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by hinaseno
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カテゴリ:音楽( 469 )



大瀧さんの「ゴー!ゴー!ナイアガラ」は基本的には洋楽、特に1950年代から60年代にかけてのアメリカン・ポップスが中心ですが、ときどきは日本の音楽も特集されています。
1976年3月30日は、大瀧さんの(大)好きな日本の古い曲の特集。せっかくなので、この日かけられた曲を列挙しておきます。
「東京ラプソディ」(藤山一郎)

「私の青空」(二村定一と天野喜久代)。この曲のことについては以前ツイッターでかなり書いたことがあります。また、いつか改めてブログにまとめて書ければと思います。今考えれば、この曲が僕とアゲインの石川さんをつないでくれたのかもしれません。公にはされていませんが、大瀧さんもこの曲をカバーしています。

「山の人気者」(中野忠晴とコロンビア・リズム・ボーイズ)。この音源が中野忠晴とコロンビア・リズム・ボーイズのものかどうかは確認できませんでした。再録音のものかもしれません。

「一杯のコーヒーから」(霧島昇とミズ・コロンビア)。この曲は僕も前から大好きでした、

「蘇州夜曲」(渡辺はま子と霧島昇)。この曲も大瀧さんは相当好きなようです。僕もアン・サリーのカバーで知って大好きになった曲。作詞は西條八十です。

「東京ブギウギ」(笠置シズ子)。現在、ビールのCMでカバーされていますね。

「買物ブギ」(笠置シズ子)。※後記:この曲、どこかで聴いたことある曲だなと考えていたのですが、アゲインの石川さんが企画立案された『バートン・クレーン作品集』の「よういわんわ」ですね。

「お祭りマンボ」(美空ひばり)

「マンボ・イタリアーノ」(沢村みつ子)。沢村みつ子さんの歌うこの曲は残念ながらYouTubeに音源がありませんでした。

このあと、昨日触れた平野愛子の「港の見える丘」と「君待てども」がかかってこの日の特集は終了します。
何曲かリズミックな曲が続いていたので、平野愛子の曲がかけられるときにはメロディックな曲を、との言葉が添えられます。

さて、ポイントはこれらの曲の作曲者。「東京ラプソディ」が古賀政男、そして「一杯のコーヒーから」「蘇州夜曲」「東京ブギウギ」「買物ブギ」が服部良一。この二人はとても有名な人ですね。あとのいくつかの曲は洋楽のカバーです。
で、平野愛子の作曲者はというと、東辰三という人。僕にとっては初めて聞く名前でした。
大瀧さんはこんなふうに言っています。

「服部良一さんと勝るとも劣らない東辰三さんという方がいらっしゃるんですけども、この人の曲っていうのは、ほ〜んっとに、好きなんですね〜。歌手の平野愛子さんもいいんですけど、なんともはや、この東辰三という人はいい曲を書くんですね」

大瀧さんの「ゴー!ゴー!ナイアガラ」をいろいろ聴いてきて、大瀧さんの好きな曲、あるいは好きなミュージシャンのことを語るときの気持ちのこもった言葉の出され方をいくつか聴いててきましたが、この東辰三さんのことを語るときの気持ちのこもりようは今まで聴いたことのないものでした。本当に、本当に大好きなんです、という大瀧さんの気持ちが伝わってきます。

東辰三。
大瀧さんは「あずまたつぞう」と発音されていますが、「あずまたつみ」と読むという説もあるようです。調べてみると、1900年という切りのいい年に生まれて、1950年という切りのいい年に亡くなられています。
亡くなられた日は9月27日。昨日が命日だったんですね。調べたのが昨日のブログを書いたあとでしたのでちょっとびっくりしました。
ピアノを弾いていたときに亡くなられたそうです。亡くなるときには彼の敬愛する中山晋平が脈をとっていたとのこと。中山晋平は西條八十や野口雨情の書いた詩に曲をつけて、いくつもの有名な童謡や民謡や流行歌を書いた人ですね。木山捷平のときに出てきた人たちにもつながっているのがおもしろいですね。

つながっているといえば、この特集でかけられてはじめて聴いて、個人的にちょっと気に入ってしまった「山の人気者」という曲を歌っているのが中野忠晴とコロンビア・(ナカノ)・リズム・ボーイズというグループなのですが、この中に東辰三さんが在籍していたそうです(番組で大瀧さんは触れられていませんでしたが)。リーダーの中野忠晴にスカウトされたとのこと。バス・パートを歌っていたみたいです。

服部良一が作曲したこの「山寺の和尚さん」も彼らが歌っていて、ところどころ聴こえてくる低音のボンボンボンとか、あるいは3番の「色街のお酌さん〜」という部分を歌っているのが東辰三のようです。相当シャレたセンスをもっていたことがわかりますね。
by hinaseno | 2012-09-28 09:12 | 音楽 | Comments(3)

先日、アゲインの石川さんに送っていただいた「ゴー!ゴー!ナイアガラ」のシリア・ポール特集のことを書きましたが、同じ日に送っていただいた日本の古い音楽を特集したものを2つ聴いています。その2つの特集では同じ歌手の同じ曲が2曲かけられています。1975年の6月から3年余り続いた「ゴー!ゴー!ナイアガラ」では、同じ曲がかけられるということはめったにありません。つまり、1度かけられたのに再度かけられるというのは、よっぽど好きな曲、よっぽど思い入れの強い曲ということになります。しかも2曲続けられる形というのは他にありません。

a0285828_1059845.jpgここでちょっとだけ「ゴー!ゴー!ナイアガラ」という伝説のラジオ番組のことを。
この番組は僕の最も敬愛するアーティストの大瀧詠一さんがDJを務めていたワン・マン番組です。福生にある大瀧さんの自宅のスタジオで、大瀧さんの所有するレコードのみを使って制作されています。基本的には生放送ですが、何度かは録音もあったようです。でも、録音であったとしても編集は一切なし。いくつも曲をかけて、いろんなコメントを添えた上で、ぴったり時間内に収める。ここがすごいところですね。

放送時間は深夜。時間は何度か変っていますが、放送の開始時刻は最初が午前3時、途中から午前0時です。大瀧さんの『ナイアガラ・ムーン』に収められた「楽しい夜更かし」という曲に「午前3時」とか「午前0時」、あるいは「真夜中のディスクジョッキー」なんて言葉が出てくるのはそのせいなんですね…って、気軽に書こうとして今調べたら『ナイアガラ・ムーン』は「ゴー!ゴー!ナイアガラ」が開始する前に作られていることを今、はじめて知りました。ということは、あの番組の放送時間はあの歌に合わせて決められたということ? 途中で午前3時から、2時でも1時でもなく午前0時からに変更されたのも、大瀧さんの意思? それとも単なる偶然? ちょっとびっくりしました。

「ゴー!ゴー!ナイアガラ」が放送されたのはラジオ関東という放送局。関東周辺でしか聴くことができません。当時、岡山に住んでいた僕は当然聴くことができません。しかも大瀧さんのファンになったのは1981年に発売された『ロング・バケイション』というアルバムを聴いてからのことですから「ゴー!ゴー!ナイアガラ」はすでに終了した後。

『ロン・バケ』で大瀧さんのファンになっても、それっきりという人が多かった中で、僕は大瀧さんに関する本や過去のレコードを買い漁る日々が続きました(現在も続いています)。で、その過程で、すぐに過去に大瀧さんのされていた「ゴー!ゴー!ナイアガラ」というラジオ番組が存在していたことを知りした。番組の特集リストが載っている本もありましたから、それを何度も何度もながめては、いつかそれを聴ける日が来ることを夢みていました。

それが今年、非常に幸運なことに、東京の武蔵小山のアゲインというライブ・カフェをされている石川茂樹さんとの出会いがあり(実際にお目にかかったのではないのですが)、石川さんに「ゴー!ゴー!ナイアガラ」を録音したものを次々に送っていただいくようになったのです。

さて、今回、石川さんから送っていただいたものに関しては、先日河出書房新社から発売された「増補新版 大瀧詠一」に掲載された「ゴー!ゴー!ナイアガラ」の曲目リストをもとにして、僕がリクエストしたものでした。1つは1976年3月30日の第42回目の特集、もう1つは1978年9月11日の第170回目の特集です。「ゴー!ゴー!ナイアガラ」は172回で放送が終了していますので(最後の放送日は1978年9月25日、今から34年と2日前ですね)、後者は最後から3回目に放送された特集。おそらくは放送終了がわかったうえでの特集であったはず。最後にもう一度大瀧さんにとって大切な2曲をかけておきたいと思われたのだと思います。
その2つの特集でかけられた同じ歌手の同じ曲というのが、平野愛子の「港の見える丘」と「君待てども」でした。

今日はこの曲について話をしようと思いましたが、前置きが長くなりすぎました。この続きはまた明日以降に。
ここに貼っておきますので、ぜひ聴いてみて下さい。

まずは「港が見える丘」。


それから「君待てども」。

by hinaseno | 2012-09-27 11:24 | 音楽 | Comments(0)

1958年3月4日のニール・セダカの写真。セダカ19歳の時の写真。
いい目ですね。羨望とともに希望にあふれた目。
彼の視線の先には、サクソフォンを吹いている、あるミュージシャンの姿があります。
でも、セダカはそこに、きっと自分自身の約束された未来を見ていただろうと思います。
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この日録音されているのは「I Belong To You」と「You Gotta Learn Your Rhythm And Blues」の2曲。サックスを吹いているのはキング・カーティス。

ニール・セダカは前年の58年にRCAと契約して「The Diary」でデビューします。
キング・カーティスはセダカのデビュー当時から、バックで演奏しています。
コースターズの「Yakety Yak」が大ヒットした直後で、おそらくセダカは彼を憧れのまなざしで見つめていたと同時に、彼に演奏してもらえることに喜びと希望を感じていたと思います。
ただ「The Diary」のヒットしたバージョンにはキング・カーティスのサックスが入っていません。キング・カーティスのサックス入りの「The Diary」も録音されていますが、録り直されています。
カーティスの入ったバージョンでは、カーティスが情感たっぷりにサックスを吹いているのですが、スタッフはあのバラードに彼の演奏は合わないと判断したのでしょうか。
セダカも「The Diary」を録音する日、まさかキング・カーティスがいるなんて思っても見なかったかもしれません。結果的にカーティスのサックスの入ったバージョンは使われませんでしたが、きっとセダカはカーティスに、コースターズで聴かれたようなもっと軽快な演奏をしてもらえるような曲を作ろうと考えたはずです。

話は1956年に。
この年セダカはトーケンズのメンバーとしてデビューします。
曲は「While I Dream」。素敵なホワイト・ドゥーワップ。大瀧さんのポップス伝でも、ちらっとかかりました。

このあとセダカはソロでデビューしていくつかのシングルを出しますが全くヒットしません。
このとき出したシングルは「Laura Lee」、「Ring-a-Rockin」、「Oh, Delilah」の3枚。
3枚とも1957年10月にニューヨークのJACスタジオで録音されています。このときにギターを弾いていたのが、何とアル・カイオラ。3枚目の「Oh, Delilah」では、おもいっきり"あのフレーズ"を聴くことができます。ポール・アンカの「ダイアナ」のヒットからまだ間もない時期ですね。

カイオラのギターもいいですが、曲もとってもいいですね。後半の曲の展開にやや面白みに欠けるような気がしなくもないですが。でも、個人的には「The Diary」よりも好きです。会社がきちんとした形で宣伝してたらきっとヒットしたのではないかと思いますが、この曲をリリースした会社では無理だったんでしょうね。

で、話はRCA期に戻ります。キング・カーティスに演奏してもらえることがわかったセダカは、やはりこんな「Stupid Cupid」みたいな感じでカーティスに演奏してもらおうと思ったはず。

さらには、この「I Go Ape」。

で、セダカはキング・カーティスに軽快にサックスを吹いてもらうイメージをもって、改めてもう一度アル・カイオラの"あのフレーズ"を使った曲を作ります。それが「Oh Carol」。ある意味ではこの曲はポップスの完成形と言えるのではないかと思います。

ここで、この曲のギターがアル・カイオラ、サックスがキング・カーティスとくれば話は見事にまとまるのですが、実は僕のもっているBear Familyのボックスではミュージシャンは不明となっています。ただ、この後に録音された「キャロル」ことキャロル・キングによるアンサー・ソングである
「Oh Neil」ではキング・カーティスがサックスを吹いていますね。ギターはアル・カイオラではありませんが、この頃にはカイオラの"あのフレーズ"を他のミュージシャンもまねができるようになっていたんですね。

最後に1958年3月4日のニール・セダカとキング・カーティスのツーショットを。素敵な写真ですね。
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by hinaseno | 2012-09-21 08:42 | 音楽 | Comments(0)

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先日放送された大瀧さんのアメリカン・ポップス伝パート2で、アル・カイオラとともに魅かれるようになったミュージシャンがいました。
キング・カーティス。
もちろん名前を目にしたことは何度もありましたが、これまで特に気にとめて聴くこともありませんでした。

ポップス伝パート2の第4夜、リーバー=ストーラーの話の流れから、1958年3月から始まったコースターズのニューヨーク録音の話題になります。最初のナンバーワンヒットとなったのが「Yarkety Yak」(=おしゃべりという意味のスラングなんですね)。R&Bでも1位、ポップ・チャートでも1位。
この曲を紹介するときに大瀧さんはこう言いました。

「サックスはキング・カーティス。ここからニューヨークのコースターズ・サウンドが始まりました」

これに続いてキング・カーティスがサックスを吹いているコースターズの曲が2曲かかります。まずは「Charlie Brown」。

次に「Along Came Jones」。同名のゲイリー・クーパー主演の少しコミカルな西部劇からテーマをいただいているんですね。

このあと、もう1曲コースターズの「Poison Ivy」という曲がかかりますが、この曲ではキング・カーティスのサックスは聴こえてきません(クレジットにはありますが)。
これらはすべてリーバー=ストーラーの曲。ニューヨークのアトランティック・スタジオで録音されています。

この少し前、同じニューヨークのキャピトル・スタジオでコースターズはリーバー=ストーラーの曲を2曲録音しています。
まずは「Dance!」。と思ったのですがYouTubeに音源がないですね。
それから次に、「Gee, Golly」。

この2曲でギターを弾いているのがアル・カイオラ。
このあとアル・カイオラはアトランティック・スタジオにも行ってこの「Run Red Run」という曲でギターを弾いています。そしてこの曲でサックスを吹いているのがキング・カーティス。


アル・カイオラとキング・カーティスは、少なくともコースターズに関してはこの曲が初競演。ロックンロールからポップスへの移行期のニューヨークのサウンドにこの2人が深く関わっているんですね。
コースターズに関してはもう1曲「I'm A Hog For You」という曲で2人が共演している可能性があるみたいですが、アル・カイオラがギターを弾いているかどうかが確かではないようです。

ただ、アトランティックでは他に何曲かこの2人が共演した曲があります。
例えば、ラヴァーン ・ベイカーのこの「I Cried A Tear」という曲。イントロにポロンと弾かれるギターの響き。カイオラの奏でるギターの響きの中で最も好きです。


特定のアーティストのバックではなく、この2人で一緒に演奏しているものもあるみたいですね。
気があったんでしょうか。
少なくともアル・カイオラは才能のある人としかやらないみたいですから、キング・カーティスの演奏能力を高く評価していたんでしょうね。

最後に、このキング・カーティスの曲。ギターを演奏している人を確認できなかったのですが、どこかで聴いたことのある「あのフレーズ」がでてきますね。間違いなくアル・カイオラでしょう。

by hinaseno | 2012-09-20 13:46 | 音楽 | Comments(0)

少し前に、今年の後半はアル・カイオラだと書きました。
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僕はいろんな音楽が好きなのですが、最も好きな音楽のジャンルは、と問われれば、やはり60年代のアメリカン・ポップスということになります。この道を開いてくれたのが大瀧詠一さんであったことは言うまでもありません。

前に書いたことの繰り返しになりますが、先日放送された大瀧さんの「アメリカン・ポップス伝パート2」では、驚くような形でアル・カイオラの名前が出てきました。
その最終回で大瀧さんは60年代ポップスのサウンドの原点はポール・アンカの『ダイアナ』と、その曲のプロデューサーのドン・コスタと、その曲の特徴的なギターを弾いていたアル・カイオラだったと語りました。
番組では前にリンクしたように、アル・カイオラが特徴的なギター・フレーズを弾いた曲(例の「ドンドコランカンランタンタンタン」ですね)がいくつもかかりました。

この日から僕のアル・カイオラをさがす日々が始まりました。ラッキーなことにウィキペディアにはアル・カイオラがギターを弾いた曲が何曲も掲載されていました。http://en.wikipedia.org/wiki/Al_Caiola#Partial_studio_recordings_list
が、このリストをいろいろチェックしていくうちに、いくつか絶対に違うはずの曲も含まれていることもわかりました。
まず、最初に気がついたのがジュリー・ロンドンの「Lonely Girl」。

1本のギターを伴奏に歌われるこの曲。とっても素敵な曲で昔から大好きでした。でも、実はギターを弾いているのはアル・カイオラ(Al Caiola)ではなくアル・ヴィオラ(Al Viola)という人。紛らわしいですね。アルファベット1文字の違いです。
ウィキペディアのリストには、ジュリー・ロンドンの「Remember」という曲も書かれていますが、これも「Lonely Girl」と同じアルバムに収められたもので、やはり演奏者はアル・カイオラではなくアル・ヴィオラ。
その他、演奏者のクレジットがわかるもので、アル・カイオラの名前が確認できないものもいくつかありました(例えばニール・セダカの曲)。

どうやらあのリスト、あまり信用うをしないほうがいいのかもしれません(もともと、ウィキペディアに書かれていることを信用する方が誤りなのですが)。そして、実際にはアル・カイオラが演奏しているのに、あのリストには載っていない曲が多々あることはいうまでもありません。
ということで、結局はこつこつと、自分の目と耳でさがすことが必要であることがわかりました。
もちろん、その方が何倍も楽しいですからね。

さて、アル・カイオラをさがす旅(考えてみると僕はいろんな人や、いろんなものや、いろんな場所を探しています)。最初のポイントにしようと思ったのがドン・コスタ。「ダイアナ」のプロデューサー、アレンジャーですね。特に50年代後半から60年代初頭にかけて彼がプロデュース、あるいはアレンジをしたもの。このあたりから入ってみようと思いました。

で、この時期ドン・コスタがプロデュースをしていたミュージシャンとしてまず出てきたのがティーブ・ローレンスとイーディー・ゴーメ。この夫婦について調べていたらすぐにイーディー・ゴーメの1963年のアルバム『恋はボサノヴァ(Blame It On The Bossa Nova)』のギターをアル・カイオラが弾いていることがわかりました。ただし、このアルバムにはドン・コスタは関わっていなかったのですが。
タイトル曲の「恋はボサノヴァ」を作ったのはバリー・マンとシンシア・ウェイルですね。タイトルはボサノヴァですが、アル・カイオラのギター・フレーズは全然ボサノヴァじゃないですね。

この曲を下敷きにして大瀧さんは『恋はメレンゲ』という曲を作りました。

メレンゲなんて音楽があること、この曲で知りました。
ボサノヴァもメレンゲもラテンの音楽ですけど、違いがおもしろいですね。といいつつ、原曲は全然ボサノヴァとはいえないのですが。
大瀧さんの『恋はメレンゲ』はのちに、大瀧さんがプロデュースしたシリア・ポールもカバーしています。先日、僕に起こった奇跡のような出来事のきっかけとなったシリア・ポールさんですね。

さて、ドン・コスタがらみのスティーブ・ローレンス、イーディー・ゴーメの曲をいろいろ探っていたら、いくつか気になる曲が。といっても、それらの曲を収めているCDには演奏者のクレジットが書かれていないので確かなことは言えないのですが、でも何となく耳が反応するようになってきました。
まずはスティーブ・ローレンスの1960年のこの『Pretty Blue Eyes』。かのテディ・ランダッツォの曲ですね。この曲、どこかで聞き覚えのあるギター・フレーズが聴こえてきます。例の「ドンドコランカンランタンタンタン」ですね。これはまちがいなくアル・カイオラのはず。

とすると、同時期に録音されたスティーブ・ローレンスのこの『Footsteps』に聴こえてくるギターの音もやはりアル・カイオラのような気がしてきます。果たして。


それからドン・コスタがプロデュース、アレンジしたイーディー・ゴーメの1958年の『Love Is A Season』に収められたこの「September Song」という曲のギターも気になります。ヴァースのあとに出てくるギターの音色が、ジョニー・マティスの『Open Fire, Two Guitars』に聴かれるものに似ている気がします。

僕の持っているCDのライナーの解説を書いている人も「それにしてもこのギタリスト、いったいだれなんだろう」と言っています。できたら調べてほしかったですね。
同アルバムにはもう1曲ギターを伴奏にして歌われる「When The Wind Was Green」もあり、そちらも大好きです。
果たしてこのギターを弾いているのはアル・カイオラなんでしょうか。僕にはまだ聞き分ける耳ができていません。
by hinaseno | 2012-09-19 14:44 | 音楽 | Comments(0)

1973年に公開された、1962年夏のカリフォルニアの町を舞台にした映画『アメリカン・グラフィティ』にとても印象的な場面があります。
走り屋のジョンの黄色い車(32年型フォード・デュース・クーペ)にたまたま乗り込むことになった女の子(たぶん中学生)、キャロル(マッケンジー・フィリップス)と交わす会話。

カー・ラジオでビーチ・ボーイズのデビュー・シングル「Surfin' Safari」がかかる。


「Surfin' Safari」は1962年6月発売、8月にはポップチャートで14位になっている。まさにリアルタイムでヒットしていた頃の町の様子を描いているわけですね。

さて、その「Surfin' Safari」を聴いたジョンは"Oh,shit!"と吐き捨てるように言ってラジオのスイッチを切る。
こんな会話が続く。
Carol: Why did you do that?(なんでそんなことするのよ?)
John: I don't like that surfin' shit.(サーフィンなんてくそくらえだ)
そしてこの後ジョンの口から次の言葉が語られる。

Rock and roll's been going downhill ever since Buddy Holly died.
(バディ・ホリーが死んで、ロックンロールは終わってしまったんだよ)
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二人の音楽についての会話はもう少し続く。
Carol: Don't you think the Beach Boys are boss?(ビーチ・ボーイズは最高だって思わない?)
John: You would, you grungy little twerp.(おまえみたいな薄汚いバカなガキがそう思うだけさ)
Carol: Grungy!(薄汚いって!)

この場面でジョンが語った言葉、実は英語の字幕で確認したのは今回が初めて。"going downhill"という表現が使われていたんですね。
普通は「バディ・ホリーが死んで、ロックンロールは終わったんだ」とか、「バディ・ホリーが死んで、ロックンロールは死んだんだ」と訳されていますが、この言葉はロックンロールの歴史の1つの真実として後々ずっと語られるようになったようです。

今回、大瀧さんの「アメリカン・ポップス伝パート2」がどうやら1959年で終わりそうだとわかったとき、僕は最終日のどこかで必ずこの言葉のことが語られることになるだろうと思っていました。なぜならば1959年はまさにバディ・ホリーの亡くなった年だったからです。
もしかしたら最後の最後にこの「バディ・ホリーが死んで...」が語られて、彼の屈指のバラード「True Love Ways」が今回の特集の締めの曲に使われるという展開になるのかな、と、いろいろと想像をめぐらせていました。

そして1週間待たされた最終日、番組の中ほどで、バディ・ホリーの1958年10月に録音されたこの「It Doesn't Matter Anymore」という曲をかけたあとに「バディ・ホリーが死んで、...」の話が出てきます。


バディ・ホリーの「It Doesn't Matter Anymore」がかかった後に語られた大瀧さんの言葉をそのまま引用します。
「言っときますが、これ、悪くないんですね。これはこれでバディ・ホリーの特徴が出ていますよね。作曲は『ダイアナ』のポール・アンカでした。よく『バディ・ホリーが死んで、ロックンロールは死んだ』と言われますけど、もう58年暮れにホリー自身も多少の路線変更のきざしがあったんですね。ただ、59年に音楽キャリアを閉じなければいけなかったので、ジョニー・バーネット、ジーン・ビンセント、エディ・コクランのように如実な変化が感じられる曲が存在していないというわけですね。これが神話として存在できる要因なのではないかというふうに皮肉屋である私は見ております」
大瀧さんは、一般に通説として流布している言葉を否定するために、あえてご自分を「皮肉屋である私」と自嘲的に語られます。でも、この大瀧さんの見方は皮肉でも何でもないですね。「神話」はあくまで「神話」であって、もし仮にバディ・ホリーが生き続けていれば、彼は間違いなくポップスの道を歩んでいただろうと思います。

大瀧さんはもう少し言葉を続けます。
「1956年に始まったロックンロール時代は、59年に幕を閉じたというわけです。どうしてこうなったかは諸説あるのですが、私はエルヴィスの徴兵が一番大きかったと考えています。1957年の12月20日にエルヴィスに徴兵命令が届きます。で、翌58年の3月に入隊しました。(中略)キングの不在でロックンロール・シーンにぽっかりと穴が空いたということは否めない事実だと思うんですね。で、その証拠といえるかどうかはわかりませんが、58年の夏以降、それまで日常茶飯事のように続いていた3部門制覇、この記録が突然に途絶えるんです。で、59年にはゼロになりました。エルヴィス入隊だけがロックの退潮の全ての原因だとは言いませんが、ただエルヴィスの入隊とポップス系アーティストが大挙して登場したのは、同じ1958年であったわけです」

このあと、おそらく僕のように生半可で偏見に満ちた知識しか持っていない音楽ファンにとってあっと驚くアーティストが出てきます。パット・ブーン。でも、それについて語り始めると話が長くなりすぎるのでまた後日。

そういえば、大瀧さんが「多少の路線変更のきざしがあった」としてかけられたバディ・ホリーの「It Doesn't Matter Anymore」と同じ日(1958年10月21日)にニュー・ヨークで録音された曲を調べてみると、ちょっと驚いてしまう。
「True Love Ways」、「Raining In My Heart」、「Moondreams」。「It Doesn't Matter Anymore」とともに好きな曲ばかり。バックのストリングスを交えたサウンドも含めて、「きざし」どころか、もうポップスそのもの。

そしてもう一つの驚きは、この日のギターを弾いているのが、なんとアル・カイオラ。バディ・ホリーに関しては「Rave On」以来の再登場。「True Love Ways」、「It Doesn't Matter Anymore」、「Raining In My Heart」、「Moondreams」で、バイオリンのピチカートとともにロマンティックなギターの音色を奏でていたのはアル・カイオラだったんですね。
バディ・ホリーの「神話」よりも、その神話の影で60年代ポップスへのつなぎをしていたアル・カイオラというギタリストにたまらなく魅力を感じてしまう。


by hinaseno | 2012-09-09 12:31 | 音楽 | Comments(0)

今朝、時間がなくて確認できなかった、昨日の「大瀧詠一のアメリカン・ポップス伝パート2」第5夜でかかったアル・カイオラというギタリストが独特のギター・フレーズを弾いている曲がすべてわかりましたので改めて紹介を。

ただ、その前にアル・カイオラがギターを弾いている曲がかかる前の段階から少しくわしく説明する必要があります。

まず、ドゥー・ワップにラテン・フレーヴァーを取り入れた曲としてターバンズの「When You Dance」(1955)がかかります。


これが大ヒットしたので、このタイプのサウンドが流行したということで、次のような同タイプのドゥーワップがかかかります。

フォー・ラヴァーズ「You're The Apple Of My Eye 」(1956)


グラジオラス「Little Darlin'」(1957)


同じ「Little Darlin'」をカナダ出身のダイヤモンズがカバー(1957)


そして、このサウンドのラインを受け継いで、ダイヤモンズと同じカナダ出身の14歳のポール・アンカが1957年7月に自作の曲でデビュー。それが「ダイアナ」。


この「ダイアナ」という曲のユニークなところとして、それまで打楽器がやっていたリズムの部分をギターが担当してメロディーをつけていたということを大瀧さんは指摘します。ドンドコランカンランタンタンタンというフレーズですね。
このフレーズを弾いていたのがアル・カイオラ。

で、彼は他のシンガーのセッションでもこのフレーズをじゃんじゃん弾くことに。
こんな曲が次々とかかります。
ボビー・ダーリンの「Dream Lover」(1959)


ニール・セダカの「Oh! Carol」(1959)


キャロル・キングの「Under the Stars」(1958)


ジャッキー・ウィルソンの「Lonely Teardrops」(1959)


クレスツの「The Angels Listened In」(1959)


ジミー・ジョーンズの「ステキなタイミング(Good Timin')」(1960)


ブライアン・ハイランドの「Four Little Heels (The Clickety Clack Song)」(1960)


そして最後に「極めつけは」という大瀧さんの紹介でアル・カイオラ自身の「峠の幌馬車(Wheels)」がかかります。


全部並べて聴いてみるとすごいですね。感動します。よくぞここまで、という感じです。
そして何より興味深かったのは、ロックンロールからポップスという移行期を、陰で、ユニークな形で支えていたアル・カイオラというギタリストの存在。こういう人、どこか惹かれてしまいます。

ドンドコランカンランタンタンタンというギター・フレーズ、他にもきっとあるはずだと思うので、またどこかで出会えたら楽しいですね。
by hinaseno | 2012-09-08 22:07 | 音楽 | Comments(0)

アル・カイオラ


アル・カイオラ。
この不思議な名前を初めて耳にしたのは今年になってからのことでした(初めて耳にしたときは、アルとカイオラの間で名前の切れ目があることすら知りませんでした)。
きっかけは、いつものことですが大瀧詠一さん。今年の春に放送された「スピーチ・バルーン」の小林旭特集の中でのこと。西部劇の音楽が日本の歌謡曲シーンに与えた影響を語られる中でかかったのが「落日のシャイアン」という曲でした。これがとにかく素晴らしかった。この曲のギターを弾いていたのがアル・カイオラだでした。



ジョン・フォードが作った最後の西部劇「シャイアン」の挿入歌。僕は西部劇の(遅れてきた)大ファンなのですが、まだ「シャイアン」は見たことがなかったので、この曲を聴いたのは初めてでした。

それから、しばらくしてアゲインの石川さんに「ゴー!ゴー!ナイアガラ」のリーバー=ストーラー特集を送っていただいて、リーバー=ストーラーの曲をいろいろと聴く日々が続いていたとき、大瀧さんの「ゴー!ゴー!ナイアガラ」ではかかっていませんでしたが、山下達郎さんの「サンデー・ソング・ブック」のリーバー=ストーラー特集でもかかったこのジョニー・マティスの歌う「An Open Fire」という曲のことを思い出しました。達郎さんと同じように、イギリスのエースから出たリーバー=ストーラーの作品集に入っていて、初めて聴いてあまりにも素晴らしくてびっくりした曲でした。そのギターを弾いていたのがアル・カイオラだと気づいたのでした。



で、昨日、フィリピン近海の地震のために放送が流れてしまったため1週間待たされることになった(結果的には幸せな1週間でしたが)大瀧さんの「アメリカン・ポップス伝パート2」の最終日を聴いてびっくりしました。自分にとって耳に馴染んだこの曲もあの曲も、ギターを弾いていたのはアル・カイオラだったんですね。

まずはボビー・ダーリンの「Queen of The Hop」。ボビー・ダーリンをロックン・ローラーとして決定づけた曲として。それからバディ・ホリーの「Rave On」のギターもアル・カイオラだと知ってさらにびっくり。大瀧さんはここでアル・カイオラはニューヨークにおける最初のロックンロール・ギタリストだと説明されます。

でも、驚きはその後に更に大きくなります。かかったのはポール・アンカの「Diana」。ここで印象的なギター・フレーズを弾いているのがアル・カイオラ。ちなみにこの曲のプロデューサーはドン・コスタ。
ここから、そのギター・フレーズの使われた曲が次から次にかかります。これがもうすごすぎて言葉になりませんでした。そういえば同じようなフレーズだったなと後でわかったことばかり。
ボビー・ダーリンの「Dream Lover」、そしてニール・セダカの「Oh! Carol」。
実は僕は今回のポップス伝パート2の最後の曲は、このニール・セダカの「Oh! Carol」だと、勝手に予想していたのですが、こんな形で出てくるとは思ってもいませんでした。
それからキャロル・キングの「Under the Stars」、クレスツの「The Angels Listened In」、九ちゃんのカバーでも有名なジミー・ジョーンズの「ステキなタイミング」、ブライアン・ハイランドの「Four Little Heels (The Clickety Clack Song)」などが続けさまにかかります。もう本当に言葉を失いました。(ベリー・ゴーディーが作った曲と、「極めつけは」という大瀧さんの言葉とともにかかった曲はわかりませんでしたので、あとで調べます)

大瀧さんはここで改めて「このサウンドが60年代ポップスということになったんですね、で、原点が『ダイアナ』でドン・コスタでアル・カイオラだったと」と語られます。なんとなくアル・カイオラは地味に映画音楽やジャズの分野でギターを弾いているだけの人かと思っていましたが、全然そんなことなかったんですね。
60年代ポップスというと、どうしてもスペクターのレッキング・クルーの方に目がいってしまいがちですが、アル・カイオラというギタリストの存在は驚きの"再"発見でした(今回は結局、スペクターの「ス」の字も出ませんでした。出てきそうなところはいくつもあったのですが)。

改めてアル・カイオラがギターを弾いている60年代ポップスをネットでチェックしてみたら、めくるめくような素晴らしい曲のオンパレード。
どうやら今年の残りは、音楽の分野ではアル・カイオラを探索する日々が続きそうです。
とっても楽しみですね。

大瀧さんに心から感謝します。

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by hinaseno | 2012-09-08 08:47 | 音楽 | Comments(0)

  One Say Goodbye


先日、作詞家のハル・デイヴィッドが亡くなりました。91歳だったんですね。
彼の名前を知ったのは、もちろんその相棒の作曲者であるバート・バカラック経由。

僕が初めてバカラックに関心を持ったのは1982〜3年の頃でしょうか。
大瀧さんの『ロング・バケイション』を聴いてアメリカン・ポップスに目覚め、
大瀧さん関連の本を読みあさる中で、そこに登場する様々なミュージシャンのことを調べる日々が続いていた頃のこと。もちろんパソコンもYouTubeもない時代。
当時はキャロル・キングすら知りませんでした。

今でこそバカラックに関するCDは、日本独自のものも含めて、あふれるほどたくさん出ていますが、当時、僕が探し始めた頃、バカラックに関するレコードは全くと言っていいほどありませんでした。

初めてバカラックのことをきちんと聴くことができたのは、達郎さんのラジオ番組、「サウンドストリート」のバカラック特集でした。放送日は1986年2月6日。
その中でたぶん達郎さんは作詞家であるハル・デイヴィッドのこと、彼の詞の素晴らしさに触れ、「だれかハル・デイヴィッド詩集、出してくれないかな」と言ったことを記憶しています。記憶違いかもしれませんが。

でも、僕はその言葉をずっと心に留めていて、普通は全くと言っていいほど歌詞のことは意識せずにに音楽を聴いているのですが、ハル・デイヴィッドが詞を書いたバカラックの曲だけは詞を意識して聴くようにしました。
といっても、バカラック関連のCDが出始めるのは80年代の後半になってのこと。ということで、僕は達郎さんの特集のテープを何度も何度も聴いていました。

その特集でかかった曲の中で最も気に入ったのがロジャー・ニコルス&スモール・サークル・オブ・フレンズの『Don't Go Breaking My Heart』という曲でした。



この曲でロジャー・ニコルスを初めて知りました。そして、あまりにもすばらしいこの曲の詞を一生懸命聴き取りました。もちろんほとんど聴き取れなかったのですが。
実際の歌詞がわかったのはロジャー・ニコルスのCDが出てのことでした。

この曲の詞の素晴らしいのは何度か繰り返される"One....doesn't〜"の部分。
「1つの...があったからといって〜になるわけではない」という表現が素晴らしいですね。
女性であるメリンダのリード・ボーカルで歌われるので、女性の言葉で訳してみます。

One drop of rain doesn't make the sun run away
(一粒の雨の滴が落ちてきたからといって、太陽を追いやってしまうわけではないでしょう)
One falling leaf doesn't make September in May
(一枚の葉っぱが落ちてきたからといって、5月を9月に変えてしまうわけではないでしょう)

で、この2つの喩えの後に出てくるのが次のフレーズです。

One say goodbye doesn't mean we can't love again
(1言さよならと口にしたからといって、私たちが二度と愛し合えないってことにはならないでしょう)

この3つ目の"One"が出てくる瞬間がたまらなく好きです。
別れを認めたくない未練がましい気持ち、といえばそれまでですが、とってもいい詞ですね。

ハル・デイヴィッドが詞を書いたバカラックの曲としては、フィフス・ディメンジョンが歌った「One Less Bell To Answer」という曲も"One"が効果的に使われます。

One less bell to answer
One less egg to fry
One less man to pick up after

1つ少なくなった、返事をしなくちゃいけない呼び鈴
1つ少なくなった、焼かなくちゃいけない目玉焼
1つ少なくなった、かまってあげなくちゃいけない男

曲の最後の方で"One less egg to fry"が女性の声で繰り返されるところが泣けます。

ハル・デイヴィッドの書く詞はほとんどがブロークン・ラブ・ソングですが、一口に「ブロークン」と言ってもいろんな様相がありますね。小さな亀裂から修復不能な破壊、そして破壊の後のからっぽになった(emptyな)風景まで。
そのいろんな様相をハル・デイヴィッドは描いています。

ハル・デイヴィッドの詞を集めた本が海外で出版されていたことを数年前、小西康陽さんの本で知りました。「What the World Needs Now and Other Love Songs」と題された本。1968年に出版されています。
収録されている曲目は全部で62曲。バカラックとのコンビによる曲がほとんどですが、何曲かは別の作曲者が書いたものもあります。
ハル・デイヴィッドは前書きと、ところどころに曲の解説も書いています。バカラック=デイヴィッドの曲を最も数多く歌ったディオンヌ・ワーヴィックが序文を書いています。

いつかこの詩集が訳されて日本で出版されることを願っています。

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by hinaseno | 2012-09-06 11:56 | 音楽 | Comments(0)