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by hinaseno
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カテゴリ:文学( 187 )



吉田篤弘さんの『チョコレート・ガール探偵譚』、一日で一気に読了しました。僕にしてはめずらしく、というかめったにないこと。まあ、遅読っていうのが一番の理由ですが読んでいる途中で気になったことがあると、読むのを中断してパソコンや他の本、あるいは地図などを調べたりしているうちに時間が経ってしまうんですね。

今回もやはり何度も中断してパソコンやらスマホでいくつものことを調べていましたが、でも少しでも空いた時間を見つけては読み進め、結局は一日で読み終えることができたんですね。あまりに面白くて途中でやめることができませんでした。

そういえば本を読みながら、最初に気になって調べたのは、筆者が「チョコレート・ガール」という題名の映画に出会ったあとすぐに書かれているこの言葉でした。


 それでは、とばかりにスマートフォンを取り出し、画面に指先をすべらせて、「チョコレート・ガール 成瀬巳喜男」と検索すれば、すぐに詳細な情報が得られるはずだ。
 しかし、そうしなかった。検索をすれば、この映画が現存するのかしないのか、ただちにわかる。(中略)
 が、ひとまず検索はせず、いましばらく踏みとどまった。そう書きながら自分でも笑ってしまう。こんな大げさな云い方がおかしくないほど、検索で答えを得ることはもはや常識なのだ。
 しかし、ここはひとつ踏みとどまりたかった。さっさと答えを知ってしまうのが勿体ないような気がしたからである。

この気持ち、すっごくわかります。僕もときどき、あえてネット検索を避けることがあります。

ただ、『岡山の映画』を読んで、成瀬の『チョコレート・ガール』のことを知ったときには、すぐにパソコンで「チョコレート・ガール 成瀬巳喜男」と検索しました。それで公開日、原作、出演者などを知ったんですね。主演の水久保澄子の名前は初めて知りました(『チョコレート・ガール探偵譚』を読んで、彼女が小津安二郎の『非常線の女』に出ていたことがわかりました)。

で、今回、吉田さんのこの部分を読んで、改めて「チョコレート・ガール 成瀬巳喜男」と検索してみたら、ちょっとびっくり。なんと半年前(2018年12月)に僕が書いた記事がトップから3つめに挙がってました。

おおっ、もしかしたら吉田さんは、あの記事を読んだかも、と思ったんですが、あとがきにこんな言葉が。


ここに収められた文章は平凡社の「こころ」に連載したもので、第一回が掲載されたのは2016年の冬だった。

ということは連載を始めたときに「チョコレート・ガール 成瀬巳喜男」と検索しても、まだ僕の記事は存在しない。

でも、連載を終えたのが今年の4月のようなので、どこかの段階で検索されて僕のブログを読んだかなと思ってみたり。少なくとも読者か、あるいは吉田さんと一緒に”チョコレート・ガール探偵”をしていた人は読んでくれていたようです。

それはさておき、ネットの検索はしないでおこうと決めた吉田さん、ではどうするか。当然こうなります。


 さて、電網から離れて過去を検索するとなれば、図書館か古書店で探るのが古来の方法である。自分の流儀としては、図書館の前にまずは古書店を探しまわるのが常で、流儀というより、放っておいても古書店へは日参しているので、自分のなわばりの中で何が見つかるか、と云った方が正しい。

というわけで、『チョコレート・ガール探偵譚』は古本好き、古本屋好きにとってもたまらない話が出てくるですね。でも、結論的に言えば、やはり東京って、うらやましいなあ、の一言に尽きます。古本屋に限らず、何か調べようと思ったら、東京にいればさっと行けますからね。


それにしても改めて吉田篤弘さんって、嗜好するものとか性格とかよく似ているなあと。

例えばこんな部分。


 そもそも、自分がなぜこの映画に興味をもったかといえば、単純に「チョコレート・ガール」という言葉の響きにひかれたのである。

これがもし『腰弁頑張れ』だったら反応はしなかったはず。そう、僕も吉田さん同様、昔からチョコレートが大好きなんですね。今も毎日、午後のコーヒーを飲んだ後に必ずチョコレートを食べています。チョコレートを食べない一日なんて考えられない。

それから『チョコレート・ガール』が封切られた昭和7年の風景の中に入り込む部分があって、その風景の描写にこんな言葉が出てきます。


 驚嘆すべきは空の青さだった。そこへアドバルーンがいくつも上がっている。

アドバルーン!

『チョコレート・ガール』が昭和7年の映画だと知って、まず僕が頭に浮かんだのがアドバルーンが上がっている都会の風景だったんですね。

東京の空にアドバルーンが上がり始めたのは昭和6年頃。いくつものアドバルーンが上っている、あの鈴木信太郎の「東京の空(数寄屋橋附近)」はまさにその昭和6年に描かれたもの。吉田さんもよく知っているんですね。

で、エピローグにはこういう言葉が出てきます。


私がいつでも書きたいのは何かを探す話で、探しているあいだにあれこれと考えたり、探すためにどこかへ出かけて歩きまわることができれば、それでいいのである。

これも、似たようなことをこのブログで書いたような気がします。

「脱線」が多いのも似てますね。そしていうまでもありませんが探している途中で起こる「たまたま」のエピソードもいくつも出てきます。

たとえば『チョコレート・ガール』のことが掲載された『キネマ旬報』昭和7年9月11日号をコピーを手に取ったときのこと。


 しかし、この「昭和7年9月11日号」という文字の並びを見るにつけ、どことなく感じ入るものがあり、さて、どうしてなのかとしばらく考えるうち、思いがけないものに行き当たった。
 父の誕生日である。
 完全に一致というわけではないが、父は昭和7年9月7日の生まれで、つまり、私の父は「チョコレート・ガール」が封切になった12日後にこの世に生まれ落ちたのだ。
 そうなのか、と複雑な思いになった。
 チョコレート・ガールと父はほとんど隣り合わせた生年月日を持ち、同じ時代の同じ空気を吸いながら育った。

僕であればここで「縁」という言葉を使いたくなります。

日付に関する「父」との「縁」といえば、『チョコレート・ガール探偵譚』の奥付に書かれている発行日。僕の父親の命日と2日違いでした。これも縁ですね。


というわけで個人的にはいろんな縁を感じる「チョコレート・ガール」。たぶんこの本を出した後も、吉田さんやその周辺の人、あるいは読者の何人かがチョコレート・ガール探偵を続けられていると思いますが、僕もチョコレート・ガール探偵団の一人として、できることをやっていこうと思います。

吉田さん、チョコレート・ガール探偵団バッヂでも作ってくれないかな。

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by hinaseno | 2019-06-11 12:53 | 文学 | Comments(0)

「チョコレート・ガール」という言葉を聞いてピンと来る人ははたしてどれくらいいるんだろう。

先日、SNSに流れてきた言葉の中に「チョコレート・ガール」という文字を見つけ、思わず目を留めてしまいました。

よく見たらそれは最近出たばかりの本のタイトル。


『チョコレート・ガール探偵譚』


筆者はなんと吉田篤弘さん。そこには主演女優である水久保澄子の名前も書かれていたのでまちがいない。

成瀬巳喜男の戦前の幻の映画『チョコレート・ガール』。


成瀬に『チョコレート・ガール』というタイトルの映画があったことを知ったのは、昭和初期の西大寺商店街を調べていたときのこと。昨年の暮れに書いたこの日のブログで紹介しています。西大寺商店街に戦前から映画館がいくつもあったことを知ったので、松田完一著『岡山の映画』(岡山文庫 昭和58年発行)を読んでみたら成瀬の『チョコレート・ガール』の話が書かれていたんですね。それは昭和7年のこと。当時松田さんは10歳か11歳。こう書かれていました。


松竹映画「チョコレートガール」は売出しのチョコレートを主題にした明治製菓とのタイアップ作品だが、監督の成瀬巳喜男の水々しい感覚と的確な映像表現で、上京する姉が、駅まで見送りに来た弟に投げ与えたチョコレートが、勢あまって線路に落ちてしまい、そのまま汽車は遠ざかるラストシーン。成瀬巳喜男のその後の成長を暗示する見事な映画であった。


僕はこのあと「これ、見たいですね。フィルム。現存するんでしょうか」って書いています。で、もちろんこれを書いた後、成瀬の『チョコレート・ガール』をいろいろと調べました。でも、どうやらフィルムは失われていることがわかったんですね。主演の水久保澄子はアイドル的な人気を得ていたようで『チョコレート・ガール』はまさに幻の映画という感じ。


興味深いのはこの映画が公開された昭和7年。

昭和7年公開の映画といえば何といっても小津安二郎の『生れてはみたけれど』。そう、平川克美さんが隣町探偵団で、まさに探偵したあの映画です。製作は『チョコレート・ガール』と同じく松竹蒲田。『生れてはみたけれど』の公開は6月で『チョコレート・ガール』の公開は8月。突貫小僧が両方の映画に出ていますね。

川本三郎さんが『郊外の文学誌』の「小市民映画の生まれたところ 蒲田とその周辺」で、島津保次郎の『隣の八重ちゃん』や、小津の『東京の合唱』『生れてはみたけれど』など、松竹蒲田で作られた郊外を舞台にした小市民映画に触れて、「小市民映画とは、この昭和6年の満州事変と昭和12年の支那事変(日中戦争)との間の安岡章太郎のいう『平和な安穏な休憩期間』『一瞬の繁栄期』に作られた、豊かな都市郊外生活者の映画だったということが出来る」と書いていますが、『チョコレート・ガール』もまさに「平和な安穏な休憩期間」「一瞬の繁栄期」に松竹蒲田で作られた映画で、とすれば『生れてはみたけれど』と同様に目蒲線か池上線あたりでロケされた可能性も高く、映画を観たい気持ちは高まる一方でした。

吉田篤弘さんは『チョコレート・ガール』についてどれだけ調べ、どんな物語に仕立て上げたんだろう。読むのが楽しみでなりません。


と、ここまで書いて一昨日にアップしようと思っていたんですが、時間がなく、で、昨日、『チョコレート・ガール探偵譚』を買ってきました。

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装幀はもちろんクラフト・エヴィング商會。なにからなにまで最高ですね。ところでこの本、帯を見たら「金曜日の本」との文字。どうやら「金曜日の本」というシリーズで出したのかもしれません。


「金曜日の本」といえば、これも何度か書いたような気がしますが僕が吉田篤弘さんに注目するきっかけとなった『おかしな本棚』で、最初に驚いたのが「金曜日の本」と題されたページでした。

そこに『ぼくは散歩と雑学が好きだった。 小西康陽のコラム1993-2008』と川本三郎さんの『銀幕の東京』が並んでいたんですね。それから少し離れたところには小川洋子さんの中で一番好きな小説『猫を抱いて象と泳ぐ』もあって、これだけでこの人とは趣味がぴったりだ! と思ったものでした(ちなみに後で知った本では『猫を抱いて象と泳ぐ』のとなりには映画『森崎書店の日々』に『昔日の客』とともに映った野呂邦暢の『愛についてのデッサン』があり、隣のページにはジャック・フィニィの『ゲイルズバーグの春を愛す』もある)。


これらの本の中でとりわけ川本三郎さんの『銀幕の東京』は映画のロケ地を歩くためのバイブルのような本で、大瀧さんの成瀬巳喜男研究も平川克美さん&隣町探偵団の『生れてはみたけれど』研究もこの本あればこそ。僕もやはりこの本で小津の『早春』に出会い、さらに1昨年に武蔵新田を歩いたのも、この本で取り上げられていた川島雄三の『銀座二十四帖』に出会ったから。

ということなので吉田篤弘さんの『チョコレート・ガール探偵譚』も、おそらくは川本三郎さんの『銀幕の東京』を意識、あるいは影響で書かれたものに違いありません。

いや、さらに読むのが楽しみになりました。


で、すぐに読もうと思っていたんですが、実は今、この4月に出た本を2冊同時に読んでいるんですね。それが『わたくしのビートルズ 小西康陽のコラム1992-2019』と、山極寿一、小川洋子著『ゴリラの森、言葉の海』。

小西さんの本はまさに「金曜日の本」のページに載っていた『ぼくは散歩と雑学が好きだった。 小西康陽のコラム1993-2008』の続編。約10年ぶりですね。ちなみに先日、尾崎一雄の『人生風景』を見つけた古本屋は小川洋子さんの生まれ育った”教会”のすぐ近くで、店の行き帰りに”教会”の前を通りました。

なんだかつながっていますね。

小西さんの本は内容がぎっしりなのでまだ50ページあたりを読んだところ、それから『ゴリラの森、言葉の海』はちょうど半分読んだところ。中断してこれから吉田篤弘さんの『チョコレート・ガール探偵譚』を読むことにします。

もしかしたらですが吉田さんが本を書くときに、僕が昨年にちょこっと書いていたことを読まれていたかもしれないと思いながら。


冒頭の一行だけ読むと、なんと。


「その古本屋は私鉄電車の操車場近くにあった」


操車場!

操車場といえば平川さんが連載していた隣町探偵団で知ったんですが、小津の『生れてはみたけれど』には目蒲線の南側にあった大きな操車場が映っているんですね。それはこの「原っぱ」のシーン。

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子供達(左が『チョコレート・ガール』にも出演している突貫小僧)の後ろに連結車輛が止まっているのがその操車場。ただ、この操車場は目蒲線、つまり私鉄電車の操車場ではなくJRの操車場のようですが。


吉田さんがはたしてどここにあった操車場をイメージして物語を作っていったのかはわかりませんが、『チョコレート・ガール』と同年に同じ松竹蒲田で製作された『生れてはみたけれど』の風景を入れていった可能性はますます高まってきます。

いずれにしても『チョコレート・ガール探偵譚』は、吉田篤弘さんの中で最高の作品になるような気がします。あ〜読むのが楽しみだなあ。


by hinaseno | 2019-06-08 11:04 | 文学 | Comments(0)

昨日の話のつづきを少し。

昨日紹介した荻原魚雷さんのブログに、魚雷さんを車で岡山を案内した「写真家の藤井豊」さんというのが出てきて、どこかで見たことがある名前だなと思って調べてみたら、ああ、あの写真集を出していた人だったんだと。

魚雷さんの過去のブログを見ると藤井豊さんは何度も登場しています。現在は岡山の浅口市にお住まいとのこと。魚雷さんが2011年に木山捷平の生家を訪ねたときに魚雷さんを案内したのも藤井豊さん。ちなみにこのとき魚雷さんは”わざわざ”赤穂線経由で岡山から京都に行かれています。


さて、その藤井さんが2013年6月に出したのが『僕、馬 I am a HORSE』という写真集。

これ、当時、古書五車堂さんに置かれていて、手に取った覚えがありました。結局は買わなかったんですが、とてもいい写真集だったんですね。今調べたら魚雷さんが寄稿していることがわかりました。

藤井さんは岡山のあちこちで個展を開いているんですが2018年5月に笠岡で開いていたのが「清音 KIYONE」。

清音って、総社の清音?

矢掛から小田川沿いに東に向かえば旭川に至ります。そこを渡れば総社なんですが、旭川を渡ってすぐの場所にあるのが清音。僕はこの清音駅から井原鉄道に乗って矢掛の方に行ったんですね。その前に総社をかなり歩いて走って、そのあと小田川に沿ってかなりの距離を歩いたので足をかなり痛めてしまって、で、予定を変更しておひさまゆうびん舎で開かれていた小山清展の最終日に行ったら、そこで初めて世田谷ピンポンズさんに初めて出会って、姫路の木山捷平の話をして…。


ということで魚雷さんとともに藤井さんにも縁を感じてしまいました。あの写真集、蟲文庫さんに行けばあるのかな。あっ蟲文庫さん、店主の田中さんのケガでまだ休業中だな。


by hinaseno | 2019-05-24 15:03 | 文学 | Comments(0)

また、先日の世田谷ピンポンズさんのライブの話に戻ります。ちょっと素敵な情報をいただいたので。それは荻原魚雷さんのこの「文壇高円寺」というブログのこと。


実は開演前、ある方から会場に荻原魚雷さんが来ているんですよと教えてもらってたんですね。

魚雷さんは古本関係の本でエッセイなどをいくつも読んでいましたが、お顔を拝見するのは初めて。写真も見たことがなかったので、ああ、あの人が魚雷さんなんだと遠目に眺めていました。


魚雷さんがピンポンズさんと親交があることは知っていました。でも、わざわざ東京の方から姫路に見に来てくれるってすごいなと思っていたんですが、魚雷さんが更新されたブログを読んで、ピンポンズさんのライブには旅の一環として来られていたことがわかりました。その旅が、おっ、おっ、というものだったんですね。


魚雷さんは先週の土日、一泊二日で広島岡山と旅されて、その帰りに姫路に立ち寄られたそうです。

広島で行ったのは福山。岡山で行ったのは矢掛。これだけでぴんとくるものがありますね。ブログで書かれている通り福山は井伏鱒二、矢掛は木山捷平の郷里。矢掛の町を訪ねたあと豪雨被害の地域も見てまわられたと。「小田川はずっと見ていたい川だった」という言葉がいいですね。小田川は昨年の豪雨で氾濫して、あの地域に甚大な被害をもたらした川ですが、普段は本当に穏やかでまさに「ずっと見ていたい川」なんです。


魚雷さんの過去のブログをチェックしたら、木山捷平のことをかなりたくさん書いていることがわかりました。

ブログを始めた最初の頃の2006年10月10日の記事にこんな言葉を発見。


 二十代の終わりごろ、読書の趣味も変わった。「淡々とした」とか「飄々とした」とか形容されるような作風を好むようになった。
 尾崎一雄にはじまり、木山捷平や小沼丹を経て、梅崎春生を読み、そのあたりで足が止まった。気がつくと再読ばかりしている。

木山捷平、小沼丹、僕といっしょですね。「二十代の終わりごろ」じゃなかったけど。別の日のブログで何年か前に木山捷平の生家に来られていることもわかりました。

そういえば2006年10月10日のブログには音楽の話も書かれていました。


ほぼ毎日、古本屋か中古レコード屋をまわる。本ばかり買う時期、レコードばかり買う時期が、交互にやってくる。

いっしょだ。「たまにロックのCDも買うが、いわゆるソフトロックとよばれるジャンルに偏っている」というのも同じ。魚雷さんの本、読んでみたくなりました。


で、姫路に来られたときのこと。


 姫路文学館の望景亭で世田谷ピンポンズの「文学とフォーク」のライブ。姫路のおひさまゆうびん舎が主催。
 木山捷平の「船場川」をもとにした曲が聴けた。木山捷平は姫路師範学校(現・神戸大学)を卒業し、小学校の先生をしていたこともある。姫路と縁がある。

木山捷平と姫路との縁もご存知。縁のある場所、案内してあげたかったな。

ライブの後、ピンポンズさんの歌にもなった茶房大陸に立ち寄られたとのこと。


さらに驚いたのは最後に書かれていたこと。


岡山から姫路に行くあいだの三石という宿場町にも寄りたかった。姫新線にも乗りたかった。こういう心残りはわるくない。また行けばいいのだ。
近いうちに岡山~兵庫の県境付近もゆっくり歩きたい。

なんと「三石」に立ち寄りたかったと。

三石に立ち寄りたいと思う人なんてそんなにはいない。


三石といえば、なんと川本三郎さんが今年の早春に三石に立ち寄られていることがわかりました。これがその写真。

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写真が載っているのは雑誌『サライ』の5月号。「「駅弁」を旅する」という特集で、川本さんはJR山陽本線の神戸から下関まで駅弁を食べる旅をされていたんですね。三石には駅弁もなければ駅員もいないんですが、でも、川本さんは立ち寄られたんですね。もちろんそこが小津安二郎の映画『早春』のロケ地だから。

魚雷さんは『早春』のこと、知ってたんでしょうか。


by hinaseno | 2019-05-23 14:25 | 文学 | Comments(0)

夏葉社つながりの話。

先日、おひさまゆうびん舎で購入した『漱石全集を買った日』を送った方(木山捷平の著作に関して「残すことの大切さ」を強く抱き続け、「残すこと」を実行し続けられている人です)から本を読んだ感想を書いたうれしい手紙をいただきました。またゆずぽんさんにお見せしよう。

で、いつものように手紙とともに貴重なものをいくつか送っていただきました(これがすごいんです)。その一つが昭和5年12月発行の「詩文学」に掲載された記事。何人かの詩人へのアンケートが載っているんですが、そこに木山捷平の名前があるんですね。コピーされたページに載っている詩人の中では最も長い文章で答えています。戦前の木山さんの文章をこよなく愛する僕のような人間にとってはたまらないもの。このアンケート記事は全8巻の『木山捷平全集』にも載っていない、はず。

個人的な思いを言えば、木山捷平の未発表の作品を集めた可能な限りコンプリートな全20巻を超える『木山捷平全集』を出してもらえないかなと思っています。


さて、木山さんが答えたアンケート。質問は2つあって、それぞれの質問内容は正確にはわからないのですが、一つ目はたぶん今年、つまり昭和5年(1930年)に出た詩集で最も印象に残ったものは? というものだろうと思います。

で、木山さんの答え。ちょっと長いんですが、最初に夏葉社ファンであれば、おっと思う名前が登場しています。


 尾形亀之助の「障子のある家」と、杉江重英氏の「骨」とは、人が持つてゐたのをほんのちょつと見ただけでしたが、なかなかすてがたい一つの風格があると思ひました。いゝ詩集なんだらうと想つてゐます。
 田村榮氏の「TORSO」と黄瀛氏の「景星」とは、小さく美しく、愛すべき詩集として記憶に残つてゐます。その外、個人的懐しさを以て讀んだ詩集に「思想以前」「訪問」「都市の氾濫」「舗装の町」等々澤山ありましたが、「愛誦おく能はず」といふ糧のものはなかつたやうでした。何分覚えが悪くていけません。
 それよりも僕は、いさゝか返答外れですが最近、田中幸雄氏の「憂欝は燃える」を讀んで、なかなか感心してゐるのです。これは大正十四年の發行なのですがこんないゝ詩集を出した人が、現在詩を發表してゐるのを見ないのは、何という淋しい事なんだらうと、ひとりで考へさせられてゐます。

最後に「今年」ではない作品を取り上げて、その人が最近作品を発表していないことを淋しがるところがいかにも木山さんらしいなと思います。

さて、冒頭名前が挙がっているのが一昨年夏葉社から『美しい街』という作品を出した尾形亀之助。尾形亀之助は生前、『色ガラスの街』『雨になる朝』『障子のある家』と3つの詩集を出しているんですが『障子のある家』はその3作目。昭和5年9月発行。私家版で限定70部。非売品だったとのこと。戦後復刻されたみたいですが、当時出たものを手に入れるのってたぶん不可能でしょうね。

興味深いのはコピーしていただいたページに木山さん以外で尾形亀之助の『障子のある家』を取り上げている人が何人もいるんですね。

まずは月原橙一郎、それから木山さんと交流のあった赤松月船。さらにやはり木山さんと交流のあった黄瀛も、作品の題名は書いていませんが「尾形亀之助の最近出された詩篇、薄つぺらだが、内容豊富なり」と。これもやはり『障子のある家』のことだろうと思います。

ちなみにその黄瀛の2つ目の質問の答えはちょっと興味深い。この2つ目の質問もどういうものかわからないんですが、たぶんこれから活躍を期待する詩人は? というものだろうと思います。


草野心平、竹中郁、宮澤賢治、岡崎清一郎、石川善助、衣巻省三、木山捷平諸氏の詩、出来るだけ見るほどヒイキにしています。


まだ、全く無名だったはずの宮澤賢治と木山さんの名前が並んでいるんですね。でも、木山さんは次第に詩から離れて小説に向かうんですが。


ところで夏葉社から出た『美しい街』には『色ガラスの街』『雨になる朝』『障子のある家』の3つの詩集から詩が選ばれているんですが、実は『障子のある家』から選ばれたのは1つだけ。最後に収録された「泉ちゃんと猟坊へ」。余白だらけの短い詩が続いた後、最後にこの散文のような詩が出てくるんですね。で、その内容に驚くことになります。とりわけその最後の部分。戦前にこんな考えを持っていた人がいたんだと。


さきに泉ちやんは女の大人猟坊は男の大人になると私は言つた。 が、泉ちやんが男の大人に、猟坊が女の大人にといふやうに自分でなりたければなれるやうになるかも知れない。 そんなことがあるやうになれば私はどんなにうれしいかわからない。 「親」といふものが、女の児を生んだのが男になつたり男が女になつてしまつたりすることはたしかに面白い。 親子の関係がかうした風にだんだんなくなることはよいことだ。 夫婦関係、恋愛、亦々同じ。 そのいづれもが腐縁の飾称みたいなもの、相手がいやになつたら注射一本かなんかで相手と同性になればそれまでのこと、お前達は自由に女にも男にもなれるのだ。


『障子のある家』は青空文庫で読めるようになっていて見たら全て散文。「泉ちゃんと猟坊へ」はその最後の「後記」の一つ目の作品でした。自分の子供に当てた手紙のような内容。ちなみに二つ目は「父と母へ」。


夏葉社の『美しい街』の巻末には「明るい部屋にて」と題された能町みね子さんのエッセイが載っています。実はちゃんと読んでいませんでした。

能町みね子さんって名前は聞いたことがあってもパッと浮かばなかったので写真を見たら、かつてタモリさんがやっていた大好きだった深夜番組『ヨルタモリ』のレギュラーだった人だとわかりました。

能町さんのエッセイには「泉ちゃんと猟坊へ」に触れながら「私の性をめぐるさまざまな事情」という言葉が出てきたので、どういうことだろうと調べたら、そうか、そういう人だったのか、でした。


ところで僕は尾形亀之助という詩人にはこの夏葉社から出た詩集で初めてであったと思ってたんですが、その前に出会っていました。

池内紀さんの『二列目の人生 隠れた異才たち』(晶文社 2002年)で尾形亀之助が取り上げられていたんですね。

ちなみに尾形亀之助にとっての「一列目」の存在は宮沢賢治。

黄瀛のアンケートの答えに尾形亀之助と宮沢賢治の名前が出てくるように、二人は時期的にもかなり似通った人生を送っているんですね。直接交流はなかったようですが賢治が亡くなった後に開かれた追悼会には尾形亀之助も出席したようです。

池内さんは二人の似通った点をいくつも挙げた後にこう書いています。


とともに両者のちがいも明瞭だ。何よりも知名度がまるでちがう。宮沢賢治は小学生でも知っているが、尾形亀之助は、よほど詩に親しんだ人でないとなじみがない。亀之助の読者の数は賢治の百分の一、あるいは千分の一、とにかくかぎりなく少ないだろう。といって、それは少しも尾形亀之助の不名誉ではないのである。


このあと「泉ちゃんと猟坊へ」を紹介した後で、さらにこう書いています。


この賢治とくらべるまでもなく、亀之助の新しさ、また予見性と現代性はきわだっている。


ということで久しぶりに『美しい街』を取り出してパラパラと読んでいます。木山さんの詩の中でも僕が特に好きな詩に通じるところがあるんですね。そして松本竣介の絵。素晴らしすぎる詩集です。

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by hinaseno | 2019-05-11 14:17 | 文学 | Comments(0)

『漱石全集を買った日』を読み終えた人はきっと、まずは何よりもゆずぽんさん、すごいなと思うはず。いろんな意味で。

で、次に思うことは、やはり本屋へ行きたいなと。善行堂さんに行って善行さんと話をしたい、善行堂に行けなくても古本屋を巡ってみたい、ゆずぽんさんたちが取り上げていた本を読んでみたい…。『井伏鱒二全集』、あるいは『木山捷平全集』を買いたくなった人もいるかもしれません。

そして何よりも本を読みたくなります。ゆずぽんさんのように、あるいはゆずぽんさんが紹介していた人たちのように、もっと本を大切に丁寧に読まなければならないなと。


『漱石全集を買った日』を読み終えて、僕が手に取ったのは夏目漱石の『門』でした。本棚にあったのは岩波文庫。

漱石は大学時代からちょこちょこと買っていましたが、ほとんどは新潮文庫でした。でも、この『門』だけはなぜか岩波文庫。本の奥付を見ると1996年発行。たぶん買い換えたはず。

きっかけはなんだろう、としばらく考える。辻邦生が解説、これかなと。

1995年くらいに読んだ池澤夏樹の何かの本で辻邦生の『夏の砦』を知り、少し後に文春文庫から出た『夏の砦』を読んでいっぺんに辻邦生のファンになったんですね。1996年暮れから1998年にかけては辻邦生がマイブーム。1998年に出た水村美苗さんとの共著『手紙、栞を添えて』は、その本の佇まいも含めて宝物のような作品。

漱石の『門』もたぶん新潮文庫で持っていたはずですが、辻邦生が解説を書いてることを知って手に取ったんだと思います。


なぜ急に夏目漱石の『門』を読みたくなったかというと、『漱石全集を買った日』のあとがきの最後の方に『門』のことが出てきたから。引用されているのは最後の部分。ちなみにこの作品は秋の縁側で始まり春の縁側で終わります。


御米は障子の硝子に映る麗かな日影をすかして見て、 「本当に難有(ありがた)いわね。ようやくの事春になって」と云って、晴れ晴れしい眉を張った。宗助は縁に出て長く延びた爪を剪りながら、 「うん、然し又じき冬になるよ」と答えて、下を向いたまま鋏を動かしていた。


この部分を引用した後、ゆずぽんさんはこう書いています。


 人の世には、きまぐれのように暖かい春の時期があり、また気まぐれのように厳しい冬も必ず訪れる。その真理にどれだけ抗おうとしても、人間はその繰り返しからは逃れることはできない、と漱石はいう。ほんとうにそういう意味なのかどうかは知らないが、少なくとも僕にはそう読めた。読み終わった後は、正直拍子抜けだった。結局何も解決しないじゃないか、とも思った。でも漱石の言葉には妙な説得力があって、それを無視することはできなかった。それ以来、不思議と「自分から逃げようとしても、逃げられるわけがない。どうしようもないことは、どうしようもないのだ」と、それまでの色々なことが自分のなかからスッと抜け落ちてしまったような気がする。漱石に出会ってから、ポッカリと穴が空いてしまった、というのはこういうことで、自分にとってこのときほど切実だった読書は、あとにもさきにもこれきりだと思っている。

ゆずぽんさんもある時期、人を信頼できない、さらには自分自身を信頼(肯定)できない時期を過ごしたようです。自己啓発本なんかに手を出していたときもあったと言っていました(僕もそういう時期がありました)。

で、たぶんある時に出会った本をきっかけにして変わっていく。信頼できる本を見つけ、信頼できる作家を見つけて、それがどんどんとひろがっていく。本を大切にする人たちを尊敬する。大切な本を大切に扱っている古書店を愛するようになる。


そういえばおひさまゆうびん舎でのトークイベントで触れられたのが、2年前にゆずぽんさんが自費出版で作られた『古本屋にて、』でした。

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全部で10の古本屋が載っているんですが、ゆずぽんさんによると春に始まって春に終わる内容になっていると。『門』の最後の御米の言葉を思い出しました。

『古本屋にて、』の最初に掲載されているのは倉敷の蟲文庫。「春、雲一つない、よく晴れた日だった」という言葉から始まります。

2つめが京都の善行堂さん。ゆずぽんさんが漱石の本を眺めていたときのエピソードが紹介されています。

5つめに紹介されているのは神戸のトンカ書店。季節のことは書かれていませんが、空色の、海色の真っ青な看板からは真夏のイメージが浮かびます。神戸の街はやはり夏が似合います。

そして最後が姫路のおひさまゆうびん舎。

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そこに描かれていたのは早春の風景。そう、おひさまゆうびん舎は早春が似合う。書かれているのは2015年の早春におひさまゆうびん舎で開かれた没後50年小山清展を訪れたときの話。


まだ、外の空気は冷たかった。だけど、階段を昇ると、窓からやわらかい光が差し込んでいて、丁寧に並べられた本たちがとても暖かそうにしていた。もう、春が近づいてきているのだと、思った。そして、大切なものを、大切にすることは、こんなにも愛おしい形をしているのだと、思った。
耳かきと爪切りがちょこんと、本たちと一緒に飾られていた。家に帰って「落穂拾ひ」を読んだとき、その訳を知った。もう一度、おひさまゆうびん舎に行こうと思った。


さて、最後にトークイベントの日のちょっと素敵なエピソードを紹介しておきます。

その日、4時半くらいにおひさまゆうびん舎に着いたら、店主の窪田さんからついさっきまでゆずぽんさん夫婦がいたんですよと。

どこかですれ違っていたかな。すれ違ったら気づかないはずはないな、と思いつつ、僕は歩くときにほとんど人を見ないので、自分から気づくことはない。


『漱石全集を買った日』をさらに二冊と島田潤一郎さんが岬書房という新レーベルから出した『90年代の若者たち』などを買いながら小一時間、店主の窪田さんや常連のゆうくんと話をして、6時半からのトークイベントまでの時間を潰すために外に出ました。とりあえずいつものように大好きな鯛焼きを買って、それからどこかの喫茶店に立ち寄って時間をつぶすつもりでいました。

もともと考えていたのは大陸だったんですが、なんと営業時間は5時まで。仕方なく二階町の商店街にある喫茶店に立ち寄ったらそこも間もなく閉店しますと。おいおい、でした。それではと昔よく立ち寄っていたおみぞ筋のカフェに入ったら満席。

仕方ないのでみゆき通り商店街に戻ってみたものの、こちらのほうがもっと人が多くて、どこもテーブルが空いてそうにない。

ということで喫茶店探しにくたびれてしまって、イベントまでにはまだ時間があるけれどおひさまゆうびん舎に戻ろうかと商店街を歩いていたら、両手を大きく振っている若いカップルが目に入りました。見るとゆずぽんさんとエンジェルさん。二人とも満面の笑顔。こういうの、うれしいですね。

「喫茶店探しているんだけど」と言ったら、「はまもとがあいていますよ、さっきまでそこにいたんです」と。

ってことで、はまもとコーヒーに入ったらラッキーなことに二人がけのテーブルが一つ空いていました。きっとゆずぽんさんたちがさっきまで座っていたはずの席。ちょっと愛おしい気持ちになりながら買ったばかりの『90年代の若者たち』を取り出しました。


by hinaseno | 2019-05-08 15:21 | 文学 | Comments(0)

『漱石全集を買った日』で頻繁に出てくる言葉の一つが「偶然の出会い」。「たまたま」という言葉も確か何度も。出会い方は偶然であるほうが愉しい。

おひさまゆうびん舎でのイベントでは特典としてゆずぽんさんがこの日のために作られた「別冊『漱石全集を買った日』掲載蔵書目録 全千百四十二冊」という冊子をいただきました。これがすごいんですね。『漱石全集を買った日』の巻頭には時期ごとに購入した本の写真が掲載されているんですが、残念ながら本のタイトルが読み取りにくいのもあったので、この冊子をいただけたのは本当にラッキー。

興味深いのはその本のタイトルと出版社とともに記載されていたのが本を購入した店の名前があること。ちらっと見せてもらいましたが、ゆずぽんさんは手帳(ちくま文庫から出ている『文庫手帳』)に必ず買った本と買った場所、そして値段を記載しているんですね。リストはそれを元にして作られています。

そのリストを見ると、最初のページの、書籍番号10番くらいまではインターネットで購入した本がずらっと並んでいます。ところが12番目の田中美穂さんの『わたしの小さな古本屋』をBegin楽学書館(姫路にあった店かな)で買ったあたりから一気に古本屋での購入が増え、「インターネット」という文字がなくなります。で、「インターネット」という文字がなくなったあとに「ツリーハウス」(当時は「されど・・・in ツリーハウス」)と「おひさまゆうび舎」が出てくるのが面白い。

『漱石全集を買った日』で、古本との出会いの話の中でゆずぽんさんは高橋輝次さんという古本マニアのことを紹介しています。この話がいいんですね。ちょっと引用します。


「高橋さんはインターネットをまったく使用しないそうで、古本屋や古本まつりでの偶然の出会いから、数珠繋ぎのように古本を手繰りよせていきます。それこそインターネットが無かった時代はそれが普通のことだったのでしょうが、高橋さんを見ていると、インターネットで情報を探さない強み、というのが感じられる気がしますね。偶然を必然に変えていく粘り強さと言ってもいいかもしれません。インターネットでは簡単に欲しい本や情報が手に入りますが、そのぶん手に入れたときの感動が薄くなると思います。でも古本屋での偶然の出会いや、長年探し求めていた本との出会いというのは、やはり何物にも代えがたい喜びです。そういう思いが古本への情熱に繋がっていくということもあると思います」

いや、ゆずぽんさん、いいこと言うなあと思ったら、そのあと善行さんが「ゆずぽん良いこと言うなぁ。古本の神様が横についているような感じやな」と。


ちなみに僕が古本屋通いを始めたのは、本を絶対にインターネットで買わないと決意したときから始まりました。2011年のある日のこと。やはり東日本大震災、原発事故の影響が大きかったと思います。

で、実は僕もかなり前から『文庫手帳』を買っていて(善行さんの何かの本の影響かもしれない)、ゆずぽんさんと同じようになことを書いていたことを思い出しました。でも、いつの間にかやめちゃったんですね、ちょっとめんどくさくなって。

と書きつつ、もしやと思って2012年の文庫手帳を見たら、なんと3月までは購入した本、レコード&CDと店の名前を書いていました(値段は書いていない)。これがかなり興味深い内容。びっくりしました。

まず1月3日に今はなき万歩書店平井店で関口良雄の『昔日の客』(夏葉社)と小沼丹の『黒いハンカチ』を買っています。それから2月11日(土)に倉敷の蟲文庫さんで発売されたばかりの『さよならのあとで』と、店主の田中美穂さんが書かれた『わたしの小さな古本屋』を。

で、その1週間後の2月19日(日)におひさまゆうびん舎に行ってるんですね。その日、須賀敦子さんの本など4冊買っているんですが、たぶんこの日に『さよならのあとで』を持っていって夏葉社の本を取り扱ってくださいとお願いしたはず。

昔のメールを調べたら2月21日に夏葉社の島田さんにメールしておひさまゆうびん舎のことを伝えていました。ってことは窪田さんはほとんど即答してくれてたようです。すごく大きな決断がいったはずなのに驚いた。


by hinaseno | 2019-05-06 16:20 | 文学 | Comments(0)

『漱石全集を買った日』の善行さんとゆずぽんさんの対談で一番おおっとなったのは、この本のタイトルにもつながる全集の話。ここ爆笑でした。いろんな意味で。


ゆ:やはり全集でしか味わえない良さというものがありますね。
善:で、ここからは古本屋としての意見なんやけど、一部の作家を除いて、全集というのは昔に比べてかなり安くなっていて、今がちょうど買いどきでもある。だから自分が「これ!」と思うような作家がいれば、ぜひみんなに買ってほしいと思うなぁ。だからゆずぽんも、ちょうど善行堂に『木山捷平全集』が置いてあるけど、どない?
ゆ:急に商売が始まりましたね(笑)。
善:一応営業しとかんとな(笑)。
ゆ:さっきの話でいえば、『木山捷平全集』は値下がりしてないほうの全集じゃないですか。
善:まあそれはそうと、ゆずぽんは他に全集で読んでみたい人はいる?
ゆ:考えればいろいろとキリがないですが、たとえばチェーホフなんかはいつか全集で読みたいと思います。
善:チェーホフいいね。外国文学なら”誰の翻訳で読むか”を選ぶ楽しみもある。『チェーホフ全集』なら中央公論社や筑摩書房から出てる。中央公論社版は神西清訳も含まれてて良い全集。
ゆ:チェーホフといえば神西清という印象が強いですね。
(中略)
ゆ:あと全集で読みたいのは井伏鱒二とか。
善:井伏鱒二かぁ。井伏は今はほんとうに買いどきやと思う。昔に比べてかなり安くなってる。普通全集といえば太宰にしろ三島にしろ、旧版ならともかく、一番新しいものは古書価も下がりにくい。だけどなぜか井伏鱒二に関しては例外で、今一番新しい筑摩書房の『井伏鱒二全集』(全二八巻+別冊二巻)が意外と安い。で、こんな話をすると人間性が出てしまうんやけど、だからこそ井伏鱒二に関しては、古書価が上がる前に、自分で買っておきたい。古本屋やから本を売る立場なんやけど、買う側の人間として『井伏鱒二全集』は自分用としても持っておきたいなぁと思ってる。


善行さんの「どない?」が最高。で、その「どない?」の話、もう一回出てくるんですね。それはゆずぽんさんの好きな作家の話。


善:あと、漱石以外に好きになった作家とかはいる?
ゆ:先ほど名前が挙がった中では木山捷平が特に好きですね。戦後の作品は全部集めましたが、戦前の詩集などはなかなか手が出ません。第一詩集『野』(抒情詩社)とか、第二詩集『メクラとチンバ』(天平書院)は仮に出会っても買えないでしょうね。最初は「蟲文庫」の田中美穂さんの著作で名前を知って、初めて読んだのが『耳学問・尋三の春』で、この本は善行堂で買いました。今も好きな作品です。木山捷平といえば、それこそ昔であれば古本屋で探さないと読めない作家だったでしょうが、今は講談社文庫でほとんどの作品が読めるので、良い時代になりました。
善:まあ文庫もいいけど、全集で読むとまた違った味わいがある。好きな作家なら、なおさらや、ちょうど今店に『木山捷平全集』があるけど……。
ゆ:何回言うんですか(笑)。
善:そりゃ、僕もこれが仕事やからな。
ゆ:ちょっと帰って奧さんに相談します。いや、しないほうがいいか(笑)。


このあと小山清の話になって、で、おひさまゆうびん舎のことが出てくるんですね。ニコニコでした。

ところでこの話に出てくる善行堂さんにあった『木山捷平全集』、先日のおひさまゆうびん舎でのイベントに来られていた方が買ったと聞いてびっくり。値段も一応訊きましたが、そんなに高くなかった。


by hinaseno | 2019-05-04 11:01 | 文学 | Comments(0)

昨日僕が撮った宇仁菅書店の写真を探したので、ちょっと話がそれるけどパソコンに保存している古い写真のことを。いちばん古い写真は2010年1月25日に撮ったもの。三石の駅を撮っていました。三石探索を始めた頃ですね。

僕がiPhoneを買ったのはiPhone3Gが日本で発売された2008年7月(近くのショップでクジに当たった)なのですが、その頃撮った写真は残っていない。パソコンと同期されていなかったのか、あるいはパソコンかiPhoneがいっぱいになったときに削除したか。

撮った写真はマイアルバムのファイルに分けて保存していますが、数枚だけちょこちょこと撮ったようなものは「my picture」と題したファイルに入れています。

その「my picture」のファイルの最初に入っているのが神戸の住吉駅近くに完成したばかりの内田樹先生の凱風館の前で撮ったもの。家をバックに自撮りもしてます。もちろん了解をとって(了解をとったのは設計者の光嶋さん)。日付は2011年11月3日。

実はまさにこの日に初めて宇仁菅書店と、同じ六甲道にある口笛文庫の立ち寄っているんですね。写真も何枚か撮ったんですが1枚も残っていません。

「my picture」のファイルの凱風館の次に入っているのは翌2012年2

月に姫路の南の方にあるカフェで行われた吉田慶子さんのライブのときの写真。吉田慶子さんと一緒に写った写真もあります。

内田先生の凱風館と吉田慶子さんのライブ、何の関係ないはずのこの2つが実はつながっているんですね。


僕があちこちの古本屋に足を運ぶようになったのは2011年の秋頃。そのときからの3年くらいが最も古本屋に通っていた時期。でも、古本マップとかを買って歩くというのではなく、たいていは行き当たりばったり。2011年の暮れにおひさまゆうびん舎と出会ったのも、たまたまあの路地を歩いていたときのこと。

宇仁菅書店と口笛文庫も以前から知っていたわけではありません。設計当時から気になっていて完成したら一度は見たいと思っていた凱風館を見に行くついでに、せっかくなのでそのあたりで古本屋はないかと調べたら住吉の一つ手前の六甲道にその2つの古書店を発見したんですね。

口笛文庫も『漱石全集を買った日』のゆずぽんさんの話に出てくるように最高に素敵な書店なんですが、歴史のある宇仁菅書店と、ちょっと新しい口笛文庫が同じ町に存在していたというのはすごいことだなと思います。いや、ほんとに。


さて、2011年11月3日のこと。JRの六甲道で降りて、まず行ったのが駅からすぐの場所にあった宇仁菅書店。入ってすぐにそこが素晴らしい古本屋であることがわかりました。

その頃僕がいちばん探していたのは小沼丹。残念ながら小沼丹は一冊もありませんでした。でも、興味深い本がいっぱいありました。

そういえばその頃の僕の古本熱に多大な影響を与えたのがクラフト・エヴィング商會の『おかしな本棚』だったんですが、それに掲載されていた本、特に大型の豪華本がいくつもありました。これはすごいやと思ったんですが、そのあとで口笛文庫に行くのと、さらに口笛文庫から凱風館まで歩いて行こうと思っていたんで、あまり大きな本を買ったらちょっと大変だなと。もちろんお金のこともありました。

その中で1冊、すごく悩んだ本があったんですね。

『ブラッサイ やさしいパリ』。

やはり『おかしな本棚』に載っている本だったんですが、中を見たら内容が素晴らしかったんですね。古いパリにはずっと憧れていたので。ずいぶん悩んで、結局買うのをやめました。で、ほかに3冊ほど単行本買ったんですが何を買ったか全然思い出せない。『おかしな本棚』に載っていた(小西康晴さんの『ぼくは散歩と雑学が好きだった』にも載っていたような気がする)矢内原伊作の『モンマルトル便り』をそこで買ったかなと思ったけど、取り出してみたら宇仁菅さんのシールが貼られていない。やはり違うか。


レジは店の少し奥まったところに作られた切符売り場のようなところにあったような気がします。店主の顔が見れたような見えなかったような。

お金を払うときに「小沼丹、ありますか」と訊いて、それから「とてもいい店ですね。また来ます」と言ったように思います。そう、また来て、今度は『ブラッサイ やさしいパリ』を買おうと。


その言葉の通り、年が明けて間もない時期に店に行ったんですね。でも、店は閉まったいました。で、その数日後にネットのニュースで宇仁菅書店の店主が亡くなられて店を閉めることを知りました。そのことをおひさまゆうびん舎の窪田さんに伝えたら、窪田さんにとっても宇仁菅さんは大切な書店だったようで(というか窪田さんの方がいい思い出をたくさん持っていたようです)、すごくびっくりされていたのが印象的でした。閉店セールには結局行きませんでした。閉店セールで『ブラッサイ やさしいパリ』を買いたくはなかった。

ということで、宇仁菅書店のことを考えたときにまず頭に浮かぶのはそこで買うことができなかった『ブラッサイ やさしいパリ』。買えなかった本のことを覚えているっていうのも変な話だけど。

のちにそれを手に入れた過程については語るべき物語は何もない。ちなみに『ブラッサイ やさしいパリ』の最初に収められた写真は先日火災になったノートルダムから撮った街の風景。

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さて、2011年11月3日の話の続き。

僕は、また来ますとは言ったものの、次に来たときにはなくなっているかもしれない『ブラッサイ やさしいパリ』のことを考えながら緩やかな坂を北に登って行きました。向かったのは口笛文庫。


by hinaseno | 2019-05-02 14:10 | 文学 | Comments(0)

今日は午前中、岡山市内で最も大きな百貨店の天満屋で開かれていた恒例のレコード市に行ってきました。初日ということもあって人でいっぱい。最近は人が多いと人酔いしてしまうので、殺気立った人にはなるべく近づかないようにして1時間ほど買い物。いちばんの収穫は、え~と、このレコードかな。確か600円ほど。

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『A Passport In Sound』というレコード。レーベルは信頼のCapital。オールディーズの箱にあったものなんですが実はジャケ買い。というかジャケットの女性、ペトゥラ・クラークだと思ったんですね(似てる)。でも、彼女のレコードはCapitalから出ていないはずと思って裏を返したら企画もののアルバムだとわかりました。全部で14曲収録されているんですが、すべて別の国の別のアーティストの曲。スイス、ロシア、メキシコ、ポルトガル、スウェーデン、ホンコン、ギリシャ、中東、イタリア、ドイツ、アイルランド、日本、そしてフランス。Capitalレコードから出ている世界中のアーティストの曲を並べていたんですね。大瀧さんの「337秒間世界一周」みたいなものかな。ちなみに日本で選ばれているのは中村八大の「さくら さくら」。家に帰って調べたらこれはどうやらプロモでしか出ていないようで海外のサイトに出品されているのはたった1枚。僕が買った10倍の値段がついていました。

それから持っていなかった大瀧さんのアルバムも1枚発見。これは貴重盤なのでそれなりの値段。でも、ネットで買うよりははるかに安い。また改めて書くことにします。


と、レコードを買って表町の商店街を歩いていたら、本を売っている露店を発見。パッとみたら結構いい本が置いてあったので、立ち止まってみたら夏葉社の本がいくつも。そして、なんと『漱石全集を買った日』もありました。おおっ、ですね。となりには島田さんの『90年代の若者たち』もありました。だれか買ってくれるといいですね。出会えた人は幸せだと思います。


さて、おひさまゆうびん舎で開かれた清水裕也さんのトークイベントのこと。実はあのイベントの後、ずっと考えていたのは神戸にあった宇仁菅書店という古本屋のこと。昨日も本当はその話から書こうかと思ったんですが、いろんなことを思い出したり調べたりしているうちに、まとまりそうにないなと判断して結局やめました。

昨日の朝、宇仁菅書店のことを考えていたときに、その繋がりの中で吉田慶子というボサノヴァ・シンガーのことを久しぶりに思い出していたんですが、不思議なことにその夜、ちょっとしたきっかけである人から教えてもらった最近オープンしたばかりのネットのレコードショップのサイトを開いたら、そこに紹介されていた6つのアルバム(レコード)の中に吉田慶子さんの作品が2つも紹介されていたんですね。思いもよらないところで吉田慶子さんがつながってびっくり。


ということで宇仁菅書店のことを。話はとっちらかりますが。

なんで今はもうなくなってしまった宇仁菅書店のことを考えたかというと、宇仁菅書店のことが『漱石全集を買った日』に出てくるんですね。それは善行さんとゆずぽんさんの対談の最後のあたり。「これから何か自分でやっていきたいと思っていることはある?」という善行さんの質問に対して、ゆずぽんさん、こう答えてるんですね。最も感心し、共感した部分。


「具体的にしたいこと、というのではないですが、古本を買ったり古本屋を廻ったりしているなかで一つ感じていることがあって、それは”残すことの大切さ”というものです。それはたとえば本自体もその一つですし、古本屋や書店、自分が出会ってきた人たちについてもそうです。僕が古本屋を廻り始めたのはここ数年の話ですが、その短期間の中でもなくなってしまった店は多いです。たとえ写真一枚でも、短い文章でも誰かが残しておくということは、大切なことじゃないかと思います」
「古本屋に限っていえば、たとえば神戸なら「後藤書店」「宇仁菅書店」「黒木書店」「ロードス書房」「皓露書林」など。行ってみたかった店がたくさんあります、たとえ直接知らなくても、誰かが文章で残しておいてくれたり、思い出話を聞いたりすることで、僕はその存在を知っていますし、その痕跡を追うことができます。そうじゃなかったら、ほんとうの意味で消えてしまうでしょうから、そもそも古本屋という存在自体が”人々の記憶の最後の砦”といえるかもしれません」

僕が古書店巡りをいちばんよくしたのはなんといっても神戸。神戸では同時に中古レコード屋巡りをしてたので(どちらかといえば中古レコード屋巡りを優先)、荷物がいっぱいになることもしばしば。でも、懐かしい思い出。

最も思い出深い書店はやはり海文堂書店。この二階に古本のコーナー(古書波止場)があって、で、一階にも古本のスペースがあったんですね。そこに善行堂さんの本を置いていて、その箱からはいくつも本を買わせてもらいました。京都の善行堂へは一度も行っていないけれど。


そしてもう一つ思い出深い店が、神戸といってもちょっと西の六甲道にあった宇仁菅書店でした。でも、時間がなくなったのでそれはまた次回に。

宇仁菅書店の写真、何枚か撮ったはずなんですが、残念ながら残っていませんでした。


by hinaseno | 2019-05-01 16:28 | 文学 | Comments(0)