ラジオデイズから小池昌代さんと平川克美さんの対談のコンテンツが発売されました。
いったい何年ぶりだろう。2013年8月29日に書いたブログでその前日にUstreamで生で配信された対談を見たことを書いていたのでどうやらそれ以来5年ぶり。
小池さんの声って相変わらず魅力的です。そして小池さんを相手にされると平川さんの声のトーンもちょっと(かなり)変わります。
冒頭は二人の出会いのことから。平川さんの口から「不思議な縁」という言葉が出てきます。
不思議な縁で。かつてNHKで『ブックレビュー』というテレビ番組があって、NHKから僕に電話があってね、小池昌代さんという人が僕と内田くんが書いた本を取り上げるんだと。小池昌代って誰だよ、と。
ここで大爆笑。あとは聴いてみてください。
テーマは戦後詩。
詩には詳しくないけれども、今回とりわけ興味深かったのは、松村圭一郎さんとの対談で登場した熊本の詩人のこと。
平川さんと松村さんとの対談、松村さんが熊本のご出身とのことで熊本にゆかりのある詩人の話になったんですね。石牟礼道子さんや伊藤比呂美さんなどはご存知だったようですが、平川さんがとりわけ驚かれたのが谷川雁。平川さんが学生時代に詩作をされていたときにとりわけ大きな影響を受けたのが谷川雁だったようで、その谷川雁が熊本出身だと知って、そこで飛び出した平川さんの言葉が「熊本って、やっぱ変だわ」。その谷川雁についての小池さんとのやりとりもとても興味深いものがありました。
ところで僕が小池昌代さんのことを知ったのはやはりNHKで放送されていた『週刊ブックレビュー』でした。見ていたのは児玉清さんが司会をされていた頃。ときどきは木野花さんも司会をされていました。
『週刊ブックレビュー』のゲストで特に惹かれたのが川上弘美さんと小池昌代さん。どちらも綺麗な方だったこともありますが、紹介される本が僕の趣味にあっていたんですね。
で、その頃に買ったのがこの本。
川上弘美さんの『なんとなくな日々』、そして小池昌代さんの『屋上への階段』。いずれも2001年3月に出版。それぞれの本はその後、買ったり手放したりを何度かしていますが、この本だけはずっと持っています。いいエッセイが多いんですね。そういえば川本三郎さんが何かで川上さんの『なんとなくな日々』に収められた「玉音」というエッセイを取り上げていました。
さて、内田樹先生と平川克美さんの共著である『東京ファイティング・キッズ』が発売されたのは2004年10月。お二人の往復書簡が内田先生のサイトで続けられている時からそのやりとりに関心を持っていたので、本が出たときにはすぐに購入しました。でも、この本を出されたとき、内田先生はまだ知る人ぞ知るという存在。平川さんはこれが初めての本。
というわけなのでこの本がテレビで(しかもNHK)取り上げられたときの驚きといったら。それ以来小池さんへの関心はさらに高まることになり、駒沢敏器との出会いにもつながっていきます。
平川さんもこのときに小池さんに褒められたのがきっかけで次の、ご自身にとっては実質的に最初の本となる『反戦略的ビジネスのすすめ』を執筆されることになるんですね。小池さんもたまたま出会ったはずの『東京ファイティング・キッズ』をあのときテレビで取り上げることがなければ、今の平川さんはなかったのかもしれません。
ところで平川さんといえば『言葉が鍛えられる場所』が本になるもととなったサイトで新たな連載が始まっています。タイトルは「見えないものとの対話」。いいタイトルですね。「見えないもの」、英語で言えば「invisible」。
「invisible」といえば是枝裕和さんの『万引き家族』がパルムドールを受賞した時に、審査員長の方が授章式での言葉の中にこの「invisible」という言葉を使ったことに是枝さんが強く反応されていました。「見えないもの」に目を向けることができる人、対話できる人であるかそうでないかは僕にとっても大きな分かれ目のような気がします。
さてその平川さんの「見えないものとの対話」の第2回目が「『まる』のいた風景」。
「まる」というのは平川さんが飼っていた犬。いや「飼っていた」というのは正確な言葉ではないのかもしれない。
「まる」のことは昔からいろんなエッセイに書かれていて、今回のエッセイに書かれているエピソードのほとんどは知っているなと思いながら読み進めていたら、最後に思わぬ話が。
休日の早朝から犬連れの男を迎い入れてくれる店はなかった。
広尾にある大きな公園で、近所にあった犬を入れても大丈夫な喫茶店が開く時間まで時間をつぶした。
わたしは、毎週末、この店に通うことになった。
昼の間、何時間も足元に「まる」を座らせて、わたしにはどうやって時間を潰せばいいのか思案に暮れた。
わたしにとって、最初の著作はこのときに書かれたものであった。
あの『反戦略的ビジネスのすすめ』に、ビジネスの本からはかけはなれた他者に対する慈しみのようなものが感じられたのはそのせいだったんですね。