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by hinaseno
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2018年 02月 16日 ( 1 )



小津安二郎の『東京物語』が公開されたのは1953年(昭和28年)11月。そして大林宣彦の『転校生』が公開されたのは1982年(昭和57年)4月。

『転校生』が公開された1982年の4月といえば、まさにこの頃にレンタル・レコード屋ができ始めて、その店の1つで「大滝詠一」と書かれた仕切りの札を見つけて、出たばかりの『NIAGARA TRIANGLE Vol.2』を借りた頃。で、おそらく5月のゴールデンウィークくらいに大学のゼミの旅行で尾道に行ったんですね。きっかけはたぶん『転校生』だったはず。僕は映画を観てなかったけど尾道に行ったかなりの人が映画を観ていたようで、街を歩きながら「この坂は『転校生』に映っていた場所だ」とか話しているのを聞いていました(今から考えるとちょっとあやしいけど)。

ちなみに僕が尾道に行ったのはそのときがたぶん2度目。その2年前くらいに友人2人と尾道の”塔”めぐりをしていました。浄土寺、西国寺、天寧寺。

『転校生』はテレビで放送されたのを観たけど、ふ~んっという感じ。天寧寺の三重塔は映ったけど一番好きな浄土寺の多宝塔が映らなかったことに不満を持ったような気がします。『東京物語』を初めて観たときには、なにはともあれ浄土寺の多宝塔が映ったことに興奮しました。


ところで前回紹介した『大林宣彦のa movie book尾道』(2001年発行)、図書館で借りてきましたが、期待していたほどのことは書かれていませんでした。とりわけ気になっているのはあの男の子と女の子が入れ替わるシーンが撮られた御袖天満宮のこと。

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大林さんが『転校生』の最も重要なシーンの撮影場所として御袖天満宮を選んだ理由が一番知りたいことなんですが、残念ながらこの本で確認することはできませんでした。何かで語られているんでしょうか。

結局この本で大林さんが『東京物語』について語っていたのは1つだけでした。大林宣彦公認ファンクラブであるOBsクラブの質問に答えたもの。こんな質問です。


昭和二十八年八月にあの小津安二郎が『東京物語』を尾道で撮影していたとき、監督は何をしていましたか? もしかして撮影現場を見ていたのでしょうか? また監督は小津映画に関してどういう意見を持っておられますか?

これに対する大林さんの答え。


『東京物語』の撮影現場にいました。小津安二郎監督とその映画とは、ぼくにとって最も尊敬する映画作家であり、映画のひとつです。『東京物語』が尾道で撮影されたことは、ぼくの古里自慢、映画人としての大いなる誇りです。

小津安二郎が『東京物語』を撮影したとき大林さんは15歳。たぶん高1のはず。映画好きだった大林少年であれば小津が尾道でロケした8月14日から19日の6日間、夏休みということもあって、きっとロケの様子をずっと見て回っていたんじゃないかと思います。


気になるのはそのふた月前の6月に小津たちがロケハンに来たときに大林さんはどうしていたかということ。もっといえば結局は映画では使わなかったけれど、6月30日に小津たちが御袖天満宮でロケハンをしていたことを大林さんは知っていたのかなと。

改めて考えてみれば、『東京人』の1997年9月号に掲載された1953年6月から7月にかけての厚田さんの「撮影日程表」の6月30日のところに記載された「天満宮」がいったいどこにあるんだろうと調べていて、その前後にかなり乱雑な字で書かれている「練瓦坂」「福善寺」という言葉を手がかりに御袖天満宮をつきとめたら、そこがまさに『転校生』のあのシーンが撮られた場所だと知ってびっくりしたわけですね。

この日のブログで書いているように、小津はこのシーンを撮影する場所の候補の一つとしてこの御袖天満宮をおそらく地元の人の案内で訪れたはず。

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でも、結局、御袖天満宮ではなく浄土寺の境内を使ったわけですが、小津が『東京物語』のあの神々しいラストシーンを撮影する候補として考えたはずの御袖天満宮の境内で、大林さんは『転校生』のラストシーンで女の子の体になってしまった男の子に立小便をさせているのがなんとも笑ってしまいました。


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by hinaseno | 2018-02-16 15:06 | 映画 | Comments(0)