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by hinaseno

木山捷平と尾形亀之助のこと


夏葉社つながりの話。

先日、おひさまゆうびん舎で購入した『漱石全集を買った日』を送った方(木山捷平の著作に関して「残すことの大切さ」を強く抱き続け、「残すこと」を実行し続けられている人です)から本を読んだ感想を書いたうれしい手紙をいただきました。またゆずぽんさんにお見せしよう。

で、いつものように手紙とともに貴重なものをいくつか送っていただきました(これがすごいんです)。その一つが昭和5年12月発行の「詩文学」に掲載された記事。何人かの詩人へのアンケートが載っているんですが、そこに木山捷平の名前があるんですね。コピーされたページに載っている詩人の中では最も長い文章で答えています。戦前の木山さんの文章をこよなく愛する僕のような人間にとってはたまらないもの。このアンケート記事は全8巻の『木山捷平全集』にも載っていない、はず。

個人的な思いを言えば、木山捷平の未発表の作品を集めた可能な限りコンプリートな全20巻を超える『木山捷平全集』を出してもらえないかなと思っています。


さて、木山さんが答えたアンケート。質問は2つあって、それぞれの質問内容は正確にはわからないのですが、一つ目はたぶん今年、つまり昭和5年(1930年)に出た詩集で最も印象に残ったものは? というものだろうと思います。

で、木山さんの答え。ちょっと長いんですが、最初に夏葉社ファンであれば、おっと思う名前が登場しています。


 尾形亀之助の「障子のある家」と、杉江重英氏の「骨」とは、人が持つてゐたのをほんのちょつと見ただけでしたが、なかなかすてがたい一つの風格があると思ひました。いゝ詩集なんだらうと想つてゐます。
 田村榮氏の「TORSO」と黄瀛氏の「景星」とは、小さく美しく、愛すべき詩集として記憶に残つてゐます。その外、個人的懐しさを以て讀んだ詩集に「思想以前」「訪問」「都市の氾濫」「舗装の町」等々澤山ありましたが、「愛誦おく能はず」といふ糧のものはなかつたやうでした。何分覚えが悪くていけません。
 それよりも僕は、いさゝか返答外れですが最近、田中幸雄氏の「憂欝は燃える」を讀んで、なかなか感心してゐるのです。これは大正十四年の發行なのですがこんないゝ詩集を出した人が、現在詩を發表してゐるのを見ないのは、何という淋しい事なんだらうと、ひとりで考へさせられてゐます。

最後に「今年」ではない作品を取り上げて、その人が最近作品を発表していないことを淋しがるところがいかにも木山さんらしいなと思います。

さて、冒頭名前が挙がっているのが一昨年夏葉社から『美しい街』という作品を出した尾形亀之助。尾形亀之助は生前、『色ガラスの街』『雨になる朝』『障子のある家』と3つの詩集を出しているんですが『障子のある家』はその3作目。昭和5年9月発行。私家版で限定70部。非売品だったとのこと。戦後復刻されたみたいですが、当時出たものを手に入れるのってたぶん不可能でしょうね。

興味深いのはコピーしていただいたページに木山さん以外で尾形亀之助の『障子のある家』を取り上げている人が何人もいるんですね。

まずは月原橙一郎、それから木山さんと交流のあった赤松月船。さらにやはり木山さんと交流のあった黄瀛も、作品の題名は書いていませんが「尾形亀之助の最近出された詩篇、薄つぺらだが、内容豊富なり」と。これもやはり『障子のある家』のことだろうと思います。

ちなみにその黄瀛の2つ目の質問の答えはちょっと興味深い。この2つ目の質問もどういうものかわからないんですが、たぶんこれから活躍を期待する詩人は? というものだろうと思います。


草野心平、竹中郁、宮澤賢治、岡崎清一郎、石川善助、衣巻省三、木山捷平諸氏の詩、出来るだけ見るほどヒイキにしています。


まだ、全く無名だったはずの宮澤賢治と木山さんの名前が並んでいるんですね。でも、木山さんは次第に詩から離れて小説に向かうんですが。


ところで夏葉社から出た『美しい街』には『色ガラスの街』『雨になる朝』『障子のある家』の3つの詩集から詩が選ばれているんですが、実は『障子のある家』から選ばれたのは1つだけ。最後に収録された「泉ちゃんと猟坊へ」。余白だらけの短い詩が続いた後、最後にこの散文のような詩が出てくるんですね。で、その内容に驚くことになります。とりわけその最後の部分。戦前にこんな考えを持っていた人がいたんだと。


さきに泉ちやんは女の大人猟坊は男の大人になると私は言つた。 が、泉ちやんが男の大人に、猟坊が女の大人にといふやうに自分でなりたければなれるやうになるかも知れない。 そんなことがあるやうになれば私はどんなにうれしいかわからない。 「親」といふものが、女の児を生んだのが男になつたり男が女になつてしまつたりすることはたしかに面白い。 親子の関係がかうした風にだんだんなくなることはよいことだ。 夫婦関係、恋愛、亦々同じ。 そのいづれもが腐縁の飾称みたいなもの、相手がいやになつたら注射一本かなんかで相手と同性になればそれまでのこと、お前達は自由に女にも男にもなれるのだ。


『障子のある家』は青空文庫で読めるようになっていて見たら全て散文。「泉ちゃんと猟坊へ」はその最後の「後記」の一つ目の作品でした。自分の子供に当てた手紙のような内容。ちなみに二つ目は「父と母へ」。


夏葉社の『美しい街』の巻末には「明るい部屋にて」と題された能町みね子さんのエッセイが載っています。実はちゃんと読んでいませんでした。

能町みね子さんって名前は聞いたことがあってもパッと浮かばなかったので写真を見たら、かつてタモリさんがやっていた大好きだった深夜番組『ヨルタモリ』のレギュラーだった人だとわかりました。

能町さんのエッセイには「泉ちゃんと猟坊へ」に触れながら「私の性をめぐるさまざまな事情」という言葉が出てきたので、どういうことだろうと調べたら、そうか、そういう人だったのか、でした。


ところで僕は尾形亀之助という詩人にはこの夏葉社から出た詩集で初めてであったと思ってたんですが、その前に出会っていました。

池内紀さんの『二列目の人生 隠れた異才たち』(晶文社 2002年)で尾形亀之助が取り上げられていたんですね。

ちなみに尾形亀之助にとっての「一列目」の存在は宮沢賢治。

黄瀛のアンケートの答えに尾形亀之助と宮沢賢治の名前が出てくるように、二人は時期的にもかなり似通った人生を送っているんですね。直接交流はなかったようですが賢治が亡くなった後に開かれた追悼会には尾形亀之助も出席したようです。

池内さんは二人の似通った点をいくつも挙げた後にこう書いています。


とともに両者のちがいも明瞭だ。何よりも知名度がまるでちがう。宮沢賢治は小学生でも知っているが、尾形亀之助は、よほど詩に親しんだ人でないとなじみがない。亀之助の読者の数は賢治の百分の一、あるいは千分の一、とにかくかぎりなく少ないだろう。といって、それは少しも尾形亀之助の不名誉ではないのである。


このあと「泉ちゃんと猟坊へ」を紹介した後で、さらにこう書いています。


この賢治とくらべるまでもなく、亀之助の新しさ、また予見性と現代性はきわだっている。


ということで久しぶりに『美しい街』を取り出してパラパラと読んでいます。木山さんの詩の中でも僕が特に好きな詩に通じるところがあるんですね。そして松本竣介の絵。素晴らしすぎる詩集です。

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by hinaseno | 2019-05-11 14:17 | 文学 | Comments(0)