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Talks About Music, Books, Cinema ... and Niagara


by hinaseno
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2018年 03月 09日 ( 1 )



先日拝見した「マスターの自由自在 Vol.2」ではいくつか興味を持ったことがあるんですが、その中の一つが樋口一葉の「たけくらべ」の朗読の後に紹介された「黄金餅」の話。「黄金餅」という落語の中にいろんな地名が出てくる「言い立て」があるんですね。石川さんは志ん生と志ん朝と談志の3人を比較して紹介されました。

それから同時に話されたのが、マニアの間でそこに出てくる地名をたどって歩くというのがよく行われているということで、石川さんも歩かれたとのこと。

この話、どこかで聞いたことがあるなと。たぶんラジオデイズの『大瀧詠一的』のどこかで話されたはずだけど、どこだろう。というわけで、数日前から時間のあるときに可能性のありそうなところをいろいろと聞いていました。それを昨日ようやく発見。


それを発見する前、つまり昨日の朝のことですが、ふと昭和20年3月8日の『断腸亭日乗』を読んでみたくなって、久しぶりに本を開きました。

翌日の3月9日の日記には例の東京大空襲によって荷風の住んでいた偏奇館が消失したことの長い話が書かれていて、その日と翌日の日記は何度読んだかわかりません。これがなければ岡山に来ることはなかったわけですから。


さて、昭和20年3月8日の『断腸亭日乗』、こんなことが書かれていました。


午後神田冨山町の焼跡に日糖会社を訪ね用事を弁ず、家屋は焼けたけれど社員は地下室にて事務を執り居れるなり、多町鍛冶町の辺一帯に焼原なり、須田町小川町駿河台下も同じ

この辺り、歩いたんじゃなかったっけ? と思ったらやはり。昨年の5月に野口久和 THE BIG BAND with “BREEZE”のライブを見るために神保町駅から神田の岩本町まで石川さんと一緒に歩いていたときに富山町を通っていました。須田町は一本北の道。それから小川町や駿河台は翌朝歩いていますね。ニコライ堂があるのは駿河台。よく焼失しなかったものです。


まあ、これだけでも嬉しかったんですが、びっくりしたのはその後。『大瀧詠一的』の「黄金餅」の話がされている部分が見つかったんですね。『大瀧詠一的2009』の4/6の後半、大瀧さんによる成瀬巳喜男の映画研究の話の流れで出てきていました。

話のきっかけは石川さん。「黄金餅」については大瀧さんも内田先生も平川さんもよくご存知なんですね。僕は落語にはとんと疎いので、このときの話は「なんのこっちゃ」でした。

ここで内田先生がルートを訊いたら石川さんの口から「神田須田町」が出てきてびっくり。須田町がつながったと。


というわけで「黄金餅」の言い立ての部分を改めて聞いてみようと思ったら、DVDといっしょに送ってくださった「マスター自由自在 ねた」というCDにその部分を録音したものが収録しているのがわかりました。ありがたいことです。


面白いのは「黄金餅」の目的地であるゴールが麻布。麻布は荷風の偏奇館があったところ。昭和20年3月8日、神田のあたりを歩いた後、荷風は電車で赤坂の福吉町にある本屋に寄って家に戻っています。つまり荷風はこの日、「黄金餅」ルートを移動していたわけです。


こうなったら「黄金餅」のバーチャルウォークをしないわけにはいきません。ネットで「黄金餅」の言い立ての部分をコピーして、手元にある明治時代の古い地図を見ながらわかる地名を辿って行きました。興味深いのは「黄金餅」の目的地である「木蓮寺」(これは架空の寺のようです)近辺の地名が出てくる部分。


飯倉六丁目へ出て、坂を上がって飯倉片町、そのころ、おかめ団子という団子屋の前をまっすぐに、麻布の永坂を降りまして、十番へ出て…


このあたりの地図を見ていたら目に入った地名が市兵衛町。そう、荷風の偏奇館があった場所の古い地名です。というわけでこのあたりの地図を。

a0285828_15184806.png

これは昭和22年の地図。赤丸が偏奇館があった場所。そして水色の矢印が「黄金餅」の言い立て部分のルート。「おかめ団子」という団子屋はどこにあったんでしょう(本当にあったかどうかはわからないけど)。


さて、アゲインには黄金餅を置いているようなので是非注文してください。仮に間違って「おうごんもち」と言ったとしても、きっと石川さんはニコニコと長い話を聞かせてくれるだろうと思います。そこが「入り口」です。


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by hinaseno | 2018-03-09 15:20 | 雑記 | Comments(0)