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Talks About Music, Books, Cinema ... and Niagara


by hinaseno
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2018年 02月 04日 ( 1 )



今日は立春。春立ちぬ、ですね。

ということでこの日は必ず大瀧さんの「恋するふたり」を聴きます。「恋するふたり」は松田聖子の「風立ちぬ」を下敷きにして春に始まる番組用に作ったため当初は「春立ちぬ」というタイトルだったんですね。

ってことで、せっかくなので「恋するふたり」を貼ろうかと思ってYouTubeを検索したら変なカバーばかり。

と思ったら、これがありました。ビートルズの「I Should Have Known Better」。邦題は「恋する二人」。




これも大好きな曲。曲を書いたのはやっぱりジョン・レノン。ということでジョンさんがリード・ボーカルです。ちなみに大瀧さんの「恋するふたり」はこの曲とは(たぶん)なんの関係もなし。でも、大瀧さんのことだから何かちょこっと取り入れているかもしれませんね。


ところで先日、YouTubeで、例の「イエロー・サブマリン音頭」の謎を解き明かした「メイキング・オブ・イエロー・サブマリン音頭」(1984年6月放送)の最後の部分を聴いていたら(↓これ)、




なんと正解者には「イエロー・サブマリン・バッジ」をプレゼントと言っていて、思わず、え~っとなってしまったのですが、昨日、MDに録音していた再放送のもの(2008年1月に放送された「大瀧詠一リマスタースペシャル」)を聴いたら、1984年6月に放送されたものを流した後にアシスタントの女性とのやりとりがあって、「正解者は?」という質問に対しての大瀧さんの答えを聴いて、思わず、ええええええええええっとなってしまいました。いかにも大瀧さんらしいというかなんというか。


さて「え」ではなく「お」が10個くらい並んだ話。

でもその前にもしかしたら「お」が20個くらい並んだかもしれない話の方を先に。

平川克美さんの『21世紀の楕円幻想論』の最終章「21世紀の楕円幻想論 ーー 生きるための経済」を読み始めてすぐに出てきたのが太田裕美さんの「木綿のハンカチーフ」の話でした。

楕円幻想と「木綿のハンカチーフ」のつながりは平川さんの『路地裏の民主主義』を読み返したときに気がついたのですが、あの本を読んでいなければ、あるいは読み返していなければ、きっと、おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっとなったはずでした。


それにしても僕が松村さんの『うしろめたさの人類学』をきっかけにして珈琲豆的な楕円(楕縁)イメージを膨らませていたときに、たまたまそのときに聴いていた太田裕美さんのいくつもの曲の中に『うしろめたさの人類学』のキーワードである「スキマ」という言葉が歌詞のキーワードのように使われているのを発見し、さらにそのあと平川さんの『路地裏の民主主義』を再読したときに楕円幻想の話の中に「木綿のハンカチーフ」の話が書かれているのを知ってとにかく驚いたわけですが、今回、『21世紀の楕円幻想論』を読み進めていて「木綿のハンカチーフ」が出てきたときには、やはり、おおおおおっ!てなりました。


その前に。

以前、スロウな本屋さんで撮った写真で気がついた楕円形のPOP。お願いしたらミシマ社さんから贈っていただきました。これ最高です。

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AとBという2つに分かれた円の真ん中で「OR」という服を着た平川さんが「どっちか、じゃねえんだよな。」と言っています。そう、まさにどっちかじゃない、というのが楕円的な思考なんですね。


「木綿のハンカチーフ」の話は、楕円とは違った真円的な思考は二項対立的な思考で、どちらを選ぶのかを迫るものだという話のあと、こんな形で登場します。


 選べない現実の前で、立ち止まり、戸惑うことの中から、思ってもいなかった風景が目の前に風景が目の前に開けるということもある。選べない理由の意味は、ためらい、逡巡しなければ見えてこないのです。
 現代の楕円幻想は、思わぬところに顔をだしますよ。
 たとえば、それは作詞家松本隆が描き出した「木綿のハンカチーフ」。

おそらく『路地裏の民主主義』を書かれたときには楕円幻想のイメージを固めている段階でのことだったはずなので「木綿のハンカチーフ」についてはさらっと触れられているだけでしたが、今回はよりくわしく。平川さんの説明を読みながら、僕もより深く理解することができました。


平川さんが書かれているように「木綿のハンカチーフ」は田舎と都会、情とお金、生産と消費という相矛盾する二つの項を対比させています。平川さんんの楕円幻想に当てはめてみれば「田舎」「情」「生産」は有縁の世界に、そして「都会」「お金」「消費」は無縁の世界に入ることになります。これに関しては例のNHKで放送された番組で松本さん自身もテーマを都会vs田舎で展開したと語っていましたね。

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「都会vs田舎」ということで言えば、松本さんが作詞した太田裕美さんの曲には「都会vs田舎」がいろんな形で入り込んでいます。そう、太田裕美さんの多くの曲には「有縁」と「無縁」が含まれているんですね。

そういえば同じ松本隆さんが作詞した松田聖子さんの曲は「田舎」はなく「都会」だけ。ときどき海沿いの町や高原にも行ったりしますが、そこはあくまで「都会」の延長線にあるリゾート地。

今、僕が松田聖子さんの曲の詞にはそれほどゆさぶられることがなくなってしまったのはたぶん「無縁」の世界だけの話になっているからなんでしょうね。


ところで平川さんも少し触れられていますが「木綿のハンカチーフ」の詞の最大のポイントは、平川さんの『21世紀の楕円幻想論』でも松村さんの『うしろめたさの人類学』でも最も重要なキーワードになっている「贈与」、つまり「贈りもの」のこと。


都会に出た男の子は「はなやいだ街できみへの贈りもの」を探すつもりだという。でも女の子は「ほしいものはない」と。ただ「都会の絵の具に染まらないで帰」ってくれることを願う。

半年後、田舎に帰らないままでおそらく都会の絵の具に染まってしまった男の子は「都会で流行の指輪を送るよ」という。でも、女の子はそんなものはいらないという。願うのはやはり帰ってきてくれることだけ。


で、次に彼が送るのは完全に都会に染まった姿の写真。女の子はおそらく自分のところには彼が戻ってこないことを確信して、でも、彼女は田舎の風景の中で草にねころんだ姿の方が好きだったと記した返事を書く。体に気をつけてとの言葉を添えて。で、「ぼくは帰れない」という手紙をもらった女の子は「最後のわがまま」として「贈りもの」を願う。それが涙を拭くための「木綿のハンカチーフ」。


『21世紀の楕円幻想論』では平川さんがカラオケで「木綿のハンカチーフ」を歌ったときにそばで聴いていた空手の師匠が涙ぐんだというエピソードが紹介されていました。その人は田舎出身なんですね。

ちなみに僕はこの曲を聴いてもいい曲だなと思う以上のことはなかったんですが、昨日、車の中で詞をじっくりと聴いていたら涙ぐんでしまいました。


そして「木綿のハンカチーフ」の話の後で「うしろめたさ」というキーワードが出てきます。「うしろめたさ」も楕円幻想の世界では欠かせない感情なんですね。なんでも平気で割り切れてしまう人間には楕円を作ることはできません。


平川さんは「木綿のハンカチーフ」の男の側に「うしろめたさ」という感情を見ていますが、女性の側にもやはり「うしろめたさ」があったと思っています。贈りものをあげると何度も言われたのにずっと「いらない」と断り続けたことへのうしろめたさ。

もしも無縁的世界にいる(つまり都会の絵の具に染まりきった)女の子ならば「いらない」と言っても簡単に割り切れる。でも、有縁的世界にいるこの女の子は「いらない」と拒否し続けたことに、何か後味の悪いものを持ち続けるんですね。

で、結局彼女は最後の贈り物としてねだったのは無縁的世界では金銭にほとんど価値のない「木綿のハンカチーフ」。「涙拭く」ためのという言葉を添えて。もちろん男の子は彼女に「木綿のハンカチーフ」を贈らなかったはず。


平川さんの本を読んで、そして改めてこの曲をじっくりと聴いて強く思ったことは、「どっちか、じゃねえんだよな。」ということ。縁のことをずっと考えてきましたが「無縁」の世界のことを対立的なものとして排除してはダメなんですね。

ってことを思い知らされたのが次回書く予定の「おおおおおおおおおおっ」の話です。


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by hinaseno | 2018-02-04 14:24 | 雑記 | Comments(0)