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by hinaseno
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カテゴリ:音楽( 466 )



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先日放送された大瀧さんのアメリカン・ポップス伝パート2で、アル・カイオラとともに魅かれるようになったミュージシャンがいました。
キング・カーティス。
もちろん名前を目にしたことは何度もありましたが、これまで特に気にとめて聴くこともありませんでした。

ポップス伝パート2の第4夜、リーバー=ストーラーの話の流れから、1958年3月から始まったコースターズのニューヨーク録音の話題になります。最初のナンバーワンヒットとなったのが「Yarkety Yak」(=おしゃべりという意味のスラングなんですね)。R&Bでも1位、ポップ・チャートでも1位。
この曲を紹介するときに大瀧さんはこう言いました。

「サックスはキング・カーティス。ここからニューヨークのコースターズ・サウンドが始まりました」

これに続いてキング・カーティスがサックスを吹いているコースターズの曲が2曲かかります。まずは「Charlie Brown」。

次に「Along Came Jones」。同名のゲイリー・クーパー主演の少しコミカルな西部劇からテーマをいただいているんですね。

このあと、もう1曲コースターズの「Poison Ivy」という曲がかかりますが、この曲ではキング・カーティスのサックスは聴こえてきません(クレジットにはありますが)。
これらはすべてリーバー=ストーラーの曲。ニューヨークのアトランティック・スタジオで録音されています。

この少し前、同じニューヨークのキャピトル・スタジオでコースターズはリーバー=ストーラーの曲を2曲録音しています。
まずは「Dance!」。と思ったのですがYouTubeに音源がないですね。
それから次に、「Gee, Golly」。

この2曲でギターを弾いているのがアル・カイオラ。
このあとアル・カイオラはアトランティック・スタジオにも行ってこの「Run Red Run」という曲でギターを弾いています。そしてこの曲でサックスを吹いているのがキング・カーティス。


アル・カイオラとキング・カーティスは、少なくともコースターズに関してはこの曲が初競演。ロックンロールからポップスへの移行期のニューヨークのサウンドにこの2人が深く関わっているんですね。
コースターズに関してはもう1曲「I'm A Hog For You」という曲で2人が共演している可能性があるみたいですが、アル・カイオラがギターを弾いているかどうかが確かではないようです。

ただ、アトランティックでは他に何曲かこの2人が共演した曲があります。
例えば、ラヴァーン ・ベイカーのこの「I Cried A Tear」という曲。イントロにポロンと弾かれるギターの響き。カイオラの奏でるギターの響きの中で最も好きです。


特定のアーティストのバックではなく、この2人で一緒に演奏しているものもあるみたいですね。
気があったんでしょうか。
少なくともアル・カイオラは才能のある人としかやらないみたいですから、キング・カーティスの演奏能力を高く評価していたんでしょうね。

最後に、このキング・カーティスの曲。ギターを演奏している人を確認できなかったのですが、どこかで聴いたことのある「あのフレーズ」がでてきますね。間違いなくアル・カイオラでしょう。

by hinaseno | 2012-09-20 13:46 | 音楽 | Comments(0)

少し前に、今年の後半はアル・カイオラだと書きました。
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僕はいろんな音楽が好きなのですが、最も好きな音楽のジャンルは、と問われれば、やはり60年代のアメリカン・ポップスということになります。この道を開いてくれたのが大瀧詠一さんであったことは言うまでもありません。

前に書いたことの繰り返しになりますが、先日放送された大瀧さんの「アメリカン・ポップス伝パート2」では、驚くような形でアル・カイオラの名前が出てきました。
その最終回で大瀧さんは60年代ポップスのサウンドの原点はポール・アンカの『ダイアナ』と、その曲のプロデューサーのドン・コスタと、その曲の特徴的なギターを弾いていたアル・カイオラだったと語りました。
番組では前にリンクしたように、アル・カイオラが特徴的なギター・フレーズを弾いた曲(例の「ドンドコランカンランタンタンタン」ですね)がいくつもかかりました。

この日から僕のアル・カイオラをさがす日々が始まりました。ラッキーなことにウィキペディアにはアル・カイオラがギターを弾いた曲が何曲も掲載されていました。http://en.wikipedia.org/wiki/Al_Caiola#Partial_studio_recordings_list
が、このリストをいろいろチェックしていくうちに、いくつか絶対に違うはずの曲も含まれていることもわかりました。
まず、最初に気がついたのがジュリー・ロンドンの「Lonely Girl」。

1本のギターを伴奏に歌われるこの曲。とっても素敵な曲で昔から大好きでした。でも、実はギターを弾いているのはアル・カイオラ(Al Caiola)ではなくアル・ヴィオラ(Al Viola)という人。紛らわしいですね。アルファベット1文字の違いです。
ウィキペディアのリストには、ジュリー・ロンドンの「Remember」という曲も書かれていますが、これも「Lonely Girl」と同じアルバムに収められたもので、やはり演奏者はアル・カイオラではなくアル・ヴィオラ。
その他、演奏者のクレジットがわかるもので、アル・カイオラの名前が確認できないものもいくつかありました(例えばニール・セダカの曲)。

どうやらあのリスト、あまり信用うをしないほうがいいのかもしれません(もともと、ウィキペディアに書かれていることを信用する方が誤りなのですが)。そして、実際にはアル・カイオラが演奏しているのに、あのリストには載っていない曲が多々あることはいうまでもありません。
ということで、結局はこつこつと、自分の目と耳でさがすことが必要であることがわかりました。
もちろん、その方が何倍も楽しいですからね。

さて、アル・カイオラをさがす旅(考えてみると僕はいろんな人や、いろんなものや、いろんな場所を探しています)。最初のポイントにしようと思ったのがドン・コスタ。「ダイアナ」のプロデューサー、アレンジャーですね。特に50年代後半から60年代初頭にかけて彼がプロデュース、あるいはアレンジをしたもの。このあたりから入ってみようと思いました。

で、この時期ドン・コスタがプロデュースをしていたミュージシャンとしてまず出てきたのがティーブ・ローレンスとイーディー・ゴーメ。この夫婦について調べていたらすぐにイーディー・ゴーメの1963年のアルバム『恋はボサノヴァ(Blame It On The Bossa Nova)』のギターをアル・カイオラが弾いていることがわかりました。ただし、このアルバムにはドン・コスタは関わっていなかったのですが。
タイトル曲の「恋はボサノヴァ」を作ったのはバリー・マンとシンシア・ウェイルですね。タイトルはボサノヴァですが、アル・カイオラのギター・フレーズは全然ボサノヴァじゃないですね。

この曲を下敷きにして大瀧さんは『恋はメレンゲ』という曲を作りました。

メレンゲなんて音楽があること、この曲で知りました。
ボサノヴァもメレンゲもラテンの音楽ですけど、違いがおもしろいですね。といいつつ、原曲は全然ボサノヴァとはいえないのですが。
大瀧さんの『恋はメレンゲ』はのちに、大瀧さんがプロデュースしたシリア・ポールもカバーしています。先日、僕に起こった奇跡のような出来事のきっかけとなったシリア・ポールさんですね。

さて、ドン・コスタがらみのスティーブ・ローレンス、イーディー・ゴーメの曲をいろいろ探っていたら、いくつか気になる曲が。といっても、それらの曲を収めているCDには演奏者のクレジットが書かれていないので確かなことは言えないのですが、でも何となく耳が反応するようになってきました。
まずはスティーブ・ローレンスの1960年のこの『Pretty Blue Eyes』。かのテディ・ランダッツォの曲ですね。この曲、どこかで聞き覚えのあるギター・フレーズが聴こえてきます。例の「ドンドコランカンランタンタンタン」ですね。これはまちがいなくアル・カイオラのはず。

とすると、同時期に録音されたスティーブ・ローレンスのこの『Footsteps』に聴こえてくるギターの音もやはりアル・カイオラのような気がしてきます。果たして。


それからドン・コスタがプロデュース、アレンジしたイーディー・ゴーメの1958年の『Love Is A Season』に収められたこの「September Song」という曲のギターも気になります。ヴァースのあとに出てくるギターの音色が、ジョニー・マティスの『Open Fire, Two Guitars』に聴かれるものに似ている気がします。

僕の持っているCDのライナーの解説を書いている人も「それにしてもこのギタリスト、いったいだれなんだろう」と言っています。できたら調べてほしかったですね。
同アルバムにはもう1曲ギターを伴奏にして歌われる「When The Wind Was Green」もあり、そちらも大好きです。
果たしてこのギターを弾いているのはアル・カイオラなんでしょうか。僕にはまだ聞き分ける耳ができていません。
by hinaseno | 2012-09-19 14:44 | 音楽 | Comments(0)

1973年に公開された、1962年夏のカリフォルニアの町を舞台にした映画『アメリカン・グラフィティ』にとても印象的な場面があります。
走り屋のジョンの黄色い車(32年型フォード・デュース・クーペ)にたまたま乗り込むことになった女の子(たぶん中学生)、キャロル(マッケンジー・フィリップス)と交わす会話。

カー・ラジオでビーチ・ボーイズのデビュー・シングル「Surfin' Safari」がかかる。


「Surfin' Safari」は1962年6月発売、8月にはポップチャートで14位になっている。まさにリアルタイムでヒットしていた頃の町の様子を描いているわけですね。

さて、その「Surfin' Safari」を聴いたジョンは"Oh,shit!"と吐き捨てるように言ってラジオのスイッチを切る。
こんな会話が続く。
Carol: Why did you do that?(なんでそんなことするのよ?)
John: I don't like that surfin' shit.(サーフィンなんてくそくらえだ)
そしてこの後ジョンの口から次の言葉が語られる。

Rock and roll's been going downhill ever since Buddy Holly died.
(バディ・ホリーが死んで、ロックンロールは終わってしまったんだよ)
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二人の音楽についての会話はもう少し続く。
Carol: Don't you think the Beach Boys are boss?(ビーチ・ボーイズは最高だって思わない?)
John: You would, you grungy little twerp.(おまえみたいな薄汚いバカなガキがそう思うだけさ)
Carol: Grungy!(薄汚いって!)

この場面でジョンが語った言葉、実は英語の字幕で確認したのは今回が初めて。"going downhill"という表現が使われていたんですね。
普通は「バディ・ホリーが死んで、ロックンロールは終わったんだ」とか、「バディ・ホリーが死んで、ロックンロールは死んだんだ」と訳されていますが、この言葉はロックンロールの歴史の1つの真実として後々ずっと語られるようになったようです。

今回、大瀧さんの「アメリカン・ポップス伝パート2」がどうやら1959年で終わりそうだとわかったとき、僕は最終日のどこかで必ずこの言葉のことが語られることになるだろうと思っていました。なぜならば1959年はまさにバディ・ホリーの亡くなった年だったからです。
もしかしたら最後の最後にこの「バディ・ホリーが死んで...」が語られて、彼の屈指のバラード「True Love Ways」が今回の特集の締めの曲に使われるという展開になるのかな、と、いろいろと想像をめぐらせていました。

そして1週間待たされた最終日、番組の中ほどで、バディ・ホリーの1958年10月に録音されたこの「It Doesn't Matter Anymore」という曲をかけたあとに「バディ・ホリーが死んで、...」の話が出てきます。


バディ・ホリーの「It Doesn't Matter Anymore」がかかった後に語られた大瀧さんの言葉をそのまま引用します。
「言っときますが、これ、悪くないんですね。これはこれでバディ・ホリーの特徴が出ていますよね。作曲は『ダイアナ』のポール・アンカでした。よく『バディ・ホリーが死んで、ロックンロールは死んだ』と言われますけど、もう58年暮れにホリー自身も多少の路線変更のきざしがあったんですね。ただ、59年に音楽キャリアを閉じなければいけなかったので、ジョニー・バーネット、ジーン・ビンセント、エディ・コクランのように如実な変化が感じられる曲が存在していないというわけですね。これが神話として存在できる要因なのではないかというふうに皮肉屋である私は見ております」
大瀧さんは、一般に通説として流布している言葉を否定するために、あえてご自分を「皮肉屋である私」と自嘲的に語られます。でも、この大瀧さんの見方は皮肉でも何でもないですね。「神話」はあくまで「神話」であって、もし仮にバディ・ホリーが生き続けていれば、彼は間違いなくポップスの道を歩んでいただろうと思います。

大瀧さんはもう少し言葉を続けます。
「1956年に始まったロックンロール時代は、59年に幕を閉じたというわけです。どうしてこうなったかは諸説あるのですが、私はエルヴィスの徴兵が一番大きかったと考えています。1957年の12月20日にエルヴィスに徴兵命令が届きます。で、翌58年の3月に入隊しました。(中略)キングの不在でロックンロール・シーンにぽっかりと穴が空いたということは否めない事実だと思うんですね。で、その証拠といえるかどうかはわかりませんが、58年の夏以降、それまで日常茶飯事のように続いていた3部門制覇、この記録が突然に途絶えるんです。で、59年にはゼロになりました。エルヴィス入隊だけがロックの退潮の全ての原因だとは言いませんが、ただエルヴィスの入隊とポップス系アーティストが大挙して登場したのは、同じ1958年であったわけです」

このあと、おそらく僕のように生半可で偏見に満ちた知識しか持っていない音楽ファンにとってあっと驚くアーティストが出てきます。パット・ブーン。でも、それについて語り始めると話が長くなりすぎるのでまた後日。

そういえば、大瀧さんが「多少の路線変更のきざしがあった」としてかけられたバディ・ホリーの「It Doesn't Matter Anymore」と同じ日(1958年10月21日)にニュー・ヨークで録音された曲を調べてみると、ちょっと驚いてしまう。
「True Love Ways」、「Raining In My Heart」、「Moondreams」。「It Doesn't Matter Anymore」とともに好きな曲ばかり。バックのストリングスを交えたサウンドも含めて、「きざし」どころか、もうポップスそのもの。

そしてもう一つの驚きは、この日のギターを弾いているのが、なんとアル・カイオラ。バディ・ホリーに関しては「Rave On」以来の再登場。「True Love Ways」、「It Doesn't Matter Anymore」、「Raining In My Heart」、「Moondreams」で、バイオリンのピチカートとともにロマンティックなギターの音色を奏でていたのはアル・カイオラだったんですね。
バディ・ホリーの「神話」よりも、その神話の影で60年代ポップスへのつなぎをしていたアル・カイオラというギタリストにたまらなく魅力を感じてしまう。


by hinaseno | 2012-09-09 12:31 | 音楽 | Comments(0)

今朝、時間がなくて確認できなかった、昨日の「大瀧詠一のアメリカン・ポップス伝パート2」第5夜でかかったアル・カイオラというギタリストが独特のギター・フレーズを弾いている曲がすべてわかりましたので改めて紹介を。

ただ、その前にアル・カイオラがギターを弾いている曲がかかる前の段階から少しくわしく説明する必要があります。

まず、ドゥー・ワップにラテン・フレーヴァーを取り入れた曲としてターバンズの「When You Dance」(1955)がかかります。


これが大ヒットしたので、このタイプのサウンドが流行したということで、次のような同タイプのドゥーワップがかかかります。

フォー・ラヴァーズ「You're The Apple Of My Eye 」(1956)


グラジオラス「Little Darlin'」(1957)


同じ「Little Darlin'」をカナダ出身のダイヤモンズがカバー(1957)


そして、このサウンドのラインを受け継いで、ダイヤモンズと同じカナダ出身の14歳のポール・アンカが1957年7月に自作の曲でデビュー。それが「ダイアナ」。


この「ダイアナ」という曲のユニークなところとして、それまで打楽器がやっていたリズムの部分をギターが担当してメロディーをつけていたということを大瀧さんは指摘します。ドンドコランカンランタンタンタンというフレーズですね。
このフレーズを弾いていたのがアル・カイオラ。

で、彼は他のシンガーのセッションでもこのフレーズをじゃんじゃん弾くことに。
こんな曲が次々とかかります。
ボビー・ダーリンの「Dream Lover」(1959)


ニール・セダカの「Oh! Carol」(1959)


キャロル・キングの「Under the Stars」(1958)


ジャッキー・ウィルソンの「Lonely Teardrops」(1959)


クレスツの「The Angels Listened In」(1959)


ジミー・ジョーンズの「ステキなタイミング(Good Timin')」(1960)


ブライアン・ハイランドの「Four Little Heels (The Clickety Clack Song)」(1960)


そして最後に「極めつけは」という大瀧さんの紹介でアル・カイオラ自身の「峠の幌馬車(Wheels)」がかかります。


全部並べて聴いてみるとすごいですね。感動します。よくぞここまで、という感じです。
そして何より興味深かったのは、ロックンロールからポップスという移行期を、陰で、ユニークな形で支えていたアル・カイオラというギタリストの存在。こういう人、どこか惹かれてしまいます。

ドンドコランカンランタンタンタンというギター・フレーズ、他にもきっとあるはずだと思うので、またどこかで出会えたら楽しいですね。
by hinaseno | 2012-09-08 22:07 | 音楽 | Comments(0)

アル・カイオラ


アル・カイオラ。
この不思議な名前を初めて耳にしたのは今年になってからのことでした(初めて耳にしたときは、アルとカイオラの間で名前の切れ目があることすら知りませんでした)。
きっかけは、いつものことですが大瀧詠一さん。今年の春に放送された「スピーチ・バルーン」の小林旭特集の中でのこと。西部劇の音楽が日本の歌謡曲シーンに与えた影響を語られる中でかかったのが「落日のシャイアン」という曲でした。これがとにかく素晴らしかった。この曲のギターを弾いていたのがアル・カイオラだでした。



ジョン・フォードが作った最後の西部劇「シャイアン」の挿入歌。僕は西部劇の(遅れてきた)大ファンなのですが、まだ「シャイアン」は見たことがなかったので、この曲を聴いたのは初めてでした。

それから、しばらくしてアゲインの石川さんに「ゴー!ゴー!ナイアガラ」のリーバー=ストーラー特集を送っていただいて、リーバー=ストーラーの曲をいろいろと聴く日々が続いていたとき、大瀧さんの「ゴー!ゴー!ナイアガラ」ではかかっていませんでしたが、山下達郎さんの「サンデー・ソング・ブック」のリーバー=ストーラー特集でもかかったこのジョニー・マティスの歌う「An Open Fire」という曲のことを思い出しました。達郎さんと同じように、イギリスのエースから出たリーバー=ストーラーの作品集に入っていて、初めて聴いてあまりにも素晴らしくてびっくりした曲でした。そのギターを弾いていたのがアル・カイオラだと気づいたのでした。



で、昨日、フィリピン近海の地震のために放送が流れてしまったため1週間待たされることになった(結果的には幸せな1週間でしたが)大瀧さんの「アメリカン・ポップス伝パート2」の最終日を聴いてびっくりしました。自分にとって耳に馴染んだこの曲もあの曲も、ギターを弾いていたのはアル・カイオラだったんですね。

まずはボビー・ダーリンの「Queen of The Hop」。ボビー・ダーリンをロックン・ローラーとして決定づけた曲として。それからバディ・ホリーの「Rave On」のギターもアル・カイオラだと知ってさらにびっくり。大瀧さんはここでアル・カイオラはニューヨークにおける最初のロックンロール・ギタリストだと説明されます。

でも、驚きはその後に更に大きくなります。かかったのはポール・アンカの「Diana」。ここで印象的なギター・フレーズを弾いているのがアル・カイオラ。ちなみにこの曲のプロデューサーはドン・コスタ。
ここから、そのギター・フレーズの使われた曲が次から次にかかります。これがもうすごすぎて言葉になりませんでした。そういえば同じようなフレーズだったなと後でわかったことばかり。
ボビー・ダーリンの「Dream Lover」、そしてニール・セダカの「Oh! Carol」。
実は僕は今回のポップス伝パート2の最後の曲は、このニール・セダカの「Oh! Carol」だと、勝手に予想していたのですが、こんな形で出てくるとは思ってもいませんでした。
それからキャロル・キングの「Under the Stars」、クレスツの「The Angels Listened In」、九ちゃんのカバーでも有名なジミー・ジョーンズの「ステキなタイミング」、ブライアン・ハイランドの「Four Little Heels (The Clickety Clack Song)」などが続けさまにかかります。もう本当に言葉を失いました。(ベリー・ゴーディーが作った曲と、「極めつけは」という大瀧さんの言葉とともにかかった曲はわかりませんでしたので、あとで調べます)

大瀧さんはここで改めて「このサウンドが60年代ポップスということになったんですね、で、原点が『ダイアナ』でドン・コスタでアル・カイオラだったと」と語られます。なんとなくアル・カイオラは地味に映画音楽やジャズの分野でギターを弾いているだけの人かと思っていましたが、全然そんなことなかったんですね。
60年代ポップスというと、どうしてもスペクターのレッキング・クルーの方に目がいってしまいがちですが、アル・カイオラというギタリストの存在は驚きの"再"発見でした(今回は結局、スペクターの「ス」の字も出ませんでした。出てきそうなところはいくつもあったのですが)。

改めてアル・カイオラがギターを弾いている60年代ポップスをネットでチェックしてみたら、めくるめくような素晴らしい曲のオンパレード。
どうやら今年の残りは、音楽の分野ではアル・カイオラを探索する日々が続きそうです。
とっても楽しみですね。

大瀧さんに心から感謝します。

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by hinaseno | 2012-09-08 08:47 | 音楽 | Comments(0)

  One Say Goodbye


先日、作詞家のハル・デイヴィッドが亡くなりました。91歳だったんですね。
彼の名前を知ったのは、もちろんその相棒の作曲者であるバート・バカラック経由。

僕が初めてバカラックに関心を持ったのは1982〜3年の頃でしょうか。
大瀧さんの『ロング・バケイション』を聴いてアメリカン・ポップスに目覚め、
大瀧さん関連の本を読みあさる中で、そこに登場する様々なミュージシャンのことを調べる日々が続いていた頃のこと。もちろんパソコンもYouTubeもない時代。
当時はキャロル・キングすら知りませんでした。

今でこそバカラックに関するCDは、日本独自のものも含めて、あふれるほどたくさん出ていますが、当時、僕が探し始めた頃、バカラックに関するレコードは全くと言っていいほどありませんでした。

初めてバカラックのことをきちんと聴くことができたのは、達郎さんのラジオ番組、「サウンドストリート」のバカラック特集でした。放送日は1986年2月6日。
その中でたぶん達郎さんは作詞家であるハル・デイヴィッドのこと、彼の詞の素晴らしさに触れ、「だれかハル・デイヴィッド詩集、出してくれないかな」と言ったことを記憶しています。記憶違いかもしれませんが。

でも、僕はその言葉をずっと心に留めていて、普通は全くと言っていいほど歌詞のことは意識せずにに音楽を聴いているのですが、ハル・デイヴィッドが詞を書いたバカラックの曲だけは詞を意識して聴くようにしました。
といっても、バカラック関連のCDが出始めるのは80年代の後半になってのこと。ということで、僕は達郎さんの特集のテープを何度も何度も聴いていました。

その特集でかかった曲の中で最も気に入ったのがロジャー・ニコルス&スモール・サークル・オブ・フレンズの『Don't Go Breaking My Heart』という曲でした。



この曲でロジャー・ニコルスを初めて知りました。そして、あまりにもすばらしいこの曲の詞を一生懸命聴き取りました。もちろんほとんど聴き取れなかったのですが。
実際の歌詞がわかったのはロジャー・ニコルスのCDが出てのことでした。

この曲の詞の素晴らしいのは何度か繰り返される"One....doesn't〜"の部分。
「1つの...があったからといって〜になるわけではない」という表現が素晴らしいですね。
女性であるメリンダのリード・ボーカルで歌われるので、女性の言葉で訳してみます。

One drop of rain doesn't make the sun run away
(一粒の雨の滴が落ちてきたからといって、太陽を追いやってしまうわけではないでしょう)
One falling leaf doesn't make September in May
(一枚の葉っぱが落ちてきたからといって、5月を9月に変えてしまうわけではないでしょう)

で、この2つの喩えの後に出てくるのが次のフレーズです。

One say goodbye doesn't mean we can't love again
(1言さよならと口にしたからといって、私たちが二度と愛し合えないってことにはならないでしょう)

この3つ目の"One"が出てくる瞬間がたまらなく好きです。
別れを認めたくない未練がましい気持ち、といえばそれまでですが、とってもいい詞ですね。

ハル・デイヴィッドが詞を書いたバカラックの曲としては、フィフス・ディメンジョンが歌った「One Less Bell To Answer」という曲も"One"が効果的に使われます。

One less bell to answer
One less egg to fry
One less man to pick up after

1つ少なくなった、返事をしなくちゃいけない呼び鈴
1つ少なくなった、焼かなくちゃいけない目玉焼
1つ少なくなった、かまってあげなくちゃいけない男

曲の最後の方で"One less egg to fry"が女性の声で繰り返されるところが泣けます。

ハル・デイヴィッドの書く詞はほとんどがブロークン・ラブ・ソングですが、一口に「ブロークン」と言ってもいろんな様相がありますね。小さな亀裂から修復不能な破壊、そして破壊の後のからっぽになった(emptyな)風景まで。
そのいろんな様相をハル・デイヴィッドは描いています。

ハル・デイヴィッドの詞を集めた本が海外で出版されていたことを数年前、小西康陽さんの本で知りました。「What the World Needs Now and Other Love Songs」と題された本。1968年に出版されています。
収録されている曲目は全部で62曲。バカラックとのコンビによる曲がほとんどですが、何曲かは別の作曲者が書いたものもあります。
ハル・デイヴィッドは前書きと、ところどころに曲の解説も書いています。バカラック=デイヴィッドの曲を最も数多く歌ったディオンヌ・ワーヴィックが序文を書いています。

いつかこの詩集が訳されて日本で出版されることを願っています。

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by hinaseno | 2012-09-06 11:56 | 音楽 | Comments(0)