と一族の歴史を語ってくれたり。そういう人、父方の親族にはひとりもいない。


この四国行きをきっかけに改めて岡山に渡ってきた先祖のことを調べているのですが、いろいろと出てくるものです。

たとえば先祖の一人は華岡青洲という江戸時代の著名な外科医(世界で初めて全身麻酔手術に成功した人だそうです)の門人であったとか、母の祖父(僕の曽祖父)は戦前に本を出していたとか。

それから先祖が”呼ばれて岡山に迎えられた”可能性がかなり高いことを推察させる史料も見つかりました。呼んだのはかなりの豪商。どうやらその豪商の屋敷を譲り受けたようで、その屋敷が描かれた江戸時代の古地図も見つかりました。


われながらワクワクすることの連続なんですが、このファミリーヒストリー、いつか誰かに語る日がくるんでしょうか。

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by hinaseno | 2018-05-26 16:48 | 雑記 | Comments(0)

先週から岡山のスロウな本屋さんで、松村圭一郎さんが小さな勉強会を始められました。題して「寺子屋スータ」。

「スータ」というのは松村さんがフィールドワークをされているエチオピアの最大の民族オロモ人の言語であるオロモ語で「ゆっくり」を意味しているとのこと。英語で言えばスロウ。

寺子屋スータでは、一冊の本をゆっくりと読んでいくそうですが、最初に取り上げた本は先頃亡くなった石牟礼道子さんの『苦海浄土』。

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僕ももちろん買いました。でも、池澤夏樹=個人文学全集から出ているこの本は、なんと800ページ近い大書。読むの大変です。ちなみに石牟礼道子さんは熊本の人。実は松村先生の出身も熊本なんですね。


それにしても古い民家をそのまま使っているスロウな本屋は寺子屋をするにはぴったりですね。この企画を知ったときには絶対に参加するつもりでいたんですが、残念ながら時間の都合がつきませんでした。でも、定員に対してその何倍もの希望者がいたそうなので、希望しても無理だったかもしれません。かなり遠方からの参加者もいるとか。松村先生の人気、すごいです。とりあえず寺子屋への参加はできなかったけど、一緒に勉強するつもりでゆっくり読んでいこうと思います。


ところで寺子屋といえば、実は僕の母親の祖先は江戸時代に寺子屋をやっていました。それを知ったのは10年ほど前のこと。初めて母から聞いたときには本当にびっくり。ほんまかいなと。

びっくりはしたものの、その話は半信半疑のまま調べることもなく放置していたんですが、5年ほど前に急に思い立って母の生まれ育った町の町史やら郡史などをいろいろと調べていたら「〇〇家が寺子屋を経営」と書かれているのを発見。その翌年くらいに先祖の名前がきちんと記載された文献を見せてもらって、間違いがなかったことを確認しました。


その寺子屋があったのは牛窓からそう遠くない小さな海町。今では完全にさびれてしまっていますが、江戸時代には海運業が盛んで牛窓よりも栄えていた町でした。目の前にはこの上なく美しい海。寺子屋のある丘の上からもその海を望むことができました。


四国の徳島にいた母の祖先は、江戸時代の初め頃にその地に”呼ばれる形で”船でやって来て、で、その美しい湾を魅せられてそこに住む決心をします。最初は医者として。でも、江戸の後期になって、これからは学問が必要ということになって、ある民家を借りて寺子屋を始めたと。

ただ、その地に住み着いてからも一代に一度は必ず徳島に戻り、母方の名字のある神社にお参りしていた。


…という言い伝えを母は母の祖母にあたる人から幼い頃に何度も何度も聞かされていたそうです。


ちなみに長く続いた戦争と戦後の混乱の中で母の一家は母の言葉を使えば”没落”。海沿いの一番いい場所にあった大きな屋敷は没収されて山あいの小さな家で母と母の祖父母といっしょに暮らすようになります。

学校の校長も勤めた母の祖父は戦争中に死亡、祖母も戦後しばらくして亡くなり、幼くして母は血縁がひとりもいない状態になりました。


身寄りがなくなったとはいえ母は、母の祖父が校長を勤めていた小学校(母の祖先が作った寺子屋のそばに作られた学校)の校長や先生たちからいろんな形で手助けをされながら何人もの祖先と同じく教師になることを目指しました。そして岡山にあった女子師範学校に合格。でも経済的な理由から最終的にそこに通うことを断念して岡山にあった工場で働くようになります。毎日、あの西大寺鉄道の軽便に乗って通ったそうです。


ところで岡山の女子師範学校(正しい名称は岡山師範学校女子部)は永井荷風が滞在して空襲に見舞われた弓之町の松月のすぐ近くにあったので、荷風はそのそばを何度も通っていました。で、『断腸亭日乗』昭和20年6月23日の記述の中に岡山師範学校女子部のことが出てきます。その日、荷風は講堂の中まで入っていってるんですね。この日の日記は『断腸亭日乗』よりも『罹災日録』の方が詳しく書かれていて、そこにはこんな記述があります。


「女先生ピアノを弾じ女生徒吠ゆるが如く軍歌を唱ふるなるべし」

荷風はもちろんこの様子にあきれ返るわけですが、もし母が願い通りにこの師範学校に入っていれば、このとき荷風が見ていた女生徒の中にいたのかもしれなかったんですね。

ちなみに同じ弓之町に住んでいた父親も、ときどきは彼女たちの歌声を聞いていたのかもしれない。このすれ違いのことは父も母ももちろん知らない。


さて、母が幼い頃ずっと祖母から聞かされていた”言い伝え”のこと。

母はおそらく30年ほど前から僕たち家族には内緒でその”言い伝え”を確かめる努力をし始めました。今であれば確かめる手段はいくつもありますが、30年ほど前の母にとって手段は電話と手紙しかありませんでした。ちょっと気の遠くなるような手間のかかることをしていたんですね。で、ある日、ついに...。


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by hinaseno | 2018-05-25 15:41 | 雑記 | Comments(0)

「船は行く」


塩屋の話、といきたいところですが、実は書きたい話がたまっているので少し後回し。とりあえず夏葉社つながりの話で。


もう10日以上前になりますが、アゲインの石川さんに2枚のDVDを送って(贈って)いただきました。実はその1枚は僕がこのブログでちらっとおねだりするようなことを書いたので、いつものように超速攻で送ってくださったんですね。先にそっちの話をと思ったんですが、今日書くのはそれに添えられたもう1枚のDVDのことを。

それは4月の末にアゲインで行われた相川理沙さんのライブを録画したものでした。ただ収録されていたのはいくつかの曲をピックアップしたもの。MCなどはカットされていました。

その最初にこの曲のカバーが収録されていたんですね。




曲のタイトルは「The Water Is Wide」。

歌っているのはカーラ・ボノフ。1979年に発売された『Restless Nights』の最後に収録されています。これが本当に素晴らしい曲で、昔はよく(人に聴かれないようにこっそりと)弾き語りをしていました。

「The Water Is Wide」はいかにもカーラ・ボノフが作るような曲だったので、最初に聴いたときはきっと彼女が作った曲だと思っていたんですが、クレジットを見たらTraditional。もとはスコットランドの民謡だったんですね。

で、相川理沙さんはこれを日本語の詞で歌っていました。そして曲が終わった後、カメラがターンしてある人の後ろ姿をとらえます。僕はもちろんそれがだれだかすぐにわかりました。


関口直人さん。

関口さんは相川理沙さんをずっと応援されていることはよく知っているので、ああやっぱり関口さん、そこにいらっしゃってたんだなと思って、そのときはそれで終わっていたんですが、今朝、関口さんのことを書こうと思って、ふと、あのシーンのことを思い出して、もしかしたらと思って調べたらやはり、でした。相川理沙さんが歌っていた「The Water Is Wide」の日本語詞を書かれていたのは関口直人さんだったんですね。曲を歌う前のMCでおそらく紹介をしてたんでしょう。


関口さんが付けた曲のタイトルは「船は行く」。

「The Water Is Wide」という曲は、邦題としては「広い河の岸辺」とか「悲しみの水辺」とか、あるいは直訳に近い「流れは広く」などがあるみたいですが、関口さんはそれらとは違ったタイトルで、訳詞ではない形の詞を書かれています。以前紹介した西海孝さんの『空を走る風のように、海を渡る波のように』に収録された曲と同様のスタイル。ちなみに「The Water Is Wide」のオリジナルの歌詞では船(ボート)が行くのは広い川ですが、関口さんが書かれた詞では海のようです。

「船は行く」は相川さんの今年出た新しいアルバムの1曲目に収録されていることがわかりました。これは手に入れないといけないですね。

ところで関口さんのことをことをブログに書こうと思っていたのは、あるサイトに関口さんが投稿された記事を紹介したかったから。それは僕が毎朝チェックしている「週刊てりとりぃ」というサイトの5月11日に投稿された記事の3つめに書かれた「青山で出会った紳士」という文章。先日亡くなられた大森昭男さんを追悼する記事なんですが、大森さんとの出会いから始まるこの文章がたまらなくいいんですね。

これを読んだときに確信のように思ったのは関口さんにぜひ本を出してもらいたいということでした。東京でお会いしたとき、短い時間の中で伺ったのは知られないのがもったいないほどの貴重な話、面白い話の連続でした。いっしょにいた石川さんもぜひアゲインでトークイベントをやりたいとおっしゃっていました。「マスターの自由自在」では必ず関口さんを呼び込んでいくらか話をされていましたが、まだまだ聞きたいことを山ほどあります。

もし、関口さんの本を出すのであれば、やはり夏葉社しかないだろうなと。本のタイトルは『船は行く』で決まりです。山高登さんの船を描いた版画がつけば最高。そして本が出たら出版記念のトークイベントをもちろんアゲインで。

来年ぐらいに実現しないかな。絶対に行きます。


なんてことを考えながら、先日の5月12日に、その夏葉社から出た吉田篤弘さんの『神様のいる街』を買いにおひさまゆうびん舎に行ったら窪田さんから関口さんの話が。

なんと関口さん、Facebookを通じて世田谷ピンポンズさんに誕生日メッセージ(おひさまに行った前日の5月11日がピンポンズさんの誕生日)を送られていたんですね。僕はFacebookをやっていないので窪田さんにそのメッセージを見せてもらいました。これです。

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関口さんの書かれた短歌の最後にも「船」が出てきていますね。本のタイトルは『昔日の客』にかけて『船上の客』もありかな。


実は最近、ずっと「船」のことを考えています。江戸時代に僕の母親の先祖が四国から瀬戸内海を渡って牛窓近くの港町にやってきた船、真っ白な帆を張って希望をめざしていた船のことを。

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by hinaseno | 2018-05-20 14:51 | 雑記 | Comments(0)

今日は4月21日。

21日というのは余白珈琲さんから焼きたての珈琲豆が届く日。午前中のほぼ定刻に、いつもの感じのいい郵便配達の人が届けてくれました。今はそれを飲みながらこれを書いています。

今回、大石くんは、先日僕がブログに貼っていた、大瀧さんが作った三ツ矢サイダーのCM曲を聴きながら豆を焼いてくれたそうです。ってことで、言うまでもなく今回の珈琲は”サイダーのようにさわやか”な味。この季節にぴったり、です。

それから今回、「贈るコーヒープレジェクト」の豆が送られてきました。誰に贈ろうかと考える時間も愉しいです。もう決めたけど。

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さて、ちょうどひと月前の3月21日に隣町珈琲で行われた平川克美さんと松村圭一郎さんの対談のこと、面白くて何度も聞き返しています。もう5回は聴きました。2時間近い話ですが、ちっとも飽きないんですね。


その対談の最初の方で、「世代」に関して興味深いやりとりがありました。

松村さんのこんな言葉から。


「なぜ違う世代の(松村さんが42歳で、平川さんが67歳で25歳、つまりひと世代違う)考えていることとか、考えようとしていることが、なぜ共鳴し合っているのか、というのは考えるに値する問いなのではないか」

確かに、これは考えるに値する問いです。

考えてみたら僕と余白珈琲の大石くんともだいたいひと世代違っているけど、同じような考え方をしています。彼が書いていること、やろうとしていることに激しく共鳴している自分がいます。


で、面白いのは彼が「贈るコーヒープレジェクト」を始めたのはまだ松村さんの『うしろめたさの人類学』を読む前だったということ。松村さんの本を読んで、影響を受けて始めたというわけではなかったんですね。

僕が松村さんの本のことをブログに書いて、で、それを手にとって、激しく共鳴するものを感じたようです。でも、そこには不思議な縁があって、たまたま彼らが京都のミシマ社を訪ねて行ったその日に、まさに松村さんの『うしろめたさの人類学』の出版に向けての作業をしていたと。

で、僕が松村さん経由で強い関心をもった塩屋に、今、彼らは移り住んでいる。店は持っていないけど、豆を焼いている自宅は基本的に開放、いつでもお立ち寄りくださいという形にしている(来月行く予定)。

さらに興味深いのは移り住んだと同時に近くに小規模の畑を手に入れたとのこと。これは岡山に来て聞いたタルマーリーの渡邊さんの話に影響を受けたこともあるようです。できるだけ自然に近い場所にいようと、日々土に触れ、何かを育てていくようです。

本当に面白いですね。

ミシマ社関係の本やネットに掲載された記事をいくつか読んだ影響もあるのかもしれませんが、20代後半でありながら、同じような考え方、共鳴し合えるものを持っている。


ところで、昨日気がついたことですが松村さんが生まれたのはいつだろうかと調べたら1975年でした。

そうか1975年か! と。


1975年といえば、平川克美さんの『21世紀の楕円幻想論』の中で、楕円のイメージを考える上での例として引き合いに出された「木綿のハンカチーフ」が生まれた年。松村さんが生まれたのは9月11日(この日はいろんな意味で重要な日)なので、「木綿のハンカチーフ」が発売される数ヶ月前ということになりますが、こういうのって面白いですね。松村さんのご両親はまさに「木綿のハンカチーフ」を聴きながら松村さんを育てていたかもしれません。


で、1975年といえば、少し前にブログで触れた中島岳志さんも1975年生まれですね。中島さんは政治学が専門ですが、平川さんと同じような考え方を持たれている(隣町珈琲のある荏原中延にお住まいですね)。

その中島さんや平川さんと同世代の高橋源一郎さんが出演された『100分deメディア論』は本当に素晴らしい番組だったんですが。今日の深夜(実際には明日の午前0:30~2:10)に再放送されるそうです。この番組のポイントは、これが収録されたときには、今ニュースで大きく問題になっていることがまだ明るみになっていないときだったということ。中島さんのひとつひとつの発言はどれも得心のいくことばかりですが、でも何よりもいいのは中島さんの語り口なんですね。なんとなく松村さんに似ているところがあるなと思っていたら、同じ年の生まれだったとは。


ちなみに昨日のブログで、松村さんと対談してもらいたいということで書いた想田和弘さんは1970年生まれ。

今日はこれからその想田さんの映画『港町』を見に行きます。


最後に、1975年ということで忘れてはならないことがありました。1975年といえば、大瀧さんの最高にして最大の作品である「ゴー!ゴー!ナイアガラ」が始まった年でもあります。

内田先生も、アゲインの石川さんも、それをたまたまある日聞いて、文字通り人生を変えるほどの影響を受けたんですね。


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by hinaseno | 2018-04-21 12:36 | 雑記 | Comments(0)

先日のブログで、アゲインで行われた内田樹先生と平川克美さんのトークイベントのことで、最後にライジオデイズで発売されたコンテンツに後半の小田嶋隆さんが加わってのトークが入っていなかったので、それも聞きたかったなと書いたら、アゲインの石川さんから速攻でそれを録画したものを送っていただきました。いつもいつもありがとうございます。

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内容は予想通りめちゃくちゃ面白かったんですが、結論から言えばトークの中で何度も言われていたように、公にはできない話(例えば、とある国の首相のIQのこととか)の連続で、仮に編集してもピー音だらけになってしまって、コンテンツにするにはとても無理だということがわかりました。


で、そのラジオデイズから待望のコンテンツがようやく発売されました。コンテンツのタイトルは「うしろめたさと楕円幻想」。

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先月のナイアガラデイ(3月21日)に隣町珈琲で行われた平川さんと松村圭一郎さんのトークイベントを、たぶん編集もなくそのまま収録したものですね。

内容は期待をはるかに超えたもの。これまで平川さんの対談を数多く聞いてきましたが、最高の部類に入るのではないかと思います。それは実際に話をされた平川さん自身も感じられていたようで、後半の初めに平川さんがこんなことをおっしゃっていました。


「今日僕は気分がいいんですよ。いいダイアローグというのは、お互いに『そういえば』『そういえば』というふうに物語を思い出していく。今日、わりとそういう感じで」

まさにそうだったんですね。一方が語ったことで、もう一方が別の話を思い出して語りだす。話がとっちらかるとか、それぞれが自分の知識をひけらかすとかということではなくて、そう、まるで、珈琲豆が気持ちよく楕円に膨らんでいくような感じ。初めて聞くような平川さんの話がいくつもありました。

最後、時間切れという形で対談が終わりましたが、まだまだ話が続きそうな雰囲気。このダイアローグ、ぜひ続けて欲しいですね。次はぜひ岡山で。


松村さんといえば、昨夜、表町商店街に昨年オープンしたヒバリ照ラスという場所で「エチオピアン・ナイト」というトークイベントが開かれたので行ってきました。

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開演前に松村さんと少し話。平川さんとのトークに出てきた”あの話”のことなどを。


で、「エチオピアン・ナイト」、素晴らしかったです。松村さんがエチオピアで撮影した写真や映像などを、エチオピアのいろんな種類の音楽を流しながら紹介してくれたんですが、刺激的なものばかり。遠く離れた国でしかなかったエチオピアのことが、さらに身近になりました。松村さんのおかげでそういう人、岡山に確実に増えていますね。


その松村さんは、現在、スロウな本屋さんで「寺子屋スータ」という勉強会を始められているんですが、新たにヒバリ照ラスで「ヒバリ人類学」というのを始めるそうです。岡山に関係のある人を呼んで松村さんと対談形式のトークイベントを定期的にやっていかれるとのこと。楽しみですね。時間の都合がつけば是非参加しようと思います。


それにしても松村さんの、岡山のあちこちでのスキマ作りの活動、素晴らしいですね。昨日もそうですが、松村さんの作ったスキマにはいつも気持ちのいい風が吹いています。

対談相手の希望があればと言われていたので、家に戻りながら考えたんですが、明日、岡山で公開される牛窓を舞台にした映画『港町』の監督である想田和弘との対談を聞いてみたいなと。想田さんもミシマ社から本を出しているのでミシマ社企画でいけそうですね。タイトルは「観察する男とスキマを作る男」でどうでしょうか。

想田さんの映画は明日観にいくつもり。これも楽しみすぎます。


最後に昨日の松村さんのイベントで流れていた曲、Shazamでチェックしていたんですが、とりわけよかったのがムラトゥ・アスタトゥケ(Mulatu Astatke)というアーティストのこの「Tezeta」という曲。




ムラトゥ・アスタトゥケというのは「エチオ・ジャズ」の生みの親として知られているそうです。「Tezeta」の邦題は「哀愁」。松村さんがエチオピアで撮影した映像(教会に行くシーンだったかな)にこの曲がとてもよく合っていました。


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by hinaseno | 2018-04-20 15:18 | 雑記 | Comments(0)

「武蔵小山のAgainで…」


『伊藤銀次 自伝 MY LIFE, POP LIFE』、昨夜読了できるかと思ったんですが、後もう少しというところで眠くなってしまったので、残念ながらもう10数ページというところで昨夜の読書は終了。

もちろん内容的に眠い話が続いたというわけではありません。大瀧さんがらみの話、とりわけ大瀧さんが亡くなる2ヶ月前の2013年10月に青梅で行った銀次さんのライブに突然、大瀧さんが顔を出してくれたくれた話とか(杉真理さんの息子さんの未来君と銀次さんと大瀧さんで『Niagara Triangle Vol.1』と同じように扇型になって写真を撮ったという話もいいですね)、大瀧さんが亡くなって、いてもたってもいられず大瀧さんの家を訪ねて行ったら、それがちょうど納棺の日で大瀧さんの肩を持って棺に入れたという話とか、涙なくして読めない話が続きました。


そういえば昨夜読んだところでは何度も「武蔵小山Again」という言葉が登場したのもうれしかったですね。近年、銀次さんにとってAgainがいろんな繋がりを作る場になっていたことがよくわかります。

本では触れられていませんでしたが、銀次さんの「ウキウキ Watching」を大瀧さんが「あれはハーマンズ・ハーミッツだろ」と言ったのも、Againで収録された『大滝詠一的』でのことですね。その日、銀次さんはサプライズ・ゲストという形で登場したのに、大瀧さんはちっとも驚かなかったという。銀次さんのされることは大瀧さんはなにもかもお見通しって感じですね。


そのAgainでどうやら銀次さんの出版記念トークイベントが開かれるようです。まだ日程調整中かな。近ければ絶対に行くんだけど。

Againでのイベントといえば、先日このブログでも紹介した、先月Againで行われた平川克美さんの『21世紀の楕円幻想論』出版記念トークイベントのコンテンツがラジオデイズで販売されています。ぜひ聴いて見てください。僕は平川さんをずっと追っかけているので「へえ~」は少ない方だと思いますが、きっと「へえ~」の連続だと思います。平川さんの場合、内容ももちろんい面白いのですが、何よりも語り口が最高なんですね。大瀧さん亡き後、最も好きな語り口を持った人と言えるかもしれますん。


それから今月10日に行われたAgainのアゲイン11周年イベントの内田樹先生と平川克美さんのトーク・ショーのコンテンツも発売されています。最初の平川さんの最近、占い師に見てもらったという話は爆笑。こちらもぜひ。

(休憩後の小田嶋さんの加わった話も聞きたかったけど...)


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by hinaseno | 2018-04-16 13:06 | 雑記 | Comments(0)