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by hinaseno
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カテゴリ:映画( 100 )


牛窓暮色(その2)


『港町』というタイトルについて少し。

以前にも書きましたが、牛窓は昔、帆船の時代には瀬戸内海を航行する船の寄港地、いわゆる「風待港」(この「風待」が僕の中で「風街」につながったことは言うまでもありません)として栄えていました。

これは昭和10年ごろに撮影された牛窓の海の風景。

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こんなふうに風まかせ、潮まかせの船が牛窓に立ち寄っていたんですね。

で、そんな港町に発達したのが女郎屋。今も数件だけ建物が残っていて、『港町』にも何度か映っていました。


大正時代ごろから機械で動く船が登場して、次第に牛窓は寄港地としての役割を失っていきます。今は正直「港町」という感じではありません。前島へのフェリーの港があるくらい。ああ、でもちょっと離れた場所に大きなヨットハーバーがありますね。映画では映らなかったけど。


ところで「港町」の英語のタイトルは「港町」を表す「Port Town」ではなく「Inland Sea」。「Inland Sea」というのは内海、つまり瀬戸内海のことです。

瀬戸内海はとても広いけれど、かりに大阪の方から西に船で進んだとすれば、瀬戸内海らしさが出てくるのは赤穂を過ぎて牛窓に近づいたあたりからなんですね。といっても実際に見たわけではないけど。

ただ、わが荷風が敬愛する成島柳北が例の『航薇日記』で、大阪から岡山に向かう航海の、牛窓の港に入る直前に、こんな言葉を書いているんですね。


「薇陽は風景播州よりも勝りたるところ多し」

今はもう失われてしまっているけど「薇陽」という表現がいいんですね。ここから瀬戸内海は瀬戸内(せとうち)と親しみを込めて呼びたくなるような島々が点在する風景が続くことになります。


ところでひと月前、久しぶりに牛窓に行ってきました。

ワーゲン(「壊れかけ」じゃないけど)が停まっていたので、「雨のウェンズデイ」的風景を撮ってみました。想田さんに倣ってモノクロで。

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でも、なんだかかなりイメージが違う。別れの予感が少しも感じられない。目の前に並ぶ島々が、あまりにも優しすぎるんですね。

ちなみにこの場所、映画でクミさんが魚の干物(だったっけ?)を持っていった家のすぐ隣です。


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by hinaseno | 2018-04-24 15:51 | 映画 | Comments(0)

牛窓暮色(その1)


愛する海街、牛窓(牛窓は「海街」というより「海町」ですね)を舞台にした想田和弘監督の映画『港町』を観てきました。


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素晴らしいの一語。前作の『牡蠣工場』ではカットされていた、僕が牛窓で最も愛している風景が次から次へと。それもとびっきり美しい映像で。そしてそこで展開される物語のすごさたるや。

ただ、ご存知の通り、映画や本などのレビューを書くのは苦手。できればぜひ映画を観てください。


というわけで、ここに書くのは映画そのものについての話ではなく、いつものように映画と自分との関係性を書くことになります。きっと自分一人で「そういえば」「そういえば」を繰り返しながら、話はあっちへ行ったりこっちに行ったりすることになりそうです。


映画が始まって、映画がモノクロであることと、そして今回の映画の主役のひとりであるワイちゃんというかなり高齢の漁師が、小津や成瀬の映画で脇役をやっている東野英治郎に似ていることもあって、すぐに小津や成瀬の映画のことを思い浮かべました。

そういえば今回『港町』のパンフレットにコメントされている是枝裕和監督は、同じ海街である鎌倉を舞台にした映画を撮るときに、鎌倉といえば小津ということになることを知りつつ、あえて成瀬の方を強く意識して撮影したそうですが、もし、想田さんが意識していたとするならば、描かれている風景や物語(死者との向き合い方)を考えると小津に近いかなと感じ、小津の『晩春』から『東京暮色』にかけてのモノクロの映画(『晩春』『麦秋』『東京物語』『早春』『東京暮色』)をぼんやりと頭に思い浮かべながら映画を観ていました。


そうしたら映画の後のトークイベントで、想田さんが当初映画のタイトルは『港町暮色』だったと言われて、小津の『東京暮色』とつながって、思わずわおっ、となりました。ただ、想田さんは映画の重要なシーンが夕暮れ時に起こっていたということからそのタイトルを思いついたということで、小津のことには触れなかったけど。

映画の後、家に戻って想田さんの『観察する男』を開いて(映画を観る前に読み直そうかと思ったけどやめました)、どこかに小津のこと書いていたような思って調べたら、想田さんが映画監督になろうと考えた理由のひとつに小津の映画と出会いがあったったことを書かれているのを発見。ちなみに想田さんが小津の映画と出会うきっかけになったのは川本三郎さんが書かれていた『晩春』に関する小さな記事だったそうです。


さて、映画を観て気がついたことといえば、観ているとき、あるいは観た直後に気づいたこと、1日経って気づいたこと、2日経って気づいたことなど、いくつもあるんですが(こういうのがあるからレビューって書けない)、今日、つまり2日たって気付いたことを。


僕はここ数日、平川さんと松村さんの対談をずっと聴き続けていたんですが、実は映画館に行く車の中でも聞いていました。で、面白いことに、そこで語られていた話が不思議なほどに映画と共鳴していたことに気がついたんですね。お二人が語っていたこと、時間があればきっと語ったであろうことを、牛窓という場所を舞台にして映画にしたら、きっとこうなるんじゃないかと思ったくらいに。


想田さんの牛窓を舞台にした前作『牡蠣工場』には、グローバル経済という大きな市場が岡山の外れの、小さな海辺の町にも押し寄せているという話だったんですが、今回の映画に描かれているのは、かなり縮小したとはいえ、牛窓にずっと昔から続いている小さな経済の循環。そして忘れてはならない贈与。平川さんや松村さんの話につながっているなあと、ふと今朝、思いついて、で、ブログに貼る写真を探していたら、たまたま見つけたのがこの中島岳志さんと想田和弘さんの対談でした。

前回、中島岳志さんのことも書いたばかりだったんでびっくり。で、その中でこんな会話が出てくるんですね。ぼんやりと考えていたことを見事に言葉にしてくれていました。


中島:お墓の近くで猫に餌をあげている人も登場しましたが、あの「猫」の存在も重要だと思いました。ただ和むというだけではなくて(笑)、想田さんがおっしゃるように、カメラが魚の行方を追ううちに、経済の円環と言うべきものが見えてくるのですが、その円環の最終地点がここでは実は猫に魚を与えるという「贈与」なんですね。漁師から市場、市場から魚屋までは一般的な貨幣経済なのですが、魚屋さんがさばいた魚のアラをバケツの中に入れ、それをもらっていったお客さんが、わざわざ料理して猫にやっているわけです。
 つまり、この社会の経済のサイクルのどこかには、マーケットとは違う別の原理が働いていて、それも含めて一つの経済の円環をつくり上げているということを象徴している場面だなと思いました。その「マーケットと違う原理」は、現代社会の主流ではないかもしれないけれど、長い歴史の流れの中で見れば主旋律になるような部分なのではないかと思います。
想田:おっしゃるとおりですね。経済サイクルの中のその「贈与」の部分がなくなった時に、社会は非常に生きにくくなるんじゃないかという気がします。
 現代における「経済」というと、なんというか「奪う」イメージですよね。モノを少しでも高く売りつけて自分のお金を増やすことが大事で、「自分の利益は他者の損」というようにイメージされることが多い。でも、本当の「経済」というのはそうではないのではないか。「奪う」経済だけの社会には、あまり楽しい未来は待っていないのではないかと思っています。

この猫への「贈与」に関してはパンフレットに掲載された平川克美さんのコメントにも書かれています。確か中島さんはこの対談の少し前に平川さんとも対談されて平川さんの『21世紀の楕円幻想論』についての話もされているんですね。そのあたりの影響がどれだけあったかわかりませんが、ここで二人が語っていることは、僕が今、聴き続けている平川さんと松村さんの対談の話と驚くほどぴったり重なっています。それだけでなく、その前で語られている「死者」のまなざしの話も、そのあとの「近代」のことも、すべて平川×松村対談の重要なキーワードとして出てきているんですね。

というわけで、次なる平川×松村対談ではぜひ『港町』の話をしていただけたらと思います。


さて、映画には、僕にとってたまらない風景がいくつも出てくるんですが、一番心を打たれたシーンは、獲った魚がセリにかけられたあと、その漁協を立ち去る時のワイちゃんの後ろ姿。貨幣というものが支配する場(そこにはまだ言葉の贈与を行う人もいる)を後にして自然からの贈与の場へと戻るワイちゃんのかなり曲がった背中は何を語っているんだろう。


ところでこれは想田さんが自撮りされたもの。想田さん、あちこちでされてたんですね。この中に映っていたので記念に貼っておきます。

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by hinaseno | 2018-04-23 16:13 | 映画 | Comments(0)

浄土寺の手前の信号を右折して国道を東に進むトラックを手を振りながら追いかける一美。でも、どうも風景が違う。どうやらこのシーンは違う道路で撮影されていることがわかりました。

どこかということですが、手がかりはたくさんありました。それは道路沿いに立ち並ぶビルや電柱に取り付けられた看板。現在も残っているものが多いんですね。わかりやすいものでいえば仁井時計店。あるいは大村石材店。そう、そこは市役所のある通り。

地図で確認するとこうなります。

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青い線がトラックの走った方向。で、赤い線がトラックを追いかけて一美の走った道。なんと実際には出発した一夫の家に戻っている形になっているんですね。この道には『東京物語』の撮影の時に小津や俳優たちが泊まった竹村家(竹村旅館)もあります。

ちなみにその竹野屋で撮影された『東京物語』のこのカット。


東山千栄子の葬儀の後にみんなが集まって食事をする場所ということになっています。実際の食事のシーンはもちろんセット。『転校生』の冒頭、一夫の家から見える海の風景が見えるシーンが出てきます。

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この窓の外に見える風景は『東京物語』の竹村屋からの風景と似てるんですね。

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ということなので最初は一夫の家は竹村屋なのかと思っていました。


さて、改めて一美が走っているこの場面を。

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彼女が走っていているのは市役所が入っている市民会館の前の道。映画を撮影した時にはこの市民会館のビルを建設中だったようですね。

この場所、例によってストリートビューで確認してみます。

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実は世田谷ピンポンズさんのライブの日の夕方、僕はここの場所の写真を撮っていました。

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なぜかといえば、ここはまさに『東京物語』の冒頭のこのシーンが撮られた場所だとわかったから。大林さんはまさにこのシーンが撮られた場所から一美を走らせたんですね。

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前にも書いたように『転校生』の冒頭で、『東京物語』のラストシーンの汽車が走り去って行くのを撮ったのとほぼ同じアングルで電車がやってくるシーンを撮っているんですが、『転校生』のラストでは逆に『東京物語』の冒頭の子供たちが学校に通うシーンを撮った同じ場所で一美がトラックを追いかけるシーンを撮っていたんですね。まさにシンメトリックな構造になっていたわけです。


ところで、この市役所前の道を走るシーンをDVDでコマ送りしながら、ストリートビューの現在の風景と見比べていたんですが、そこで驚くようなものを発見したんですね。

それは一美が走るのをやめる寸前にとらえられたトラックが走っていくシーン。最後の最後ですね。

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このときトラックの向こうの右手に見えている瓦屋根の大きな家が竹村家。左の電柱には「竹村屋」と書かれた看板も見えます。

驚いたのは右のトラックの停まっている建物に取り付けられた看板の文字。


「栗吉木材店」!


栗吉木材店というのは『東京物語』の冒頭の、小学生たちが登校するシーンで見えていた看板に書かれていた会社と同じ名前(『東京物語』のほうでは「栗吉材木店」となっています。どうやら『東京物語』で唯一といってもいい本物の看板が映っている「栗吉材木店」は竹野屋の近くに移転していたようです(現在は栗吉木材店はありません)。

それにしても、これが『転校生』の最後の最後に映されいるというのは偶然にしてはできすぎていますね。


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by hinaseno | 2018-02-20 15:11 | 映画 | Comments(0)

映画後半、再び御袖天満宮を訪れた一夫と一美はもう一度いっしょに階段を転げ落ちてもとの体に戻ります。ここから感動的な場面が続くんですね。何回見ても泣けます。

これは一夫の家族がトラックで横浜に引っ越す場面。

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それまでのいくつかのシーンで一夫の家が海沿いにあることはわかっていたんですが、このシーンでようやく場所を特定することができました。浄土寺の真下。浄土寺の門のすぐそばから撮影してるんですね。浄土寺に行けば見慣れた風景。


ところで一夫の家で興味深いのは玄関のすぐそばの壁に貼られてたポスター。

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なんとジョン・ウェイン主演の西部劇『駅馬車』。監督はもちろんジョン・フォード。西部劇好きにとってはにっこり。

ただ、これはもちろん映画のために取り付けたもの。ポスターの上には「上映中」との文字がありますが『駅馬車』の日本公開は1940年(昭和15年)。リバイバル上映ってことになるんでしょうね。


さて、浄土寺といえば『東京物語』のいくつものシーンが撮られた場所ですが、『転校生』では主人公の家を浄土寺の真下に設定したにもかかわらず、お寺が映ることは一度もありません。多宝塔くらいちらっと映ってもいいのに。でも、おそらく”あえて”入れないようにしたんでしょうね。

でも、映画を見終えてから、ふとあることに気がつきました。気づいたことに我ながら感心。


これは何度も紹介している『東京物語』の浄土寺のシーン。

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上に貼った引越しのシーンとは浄土寺の境内の内側と外側ということもあってか風景的には一見なんのつながりもなさそうに見えます。

でも、この2つの風景、かなり近い場所からほぼ同じ方向をとらえていたんですね。

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この写真の水色の丸で示したのが『東京物語』のカメラが置かれていたあたり。矢印が上のシーンを撮影した方向。

それから赤色の丸で示したのが『転校生』の引越しのシーンを写した場所。矢印は撮影した方向。


カメラが置かれていた位置は距離にして20mちょっと。写した方向もほぼ同じだったんですね。

これはきっと大林さんなりの『東京物語』、あるいは小津への敬意の形なんでしょうね。あるいは畏敬の念と言ってもいいかもしれません。


さて、このあと引越しのトラックは線路沿いの国道を曲がって東に進みます。

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そして一美は「さよなら、わたし」と叫びながらトラックを追いかけます。



でも彼女が走った道は、浄土寺前の国道ではなかったんですね。なんと走っていたのは『東京物語』でロケされた道でした。

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by hinaseno | 2018-02-19 12:41 | 映画 | Comments(0)

映画の後半、男の子になった一美は家出を決意。女の子になった一夫は彼女(彼?)を追いかけます。二人が向かうのは船着場。

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ここからは、おっ!おっ!おっ!の連続でした。

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二人が船で行ったのは瀬戸田(生口島)。

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そういえば『東京物語』でも東山千栄子の葬儀の後、海の見える料亭で久しぶりに集まった家族で食事をしていたときに、確か生口島に行った思い出話をしていたなと。


生口島から戻ってきた二人は再び船着場を歩きます。そして、このシーン。

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これぞまさに『東京物語』のこのカットと同じ場所。

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と思ったら違ってたんですね、船着場の場所が。

背景が少し違っていたのもありますが、おやっと思ったのは一番上に貼った写真。もし中央桟橋であれば桟橋の手前の右側に『東京物語』で一番最初に映るこの住吉神社の大灯籠(右手に見えるのが中央桟橋)が見えないとおかしいんですね。

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いろんな角度から見える背景の山や島も中央桟橋から見たものとはちがう。

で、調べてみたら『転校生』で二人が船に乗った船着場は中央桟橋ではなく尾道駅の真正面にある駅前桟橋でした。


実は今の駅前桟橋はかなりしゃれた感じになっているんですが、ちょっと古い写真を探してみたら駅前桟橋は中央桟橋とほぼ同じ造りをしていたことがわかりました。桟橋部分だけを見たら区別がつかないですね。

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まあ、結局勘違いではありましたが、でも二人が桟橋を歩くシーンを撮るときに大林さんが『東京物語』のあのカットを意識しなかったはずがありません(大林さんは中央桟橋と駅前桟橋の区別がついていたのかな)。


勘違いといえば、『東京物語』で家族が船で行ったというのは生口島ではなくそのとなりの大三島。瀬戸田へ行ったのは『東京物語』には出ていなかったけど、小津の映画にいくつも出ている佐田啓二と岡田茉莉子が主演した『集金旅行』(原作は井伏鱒二)のほうでした。


あわてて書かなくてよかった。


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by hinaseno | 2018-02-18 15:43 | 映画 | Comments(0)

大林さんが『転校生』を撮るときに、小津の『東京物語』をどれだけ意識していたかという問いはたぶん無意味。尾道で映画を撮る人間が『東京物語』を意識しないはずがないですね。

『転校生』でも明らかに『東京物語』を意識したシーンもあれば、たまたまかなというものもあったり。大瀧さんが音楽制作でやっているように誰か気づける人がいるかなと思ってそっと取り入れているのもあるのかもしれません。とりあえず発見できた限りのものを紹介しておきます。

まずは冒頭の8ミリでとらえられたこのカット。線路脇から電車がやってくるのをとらえています。

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『東京物語』を見慣れた人間にとっては、いきなり、おっとなります。『東京物語』のラストシーンで尾道から東京に戻る原節子を乗せた汽車が尾道を離れていくこのシーンと対照になってるんですね。大瀧さんに言わせればシンメトリック。背後に映ってる山は同じです。

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ウィキペディアによると『転校生』のあのシーンを撮ったのは大林さんではなく当時17歳だった娘さんの千茱萸さんとのこと。彼女にフィルムを渡して「尾道の風景を撮って来て」と撮影に行かせたものだそうです。彼女が撮ったたくさんの尾道の風景の中から大林さんがこれはと思うものを選んだはずで、電車がやってくるシーンを選んだときには『東京物語』のラストシーンのことを考えないはずはなかっただろうと思います。


映画を観ていて一番驚いたのは、一美の祖母の法事が行われたこのお寺が映ったとき。

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なんと場所があの福善寺。

そう、『東京物語』で東山千栄子の葬儀が行われたのと同じ寺。一美の祖母の墓もこのお寺の背後の墓地にあるんですね。「とみ」と、そして「しょうじ」の墓の近くに眠らせていたとは。

ちなみに『転校生』の一美の祖母の墓は本堂のすぐ側の場所。

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『東京物語』に映るこのカットの赤丸をしたあたりに一美の祖母の墓があることになっています。

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これは『東京物語』の別のカット。このカットの手前に映っている墓の近くということになります。

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これは世田谷ピンポンズさんのライブの日に撮った写真。左端に『東京物語』に映っている墓が並んでいます。で、一美の祖母の墓は赤の矢印をしたあたり。

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通りが一つ違っていますが、撮影したカメラマンが立った位置はたぶん墓一つ挟んでいるくらいの場所。もしかしたら同じ場所なのかもしれない。

大林さんはきっと小津がこのあたりでロケをしていたのを見てたんでしょうね。


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by hinaseno | 2018-02-17 12:53 | 映画 | Comments(0)

小津安二郎の『東京物語』が公開されたのは1953年(昭和28年)11月。そして大林宣彦の『転校生』が公開されたのは1982年(昭和57年)4月。

『転校生』が公開された1982年の4月といえば、まさにこの頃にレンタル・レコード屋ができ始めて、その店の1つで「大滝詠一」と書かれた仕切りの札を見つけて、出たばかりの『NIAGARA TRIANGLE Vol.2』を借りた頃。で、おそらく5月のゴールデンウィークくらいに大学のゼミの旅行で尾道に行ったんですね。きっかけはたぶん『転校生』だったはず。僕は映画を観てなかったけど尾道に行ったかなりの人が映画を観ていたようで、街を歩きながら「この坂は『転校生』に映っていた場所だ」とか話しているのを聞いていました(今から考えるとちょっとあやしいけど)。

ちなみに僕が尾道に行ったのはそのときがたぶん2度目。その2年前くらいに友人2人と尾道の”塔”めぐりをしていました。浄土寺、西国寺、天寧寺。

『転校生』はテレビで放送されたのを観たけど、ふ~んっという感じ。天寧寺の三重塔は映ったけど一番好きな浄土寺の多宝塔が映らなかったことに不満を持ったような気がします。『東京物語』を初めて観たときには、なにはともあれ浄土寺の多宝塔が映ったことに興奮しました。


ところで前回紹介した『大林宣彦のa movie book尾道』(2001年発行)、図書館で借りてきましたが、期待していたほどのことは書かれていませんでした。とりわけ気になっているのはあの男の子と女の子が入れ替わるシーンが撮られた御袖天満宮のこと。

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大林さんが『転校生』の最も重要なシーンの撮影場所として御袖天満宮を選んだ理由が一番知りたいことなんですが、残念ながらこの本で確認することはできませんでした。何かで語られているんでしょうか。

結局この本で大林さんが『東京物語』について語っていたのは1つだけでした。大林宣彦公認ファンクラブであるOBsクラブの質問に答えたもの。こんな質問です。


昭和二十八年八月にあの小津安二郎が『東京物語』を尾道で撮影していたとき、監督は何をしていましたか? もしかして撮影現場を見ていたのでしょうか? また監督は小津映画に関してどういう意見を持っておられますか?

これに対する大林さんの答え。


『東京物語』の撮影現場にいました。小津安二郎監督とその映画とは、ぼくにとって最も尊敬する映画作家であり、映画のひとつです。『東京物語』が尾道で撮影されたことは、ぼくの古里自慢、映画人としての大いなる誇りです。

小津安二郎が『東京物語』を撮影したとき大林さんは15歳。たぶん高1のはず。映画好きだった大林少年であれば小津が尾道でロケした8月14日から19日の6日間、夏休みということもあって、きっとロケの様子をずっと見て回っていたんじゃないかと思います。


気になるのはそのふた月前の6月に小津たちがロケハンに来たときに大林さんはどうしていたかということ。もっといえば結局は映画では使わなかったけれど、6月30日に小津たちが御袖天満宮でロケハンをしていたことを大林さんは知っていたのかなと。

改めて考えてみれば、『東京人』の1997年9月号に掲載された1953年6月から7月にかけての厚田さんの「撮影日程表」の6月30日のところに記載された「天満宮」がいったいどこにあるんだろうと調べていて、その前後にかなり乱雑な字で書かれている「練瓦坂」「福善寺」という言葉を手がかりに御袖天満宮をつきとめたら、そこがまさに『転校生』のあのシーンが撮られた場所だと知ってびっくりしたわけですね。

この日のブログで書いているように、小津はこのシーンを撮影する場所の候補の一つとしてこの御袖天満宮をおそらく地元の人の案内で訪れたはず。

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でも、結局、御袖天満宮ではなく浄土寺の境内を使ったわけですが、小津が『東京物語』のあの神々しいラストシーンを撮影する候補として考えたはずの御袖天満宮の境内で、大林さんは『転校生』のラストシーンで女の子の体になってしまった男の子に立小便をさせているのがなんとも笑ってしまいました。


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by hinaseno | 2018-02-16 15:06 | 映画 | Comments(0)

2016年9月10日に尾道に行って、『東京物語』の「とみ」(東山千栄子)の葬儀の行われた寺、つまり物語的には「とみ」と、原節子の夫である「しょうじ」が眠ることになったはずの墓がある福善寺を見つけた後で、僕は世田谷ピンポンズさんのライブを弐拾dBで見たわけですが、そこでピンポンズさんが披露してくれたのが「さびしんぼう」という曲でした。何か尾道に関係のあるという曲で、昔、尾道を舞台にした大林宣彦監督の映画『さびしんぼう』にインスパイアされて作ったということでした。


『さびしんぼう』は『転校生』、『時をかける少女』とともに尾道三部作と呼ばれているものの一つですが、実はこんな作品があったこと知らなかったんですね。この中で見たことがあるのは『転校生』だけ。それも遠い昔のこと。『時をかける少女』はユーミンが作った主題歌だけはよく聴きました。


ピンポンズさんの曲を聴いて以来、一度きちんとこの尾道三部作を観ておきたいと思いながら、なかなか機会がないまま時が過ぎ、すっかり忘れかけていた頃、日本映画専門チャンネルで放送されたんですね。

『さびしんぼう』もとてもいい映画でしたが、何よりも驚かされたのは尾道三部作の第1作である『転校生』でした。

何が驚いたかといえば、映画の中にいっぱい『東京物語』の風景が登場したこと。「おおっ」から「おおおおおおおおおおっ」まで、驚きの連続。

このブログでも紹介したように『東京物語』の尾道のロケ地(結果的には映画に使われなかった場所も含めて)をかなり細かく調べ上げていたので、普通であれば気づかないことまで気づくことができました。

『東京物語』や『転校生』については素人も含めてくまなくロケ地を調べ上げられているとは思いつつ、例の大滝詠一的手法を使ったら、びっくりするようなものを発見することができました。きっと誰も気づいてないはずのこと。


それにしても大林さん、小津の『東京物語』をどこまで意識して映画を作られたんだろう。「たまたま」というのもあるのかもしれないけど(『大林宣彦のa movie book尾道』という本に『東京物語』に触れた部分があるようですが、まだ入手できていません)、偶然にしてはできすぎているところも。

ってことで、今日はあくまで予告編ということで話は次回から。

それはさておき『転校生』っていい映画ですね。ラストシーンは何度見ても泣けます。

そう、そのラストシーンを静止画像にして辿っていた時に「おおおおおおおおおおっ」ていうのを発見したんです。


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by hinaseno | 2018-02-13 16:18 | 映画 | Comments(0)

アゲインの石川さんから送っていただいた例の朝妻一郎さんがホスト役を務められたラジオ番組の話に移る予定でしたが、せっかくなので朝妻さんのことをしっかりと書いておきたいと思い、その仕込みに時間がかかっているので、内藤篤さんの『円山町瀬戸際日誌』のことをもう一回だけ書いておきます。昨夜読んだところに、ちょっと面白いことが書かれていたので。


前回も書きましたが、石川さんがミュージカル映画に関してとりわけご執心なのがバスビー・バークレーという振付師。彼は自ら振付をした映画の監督もしています。

今回のシネマヴェーラ渋谷での「ミュージカル映画特集Ⅱ」がどういう形で終わったのかはわかりませんが、次はバスビー・バークレー特集なんかをしたら石川さんが狂喜乱舞されるのでは、と思っていたら、そのバスビー・バークレーに関しての話が『円山町瀬戸際日誌』に出てきました。2014年に特集した「映画市場の名作」でバスビー・バークレー監督の『青春一座』を上映したんですね。

実は内藤さんは『青春一座』に関しては集客的にはあまり期待していなかったとのこと。ところが予想に反して客の入りは上々だったんですね。で、こんなことを書かれています(ちなみに筆者の内藤篤さんは「バスビー・バークレー」ではなく「バズビー・バークレイ」と表記)。


『青春一座』は、ミッキー・ルーニーとジュディ・ガーランドの一連の青春アイドル路線の第一作だが、あのバズビー・バークレイをバズビー・バークレイたらしめている華麗なダンスシーン演出はなくて、むしろ当時のMGMの看板スターのクラーク・ゲーブルをめぐる楽屋オチを楽しむような、ミュージカルファンにはやや物足りない一篇である。ああ、そうか、それでむしろ一般の客は入ったのか⁉︎ いや、しかしそこまで中身を熟知して、見に来てるとは思えないわけで、どうにも合点がゆかぬ。


これだけ読んでも名画座を経営する難しさがわかります。

『青春一座』は先日の「ミュージカル映画特集Ⅱ」でも上映されていて、石川さんはやはり見に行かれていました。石川さんの感想を読むと「いわゆる万華鏡バークレー・ショットは見られ」なかったことがちょっと残念だったようですが、映画としては楽しめたようです。


さて、果たしてシネマヴェーラ渋谷でバスビー・バークレー特集をやる日がやってくるでしょうか。お一人はきっと毎日通われるはずですが…。


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by hinaseno | 2017-08-25 10:14 | 映画 | Comments(0)

『円山町瀬戸際日誌』を読む前は名画座というものにロマンチックなイメージをもっていたけど、いざ経営ということになるとやはりいろいろと大変そうです。当たると思った特集が全然不調だったり、逆に苦しいかなと思った特集に結構人が集まったりとか。


ちょっと興味深かったのはちょうど10年前(2007年の末から2008年の初め)に行われたミュージカル特集のこと。この特集、どうやらかなり客の入りが悪かったようです。

内藤さん、こんなことを書かれています。


 さて、劇場はといえば、年末年始の年越しのミュージカル特集は不調で、筆者の見るところ、これは上映作品がどうのこうのというより、たぶん日本人はミュージカル映画がキライだ、ということなのだと思う。アステア映画が一本もないなど、作品的にも苦戦したのは事実だが(略)ジャンルとしてのミュージカル特集への敵意というのか無関心というのかが、日本全体を覆っているとしか思えない。漠然とは、そうした匂いを知らなかったわけではないから、今回も「ミュージカル」を前面には出さずに、「踊る人」という看板をかかげて、バレエ物や「踊りといえばベルトリッチ」などを混入させて「特集偽装」(?)をはかったのだが、やはりバレていたようだ。ピーマン嫌いの子供にピーマン食べさせようとして、細かく切って卵焼きか何かに混ぜて、どさくさ紛れに食べさせようとしても、そういうことには妙に敏感で、すぐに感づかれてしまうのと似ている。どうせ不調ならば、全部MGM映画でやれば良かったかもしれない。バレエ物も好きだが、一番好きなダンス映画が何かといわれれば、文句なく、RKOのアステア=ロジャース物とMGMのアーサー・フリード作品群である。ま、前者は公式には上映用プリントは存在せず、後者も三週間のプログラムを埋めるほどにはないのだけれども。

正直言えば、僕もずっとミュージカル映画は苦手でした。唯一好きだったのが、オードリー・ヘプバーンとフレッド・アステア主演の『パリの恋人』。これでフレッド・アステアを知って彼のCDをいろいろ買ったりしましたが、あくまで関心をもたのはアステアの歌であって、彼が主演した映画はいまだに

ほとんど見ていません。「日本人はミュージカル映画がキライだ」という内藤さんの意見にも頷けるものがあります。


ただ、僕の場合、最近はミュージカル映画で使われて、のちにスタンダードになった音楽への関心が急速に高まっているので、その流れでミュージカル映画もちょこちょこ見るようになりました。最近観たのでは大好きなハリー・ウォーレンの曲が使われている『四十二番街』とか。この振り付けをしているのがバスビー・バークレー。アゲインの石川さんが今最も強い関心を持たれている人ですね。

そう、最近の僕のミュージカル映画への関心の高まりは石川さんの影響大×4です。その石川さんが足繁く通われたのがシネマヴェーラ渋谷で6月から7月にかけて行われていたミュージカル特集Ⅱ。タイトルに「Ⅱ」がついているのは10年ぶりに行われる特集だからですね。

おそらく前回の第一回目の特集の反省を踏まえて「RKOのアステア=ロジャース物とMGMのアーサー・フリード作品群」を前面に押し出してのもの。内藤さんにとっては満を持してという感じだったでしょうか。果たして客の入りはどうだったんでしょう。


さて、ミュージカル映画への関心に多大なる影響を与えてくださったアゲインの石川さんから、またまた素晴らしいものを送っていただきました。先日、NHK-FMで4回に渡って放送されたこの番組を録音したもの。これが大瀧さんのアメリカンポップス伝を思い起こさせてもらえるような、超わくわくの番組だったんですね。これについてはまた次回に。


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by hinaseno | 2017-08-23 13:20 | 映画 | Comments(0)