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Talks About Music, Books, Cinema ... and Niagara


by hinaseno
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2018年 01月 06日 ( 1 )



あいかわらず自作の太田裕美さんのCDを聴く日々。

昨年の「今年の10曲」に選んだ「海が泣いている」と同じくらいに心に沁みるのが「煉瓦荘」という曲。冒頭はこんな歌詞。「余白」が出てくるってことで以前も紹介しましたね。


 あれからは詩を書き続けた
 哀しみにペン先ひたして
 想い出で余白をつぶした
 君の名で心を埋めた

 井の頭まで行ったついでに
 煉瓦荘まで足をのばした

詞の舞台になっている煉瓦荘があるのは井の頭。僕が人生で初めて「井の頭」という言葉を耳にしたのは間違いなくこの曲。でも、それがどこかなんて調べないまま聞き流していました。もともと歌詞カードもあまり見ない方なので「いのかしら」というのを地名として聞き取っていなかったように思います。

なんとなく「井の頭」のことが気になっていたジャストタイミングで放送されたのが『ブラタモリ』の「東京・吉祥寺」でした。そう、井の頭は吉祥寺の近く。井の頭公園も吉祥寺駅からすぐのところにあるんですね。


実は昨年、東京に行ったときに吉祥寺にも行けないだろうかと考えたんです。井の頭公園にも行ってみたかったし、なによりも吉祥寺にある夏葉社を訪ねてみたかったんですね。でも、時間的なことから(どうせ行くのならたっぷりと時間を取って、あのあたりの本屋や木山捷平の家にも行きたかったので)結局あきらめました。

そういえばおひさまゆうびん舎さん一行が世田谷ピンポンズさんの5周年ライブのために東京に行ったときに確か夏葉社にも行ったんですね。そのおひさまゆうびん舎の窪田さんが大好きな小山清も吉祥寺に住んでいました。というわけで井の頭公園にもよく行ってたんですね。世田谷ピンポンズさんの「早春」という曲の歌詞の下敷きになった「春」という随筆にも井の頭公園が出てきます。


 三月に入ったらいっぺんに春になった。窮屈な冬の上衣をぬぎ捨てたら身も心も軽くなった。ホッとした。ひさしぶりで洗濯をした。私が洗濯をやるなんてのはめずらしい。洗濯をするのはいいことだと思った。これからもときどき洗濯をしたり部屋の障子をはりかえたりして気を変えようと思う。こないだ井の頭公園へ行ったら紅梅、白梅、臘梅が咲いていた。白梅と臘梅の区別はそのとき一しょに散歩した友人から初めて教えられたのである。友人はとある家の門口に咲いていた沈丁花を見てその家の人に一枝無心した。その家の人は気持よく、わざわざ莟のついている枝をえらんで手折ってくれた。四五日して友人の家に遊びに行ったらコップに挿してあって莟は開いていた。友人は最近上京して新居を営んでいる人である。私はいま信州から出てきた若い友人と同居している。私も貧しいがその人も貧しい。その人はこれで歩くのだと云って買ってきた新しい朴歯の下駄を私に見せた。希望を見失わずにやって行きたい。

ピンポンズさんは「井の頭公園」を「近くの公園」と変えて歌っています。おひさまゆうびん舎という場がなければ絶対に生まれなかった曲なので、「近くの公園」は大手前公園や、あるいは動物園のあるお城近くの公園をイメージしても構わないし。それにしてもひさしぶりに「早春」を聴いたら、やっぱりいい曲ですね。少しずつ「早春」が近づいているので、これから何度も聞くことになりそうです。


そういえば夏葉社の島田さんは高知新聞のK+という情報誌に「読む時間、向き合う時間」というのを連載しています。これがいいんですね。ネットでも読めるのでそれを印刷したり、印刷しそびれたものはおひさまさん経由でいただいて読んでいます。

今まで書かれた中で一番好きなのは『ことばのしっぽ』という本の話。冒頭が泣けるんですね。


 近所の公園で、娘が眠るベビーを押したり戻したりしながら考え事をしていると、砂場で遊んでいた二歳半の息子が駆け寄ってきて、ぼくに「どした?」といいました。そんなふうに話しかけられたことはこれまでありませんでしたから、ぼくは仕事の憂いのこともすっかり忘れてしまい、笑ってしまいました。
 家に帰り、妻にこんなことがあったと話をすると、妻も破顔一笑して喜びます。ぼくも思い返すたびにうれしくなります。

島田さんの自宅がどこなのかは知らないのですが、これを読んだときにすぐに頭に浮かべたのが井の頭公園でした。まあ、たぶんもっと小さな公園なんでしょうけど。


ところで吉祥寺からそう遠くないところに住んでいた木山さんも吉祥寺には何度も来ています。もちろん井の頭公園にも。たとえば昭和14年2月13日の日記。この日は芥川賞の発表の日。このとき木山さんの「現実図絵」が候補の一つに入っていました。でも受賞したのは中里恒子の『乗合馬車』。というわけで、木山さんはこんなことを書いています。


何となくさびしさ身にしむる日。家を午後四時出て井の頭公園の鯉でも見たき心あり。電車にのりて吉祥寺に降りる。田畑君訪問。田畑松子夫人の家始めてなり。不在。亀井を訪問。この家も始めて。夕飯の馳走になり、将棋をさす。彼は弱し、十戦位さしたが、二度敗けた。午後九時頃辞去。

「亀井」というのはもちろん亀井勝一郎。吉祥寺に行ったときに訪ねた「田畑君」ってだれだろうと思っていたときに、たまたまやはり昨年暮れに手に入れたまま読んでいなかった上林暁さんの『晩春日記』の最初の作品「風致区」(昭和20年)を読んでいたらびっくり。なんと吉祥寺の駅を降りた場面から話が始まって井の頭公園にも行って、そして「田端君」という名前の人物が登場するんですね。田端君は3年前に亡くなったと。

「田畑君」と「田端君」。漢字は違っているけど同一人物のような気がしてちょっと調べてみました。どうやら木山さんの日記に何度も登場する田畑修一郎という人。仲の良い友人の一人だったようですね。『鳥羽家の子供』という作品は芥川賞の候補になったこともあって、かなり将来を嘱望されたようですが、昭和18年7月24日の木山さんの日記に「田畑修一郎急逝」と書かれていました。亡くなったのは前日の7月23日。取材のために行っていた岩手県の盛岡市で急性盲腸炎になって亡くなったんですね。享年39歳。


こういうのも縁なので、機会があったら田畑修一郎の作品を読んでみようと思います。


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by hinaseno | 2018-01-06 11:48 | 雑記 | Comments(0)