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Talks About Music, Books, Cinema ... and Niagara


by hinaseno
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2019年 05月 08日 ( 1 )



『漱石全集を買った日』を読み終えた人はきっと、まずは何よりもゆずぽんさん、すごいなと思うはず。いろんな意味で。

で、次に思うことは、やはり本屋へ行きたいなと。善行堂さんに行って善行さんと話をしたい、善行堂に行けなくても古本屋を巡ってみたい、ゆずぽんさんたちが取り上げていた本を読んでみたい…。『井伏鱒二全集』、あるいは『木山捷平全集』を買いたくなった人もいるかもしれません。

そして何よりも本を読みたくなります。ゆずぽんさんのように、あるいはゆずぽんさんが紹介していた人たちのように、もっと本を大切に丁寧に読まなければならないなと。


『漱石全集を買った日』を読み終えて、僕が手に取ったのは夏目漱石の『門』でした。本棚にあったのは岩波文庫。

漱石は大学時代からちょこちょこと買っていましたが、ほとんどは新潮文庫でした。でも、この『門』だけはなぜか岩波文庫。本の奥付を見ると1996年発行。たぶん買い換えたはず。

きっかけはなんだろう、としばらく考える。辻邦生が解説、これかなと。

1995年くらいに読んだ池澤夏樹の何かの本で辻邦生の『夏の砦』を知り、少し後に文春文庫から出た『夏の砦』を読んでいっぺんに辻邦生のファンになったんですね。1996年暮れから1998年にかけては辻邦生がマイブーム。1998年に出た水村美苗さんとの共著『手紙、栞を添えて』は、その本の佇まいも含めて宝物のような作品。

漱石の『門』もたぶん新潮文庫で持っていたはずですが、辻邦生が解説を書いてることを知って手に取ったんだと思います。


なぜ急に夏目漱石の『門』を読みたくなったかというと、『漱石全集を買った日』のあとがきの最後の方に『門』のことが出てきたから。引用されているのは最後の部分。ちなみにこの作品は秋の縁側で始まり春の縁側で終わります。


御米は障子の硝子に映る麗かな日影をすかして見て、 「本当に難有(ありがた)いわね。ようやくの事春になって」と云って、晴れ晴れしい眉を張った。宗助は縁に出て長く延びた爪を剪りながら、 「うん、然し又じき冬になるよ」と答えて、下を向いたまま鋏を動かしていた。


この部分を引用した後、ゆずぽんさんはこう書いています。


 人の世には、きまぐれのように暖かい春の時期があり、また気まぐれのように厳しい冬も必ず訪れる。その真理にどれだけ抗おうとしても、人間はその繰り返しからは逃れることはできない、と漱石はいう。ほんとうにそういう意味なのかどうかは知らないが、少なくとも僕にはそう読めた。読み終わった後は、正直拍子抜けだった。結局何も解決しないじゃないか、とも思った。でも漱石の言葉には妙な説得力があって、それを無視することはできなかった。それ以来、不思議と「自分から逃げようとしても、逃げられるわけがない。どうしようもないことは、どうしようもないのだ」と、それまでの色々なことが自分のなかからスッと抜け落ちてしまったような気がする。漱石に出会ってから、ポッカリと穴が空いてしまった、というのはこういうことで、自分にとってこのときほど切実だった読書は、あとにもさきにもこれきりだと思っている。

ゆずぽんさんもある時期、人を信頼できない、さらには自分自身を信頼(肯定)できない時期を過ごしたようです。自己啓発本なんかに手を出していたときもあったと言っていました(僕もそういう時期がありました)。

で、たぶんある時に出会った本をきっかけにして変わっていく。信頼できる本を見つけ、信頼できる作家を見つけて、それがどんどんとひろがっていく。本を大切にする人たちを尊敬する。大切な本を大切に扱っている古書店を愛するようになる。


そういえばおひさまゆうびん舎でのトークイベントで触れられたのが、2年前にゆずぽんさんが自費出版で作られた『古本屋にて、』でした。

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全部で10の古本屋が載っているんですが、ゆずぽんさんによると春に始まって春に終わる内容になっていると。『門』の最後の御米の言葉を思い出しました。

『古本屋にて、』の最初に掲載されているのは倉敷の蟲文庫。「春、雲一つない、よく晴れた日だった」という言葉から始まります。

2つめが京都の善行堂さん。ゆずぽんさんが漱石の本を眺めていたときのエピソードが紹介されています。

5つめに紹介されているのは神戸のトンカ書店。季節のことは書かれていませんが、空色の、海色の真っ青な看板からは真夏のイメージが浮かびます。神戸の街はやはり夏が似合います。

そして最後が姫路のおひさまゆうびん舎。

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そこに描かれていたのは早春の風景。そう、おひさまゆうびん舎は早春が似合う。書かれているのは2015年の早春におひさまゆうびん舎で開かれた没後50年小山清展を訪れたときの話。


まだ、外の空気は冷たかった。だけど、階段を昇ると、窓からやわらかい光が差し込んでいて、丁寧に並べられた本たちがとても暖かそうにしていた。もう、春が近づいてきているのだと、思った。そして、大切なものを、大切にすることは、こんなにも愛おしい形をしているのだと、思った。
耳かきと爪切りがちょこんと、本たちと一緒に飾られていた。家に帰って「落穂拾ひ」を読んだとき、その訳を知った。もう一度、おひさまゆうびん舎に行こうと思った。


さて、最後にトークイベントの日のちょっと素敵なエピソードを紹介しておきます。

その日、4時半くらいにおひさまゆうびん舎に着いたら、店主の窪田さんからついさっきまでゆずぽんさん夫婦がいたんですよと。

どこかですれ違っていたかな。すれ違ったら気づかないはずはないな、と思いつつ、僕は歩くときにほとんど人を見ないので、自分から気づくことはない。


『漱石全集を買った日』をさらに二冊と島田潤一郎さんが岬書房という新レーベルから出した『90年代の若者たち』などを買いながら小一時間、店主の窪田さんや常連のゆうくんと話をして、6時半からのトークイベントまでの時間を潰すために外に出ました。とりあえずいつものように大好きな鯛焼きを買って、それからどこかの喫茶店に立ち寄って時間をつぶすつもりでいました。

もともと考えていたのは大陸だったんですが、なんと営業時間は5時まで。仕方なく二階町の商店街にある喫茶店に立ち寄ったらそこも間もなく閉店しますと。おいおい、でした。それではと昔よく立ち寄っていたおみぞ筋のカフェに入ったら満席。

仕方ないのでみゆき通り商店街に戻ってみたものの、こちらのほうがもっと人が多くて、どこもテーブルが空いてそうにない。

ということで喫茶店探しにくたびれてしまって、イベントまでにはまだ時間があるけれどおひさまゆうびん舎に戻ろうかと商店街を歩いていたら、両手を大きく振っている若いカップルが目に入りました。見るとゆずぽんさんとエンジェルさん。二人とも満面の笑顔。こういうの、うれしいですね。

「喫茶店探しているんだけど」と言ったら、「はまもとがあいていますよ、さっきまでそこにいたんです」と。

ってことで、はまもとコーヒーに入ったらラッキーなことに二人がけのテーブルが一つ空いていました。きっとゆずぽんさんたちがさっきまで座っていたはずの席。ちょっと愛おしい気持ちになりながら買ったばかりの『90年代の若者たち』を取り出しました。


by hinaseno | 2019-05-08 15:21 | 文学 | Comments(0)