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by hinaseno
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カテゴリ:音楽( 469 )



今日は土用の丑の日、ということでうなぎの蒲焼きを食べる予定ですが、久しぶりにフランス・ギャルを聴いていたら無性に生姜焼きが食べたくなってしまいました。

聴いていたのは昨日紹介したEPのB面1曲目に収録されたこの「Mes Premières Vraies Vacances」という曲。邦題は「はじめてのヴァカンス」。


昔、知り合いに連れて行ってもらったある飲食店で、その店の一番のおすすめになっていた生姜焼きを食べたらめちゃくちゃ美味しくて、それから週に一度はその店に行って必ず生姜焼きを食べるようになりました。店の人も僕の顔を覚えてからは、店に入ってこちらが注文を言う前に「生姜焼きですね」って言われるようになって。


フランス・ギャルにハマったのはそんな時期。もちろん後追い。ピチカート・ファイヴの小西さんの影響ですね。それまではといえばフランス・ギャルで知っていたのは「夢みるシャンソン人形」だけ。フランス・ギャルにハマきっかけになったのは「Jazz À Go Go(ジャズ・ア・ゴー・ゴー)」だったかな。それから「Y'A Du Soleil À Vendre(太陽をあげよう)」。なんておしゃれでかっこいいんだろうと。で、あの声であの顔だからハマらない方がおかしい。「La Cloche(ギターとバンジョーと鐘)」を聴いてびっくりしたのもその頃。

彼女の曲でとりわけ好きになったのが「はじめてのヴァカンス」でした。こればっかりリピートして聴いてました。

で、あるとき、フランス語の言葉の中に聴こえてきたんですね。あの言葉が。

「生姜焼き」

この音源の0:39から0:45にかけてのあたりで彼女は3回「生姜焼き」と言っています。はっきりと。




というわけでこの曲は僕の中で「生姜焼きソング」となったわけです。


でも、いつしかその生姜焼きをよく食べていた店にも行かなくなり、次第に生姜焼きを食べる回数も減り、フランス・ギャルも聴かなくなって曲のこともすっかり忘れていたんですが、今回、久しぶりに聴いて、生姜焼きを食べたくなったというわけです。

で、さっきうなぎの蒲焼きと生姜焼き用の肉を買ってきました。すごい夕食だ。


by hinaseno | 2019-07-27 16:07 | 音楽 | Comments(0)

昨日の朝、パソコンを開いてネットに接続したらジョアン・ジルベルトが亡くなったとの報を発見。一昨日の7月6日に亡くなったとのこと。

僕にとって最も大切なミュージシャンがまた一人亡くなりました。ジョアン・ジルベルトは大瀧さん、ブライアン・ウィルソンとならぶ最も大切なミュージシャンでした。

ジョアン・ジルベルトの音楽と出会ったのはたぶん1990年代前半。ちょうど彼の初期の3作を収めた『ジョアン・ジルベルトの伝説(The Legendary Joao Gilberto)』の日本盤が出た頃に、当時よく音楽の話をしていた知人がそれを見せてくれて、「なくならないうちに買ったほうがいいですよ」と助言してくれたんですね。でも、すぐに買わないでいたら彼の言葉通りあっという間になくなって、結局僕はこの輸入盤を買いました。

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このCDは確かジョアン・ジルベルトがCD化に反対している中で発売したんで、再プレスは絶対にできなくて、この輸入盤の方もあっという間になくなって、一時期、このCDにはとんでもない高値が付いていました。

とにかくこのCDをきっかけにしてボサノヴァの魅力にはまっていったんですが、結論的に言えばジョアン・ジルベルトにまさるものなし、でした。あのギターと歌は神としかいいようがないものでした。

で、『The Legendary Joao Gilberto』に収められた曲の中で一番気に入ったのがこの「Este Seu Olhar」。邦題は「まなざし」。アレンジはジョアン・ジルベルト。




2003年にジョアン・ジルベルトの東京公演があったときにもこの「Este Seu Olhar」が歌われたんですね。知人から誘われたんだけど行かなかった。後悔したな。

そういえばそのときのライブ、今年の3月に映画になって公開されて、ぜひ見たいと思っていたけど結局見れずじまい。DVDになってくれたらいいけど。ちなみにライブの音源はCDになっていてもちろん持っています。YouTubeにそのCDの音源、ありますね。




ところで僕が今持っているギターはヤマハが初めてボサノヴァ用に作ったものなんですが、確かジョアン・ジルベルトの日本公演の時に、ヤマハの人がジョアン・ジルベルトにそのギターを弾いてもらってジョアン・ジルベルトが「これは素晴らしい」と言ったとかって話を何かで読んで買ったんですね。今となってはほんとかどうかあやしいけど。

で、そのギターを手に入れて最初に弾いたのが「Este Seu Olhar」でした。今はもう消されてしまったけれど、当時、ネット上にジョアン・ベルトの主要な曲のTAB譜を載せた素晴らしいサイトがあったんですね。そこからダウンロードしてファイルに入れて毎日毎日この曲を弾き語りしていました。これがそのファイルの最初のページ。単語の下に読み方を書いていますね。ポルトガル語辞典を買って単語の発音を調べたんだ。

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そういえば吉田慶子さんという日本のボサノヴァ・シンガーを発見したきっかけもこの「Este Seu Olhar」という曲だったかもしれません。

「Este Seu Olhar」のカバーではなんといってもナラ・レオンの『美しきボサノヴァのミューズ』に収録されたバージョンが最高に素敵なんですが、いろいろとカバーを調べていたときに発見したのが吉田慶子さんが2007年に出したアルバム『コモ・ア・プランタ』に収録されていたものでした。「雨と休日」というサイトで買ったっけ。「Este Seu Olhar」以外の曲もすごくよくていっぺんに彼女のファンになりました。すでに出ていた『愛しいひと』の方も買って、で、2012年2月の姫路のライブに行ったんですね。


ところで2月ほど前に吉田慶子さんのことをブログに少し書いたときに、彼女の曲がすごく聴きたくなったのに、彼女のCDが全然見つからなかったんですね。『愛しいひと』は知人にあげたような気がしたけど、全部手放しているはずはないと、ありそうなところを探したけど見つからない。

で、昨日、ジョアン・ジルベルトの訃報を知り、彼のCDを集めた棚を見たら、なんと吉田慶子さんのCDが3枚まぎれこんでいたんですね。「Este Seu Olhar」の収録された『コモ・ア・プランタ』と『パレードのあとで』と『サンバ・カンソン』。

というわけで久しぶりに吉田慶子さんの歌う「Este Seu Olhar」を聴きながら『コモ・ア・プランタ』のブックレットを見たら、こんなコメントが。


ボサノヴァの法王ジョアン・ジルベルトの2003年の初来日コンサートで私が最も感激した曲でした。


吉田さん、やっぱりあのライブに行かれてたんだ。

ところでジョアン・ジルベルトの何枚かのアルバムのジャケットは面白いことに、顎に手を添えて物思いにふけっている写真が使われているんですね。そのまなざしは一体何を捉えているんだろう。

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「まなざし」といえば、ミシマガジンに連載されている松村圭一郎の「小さき者の生活誌」のこの回の、皇后美智子と石牟礼道子さんとのエピソードに出てくる「眼差し」の話に心が震えました。ぜひ読んでみてください。


by hinaseno | 2019-07-08 14:09 | 音楽 | Comments(0)

ゆっくりと読書する時間を持てない中、いろんな本を同時に読んでいて(一体何冊読んでいるんだろう)、昨日も新たに2冊。

まもなく平川克美さんの新刊(大好きな「路地裏」シリーズ)が出て、それから内田先生の新刊(自叙伝ということなので、下丸子に住んでいた頃の話が特に楽しみ)も出るので、同時読みの本がさらに増えることとなりそうです。

そんな中、ずっと読み続けているのが4月末に出た小西康陽さんの『私のビートルズ』。400ページを超える本で内容もたっぷりなので、1日に読めるのはせいぜい10ページくらい。でも、興味深い話がいっぱい。大瀧さんの話もそこかしこに出てきます。


さて、ずっと小西さんの本を読んでいるせいもあって、ちょこちょこ聴いているのが「小西康陽 これからの人生。」。小西さんの語りも、かかる音楽も今の心にしっくりとくるんですね。

で、昨日聴いたのが2010年6月30日にNHK-FMで放送された「これからの人生。」でした。この頃のラジオで放送されたものはMDに録音したこともあって、もう何年も聴いていなかったんですね。数年前にパソコンに音源をいくつか落としてはいましたが、今調べたら、作業は途中やめになっていました。最初の方はパソコンに落としたら、こんな風にジャケットを作ってCDの形にしていたのに、

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6月30日に放送されたものはジャケットは作っていたものの、CDにしていませんでした。


ところでパソコンに落としていないMDを見ていたらちょっと気になるものが。それは2011年7月27日に放送されたもの。MDのラベル(小さいんだよね)には「小西康陽 これからの人生 2011.7/27 片岡義男 ビーチ・」と。ああ、たぶんこれは片岡義男さんがゲストに来たときのもの。昔はよく読んでいた片岡義男さんも(角川文庫の赤い背表紙ものもは全部持っていました)いつしか読まなくなっていたんですが、この放送をきっかけにまたちょこちょこと読むようになったんですね。実は今『豆大福と珈琲』という短編集を読んでいるところ(先日、朝日新聞連載の鷲田先生の「折々のことば」に取り上げられたんですね)。

ところでMDに貼ったラベルの最後の「ビーチ・」って何だろう。また、CDに落として聴いてみなくては。でも、作業がかなりめんどくさいんだな。


さて、話は2010年6月30日に放送の「これからの人生。」。聴くのは本当に久しぶり。たぶん2010年6月30日に放送されて録音したものを一週間くらい聴いたきりではないかと思います。内容はすっかり忘れていました。

梅雨時期の特集ということで、最初に雨の曲がいくつかかかります。バカラックの「雨にぬれても」、それからプラターズが歌った「雨に唄えば」。で、次にかかったのブロッサム・ディアリーの「A Doodlin' Song」。これは雨の曲ではないけど「雨に唄えば」と曲調が似ているってことでかけたんでしょうか。

そして、さらに曲調が似ている曲がかかります。何と大瀧さんの「朝寝坊」。さすが小西さん。いい選曲、いい流れ。

この日のブログでも書きましたが「朝寝坊」はなんといってもクラリネットがポイント。小西さんもやはりクラリネットの話をします。クラリネットつながりで「空飛ぶくじら」の話も。「空飛ぶくじら」も小西さんは大好きな曲とのことなんですが、実は小西さんはクラリネットという楽器が苦手だったそうで、自分でアレンジをするときもずっと「避けていた」と。

そんな小西さんのクラリネットに対する偏見を見事に一瞬にして打ち砕いたのが2009年に行われたある音楽コンクールで演奏聴いたアマチュアのクラリネット・アンサンブルだったそうです。

「ちょっとおかしな名前なんですが」という前置きの後、そのグループが紹介されます。

グループの名は世田谷おぼっちゃまーず。

「世田谷○○○ズ(ず)」といえば、今となってはパッと浮かぶのは世田谷ピンポンズさんで、初めてその名前を聞いたときには変な名前だなと思ったものですが、ピンポンズさんと出会う前に「世田谷○○○ズ(ず)」の名前のグループを耳にしてたんですね。

ちなみに世田谷おぼっちゃまーずのサイトによれば、グループは世田谷学園吹奏楽部クラリネットパートOB6人によって結成され、グループ名は指導と楽曲提供をお願いしている世田谷学園吹奏楽部顧問・加藤雅之先生と、同クラリネットパート指導者・加藤純子先生ご夫妻の命名によるものだそうです。メンバーのパーソナリティーを体現した「これ以上のグループ名は考えられない」とは両氏のコメントである、とのこと。

世田谷学園、そしてグループということで「世田谷○○○ズ(ず)」の名前がつくことにはとりあえず問題はなさそう。


小西さんが彼らの演奏を聴いたというのは2009年の第2回ハルモニア杯音楽コンクールのようです。世田谷おぼっちゃまーずはバッハの「主よ、人の望みの喜びよ」をジャズっぽく演奏し、最高の賞であるハルモニア賞と、さらにフレンズ賞をダブル受賞しているんですね。これがそのときの写真。

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世田谷おぼっちゃまーずの活動は現在も続いているようですが、CDとかは出ていないようですね。番組で彼らの演奏する曲が何曲かかかっていますが、どれも素晴らしい演奏でした。

「世田谷○○○ズ(ず)」つながりということで世田谷おぼっちゃまーず、応援していこうと思います。


by hinaseno | 2019-07-02 16:53 | 音楽 | Comments(0)

大きなガラス窓に切り取られた夕暮れの街の、窓の下側の縁に沿ってひし形の構造物が数分ごとに現れてくる。右から左に、あるいは左から右に。ときには2つのひし形がすれ違うこともある。

そんな不思議な風景をバックにして彼女はアップライトピアノを弾きながら歌う。室内には巨大なスピーカー。それはかつて市内にあった「東京」という名の純喫茶に置かれていたもの。

何年か前、市内の純喫茶を調べていたときに、たまたま書店で見つけた純喫茶関係の本で「東京」という名の純喫茶が岡山市内にあることを知った。最高の純喫茶だと絶賛していたので、ぜひ行ってみようと思ってネットで場所を確認していたら、その直前くらいに閉店したことがわかった。残念すぎる話。

ただ、そこに置かれていた巨大なスピーカーが別の店に移されたことあとで知る。その店の名前は何度も目にしていたし、その店のあるビルにも何度か足を運んでいたものの、店には一度も入ったことがなかった。

場所はあの禁酒会館の見えるビルの二階。店の名は「サウダーヂな夜」。

「サウダーヂ」というのはポルトガル語で郷愁とか憧憬、あるいは切なさの意味を持つ言葉。ボサノヴァ好きの人でサウダーヂという言葉を知らない人はまずいない。

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寺尾紗穂さんのライブがここで行われることを知って即申し込みました。ライブが行われたのは6月1日。

でも、行けそうにないという状態になっていたんですね。ライブの5日ほど前にキャンセルを伝えるメールを書いて送信しかけたんですが、やはり無理してでも行こうと決めました。たぶん許してくれるだろうと。


僕が寺尾紗穂さんのライブに行くようになったのは紗穂さんのお父さんの寺尾次郎さんが亡くなったことがきっかけでした。次郎さんが亡くなられたのは昨年の6月6日。今回のライブは次郎さんの一周忌の直前でした。

昨年の1月末に平川克美さんの『21世紀の楕円幻想論』が出版されて、それを読み終えて間もない頃、たまたまネットの画像検索で寺尾紗穂さんの「楕円の夢」に出会います。曲を聴いたらとても素晴らしく、歌詞には平川さんの『21世紀の楕円幻想論』に重なる言葉がいくつも出てきていました。

さらに5月に牛窓を舞台にした想田和弘監督の『港町』が公開されて、そのパンフレットには平川さんと並んで寺尾紗穂さんのコメントも寄せられていたんですね(想田監督の前作『牡蠣工場』のパンフレットにも想田さんと寺尾紗穂さんの対談が載っていました)。

ということで寺尾紗穂さんへの興味が一気に高まって、彼女のことをいろいろと調べていた矢先に寺尾次郎さんが亡くなくなられました。ちょうどそのときに8月に彼女のライブが加古川であることを知って、行ったんですね。寺尾次郎さんが亡くなってからは2ヶ月ほど経っていましたが、その日のライブの直前に亡くなられた音楽ライターの吉原聖洋さんの話も出てきてライブの後半は2人にまつわる曲が歌われ、紗穂さんは何度も声を詰まらせていました。

ということで次郎さんが亡くなられてちょうど1年になる6月に岡山の、僕の大好きな場所で紗穂さんのライブが開かれることに不思議な縁を感じていました。まさかその直前に僕の父親が亡くなるとは思ってもいなかったんですが、そんなことにも縁を感じてしまいました。


その日聴けた中で一番うれしかったのは「夕まぐれ」。時間的にもぴったりでした。それから「あじさいの青」も。

で、初めて聴いた、つまりまだ持っていないCDからの曲も何曲か歌われたんですが、特によかったのは「残照」。すぐそばに座っていたカップルも「この曲いいねえ」と言っていました。

ということでライブの後には「残照」が収められたアルバム『残照』と、『わたしの好きなわらべうた』を購入。『残照』にはやはりその日のライブで歌われた「骨壷」も収められていました。骨壷を持ったばかりだったので、「あなたの骨壷持ちたかったな」と歌われ始めたときには、変な話ですが笑ってしまいました。

紗穂さんのCDはペットサウンズで何枚か買ったんですが、残りはライブで少しずつ買っていこうと決めてもうあと数枚でコンプリート。今回は『わたしの好きなわらべうた』は買うのを決めていて、もう一枚『たよりないもののために』か『残照』のどちらかを買おうと思ったんですが、結局『残照』に。

でもライブで『たよりないもののために』の「九年」という曲が、岡山の白石島で出会った少女のことを思い出して作った歌だと聴いて、どうしようかと悩んだんですが、『たよりないもののために』はまだ新しいのでなくならないと思って。

白石島は岡山の西の笠岡諸島の一つ。むか~し、海水浴に行きました。木山捷平の「尋三の春」に出てくる北木島の隣ですね。木山さんのエッセイか小説に白石島って出ているのかな。


ライブの最後、アンコールで紗穂さんが「何かリクエストありますか?」って言ったときに、紗穂さんと目が合ったんですね(合った気がしただけかもしれないけど)。もちろん聴きたい曲はいくつもあったんですが(たとえば冬にかわれての「耳をすまして」とか「yuraruyuruyura」とか「カンナ」とか「午睡」とか「ハイビスカスティー」とか)、でも声を出す勇気はありませんでした。


ライブの終了後、買ったCDにサインをもらうときに紗穂さんとちょっと会話。紗穂さんの方から声をかけてもらいました。

「先日の渋谷のライブに平川克美さんが来てくれたんですよ」

「知ってます。雑誌にそのときのこと、書かれていました」

「なんという雑誌ですか」

「『望星』という雑誌です。僕もちょこっと登場しています」


ピアノの前で歌う紗穂さんの背後を動いていたひし形は路面電車のパンタグラフ。僕が座った席からは車体は見えなくて、見えていたのはパンタグラフとそれが通っている電線でした。


「夕まぐれ」という曲には「電線」という言葉が出てきます。


 夕まぐれ 私ひとり
 踊る電線 カットして
 自由な空


そう、電線の上でひし形たちが踊っていました。

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by hinaseno | 2019-06-22 13:37 | 音楽 | Comments(0)

ハワイ(イ)な日々


あいかわらずハワイ(イ)な日々を送っています。

村上春樹原作の映画『ハナレイ・ベイ』を観たり(とてもいい映画でした。吉田羊さんが本当にピアノを弾いているとは思わなかった。メイキングには本作ではカットされた吉田羊さんの弾く「What A Wonderful World」が入っていて、これがすばらしかった。カウアイの風景がいっぱい映っていたのもうれしかった)、未読だった池澤夏樹の『カイマナヒラの家』を読んだり(池澤さんはやはり「ハワイ」ではなく「ハワイイ」と表記。芝田満之の写真も素晴らしい)、オータサンのCDを聴いたり(『Where Is My Love Tonight』)、ああ、それから久しぶりにウクレレを取り出してポロンポロンとつま弾いたり(チューニングがめちゃくちゃになっていた)。

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で、昨日ふと、自分のパソコンの中に入っているハワイ関係の曲を集めたプレイリストを作ってみようと思ってやりだしたら、これが結構楽しくって、さらに思わぬ発見もあって、結局、一日つぶれてしまいました。まあ、よくあることだけど。

ハワイ関係の曲でパッと思いついたもの、まずはビーチ・ボーイズの「Hawaii」「Diamond Head」、ジャン&ディーンの「Honolulu Lulu」、ヴェンチャーズの「Hawaii Five-O」、それからエルヴィスの『ブルー・ハワイ』『ハワイアン・パラダイス』のサントラ。

次はHawaii、Honolulu、Waikikiなどのキーワードで検索。ライル・リッツの『50th STATE JAZZ』というアルバムが何曲かヒット。考えてみたらアルバムタイトルの”50th STATE”ってハワイのことでした。

その後も思い当たる地名とか、いくつかのハワイ語で検索。ハワイ語といえばサーフィン関係の言葉にもハワイ語があったなと思って調べたらKahunaという語が太陽と砂と波の神様ということがわかって、で、検索してみたら「Kahuna Sunset」という曲が見つかりました。なんとバッファロー・スプリングフィールドの曲。ライノから出たボックスに収録されていました。




曲を書いたのはスティーヴン・スティルスとニール・ヤング。パーカッションがサイラス・ファーラーでした。なるほど。

ってなことをやっているだけでもかなりの時間をとってしまったんですが、昨日のメインは実はその後。

もしかしたら僕が作ったプレイリストのような曲を集めたCDがあるんじゃないかなと調べたんですね。検索キーワードにはbeach boys、hawaii、ventures、Hawaii Five-Oとかelvisとかhonoluluとかを入れて、例によって画像検索。すると思いもよらぬ画像が下の方に出てきたんですね。

先日亡くなったドリス・デイの画像。

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検索キーワードにはdoris dayなんか入れてなかったのに、なぜ? ですね。こんなCDがあるのかなと思ったんですが、どうもちがう。でも、ブルーを基調にしたジャケットらしき写真のセンスはとても素晴らしい。ちょっと気になったのでそのサイトにアクセス。

それがこの「Buddies Lounge」というサイト。どうやらロサンゼルスのハリウッドにスタジオがあるラジオ局のようなんですが、おっと思ったのはこの言葉。


Originally aired on 1420am The Breeze Radio


1420amって「ゴー!ゴー!ナイアガラ」のラジオ関東と同じですね。しかも番組の名前がThe Breezeって。なんともはや。


試しにドリス・デイの回をダウンロードして聴いたらこれがなかなかいいんですね。で、もしやと思って過去の放送を調べたら、ありました。Show 336の回。タイトルは 「Aloha….from Hawaii」。昨年の3月24日にハワイから放送されたようです。これが、その日かかった曲のリスト。


Hawaii Five-O - Mort Stevens and His Orchestra
Hawaiian Eye - Warren Barker
Gidget Goes Hawaiian - James Darren
Sweet Leilani - Werner Muller
Hapa Haole Hula Girl - Hawaii Calls
Pearly Shells - Martin Denny
Suck 'Um Up - Don Ho
E Lei Ka Lei Lei (Beach Party Song) - Don Ho
Tiny Bubbles - Don Ho
Hawaiian Drums - Billy Mure
Hawaii - The Beach Boys
Blue Hawaii - Frank Sinatra
On The Beach At Waikiki - Al Caiola
My Hawaiian Song of Love - The Aliis
Hawaii Beach Party - Waikikis
Paradise Hawaiian Style - Elvis Presley
Island Of Love - Elvis Presley
Hawaiian Wedding Song - Elvis Presley
Rock-A-Hula Baby - Elvis Presley
Pineapple Princess - Annette Funicello
King Kamehameha - Diamond Head Beach Boys
My Little Grass Shack - Hi Los
The Hukilau Song - 50 Guitars Of Tommy Garrett
Behave, Hula Gir - Billy Ward
Moon Mist - Out-Islanders
Ukelele Lady - Bing Crosby
Keep Your Eyes On the Hands - Herb Ohta, Jr.
Hula Love - Buddy Knox
Maui Girl - E. Tevares
You Can Count On Me (Hawaii 5-0) - Sammy Davis Jr.
Pagan Love Song - Ray Martin and His Orchestra
Princess Poo-Poo-ly Has Plenty Papaya - The Four Preps
Mai Tai - Les Baxter
Honolulu Baby - Ty Parvis
Mauna Kea Breeze - Hawaiian Spotlighters
Hawaiian War Chant - Ella Fitzgerald
Hawaiian War Chant - Twist - Elgart
Hawaiian War Chant - Ray Charles Singers
Pearly Shells - Tennessee Ernie Ford


僕の検索キーワードがここにヒットしたんですね。知ってる曲もありますが知らない曲もいっぱい。でも、素晴らしい選曲でびっくりでした。オータサンの息子さんも入っています。

この中で初めて聴いてすごくびっくりした曲というかアーティストがいるんですが、それはまた改めて書くことにしましょう。キーワードはクリス・モンテス。


この放送局、毎週聴きたくなりました。


by hinaseno | 2019-05-26 12:36 | 音楽 | Comments(0)

最初にうれしい話を二つ。実はびっくりするようなすごい方から過去のブログに関するコメントをいただいたんですね。ブログやっててよかったなあと心から思いました。たいしたブログではないんですが、時々そんな奇跡のようなことが起こります。

それから山本善行さんと清水裕也さんの『漱石全集を買った日』の増刷が決まったそうです。こちらもとてもうれしいニュース。一人でも多くの人にあの本が届いてほしいです。


さて、ころっと変わって、こんな歌から。


朝起きてラジオのスイッチを入れて
波の状態をチェック
サーフィンに行けるかどうかを知るために
するとDJが今日はサーフィンをするにはもってこいの日だと教えてくれる
彼女と僕が今日もいい1日を過ごせるってこと
さあ、サーフィンに出かけよう

これはビーチ・ボーイズの1961年のデビュー・シングル「サーフィン」の歌詞。

ハワイを舞台にした村上春樹原作の映画『ハナレイ・ベイ』を見ていたら、その日の波の状態をDJが語っているシーンが出てきて、この「サーフィン」の歌詞のことを思い出しました。

いいですよね、朝、ラジオをつけてその日1日の過ごし方が決まるという生活。サーファーになろうかな。


ところで今、僕がいちばん好きなDJはというと、実は村上RADIOでアシスタントをされている坂本美雨さん。坂本龍一、矢野顕子さんの娘さんですね。美雨さん、聞けば聞くほど好きになりました。最近は昼前に放送されている「ディア・フレンズ」をときどきエアチェックしてます。


さて、DJといえば、やはりラジオの深夜放送のDJですね。

これは『東京人』という雑誌の2011年3月号の表紙。特集は「青春のラジオ深夜放送」。

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4人の人気DJの写真が並んでいますが、全員わかります?

僕は左上の野沢那智さんの顔を知りませんでした。右上が谷村新司。右下が愛川欽也。

で、左下。

マイクの前でドーナツ盤をくわえているあまりにも有名な写真。これは1967年の写真とのことですが、この人こそ、この写真の10年後の1977年に大瀧さんの「ゴー!ゴー!ナイアガラ」にゲストで登場した”ハワイ”出身のチブ・メーカーさんなんですね。

『東京人』のこの号にはもうひとつ、同じ時期のチブ・メーカーさんの写真がありました。この写真も最高ですね。

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チブ・メーカー。正式な名前は亀渕昭信さん。チブ・メーカーって、亀渕(かめぶち)を逆から読んだだけのこと。ハワイ出身っていうのも、たぶんカメハメハ大王と「カメ」つながりというイージーな理由のはず。

まあでも、ハワイのK-poiという放送局が出したレコードの話をしていたので、亀渕さんの話に行くにはいい流れだなと。

そういえばいちばん驚いた「たまたま」の話といえば、「ゴー!ゴー!ナイアガラ」に亀渕さんがゲストに来た時、どれだけオールディーズに詳しいかを試すために大瀧さんが亀渕さんにぶつけたのが1959年6月のヒットチャートだったこと。K-poiができたのが1959年の5月だったので。


ところで『東京人』のこの号に載っている亀渕さんと秋本治さんの対談、亀渕さんラジオ愛にあふれているんですが、この中で亀渕さん、こんなことを言ってるんですね。


たとえば、どこにでもあるチェーン店のカフェもいいけれど、小さくて、あまり客は入らないけれど昔からの客がいて、その親父が息子を連れてきたり、その息子がまた成長して子供を連れてくるような町の喫茶店があるとしたら、ラジオはどちらかというと、後者を求めている。テレビや新聞と差別化するには、間口を狭く、深くしなければいけない。だから、昔も今も人気のある番組は、コアファンがいるし、とてもマニアック。


そうそうと言いたくなるところですが、この対談からすでに8年の歳月が流れて、ラジオ、とりわけ亀渕さんがずっと関わってきたAMのラジオの置かれている状況はさらに大きく変わっています。町の喫茶店が置かれている状況と同じく、かなり厳しい状況になっているんですね。そんな中で開かれたのがアゲインで行われた伊藤銀次さんと亀渕さんとのトークイベントでした。


by hinaseno | 2019-05-22 15:18 | 音楽 | Comments(3)


ビッグフラ~イ、オータニサン。


先日、久しぶりにこのフレーズを聞くことができました。エンジェルスの大谷くんがホームランを打ったとき、現地の実況のアナウンサーが叫ぶお決まりの文句ですね。今年は二刀流ではなく一刀流の大谷くんですが、やっぱりわくわくさせてくれます。


さてオータニサンといえばオータサン。

オータサンというのはハワイのウクレレ奏者。ハーブ・オータ(Herb Ohta)というのがたぶん正式なアーティスト名のはずですが、日系ということもあるのかオータサン(Ohta-San)という名前の方が一般的になっているようです。オータサンという、ゆるい感じの名前の方がウクレレという楽器にあっていますね。

オータサンというウクレレ奏者のことを知ったのはこのブログで何度も取り上げているライル・リッツ経由、かな。オータサンはライル・リッツといっしょに何枚かアルバムを出しているんですね。ほしいなあ、と思いながらまだ手に入れていません。

村上春樹もウクレレという楽器が好きみたいで、で、ウクレレ奏者ではオータサンがお気に入りのようです。エッセイだったかで、何度かオータサンのことに触れていました。

で、そのオータサン、例の村上RADIOの「今夜はアナログ・ナイト!」でかかったんですね。「Sunset」という曲。『The Cool Touch Of Ohta-San』というLPに収録されているんですが、実は『K-Poi Oldies But Goodies』とともに探していたのがこのオータサンの『The Cool Touch Of Ohta-San』。出しているのはSurfside Recordsというレーベル。おそらくハワイのマイナー・レーベルみたいなので、あまり数は出していないようで、いまだにお目にかかれていません。


村上RADIOといえば、昨日、更新されているのがわかって、見たらこんなモノクロの写真が貼られていたんですね。おおっ! でした。

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ちらっと見えているジャケットの端の方には「K-Poi」。そうです、村上さんが持っているはずの『K-Poi Oldies But Goodies』のレコード。プレーヤーにレコードも載っていますね。ずっとこのレコードの話をしていたので、なんかうれしいです。

で、せっかくなんで、似たような写真を撮ってみました。ひまだね〜。

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さて、入りかけては止まっているハワイのチブ・メイカーさんのこと。チブ・メーカーさんも日系人のようでかなり怪しい日本語を使っています。妙な発音で「オータキサン」と。

オールディーズに詳しいチブ・メーカーさんはオータキサンに「オールディーズ」の正しい発音(実はウソ)を教えていました。

さて、そろそろそっちの話に入らないといけないですね。


せっかくなのでオータサンの演奏した曲を1曲。大好きな「Fools Rush In」を。





by hinaseno | 2019-05-21 15:00 | 音楽 | Comments(0)

Oldies But Goodies


ここ最近、心はまっすぐにハワイに飛んでいます。

ゴー・ストレイト・トゥ・ハワ~イ(イ)、ですね。


K-poiのことをあれこれと調べながら、久しぶりに池澤夏樹の『ハワイイ紀行』を取り出してパラパラと読み返したり(名作だ)、ハワイ関係のレコードを聴いたり(マーティン・デニーやアーサー・ライマン)する日々。

そういえば先日読み返した村上春樹の『東京奇譚集』の中でもとりわけ好きな「ハナレイ・ベイ」が昨年映画化されたことを知りながら観ていなかったのでこれを機会に観てみようと思います。


ハワイには一度行ったことがあります。1986年か87年かそのあたり。ロサンゼルスからの帰りに立ち寄りました。

ハワイの空港に着いて、ハワイの地に足を下ろした時に、ウォークマンのスイッチを入れました。用意していたカセットテープから流れてきたのはもちろんこの曲。




このときの旅に用意していたカセットは大瀧さんの『A LONG VACATION』『EACH TIME』、達郎さんの『For You』『BIG WAVE』『ON THE STREET CORNER』、それから自分で作ったビーチ・ボーイズとジャン&ディーンのコンピレーション。


さてさて、今日あたりから『K-Poi Oldies But Goodies』のレコードの話を離れて、次の話に行こうと考えていたんですが、もう少しだけ。

まずK-poiというラジオ局がハワイのホノルルにできた1959年という年のこと。この1959年にハワイはアメリカ合衆国の50番目の州になったんですね。州になった正式な日は1959年8月21日ということなので、K-poiの開局の方が少し早い。


それから気になったのは『K-Poi Oldies But Goodies』のタイトルのこと。よく考えたら、かなり、へえ~、なんですね。

まず”Oldies But Goodies”という言葉について。オールディーズ好きの人間にとってはこの”Oldies But Goodies(オールディーズ・バット・グッディーズ)”という言葉はよく知った言葉だと思いますが、この言葉を1960年の段階で使っていたということに驚きました。

オールディーズという言葉には諸説ありますが、基本的には1955年頃から1963年あたりまでの音楽をさしていて、1964年に登場したビートルズはそこには入りません。

ちなみにオールディーズ(oldies)というのはsが着いているように複数形。単数形は”oldie”ですね。

”oldie”といえばパッと思い出すのは『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のこのシーン。




1985年から1955年の世界にやってきたマーティが1958年にヒットしたチャック・ベリーの「ジョニー・B・グッド」を歌うんですが、曲を紹介するときにぽろっと”an oldie”って言っちゃうんですね。そのあとに”but a..”て言いかけてやめる。たぶん”an oldie but a goodie”という決まり言葉を言おうとしたんだと思います。でも、これから自分が歌う歌は目の前にいる1955年の若者たちにとってはちっとも”oldie”じゃないことに気づいて言い直す。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』にはこんな小さなギャグがあちこちちりばめられているんですね。


”Oldies But Goodies”というのは「古くてもいい曲」っていう意味なんですが、前々回のブログで紹介したように『K-Poi Oldies But Goodies』に収録された曲は古いものでも1954年で、新しいものは1959年。ジャケットに書いているようにほぼ5年前までの曲ばかりなんですね。ちっとも古くない。でも、すでにこの頃、この表現を使っていることに驚きました。


そういえば『K-Poi Oldies But Goodies』を海外のサイトで検索していた頃、タイトルにマッチした作品はないけど、似たタイトルの作品はありますってことで、ずらっと『Oldies But Goodies』というタイトルのレコードやらCDやらが表示されていたんですね。すごい数。Volume 10をこえるシリーズもある。で、ちょっとこのタイトルのアルバムを調べたら興味深いことがわかりました。一番最初に『Oldies But Goodies』というタイトルのレコードが出たのがなんと1959年。それがこれ。

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全12曲で収録されているのは1954年から1958年の曲。『K-Poi Oldies But Goodies』ではB面の1曲目と2曲目に入っているファイヴ・サテンズの「In The Still Of The Night」とペンギンズの「Earth Angel」がA面の1曲目と2曲目に。

どうやらK-poiはこのアルバムのアイデアをいただいたようです。でも、ジャケットも収録曲もK-poiが出した方がはるかにイカしています。


ところでbeach boys、HawaiiでYouTubeを検索していたらこんなライブ映像がアップされているのに気づきました。




ビーチ・ボーイズのデビュー25周年を記念してホノルルのワイキキビーチで開かれたライブ。

なんと1986年。

もしかしたら僕がハワイに行った年かもしれない。ゲストにはエヴァリー・ブラザーズも。

1986年といえばブライアンがファースト・ソロ・アルバムを出す2年前。まだブライアンはリハビリ中で声はあまり出ない。もちろん1960年代初め頃に出ていた天使の声はもうない。というわけで彼がリードボーカルをとる曲がほとんどないままライブは終盤へ。

すると最後、それまではイントロからすぐに曲がわかる”oldies”ばかりだったのに、ブライアンがマイクを持って”新しい”曲を歌い始める。よく知った”oldies”を期待していたファンはちょっと戸惑った表情を見せる。

ブライアンが歌ったのは「Spirit Of Rock 'n' Roll」。

びっくり。これは結果的にはボツになって日の目を見ないままでいる彼のセカンドアルバム『Sweet Insanity』に収録されていた曲。でも、こんな早い段階で曲が作られていてしかも多くの観客の前で披露されていたとは。個人的にはどんな”oldies”よりもこれが一番良かった。ビーチ・ボーイズ時代のロマンチックな”oldies”を歌えなくなったブライアンの”現在”の声によくあっている。天使の声は失ってしまったけれど、ロックンロールの精神だけは失っていない。

調べたらこの音源、手元にある『Project Wilson』というブートに収録されていました。CDには何の説明もなかったので、いったいいつ、どこで歌われたのか全然わからなかったのですが、1986年のハワイで歌われていたものだったとは。


さて、そのほぼ10年前の1977年にハワイからある人物が大瀧さんの「ゴー!ゴー!ナイアガラ」にゲストとしてやってきます。名前はチブ・メーカー。この話、以前、一度書いたけど。


by hinaseno | 2019-05-18 14:16 | 音楽 | Comments(0)

K-poiというハワイのラジオ局が、たぶん1960年に出したレコード『K-Poi Oldies But Goodies』のB面3曲目に収録されていたのは、この「Won't You Give Me A Chance」という曲でした。



歌っているのは3人組のグループ、スリー・チャックルズ(The Three Chuckles)。

スリー・チャックルズなんてクループを知っている人なんてそんなにいないはず。僕がスリー・チャックルズというグループを知ったのは、そこに若きテディ・ランダッツォがいたから。


テディ・ランダッツォのことはこのブログでも何度も取り上げています。例によって大瀧さんきっかけの話が多いですが、僕がテディ・ランダッツォの名前を初めて目にして彼を意識するようになったのは達郎さんの『ON THE STREET CORNER 2』でした。達郎さんがカバーした「Make It Easy On Yourself」の作曲者がテディ・ランダッツォだったんですね。曲解説で達郎さんが「僕の大好きなTeddy Randazzo」と。このときからソングライター、テディ・ランダッツォを追い求める日々が続きました。


で、あるとき、彼がソングライターとして活躍する前にシンガーとして活動していたことを知ったんですね。彼のキャリアの最初がスリー・チャックルズ。元々いたメンバーが1953年に一人やめて、代わりに入ったのがテディ・ランダッツォ。ヴォーカルとアコーディオンを担当。当時15歳。音楽の才能は並外れたものがあったんでしょうね。

ちなみにテディ・ランダッツォのCDはいまだにまともなものが出ていないんですが、スリー・チャックルズのCDは1997年にCollectablesから出でいます。一番右の赤い服を着ているのがテディ・ランダッツォ。

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ただ、Collectablesはご存知のように(?)いつもたいてい中途半端。曲数も少なく、「Won’t You Give Me A Chance」は収録されていないんですね。

ってことで、「Won't You Give Me A Chance」は初めて聴いた、って思っていたらそうではありませんでした。

上のジャケットの写真を見ればわかるようにテディ・ランダッツォはかなりの男前だったので俳優としていくつか映画にも出ていたようです。で、あるとき、彼が1956年のこの『Rock! Rock! Rock!』という映画に出ていることを知り(主役の一人)、輸入盤ですがすぐにDVDを手に入れました。

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目的は動くテディ・ランダッツォを見るため。で、YouTubeに上がっている映像を見たら、なんと「Won’t You Give Me A Chance」を歌っているんですね。もちろんスリー・チャックルズで。




ちなみにこの「Won't You Give Me A Chance」はやはりB面の曲で、A面はアップテンポのロックンロール「We're Gonna Rock Tonight」。こちらも映画で歌われています。スリー・チャックルズの代表曲です。




でも、やっぱりB面のバラードの方がずっといいですね。地味な曲ですが、こういう曲がハワイで大ヒットしていたとはすごいな。そして、こういうのを収録するセンスが素晴らしいです、K-poi。


さて、ずっとレコード番号K-poi 1380の『K-Poi Oldies But Goodies』というレコードの話をしてきましたが、ひょっとしてK-poi 1381のレコード番号がついたレコードが出ているのかなと思って調べたらありました。K-poi 1382以降はなくて出ているのはそのK-poi 1381だけ。

それはなんとテディ・ランダッツォのアルバム。タイトルは『Teddy Randazzo Million Dollar Party』。

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ネットに上がっているデータを見るとリリースは1960年(ただしそのサイトは『K-Poi Oldies But Goodies』のリリースを1970年としていたところだけど)。収録曲を見たらスリー・チャックルズ時代の曲が1曲であとはソロになってからのもの。1961年や1962年にシングル発売された曲もありますが、発表はこちらのアルバムが先だったのかもしれません。

収録されている曲の中で一番好きなのはこの「Cherie」。作曲はテディ・ランダッツォ、作詞はシンシア・ワイル。




このアルバムもたぶん何かの記念で出したようなので、手に入れるのは不可能に近そう。村上さんみたいにハワイの中古レコード屋に行けたら、もしかしたら見つかるかもしれないけど。

それにしてもK-poiには驚かされます。数あるアーティストの中からテディ・ランダッツォを選んでるんですからね。1959年~60年頃のハワイに行ってみたくなりました。


by hinaseno | 2019-05-17 15:23 | 音楽 | Comments(0)

K-poi 1380(その4)


1959。

このブログ、実は1959年をキーワードにした話を結構多く書いているんですね。「Golden Pops in 1959」というコンピレーションを作ったとか。

数年前、岡山に戻ったときに車のナンバーが変わることになって、希望する番号ありますかって訊かれたんですが、いや、別になんでも構わないです、ってことで、で、決まったナンバーが1959だったんですね。

僕は基本的にはシックスティーズの、多くは1961年から63年にかけての曲(ゴールデンイヤーズと呼ばれています)が一番好きだったんですが、これも縁、ってことで1959年の曲を調べたらいい曲がいっぱいあったんですね。面白いことに何か気になることを調べていたら1959年にぶつかることが多くて。

今回もそう。たまたま村上さんのラジオで紹介されて気に入ったレコードのことを調べていたら、それが1959年に開局したラジオ局が出したものだとわかったと。またまた1959年との縁の深さを感じていました。それがまた面白い形でいろいろとつながっているんだ。

ちなみに今の車のナンバーは1959ではありません。1959のままでもいいかと思ったんですが、今回は自分で選んだ番号にしました。


さて、1959年のハワイの若者たち。それまでラジオから流れてきていたのは伝統的なハワイアンミュージックばかりだったのに、突然、ロックンロールを流すラジオ局を発見する。新しく開局したK-poi。1380AM。

自分たちの聴きたかった音楽はこれだってことで熱狂的に支持したでしょうね。だれもがトランジスターラジオを片手に海辺に行く。流れているのは自分たちの感覚にあった新しい音楽、ロックンロール。激しい曲もあれば、胸を締め付けるようなバラードもある。1959年ごろのハワイの若者はバラードの方を好んだのかもしれない。

そして、次第に音楽を流すDJとの交流も生まれてくる。想像するだけでワクワクしますね。


さて、すぐれたDJは、ただヒットしている曲をかけるだけでなく、ヒットしていなくてもいい曲、たとえばB面の曲、あるいはアルバムの中の曲をかけて、それをローカルヒットさせる力があります。K-poiのポイ・ボーイズたちもそうだったようです。いい曲を見つける能力と、それを伝える言葉の力がある。『K-Poi Oldies But Goodies』に収録された曲を見てもそれがわかります。


改めて『K-Poi Oldies But Goodies』の収録曲を見てみます。収録されている12曲はすべて3連のバラード。

ジョニー・ティロットソンの「Dreamy Eyes」、コニー・スティーヴィンスの「Sixteen Reasons」、リッチー・ヴァレンスの「Donna」、ファイヴ・サテンズの「In The Still Of The Night」「To The Aisle」、デル・ヴァイキンスの「Come Go With Me」、ペンギンズの「Earth Angel」、ハートビーツの「A Thousand Miles Away」の8曲は、オールディーズ・ファンであれば誰もが知っている曲。ほとんどがドゥーワップの名曲。


注目すべきは残りの4曲。

まずA面4曲目のこの「Gee Whiz」。歌っているのはボブ&アール(Bob and Earl)。




この曲、実はこの日のブログで紹介しています。ボブ&アールのボブはボビー・デイ。大瀧さんの「ゴー!ゴー!ナイアガラ」がきっかけでボビー・デイのことを知って、ACEから出ていた彼のCDを聴いて、とりわけこの「Gee Whiz」にはまったんですね。

でも、これはヒットしていないはず。そして、おそらくB面の曲。この曲がハワイで”BIGGEST HIT”したというのがすばらしい。


興味深いのはB面の後半に収録されたこの3曲。

B3 Won't You Give Me A Chance - The Three Chuckles

B5 Heavenly Father - Sandy Stewart

B6 Chapel Of Love - The Hitmakers


曲順とは逆の順で紹介します。

まず、B面ラストのヒットメイカーズの「Chapel Of Love」。




村上ラジオでかかった曲ですね。村上さんも言っていたように「Chapel Of Love」といえばディキシー・カップスの歌った曲が有名ですがこれは同名異曲。でも、いいドゥーワップ。

ヒットメイカーズというブループも聴いたこともない。僕のパソコンにも彼らの曲は1曲もありません。ヒットメイカーズって名前のわりにはヒット曲がない。というか出したレコードはこの1枚だけのよう。

ただ、気になるのは作曲者の一人にクレジットされているMorganという人物。B面の「Cool School」を書いたBruce Morganと同じ人物だとすると、デビューする前後のビーチボイーズのいくつかの曲「Barbie」「What Is A Young Girl Made Of」「Luau」を書いた人。「Barbie」はとてもいい曲です。


次はサンディ・スチュアートという女性シンガーが歌った「Heavenly Father」。サンディ・スチュアートというシンガーは知りませんでしたが、「Heavenly Father」は達郎さんの『ON THE STREET CORNER 3』でカバーされていた曲なのでもちろんよく知っています。達郎さんのカバーを聴いてこの曲をいっぺんに好きになって、で、達郎さんが基にしたというキャステルズ(The Castells)のこのシングルをあちこち探して手に入れました。




オリジナルはエドナ・マクグリフが歌ったもののようですが、サンディ・スチュアートが歌ったものはたぶんヒットしていないはず。で、これもやはりB面。

彼女はアラン・フリードが製作した1958年の映画『Go Johnny Go』に出演していて、A面の「Playmate」とともにこの「Heavenly Father」を歌っていることがわかりました。これがその場面。




この映画にはジミー・クラントンも出ているみたいですね。「Venus In Blue Jeans」は歌っていないけど、海外ではDVDが出てるみたいなので一度観てみたい。


さて、大瀧さんのアルバムでは最も聴かせる曲が入るB面3曲目に収録されているのがスリー・チャックルズの「Won't You Give Me A Chance」。でも、この曲についてはまた次回に。


by hinaseno | 2019-05-15 14:58 | 音楽 | Comments(0)