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by hinaseno
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「ワンダフル」がつながる(最終回)


アメリカン・ポップス伝パート4第5夜、ジャン&ディーンの「Baby Talk」をかけた後の大瀧さんのコメント。


「『Baby Talk』を発売したのはDoré(大瀧さんは「ドリ」と発音していましたね) レコード。ここからはジャン&ディーンが来る前に特大のヒットが出ておりました」


ここで、かかったのがフィル・スペクターがいたテディ・べアーズの「To Know Him Is To Love Him」。大瀧さんから語られるのはつながりの話ばかりです。


このテディ・ベアーズがDoréから出した2枚目のシングルが先日紹介した「Wonderful Loveable You」。同じ月にルー・アドラーとハーブ・アルパートがプロデュースしたジャン&ディーンの「Baby Talk」が出ていたということになります。


さて、大瀧さんはそのあとハイ・スクールつながりの話をするんですがこれがすごい。テディ・べアーズが通っていたのはLAにあるフェアファックス・ハイスクール。で、スペクターの先輩がジェリー・リーバー、ルー・アドラー、ハーブ・アルパート。後輩がラス・タイトルマン、スティーヴ・ダグラス、さらにP.F.スローンとスティーヴ・バリ。


ところで今回の話の中心人物であるルー・アドラーとハーブ・アルパート。ハーブ・アルパートについてはA&Mを設立してからのことはそこそこ知っているし、レコードやCDも何枚か持っています。一方のルー・アドラーについたはキャロル・キングがシンガー・ソングライターとしてデビューするきっかけを与えた人くらいしか認識していなかったんですが、いろいろやってたんですね。

今回、彼について調べるために、買おうと思いながら買っていなかったこのAceから2014年に出ていたCDを手に入れてみたら知らなかったことがいくつも。

「ワンダフル」がつながる(最終回)_a0285828_15531442.jpeg


まずはジャン&ディーンのこの「Honolulu Lulu」という曲。この曲大好きです。




1963年に出たジャン&ディーンの全米ナンバー1の大ヒット曲「Surf City」のB面だった曲。この時期にはハーブ・アルパートもルー・アドラーも彼らのプロデュースからは離れていたんですが、この曲を書いていた一人がルー・アドラーだったんですね。ちなみにレコード盤の作曲者のクレジットには「Berry-Christian-Spunky」と記載。この最後のSpunkyというのがルー・アドラーだったようで、AceのCDには「Lou Adler, Jan Berry, Roger Christian」と記載されています。

で、このCDに収録されている曲で何よりも驚いたのがこのエヴァリー・ブラザーズの「Crying In The Rain」。




この曲のプロデューサーはなんとルー・アドラーだったんですね。レコード盤のクレジットにはプロデューサー名が記載されていないし、かなり細かいところまで調べてブックレットに載せているBear Familyのボックスにもプロデューサー名はNo Creditでしたが。

Aceの解説を読むとルイー・アドラーは「Crying In The Rain」の他に「No One Can Make My Sunshine Smile」「Don't Ask Me To Be Friends」そして「How Can I Meet Her?」もエヴァリー・ブラザーズと一緒にやったとのこと。この3曲、いずれもジャック・ケラーの曲なんですね。どうやらエヴァリー・ブラザーズにキャロル・キングやジャック・ケラーの曲を歌わせたのはルー・アドラーだったようです。彼はスナッフ・ギャレットのやり方を真似ていたんですね。

これはルー・アドラーとエヴァリー・ブラザーズの写真。隣にはエンジニアをしていたボーンズ・ハウも。

「ワンダフル」がつながる(最終回)_a0285828_15172676.jpeg


もう一つ、ルー・アドラーでびっくりしたこと。彼が結婚したのが1964年の6月なんですが、その相手がなんとシェリー・フェブレー。これには腰が抜けるくらいびっくり。

「ワンダフル」がつながる(最終回)_a0285828_15174215.png


きっかけはなんだろうと調べたら、彼女のコルピックスでの最後のシングル「Football Seasons Over」の両面の曲のSupervisorとしてルー・アドラーの名前が書かれていました(プロデューサーはデヴィッド・ゲイツ)。

こちらはそのB面の「He Don't Love Me」のレーベル。

「ワンダフル」がつながる(最終回)_a0285828_15180629.png


作曲者の名前にジャン&ディーンのジャン・ベリーの名前があるというのはやはりルー・アドラーつながりなんでしょうね。


ところで2人が結婚したときルー・アドラーは31歳、シェリー・フェブレーは20歳。

そういえばシェリー・フェブレーの「He Don't Love Me」といえばそれを下敷きにして作ったのが大瀧さんが松田聖子に書いたこの「冬の妖精」。これも大好きな曲。




考えたら大瀧さんが松田聖子をプロデュース、いやクレジット通りに言えばスーパーヴァイズしたとき大瀧さんは33歳。松田聖子は20歳。つまり大瀧さんが松田聖子と結婚したようなものですね。もちろん大瀧さんはすでに結婚して子供もいたんだけど。

ってことで最後はワンダフルでもなんでもないつながりで終わります。ちなみにルー・アドラーとシェリー・フェブレーは2年ほどで離婚したようです。だからどうした、ですが。


シェリー・フェブレーは結婚した後でコルピックスを離れてレコードを出しているんですが、そのプロデューサーはもちろんルー・アドラー。で、曲を書いたのはルー・アドラーのもとでコンビを組んだP.F.スローンとスティーヴ・バリ。




by hinaseno | 2019-01-13 15:21 | ナイアガラ | Comments(0)