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Talks About Music, Books, Cinema ... and Niagara


by hinaseno
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スロウな本屋さんを出て岡山市内めぐりをスタート。少しは散歩してもらってもいいかなと思いながら、お二人の体調を考えて臨機応変に。

とりあえず最初に向かったのは岡山シンフォニービルがどんと建っている城下交差点。せっかくなので僕の好きな町並みを見てもらおうと古い家屋が建ち並ぶ出石町を通ることに。それから昭和20年に荷風が歩いた鶴見橋、蓬莱橋を車で渡って、かつて西大寺までつながっていた軽便鉄道の始発駅のあった現在の夢二郷土美術館まで行って引き返す。

鶴見橋を渡ったあたりのこの風景は何度見てもいい(写真は別の日に撮ったもの)。

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この写真の右手奥の、交差点の手前に見えているビル。このあたりでもとりわけ感じのいいビルだけど、その中にあるpieni..ecole+cafeというカフェで松村圭一郎さんが定期的に勉強会のようなものを開いていたんですね。「よそ者人類学者の新岡山論」というもの。参加したかったんだけど、曜日と時間の関係で一度も行けなかった。とりわけ「塩と鉄とトラクターと」の回は、たぶん桃太郎伝説につながる話だったと思うのですごく聞きたかった。ミシマ社から出ている『ちゃぶ台』に「縁食論」という、「縁」のことをずっと考えている身としては惹かれるタイトルの連載をしている藤原辰史さんの本の話も出たかもしれない。ああ聞きたかった。


ここを通り過ぎて城下の交差点近くに車を止める。路面電車の城下駅から電車に乗ってもらおうと思っていたら平川さんがどこかでコーヒーを飲みたいと。

このあたりでコーヒーを飲んでもらうとしたらあそこしかないなとお連れしたのがこの禁酒会館。この1階にあるラヴィアン カフヱという珈琲屋があるんですね、

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この禁酒会館のことも何度もブログで紹介したはず。大正時代に建てられたものですが、この建物のあるほんの一角だけ空襲を免れて今も残っているという。奇跡的としかいいようがない。

平川さん、石川さん、お二人ともすごく気に入った様子。建物の前で平川さんをパチリ。

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ここに入るのは3度目。中に入ると真ん中あたりのテーブルにいつもいるおばあさんが、いつものように編み物をしている。最初は常連の客かと思っていたら、おもむろに立ち上がって水を持ってきてメニューを訊く。なんだ店の人だったんだと。で、コーヒーを運んできてくれたら再び同じテーブルの椅子に腰掛けて編み物を始める。

平川さんはそういう感じも気に入ったようでおばあさんにいろいろと話しかける。初対面の人と、すっと和やかに話をする姿に感心。隣町探偵団に加わったような気分になって(一応、昔、探偵団のバッジはもらったんだ)うれしくなる。

僕もついでにいろいろと訊いてみる。かつてこの禁酒会館にクラシックレコードの専門店がありましたねと。すると「アンダンテ」という店があったことを覚えている。そうだ、アンダンテだった。大学時代に何度か通ったアンダンテは現在、キリスト教関係の本を売っている隣の店のところにあったと思っていたら、そうではなくまさにラヴィアン カフヱのあったスペースでやっていたと。ちょっと感動。

お手洗いをお借りしようと外に出たら目の前に岡山城の櫓が見えてびっくり。

岡山城西丸西手櫓。空襲で大半が消失した岡山城の中で数少ない現存の建物。こんなに近かったとは。ちなみにその西丸西手櫓の向こうにあるのが僕が初めて松村さんとお会いした旧内山下小学校。こちらの校舎も戦前に建てられたもの。この校舎も素晴らしいんだ。

禁酒会館から内山下小学校にかけてのあたりは、松村さんの言葉を借りれば、まさしくスキマのような場所。


ちなみに僕の大好きなアーティストである青葉市子さんは禁酒会館や旧内山下小学校でライブをやったことがある。どちらも行けなかったけど、また禁酒会館でやってくれないかな。


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# by hinaseno | 2018-11-20 13:13 | 雑記 | Comments(0)

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気持ち良く晴れわたった11月の朝、車で岡山空港に向かう。実は岡山空港に行くのは初めて。飛行機には全くといっていいほど縁がない。岡山空港が岡山桃太郎空港という名称になっていることもこの日初めて知る。何でもかんでも桃太郎。大好きな吉備線に桃太郎線という愛称が付けられたときには、さすがに唖然としたけど。


空港へは家から30分ほどで到着。到着したのは12時前。空港が山の上にあるせいか、到着した時には雲がかなり広がっている。

飛行機の到着予定は12時10分。着陸する様子を見ようとすぐに3階の送迎デッキに上がる。すると羽田発12時10分到着予定の飛行機の出発が遅れたとのアナウンスが流れてくる。理由はわからないけど大丈夫なのかなと少しだけ心配になる。到着が15分ほど遅れるということなので、空港内の施設を見て回ることに。当到着したらすぐに市街地まで行って昼食をとる予定にしていたけど、空港内で簡単な食事を取ってもらうことに変更。いい店はあるかなといろいろと見ているうちに到着時間になっていることがわかってあわてて3階のデッキに戻る。ちょうど着陸したところだった。着陸の瞬間を見れなかったのが残念。

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昇降口に飛行機が止まったところで1階に降りる。

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そういえばこの写真にも写っている雲のこと。石川さんは岡山に到着した時から、雲を見てびっくりしたと何度も言われていました。日頃見慣れている雲とは違って雲が低いと。


1階の国内線到着口の前に立っていたら、まもなく懐かしいお二人の姿が見える。すぐに気づいてもらえる。お二人にお会いするのは昨年の5月以来。お元気そうで安心する。とりあえずここで軽く食事をということで九州筑豊ラーメン「山小屋」という店に入り3人同じラーメンを注文。

ラーメンを食べながらいろんな話。平川さんはせっかく岡山に来たので、帰りにどこかへ立ち寄ろうと考えられていたようで、いろんな場所を言われたのに知らないところばかり。僕が岡山のことをあまり知らないことに驚かれる。

平川さんに言われて知らなかった場所の一つが「ベンガラの里」。調べたら高梁市にある町のよう。でも高梁駅からさらに車で1時間くらい離れた場所にあると。高梁といえば『男はつらいよ』の「寅次郎恋歌」や「口笛を吹く寅次郎」が撮影されているので調べてみたら、寅さん、そこまでは行っていなかった。


食事を終えて(お二人の食事のスピードが速いことに驚く)、車で岡山市街地に。駐車場で平川さんが僕の車を見て「いい色だね」と言ってくれてうれしくなる。石川さんはここでも空を見て「雲がすごい」を連発。

空港から岡山の市街地まではわかりやすいはずだと思ったら、意外にあちこちで道が枝分かれして何度か迷いかけてしまう。きっと平川さんに大丈夫か?って思わせたはず。ナビが嫌いでつけていなかったけど、やっぱりナビがあったほうがいいかなと思う。


市街地に入って最初に向かったのはスロウな本屋さん。夜に松村さんと、もうひとりシークレットゲストのトークをすることになっていたけど、明るいうちにスロウな本屋さんの建物や周辺の町並みを見てもらいたいと思って。

到着してスロウな本屋の小倉さんと顔合わせ。それぞれの紹介をしていたら、平川さんが「店主、女性だったんだ」と驚かれる。ずっと店主は男性だと思っていたそうです。

平川さん、石川さん、お二人とも興味深そうに店を眺めていました。スロウな本屋さんの建物でもとりわけいいのがやはり縁側。そこに立たれて外を眺めている写真を撮れなかったのが残念。

外に出られても古い民家を利用した建物に興味津々のご様子。

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そして平川さんが目を止められたのがこの写真の向こうに見える廃工場(廃倉庫)の建物。

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僕も初めてスロウな本屋さんに来た時、やはりあの工場に目を止め、写真を何枚か撮った。そのうちの1枚。

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別の日、別の角度から撮ったもの。

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平川さんに「ここで写真を撮って」と言われたのでパチリ。

最初、手をつないでいるかと思ったら、扉の取っ手をそれぞれがつかんでいたと。

お二人、絵になります。

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# by hinaseno | 2018-11-19 13:03 | 雑記 | Comments(0)

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僕と僕の友人は渋谷から南平台に向う坂道にあるマンションを借りて、翻訳を専門とする小さな事務所を開いていた。(中略)72年の春のことだった。
               (村上春樹『1973年のピンボール』より)


いよいよ今日から岡山の日々のことを順に書いていこうと思ったら、石川さんの今日のブログ(1日で消えます)を読んで、ああ、それも書いておこうと。


石川さんは岡山旅行の前後で以前紹介した渋谷にあるシネマヴェーラという映画館(経営者の内藤さんはおひさまゆうびん舎さんのイベントで知り合った方のお兄さん)で現在上映されているミュージカル特集を見に行かれていたんですね。岡山から戻った日の夜にも当初は見に行く予定にされていました。

ブログによると、昨日、映画を見られたあとでかつて平川克美さんが起こした翻訳会社のあったビルに行かれたと。そこで働いていたのが石川さんと内田先生でした。


実は先日来紹介している『東京ファイティングキッズ』の最初の書簡を書いたのは平川さんなんですが、その書簡は平川さんがアーバン・トランスレーションという名の翻訳会社を始めた1977年という時代の話から始まっているんですね。

僕が平川さんのことを知り始めて、石川さんも含めていろんなことがつながりだしたとき、もちろん一番驚いたのは大瀧さんを中心にしたつながりだったんですが(川本三郎さんの本に書かれていたトライアングル・ステーションにつながったときにも驚いた)、もうひとつがこの翻訳会社のこと。始められた年に5年の違いがありますが、場所も、その会社の雰囲気もまさに村上春樹が1980年に出した『1973年のピンボール』に出てくる翻訳会社にそっくりだったんですね。

平川さんの始めた翻訳会社のことを最初に知ったのは内田先生のこの日のブログ。後追いで読んだか、あるいはその前に読んだ何かの本に掲載されていたか(内田先生の本はブログからの転載が多かった)は忘れましたが、僕は村上春樹の小説の中でもとりわけ『1973年のピンボール』が好きだったので、この話はたまらなかったな。内田先生のブログにも書かれているように平川さんはあちこちで「あれはアーバンがモデルなんでしょ?」と訊かれたそうです。


そういえば「坂道にあるマンション」といえば、とひとつ思い出したことがありました。実は先日のスロウな本屋さんで平川さんが大瀧さんの話をちょこっとしたんですね。「いい加減」のたとえ話として。会場にいた人で大瀧さんのことを知っている人がどれだけいたんだろう。


大瀧さんのその話が出てくるのはどこだったかと探していたんですが、ラジオデイズの「大瀧詠一的2009」の(5/6)の3:55あたりからでした(「大瀧詠一的2009」は無料なので聴いてね)

内田先生が「富士見坂」の話をしていた時に平川さんが唐突に「富士見坂ってわれわれのビジネスの原点の場所でしょ?」と。内田先生も石川さんも「???」 で、平川さん「あれ?ちがったっけ?」と。でも、内田先生も石川さんも「???」の状態が続き、さらに平川さんが「富士見マンションでしょ、だって…」と言いかけた時に内田先生が思い出して「松見坂でしょ」と。「ああ松見坂だ」と平川さん。ここで内田さんも石川さんも大爆笑するんですが、この時に大瀧さんが言ったのがこの言葉。


「『見坂』が合ってるから、いいじゃん」

会話をしている時、多少言葉が正確でなくてもその言葉の何文字かが合っていて、それが相手に伝わっていればいちいち間違いを指摘しなくてもいいじゃないというのは大瀧さんが常々何度も言っていたことでした(「大瀧詠一的2008」では人の名前をいうときには一文字合っていたらいいとも。それを平川さんがトークイベントの時に話したんですね)。

で、その「見坂」の話は「大瀧詠一的2009」の最後の方で再び出てくるんですが、ここは何度聞いても爆笑。ここでの話はある意味平川さんの「いい加減さ」を示していることにもなっているんですが、そんな平川さんを一番面白がっていた(そして最大級に評価していた)のが大瀧さんでした。

もちろんこれを聞いて僕が平川さんへの親密さの度合いを高めたことはいうまでもありません。


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# by hinaseno | 2018-11-16 15:36 | 雑記 | Comments(0)

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昨日、「縁と縁側(その2)」を書いていたら、いつものようにというか、いつも以上になが~い話になってしまって、で、それは今回のこの「Tokyo Fighting Kids in Okayama」と題した話の最後に書いた方がいい内容になってしまったなと思って、結局アップしませんでした。先に言っておきますが、このシリーズの最後の話は「縁と縁側(その3)」ということになりそうです。


ところで平川さんが内田先生のサイトで連載されていた「東京ファイティングキッズ」で縁と縁側の話を書かれたのは2003年11月23日のこと。本の方では「「縁側」的な共有地を持たない社会というのは非常にコスト高になるのは言うまでもありません」という言葉がタイトルになっています。この話、今も内田先生のサイトのこのページで読むことができますね。


ふと思ったんですが、僕が2003年11月頃に新聞の書評欄に掲載された内田樹先生の本を読んで内田先生のサイトの存在を知り、さらにそこに「東京ファイティングキッズ」という連載がされているのがわかって最初に読んだ平川さんの文章がまさにこれだったんじゃないかと。大瀧さんの影響で「縁」というものを意識するようになっていた時期だったので激しく共感したんですね。考えたらこれも「たまたま」。

ちなみに僕が赤線を引いているのはこの部分(実際に引いているのは「こういった自分のものであって…」以降)。


共同体の中では、いろいろなものが「共有」されているわけです。これは前段の「縁側」の話と共通するところがあるのですが、共同体の中には「自分のものであって、自分のものでない」ものがたくさんあります。村の井戸水がそうでしょうし、川に設置した洗い場もそうです。銭湯はコモンプレイスの最たるものでしょう。こういった自分のものであって、自分のものでないもの、あるいは誰のものでもないものに向き合うときひとはいくぶんかの遠慮といくぶんかの貢献、いくぶんかの愛情といくぶんかの距離をもってそれらを消費しようとするのだと思います。そこには暗黙の了解というものが働いておりそれが、汲みつくしてしまうといった「共有地の悲劇」にブレーキをかけるベクトルが働きます。

ここに書かれていることは先日のスロウな本屋さんでのトークイベントの話の肝になった「コミュニティ」、あるいは「いい加減」ということにもつながっていて、個人的には次の『ちゃぶ台 Vol.5』のテーマは「縁と縁側」(あるいは「縁側と縁」)で行けばいいのではと思って昨日それを書いたんですが、近々「ラジオデイズ」でアップはずのそのトークイベントの話を聞いてもらってからの方がいいなと。とにかく内容も含めて最高のトークイベントでした。


ところで『インターネット・マニア』というかなりマイナーな雑誌の1996年の11月号に掲載された大瀧さんの「縁と縁側」の話を平川さんが掲載時に読まれていたことはまず考えられないけど、石川さん、内田先生のことはすでに色々と知っていた大瀧さんが、平川さんの立ち上げたラジオデイズにでの3人とのトークを了承する際、平川さんのことを知ろうと『東京ファイティングキッズ』を読んだことは間違いのないはず。で、平川さんが書かれた「縁と縁側」の話を読んで、石川さんや内田先生のようなナイアガラーではないけれど自分と同じような考えを持っていることに強く興味を持たれたのではないかなと。きっと。


同じ大瀧さんのインタビューの中で、大瀧さんこんなことも語っています。


偶然の出会いが誘発させる何かがあるんだな。何かをしたいから誰かに会いに行くというんじゃなくて、出会ったところがはじまりで双方誘発されたから、できるという。全然関係のない人間が3人、同時に同じことを考えてたら世の中動く、というのが私の持論なんだけどね。

石川さん、内田先生のつてで、たまたまいっしょに話をすることになった「全然関係のない人間」が、同時ではないけれどかなり近い時期に同じようなことを考えていたというのはまさに「縁」。もう一人いたら「世の中動」いたんでしょうね。


縁といえば、ついでにもう少し。

それは最終日に縁側でいっしょに時間を過ごした御茶屋跡という建物のこと。ちょっと調べたら驚くようなことがいくつも。縁の不思議さというか何というか。

実はここにあった御茶屋はかつて朝鮮通信使の接待、さらに朝鮮通信使の三使・上々官の宿館に使われていた場所だったんですね。

朝鮮通信使を接待した場所といえば近くの本蓮寺だと思っていたんですが、そうではなかったんですね。先日手に入れた『牛窓と朝鮮通信使』によれば、江戸時代に全部で12回やってきた朝鮮通信使のうち、牛窓での応接場所が確認できるのは9回。そのうち最初の4回が本蓮寺で後の5回は御茶屋となっています。幕府が朝鮮通信使をきちんと接待するために作った建物なんですね。

現在の御茶屋跡の建物は当時の御茶屋ではなく、御茶屋があった場所に明治期に地元の名士が建てた住宅を再生したもののようです。


それから『牛窓と朝鮮通信使』を見たら最後のページに朝鮮通信使応接の井戸が載っていました。それは今年の春に見つけたこの井戸でした。

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この井戸を見つけたきっかけは、例の想田和弘さんの映画『港町』。映画の最後、あのおばあさんが上っていった丘までの道がわかったので、そこに行く途中で見つけたんですね。

この日のブログにその時に撮ったビデオを張っています。坂に登る途中、一瞬立ち止まって写しているのがその井戸。牛窓にはあちこちに井戸があるんですが、この井戸は他とはちょっと違う雰囲気があって、立ち寄ってみたら「朝鮮通信使ゆかりの井戸」という小さな看板があったんですね。ここの水を御茶屋に運んで接待していたとは。


実はこの日、平川さんと石川さんを迎えに牛窓に行ったら、何かの祭りのようなものをしていて道が通れなくなっていたんですね。なんだろうと思ったんですが、着ている服装ですぐにわかりました。朝鮮通信使に関係する祭りだなと。これが車から撮った写真。

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写真には写っていませんが、一度は見たいと思っていた唐子踊りもこの広場でやっていました。

あとで調べたらこの日やっていたのは瀬戸内牛窓国際交流フェスタ2018「朝鮮通信使から未来に向けて」というイベントだったようです。行列が向かった先は本蓮寺。行列には一般の市民と韓国の中学生が参加したとのこと。

そんな日に本蓮寺とともに朝鮮通信使のもうひとつの宿泊地になっていた御茶屋跡の縁側にいたとは、すごい縁だなと。実は、この日、朝鮮通信使を意識するもう一つの縁があったんですが、それはちょっと書けない、かな。縁は不思議としか言いようがない。


ところでこれはこの日、御茶屋跡の二階から撮った写真。



実は『港町』のワイちゃんがいたんですね。小屋の向こうに。でも、撮ろうとしたら見えなくなってしまいました。


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# by hinaseno | 2018-11-15 12:23 | 雑記 | Comments(0)

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平川さん、石川さんの岡山での日々、お二人の岡山到着から順序立てて書こうかと思いましたが、最終日の朝に撮ったこの写真のことから書くことにします。

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11月の朝の少し暑いくらいの陽射しを浴びて、縁側でぼんやりと海を眺めているお二人。軒には吊るし柿。

長年、牛窓に何度も通い続けてきたのに、こんないい場所で、こんなに居心地のいい時間を過ごしたのは初めてでした。そして3日間ごいっしょさせてもらったなかで、一番良かったのがこの時間だったなと。


場所は牛窓の古い町並みが残っているしおまち唐琴通り(なんと美しい名前だろう)にある御茶屋跡。

この御茶屋跡の屋敷の前は昔から何度も歩いていたんですが、門はずっと閉ざされたままでした。ところが今年の春に来て、ここを通りがかった時、門が開いていて中に入れるようになり、そこに「御茶屋跡」というセレクトショップができているのに気づいたんですね。昔の屋敷を利用した建物の素晴らしさはいうまでもありませんが、とくに2階から見た風景の素晴らしさには驚かされました。

でも、そこに、こんないい縁側があって、そこでコーヒーが飲めるとは知りませんでした。


実はこの場所での時間はまったくの想定外。ほんとは別のくつろげる場所を予定していたんですが、そこが運悪くダメになってしまって、困っちゃったなと思っていたところに、こんな最高の場所がひょこっと用意されていたわけですから、運がいいとしかいいようがありませんでした。これも、いくつもの「たまたま」のおかげ。


それにしても縁側っていいですね。コーヒーを飲みながら、とりとめのない話をして、同じ風景をただぼうっと眺めて。石川さんはこのあと気持ちよくなってこんなふうに縁にごろんと横になられてすやすやと(ご本人は寝ていなかったと言ってたけど)。

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お二人がこのとき何を考えられていたのかわかりませんが、僕はただ縁のことを考えていました。ずっと尊敬してきたお二人と、牛窓のこの縁側で過ごすことができているという縁の不思議さのことを。そして、このお二人がかつて何度も会われていた大瀧さんの「縁側は縁だ」という言葉を。


その「縁側は縁だ」という大瀧さんの話、この日のブログで紹介してますが改めて。


「縁ていうのが好きでね、昔から。縁があるかないかで全部決めてるんですよ、世の中。縁てのはなかなかに面白い言葉で。”アミーゴ・ガレージ”やってて最近気に入ってるのは、“縁側”という言葉。縁の側。そのぉ、中に入らないんですよ、お客さんは。庭を通るときに、縁側に寄ってお茶を出される。旅人ならばまあその縁側へいったん座って、お茶を出されて何時間かの話をして通り過ぎていくと。縁側ってのは縁なんですね」



「縁を作る、契りを結ぶ場なんだろうね。縁があるかないかを、縁側で判断する。そこで家の中に入る人もいれば、縁側に座るだけの人もいる、縁側を見ながらそのまま素通りする人もいれば、庭先のはるか遠くを通って行く人もいる……。これがなかなかに人生かな、と思う。で、まさに、この”アミーゴ・ガレージ”は縁側だな、と思うんだよ」


「来る旅人の心構えで出口も違うと、ね。その”縁側”で縁が結べるかどうかというようなまさに”縁側文化”みたいなところまでインターネットも進んで、使えたらね、これはもう人間の勝利だと思うけど」


これは『インターネット・マニア』という雑誌の1996年11月号のインタビュー。タイトルは「アミーゴ・ガレージは”縁側文化”を目指す」。でも僕はこれを2015年に出た『大瀧詠一 Writing & Talking』で初めて読みました。

この雑誌のインタビューに答えられた時、大瀧さんは”アミーゴ・ガレージ”というサイトを立ち上げたばかりでした。最後に「”縁側文化”みたいなところまでインターネットも進んで、使えたらね、これはもう人間の勝利だと思うけど」と言われていますが、先日のスロウな本屋さんでのトークで奇しくも平川さんが語られていたように、インターネットはそうならなかったばかりか、人間の勝利ではなく敗北と言っていいような大きな分断を作ってしまった。本来は縁側のような場所であったコメント欄の荒れ方の酷さといったら見るに耐えないものがあります。大瀧さんもインターネットというものが当初考えていた”縁側文化”的なものにならないと判断したからすぱっとやめられたんだと思うけど。


でも、考えてみたらインターネットがあったからこそ、僕は平川さん、石川さんに出会うことができたし、こうして縁側にいっしょに座って同じ空気を吸っていることができている。さらに考えると最近の縁もほとんどはインターネットを通じて生まれているんですね。

仮にインターネットであっても、どんな人、あるいはどんな場に対しても縁側という場の意識を持っていれば(持ち合っていれば)、まだ十分に可能性は残されているような気がする。


なんてことをあの日以来ぼんやりと考えていたわけですが、昨日、『東京ファイティングキッズ』の単行本を久しぶりに取り出したら1枚だけ付箋がはってあるのに気づきました。

最近は気になることがあればすぐに付箋を貼っていくようにしてますが、昔は赤線を引くだけで、付箋はめったに貼りませんでした。で、そこを開いたら、なんと「縁側」の話が。書いていたのは平川さん。これにはびっくりでした。(続く)

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# by hinaseno | 2018-11-13 13:29 | 雑記 | Comments(0)