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by hinaseno
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カテゴリ:映画( 98 )



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昨日、実はもう少し別のことを書いていて、長くなったのでカットしたのですが、それをカットしたならば、もうちょっとカットしなければならない部分があったことにあとで気づきました。
「こういち」の話です。

昨日すでに「しょうじ三部作」には「こういち」という名前の人物が出ていると書いてしまいました。実際にはそれを説明する部分をその前に書いていたのですが、そこをカットしたんですね。

「こういち」は『麦秋』と『東京物語』では「しょうじ(省二・昌二)」の兄として登場しています。それでは、『早春』では、というと、正二(池部良)の兄としてではなく、妻である淡島千景の弟として「こういち」が登場しています。シナリオを見ると「幸一」という字が与えられています。『東京物語』の兄と同じ字ですね。演じているのは田浦正巳。就職を控えた大学生という役。
それ以前の作品では「しょうじ」の兄に与えていた名前を妻の弟に与えている。適当と言えば適当なのかもしれませんし、そこに何らかの意味が込められているのかもしれません。

先日、小津は『めし』のシナリオを読んで、説明が多すぎるから感心しない、という感想を持ったことを書きましたが、この映画にはまったく説明されていない「不在」の存在をうっすらと見ることができます。それ以前の作品では「しょうじ」が「不在」の存在として描かれていましたが、今度はその逆。

それを考える前に、『早春』で「正二」についてわかっていることを書き並べておきたいと思います。

・年齢は32歳。これはシナリオにはっきりと書かれていました。ただ、映画でも彼の同期で会社に入った人間が亡くなったときに、その年齢が「32〜33歳」と映画の中で語られていましたのでおよその年齢はわかるようになっています。
・東京の丸ビルにある「東亜耐火煉瓦会社」に勤めているサラリーマン。
・淡島千景演じる昌子という名前の妻がいる。恋愛結婚のような感じもします。
・子供はいない。ただし、生まれて間もなく疫痢でなくなったと映画の中で語られています。
・住んでいるのは蒲田。映画で語られるのは「蒲田」という言葉だけですが、「六郷の土手」という言葉が何度か出てきますので、蒲田の南の方になるのでしょうか。この場所の特定はまた改めて、というか僕にはちょっと限界があるので、いつか「隣町探偵団」で探っていただけたらと思っています。
・住んでいる家は借家、どうやら妻の実家の母親の知り合いに借りているようですので、結婚してから住むようになったと思われます。
a0285828_1142068.jpg・読書好きというのも随所に示されています。朝、よく知った仲間が集まってくる駅のこの場面でも一人新聞を読んでいます。家の中の場面では本がいくつも並んだ本棚が写りますし、引っ越しのときにはいらなくなった何冊もの本を近くに住む友人に与えています。妻を東京において三石にやって来たときには、夜、誰にも会わずにひとりで部屋で本ばかり読んでいるということが語られます。
自営業をしている兵隊仲間からは、おまえは学問があるというようなことを言われているので、おそらくは大学に行っていて、大学を卒業して会社に入社したと思われます。ということは、大学のときに兵隊に行ったということになりますね。
・笠智衆演じる会社の上司、小野寺を心から慕っていて、彼に仲人をしてもらっているようなので、結婚は戦争が終わって兵隊から戻って会社に入社してのち、ということですね。ちなみに映画では笠智衆は滋賀県の大津に”とばされた”形になっています。で、自分も小野寺さんの側の人間だから風当たりが強いです、という会話がなされているので、同じ会社の中でも、出世のためならどんなことでもできる人間(池部良に三石行きを告げる中村伸郎はこちら側ですね)と、それができない人間に分けられていて、笠智衆演じる小野寺はもちろん後者。しゃべる言葉にも深みがあるので、”文学”を持っている感じがします。 池部良(正二)が慕うのもそのあたりに理由がありそうです。

映画からわかるのはこれくらいでしょうか。
もう一つ言えば、「正二」にはどこか陰がある。みんなで集まって騒いでいるときでも、気持ちは常に一歩引いている感じがします。ここにはまったく説明されていない”何か”があるそうです。
それが「正二(しょうじ)」という名前に隠されているように思います。
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by hinaseno | 2013-04-23 11:05 | 映画 | Comments(0)

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『東京物語』で、兵隊として戦争に行ったまま戻ってこない人物として名前が出てくる「しょうじ」。実は『東京物語』の2作前の『麦秋』にも、同じく兵隊として戦争に行ったまま戻ってこない「しょうじ」という人物の名前が出てきます。前者は笠智衆の息子、原節子の夫として。後者は笠智衆の弟、原節子の兄として。

最近まで僕はこの2つの映画の「しょうじ」を、「しょうじ」という音だけで頭に入れていたのですが、先日図書館で借りてきた映画のシナリオを見て、それぞれの「しょうじ」に漢字の名が与えられていることがわかりました。
『麦秋』の「しょうじ」は「省二」、そして『東京物語』の「しょうじ」は「昌二」。いずれも次男ということになっています。ちなみに長男はどちらも「こういち」。『麦秋』で笠智衆が演じているのは「康一」、『東京物語』で山村聰が演じているのは「幸一」。よく知られていることですが小津の映画の脚本人物の名前は名字も名前も同じものだらけ、出演者も同じ人ばかり。いまだに区別がつかない。

そういえば男の兄弟で兄を「○一」、弟を「○二」とすることでいえば、現在平川さんの探偵報告が続いている戦前の『生まれてはみたけれど』の兄弟も、兄が良一、弟が啓二となっています。
ちなみに『晩春』と『お早よう』には、『生まれてはみたけれど』と似たような男の子の兄弟が出てくるのですが、それらはいずれも兄が「実(みのる)」、弟が「勇(いさむ)」。戦後の子供には「一」「二」を付けずに一文字の漢字にしています。

『麦秋』と『東京物語』で、戦争から帰らぬ人(戦地で亡くなった人)として共通の名前が与えられている「しょうじ」の存在は、この二つの映画を考える上で、とても重要なような気がします。映画には一度も登場はしませんが、この二つの映画の隠れた主役と言ってもいいのかもしれません。と思って、ネットを調べたら、やはりそれを指摘している人もいますね。小津自身も次男で戦争に行った人ですから、このあたりは掘り下げて考えてみると面白そうです。それはまた別の機会に。

さて、『早春』の池部良が与えられた役名は「正二」。僕の持っているDVDのパッケージの裏に書かれています。シナリオに記されているんですね。
実は僕はこの映画を初めて見たときからずっと「正二」を「せいじ」と読むものだと思っていました。映画のどこか場面で、淡島千景の母親役の浦辺粂子が「せいじさん」と言っていたように思っていたのですが、改めて映画を見直したら浦辺粂子は池部良のことを一貫して「杉山さん」と呼んでいましたし、ほかの誰も池部良を下の名前で呼んではいませんでした(仲のいい友人たちは「スギ(杉)」と呼んでいます)。
やはりこれは「しょうじ」と読むべきなんでしょうね。
二作続けて戦地で亡くなった存在として名前を与えられていた「しょうじ」を、戦争から生きて戻ってきた存在として描く。いつも小津の映画の中では死者であった「しょうじ」に初めて生を与えたわけです。小津はその人物設定を思いついた日に、その映画のタイトルを『早春』と決めたんですね。

ということで、間に1つ『お茶漬の味』がはさまっていますが、ほぼ続けて作られた『麦秋』『東京物語』『早春』の3つの作品では「しょうじ」という人間が主役(あるいは陰の主役)になっているわけですね。
小津の映画で、原節子が「紀子(のりこ)」という役を演じている『晩春』『麦秋』『東京物語』は「紀子3部作」として広く愛されていますが、それにならって僕が個人的に好きな『麦秋』『東京物語』『早春』を勝手に「しょうじ3部作」と呼ぼうと思っています(それを言うなら「こういち」も3作とも出ていますし、あるいは「しげ」も3作とも出ていますので「しげ3部作」ということにもなりえます。ちなみに『麦秋』の「しげ」は東山千栄子、『東京物語』の「しげ」は杉村春子、そして『早春』の「しげ」は浦辺粂子。ちょっときついですね)。

ところで『麦秋』の「省二」に関して、ちょっといい場面があります。映画のこの場面。
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省二の妹である紀子(原節子)と、省二の学生時代の同級生だった謙吉(二本柳寛)が省二についての会話を交わします。
実はこの直前の場面で、ある建物が写ります。
ニコライ堂。
松本竣介という画家によって描かれた絵、あるいは古関裕而のかいた曲のタイトルとして、この日のブログで紹介した個性的な建物。それがこの二人のいる喫茶店のこの席の窓から見えるという設定になっているんですね。二人の視線の先に見えているのがニコライ堂。もちろんニコライ堂の鐘の音もよく聴こえる場所。
ここでこんな会話が交わされます。シナリオのト書きも引用しておきます。

  窓から見えるニコライ堂――。
  紀子と謙吉がお茶をのんでいる。
謙吉「昔、学生時分、よく省二君と来たんですよ、ここへ」
紀子「そう」
謙吉「で、いつもここにすわったんですよ」
紀子「そう」
謙吉「やっぱりあの額がかかってた......」
紀子「――?」(と見る)
  ミレーの『落穂拾い』の古ぼけた額――
謙吉「早いもんだなぁ......」
紀子「そうねぇ――よく喧嘩もしたけど、あたし省兄さんとても好きだった......」
謙吉「ああ、省二君の手紙があるんですよ。徐州戦の時、向こうから来た軍事郵便で、中に麦の穂が入ってたんですよ」
紀子「――?」
謙吉「その時分、僕はちょうど『麦と兵隊』読んでて.....」
紀子「その手紙頂けない?」
謙吉「ああ、上げますよ。上げようと思ってたんだ......」
紀子「頂だい!」

ニコライ堂の見える風景が好きな省二、ミレーの『落穂拾い』の絵が見える場所に必ず座る省二、そして手紙に麦の落ち穂を入れる省二。なかなか素敵な話ですね。

ただ、映画をよく見てみると背後の絵はどう見てもミレーの『落穂拾い』ではないですね。花瓶がぼんやりと見えますが。絵だけはどうやら原作のシナリオ通りにしなかったようです。『落穂拾い』の絵が用意できなかったのかもしれませんね。でも、後に交わされる会話、あるいはこの映画の『麦秋』というタイトルのことを考えると、あの絵はやはりミレーの『落穂拾い』であるべきだったように思います。
このあと、紀子は謙吉の母親の杉村春子(「しげ」ですね)の所に行って謙吉と結婚することを告げることになります。ニコライ堂の見える場所、そこで交わした省二の話が映画の大切なポイントになっているんですね。

そういえば前回、ニコライ堂の話をしたときに貼った「ニコライ堂の横の道」という絵にはニコライ堂の建物が描かれていませんでした。松本竣介は本当にニコライ堂が好きだったみたいで、ニコライ堂をいくつも描いています。どれもいい絵ばかりなのですが、『麦秋』がモノクロの映画なので、鉛筆と木炭とインクで描かれた、このモノクロのニコライ堂を貼っておきます。
ちなみにこの絵が描かれたのは1941年12月。まさに日本が太平洋戦争に突入したときですね。
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by hinaseno | 2013-04-22 09:27 | 映画 | Comments(0)

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『全日記 小津安二郎』を見ると、小津がどのような段階を踏みながら『早春』を仕上げていったかがわかります。ちょっとそれを書き並べておきます。

まずは記念すべき1954(昭和29年)8月17日(金)の日記に「仕事の話ひらける 兵隊の話を思ひつく ラスト出来る 題名 早春と決る」と記され、その2カ月後の10月10日(日)に「配役決定」。さあここから、シナリオをすぐに書き始めるかと思いきや、『早春』に関する仕事らしい仕事を始めるのはその4カ月後(ただ、この間、かなり興味深いことがあるのですが、それはまた後日)。

1955(昭和30年)1月27日に「岸恵子がくる」と書かれているので、配役を決定した俳優との出演交渉は進められていたんでしょうね。といっても小津の日記に出てくるのは池部良と岸恵子のことだけ。この日の日記には「仕事の話ハせず早く就寝」と書かれています。具体的な話はしなかったということでしょうか。翌、1月28日の日記には「仕事例の如く難渋也」という記述があるので、まだ小津の中ではストーリーを具体化できない状態にあったみたいです。

その数日後にはちょっと興味深い記述が。

2月3日「参考に林芙美子の〈めし〉を読み始める」
2月4日「めし終了 仲々参考になる」
2月9日「車を呼んで野田さんと三人小田原東宝に出かけて 浮雲と明治一代女を見る 浮雲に大変感心する(中略)浮雲をみて大変気持ちがいゝ」
2月11日「シナリオめしをよむ これハ感心しない 説明が多いからだ(中略)夜野田さん浮雲をよむ」

成瀬巳喜男監督の『めし』と『浮雲』の話。いずれも原作は林芙美子の小説です。
高峰秀子主演の『浮雲』は公開されたばかりですね。映画を観て大いに気に入ったようです。小津とともに『早春』の脚本を書いた野田高梧はいっしょに映画を観ただけでなく、そのあとすぐに映画の原作の林芙美子の本を読んでいます。小津もひと月後に読んでいます。

興味深いのは『めし』の方。
上原謙と原節子主演の『めし』は1951年公開の作品。もちろん小津は映画を観ていたんでしょうけど、『早春』のストーリーを書き始める直前に、『めし』の原作である林芙美子の本を「参考に」読んでいます。翌日には「めし終了 仲々参考になる」と書かれています。『めし』は倦怠期の貧しい夫婦を描いた作品。頭の中で組み立てていた『早春』のストーリーとかぶるものを感じて読み直したのではないかと思います。
ただ、その1週間後に映画のシナリオを読んで「これハ感心しない 説明が多いからだ」と書いています。この言葉は小津の映画を考える上で重要ですね。説明が多いものを嫌う。説明しなくてもわからせるものでなくてはならない、ということでしょうね。

で、その4日後の2月15日の日記にこんな言葉が。

「いよいよ明日からやるぞ」

でも、どうやら翌日(2月16日)には何もしていないんですね。こんなことが書かれてあります。

「文春芥川賞のアメリカン・スクール 小島信夫 プールサイド小景 庄野潤三をよむ どちらも感心しない」

第32回芥川賞は先月1月22日に発表されています。それを『早春』のストーリーを書き始める直前に読んでいるのが興味深いですね。しかもこのときの受賞者が小島信夫と庄野潤三というのが、個人的におおっと思ってしまいます。
2人とも村上春樹が『若い読者のための短篇小説案内』で取りあげた作家。 僕は恥ずかしながらこのとき初めてこの二人の名前を知ったのですが、村上春樹の「案内」が素晴らしくてすぐに「アメリカン・スクール」と「プールサイド小景」が収められたそれぞれの本を買って読みました。それまで村上春樹と池澤夏樹以外は海外文学しか読まなかった当時の僕にとって、どちらもすんなりと読めて、これらをきっかけにして第三の新人とよばれる人たちの本をいろいろ読むようになったんですね。
村上さんの『若い読者のための短篇小説案内』がなければ、木山捷平を読んだり荷風を読んだりすることもなかったような気もします、たぶん。
第32回芥川賞をチェックしたらこのときに落選した人の中に、村上春樹と同様に芥川賞を取ることのできなかった(「できなかった」という表現を使っていいのかどうかは微妙ですが)僕の大好きな作家、小沼丹がいること。こういう人たちが登場した頃に『早春』が生まれていたんですね。小津は「どちらも感心しない」と書いているとはいえ、『早春』をストーリーを書く直前に小島信夫と庄野潤三の小説を読んでいるというのはちょっとうれしい発見でした。

この2つの小説を読んだ翌日、2月17日の日記には「仕事のミソなどを集める」と書かれてますが、まだ書き出せない状況にいるようです。
さらに2月19日の日記には「仲々ねつかれず」の言葉も。かなり苦しんでいる様子がうかがえます。
で、2月20日の日記。

「十時から十一時まで仕事大いに捗り コンストラクションにかゝる 四分ノ一強出来る」

ここから何日かこの「コンストラクション」という言葉が出てきます。おそらくはシナリオにする前の段階のストーリーの骨組みを書く作業のことなんでしょうね。
その「コンストラクション」を進める過程で、池部良が勤める会社(「東亜耐火煉瓦株式会社」ですね)がある場所となっている丸ビルに行っています。3月10日の日記にはこんな記述が。ちょっとびっくりしました。

「三菱商事に行き塩川氏の案内で丸ビル八階の品川白煉瓦に行き 村田 坂田両氏にいろいろきく」

丸ビルの中に煉瓦の会社があったんですね。おそらく小津はその前に三石の煙突が立ち並ぶ工場が耐火煉瓦の会社のものだということを知り、煉瓦関係の会社の本社が東京にないか調べていたんでしょうね。もちろん映画の中に写っている丸ビルの中の事務所はセットにちがいありませんが、でも本当に丸ビルの中に煉瓦会社があったとは。
ちなみにこの品川白煉瓦、現在は品川リフラクトリーズ株式会社と社名が変更されていますが、今も岡山の備前市に工場があるんですね。ただし三石ではなくそのとなりの片上と伊部。でも、昔は三石にも工場があったのでしょうか。

この後、コンストラクションがどんどん進んでいる様子が書かれています。同時に池部良の出演に向けての交渉も進められているみたいですね。ずらっと書き並べておきます。

3月12日「佐藤一郎がくる 池部の話」
3月16日「コンストラクション30まですゝむ」
3月23日「仕事おおいにすゝみ愁眉ひらく」
3月24日「夕めし時シナリオ協会の恒ちゃん 五社協定のことでくる コンストラクション一応貫通して一先安心する」

で、3月30日の日記にこの記述が。

「先ず脚本人物の人名をきめる」

ついにこの日、登場人物の名前が決められたんですね。おそらくはこの前には池部良が出演する了解もとれていたはず。
主人公である池部良の役に与えられた名前は「正二」。

この日、さらに、こう書いています。

「脚本今日から書き出す 1、2書き上げる」

この日からは延々脚本を書き続ける日々が続きます。
完成したのは6月24日。

「朝から仕事 一時三十分 脱稿する 起稿三月三十日なれバ八十七日なり」

思いっきり、荷風の『断腸亭日乗』の文体ですね。
ちょっと面白いのはこの5日前、6月19日の日記。

「予め決めた 脚本完成祝賀会 於里見邸 羊六百 牛二百目 たゞし肝腎のシナリオは完成までにまだ二三日をのこす」

6月の中旬には書き終える予定にしていたみたいですね。完成祝賀会の日まで決めていたというのは笑えます。

で、脚本が完成したふた月あまり後の9月8日に、いよいよ『早春』の映画の撮影地に向かいます。最初の向かったのは言うまでもなく岡山の三石。

昨日予告した「しょうじ」の話を書くことができませんでした。
小津がこれを読んだらきっとこういうに違いありません。

「これハ感心しない 説明が多いからだ」
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by hinaseno | 2013-04-21 10:53 | 映画 | Comments(0)

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相変わらずこれを書いているときには、『早春』のテーマソングを流し続けているのですが、ただ自分にとって大切な映画のテーマソングだからというわけでなく、これを聴いていると本当にたまらない気分になってしまうんです。
で、今朝、この曲には僕が愛してやまない曲の要素が含まれていると、突然に気づいたんです。

ひとつはヴィヴァルディの『四季』の「冬」の第2楽章。
これですね。


ヴィヴァルディの『四季』の「冬」の第2楽章というのは、まさに僕がクラシックに目覚めた曲でした。ヴィヴァルディの『四季』といえば、掃除の時間に使われ続けている「春」の第1楽章があまりにも有名というか、それしか知らない人も多いと思うのですが、というか僕もそうだったのですが、確か大学時代にクラシックに詳しい友人の家で初めてヴィヴァルディの『四季』を全曲聴いて、特に「冬」に衝撃を受けたんです。
で、すぐにレコードを買いました。イ・ムジチの演奏するもの。B面に収められた「冬」ばかり聴いていました。「冬」の第1楽章も大好きなのですが、厳しい冬の中の陽だまりのような第2楽章をたまらなく好きになってしまいました。

小津の『早春』のテーマソングを作曲したのは斉藤高順という人。『東京物語』から小津の映画音楽を手がけています。いわゆる小津調というのはこの人によって作り出されていると言っても過言ではないですね。
小津から『早春』というタイトルを聴いて、寒さの厳しい冬から春に向かう少しだけ暖かくなっていくイメージを思い浮かべていたときに、もしかしたらこのヴィヴァルディの『四季』の「冬」の第2楽章が浮かんだのかもしれません。
ヴァイオリンのピチカートの使い方、それから曲が始まって1分くらいのところで聴かれるメロディの終り方は、そっくりそのままという気がします。絶対に意識して作ったと思います。どこかに書かれているでしょうか?

それからもうひとつ。
曲の最初の1フレーズのメロディ。これ、大瀧さんの『恋するカレン』の最初の「キャンドルを」のメロディとまったく同じですね。びっくりしました。もちろんたまたまには違いないとは思いますが、もし、大瀧さんが『恋するカレン』を作るときに『早春』のこのフレーズを意識的に使ったということであれば、最高にうれしいですね。

いずれにしても、いろんな運命的なことが重なっている『早春』の音楽にも、僕の大好きな曲とのつながりを発見することができました。曲を好きにならないはずがないですね。

ところで、昨日触れた、もし池部良が『東京物語』に出ていたとすれば、その与えられた役は、という話ですが、それは兵隊として戦争に行って亡くなった(戻ってこないままになっている)原節子の夫、昌二(しょうじ)。

「しょうじ」の話はまた改めて書くとして、映画ではこの亡くなった昌二の写真が一瞬写ります。原節子の住んでいるアパートに笠智衆と東山千栄子が初めて訪ねて行ったこの場面。写真を見ると、ちっとも池部良ではありません。当たり前ですね。
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先日、その昌二の兄の、長男である山村聰(役名は幸一)の病院のあった場所のことを書きました。東京の東の端の荒川放水路の堀切橋付近ですね。それからその妹の杉村春子(役名は志げ)の美容院のある場所もおそらくはそこからそんなに離れてはいない。
興味深いのは原節子が暮らしていたアパートがどこにあるかということ。でも、映画ではその手がかりになるのはほとんどありません。川本三郎さんは『銀幕の東京』の注の部分で「原節子の住んでいるアパートはその形態から見て横浜市西区平沼町にあった同潤会アパートと思われる」と書かれていますが、あくまでそれは撮影に使われたアパートの場所で、映画として設定された場所はそんなに遠くないはず。

映画の中で、唯一そのアパートのあった場所が示されるのはこの場面。あくまで方角と言うことですが。
原節子が上京してきた笠智衆と東山千栄子をはとバスに載せて東京案内する場面があります。ここで服部時計台も写ります。あの世界的な映画である『東京物語』に岡山の万成石が出てるんですね。それはさておき、原節子は銀座3丁目にある松屋というデパートに2人を連れて行き、その展望台から東京を見せるんですね。で、外にある階段を下りる途中で3人は立ち止り、こんなやりとりがなされます。

「お義兄さまのお宅はこっちの方ですわ」

こう原節子は言って、左の、かなり遠くの方を指差します。この場面ですね。
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で、東山千栄子が「志げのとこぁ?」と訊くと、原節子は、

「お義姉さまのおうちは、さぁ、この辺りでしょうか」

と言って、同じ方向のやや近い所を指差します。

次に、東山千栄子が「あんたのとこぁ?」と訊きます。すると原節子はその場所では指差せないために階段の踊り場の右側の方に移動しながらこう言います。
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「わたくしのところはこちらですわ。この見当になりますかしら」

で、彼女のアパートの方向を指差します。
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山村聰の病院とは真反対のかなり遠くの方。その方向にある東京といえば、そう、『早春』で池部良と淡島千景が住んでいる蒲田や、あるいは岸恵子と池部良が一夜を過ごした大森のある大田区の方向ですね。
このあと原節子はこう付け加えます。

「とっても汚いとこですけど、およろしかったらお帰りによっていただいて」

「とっても汚いとこ」というのはアパートのことなのかもしれませが、彼女の暮す町のことを言ったのかもしれません。『早春』の冒頭では、淡島千景が向かいに住んでいる杉村春子とゴミのことで区に文句を言っている場面があります。当時の蒲田のあたりの町の汚さをさらっと示しています。

原節子のアパートを特定するもう一つの手がかりがこの場面。
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笠智衆と東山千栄子が原節子のアパートで食事をするのですが、会話が途切れたこの場面で電車の通る音が聴こえます。せいぜい2、3両の電車。2、3両の電車が通っている鉄道の沿線。もしかしたら今、平川克美さんが探偵作業を進められている池上線か目蒲線?
そういえば平川さんは先日紹介した『隣町探偵団』で、池上線と目蒲線についてこんなことを書かれていました。

「わたしたちが子どもだった昭和三十年代はどちらもこげ茶色の三両連結だった」

小津はもちろん原節子のアパートの場所をきっちりと設定していたはず。何となく僕はそれは池上線か目蒲線の沿線ではないかと考えています。あくまで僕の希望的な観測に過ぎないのですが、今日書いたことはその希望的な観測の中でしか発見できなかったこと。

長くなりました。
次回は「しょうじ」の話になると思います。
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by hinaseno | 2013-04-20 10:56 | 映画 | Comments(0)

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『全日記 小津安二郎』に収められた日記は、欠落部分の後、1954(昭和29年)1月2日より再開しています。
この年の前半の日記にはほとんど見るべきものがありません。前年の暮れに公開された『東京物語』に触れた言葉もありません。映画のこと、仕事のことは何も考えないようにしておこうという感じの日々。
どこかに「ゆく」、だれかに「会ふ」、またはだれかが「くる」。その繰り返し。

3月3日の日記にはこんなことが書かれています。

「苛風 裸休など買ふ」

もちろんこれは荷風の『裸体』のこと。どうやらこの数日前にこの単行本が出たみたいですね。でも、その後これを読んだとは書かれていません。でも、荷風のことは気になり続けていることがわかります。
この時期小津は読書らしきものもまったくしていません。おそらく次作のイメージをゆっくりと固めていたことは間違いありません。

その後の日記にもほとんどめぼしいものはないのですが、5月の9日と14日に『新平家物語』を読んだことが書かれていて、6月7日にはなんとオードリー・ヘプバーン主演の『ローマの休日』を観ています。これはちょっと驚き。調べたら『ローマの休日』の日本公開はこの年の4月19日。日比谷劇場で38日間のロングランが記録されたとなっていますが、小津が観たのはその後。評判になっているということを知り、2番館で観たのでしょうか。でも、この時期に僕の大好きな『ローマの休日』を小津が観ていたのは興味深い出来事。ただし映画の感想は何も書いていません。

そして8月27日の日記に唐突にこんな記述が現れます。

「仕事の話ひらける 兵隊の話を思ひつく ラスト出来る(中略)題名 早春と決る」

ちなみにこの「中略」部分に書かれているのは「 信州大学の丘に登る」。
小津はこのとき蓼科高原に来ていたんですね。確か別荘があるんですね。その近くにある信州大学近くの丘の上で『早春』という題名を思いついたということでしょうか。

この日の日記で何よりも興味深いのはその前に書かれている「仕事の話ひらける 兵隊の話を思ひつく ラスト出来る」という部分。
「ラスト」というのはいうまでもなく三石での場面のこと。やはり小津は尾道の行き帰りの列車から見た(もしかしたら尾道からの帰りに途中下車していたかもしれません)三石の煙突のある風景をどのような形で映画の中に取り入れるかを思い続けていたようです。主人公をどういう形で三石に向かわせるか。それがこの日ひらめいたんでしょうね。

「兵隊の話を思ひつく」という部分も興味深いですね。『早春』というと、しばしば倦怠期を迎えた夫婦、そして不倫というテーマのみで語られがちなように思うのですが、小津がまず考えたのは、主人公を兵隊として戦争に行っていた人物として設定すること。そしてその主人公を東京から遠く離れた岡山の三石に住まわせるようにすることだったんです。

そしてこのひと月余り後の 10月10日の日記にはこんな言葉がさらっと記されています。

「配役決定」

これはまちがいなく『早春』の配役を決定したということなんでしょうね。まだシナリオを書いていない段階で、先に配役を決めています。もちろん主役の何人かだろうとは思います。少なくとも主人公である池部良と、その不倫の相手となる岸恵子は小津の頭の中ではこの日に決定したんでしょうね。

ところで池部良といえば、小津が『東京物語』の脚本を書き始める(つまり小津が『荷風全集』を手に入れる)直前の 1953(昭和28年)2月18日の小津の日記にこんな記述があります。

「上原葉子から電話で明日池部良が宿屋にいつてもよろしいかとの問合せ よろしいと答へる」

で、翌日「葉子 池部良くる」とあります。
この日は他の人も来て酒を飲んだり食事もいっしょにしていますが、小津はうとうと寝てばかりしています。この日の日記の最後には「仕事の話ハ何もしない」と書かれています。

池部良は『東京物語』には出演していませんし、出演するにしても池部良が演じるのにふさわしい役はどこにもありません。もし出演の可能性があるとすれば...、それは明日以降のどこかで書くことにします。でも、あの映画のストーリーの中では単なる端役になってしまうのですが。
この時期池部良は1949年公開の『青い山脈』で大ブレーク状態にあって、その後いろんな映画に立て続けに出ています。何か仕事を下さいと言ってきたわけでもなさそうです。まあ、形の上では言ったかもしれませんが。しかも池部良は小津の松竹ではなく東宝に所属していて、のちに『早春』に出演を依頼する際には五社協定というものがひっかかってからり難航したことが小津の日記に書かれています。そんな人を映画の端役に使うわけにはいきませんね。
でも、僕は、『東京物語』の"ある人物"を池部良に設定しているんです。で、もしかしたら小津自身もそうではなかったかと。
小津は配役を決めてからシナリオを書くようなので、一度も映画に登場することのないその人物も、小津の頭の中でははっきりと顔をイメージしていたはず。で、やはりそれは池部良ではなかったかと思っているんです。

ところで、池部良は兵隊として実際に中国に行っているのですが、『早春』の2年前には戦争映画である『さらばラバウル』に主演しています。公開されたのは1954(昭和29年)2月10日。小津が「兵隊の話」を思いついて次に作る映画の題名を『早春』と決めたのがその年の8月27日。
どうやら小津はかなり前から主演を池部良に決めていた可能性が高いような気がします。「岡山の三石」、「池部良」、そして荷風の「断腸亭日乗」が次なる作品のキーワードだったと。

それにしても、おそらく小津が岡山に関心を持つきっかけになったに違いない『断腸亭日乗』を収めた『荷風全集』を手に入れる直前に池部良に会っているというのが、やはりとても運命的な気もします。もうひとつ運命的といえば、今、いろいろと調べていたら、池部良はなんと大田区の生まれなんですね。大田区のどこなんでしょうか。ちょっとそこまでは調べられませんでした。
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by hinaseno | 2013-04-19 09:04 | 映画 | Comments(2)

荷風の『断腸亭日乗』を読んでいた日々の小津の日記を読んでいて、思わずにっこりしてしまったのは次の言葉でした。小津は1953(昭和28年)6月上旬に集中的に『断腸亭日乗』を読み、6月14日に読み終えています。
まずは6月11日の日記。「晡時 帰る 駅前本屋にて荷風全集前期十二冊を購ふ」
それから翌6月12日の日記。「晡下出社」

この日のブログでも書きましたが、「晡下」は『断腸亭日乗』で何度も出てくる言葉。夕方を表す言葉ですね。荷風は「 晡下」とともに、ときどき「晡時」という言葉も使っています。小津はそれを使ってるんですね。これは川本三郎さんの本には書かれていなかったことだったので、見つけたときにはうれしかったですね。

そういえば、先程の日のブログで触れている川本さんの『あのエッセイ この随筆』(2001年)で、川本さんはこんなことを書かれていました。

一度、自分の文章のなかで使ってみたいと思っているが、現代文のなかではどうしても違和感が生じて使えない。だいいちおこがましい。


小津は荷風の『日乗』を読んで以降、明らかに文語体の文章が増えてきます。その中でちゃっかり使っていたわけです。というわけで、内田先生にもぜひ一度文語体の文章を書いていただいて、「晡下」という言葉を使っていただけたらと思っています。

さて、話は小津の『東京物語』のことに。
『断腸亭日乗』で荷風が熱海で過ごした日々のことを知って、小津が『東京物語』の撮影に入る前に『日乗』を読んだということは、もしかしたら小津は『日乗』を読んで、笠智衆と東山千栄子が東京を離れて数日過ごす場所として熱海を設定したのではないかと思ったのですが、それは前にも引用したこの日の小津の日記を読んで違っていることがわかりました。4月8日の日記。

「駅前の本屋によつて荷風全集などの金を払ひ帰る
とにかく書き始める 熱海の海岸のところから書きこのシーンを上げる」

熱海の海岸のシーンというのはこの場面ですね。
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こんな会話が交わされています。

「どうかしなさった?」
「う〜ん」
「ゆうべよう寝られなんだけぇでしょう」
「う〜ん...。お前はよう寝とったよ」
「うそ言いなしゃぁ。わたしも寝られんで」
「うそ言ぇ。いびきかいとったよ」 

「そうですか」
「いやぁ、こんなとこぁ、若いもんの来るところじゃ」
「そうですなぁ」
「京子はどうしとるでしょうなぁ」
「 う〜ん。そろそろ帰ろうか」
「お父さん、もう帰りたいんじゃないんですか」
「いやぁ、お前じゃよ。お前が帰りたいんじゃろ。東京も見たし、熱海も見たし。もう帰るか」
「そうですなぁ、帰りますか」
「ふ〜む」


せっかく子供たちに会いに東京に来たのに、ちょっと邪魔者扱いされて熱海に泊まらされることになるんですね。でも、泊まった旅館がうるさくて眠れない。その翌朝の場面。このあと東山千栄子は立ち上がろうとしたときに少しふらつく。そして、その後間もなく...。

小津はこのシーンから書き始めたんですね。映画のなかで最も詩情あふれるシーンではないでしょうか。

そういえば荷風は岡山から熱海に行って、滞在するようになった家で成島柳北の『航薇日記』を発見した翌日(昭和20年9月6日)の日記でこんなことを書いています。

熱海の勝景はこのたび余の初めて観ることを得しところなれど、何の故にや岡山市郊外の田園に於けるが如く其印象優美ならず、即ち余の詩情を動かすべき力に乏しきが如し


ちょっと現代語訳してみるとこうなります。

「熱海の風景を私は初めて見ることができたけれども、なぜだか理由はわからないが岡山市郊外の田園において見た風景のようには、その印象は優美なものではない。つまり私の詩情を動かす力には乏しいようである」

荷風が「詩情を動かすべき力に乏しき」場所と書き記した熱海を、小津は最も詩情あふれるシーンにしているんですね。このあたりはとっても面白いです。小津は『東京物語』のシナリオを書き終えて、『断腸亭日乗』のこの言葉を読んで、よし、それならばと思ったのかもしれません。

小津は『東京物語』であの熱海のシーンを最も大事な場面として考えていました。そして『東京物語』のシナリオを書き終えた後に『断腸亭日乗』を読み、荷風の熱海の日々を知り、荷風は熱海で繰り返しその前に過ごした岡山の日々のことを思っていることも知ります。小津のその後に書かれた日記を読むと、明らかに岡山で過ごしていた時期の荷風の日記の影響を強く思わせるものもあります。 小津の頭の中に「岡山」が強くインプットされたに違いありません。そんな中で『東京物語』の撮影が進められることになります。

『東京物語』には、もう一つの大切な舞台がありました。笠智衆夫婦の実家がある場所として設定されている広島県の尾道。尾道もおそらくは『断腸亭日乗』を読む前に決められていた場所だとは思いますが、偶然にも尾道は広島でも岡山にかなり近い都市。
残念ながら小津が尾道で撮影していた時期の日記は欠落していて何も知ることはできないのですが、『断腸亭日乗』を読み終えたばかりの小津は、尾道までの行き帰りの列車の中で、相当注意深く岡山の風景を眺めていたと思います。
で、かなり単調な田園が続く風景の中で、岡山のはずれの山間の町の風景を心に留めます。煙突が何本も立ち並ぶ町。いうまでもなく三石でした。
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by hinaseno | 2013-04-18 09:01 | 映画 | Comments(0)

昨日あったうれしいことを少し。
ひとつは村上春樹の新作に関する話。
前に1日1章ずつ読んでいると書きましたが、ちょっとがまんできなくて今は2章か3章ずつ読むようになっています。現在はちょうど真ん中あたり。

その昨日読んだ所で以前だったら絶対に気づけなかったうれしいことが書かれていたんですね。
登場人物の二人が銀座で会うという場面があるのですが、その待ち合わせに指定した場所が、「四丁目の交差点の近く」だったんです。
銀座4丁目の交差点近くといえば、そう、例の服部時計台(現在の和光)がある場所。村上さんの新作では時計台のことは触れられていませんでしたが、僕が読みながら頭の中に描いていた映像の中には、岡山の万成石で作られた時計台の建物がきっちり収まっていました。

もうひとつは、これです。
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「隣町探偵団」と「凱風館日乗」。
前からお知らせしなければと思っていたのですが、できればこの2つが並んだ日にしようと思っていて、昨日それが実現したんですね。
現在、ミシマ社という出版社のサイトで「ミシマガジン」というものがリニューアルされて(前からちょこちょこ覗いていましたが)、新しい連載がいくつか始まったんです。個人的にはこの2つが何といってもたまらなくうれしいものでした。

「隣町探偵団」は、ここでも何度か書いてきたように平川克美さんが現在お住まいの地域近辺の探偵報告です。その報告は朝日新聞で連載されていた「路地裏人生論」でなされていたのですが、その連載も先月で終わり。残念だなと思っていたら、何とすぐに再開されたんですね。タイトルもそのものズバリ「隣町探偵団」。
しかもこの探偵の対象がたまらないんです。小津安二郎の昭和7年の作品『生まれてはみたけれど』。そのロケ地がまさに平川さんの隣町だったんですね。
僕もこの『生まれてはみたけれど』を観てすっかりその魅力にはまったばかりでしたので本当にタイムリーな企画。興味津々です。

それから「凱風館日乗」を書かれているのは内田樹先生(先日、市内に講演にみえられて、初めて実物を拝見させていただきました)。「凱風館日乗」は、その内田先生の日々の出来事を日記の形式で書いたものです。凱風館は内田先生の住居兼道場の名前です。
それにしてもこのタイトル。荷風の「断腸亭日乗」を意識されていることは間違いないですね。
今、僕は小津安二郎の映画と荷風の『断腸亭日乗』のことを書いているのですが、それと同時並行的に尊敬する平川さんと内田先生お二人が、小津の映画とその舞台になっている場所の話を書き、『断腸亭日乗』を意識された日記を書かれているということが起こっているわけです。これ以上の喜びはありません。

そういえば荷風の敬愛した成島柳北のことを初めて知ったのは内田先生によってでした。一時期、内田先生はブログに成島柳北のことをいろいろと書かれていたんですね。成島柳北のことを知るためにいくつもの本を集められたとのこと。ぜひいつの日か一冊の本になった内田先生の成島柳北論を読んでみたいと思っています。
成島柳北に触れた内田先生のこの日のブログの最後にはこんなことが書かれています。

惜しむらくは、現代日本人のうちに柳北の文を解する国語能力を備えたものがすみやかに『絶滅危惧種』になりつつあることである。
小学校から英語を教えるよりも漢詩の音読でもさせた方が日本人の知的能力の向上には資するところが大きいだろうと私は思うが、もちろん同意してくれる人はどこにもいないのである。


もちろん僕はこれに心から同意している一人ではあるのですが(丸谷才一さんも『文章読本』で同じような主張をされています)、なんか国の偉い人は、美しい日本を守るとか言いながら、一方で英語が大事、英語が大事って、どんどん美しい日本語から子供たちを引き離そうとする政策を推し進めています。
正直僕も「柳北の文を解する国語能力を備え」ているとは到底言えないのですが、そこには「絶滅」させるのはあまりにももったいない豊潤なものがあることは理解できます。今後はぜひ『航薇日記』以外の成島柳北の本も読んでみようと思っています。
そういえば僕の勝手な希望としては、内田先生の「凱風館日乗」は文語体で書いてほしかったのですが。

話は再び平川さんの「隣町探偵団」のことに。
平川さんが今回調査の対象にされている『生まれてはみたけれど』の舞台は東京の南西の大森区の蒲田近辺。平川さんや内田先生、そしてアゲインの石川さんが子供の頃に過ごされた場所のまさに「隣町」なんですね(もしかしたら過ごされていた場所も映画に出てきているのかもしれません)。
大森区の蒲田近辺は僕にとって前からずっと気になっている場所でした。なぜなら僕のライフワークである小津の『早春』の池部良が三石に来る前に住んでいた場所がやはり大森区の蒲田近辺に設定されているからです。
ただ、昭和7年の『生まれてはみたけれど』と昭和31年に作られた『早春』の間には戦争があります。実際、この蒲田付近は昭和20年4月15日の空襲で壊滅的な被害を受けているとのこと。建物で残っているものはおそらく何もないはず。ただ、あくまで個人的な直感としてなのですが、この2つの映画はどこかで深くつながっているように思っているんです。それはまた改めて書いてみたいと思っています。その"つながり"を発見する上でも、平川さんの「隣町探偵団」は貴重なものになるだろうと確信しています。

それは別として、僕はいつの間にか、まさに『生まれてはみたけれど』の舞台となっているあたりの町を、一度も行ったこともないのに愛するようになっています。
川本三郎さんの『それぞれの東京』(2011年)の「あとがき」にこんな言葉があります(以前にも一度引用しました)。

大都市である東京も、よく見れば小さな町、歩いて暮らすことの出来る「わが町」の集積である。大きな東京の中の小さな東京にこそ惹かれる。


まさにこの言葉の通り、僕はあの近辺を大きな東京の中の「小さな町」、「歩いて暮らすことの出来る『わが町』」として見ています。一度も行ったことのない人間の勝手なイメージで言えば、あのあたりは「小さな町」というよりも「スモールタウン」といった雰囲気があります。
その意味では『生まれてはみたけれど』は、東京の中の理想的な「スモールタウン」を描いた映画のように思っています。ある意味架空の、ある意味東京の郊外に実在した「スモールタウン」を舞台にした映画。

ああ、たくさん書きすぎて、本題に戻れなくなってしまいました。
ちなみに現在、小津に関する文章を書いているときにパソコンから流し続けているのは、小津の『東京物語』と『早春』のテーマソングです。この音源は以前に、アゲインの石川さんから送っていただいたものです。
『早春』のテーマソングはとにかく最高です。これですね。イントロのマンドリンの音がたまらないです(『早春』のテーマソングなのに、貼られている画像は『秋刀魚の味』。ちゃんとしてください)。

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by hinaseno | 2013-04-17 10:50 | 映画 | Comments(0)

昨日も書いたように、小津は『断腸亭日乗』を読み終えてから、『東京物語』のロケーション・ハンティングをはじめています。映画の舞台として使える場所を探していたのかもしれません。
で、ロケハン初日である 1953(昭和28年)6月15日の小津の日記を見ると、こんな記述があります。

車にて深川宮川にゆく 八幡宮 不動


八幡宮というのはおそらく富岡八幡宮、そして不動というのは深川不動尊のことなのでしょう。いずれも深川にある神社仏閣ですね。
深川は小津が生まれた場所で、10歳ごろに別の場所に引っ越したようですが、20歳ごろにまた深川に戻ってきています。ここから入社したばかりの松竹の蒲田撮影所に通っていたんですね。戦後は別の場所に暮らすようになっています。

深川は小津にとっても馴染み深い場所であったにはちがいありませんが、ここは何よりも荷風がこよなく愛した場所。隅田川の東(濹東)の下町ですね。荷風には『深川の唄』、『深川の散歩』という作品がありますし、『断腸亭日乗』にも何度も出てくる場所。
小津がロケハンの初日に深川に行っているというのは、やはり『断腸亭日乗』の影響を感じずにはいられません。ただ、どうやら深川は『東京物語』の舞台としては使われることはなかったようですね。

でも、『東京物語』では、荷風と関わりの深い場所、荷風が何度も歩いた場所、荷風が愛してやまなかった場所が使われています。このブログでも何度も触れた放水路、荒川放水路ですね。場所は堀切橋あたり。
広島の尾道に住んでいる笠智衆、東山千栄子夫妻の長男の山村聰がこの近くで医者をやっているという設定。東京で医者をやっているということで笠智衆、東山千栄子がはるばる訪ねてきたら、実は東京の端の方だったということを知り、失望するんですね。その失望する東京の端の場所として選ばれたのが荒川放水路の堀切橋付近(もしかしたら、最初にロケハンで深川に向かったのも、山村聰の家の場所を見つけるためだったのかもしれませんね)。
川本三郎さんが『荷風と東京』をはじめ、いろんな本で指摘していますが、やはりこれは小津が荷風の『断腸亭日乗』を読んだ影響と言わざるを得ないですね。荷風の『断腸亭日乗』では、堀切橋から荒川放水路を描いた素晴らしいスケッチがあります。以前にも紹介したこれですね。昭和7年1月22日の日記に添えられたもの。小津もこの絵に目を留めたに違いありません。
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さて映画で使われた荒川放水路でのシーン。個人的にはこのことを知る前から『東京物語』の中で最も感動的なシーンです。この場面ですね。
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山村聰の家の中から笠智衆の目でとらえられた風景として描かれています。ここで東山千栄子が孫に向けて語る言葉もたまらないですね。
その東山千栄子が語る場面の背後にぼんやりと写っているのが荒川放水路ですね。
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荷風がいく筋も描いている工場の煙突からの立ち上る煙のようなものがたなびいているのがうっすらと見えます(荷風が描いた四つ木橋が見えないのが残念)。荷風がスケッチを描いてから20年後の風景。でも、おそらくはほとんど変わっていなかったんでしょうね。

東山千栄子といえば、これも川本さんの本で知ったのですが、前に荷風が詞を書いて菅原明朗が曲をつけて永井智子が歌ったという「葛飾情話」というオペラ(上演されたのは昭和13年)、物語の舞台は荒川放水路ということなのですが、その録音されたもので、物語を説明する「語り」をなんと東山千栄子がやっているとのこと。小津はこのことを知っていたんでしょうか。あるいは東山さんは『東京物語』の撮影中(特に荒川放水路を撮影するとき)に、小津にそのあたりの話をしたんでしょうか。残念ながら小津の日記ではそのあたりが欠落しているので知るすべもありません。

ところで、荷風が昭和7年1月22日の日記で描いた堀切橋から見た荒川放水路の風景のスケッチ。川本さんも『きのふの東京、けふの東京』(平凡社)のカバーと表紙に使っていますね。実はちょっと前に『荷風!』という雑誌があったことを知り、それに川本さんがいくつも文章を書かれていることがわかったので、是非読んでみたいと思っていたのですが、この本に収められている文章の多くがまさにそれだったんだということを今日知りました。出たときにすぐ買ってざっと読んだんですが、最近最もよく読み返している本のひとつです。今日書いた文章も含めて、これまで書いてきた荷風に関する文章も、これから書くであろう文章もこの本を大いに参考にさせていただいています。
今、アマゾンをチェックしたらまだ廃刊になっていないですね。この表紙が使われている(カバーをとった裏表紙にはもうひとつの荷風が描いた放水路の絵も)単行本を買えるうちに買っておいた方がいいと思います。
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by hinaseno | 2013-04-16 09:39 | 映画 | Comments(0)

きのう小津安二郎の誕生日を調べるためにウィキペディアを見たら、あることに気がつきました。今まで何度もそのページは見ていたのですが。
小津は生まれた日と亡くなった日が同じだったんですね(生没同日というそうです)。12月12日。こういう人って、いったいどれくらいいるんだろう。確率的には365分の1ではあるような気がするので、それなりの数はいるんでしょうけど。

それはさておき、何度か書いてきたことですが小津安二郎はある時期、荷風の『断腸亭日乗』を集中的に読んでいました。興味深いのはそれを読んだ時期。

1953(昭和28年) 4月8日(水)の小津の日記にはこのような記述があります。

駅前の本屋によつて荷風全集などの金を払ひ帰る
とにかく書き始める 熱海の海岸のところから書きこのシーンを上げる


川本三郎さんの『荷風と東京』によれば、これは中央公論社の『荷風全集』(全24巻)とのこと。これをこの日に買ったのか、あるいはその数日前に買っていてお金をこの日に払ったのか。いずれにしても小津はこの頃に『荷風全集』を手に入れています。そして何といっても目がいくのはこの後の部分。

とにかく書き始める 熱海の海岸のところから書きこのシーンを上げる


これは言うまでもなくあの『東京物語』のことですね。頭の中では物語は出来上がっていて、どうやらこの日からシナリオを書き始めているようです。それが「熱海の海岸のところから」というのが興味深いです。『東京物語』の最も印象的なシーンの舞台とした熱海に荷風が一時期暮らしていたことを知ったとき、小津はやはり運命的なものを感じたのではないでしょうか。荷風自身も成島柳北との運命的なつながりを確認した場所ですからね。

で、次に小津の日記に荷風が出てくるのはその1か月後の5月9日。

枕頭灯を掲げ荷風日乗をよむ 巻をおくあたわず 興味津々として窓外すでに白む


小津は『荷風全集』を第1巻から読んだわけではなく、その最後の方の第19巻から第22巻に収められていた『断腸亭日乗』から読み始めているんですね。6月11日の小津の日記には「駅前本屋にて荷風全集前期十二冊を購ふ 前年大船の火事にて焼失したれバ也」と書かれているので、4月8日に買ったのは後期分。つまり第13巻から24巻だったんでしょうね。おそらくおめあては『断腸亭日乗』であったことがわかります。

さて5月9日以降の小津の日記に『断腸亭日乗』を読んだことが書かれている部分を全部列挙してみます。

6月1日「うたゝねののちひとり夜白むまで荷風日乗をよむ」
6月3日「読書深更に至る」(この日は読んだ本の書名は書かれていませんが、間違いなく『断腸亭日乗』のはず)
6月5日「荷風日乗を読む」
6月7日「一日床の中にて荷風日乗をよむ」
6月8日「蓐中に荷風日乗をよむ 夕餐を喫し 蓐中荷風日乗をよみつゞく 四更に至る」
6月9日「夕食ののち またしても荷風日乗をよむ」
6月10日「たゞちに就床 またしても枕上荷風日乗をよみつゞく」
6月11日「荷風日乗よみつゞけること例の如し」
6月12日「就床 枕上荷風日乗をよむ」
6月14日「荷風日乗二十二巻よみ終る」


というわけで、6月上旬に一気に読んでいるのがわかります。
実は6月2日の日記にはこんなことが書かれています。

高村所長に会ふ カンヌ映画祭より帰りて始めて成 脚本〈東京物語〉面白しとのこと成


どうやら5月の末くらいにシナリオは完成していて、それが完成したので荷風の『断腸亭日乗』を一気に読んだんですね。もう一つ興味深いのは『日乗』を全部読み終えた6月14日の翌日の6月15日の日記。

細雨 ロケーションハンチング 第1日


まさに小津は荷風の『断腸亭日乗』を読み終えるのを待って、『東京物語』のロケハンを始めているんです。

その後、『東京物語』が完成するまでの日々(『東京物語』の公開はこの年の11月3日)がとても気になるのですが、残念ながら『小津安二郎 全日記』ではこの年の日記は6月19日までで、6月22日からその年の最後までの日記は欠落しています。最も読みたい所ではあるのですが。
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by hinaseno | 2013-04-15 09:28 | 映画 | Comments(0)

a0285828_1052953.jpgまず、この映画のパンフレットをご覧下さい。何の映画のパンフレットかわかるでしょうか。表紙なのに映画の題名が書かれていないんですね。写っている女優はもちろんシャーリー・マクレーン。これは彼女のデビュー作。

この映画のことは川本三郎さんの『ロードショーが150円だった頃』で知りました。この本では、ちょっとだけマイナーな映画を取りあげられているのですが、これを読んで好きになった映画は数知れず。川本さんの映画に関する本の中では最も好きな1冊です。

川本さんの映画の本ではしばしば川本さん自身がお持ちになっている映画のパンフレットの写真が載っています。いいなあ、と思ってネットオークションなどで調べてみると、とんでもなく高かったりします。実は上のパンフレットもオークションで買いました。はっきり言ってかなり高かったです。でも、どうしても持っておきたかったんですね。

洋画を見るようになったきっかけはオードリー・ヘプバーンですね。テレビで見た『ローマの休日』の彼女がたまらなく魅力的だったから。で、彼女の映画をいろいろ見て、その流れでビリー・ワイルダーという監督が好きになって、その作品をいろいろ見るようになって出会ったのがシャーリー・マクレーン。『アパートの鍵貸します』の彼女は最高ですね。

洋画に関心を持つようになった頃、大瀧さんの最も好きな映画監督がヒッチコックであることを知り、今度はヒッチコックものをいろいろ見ました。運のいいことに、その頃テレビのBSでヒッチコックものの映画は何度も放映してましたから、全部ビデオに録画して見ていました。もう本当にはまってしまいました。
一番のお気に入りはダントツで『裏窓』。セットとはいえ、あの夜の都会の風景は何度見ても飽きないですね。もちろん他にも好きなものはいくつもありますが。

そんなある日出会ったのが川本さんの『ロードショーが150円だった頃』でした。その中のある映画に関する文章の冒頭でこんなことが書かれていました。

亡き瀬戸川猛資さんと以前、映画の話をしていて、ヒッチコックの映画の作品の中でどれがいちばん好きかということになった。『ハリーの災難』(55年)というと、瀬戸川さんは「それは変っている」と不思議そうな顔をした。


そのページにあったのが上のパンフレット。そう、あのパンフレットはヒッチコックの『ハリーの災難』なんですね。

でも、川本さんのこの文章を読んだときに僕は『ハリーの災難』なんて全く知りませんでした。おそらくテレビでヒッチコックの映画が何度か特集されたときにも、おそらくは1度も放映されなかったはず。
今はDVDで出ていますが、当時は、近所のレンタルビデオ店に行ってもなくて、たぶんオークションか何かで入手したように思います。

よかったんですよね、これが。川本さんが書かれているように「風変わりな映画」ではあるのですが。死体はあっても殺人はない。ミステリとコメディがあわさったような、かなり脱力系ミステリ。本格的なものよりも”どっちともつかず”的なものが好きな僕にはツボでした。また、そのコメディ的な映画の雰囲気にシャーリー・マクレーンがぴったりとはまっているんですね。いっぺんに大好きになってしまいました。で、絶対に手に入れなくちゃと思って、パンフレットを僕にしては相当な無理をして買いました。川本さんの本では白黒だったのですが、このブルーを背景にしたシャーリー・マクレーンを見たときには感動しました。数少ない宝物の一つです。

ところで今、改めて考えると、この映画、ストーリーや登場人物以外にも好きな要素がいくつもあることに気付きました。
まずはスモールタウンを舞台にしていること。僕の好きな映画の大事なポイントですね。川本さんによるとニューイングランドのヴァーモント州にあるスモールタウン。有名な「ヴァーモントの月」のヴァーモントですね。この映画ではそのヴァーモントの美しい秋の風景を見ることができます。
それからソール・スタインバーグというイラストレーターのかわいらしい絵がタイトル・バックに使われていること。スタインバーグは和田誠さんの最も好きなイラストレーターのひとり。
で、つい先日気付いたことを最後に。
映画のパンフレットには、日本語と英語の両方で映画のキャストとスタッフのクレジットが載っているのですが、その日本語の方を載せておきます。
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ポイントは音楽の挿入歌「旗をふって列車をタスカルーサへ(原題はFlaggin' The Train To Tuscaloosa)」の作曲者の名前。レイモンド・スコット。
おおっ、レイモンド・スコット!って思ってしました。

次回はそのレイモンド・スコットという人の話を。

最後に”Flaggin' The Train To Tuscaloosa”という曲を貼っておきます。
映画のどこで使われていたんだろう。また、チェックしておきます。

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by hinaseno | 2013-03-14 10:11 | 映画 | Comments(0)