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Talks About Music, Books, Cinema ... and Niagara


by hinaseno
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2017年 10月 31日 ( 1 )



相変わらず「数学的媚薬」の余波は続いているようで、このブログへのいつもとは違う量のアクセスが続いています。今朝「数学的媚薬」をGoogleで検索してみたら前回書いた話がトップに上がっていました。やはりあの物語、かなりのインパクトがあったようです。

「数学的媚薬」を読み直して(テレビを見て)思ったことですが、贈与という行為にはどんなささやかなことであってもいいから物語が入り込んだほうが素敵だな、と。贈与したものの価値とは別に。

それから「縁」があるというのは友愛数のような関係なのかなと考えたりもしました。いや、でもよく考えたら意外に友愛数は公約数が少ないなとか(たとえば220と284であれば公約数は1と2と4のたった3つ)、いや、それでも公約数の数だけの問題ではないかとか、相変わらず縁というものの不思議さのことを思ってしまいました。


それはさておき「数学的媚薬」で検索して前回書いた僕の文章にアクセスした人のうちで、そのあとに書かれた「ポプラ社」から出版された宮治淳一さんの『MY LITTLE TOWN 茅ヶ崎音楽物語』と高橋和枝さんの『コーヒータイム』の話まで読んでくれた人がどれだけいるでしょうか。アクセスした人の10分の1くらいのひとでもいいから最後まで読んでくれて、そのうちの数人でも『MY LITTLE HOMETOWN 茅ヶ崎音楽物語』や『コーヒータイム』に興味を持って、そして一人でもいいから本を手に取ってくれたらうれしいんだけど。あっ、ただ、高橋さんの『コーヒータイム』は今、絶版になっていますね。「ポプラ社」の方、ぜひ再版してください。ぜひぜひ。


ところで昨日は休みだったので宮治淳一さんの『MY LITTLE HOMETOWN 茅ヶ崎音楽物語』をかなり読み進めました。宮治さんの同級生である桑田佳祐さんの話は最後の10章だけではなく7章から登場。このブログにはもしかしたら全く書いていないかもしれないけど、僕はかなり熱心なサザンのファンだったので、やっぱり桑田さんの話が出てくるとワクワクします。茅ヶ崎という地名を知ったのも最後の章のタイトルにもなっている「茅ヶ崎に背を向けて」という曲がきっかけでした。烏帽子岩を知ったのもやはりサザン。いや、江ノ電も、鎌倉も…。

そんなサザンの桑田さんと宮治さんが、間に一人おいていっしょに写っている中3のときのクラス写真にはちょっと興奮しました。桑田さん、今とちっとも変わっていない。ぜひ本を手に取って見てください。


ところで昨日読んだ部分で、あっと驚くようなことが書かれていて腰が抜けそうになりました。以前、小津の日記を読んでいたときにひっかかって、いろいろと調べたけど結局手がかりがつかめなかったものがこんなところに、しかも驚くような形で書かれていたとは。

その驚きのことが書かれていたのは第六章の尾崎紀世彦の章。

尾崎紀世彦が茅ヶ崎と関わりが深い人であることは知りませんでした。「加山がデビュー当時から海の町・茅ヶ崎出身というイメージを前面に押し出していたことに比べて、尾崎紀世彦からは茅ヶ崎の匂いがまるでしなかった」と宮治さんが書いている通り、あの野生的なイメージから茅ヶ崎にむすびつくものは一切感じられません。その尾崎紀世彦が「また逢う日まで」でレコード大賞を受賞する話のところに”それ”が書かれていました。

ちなみに僕が「レコード大賞」というものを初めて意識して見たのがこの尾崎紀世彦のとき。「また逢う日まで」はレコードを持っていたので、尾崎紀世彦が絶対にレコード大賞を取ると思ってテレビを見ていました。で、決まったときには「やったー!」と叫んだ記憶があります。後にも先にもレコード大賞で興奮したのはあのときだけ。

さて、そのときの場面を宮治さんはこう書いています。


…尾崎紀世彦がステージに上がると、水原弘、松尾和子、フランク永井ら歴代の大賞受賞者が拍手で迎えた。
そこにサプライズ・ゲストで尾崎の母親が現れ、高橋圭三が「残念ながらお父さんは一年ほど前に亡くなりここには来られません……」と述べ、花束を抱えていた男性の姿がアップで映った。そのとき、それまで黙って見ていた私の母親が驚きの声を上げた。
「あれ? 肉屋のオジさんだ!」
 尾崎が中学時代にアルバイトで手伝っていた肉屋の店主が、亡父に代わってお祝いに駆けつけた、という構図だった。
 尾崎が茅ヶ崎育ちだということはその年の春「また逢う日まで」が流行り出したころからは知っていたが、この肉屋のオジさんの登場で確信に変わった。父と母は結婚してから数年間、肉屋のすぐそばにあった岡村書店の離れを間借りしていて、その店でよく肉を買っていたのだった。

驚いたのはここに出てくる「岡村書店」。「岡村書店」についてはこの日この日のブログにかなり書いています。小津がちょうど『早春』の脚本の執筆を始めた頃の日記に岡村書店が何度も登場してくるんですね。最初はおそらく映画がらみの本の相談をしていたようですが、いつのまにか一緒に食事をしたり酒を飲んだりする関係になっているんですね。昭和30年(1955)の5月から6月にかけてはほぼ毎日会っています。ただ、小津のお目当はどうやらその店主と一緒に来ていた山下左登子という名の女性だったよう。でも、岡村書店についても山下左登子という女性のことも調べても何も出てきませんでした。


その岡村書店が茅ヶ崎にあって、そこの離れに宮治さんのご両親が結婚してから数年間住んでいたとは。

ちなみに宮治さんが生まれたのはまさに小津が岡村書店に何度もやってきていた昭和30年。宮治さんが生まれたときにはご両親は別の場所に移られていたのかもしれませんが、でも偶然にしてはすごすぎますね。

ご両親のアルバムの中に岡村書店の写真があるのかな。もしかしたら山下左登子という女性のこともご存知かもしれません。


こんなふうにしてある日、思いもよらぬ形で「南畝町228」の謎を知る機会がやってくるのかもしれません。


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by hinaseno | 2017-10-31 14:02 | 雑記 | Comments(0)