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by hinaseno
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いろいろと忙しくてブログ、中断してしまいました。中断の一番の理由は台風でした。島田さんの夏葉社のお祝いを書いていたのに、その夏葉社の名前の由来になっている高知の室戸のあたりの山間部はかなり大雨が続いていたので、とてもお祝いの言葉を書けるような気持ちになれませんでした。とりあえず被害はなかったようでなにより。

ということでお祝いの話の続きを。

夏葉社のこと、夏の葉のことをあれこれと考えていたちょうど10日前の8月8日の朝、毎朝、一番に見ている鷲田清一先生の「折々のことば」で、「わくらばに」という古語が紹介されていたんですね。鷲田先生のことばを読んで、へえ~っと。


「わくらばに」

「まれに」「偶然に」という意味。わくらば(病葉)は、夏の頃ときたま見られる、紅葉のように色づく朽ちた木の葉のこと。そこから偶然を象徴的に表す語として用いられてきたという説がある。人には色づく季節もあれば、蝕まれ、枯れゆく季節もある。枯れゆくその季節の早すぎる到来に偶然の意味を託した古人の想いはどこから来るのか。夏の盛りにかもすそのうら寂しさは。


「偶然」という言葉に超敏感に反応してしまうんですが、これはまさに夏の葉に関する話だったんですね。「わくらば」は「病葉」という漢字があてられているように「夏の頃ときたま見られる、紅葉のように色づく朽ちた木の葉」とのこと。それが「偶然」の意味につながると。

鷲田先生は書かれていなかったんですが、「わくらば」には別の漢字があるんですね。

「邂逅」。

あの「邂逅(かいこう)」を「わくらば」と読むとは。「邂逅」という言葉との出会いは亀井勝一郎の本だったんですが、邂逅について一番心に残っているのは大瀧さんの次の言葉でした。


 細野さんは「邂逅」、山下君は「出会い」。


大瀧さんと達郎さんとの出会いも、そのいくつもの偶然を考えると、すごい出会いとしかいいようがないんですが、大瀧さんにとっては「出会い」なんですね。一方で、細野さんとの出会いは「邂逅」だと。偶然の、しかも一生を左右するような出会いだということですね。


さて、僕の夏葉社との出会いを考えると、やはりそれはまさに邂逅だったなと思います。信じれないような偶然の出会いがいっぱいありました。

で、あらためて「わくらばに」という言葉の意味を。

「夏の頃ときたま見られる、紅葉のように色づく朽ちた木の葉のこと」。

考えたら夏葉社の本は他の新刊の本と並んでいると、色も、その装丁も他の本とは全く異質な輝きを持っているんですね。その輝きはある人の目からすると「朽ちた木の葉」のような感じがするかもしれません。でも、それを美しいと感じることのできる人は確かにいる。その美しさにはまると抜け出せなくなってしまうんですね。

今日もきっとどこかで夏葉社の本と邂逅している人がどこかにいる。


島田さん、10周年、おめでとう。

オリンピックというものが1年を切る中(やめたほうがいいのにね)、夏葉社はどんな本を出してくれるんだろう。


# by hinaseno | 2019-08-18 15:46 | 文学 | Comments(0)


 会社の名前は、いろいろと考えて、「夏葉社(なつはしゃ)」にした。
 毎日、口にするだろう社名は、すこしでもいいから、室戸と、ケンとつながっているものがよかった。
 ぼくは、山に覆われた室戸の町を目に浮かべ、それで「夏」と「葉」とつけた。
 幼いころ、ふたりで駆けまわった、夏の日々。
 背の低い山々が、いつでも、ぼくとケンの背の向こうにあり、振り返ると、無数の濃い緑の葉の上に、真っ白な光がたくさん散っているのだった。
                 (島田潤一郎『あしたから出版社』)


僕にとっては特別すぎる出版社、夏葉社。夏葉社との出会い、あるいは夏葉社を通じてのさまざまな出会いのことを考えると、胸がいっぱいになってしまう。夏葉社という会社も、島田さんも、夏葉社を通じて知り合った人も、全てはまだ現在進行形なのに、少年の頃の、夏の思い出を呼び起こしたときのような、懐かしく、そして切ない気持ちになってしまうのはなぜだろう。


島田潤一郎さんが夏葉社というひとり出版社をはじめたのは2009年の9月1日のこと。この9月で10周年ということになります。ということでちょっと早いけど、お祝いを兼ねて久しぶりに夏葉社のことについて書いてみようと思います。

とはいえ夏葉社をめぐる不思議な縁についてはもう何度も書いてきたので、今回は「夏葉社」という名前について書いてみようかと。

それにしても夏葉社とは本当にいい名前です。「夏」も好きだし「葉」も好きだし、なにより「なつはしゃ」という4つの言葉の中に「ア音」の言葉が3つ入っているのがいいんですね。口にして明るい気持ちになれます。


さて、ここで少し前に本屋でたまたま目にして買った本の話を。それは岡本仁さんの『また旅』という本。

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岡本さんの本はこれまで何冊か買ったことがありました。最初に買ったのは『今日の買い物。』。それから岡山の人間としてはたまらない岡山本『岡山はおだやか。』。いずれも何かで取り上げられていたので買ったんですが、今回はたまたま目に留まった本。

岡本さん、どんなところを旅して、どんな買い物をしているんだろうかと20あまり並んだ地名を見ました。

残念ながら岡山はなし。でも、鎌倉、神戸、尾道と個人的に愛している3つの海街が並んでいたので、とりあえず神戸を開いてみました。すると嬉しいことに愛する小さな海町、塩屋が。写真もたっぷり。

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見たら784ジャンクションカフェさんとかや知った場所もいくつか。で、エッセイの最後には、あのワンダカレーさんのことも(店の名前は書いていない)。

ってことで、即購入。


家に戻って神戸のところを読んで、次に読んだのが尾道。そこに素敵な話が出てきたんですね。それは友人が教えてくれたという小さな書店でのエピソード。その書店の名前は紙片。

紙片さんのことは以前何か(瀬戸内関係の雑誌だっったっけ)で知って、今度尾道に行ったときには必ず寄ってみようと思っていたので、おっと思って読みました。


…その庭のまた奥に、目指す店『紙片』があった。もともとあった古い建物を改造して店舗にし、さらに入口の前に壁を立てたり屋根をつけたりして、とても面白い空間になっている。新刊と古書、そしてCDが並べられていた。数はそれほど多くはないけれど、ぼくには面白い本を見つけることが楽しいと感じられる適度な量だ。尾形亀之助の『美しい街』という詩集を手に取ってみる。ぼくはこの詩人のことをまるで知らなかったが、タイトルが何よりも気に入り、そしてそこに添えられたデッサンも良かった。本を開いて確認したらやはり松本竣介が描いたものだった。何度でも読み返せる、長く付き合う本のような気がしたから、それを買うことにした。
 翌朝、宿のベランダで少し詩集を読んでみた。明るい作品ではなかったけれど、陰鬱というのとも違う。いま目の前に広がる、曇り空の下の美しい風景に似ていた。


尾形亀之助の『美しい街』は夏葉社が2年前に出した本。僕が買ったのはもちろん姫路のおひさまゆうびん舎。

この本が出るまでは僕も尾形亀之助という詩人のことは知りませんでした。でも、美しい水色のカバーに松本竣介のイラストというたまらない装幀。タイトルもよかったんですね。

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僕はいくつかの情報をネットで知った上で本を買ったんですが、でも、この本の知識を何も持たなくて、たまたま立ち寄った尾道の小さな書店でたまたま見つけて、で、本を買ったというのがいいですね。美しい海街で『美しい街』というタイトルの本を買う。こういう出会い方が夏葉社の本には相応しいような気がします。そんな出会い方をした人は岡本さん以外にもきっといるはず。それは旅の人かもしれないし、あるいは尾道のどこかで普通に生活している人かもしれない。

あるいは、たまたまどこかの店でこの岡本仁さんの『また旅』を手にして、で、尾道のところを読んで尾形亀之助の『美しい街』という本のことを知り、それを買ってみようと思ッタ人もいるかもしれません。もしかしたら紙片さんまで行って買った人も…。

そんな小さな偶然の出会いが起こるのが夏葉社の本だろうと思うし、そんな小さな偶然の出会いに支えられているようにも思います。


そういえば岡本さんの『また旅。』には島田さんの出身地の高知も掲載されているんですが、その最初に、ちょっと愉快な話が載ってたんですね。


 知人が披露してくれた小話。「四国の四つの県は、海を挟んだ対岸を意識し影響を受ける。愛媛は広島、香川は岡山、徳島は大阪、そして高知は……、パプアニューギニア」。ぼくはこのジョークが大好きだ。四つの県の中で、高知が飛び抜けて豪放磊落であることを、愉快に言い表していると思う。


島田さんもすごく繊細なように見える一方で、確かに豪放磊落なところも何度か見させてもらいました。やはり島田さんもパプアニューギニアを意識し影響を受けているんでしょうか。


# by hinaseno | 2019-08-12 15:11 | 文学 | Comments(0)

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これは小津安二郎の『麦秋』のラストシーン。映画の設定ではここは大和(奈良)。麦畑の向こうに見える家のどこかに間宮家の実家があるようです。

間宮家の中でこの風景を最も愛していたのが戦争で帰ってこないままでいる次男・省二。作品の中に省二の麦がらみのエピソードがそっと織り込まれているんですが(手紙に添えた麦の穂、ミレーの「落穂拾い」、火野葦平の「麦と兵隊」など)、個人的にはどれもなんだか心打たれるんですね。

少し前に聴いたラジオデイズの内田先生と平川さんの対談のテーマは「映画」。お二人のオールタイムベストを語り合っているのを興味深く聴きながら、自分のオールタイムベストを考えていたんですね。

で、やはり『麦秋』だなと。

対談の中で内田先生がベストに選ぶものは自己投影できる映画だと言われていて、すごく納得できるものがありました。


話は変わりますが、これは少なくとも週に1回は車で通って眺めている風景。撮ったのは今日。

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田んぼが広がっていて、特に見るべきものはありません。でも、今年の5月末、ちょうど父が亡くなった翌日にここを通っていたときに、黄金色に輝く麦秋をこのあたりで見て感動したんですね。そのときにはじめてここに麦も植えられていたことを知ったわけです。


さて、この田んぼの向こうの山のふもとに家が立ち並んでいます。まるで『麦秋』のラストシーンのようですが、そこにあるのは間宮家ではなく、今、日本で一番人気者となった女性の実家があるようです。

その女性とは女子プロゴルファーの渋野日向子さん。


で、ここは何度もテレビで取り上げられた店。

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彼女が通っていた小学校の真ん前にある駄菓子屋さんですが、数年前、たまたまこのあたりを歩いていて”発見”したんですね。こんな店が近くにあったことに驚きました。で、また、店のおばあさんが最高に素敵なんですね。


去年の水害でこの辺りの家や彼女の通っていた小学校が床上まで浸水したことはよく知っていたので、水害のふた月くらい後に通った時には店は閉めたままでした。さらに半年くらい経っていったときにも。

もう、このまま店を閉めてしまうかと思っていたら、渋野さんのニュースの中でこの店と元気そうなおばあさんの姿が映ってびっくり。ということで、先日久しぶりに店に行ってました。連日の取材で大変だと言っていましたが、渋野さんのニュース以来、店にはひっきりなしにお客さんが来ているよう。僕が店にいたときにも客が次から次へと。おばあさんと話をしていたときに二人連れの男性がやってきたんですが、なんと東京から。ニュースを見ていてぜひ一度来たくなったと。

ちなみに彼女が小学校の頃から練習していたというゴルフ場があるのは以前書いた一文字うどんさんの近く。


ってことで、わが町近辺では渋野さんの話題で持ちきりです。


# by hinaseno | 2019-08-10 15:08 | 雑記 | Comments(0)

そもそも今回の話を、こんなタイトルで書こうと思ったのは、毎週日曜日の朝に放送されているパナソニック・メロディアス・ライブラリーの7月7日の放送を聴いたからでした。

番組のパーソナリティは作家の小川洋子さん。毎回小川さんが一冊の本を紹介するんですが、この日小川さんが取り上げたのが永井荷風の『断腸亭日乗』でした。で、ゲストは、なんとなんと川本三郎さん。最高でした。

川本さんもすごくうれしそうで、途中でこんな言葉も。


今回小川さんにお会いできるのは本当にうれしくて。というのは、どうしても荷風の読者っていうのは中高年男性に限られるんですね。女性っていうのは少なくて。近年ようやく女性の読者も増えてきて、論ずる人も増えてきて。だから、ほんとにね、小川さんのように素敵な作家がね、荷風を読んでくださるっていうのはうれしいことなんですよ。


で、川本さんのこの言葉の後にかかったのがジャック・ルヴィエの弾くドビュッシーの「Jardins sous la pluie」だったんですね。

番組のホームページにはこの曲についてこう紹介されていました。


雨の中の庭/ドビュッシー作曲、ジャック・ルビエ(ピアノ)
永井荷風は、日本にドビュッシーを紹介した人でもあります。「ふらんす物語」の付録として書いた「西洋音楽最近の傾向」で、たっぷりドビュッシーを論じています。ピアノ曲『版画』の3曲目「雨の中の庭」は、荷風がその中で訳したタイトルです。


番組のホームページに貼られていた写真は1999年に『ドビュッシー : ピアノ作品全集 4』という邦題で出た作品集。このときのアーティスト表記はルヴィエではなくルビエ。でも、このアルバムに収録された曲目の邦題を調べたら「雨の庭」。「雨の中の庭」ではないんですね。


ところで荷風の『ふらんす物語』に付録として収録された「西洋音楽最近の傾向」にはこう記されています。


 ドビュッシーは前述したオペラ及サンフォニー等、形式の大なるものゝ外に、無数のピアノ独奏曲と声楽を作っているが、何れも印象派の画に見るべき情景、表象派の詩篇にのみ味はれべき情緒の発現である事は例えば「歓楽の島」L'Isle Joyeuseとか「雨中の庭」Jardins sous la pluieとか、「水鏡」Reflets dans l’eauなどと云ふ巧な名題の文字を見ても想像せられるであろう。


ということで正確に言えば荷風の訳した題は「雨の中の庭」ではなく「雨中の庭」。

メロディアス・ライブラリーの曲は小川洋子さんが選曲しているので、ここであえて「雨の中の庭」としたのは小川さんの意向がはたらいているのかなと。小川さんは学生時代からの村上春樹の大ファンで、『ノルウェイの森』が当初「雨の中の庭」という題で書かれていたことは当然知っていたはずなので。


まあ、そんな小さなことどうでもいいじゃん、って言われそうな話かもしれませんが、個人的にはこの番組のホームページに「雨の中の庭」と書かれていたことから、いろいろと思いを巡らせることができました。今後は「雨の中の庭」という邦題になればいいなと。


ところで「雨の中の庭」とともに邦題が気になっていたニール・セダカの「Laughter in The Rain」。今朝、ふと「Laughter in The Rain」のカバーを調べてみたんですが、驚くほどいっぱいあるんですね。いくつか紹介しておきます。

まずは大好きなギタリストの村治佳織さんが演奏したもの。途中で「Over The Rainbow」が入ります。




次はDavid Osborneというピアニストが演奏したもの。曲の収録されたアルバムのジャケットも素敵です。




それからAiza Seguerraというたぶんフィリピンの女の子が歌ったこのカバーもゆるくていいです。




で、個人的にはブライアン・ウィルソン・バンドで活躍していたジェフリー・フォスケットの、この思いっきりビーチ・ボーイズ風のコーラスを入れたカバーが一番かなと。




南佳孝さんの素晴らしいカバーもありますが、残念ながらYouTubeにはありませんでした。

でも、「Laughter in The Rain」で一番いいのはやはり小西さんの「これからの人生。」でかかった曲作りのコメント入りバージョンですね。


小川洋子さんのメロディアス・ライブラリーは翌週の7月14日も川本三郎さんがゲストでした。小川さんが岡山出身で、荷風は岡山空襲の日に小川さんの実家のあるあたりまで逃げていたので、川本さんと小川さんで荷風の岡山の日々を語ってくれることを期待していたんですが、残念ながらその話は出ませんでした。

改めてお二人で荷風について対談してもらってそれを本に出してくれたら最高ですね。

この日の放送が収録された千葉県の市川市文学ミュージアムさんが川本さんと小川さんの一緒に写った写真を公開していたのでお借りしました。ああうれしい。

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# by hinaseno | 2019-08-08 14:16 | 音楽と文学 | Comments(0)

今朝からずっと聴いているのはClairoという女性シンガーの「Bubble Gum」という曲。たまたま目に止まって聴いたらいい曲だったんですね。ウクレレだけというのもいいです。ペット・サウンズ・レコードの東尾さんが好きそうな感じ。




さて、「雨の中の庭、雨の中の笑い声」というタイトルでいろいろと書き始めた時に、武蔵小山のペット・サウンズ・レコードから杉真理さんの『MUSIC LIFE』といっしょに届いたいっぱいのおまけにあったのが、今年の5月に6回に分けて東京新聞に掲載された村上春樹のインタビュー記事の切り抜きのコピーでした。僕が村上春樹ファンであることはご存知、なのかな。

その記事の中に村上さんの小説の題名をめぐるやりとりがあったんですね。村上さんが小説を書く場合、たいていは題名が先にあるけれど、という話。聞き手は湯川豊さん。


村上:先に題名が決まらなかったのは『ノルウェイの森』ぐらいかな。あれは最後まで、題名が決まらなかった。
湯川:確か「雨の中の庭」も題の候補だった…。


『ノルウェイの森』が最初「雨の中の庭」というタイトルで書かれていたことは、村上春樹ファンであればよく知っているはず。この日のブログでもそれについて書いていますが、改めて村上さんの言葉を引用しておきます。『ひとつ。村上さんでやってみるか』に収録されています。


 僕はドビュッシーの「雨の中の庭」というピアノ曲が昔から好きで、そういう雰囲気を持った、こぢんまりして綺麗でメランコリックな小説を書きたいと思っていました。この小説を書きはじめたとき、そういう題が内容的にぴったりしているかなと思っていたのですが、最初に予定していたよりどんどん長い話になってきて、とても「こぢんまりした」とは言えなくなってきました。だから別の題にしたわけです。そのうちにまた『雨の中の庭』という短い小説を書くかもしれません。
 『ノルウェイの森』という題をつけるのは、僕は正直なところあまり気が進まなかったんです。ビートルズの曲の題をそのまま本の題にしちゃうのはどんなものかと。でも読んだ人がみんな「この題はもう『ノルウェイの森』しかないじゃん」と言うので、結局自然にそうなりました。僕の大好きな曲ではあるんですが。


『ノルウェイの森』のもとの題が「雨の中の庭」で、それがドビュッシーのピアノ曲であることを知ったときに、あることに気がついたんですね。あの曲の邦題に「雨の中の庭」となっているのはひとつもないことを。先日紹介したジャック・ルヴィエもギーゼキングもベロフも、日本盤に収録された邦題はすべて「雨の庭」。村上さんは外盤を買うことが多いので、ドビュシーの『版画』ももしかしたら外盤で持っていて、で、邦題が「雨の庭」になっているのを知らないで英題の「Gardens in the rain」を日本語に訳したのかもしれません。まあ、『ノルウェイの森』という作品の雰囲気のことを考えると「雨の庭」よりも「雨の中の庭」のほうがずっと似つかわしい気がします。


ところが7月初旬のある日に聴いたラジオ番組からジャック・ルヴィエの弾くドビュッシーの「Jardins sous la pluie」が流れてきたんですが、翌日、その番組のホームページを見たら、なんと曲の邦題が「雨の中の庭」。演奏はジャック・ルヴィエなのに。どういうことだろうと曲のコメントを読んだら、へえ〜っと。




# by hinaseno | 2019-08-06 15:34 | 音楽と文学 | Comments(0)