人気ブログランキング |

Nearest Faraway Place nearestfar.exblog.jp

好きなリンク先を入れてください

Talks About Music, Books, Cinema ... and Niagara


by hinaseno
プロフィールを見る
画像一覧
更新通知を受け取る

カテゴリ:文学( 192 )



いろいろと忙しくてブログ、中断してしまいました。中断の一番の理由は台風でした。島田さんの夏葉社のお祝いを書いていたのに、その夏葉社の名前の由来になっている高知の室戸のあたりの山間部はかなり大雨が続いていたので、とてもお祝いの言葉を書けるような気持ちになれませんでした。とりあえず被害はなかったようでなにより。

ということでお祝いの話の続きを。

夏葉社のこと、夏の葉のことをあれこれと考えていたちょうど10日前の8月8日の朝、毎朝、一番に見ている鷲田清一先生の「折々のことば」で、「わくらばに」という古語が紹介されていたんですね。鷲田先生のことばを読んで、へえ~っと。


「わくらばに」

「まれに」「偶然に」という意味。わくらば(病葉)は、夏の頃ときたま見られる、紅葉のように色づく朽ちた木の葉のこと。そこから偶然を象徴的に表す語として用いられてきたという説がある。人には色づく季節もあれば、蝕まれ、枯れゆく季節もある。枯れゆくその季節の早すぎる到来に偶然の意味を託した古人の想いはどこから来るのか。夏の盛りにかもすそのうら寂しさは。


「偶然」という言葉に超敏感に反応してしまうんですが、これはまさに夏の葉に関する話だったんですね。「わくらば」は「病葉」という漢字があてられているように「夏の頃ときたま見られる、紅葉のように色づく朽ちた木の葉」とのこと。それが「偶然」の意味につながると。

鷲田先生は書かれていなかったんですが、「わくらば」には別の漢字があるんですね。

「邂逅」。

あの「邂逅(かいこう)」を「わくらば」と読むとは。「邂逅」という言葉との出会いは亀井勝一郎の本だったんですが、邂逅について一番心に残っているのは大瀧さんの次の言葉でした。


 細野さんは「邂逅」、山下君は「出会い」。


大瀧さんと達郎さんとの出会いも、そのいくつもの偶然を考えると、すごい出会いとしかいいようがないんですが、大瀧さんにとっては「出会い」なんですね。一方で、細野さんとの出会いは「邂逅」だと。偶然の、しかも一生を左右するような出会いだということですね。


さて、僕の夏葉社との出会いを考えると、やはりそれはまさに邂逅だったなと思います。信じれないような偶然の出会いがいっぱいありました。

で、あらためて「わくらばに」という言葉の意味を。

「夏の頃ときたま見られる、紅葉のように色づく朽ちた木の葉のこと」。

考えたら夏葉社の本は他の新刊の本と並んでいると、色も、その装丁も他の本とは全く異質な輝きを持っているんですね。その輝きはある人の目からすると「朽ちた木の葉」のような感じがするかもしれません。でも、それを美しいと感じることのできる人は確かにいる。その美しさにはまると抜け出せなくなってしまうんですね。

今日もきっとどこかで夏葉社の本と邂逅している人がどこかにいる。


島田さん、10周年、おめでとう。

オリンピックというものが1年を切る中(やめたほうがいいのにね)、夏葉社はどんな本を出してくれるんだろう。


by hinaseno | 2019-08-18 15:46 | 文学 | Comments(0)


 会社の名前は、いろいろと考えて、「夏葉社(なつはしゃ)」にした。
 毎日、口にするだろう社名は、すこしでもいいから、室戸と、ケンとつながっているものがよかった。
 ぼくは、山に覆われた室戸の町を目に浮かべ、それで「夏」と「葉」とつけた。
 幼いころ、ふたりで駆けまわった、夏の日々。
 背の低い山々が、いつでも、ぼくとケンの背の向こうにあり、振り返ると、無数の濃い緑の葉の上に、真っ白な光がたくさん散っているのだった。
                 (島田潤一郎『あしたから出版社』)


僕にとっては特別すぎる出版社、夏葉社。夏葉社との出会い、あるいは夏葉社を通じてのさまざまな出会いのことを考えると、胸がいっぱいになってしまう。夏葉社という会社も、島田さんも、夏葉社を通じて知り合った人も、全てはまだ現在進行形なのに、少年の頃の、夏の思い出を呼び起こしたときのような、懐かしく、そして切ない気持ちになってしまうのはなぜだろう。


島田潤一郎さんが夏葉社というひとり出版社をはじめたのは2009年の9月1日のこと。この9月で10周年ということになります。ということでちょっと早いけど、お祝いを兼ねて久しぶりに夏葉社のことについて書いてみようと思います。

とはいえ夏葉社をめぐる不思議な縁についてはもう何度も書いてきたので、今回は「夏葉社」という名前について書いてみようかと。

それにしても夏葉社とは本当にいい名前です。「夏」も好きだし「葉」も好きだし、なにより「なつはしゃ」という4つの言葉の中に「ア音」の言葉が3つ入っているのがいいんですね。口にして明るい気持ちになれます。


さて、ここで少し前に本屋でたまたま目にして買った本の話を。それは岡本仁さんの『また旅』という本。

a0285828_15084199.jpeg

岡本さんの本はこれまで何冊か買ったことがありました。最初に買ったのは『今日の買い物。』。それから岡山の人間としてはたまらない岡山本『岡山はおだやか。』。いずれも何かで取り上げられていたので買ったんですが、今回はたまたま目に留まった本。

岡本さん、どんなところを旅して、どんな買い物をしているんだろうかと20あまり並んだ地名を見ました。

残念ながら岡山はなし。でも、鎌倉、神戸、尾道と個人的に愛している3つの海街が並んでいたので、とりあえず神戸を開いてみました。すると嬉しいことに愛する小さな海町、塩屋が。写真もたっぷり。

a0285828_15085179.jpeg

見たら784ジャンクションカフェさんとかや知った場所もいくつか。で、エッセイの最後には、あのワンダカレーさんのことも(店の名前は書いていない)。

ってことで、即購入。


家に戻って神戸のところを読んで、次に読んだのが尾道。そこに素敵な話が出てきたんですね。それは友人が教えてくれたという小さな書店でのエピソード。その書店の名前は紙片。

紙片さんのことは以前何か(瀬戸内関係の雑誌だっったっけ)で知って、今度尾道に行ったときには必ず寄ってみようと思っていたので、おっと思って読みました。


…その庭のまた奥に、目指す店『紙片』があった。もともとあった古い建物を改造して店舗にし、さらに入口の前に壁を立てたり屋根をつけたりして、とても面白い空間になっている。新刊と古書、そしてCDが並べられていた。数はそれほど多くはないけれど、ぼくには面白い本を見つけることが楽しいと感じられる適度な量だ。尾形亀之助の『美しい街』という詩集を手に取ってみる。ぼくはこの詩人のことをまるで知らなかったが、タイトルが何よりも気に入り、そしてそこに添えられたデッサンも良かった。本を開いて確認したらやはり松本竣介が描いたものだった。何度でも読み返せる、長く付き合う本のような気がしたから、それを買うことにした。
 翌朝、宿のベランダで少し詩集を読んでみた。明るい作品ではなかったけれど、陰鬱というのとも違う。いま目の前に広がる、曇り空の下の美しい風景に似ていた。


尾形亀之助の『美しい街』は夏葉社が2年前に出した本。僕が買ったのはもちろん姫路のおひさまゆうびん舎。

この本が出るまでは僕も尾形亀之助という詩人のことは知りませんでした。でも、美しい水色のカバーに松本竣介のイラストというたまらない装幀。タイトルもよかったんですね。

a0285828_15093744.png

僕はいくつかの情報をネットで知った上で本を買ったんですが、でも、この本の知識を何も持たなくて、たまたま立ち寄った尾道の小さな書店でたまたま見つけて、で、本を買ったというのがいいですね。美しい海街で『美しい街』というタイトルの本を買う。こういう出会い方が夏葉社の本には相応しいような気がします。そんな出会い方をした人は岡本さん以外にもきっといるはず。それは旅の人かもしれないし、あるいは尾道のどこかで普通に生活している人かもしれない。

あるいは、たまたまどこかの店でこの岡本仁さんの『また旅』を手にして、で、尾道のところを読んで尾形亀之助の『美しい街』という本のことを知り、それを買ってみようと思ッタ人もいるかもしれません。もしかしたら紙片さんまで行って買った人も…。

そんな小さな偶然の出会いが起こるのが夏葉社の本だろうと思うし、そんな小さな偶然の出会いに支えられているようにも思います。


そういえば岡本さんの『また旅。』には島田さんの出身地の高知も掲載されているんですが、その最初に、ちょっと愉快な話が載ってたんですね。


 知人が披露してくれた小話。「四国の四つの県は、海を挟んだ対岸を意識し影響を受ける。愛媛は広島、香川は岡山、徳島は大阪、そして高知は……、パプアニューギニア」。ぼくはこのジョークが大好きだ。四つの県の中で、高知が飛び抜けて豪放磊落であることを、愉快に言い表していると思う。


島田さんもすごく繊細なように見える一方で、確かに豪放磊落なところも何度か見させてもらいました。やはり島田さんもパプアニューギニアを意識し影響を受けているんでしょうか。


by hinaseno | 2019-08-12 15:11 | 文学 | Comments(0)

ふと気になることがあって、『All About Niagara』を取り出し、大瀧さんのラジオ出演リストを見ていたら、片岡義男さんの「きまぐれ飛行船」という番組に大瀧さんがゲストとして出演していることがわかりました。1982年6月のこと。聴いてみたいな、これ。調べていたのは別のものだったんだけど。

さて、林哲夫さんの『ふるほんのほこり』に添えられた俳句のこと、本が送られて来る前から、ネットやSNSでいくつかの俳句は見ていたんですが、僕に送られてきた本の俳句は「えっ」という感じのものだったんですね。それからもときどきネットにあがっている俳句をいくつか見ましたが、はっきり言えば僕の本に添えられたもの(だけ?)は異質。

どう違うかというと、ネットで確認できた俳句はすべて五・七・五という定型で、さらに漢字が多く使われていたのに対して、僕の本に添えられた俳句は五・七・五ではない自由律俳句、そして漢字よりもカタカナの方が多い。

しかもそのカタカナの言葉の一つが、なんと「マグノリア」!


マグノリア、つまり木蓮。

木蓮の花をこよなく愛してきた人間なので、木蓮をマグノリアということはよく知っていました。このブログにも何度か木蓮のことを書いてきましたが、とりわけ今年の3月の末に自宅の庭に木蓮の木を植えたことから今まで以上に木蓮のことを考える日々を送っていたんですね。だからよけいに「マグノリア」という言葉には驚きました。

もちろん林さんも、善行さんも僕が木蓮の花を愛してきたとか、今年の春に木蓮を植えたなんて知るはずもない。ただ注文順に送ってくれただけのはず。で、こんな奇跡のようなことが起こるんですから、善行堂さんってすごいですね。いろいろと落ち着いたら必ず訪ねよう。


さて、その俳句です。


 一昨日のマグノリア 
     ページのまぶしさ

a0285828_15180308.jpeg


「一昨日」は「おととい」と読むはず。ということで言葉数は五・五・四・四(あるいは五・五・八)。改行されているところを見ると五・五が上の句、四・四が下の句ということでしょうね。

上の句と下の句の最後の言葉である「マグノリア」と「まぶしさ」は音の響きを合わせているんでしょうか。

庭に咲いた木蓮の花を見ながら、新しく手に入れた本のページをめくる風景。たまらないですね。

「木蓮」が入っている俳句としては内田百間が作った「木蓮や塀の外吹く俄風」が好きだったんですが、個人的には林さんの俳句の方がはるかにいい。額に入れておきたいくらい。いや、もう一冊、本を手に入れて、こちらのは切り取って額に入れて飾ろう。絵があればいいけど。


この俳句のポイントはなんといっても「一昨日(おととい)」ですね。昨日よりも一昨日、明日よりも明後日のことを考えることが好きな人間なので、最初の「一昨日」という言葉だけでしびれるものがありました。僕だったら「早春の」とか「春の日の」とか「晴れた日の」とか「雨の日の」とかを入れたくなるところなんだけど「一昨日のマグノリア」ですからね。一昨日のマグノリアから見たらページをめくっている僕は明後日の、つまり未来の風景。


そう、未来のこと。

『ふるほんのほこり』のまえがきである「ほこりを払う」には林さんが『ちくま』の表紙を依頼された時のエピソードが書かれていて、これがまた、おっという話なんですね。ちょっと引用します。


『ちくま』は1998年以来、吉田篤弘+吉田浩美のデザインでPR誌に新風を吹き込んでいた。98、99年の表紙をクラフトエヴィング商會「らくだこぶ書房21世紀古書目録」が飾り、以後、たむらしげる、望月通陽、フジモトマサハル、そして奈良美智と続いたのである。「奈良美智から引き継ぐのか!」と気を引きしめたものだ。

ってことで、またまたクラフト・エヴィング商會が登場。調べたら『らくだこぶ書房21世紀古書目録』というのは単行本になっていることがわかりました。こちらはもちろん筑摩書房から。クラフト・エヴィング商會関係の本は『おかしな本棚』に出会って以来、それまでに出ていた本はほとんど集めたんですが、この『らくだこぶ書房21世紀古書目録』という本は知りませんでした。

早速取り寄せてみたらこれがすごい本。説明すると長くなる(一言ではとても説明できない)ので書きませんが、よくぞここまで書く(作る)なと感心します。本(古本)の『バック・トゥ・ザ・フューチャー』って感じ。『7/3横分けの修辞学』の本なんか最高。

a0285828_15182814.jpeg


帯の言葉は「すでに未来はなつかしい」。これは『あたらしいくだもの/なつかしいくだもの』という本の最後に出てくるこの部分の言葉から来ているようです。


こうして〈らくだこぶ書房〉から取り寄せた未来の書物を、少しずつかじるように読んでゆくうち、私たちは、これまでにあまり考えたことのなかった感覚を知ることになるのではないでしょうか?
 それはつまり、
「私たちは、いつでも懐かしさとともにある」
ということです。いずれは失われ、懐かしまれる世界。私たちは、いつでもそのような世界を生きている。
 それをあらためて未来に教えられた気がします。

なんだか泣けるような文ですね。

基本的に過去のことばかりを考えることが多い人間ですが、木蓮の木を植えたときには未来のことを考えました。花が咲くときに、はたして….と。


最後に木蓮つながりの話をもう少し。

父が亡くなって最初にいただいた線香が「もくれん」だったんですね。1日の最初にお茶と膳を供えたときには必ずこの線香を立てました。

それから先ほどわかったんですが、父の四十九日法要をする式場となる部屋の名前が「木蓮」。そんな名前の部屋があるなんてもちろん知りませんでした。

不思議としか言いようがないですね。

林さんには心から感謝です。

a0285828_15195075.jpeg


by hinaseno | 2019-07-12 15:20 | 文学 | Comments(0)

平川克美さんの待望の新刊『路地裏で考える』がちくま新書から発売されたようです。楽しみにしている「路地裏」シリーズの一つですね。シリーズとはいっても出版社はいろいろですが。

2014年に出た『路地裏の資本主義』は角川SSC新書、2015年に出た『路地裏人生論』は朝日新聞出版、そして2017年に出た『路地裏の民主主義』は角川新書。『路地裏の民主主義』はその年の5月に東京に行ったときに平川さんの隣町珈琲で買いました。もちろん平川さんにサインをいただいて。

で、今回は筑摩書房のちくま新書から。あくまで個人的な意見ですが出版社では筑摩書房がダントツで好きです。まあ、本好きならわかはず。平川さんの本が筑摩書房から出るのは『移行期的混乱』以来です。ただ、角川の新書のように表紙に平川さんの写真がないのが残念。絵になる方ですから。特に路地裏の風景に。

本はまだ手に入れていないけど、いろいろな過去の風景の中に、なつかしい未来が描かれているはず。で、それが今を生きる確かな指標となる。

そういえば、先日、とある方のブログにこの本の感想が書かれていたのですが、そこには気になる情報が。あれかな? ああ、読むのが楽しみ。


さて、その筑摩書房つながりの話。

先日、京都の古書善行堂さんから注文していた林哲夫さんの『ふるほんのほこり』という本が先日届きました。

a0285828_10524101.jpeg

書肆よろず屋という出版社から出ていますが、林さんが筑摩書房のPR誌である『ちくま』に連載していたものをまとめたもの。当時の『ちくま』の表紙も林さんが描かれていたんですね。『ふるほんのほこり』には表紙に使われていた絵が収録されているんですがどれも素晴らしいものばかり。林さんが表紙を描かれていたときの『ちくま』、まとめて手に入れたくなりました。


ところで筆者の林哲夫さんのこと、このブログにあまり書いていなかったですね。

林さんは画家の方ですが、装幀をされたり、また文筆業もされていて、いくつか本を出されています。僕が持っているのは『喫茶店の時代』と『古本スケッチ手帖』の2冊なんですが、古本好き、喫茶店好きにはたまらない本です。

林さんのことを知ったのはこちらのdaily-sumusというブログでした。古本関係のことを調べていたときに何度か、というか何度も検索に引っかかったんですね。最初は確か渡辺一夫の装幀について調べていたときだったはず。dailyの言葉通り毎日ブログを更新されているんですが、その内容の濃さといったらただただ驚くばかり。貴重な写真もふんだんに入れられて、データもきちんと書かれていることで、最大級の信頼を置くようになり、いつからか毎日欠かさず読むようになりました。

最も印象的だったのは2011年10月8日に書かれたこの「ツリーハウスの小山清」という記事でした。姫路にあったツリーハウスで開かれていた「生誕100年 小山清展」を訪ねられたときの話。記事の中にはおひさまゆうびん舎や店主の窪田さんの名前が出てきます。

実はこの記事、僕がおひさまゆうびん舎に初めて行った日の直前に書かれているんですね。でも、この記事を見つけたのはおひさまゆうびん舎に夏葉社の本を置いてもらおうと思ったときだったでしょうか。あの林さんのブログでも取り上げていたんだとうれしくなりました。おひさまゆうびん舎のことを知ってもらうために、夏葉社の島田さんにこのブログの記事のことを伝えたはず。


で、初めての告白ですが、僕がブログを始めようと思ったときに、このexcite blogを使おうと思ったのは、実は林さんがexcite blogを使っていたからなんですね。林さんのようなブログを目指そうと思ったわけです。

でも足元にも及びません。dailyにもなってないし。


さて、『ふるほんのほこり』のこと。善行堂さんから送られてきたものには林さんの俳句が添えられていたんですが、その俳句にびっくりしたんですね。(続く)


by hinaseno | 2019-07-10 10:56 | 文学 | Comments(0)

昨年の秋に出版された寺尾紗穂さんの『彗星の孤独』を久しぶりに取り出しました。読んでみたかったのは最後に収録された「二つの彗星 ーー父・寺尾次郎の死に寄せて」。

「昨日、父が死んだ」という書き出しでわかるように、このエッセイは寺尾次郎さんが亡くなられた翌日に書かれたもの。心の準備を十分にしていたとはいえ、亡くなったばかりの父親のことをこれだけ冷静に書いていることに改めて感心します。

その最後の言葉。紗穂さんは二人を楕円の軌道を描く彗星になぞらえています。その軌道が出会う確率は文字通り天文学的に低い。


 私も父も彗星だったのかもしれない。暗い宇宙の中、それぞれの軌道を旅する涙もろい存在。ふたつの軌道はぐるっと回って、最後の最後でようやく少しだけ交わった。そんな気がした。


ところで僕と父の関係のこと。紗穂さん父娘とはちがってどちらも動くタイプの人間ではないけれど、精神的な意味合いでいえば彗星のようにずっと離れていて、クロスしたといえるのは子供の頃と、二十年ほど前と、そして父の痴呆が進んでしまってからの3度だけだったかもしれません。ハレー彗星の周期よりは短い、のかな。

父とは物事の考え方があまりにもかけ離れていたため、高校時代あたりから、一緒に暮らしていてもほとんど会話らしい会話はしていませんでした。で、二十年ほど前のこと。その頃父はひとつ面倒なことを抱えていて、その心労から体調を崩し、入院することになりました。幸い手術してひと月ほどで退院できたんですが、その面倒なことをひとりで父にさせるのは無理だろうということで、それまで実家にはほとんど戻っていなかった僕が父のやっていたことの多くを手伝うことになりました。初めて僕の運転する車に父が乗るようになったのもその時。最初はぎこちなくて二人とも黙っていたんですが、次第に父がいろいろと話しはじめました。多くは戦前の、父が岡山市内に暮らしていたときのこと。

何度か車で岡山市内に行くことがあり、その時には必ず新鶴見橋を渡っていました。橋を渡ってすぐ左手にあったのが父が昔通っていた小学校。その頃には合併されて別の名前の小学校になっていたかな。

その小学校のあったのが岡山市弓之町。父の家族もその弓之町に住んでいました。ということでそこを通るたびに弓之町という言葉が父の口から何度も出てきたので、それから弓之町という場所を強く意識するようになりました。

で、必ず出てきたのが空襲の日のこと。昭和20年の今日、6月29日の午前2時頃から1時間余り続いた岡山大空襲です。家は焼け、家族とはぐれて旭川沿いの土手を逃げ、家族と再会するまでの話を何度聞かされたでしょうか。

その逃げていたときの話で一番印象に残っていたのが、土手を逃げていていつのまにかひとりぼっちになってしまったときのこと。誰もいないかと思ったら後ろに人の気配を感じる。足音が聞こえるけれど父を追い抜くことはない。父が止まるとその人も止まる。父が歩き出すとまた付いてきて歩き出す。

まだ少年だった父は少し怖くなって後ろを振り返る。するとそこに立っていたのは一人の老人。どうやら道に迷ってしまったようでした。その老人は父の姿を見ると「なんだ子供か」と言って付いてくるのをやめたそうです。


そんな話を何度か聞かされていたときに読んだのが川本三郎さんの荷風について書かれたエッセイでした。実はその頃僕は永井荷風については全く関心を持っていなかったので読み流しに近い形で読んでいたんですが、そのエッセイの中で岡山に荷風が避難していたときの話の中に「弓之町」という言葉を発見したんですね。荷風が弓之町の旅館に滞在していて、そこで空襲を受け旭川の土手の方へ逃げて行ったことを知ったんです。

すぐに『断腸亭日乗』を読みたかったんですが、当時はまだ古本屋に行くとか、ネットで古本を買うということなんて頭にも浮かばなかったので、ようやく手に入れることができたのは2002年に発売された『新版 断腸亭日乗 第六巻』でした。

『断腸亭日乗』は10年くらい前に旧版の全巻を手に入れてからはそちらの方を読むようになったので六巻だけ買った新版の方は本棚の角にしまいこんでいましたが、今日、取り出してみたら弓之町という言葉が出てくる6月16日と空襲のことが記載されている6月28日、29日のところには赤い付箋を貼ったままになっていました。

『断腸亭日乗』を手に入れた当時、6月28日の日記の最後に記載されている「余は旭川の堤を走り鉄橋に近き河原の砂上に伏して九死に一生を得たり」を読みながら、父から聞いた話をかぶらせて、父のあとに付いて逃げていた老人というのは荷風だったんじゃないかとずっと思っていたものでした。ただ、それはより詳しく記載されている『罹災日録』を読んで違うことがわかったんですが。

そういえば『断腸亭日乗』を手に入れた頃、父に「永井荷風って知っとるか」と訊いたんですが、文学とか本とかに全く興味を持ていなかった父の答えはもちろん「知らん」でした。

ということで昨日と今日、岡山空襲の日の『断腸亭日乗』と『罹災日録』を読みました。もう、10年以上続けています。

あの空襲の日、もし父が亡くなっていればもちろん僕はこの世にいません。その日、荷風がすぐ近くの旅館に住んでいて、旭川の土手に行くあたりまではたぶん同じように逃げていたというのも奇跡のような話。その奇跡のようなことがその日起きていたことを川本三郎さん経由で知ることができたというのもやはり奇跡のような気がします。


今日は父の五七日なんですが、74年前に岡山空襲で亡くなった人にも手を合わせようと思います。

寺尾紗穂さんの『彗星の孤独』の最初に掲載されたエッセイのタイトルは「残照」。先日のライブで買ったCDのタイトルですね。これも素晴らしいエッセイです。最後の部分を引用します。


 日が沈みゆく空を仰ぐ時、過ぎ去った今日を思う。それから昨日を思う。会えない人を思う。去っていった人を思う。なぜいないのかと思う。なぜ出会ったのかと思う。今はどこにいるかと思う。湧き上がるいくつもの疑問符を残り陽はやさしく照らす。
 誰か教えてくれないだろうか。私が見ているその残り陽はつまり、あなたがいたという証なのか。あなたと私がいた、あの温かな時間の残光なのか。それとも、去っていったあなたを思いながら私が抱く、多分な感傷の残滓なのか、ということを。


by hinaseno | 2019-06-29 13:45 | 文学 | Comments(0)

吉田篤弘さんの『チョコレート・ガール探偵譚』、一日で一気に読了しました。僕にしてはめずらしく、というかめったにないこと。まあ、遅読っていうのが一番の理由ですが読んでいる途中で気になったことがあると、読むのを中断してパソコンや他の本、あるいは地図などを調べたりしているうちに時間が経ってしまうんですね。

今回もやはり何度も中断してパソコンやらスマホでいくつものことを調べていましたが、でも少しでも空いた時間を見つけては読み進め、結局は一日で読み終えることができたんですね。あまりに面白くて途中でやめることができませんでした。

そういえば本を読みながら、最初に気になって調べたのは、筆者が「チョコレート・ガール」という題名の映画に出会ったあとすぐに書かれているこの言葉でした。


 それでは、とばかりにスマートフォンを取り出し、画面に指先をすべらせて、「チョコレート・ガール 成瀬巳喜男」と検索すれば、すぐに詳細な情報が得られるはずだ。
 しかし、そうしなかった。検索をすれば、この映画が現存するのかしないのか、ただちにわかる。(中略)
 が、ひとまず検索はせず、いましばらく踏みとどまった。そう書きながら自分でも笑ってしまう。こんな大げさな云い方がおかしくないほど、検索で答えを得ることはもはや常識なのだ。
 しかし、ここはひとつ踏みとどまりたかった。さっさと答えを知ってしまうのが勿体ないような気がしたからである。

この気持ち、すっごくわかります。僕もときどき、あえてネット検索を避けることがあります。

ただ、『岡山の映画』を読んで、成瀬の『チョコレート・ガール』のことを知ったときには、すぐにパソコンで「チョコレート・ガール 成瀬巳喜男」と検索しました。それで公開日、原作、出演者などを知ったんですね。主演の水久保澄子の名前は初めて知りました(『チョコレート・ガール探偵譚』を読んで、彼女が小津安二郎の『非常線の女』に出ていたことがわかりました)。

で、今回、吉田さんのこの部分を読んで、改めて「チョコレート・ガール 成瀬巳喜男」と検索してみたら、ちょっとびっくり。なんと半年前(2018年12月)に僕が書いた記事がトップから3つめに挙がってました。

おおっ、もしかしたら吉田さんは、あの記事を読んだかも、と思ったんですが、あとがきにこんな言葉が。


ここに収められた文章は平凡社の「こころ」に連載したもので、第一回が掲載されたのは2016年の冬だった。

ということは連載を始めたときに「チョコレート・ガール 成瀬巳喜男」と検索しても、まだ僕の記事は存在しない。

でも、連載を終えたのが今年の4月のようなので、どこかの段階で検索されて僕のブログを読んだかなと思ってみたり。少なくとも読者か、あるいは吉田さんと一緒に”チョコレート・ガール探偵”をしていた人は読んでくれていたようです。

それはさておき、ネットの検索はしないでおこうと決めた吉田さん、ではどうするか。当然こうなります。


 さて、電網から離れて過去を検索するとなれば、図書館か古書店で探るのが古来の方法である。自分の流儀としては、図書館の前にまずは古書店を探しまわるのが常で、流儀というより、放っておいても古書店へは日参しているので、自分のなわばりの中で何が見つかるか、と云った方が正しい。

というわけで、『チョコレート・ガール探偵譚』は古本好き、古本屋好きにとってもたまらない話が出てくるですね。でも、結論的に言えば、やはり東京って、うらやましいなあ、の一言に尽きます。古本屋に限らず、何か調べようと思ったら、東京にいればさっと行けますからね。


それにしても改めて吉田篤弘さんって、嗜好するものとか性格とかよく似ているなあと。

例えばこんな部分。


 そもそも、自分がなぜこの映画に興味をもったかといえば、単純に「チョコレート・ガール」という言葉の響きにひかれたのである。

これがもし『腰弁頑張れ』だったら反応はしなかったはず。そう、僕も吉田さん同様、昔からチョコレートが大好きなんですね。今も毎日、午後のコーヒーを飲んだ後に必ずチョコレートを食べています。チョコレートを食べない一日なんて考えられない。

それから『チョコレート・ガール』が封切られた昭和7年の風景の中に入り込む部分があって、その風景の描写にこんな言葉が出てきます。


 驚嘆すべきは空の青さだった。そこへアドバルーンがいくつも上がっている。

アドバルーン!

『チョコレート・ガール』が昭和7年の映画だと知って、まず僕が頭に浮かんだのがアドバルーンが上がっている都会の風景だったんですね。

東京の空にアドバルーンが上がり始めたのは昭和6年頃。いくつものアドバルーンが上っている、あの鈴木信太郎の「東京の空(数寄屋橋附近)」はまさにその昭和6年に描かれたもの。吉田さんもよく知っているんですね。

で、エピローグにはこういう言葉が出てきます。


私がいつでも書きたいのは何かを探す話で、探しているあいだにあれこれと考えたり、探すためにどこかへ出かけて歩きまわることができれば、それでいいのである。

これも、似たようなことをこのブログで書いたような気がします。

「脱線」が多いのも似てますね。そしていうまでもありませんが探している途中で起こる「たまたま」のエピソードもいくつも出てきます。

たとえば『チョコレート・ガール』のことが掲載された『キネマ旬報』昭和7年9月11日号をコピーを手に取ったときのこと。


 しかし、この「昭和7年9月11日号」という文字の並びを見るにつけ、どことなく感じ入るものがあり、さて、どうしてなのかとしばらく考えるうち、思いがけないものに行き当たった。
 父の誕生日である。
 完全に一致というわけではないが、父は昭和7年9月7日の生まれで、つまり、私の父は「チョコレート・ガール」が封切になった12日後にこの世に生まれ落ちたのだ。
 そうなのか、と複雑な思いになった。
 チョコレート・ガールと父はほとんど隣り合わせた生年月日を持ち、同じ時代の同じ空気を吸いながら育った。

僕であればここで「縁」という言葉を使いたくなります。

日付に関する「父」との「縁」といえば、『チョコレート・ガール探偵譚』の奥付に書かれている発行日。僕の父親の命日と2日違いでした。これも縁ですね。


というわけで個人的にはいろんな縁を感じる「チョコレート・ガール」。たぶんこの本を出した後も、吉田さんやその周辺の人、あるいは読者の何人かがチョコレート・ガール探偵を続けられていると思いますが、僕もチョコレート・ガール探偵団の一人として、できることをやっていこうと思います。

吉田さん、チョコレート・ガール探偵団バッヂでも作ってくれないかな。

a0285828_12524925.jpeg


by hinaseno | 2019-06-11 12:53 | 文学 | Comments(0)

「チョコレート・ガール」という言葉を聞いてピンと来る人ははたしてどれくらいいるんだろう。

先日、SNSに流れてきた言葉の中に「チョコレート・ガール」という文字を見つけ、思わず目を留めてしまいました。

よく見たらそれは最近出たばかりの本のタイトル。


『チョコレート・ガール探偵譚』


筆者はなんと吉田篤弘さん。そこには主演女優である水久保澄子の名前も書かれていたのでまちがいない。

成瀬巳喜男の戦前の幻の映画『チョコレート・ガール』。


成瀬に『チョコレート・ガール』というタイトルの映画があったことを知ったのは、昭和初期の西大寺商店街を調べていたときのこと。昨年の暮れに書いたこの日のブログで紹介しています。西大寺商店街に戦前から映画館がいくつもあったことを知ったので、松田完一著『岡山の映画』(岡山文庫 昭和58年発行)を読んでみたら成瀬の『チョコレート・ガール』の話が書かれていたんですね。それは昭和7年のこと。当時松田さんは10歳か11歳。こう書かれていました。


松竹映画「チョコレートガール」は売出しのチョコレートを主題にした明治製菓とのタイアップ作品だが、監督の成瀬巳喜男の水々しい感覚と的確な映像表現で、上京する姉が、駅まで見送りに来た弟に投げ与えたチョコレートが、勢あまって線路に落ちてしまい、そのまま汽車は遠ざかるラストシーン。成瀬巳喜男のその後の成長を暗示する見事な映画であった。


僕はこのあと「これ、見たいですね。フィルム。現存するんでしょうか」って書いています。で、もちろんこれを書いた後、成瀬の『チョコレート・ガール』をいろいろと調べました。でも、どうやらフィルムは失われていることがわかったんですね。主演の水久保澄子はアイドル的な人気を得ていたようで『チョコレート・ガール』はまさに幻の映画という感じ。


興味深いのはこの映画が公開された昭和7年。

昭和7年公開の映画といえば何といっても小津安二郎の『生れてはみたけれど』。そう、平川克美さんが隣町探偵団で、まさに探偵したあの映画です。製作は『チョコレート・ガール』と同じく松竹蒲田。『生れてはみたけれど』の公開は6月で『チョコレート・ガール』の公開は8月。突貫小僧が両方の映画に出ていますね。

川本三郎さんが『郊外の文学誌』の「小市民映画の生まれたところ 蒲田とその周辺」で、島津保次郎の『隣の八重ちゃん』や、小津の『東京の合唱』『生れてはみたけれど』など、松竹蒲田で作られた郊外を舞台にした小市民映画に触れて、「小市民映画とは、この昭和6年の満州事変と昭和12年の支那事変(日中戦争)との間の安岡章太郎のいう『平和な安穏な休憩期間』『一瞬の繁栄期』に作られた、豊かな都市郊外生活者の映画だったということが出来る」と書いていますが、『チョコレート・ガール』もまさに「平和な安穏な休憩期間」「一瞬の繁栄期」に松竹蒲田で作られた映画で、とすれば『生れてはみたけれど』と同様に目蒲線か池上線あたりでロケされた可能性も高く、映画を観たい気持ちは高まる一方でした。

吉田篤弘さんは『チョコレート・ガール』についてどれだけ調べ、どんな物語に仕立て上げたんだろう。読むのが楽しみでなりません。


と、ここまで書いて一昨日にアップしようと思っていたんですが、時間がなく、で、昨日、『チョコレート・ガール探偵譚』を買ってきました。

a0285828_10591613.jpg

a0285828_11004203.jpg

装幀はもちろんクラフト・エヴィング商會。なにからなにまで最高ですね。ところでこの本、帯を見たら「金曜日の本」との文字。どうやら「金曜日の本」というシリーズで出したのかもしれません。


「金曜日の本」といえば、これも何度か書いたような気がしますが僕が吉田篤弘さんに注目するきっかけとなった『おかしな本棚』で、最初に驚いたのが「金曜日の本」と題されたページでした。

そこに『ぼくは散歩と雑学が好きだった。 小西康陽のコラム1993-2008』と川本三郎さんの『銀幕の東京』が並んでいたんですね。それから少し離れたところには小川洋子さんの中で一番好きな小説『猫を抱いて象と泳ぐ』もあって、これだけでこの人とは趣味がぴったりだ! と思ったものでした(ちなみに後で知った本では『猫を抱いて象と泳ぐ』のとなりには映画『森崎書店の日々』に『昔日の客』とともに映った野呂邦暢の『愛についてのデッサン』があり、隣のページにはジャック・フィニィの『ゲイルズバーグの春を愛す』もある)。


これらの本の中でとりわけ川本三郎さんの『銀幕の東京』は映画のロケ地を歩くためのバイブルのような本で、大瀧さんの成瀬巳喜男研究も平川克美さん&隣町探偵団の『生れてはみたけれど』研究もこの本あればこそ。僕もやはりこの本で小津の『早春』に出会い、さらに1昨年に武蔵新田を歩いたのも、この本で取り上げられていた川島雄三の『銀座二十四帖』に出会ったから。

ということなので吉田篤弘さんの『チョコレート・ガール探偵譚』も、おそらくは川本三郎さんの『銀幕の東京』を意識、あるいは影響で書かれたものに違いありません。

いや、さらに読むのが楽しみになりました。


で、すぐに読もうと思っていたんですが、実は今、この4月に出た本を2冊同時に読んでいるんですね。それが『わたくしのビートルズ 小西康陽のコラム1992-2019』と、山極寿一、小川洋子著『ゴリラの森、言葉の海』。

小西さんの本はまさに「金曜日の本」のページに載っていた『ぼくは散歩と雑学が好きだった。 小西康陽のコラム1993-2008』の続編。約10年ぶりですね。ちなみに先日、尾崎一雄の『人生風景』を見つけた古本屋は小川洋子さんの生まれ育った”教会”のすぐ近くで、店の行き帰りに”教会”の前を通りました。

なんだかつながっていますね。

小西さんの本は内容がぎっしりなのでまだ50ページあたりを読んだところ、それから『ゴリラの森、言葉の海』はちょうど半分読んだところ。中断してこれから吉田篤弘さんの『チョコレート・ガール探偵譚』を読むことにします。

もしかしたらですが吉田さんが本を書くときに、僕が昨年にちょこっと書いていたことを読まれていたかもしれないと思いながら。


冒頭の一行だけ読むと、なんと。


「その古本屋は私鉄電車の操車場近くにあった」


操車場!

操車場といえば平川さんが連載していた隣町探偵団で知ったんですが、小津の『生れてはみたけれど』には目蒲線の南側にあった大きな操車場が映っているんですね。それはこの「原っぱ」のシーン。

a0285828_11030557.png

子供達(左が『チョコレート・ガール』にも出演している突貫小僧)の後ろに連結車輛が止まっているのがその操車場。ただ、この操車場は目蒲線、つまり私鉄電車の操車場ではなくJRの操車場のようですが。


吉田さんがはたしてどここにあった操車場をイメージして物語を作っていったのかはわかりませんが、『チョコレート・ガール』と同年に同じ松竹蒲田で製作された『生れてはみたけれど』の風景を入れていった可能性はますます高まってきます。

いずれにしても『チョコレート・ガール探偵譚』は、吉田篤弘さんの中で最高の作品になるような気がします。あ〜読むのが楽しみだなあ。


by hinaseno | 2019-06-08 11:04 | 文学 | Comments(0)

昨日の話のつづきを少し。

昨日紹介した荻原魚雷さんのブログに、魚雷さんを車で岡山を案内した「写真家の藤井豊」さんというのが出てきて、どこかで見たことがある名前だなと思って調べてみたら、ああ、あの写真集を出していた人だったんだと。

魚雷さんの過去のブログを見ると藤井豊さんは何度も登場しています。現在は岡山の浅口市にお住まいとのこと。魚雷さんが2011年に木山捷平の生家を訪ねたときに魚雷さんを案内したのも藤井豊さん。ちなみにこのとき魚雷さんは”わざわざ”赤穂線経由で岡山から京都に行かれています。


さて、その藤井さんが2013年6月に出したのが『僕、馬 I am a HORSE』という写真集。

これ、当時、古書五車堂さんに置かれていて、手に取った覚えがありました。結局は買わなかったんですが、とてもいい写真集だったんですね。今調べたら魚雷さんが寄稿していることがわかりました。

藤井さんは岡山のあちこちで個展を開いているんですが2018年5月に笠岡で開いていたのが「清音 KIYONE」。

清音って、総社の清音?

矢掛から小田川沿いに東に向かえば旭川に至ります。そこを渡れば総社なんですが、旭川を渡ってすぐの場所にあるのが清音。僕はこの清音駅から井原鉄道に乗って矢掛の方に行ったんですね。その前に総社をかなり歩いて走って、そのあと小田川に沿ってかなりの距離を歩いたので足をかなり痛めてしまって、で、予定を変更しておひさまゆうびん舎で開かれていた小山清展の最終日に行ったら、そこで初めて世田谷ピンポンズさんに初めて出会って、姫路の木山捷平の話をして…。


ということで魚雷さんとともに藤井さんにも縁を感じてしまいました。あの写真集、蟲文庫さんに行けばあるのかな。あっ蟲文庫さん、店主の田中さんのケガでまだ休業中だな。


by hinaseno | 2019-05-24 15:03 | 文学 | Comments(0)

また、先日の世田谷ピンポンズさんのライブの話に戻ります。ちょっと素敵な情報をいただいたので。それは荻原魚雷さんのこの「文壇高円寺」というブログのこと。


実は開演前、ある方から会場に荻原魚雷さんが来ているんですよと教えてもらってたんですね。

魚雷さんは古本関係の本でエッセイなどをいくつも読んでいましたが、お顔を拝見するのは初めて。写真も見たことがなかったので、ああ、あの人が魚雷さんなんだと遠目に眺めていました。


魚雷さんがピンポンズさんと親交があることは知っていました。でも、わざわざ東京の方から姫路に見に来てくれるってすごいなと思っていたんですが、魚雷さんが更新されたブログを読んで、ピンポンズさんのライブには旅の一環として来られていたことがわかりました。その旅が、おっ、おっ、というものだったんですね。


魚雷さんは先週の土日、一泊二日で広島岡山と旅されて、その帰りに姫路に立ち寄られたそうです。

広島で行ったのは福山。岡山で行ったのは矢掛。これだけでぴんとくるものがありますね。ブログで書かれている通り福山は井伏鱒二、矢掛は木山捷平の郷里。矢掛の町を訪ねたあと豪雨被害の地域も見てまわられたと。「小田川はずっと見ていたい川だった」という言葉がいいですね。小田川は昨年の豪雨で氾濫して、あの地域に甚大な被害をもたらした川ですが、普段は本当に穏やかでまさに「ずっと見ていたい川」なんです。


魚雷さんの過去のブログをチェックしたら、木山捷平のことをかなりたくさん書いていることがわかりました。

ブログを始めた最初の頃の2006年10月10日の記事にこんな言葉を発見。


 二十代の終わりごろ、読書の趣味も変わった。「淡々とした」とか「飄々とした」とか形容されるような作風を好むようになった。
 尾崎一雄にはじまり、木山捷平や小沼丹を経て、梅崎春生を読み、そのあたりで足が止まった。気がつくと再読ばかりしている。

木山捷平、小沼丹、僕といっしょですね。「二十代の終わりごろ」じゃなかったけど。別の日のブログで何年か前に木山捷平の生家に来られていることもわかりました。

そういえば2006年10月10日のブログには音楽の話も書かれていました。


ほぼ毎日、古本屋か中古レコード屋をまわる。本ばかり買う時期、レコードばかり買う時期が、交互にやってくる。

いっしょだ。「たまにロックのCDも買うが、いわゆるソフトロックとよばれるジャンルに偏っている」というのも同じ。魚雷さんの本、読んでみたくなりました。


で、姫路に来られたときのこと。


 姫路文学館の望景亭で世田谷ピンポンズの「文学とフォーク」のライブ。姫路のおひさまゆうびん舎が主催。
 木山捷平の「船場川」をもとにした曲が聴けた。木山捷平は姫路師範学校(現・神戸大学)を卒業し、小学校の先生をしていたこともある。姫路と縁がある。

木山捷平と姫路との縁もご存知。縁のある場所、案内してあげたかったな。

ライブの後、ピンポンズさんの歌にもなった茶房大陸に立ち寄られたとのこと。


さらに驚いたのは最後に書かれていたこと。


岡山から姫路に行くあいだの三石という宿場町にも寄りたかった。姫新線にも乗りたかった。こういう心残りはわるくない。また行けばいいのだ。
近いうちに岡山~兵庫の県境付近もゆっくり歩きたい。

なんと「三石」に立ち寄りたかったと。

三石に立ち寄りたいと思う人なんてそんなにはいない。


三石といえば、なんと川本三郎さんが今年の早春に三石に立ち寄られていることがわかりました。これがその写真。

a0285828_14231303.jpeg

写真が載っているのは雑誌『サライ』の5月号。「「駅弁」を旅する」という特集で、川本さんはJR山陽本線の神戸から下関まで駅弁を食べる旅をされていたんですね。三石には駅弁もなければ駅員もいないんですが、でも、川本さんは立ち寄られたんですね。もちろんそこが小津安二郎の映画『早春』のロケ地だから。

魚雷さんは『早春』のこと、知ってたんでしょうか。


by hinaseno | 2019-05-23 14:25 | 文学 | Comments(0)

夏葉社つながりの話。

先日、おひさまゆうびん舎で購入した『漱石全集を買った日』を送った方(木山捷平の著作に関して「残すことの大切さ」を強く抱き続け、「残すこと」を実行し続けられている人です)から本を読んだ感想を書いたうれしい手紙をいただきました。またゆずぽんさんにお見せしよう。

で、いつものように手紙とともに貴重なものをいくつか送っていただきました(これがすごいんです)。その一つが昭和5年12月発行の「詩文学」に掲載された記事。何人かの詩人へのアンケートが載っているんですが、そこに木山捷平の名前があるんですね。コピーされたページに載っている詩人の中では最も長い文章で答えています。戦前の木山さんの文章をこよなく愛する僕のような人間にとってはたまらないもの。このアンケート記事は全8巻の『木山捷平全集』にも載っていない、はず。

個人的な思いを言えば、木山捷平の未発表の作品を集めた可能な限りコンプリートな全20巻を超える『木山捷平全集』を出してもらえないかなと思っています。


さて、木山さんが答えたアンケート。質問は2つあって、それぞれの質問内容は正確にはわからないのですが、一つ目はたぶん今年、つまり昭和5年(1930年)に出た詩集で最も印象に残ったものは? というものだろうと思います。

で、木山さんの答え。ちょっと長いんですが、最初に夏葉社ファンであれば、おっと思う名前が登場しています。


 尾形亀之助の「障子のある家」と、杉江重英氏の「骨」とは、人が持つてゐたのをほんのちょつと見ただけでしたが、なかなかすてがたい一つの風格があると思ひました。いゝ詩集なんだらうと想つてゐます。
 田村榮氏の「TORSO」と黄瀛氏の「景星」とは、小さく美しく、愛すべき詩集として記憶に残つてゐます。その外、個人的懐しさを以て讀んだ詩集に「思想以前」「訪問」「都市の氾濫」「舗装の町」等々澤山ありましたが、「愛誦おく能はず」といふ糧のものはなかつたやうでした。何分覚えが悪くていけません。
 それよりも僕は、いさゝか返答外れですが最近、田中幸雄氏の「憂欝は燃える」を讀んで、なかなか感心してゐるのです。これは大正十四年の發行なのですがこんないゝ詩集を出した人が、現在詩を發表してゐるのを見ないのは、何という淋しい事なんだらうと、ひとりで考へさせられてゐます。

最後に「今年」ではない作品を取り上げて、その人が最近作品を発表していないことを淋しがるところがいかにも木山さんらしいなと思います。

さて、冒頭名前が挙がっているのが一昨年夏葉社から『美しい街』という作品を出した尾形亀之助。尾形亀之助は生前、『色ガラスの街』『雨になる朝』『障子のある家』と3つの詩集を出しているんですが『障子のある家』はその3作目。昭和5年9月発行。私家版で限定70部。非売品だったとのこと。戦後復刻されたみたいですが、当時出たものを手に入れるのってたぶん不可能でしょうね。

興味深いのはコピーしていただいたページに木山さん以外で尾形亀之助の『障子のある家』を取り上げている人が何人もいるんですね。

まずは月原橙一郎、それから木山さんと交流のあった赤松月船。さらにやはり木山さんと交流のあった黄瀛も、作品の題名は書いていませんが「尾形亀之助の最近出された詩篇、薄つぺらだが、内容豊富なり」と。これもやはり『障子のある家』のことだろうと思います。

ちなみにその黄瀛の2つ目の質問の答えはちょっと興味深い。この2つ目の質問もどういうものかわからないんですが、たぶんこれから活躍を期待する詩人は? というものだろうと思います。


草野心平、竹中郁、宮澤賢治、岡崎清一郎、石川善助、衣巻省三、木山捷平諸氏の詩、出来るだけ見るほどヒイキにしています。


まだ、全く無名だったはずの宮澤賢治と木山さんの名前が並んでいるんですね。でも、木山さんは次第に詩から離れて小説に向かうんですが。


ところで夏葉社から出た『美しい街』には『色ガラスの街』『雨になる朝』『障子のある家』の3つの詩集から詩が選ばれているんですが、実は『障子のある家』から選ばれたのは1つだけ。最後に収録された「泉ちゃんと猟坊へ」。余白だらけの短い詩が続いた後、最後にこの散文のような詩が出てくるんですね。で、その内容に驚くことになります。とりわけその最後の部分。戦前にこんな考えを持っていた人がいたんだと。


さきに泉ちやんは女の大人猟坊は男の大人になると私は言つた。 が、泉ちやんが男の大人に、猟坊が女の大人にといふやうに自分でなりたければなれるやうになるかも知れない。 そんなことがあるやうになれば私はどんなにうれしいかわからない。 「親」といふものが、女の児を生んだのが男になつたり男が女になつてしまつたりすることはたしかに面白い。 親子の関係がかうした風にだんだんなくなることはよいことだ。 夫婦関係、恋愛、亦々同じ。 そのいづれもが腐縁の飾称みたいなもの、相手がいやになつたら注射一本かなんかで相手と同性になればそれまでのこと、お前達は自由に女にも男にもなれるのだ。


『障子のある家』は青空文庫で読めるようになっていて見たら全て散文。「泉ちゃんと猟坊へ」はその最後の「後記」の一つ目の作品でした。自分の子供に当てた手紙のような内容。ちなみに二つ目は「父と母へ」。


夏葉社の『美しい街』の巻末には「明るい部屋にて」と題された能町みね子さんのエッセイが載っています。実はちゃんと読んでいませんでした。

能町みね子さんって名前は聞いたことがあってもパッと浮かばなかったので写真を見たら、かつてタモリさんがやっていた大好きだった深夜番組『ヨルタモリ』のレギュラーだった人だとわかりました。

能町さんのエッセイには「泉ちゃんと猟坊へ」に触れながら「私の性をめぐるさまざまな事情」という言葉が出てきたので、どういうことだろうと調べたら、そうか、そういう人だったのか、でした。


ところで僕は尾形亀之助という詩人にはこの夏葉社から出た詩集で初めてであったと思ってたんですが、その前に出会っていました。

池内紀さんの『二列目の人生 隠れた異才たち』(晶文社 2002年)で尾形亀之助が取り上げられていたんですね。

ちなみに尾形亀之助にとっての「一列目」の存在は宮沢賢治。

黄瀛のアンケートの答えに尾形亀之助と宮沢賢治の名前が出てくるように、二人は時期的にもかなり似通った人生を送っているんですね。直接交流はなかったようですが賢治が亡くなった後に開かれた追悼会には尾形亀之助も出席したようです。

池内さんは二人の似通った点をいくつも挙げた後にこう書いています。


とともに両者のちがいも明瞭だ。何よりも知名度がまるでちがう。宮沢賢治は小学生でも知っているが、尾形亀之助は、よほど詩に親しんだ人でないとなじみがない。亀之助の読者の数は賢治の百分の一、あるいは千分の一、とにかくかぎりなく少ないだろう。といって、それは少しも尾形亀之助の不名誉ではないのである。


このあと「泉ちゃんと猟坊へ」を紹介した後で、さらにこう書いています。


この賢治とくらべるまでもなく、亀之助の新しさ、また予見性と現代性はきわだっている。


ということで久しぶりに『美しい街』を取り出してパラパラと読んでいます。木山さんの詩の中でも僕が特に好きな詩に通じるところがあるんですね。そして松本竣介の絵。素晴らしすぎる詩集です。

a0285828_14170870.jpeg


by hinaseno | 2019-05-11 14:17 | 文学 | Comments(0)