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by hinaseno
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2013年 10月 29日 ( 1 )



現在の風景の中に、過去の、具体的には昭和初期の風景を落とし込むという作業をしながら南畝町を歩いています。
この日のブログで書いていますが、昨年の9月、南畝町288と南畝町228(こちらはまだ謎のまま)を探したときには、まだ当時の風景は何もイメージできないまま、南畝町のあちこちを歩き回りました。空襲でそこがほぼ完全に焼失してしまったことすら知りませんでした。
でも、今は、南畝町288に誰が住んでいて、どんな生活をしていたかがわかっています。それから昭和初期の南畝町をとらえた写真が何枚もあります。現在の風景の中に、昭和2年の木山捷平が「この土地でのたつた一人の友」の家に行っていたときの具体的な風景が見えるようになってきました。

今まで南畝町の古い写真といえば、この写真しか見たことがありませんでした。南畝町を通る飾磨街道をとらえたもの。
a0285828_9131833.jpg

この写真も、もちろん写真集に収められています。写真のタイトルは「南畝町 飾磨街道北望」。年代は不明ですが、おそらくは戦後ではないかと思います。写真の右に「西田歯科」という看板が見えます。西田歯科というのは今はもうありませんが、昭和30年頃の古い地図を見ると、ちゃんと載っています。
写真では見づらいのですが、この西田歯科の2軒向うに東西を横切る道があって、そこを西に100mほど行くとおそらく長畝橋があったはず。
昨日貼った長畝橋から南側をとらえた写真を見ると、長畝川から枝分かれした安田川沿いに道が見えます。こういうのはネット上で見ることができる大正末期や昭和初期の地図では確認できません。
でも、木山さんが千代田町から「友」の家のある南畝町288に行くとすれば、おそらく飾磨街道ではなく、この安田川沿いの道を通っただろうと思います。

いずれにしても昭和2年の南畝町288を場所を探るスタートは、南畝町を貫いている、戦前に姫路では最もにぎわった場所のひとつである飾磨街道ではなく、伝説の長畝川にかかっていた長畝橋にしようと勝手に決めました。

長畝川と呼ばれていた川が描かれている大正15年の地図を眺めながら、ブログをはじめた初日に引用して以来、何度も引用してきた木山捷平が昭和2年に書いた「船場川」というタイトルの詩を改めて思い浮かべました。
 あへないで帰る

 月夜

 船場川はいつものやうに流れてゐたり

 僕は

 流れにそうてかへりたり。

この日木山さんが「あへな」かったのは、おそらく「この土地でのたつた一人の友」大西重利。木山さんは夜、南畝町288の家を訪ねたけれども、その日、大西重利はそこにいませんでした。この詩を書いたのはおそらく千代田町に住んでいたときだろうとは思いますが、でも、地図を見るとあまり船場川に「流れにそうてかへ」る部分は少ないように思います。
木山さんが「流れにそうてかへ」ったのは、実は船場川ではなくて、その支流である長畝川(と、その支流の安田川)だったのではないかと考えています。
というわけで、長畝橋のあった場所へ向かいました。

最後に改めて大正15年の地図を貼っておきます。
a0285828_9162761.png

by hinaseno | 2013-10-29 09:18 | 木山捷平 | Comments(0)