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by hinaseno
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カテゴリ:文学( 165 )


トコトコバス


9月になれば…、

という話をいくつかしてきましたが、こちらもとびっきり楽しみな話です。高橋和枝さんの新作の絵本が講談社から9月13日に発売されるという情報がAmazonをはじめネットのサイトに載りはじめました。

タイトルは『トコトコバス』。

ネットでは少しだけあらすじが紹介されていますが、僕は昔から高橋さんの描かれるバスの絵が大好きなのでこの絵本とにかく楽しみにしています。

ちなみにネットではまだ表紙の画像はアップされていません。どんな表紙になるのか、わくわくしますね。


表紙といえば、9月5日に発売される世田谷ピンポンズさんの『喫茶品品』のジャケットがついに公開。描いたのはこれまで通りwacaさん。

実はレコード会社がP-VINEになったということでもしかしたらデザイナーが変わるんじゃないかと少しだけ心配していたのでwacaさんだとわかって本当にうれしかったです。

公開されたジャケットのデザインは、ノスタルジックな絵が使われるのではという僕の予想を大きく裏切って、かなりインパクトの強いものとなっています。これ、ぜひLPサイズで見てみたいですね。というより、たぶんLPサイズで発売されることを考えてのデザインになっているのではないでしょうか。とにかくたくさん売れて、絶対にLPの発売ということになってほしいと思います。


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by hinaseno | 2018-08-04 11:27 | 文学 | Comments(0)

「九月になれば」の話をいくつか書こうと思っていますが、♪三月に入ったら~♪の季節、つまり「早春」も僕にとって9月と並んで大事なとき。

以前「早春コレクター」ということを書いて、いくつか集めていた「早春」というタイトルの作品を紹介しましたが、実はそのとき、最後にちょっとだけ秘密という形にした話を載せたたんですね。別に秘密にする必要はなかったんだけど、なんでだろう。

その日のブログ、タイトルは「「早春」をあつめて」。

暇を見つけてはジャック・ケラーの未聴曲をチェックしては集めているように、「早春」というタイトルの作品も探しています。で、ある日見つけたのがこれでした。

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小沼丹の「早春」。

載っていたのは1958年に出た『女学生の友』という雑誌の3月号。まさに早春ですね。

その日のブログではこの写真を載せただけでコメントは何も書いていません。すごい発見をしたぞ!って気分だったんです。写真の下には秘密めかした形でこう書いています。


この作品が掲載されていたのは少女向けの雑誌。可愛らしいイラストもついていてびっくり。
内容は女子高校生のほのかな恋心を描いたたわいもないもの。ちょっと調べたら全集にも入ってないし年表の作品リストにも入っていない。
この作品のことをあの人に伝えたらきっとびっくりするだろうな。

というわけで早速「あの人」、つまり小沼丹の大ファンである龍野のYさんにお見せしようと思ったんですが、いろいろと用事が立て込んで、その雑誌もどこかにしまいこんで忘れてしまっていたんですね。


で、今年のゴールデンウィーク前にYさんから連絡があって、岡山に仕事で来ているということで、そんなに遠くない場所だったので久しぶりにお会いしましょうとなって、ときにその雑誌のことを思い出しました。もちろんYさんにプレゼント。かなり驚かれていました。


ところがそれから間もなく、びっくりするような情報が飛び込んで来たんですね。2年前に木山捷平の未収録作品を集めた短編集を2冊出した幻戯書房から小沼丹の未収録作品を集めた短編集が2冊出るという情報。

目にとまったのは副題についている「小沼丹未刊行少年少女小説集」という言葉。もしやと思ったらやはり。まさにあの「早春」をはじめ『女学生の友』に掲載された作品や同じく若い女性向けの雑誌である『それいゆ』に掲載された作品を集めた作品集。すごいのがすごいタイミングで出るんだとびっくりでした。

その2冊、先日ようやく入手しました。

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で、さらに驚いたことに、幻戯書房からは今月末にはもう1冊『不思議なシマ氏』というタイトルの小沼丹の短編集が出るんですね。こちらもたぶん全集に入っていない作品を集めたもののはず。

こんな本が出るなんてって感じですが、理由があるんですね。実は今年は小沼丹の生誕100年。今回出た3冊も「生誕百年記念」となっています。


小沼丹生誕百年といえばこのときのために早くから動いていた人がいます。それが龍野のYさん。

Yさんは相当前から小沼丹生誕百年祭をすることを言われていたんですね。でも、それは遥か先のように思っていたんですが、ついにその年が来たんです。

小沼丹が生まれたのは1918年9月9日。

ということで今年の9月9日から龍野にあるYさんの九文庫でその小沼丹生誕百年祭が開かれます。お近くの方、ぜひ足を運んでください。もちろんお近くでない方も。龍野は本当にいい町です。

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by hinaseno | 2018-07-20 12:38 | 文学 | Comments(0)

400ページあまりある大竹英洋さんの『そして、ぼくは旅に出た』も残すところあと100ページほど。2日ほど前に読んだ、大竹さんがはじめてノースウッズに行って、旅の目的であるジム・ブランデンバーグという写真家に出会う瞬間の話はこの本の白眉でした。

ジムの家でいろんな話をする中、あるときを境に会話のトーンががらりと変わる。それは、大竹さんが写真に興味をもたきっかけを語り始めたときのこと。ジムになぜ自然の写真に興味を持ったのかと聞かれて、その時に大竹さんが口にしたのが星野道夫の名前。


するとジムは、はっと大きく目をみひらきました。そして、「ああ、ミチオ……」とため息を吐き出すようにつぶやくと、両の手のひらを顔の近くにもっていき、そのまま祈るように目の前で握りました。

そしてジムと星野道夫の話になる。ジムは「彼は、ほんとうにスペシャルだった」と繰り返す。


改めて塩屋で余白珈琲の大石くんから大竹さんの話をされたのは、大竹さんにとって星野道夫が特別な存在であること、そして僕にとっても星野道夫が特別な存在であることを大石くんが知っていたからなのかもしれません。まあ、たまたまだったのかもしれないけど。


ところで大竹さんの本を読んでいたらあることが気になって久しぶりにこれを取り出しました。星野道夫を特集した『コヨーテ』の2004年9月号。

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この本は星野道夫が住んでいたフェアバンクスの家に置かれていた本のリストが載っているので、その中にジム・ブランデンバーグの本があるかと思って調べたんですが見当たりませんでした。

でも、そのリスト、久しぶりに見たんですが以前気づかなかった本がいくつも。

例えば今、読んでいる(というか中断している)石牟礼道子さんの『苦海浄土』が今西錦司の『進化とは何か』のそばに置かれていたりとか。

で、今回、一番驚いたのはこの本。

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中井貴惠さんの『父の贈りもの』。

中井貴惠さんの父というのはもちろん佐田啓二。こんな本が出ているなんて知らなかったので早速取り寄せました。

最初の「序」に書かれていたのは「父の死んだ日の記憶」というエッセイ。佐田啓二が亡くなった日の話ですね。ちなみに佐田啓二が亡くなったのは昭和39年8月17日。当時貴惠さんは小学校に上がったばかり。弟の貴一くんはまだ3歳になるちょうどひと月前。このエッセイはこんな言葉で終わります。


 昭和39年、東京オリンピック開催、東海道新幹線の開通と昭和の新たな歴史に、日本が大きな一歩を踏み出そうという矢先、父はそれを何も見ずにこの世を去った。
 37歳という短い生涯だった。
 残された母36歳、私6歳、弟2歳、神様はいたずらにも私たちにこんな運命を与えられた。
 暑い夏の日のことであった。

こんなふうに何かを読んでいても、それを中断して別の本を読んで、さらにそれがきっけけで別の本を取り寄せては読んでいるのでなかなか先に進みません。まあ、これが僕の読書。

それにしても映画に関係する本などほとんど置かれていない星野道夫の本棚になぜこの本があったんでしょうか。すごく気になります。


それはさておき久しぶりに『コヨーテ』のこの号を眺めていたらいろいろと興味深いことが。

たとえば写真ではなくイラスト付きで星野道夫の本棚にあった本を紹介しているこのあたりのページ。

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イラストを描いているのは赤井稚佳さんというイラストレーター。実は赤井さんは平川克美さんの『言葉が鍛えられる場所』の表紙のイラストも書かれているんですね。すごくいいイラストです。


それからこの特集の最初のページのこの写真とか特集のタイトル。なんだか大竹さんの本の表紙と重なってますね。

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その大竹さん、Instagramをされているのがわかりました。とりわけ気に入ったクマの写真を2つほど貼っておきます。

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by hinaseno | 2018-07-15 14:08 | 文学 | Comments(0)

小田川だけでなく身近なところにも被害があって、気持ち的にもゆっくりと音楽を聴いたり本を読んだりすることがしづらい状態が続いています。

日々、ほんのちょっとずつ読み進めている大竹英洋さんの『そして、ぼくは旅に出た』という本、ようやく半分くらい読みました。全然、進んでないけど。

読むのが遅い理由はもちろん読む時間があまりとれていないこともありますが、例によって地図を見て場所を確認しながら読んでいるため。でも、この本の舞台となっているカナダとの国境に近い北米のノースウッズと呼ばれる地域を航空写真で見たらこんな場所なんですね。

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湖と森が広がっているだけの地域。すぐに場所を見失ってしまいます。でも、大竹さんのカヤックでの旅をちょっとずつ辿っているうちに少しずつ地形が自分の中に入ってきて、フィシギなもので大竹さんと自分が同化していくんですね。旅行記とか探検記を読むのは昔から好きですが、そんなふうに同化できる人もいればぜんぜんできない人もいる。多分大竹さんの行動形式は僕のそれに似ているところがあるんでしょうね。たまたま起きたことや思いつきで行動するところなど。


さて、この本を開いて最初に見た巻末に掲載された「この本に出てくる書籍や雑誌のこと」のリストにあった星野道夫の『旅をする木』がいつ出てくるかと気になっていたんですが、ようやくその話が。大竹さんに写真家になるというきっかけを与えたのはやはり星野道夫でした。


大竹さんが星野道夫という存在を知ったのは、きっと多くの人がそうであったように彼の訃報がきっかけだったようです。

それは大竹さんが大学2年の夏休みのとき。当時大竹さんはワンダーフォーゲル部に入っていて昼下がりの部室で夏合宿の準備をしていたとき、その年に入部したばかりの後輩が新聞を手に持って部室に現れたそうです。でも様子がおかしい。無言で悲しげに新聞を見つめる後輩に声をかけたら、彼が好きだった星野道夫という写真家がヒグマに襲われて亡くなったことを聞かされる。で、大竹さんは早速その帰り道に書店に行き、星野道夫の写真集を見て心打たれる。それから手にしたのが『旅をする木』。


自然のことを伝えるという仕事がいったいどんな形をとり得るのか、それまではよくわかりませんでした。しかし、星野道夫という写真家の存在を知り、写真と文章という表現の可能性を目のあたりにした気がしました。

で、大竹さんは大学3年の冬、周りが就職活動の話で騒がしくなってきた頃に、はじめて一眼レフのカメラを買います。そして今があるんですね。


塩屋で余白珈琲の大石くんから大竹さんの話を聞きながら、さらにその日のもらった『たくさんのふしぎ』に載った大竹さんの文章や写真を見ながら星野道夫との近さを感じていたんですが、やはりこんなきっかけがあったんですね。そしてこういうつながりを本当に嬉しく思います。


ちなみに何度か書いたように僕が星野道夫のことを知ったのは池澤夏樹の1986年5月に出た『未来圏からの風』を読んで。あの本を読んでいた時の気持ちの良さはなかったですね。で、池澤さんと星野道夫との対談を読んで、彼の本を買い集めました。もちろん最初に買ったのは『旅をする木』。

そして、その3ヶ月後に新聞(朝日新聞)に載ったこの記事で彼の死を知ることになります。

大竹さんの後輩がその日見たのもこの記事だったんでしょうか。


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by hinaseno | 2018-07-09 14:55 | 文学 | Comments(0)

ラジオデイズから小池昌代さんと平川克美さんの対談のコンテンツが発売されました。

小池昌代さんと平川さんの対談

いったい何年ぶりだろう。2013年8月29日に書いたブログでその前日にUstreamで生で配信された対談を見たことを書いていたのでどうやらそれ以来5年ぶり。

小池さんの声って相変わらず魅力的です。そして小池さんを相手にされると平川さんの声のトーンもちょっと(かなり)変わります。


冒頭は二人の出会いのことから。平川さんの口から「不思議な縁」という言葉が出てきます。


不思議な縁で。かつてNHKで『ブックレビュー』というテレビ番組があって、NHKから僕に電話があってね、小池昌代さんという人が僕と内田くんが書いた本を取り上げるんだと。小池昌代って誰だよ、と。

ここで大爆笑。あとは聴いてみてください。

テーマは戦後詩。

詩には詳しくないけれども、今回とりわけ興味深かったのは、松村圭一郎さんとの対談で登場した熊本の詩人のこと。

平川さんと松村さんとの対談、松村さんが熊本のご出身とのことで熊本にゆかりのある詩人の話になったんですね。石牟礼道子さんや伊藤比呂美さんなどはご存知だったようですが、平川さんがとりわけ驚かれたのが谷川雁。平川さんが学生時代に詩作をされていたときにとりわけ大きな影響を受けたのが谷川雁だったようで、その谷川雁が熊本出身だと知って、そこで飛び出した平川さんの言葉が「熊本って、やっぱ変だわ」。その谷川雁についての小池さんとのやりとりもとても興味深いものがありました。


ところで僕が小池昌代さんのことを知ったのはやはりNHKで放送されていた『週刊ブックレビュー』でした。見ていたのは児玉清さんが司会をされていた頃。ときどきは木野花さんも司会をされていました。

『週刊ブックレビュー』のゲストで特に惹かれたのが川上弘美さんと小池昌代さん。どちらも綺麗な方だったこともありますが、紹介される本が僕の趣味にあっていたんですね。

で、その頃に買ったのがこの本。

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川上弘美さんの『なんとなくな日々』、そして小池昌代さんの『屋上への階段』。いずれも2001年3月に出版。それぞれの本はその後、買ったり手放したりを何度かしていますが、この本だけはずっと持っています。いいエッセイが多いんですね。そういえば川本三郎さんが何かで川上さんの『なんとなくな日々』に収められた「玉音」というエッセイを取り上げていました。


さて、内田樹先生と平川克美さんの共著である『東京ファイティング・キッズ』が発売されたのは2004年10月。お二人の往復書簡が内田先生のサイトで続けられている時からそのやりとりに関心を持っていたので、本が出たときにはすぐに購入しました。でも、この本を出されたとき、内田先生はまだ知る人ぞ知るという存在。平川さんはこれが初めての本。


というわけなのでこの本がテレビで(しかもNHK)取り上げられたときの驚きといったら。それ以来小池さんへの関心はさらに高まることになり、駒沢敏器との出会いにもつながっていきます。

平川さんもこのときに小池さんに褒められたのがきっかけで次の、ご自身にとっては実質的に最初の本となる『反戦略的ビジネスのすすめ』を執筆されることになるんですね。小池さんもたまたま出会ったはずの『東京ファイティング・キッズ』をあのときテレビで取り上げることがなければ、今の平川さんはなかったのかもしれません。


ところで平川さんといえば『言葉が鍛えられる場所』が本になるもととなったサイトで新たな連載が始まっています。タイトルは「見えないものとの対話」。いいタイトルですね。「見えないもの」、英語で言えば「invisible」。

「invisible」といえば是枝裕和さんの『万引き家族』がパルムドールを受賞した時に、審査員長の方が授章式での言葉の中にこの「invisible」という言葉を使ったことに是枝さんが強く反応されていました。「見えないもの」に目を向けることができる人、対話できる人であるかそうでないかは僕にとっても大きな分かれ目のような気がします。


さてその平川さんの「見えないものとの対話」の第2回目が「『まる』のいた風景」

「まる」というのは平川さんが飼っていた犬。いや「飼っていた」というのは正確な言葉ではないのかもしれない。

「まる」のことは昔からいろんなエッセイに書かれていて、今回のエッセイに書かれているエピソードのほとんどは知っているなと思いながら読み進めていたら、最後に思わぬ話が。


 休日の早朝から犬連れの男を迎い入れてくれる店はなかった。
広尾にある大きな公園で、近所にあった犬を入れても大丈夫な喫茶店が開く時間まで時間をつぶした。
 わたしは、毎週末、この店に通うことになった。
 昼の間、何時間も足元に「まる」を座らせて、わたしにはどうやって時間を潰せばいいのか思案に暮れた。
 わたしにとって、最初の著作はこのときに書かれたものであった。

あの『反戦略的ビジネスのすすめ』に、ビジネスの本からはかけはなれた他者に対する慈しみのようなものが感じられたのはそのせいだったんですね。


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by hinaseno | 2018-06-19 15:33 | 文学 | Comments(0)

松村圭一郎さんの寺子屋で題材にしている石牟礼道子の『苦海浄土』を”ひとり寺子屋”で読み始めましたが、1章の途中で中断。

実は石牟礼さんの本は一冊も読んだことがなく、亡くなられたときにいくらか目にした情報と平川さんと松村さんの対談で語られたこと以外はほとんど何も知らなかったので、とりあえず『苦海浄土』が書かれた背景を知った方がいいと思い、本の最後に収められている池澤夏樹の解説、さらに月報に書いた文章を読むことにしました。

いずれもかなりの長文。「日本文学全集」ではなく「世界文学全集」の中に唯一日本人の作品として入れた池澤さんの強い思いが記されています。

それを読みながら思ったのは、公害という病気のことを別にすれば、母親の生まれ育った土地の物語にひどく似ているなと。かつて幸福な海があった場所が高度成長期に行政と企業によってなされた事業によって汚され消されてしまう。漁民たちをはじめ海に関わる仕事を生業にしていた人々は生活の場を失い、あるいは村民同士の対立から村を去り、過疎化が急速に進み、そして村が死んでいく。

そういえばスロウな本屋の小倉さんから、寺子屋では『苦海浄土』の前にまず石牟礼さんの『椿の海の記』から読むことを始めたと聞きましたが、池澤さんの解説を読んでなるほどと。そこには水俣がまだ幸福な土地であったときの石牟礼さんの幼時の記憶が書かれているようです。ということで『苦海浄土』はちょっと後に回して僕も『椿の海の記』から読むことにしました。きっと母の記憶とかなり重なっているはず。


もしも僕の母方のファミリーヒストリーを書くとしたら、やはり最初は母が幼少期を過ごした町の前に広がっていた美しい海のことから書き始めることになるだろうと思います。浜辺で遊び、夏になれば泳ぎ、さまざまな貝や海藻などを獲っていた幸福な日々のことから。

で、そこから時代は300年くらい遡って、江戸時代の阿波国の吉野川上流の山間の町にあった問屋を営んでいた家の、たぶん次男であると勝手に思っている元良という人物の話になります。彼は医学の勉強をしていて、特にお灸を研究していました。時には治療のようなことをして。

ある日その家に備前の国の港町に住む商人が海を渡って船でやってくる。元良が医学に詳しいことを知り、その商人は自分の村に医者がいないので、元良にぜひ村にやってきてほしいと頼む。彼は元良に彼の住む村やその前に広がる海の素晴らしさを語る。悩んでいる元良に、では一度村にやってきてその海を見て欲しいと言う。もし気に入らなければ仕方がないと。

元良は父に相談する。父は、暇があれば本ばかり読んでいた元良が商いに向かないことはよくわかっていたので備前の地に行くことを許可する。

そして元良は商人の船に乗って吉野川を下り、瀬戸内海を渡って備前の地に入る。ちょうど船が村のある湾に入ったときに日が沈むかけて、海はその名の通り錦色に輝いていて、それを目にした元良はその素晴らしさに感動し、その地に住むことを決心する…

そして時代は再び下る。母親が結婚してその村を去ったまさにその年、湾の入り口を堤防で締め切ったところで物語は終わる。


ここまでの話であれば物語のタイトルは「もうひとつの苦海浄土」ではなく「錦の海の記」のほうがふさわしいようです。

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by hinaseno | 2018-05-29 12:53 | 文学 | Comments(0)

「晩春」と「初夏」は五月下旬のちょうど今頃の時期を表す言葉なのにずいぶん肌触りが違う。明るさも、湿り気も、風の吹き具合も違う感じがします。いうまでもないけど「晩春」の方が少し暗くて湿度もある。


10の短編からなる上林暁の『晩春日記』は1月ごろに数編読んで中断、4月下旬、つまり晩春に入って読むのを再開しました。そのときには吉田篤弘さんの『神様のいる街』に『晩春日記』のことが出てくるなんて知る由もなし。


上林暁の『晩春日記』が出版されたのは終戦翌年の昭和21年9月。ということなので10の短編すべてに戦争が深く入り込んでいます。さらに奥さんも回復する見込みのない病に陥っていて、その意味では暗い作品が多い。

でも、だからこその明るさや幸福が上林さんの作品にはあるんですね。とりわけ7編目の「風船競争」はかなり笑えます。たぶん本当にあった話だとは思いますが上林さんらしさが炸裂。


読みながら、おっ、おっ、となったのが次の「嶺光書房」。「嶺光書房」なんて出版社が知らないなと思いながら読み始めたら、おっと思うことがいくつも出てきました。

戦争が続く中、「嶺光書房」から上林さんの作品が出る話が進んでいたんですね。少しでもお金が必要な上林さんにとってはぜひ出版してほしい。でも、空襲によって出版社とあった建物が被災して預けていた原稿が失われたりする。おっと思ったのはこの部分。


書下ろしの原稿で、草稿も何もないのが一つあつた。私は一旦は落膽したが、本の題名もその作品から採つてあるし、その作品が無くては、一冊の本の主柱が失はれることになるので、私は勇気を揮つて筆を動かし、改めて稿を起すことに肚を決めた。そして、朧げな記憶を頼りに、思ひ浮ぶ断片を綴り合せてゐるうちに、漸くもとの形に近いものに纏めあげることが出来た。

これ「夏暦」のことじゃん、でした。『夏暦』が出版されたのは1945年11月。発行所は筑摩書房。

そうか、上林さんは筑摩書房を嶺光書房と名前に変えて作品を書いていたんだなと。とすると登場人物も。

実はその嶺光書房から本を出す予定になっている作家で気になっていた人がいたんですね。その作家の名前は永濱高風。こんな話が出てきます。


「永濱氏もやられましてね。」と由利氏は附け加えた。
「さうですか。焼けたんですか。」
「書き溜めの原稿の入つた箱だけ提げて、身を以て脱れたんださうです。今写してゐるのも、その一部なんです。」
「さうですか。」と私は唸るやうな気持で聞いた。つづいて私は、「さうですか。」と二度繰り返し、「あの名高い麒麟館も焼けたんですかね。」と溜息を洩した。
 私達は、「麒麟館主人」として永濱高風氏を知つてゐた。高風氏の住むといふ街を歩きながら、麒麟館はどのあたりかなと思ひながら、頭を回らしたこともあつた。さう思つてみると、街の空気も自ら他と異つて、高風氏の作品の醸し出す雅酵な情緒がそこらにたゆたつてゐるとしか思はれなかつた。その麒麟館も今は焼け失せて無くなつて了つたかと思ふと、文学上の聖地を喪つたやうな寂しさが湧いた。

永濱高風はもちろん永井荷風。麒麟館というのは偏奇館のこと。「嶺光書房」という作品ではその後も荷風の消息についての話が何度か出てきます。東中野に移ったこと。で、作品の最後はこんな形で終わります。


「永濱高風氏の原稿はどうなりました?」
「あれは、企画届が通らなくて、駄目になりました。例の情緒的なところが、いまの時勢にいけないんでせう。私は原稿を読んでみましたが、面白いものですがね。」
「闇から闇に葬るのは、惜しいなァ。」
「いつになつたら、世に出されることでせうかね。先生もまた東中野をやられましてね、今は中国筋の知人のところに身を寄せてるんださうです。」
 私は温かくなつた懐ろに触つてみながら、「これで空襲さへなかつたらなァ」と夕暮じみた空を見上げながら、御茶ノ水驛指して、歩いて行つた」

ということで、上林さんはどうやら荷風が岡山に疎開していたことを知っていたようです。ちなみに荷風は筑摩書房から同じ昭和21年に『来訪者』を出しています。


さて、その岡山という地名が出てくるのが『晩春日記』の最後に収録された「四国路」。岡山を通って郷里の高知に帰省する話。

実はこのゴールデンウィークに、本当に久しぶりに四国に行きました。行ったのは徳島だったんですが、土讃線に乗ったとき、このまま乗り換えせずにまっすぐ行けば上林さんの郷里の高知だなと、まだ一度も行ったことのない高知のことを考えていました。で、四国から戻った翌日に読んだのがその「四国路」だったんですね。

ということで次回はちょっと四国の話を。


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by hinaseno | 2018-05-23 15:18 | 文学 | Comments(0)

吉田篤弘さんの『神様のいる街』はこんな一節から始まります。これ以上ない書き出し。もうこれだけで、この本が僕にとって最高の本であることがわかりました。


 周波数を探っていた。日曜日の深夜だった。その時間帯だけ空気がきれいになる。壊れかけたラジカセのチューニング・ダイヤルを1ミリずつ動かし、東京から五百キロ離れた神戸のラジオ局の電波をとらえようとしていた。聴きたい番組があったわけではない。ただ、神戸の時間や空気とつながれば、それでよかった。

深夜であれば神戸のラジオ局の放送を東京で聴くことができたんですね。そういえば大瀧さんの『ゴー!ゴー!ナイアガラ』はラジオ関東という東京でもかなり小さな放送局で電波も弱かったはずなのに、ときどき神戸や、あるいは四国の徳島のリスナーからのハガキが届いたりしていて、大瀧さんもびっくりされていました。

深夜の電波ってすごいですね。それはさておき、この初めの一節から共感を覚える話の連続。

ということで、いくつか激しく共感を覚えた言葉を並べておきます。


 この街には無数の物語があった。小さな箱におさまった物語が街の至るところに並びーーそれはつまり小さな街に小さな店がひしめいている様そのものでもあったがーー本棚に並ぶ書物のように、ページをめくれば、そこに尽きせぬ物語が隠されていた。
 街の人たちは、そのいくつもの物語をそれとなく知っていて、物語を引き継いだり、ときには、物語に突き動かされたりしながら毎日を生きている。僕は勝手にそのページをめくって読みとろうとしていた。


 思えば、子供のころから偶然や運命といったものに特別な思いを抱いてきた。偶然と運命は正反対の言葉のように思われるが、何かちょっとした偶然を見つけたとき、それがそのまま自分の運命だと受けとってきた。


 異人館には行かない。ポートタワーにものぼらない。高いところから夜景を眺めることにも興味がなかった。
 海と山がすぐそこにあることが、この街の素晴らしさを際立たせているのは間違いない。でも、それはあくまで海と山が街とひとつになっているからで、重要なのは、なにより街だ。


で、『夏暦』の話。


 初めて働いたお金で本を買ったとき、嬉しくもあったが、ひどく哀しい思いにもなった。件の古本屋に、あと四冊のこっていたはずの上林暁の本はすでに売れてしまい、わずかに一冊だけ売れ残っていた。残された一冊ーー『夏暦』という本であるーーを迷わず買い、夜中にページをひらいて、心静かに哀しい気持ちで読んだ。
 素晴しい本だった。何をさしおいても、読むべき本だった。きれいに整えられた全集を図書館から借りて読むのではなく、戦後の貧しさが染みついた、そのぼろぼろの本を自分の右手と左手でページを繰りながら読んでいくーー。
 本に戦争が染みついていた。そこに時間が流れていた。本の中の時間が右手と左手からステレオで伝わってくる。ざらざらした紙に触れることは、そのまま時間に触れることで、古本を買うということーー手に入れるというのは、こういうことなのだと、ようやく理解しつつあった。

そして海文堂。そのあとハックルベリーも出てきます。このあたりは涙なくして読めない。あのあたりの店を歩いていたときの僕の気持ちをこれ以上ないほど見事に表現してくれています。


 本を一冊買うのもまた同じで、古本は神保町で購めたが、新刊書店に並んでいる現役の本は神戸で買うことにしていた。具体的に云うと、東京でも買える本を、元町の〈海文堂書店〉で買っていた。それは、そうした決まりを自分に課していたのではなく、ひとえに〈海文堂書店〉が、どこか古本屋のような新刊書店だったからである。
 本の並びの妙だった。二十四色の色鉛筆を、どんな順番で並べていくかという話である。新刊書店の本の並びは、たいてい赤から始まって紫に至る。著者がアイウエオ順で並んでいている教科書どおりのグラデーションになっている。便宜をはかってそうなっているのだろうか。背表紙を追っていくこちらの目を驚かさない。
 一方、古本屋の棚では、思いがけないものが隣り合わせていた。その並びが、巧まざる「奇異」や「妙」を生む。
 古本屋の棚は街の中のシュールレアリズムだった。
 本棚が生きもののような力を持つのは、この「奇異」と「妙」が自然に生まれ、そのうえ、一見、ランダムに見える並びが、隠された暗号やパズルを解く楽しみを孕んでいる場合である。誰かの目にはでたらめに映っても、またとない脈絡が見える。
 そうした絶妙さを小さな店構えの棚に見つけたのではなく、〈海文堂書店〉という、それなりの広さを持った二階建ての新刊書店の棚から感じとった。稀有なことだった。海にほど近い場所の力もあったかもしれない。海の近くの本屋で、刷り上がったばかりのあたらしい本や、見過ごしていた本を手に入れる喜びーー。
 これは、通い詰めた店々に共通して云えることで、中古レコードの〈ハックルベリー〉も、古本の〈後藤書店〉も、〈元町ケーキ〉も〈エビアン〉も〈明治屋神戸中央亭〉も、いずれも「海側」にあった。それらの店から海が見えるわけではないが、外国の船が停泊する穏やかに晴れた海がすぐそこにあるということが、本やレコードに触れる時間や、気軽に食事をする時間を独特なものにしていた。
 そこにあって見えないがゆえに、視覚ではなく、体の中のどことも云えないところに、海が快く働きかけていた。

もうただただうなずくばかり。

ところで、この本を読みながら、吉田さんはいったいどういうきっかけで神戸に惹かれるようになったのかと考えていたら、僕自身のきっかけを思い出しました。

That reminds me of a story.

きっかけは、牛窓。


それは牛窓がギリシャのミティリニという街と姉妹都市提携をした1982年の数年後、たぶん大瀧さんの『EACH TIME』が出た翌年の1985年くらいの夏のことだと思うけど、牛窓でミティリニと姉妹都市提携を祝うイベントのようなものがあって、それに行ったんですね。確か僕のよく知ったギリシャ関係の研究者の講演会のようなものがあったはず。だれだったんだろう。牛窓へ一人で行ったのはその時が初めて。


当時牛窓にはあちこちにペンションやおしゃれなレストランが作られていて、町には各地から来た観光客であふれていました。とりわけ、夏休みということもあって若い人たちがいっぱい。

で、あるレストラン(今はもうない)に入って食事をしようとした時、やはりテーブルはどこもいっぱいで相席にということになりました。目の前にいたのは2人の20歳前後の女の子。

そのひとりから声をかけられたんですね。それはちょっとした人違い。でも、それをきっかけにして食事をする間、いろいろと話をしました。当時僕は広島に住んでいて、帰省ついでに牛窓へ行ってたんですが、彼女たちは僕の知る岡山や広島の女の子たちとは全然違う雰囲気を持っていました。どこから来たのと訊いたら神戸だと。

食事の後も、その二人(当時、短大生)といっしょにそのあたりをぶらぶらして、で、いっしょに写真を撮ったりしました。そしてその写真を送るということで、二人のうちの最初に話しかけられた人の住所を聞きました。


ここからがまたちょっと長い話になってしまうのだけど、僕は実はもうひとりの、どちらかといえば控えめだったもう一人の女の子の方に惹かれてしまったんですね。いくつかの、やや手間取った過程を経て、僕はそのもう一人の女の子と手紙のやり取り、ときどきは電話で話をするようになりました。彼女の電話や手紙の言葉を通じて僕は神戸の空気を感じ取っていました。ああ、神戸に行きたいと。でも、広島と神戸では、当時の意識としてはあまりにも遠かった。

いずれにしてもそれがきっかけで僕の頭は神戸一色。牛窓も、広島への行き帰りに通っていた尾道もすっかり色をなくしてしまって、僕は機会をみては遠く離れた神戸の情報を拾い集めるようになりました。

『神様のいる街』で「僕は『神戸』という街の名前を口にするだけで、あるいは、その文字の並びを目にするだけで嬉しくなってしまう」と書いていますが、全く同じ。


で、翌年のたぶん5月のある日、神戸大学で行われた、ちょっと大きな会に参加することになりました。ついに神戸へ。

その日は快晴。

考えてみるとその日以来、何度も神戸には行きましたが、僕の印象ではいつも神戸は晴れていました。『神様のいる街』の帯に書かれていた言葉どおりに。

で、その素晴らしく晴れた天気を見て、彼女に会いたくなったんですね。”大きな会”はすっぽかそうと。電話したら運よく家にいて、三ノ宮の駅まで来てくれることになりました。で、一緒に行ったのがポートアイランド。『神様のいる街』に出てくる「無人電車」、ポートアイライナーに乗って…。


あれからもう30年。

昨日、久しぶりに神戸に行ってきました。神戸といっても、神戸の西の方の小さな海街、塩屋。この話はまた後日。


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by hinaseno | 2018-05-19 12:35 | 文学 | Comments(0)

『おかしな本棚』に載っている比較的新しい本で、クラフト・エヴィング商會の人たちがかなり自分と趣味が合うことを確認して、クラフト・エヴィング商會や吉田篤弘さんの本を買い集める一方で、次第に”美しく年老いた”本、つまりブックオフなんかには並ばないような古い本に興味を持つようになります。まあ、もともと古いもの好きではあったわけですが、この本がきっかけとなって僕の古本屋巡りが始まったんですね。

ブックオフのような新刊に近い古書を扱う店にはよく行っていましたが、そこには置かれないようなかなり古い本を扱う店、ということで最初はやはり神戸でした。海文堂書店にも古本を扱うコーナーもありましたね。『おかしな本棚』に載っている本を見つけたときにもうれしかったけど、次第にそれ以外の古本にも興味を持つようになりました。


で、古本集めを始めたときに一つのルールを作ったんですね。

本は絶対にネットで買わないぞ、と。


このルールを最初に崩したのが上林暁の『夏暦』でした。

前にも書きましたが、僕はタイトルに「夏」と付いているだけで強く反応する傾向があります。もちろん使われ方によっては、ただダサいなと思うだけですが、例えば池澤夏樹の『夏の朝の成層圏』との出会いも、何よりもそのタイトルに惹かれました。そして『夏暦』という言葉もありそうでない、魅力的な響きを持っていました。これはぜひ手に入れたいと。


ところで『おかしな本棚』には上林暁の本が『夏暦』以外にもう2冊紹介されていました。

『晩春日記』、そして『星を撒いた街』。

『夏暦』とは別の本棚に入っていましたが、いずれも”美しく年老いた”、しかも魅力的なタイトルの本でした。


偶然というか、縁というか。上林暁という人に関心を持ち始めていたときに『レンブラントの帽子』で知った夏葉社から、まさにその上林暁の本が出ることを知ります。タイトルは『星を撒いた街』。

発売されたのは2011年6月25日となっていますが、僕が知ったのは夏の終わりか秋近くだったかもしれません。

どこで売っているんだろうかと調べたら、今はなき岡山の万歩書店の平井店に置かれていることを知り(実は海文堂書店にも置かれていたのに気づかなかった)、そこで購入。

で、そのときに一緒に置かれていたのが、その前年に出ていた『昔日の客』。この話、何度書いているかわからないけど、まさに運命の1日ですね。ということで『おかしな本棚』がなければ、夏葉社との出会い、というか再会(僕の場合は本当の出会いはほとんどが再会という形になっています)はありませんでした。


ところでその万歩書店平井店には”美しく年老いた”本がいっぱい置かれていたので、そこに毎月1回くらい行くのが本当に楽しかった。『おかしな本棚』に載っている本をたくさん買ったな。


そして、これも何度も書いたように、2011年の暮れのある日、姫路の、商店街からちょっとはずれた路地を歩いていたときに見つけたのが、ツリーハウスとおひさまゆうびん舎という古本屋でした。

そのおひさまゆうびん舎で夏葉社の本を取り扱ってもらうようになり、そしておひさまで買えるようになった最初の夏葉社の本が上林暁の『故郷の本棚』。これも不思議な縁。


そういえば僕がおひさまに出会った頃に、一番探していたのが小沼丹の本で、それがきっかけでYさんと知り合い、そのYさんに教えてもらったのが木山捷平。そうしたら上林暁の『故郷の本棚』に「木山君の死」という随筆があって、2人が親友だったことを知るんですね。もう何もかもが運命的なことだらけでした。


おひさまゆうびん舎の窪田さんとはいろんな本の話をする中でクラフト・エヴィング商會や吉田篤弘さんの話もしました。でも、最初は知らなかったようで、ときどきはこれはクラフト・エヴィング商會が装幀した本だよとか言って、クラフト・エヴィング商會が装幀した本を並べてフェアしたら面白いかもと言ったりしていました。

ある日、僕の持っていたクラフト・エヴィング商會関係の本を、『おかしな本棚』だけを残してどっさりとおひさまゆうびん舎に売ったんですね。早い段階で全部売れちゃったみたいだけど。


ところで夏葉社から『星を撒いた街』が出たことにきっと吉田さんが反応するだろうなと思ったらやはり。『本の雑誌』の2012年1月号に載った「私のベスト3」という特集で、吉田篤弘さんが夏葉社の『星を撒いた街』を選んだんですね。これもうれしかったな。

どうやらこれがきっかけで夏葉社の島田さんと吉田さんとのつながりができたようで、2012年の暮れに夏葉社から出た『冬の本』に吉田篤弘さんの文章が掲載されることになります。今回の本への道は少しずつ作られていたようです。


ところで『夏暦』のこと。おひさまゆうびん舎で島田さんに初めてお会いしたときだったか2度目だったか忘れましたが、僕が上林暁の『夏暦』を探していることを話したんですね。そうしたら島田さんが「『夏暦』は古書価格ではそんなに高くないですよ」って言われて初めて日本の古本屋というサイトを覗きました。調べたら確かにそんなに高くない。ってことで、日本の古本屋を利用して初めて古本を買いました。


ってことで、夏葉社から吉田篤弘さんの本が出て、おひさまゆうびん舎でそのフェアが開かれて、そして僕の『夏暦』が飾られているというのは、この上なくうれしい、というか改めて考えれば夢のような話。しかもその本が、神戸についての話、そして上林暁の話が出てくるわけですから、もうたまらないですね。


ところで、おひさまに展示された本には『夏暦』以外に上林さんの本が2冊飾られていました。『晩春日記』と『文と本と旅と』。

この2冊、去年だったか岡山で開かれた古書市に出品されていて購入希望を出したんですがダメだったもの。で、『晩春日記』はそんなに高くないものがネットで見つかったので買いました。今、読んでいるところです。


そういえば展示されていた本には、それぞれが『神様のいる街』に出てきた文が横に貼られていたんですが、それに気がついて読むのやめました。せっかく苦労して作られたのにね。

というわけで家に戻って、果たしてどんな形で上林暁の『夏暦』が登場するのか、わくわくしながら『神様のいる街』を読み進めました。こんなにわくわくしながら本を一気読みしたのは久しぶり。

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by hinaseno | 2018-05-16 13:16 | 文学 | Comments(0)



クラフト・エヴィング商會の『おかしな本棚』の発行日は2011年4月30日。手に入れたのは5月くらいでしょうか。


2011年といえば3月11日に起きた東日本大震災・原発事故以来、しばらく本も読めない、音楽の聴けない状態が続いたわけですが、ようやく本が読めるようになった頃に出会ったのが『おかしな本棚』だったわけです。今更ながら、この本の影響の大きさを感じずにはいられません。この本と出会っていなければ、夏葉社ともおひさまゆうびん舎とも出会うことがなかっただろうと。ちなみにおひさまゆうびん舎が生まれたのも2011年の3月。


さて、『おかしな本棚』。本を開くと僕の知らない本がずらりと並んでいました。でも、何冊か持っていたものやその並べ方(例えばp39には小西康陽『ぼくは散歩と雑学が好きだった。 小西康陽のコラム1993-2008』と川本三郎『銀幕の東京』が並んでいて、少し離れたところには小川洋子の『猫を抱いて象と泳ぐ』がある)などを見ると僕とかなり趣味が合うことがわかりました。音楽も好きそうだし(重要な要素だ)。


で、いろんな本棚の写真を眺めていたときにハッと気がついたのがこのページの写真でした。

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下の段には『兵庫神戸のなんどいや』と『わいらの新開地』と書名が書かれているのに写真を見るとその2冊には白いブックカバーがかかっている。よく見たらそれは見なれたカバー。そう、あの帆船が描かれた海文堂書店の白い方のカバー。

これは教えてあげなくちゃと思って、すぐに神戸にとんで行きました。まあ、とんで行ったとはいっても、例によってハックルベリーに立ち寄って2時間くらいレコードあさりをして何枚かの中古レコードを買ったあとで行ったのだけど。

でも、店に行ったとはいえ、そんなに常連ってわけでもなく、どう声をかけていいかわからないと思って、とりあえず文芸コーナーに行ったら、なんと『おかしな本棚』がきちんと立てかけられて、海文堂のことが載っていますと書かれたポップも添えられていたんですね。

でも、これがきっかけでさらに海文堂書店が身近に感じられるようになって、何度も店に通うようになりました。もちろんその前にハックルベリーに行って、それから海文堂書店に立ち寄った後はM&Mでコーヒーとケーキをたのんで大音量で流れるジャズを聴きながら、その日買ったものを眺めていたわけです。ああ、なんと甘美な日々。まさかその2年後に海文堂書店がなくなるなんて思ってもみませんでした。


さて、『おかしな本棚』の写真には作者もタイトルも知らないけれど、なんとなく惹かれる本がいくつか飾られていました。で、その中の一つが上林暁の『夏暦』でした。

上林暁? 一体どういう読み方をするのかもわからない。

ちなみにその隣には『麦秋』などのシナリオを収録した小津安二郎・野田高梧の『お茶漬の味 他』が並べられていたのも、後から考えてみればなんとも運命的。

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by hinaseno | 2018-05-15 13:30 | 文学 | Comments(0)