400ページあまりある大竹英洋さんの『そして、ぼくは旅に出た』も残すところあと100ページほど。2日ほど前に読んだ、大竹さんがはじめてノースウッズに行って、旅の目的であるジム・ブランデンバーグという写真家に出会う瞬間の話はこの本の白眉でした。
ジムの家でいろんな話をする中、あるときを境に会話のトーンががらりと変わる。それは、大竹さんが写真に興味をもたきっかけを語り始めたときのこと。ジムになぜ自然の写真に興味を持ったのかと聞かれて、その時に大竹さんが口にしたのが星野道夫の名前。
するとジムは、はっと大きく目をみひらきました。そして、「ああ、ミチオ……」とため息を吐き出すようにつぶやくと、両の手のひらを顔の近くにもっていき、そのまま祈るように目の前で握りました。
そしてジムと星野道夫の話になる。ジムは「彼は、ほんとうにスペシャルだった」と繰り返す。
改めて塩屋で余白珈琲の大石くんから大竹さんの話をされたのは、大竹さんにとって星野道夫が特別な存在であること、そして僕にとっても星野道夫が特別な存在であることを大石くんが知っていたからなのかもしれません。まあ、たまたまだったのかもしれないけど。
ところで大竹さんの本を読んでいたらあることが気になって久しぶりにこれを取り出しました。星野道夫を特集した『コヨーテ』の2004年9月号。
この本は星野道夫が住んでいたフェアバンクスの家に置かれていた本のリストが載っているので、その中にジム・ブランデンバーグの本があるかと思って調べたんですが見当たりませんでした。
でも、そのリスト、久しぶりに見たんですが以前気づかなかった本がいくつも。
例えば今、読んでいる(というか中断している)石牟礼道子さんの『苦海浄土』が今西錦司の『進化とは何か』のそばに置かれていたりとか。
で、今回、一番驚いたのはこの本。
中井貴惠さんの『父の贈りもの』。
中井貴惠さんの父というのはもちろん佐田啓二。こんな本が出ているなんて知らなかったので早速取り寄せました。
最初の「序」に書かれていたのは「父の死んだ日の記憶」というエッセイ。佐田啓二が亡くなった日の話ですね。ちなみに佐田啓二が亡くなったのは昭和39年8月17日。当時貴惠さんは小学校に上がったばかり。弟の貴一くんはまだ3歳になるちょうどひと月前。このエッセイはこんな言葉で終わります。
昭和39年、東京オリンピック開催、東海道新幹線の開通と昭和の新たな歴史に、日本が大きな一歩を踏み出そうという矢先、父はそれを何も見ずにこの世を去った。
37歳という短い生涯だった。
残された母36歳、私6歳、弟2歳、神様はいたずらにも私たちにこんな運命を与えられた。
暑い夏の日のことであった。
こんなふうに何かを読んでいても、それを中断して別の本を読んで、さらにそれがきっけけで別の本を取り寄せては読んでいるのでなかなか先に進みません。まあ、これが僕の読書。
それにしても映画に関係する本などほとんど置かれていない星野道夫の本棚になぜこの本があったんでしょうか。すごく気になります。
それはさておき久しぶりに『コヨーテ』のこの号を眺めていたらいろいろと興味深いことが。
たとえば写真ではなくイラスト付きで星野道夫の本棚にあった本を紹介しているこのあたりのページ。
イラストを描いているのは赤井稚佳さんというイラストレーター。実は赤井さんは平川克美さんの『言葉が鍛えられる場所』の表紙のイラストも書かれているんですね。すごくいいイラストです。
それからこの特集の最初のページのこの写真とか特集のタイトル。なんだか大竹さんの本の表紙と重なってますね。
その大竹さん、Instagramをされているのがわかりました。とりわけ気に入ったクマの写真を2つほど貼っておきます。