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by hinaseno
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もうひとつの苦海浄土の物語


松村圭一郎さんの寺子屋で題材にしている石牟礼道子の『苦海浄土』を”ひとり寺子屋”で読み始めましたが、1章の途中で中断。

実は石牟礼さんの本は一冊も読んだことがなく、亡くなられたときにいくらか目にした情報と平川さんと松村さんの対談で語られたこと以外はほとんど何も知らなかったので、とりあえず『苦海浄土』が書かれた背景を知った方がいいと思い、本の最後に収められている池澤夏樹の解説、さらに月報に書いた文章を読むことにしました。

いずれもかなりの長文。「日本文学全集」ではなく「世界文学全集」の中に唯一日本人の作品として入れた池澤さんの強い思いが記されています。

それを読みながら思ったのは、公害という病気のことを別にすれば、母親の生まれ育った土地の物語にひどく似ているなと。かつて幸福な海があった場所が高度成長期に行政と企業によってなされた事業によって汚され消されてしまう。漁民たちをはじめ海に関わる仕事を生業にしていた人々は生活の場を失い、あるいは村民同士の対立から村を去り、過疎化が急速に進み、そして村が死んでいく。

そういえばスロウな本屋の小倉さんから、寺子屋では『苦海浄土』の前にまず石牟礼さんの『椿の海の記』から読むことを始めたと聞きましたが、池澤さんの解説を読んでなるほどと。そこには水俣がまだ幸福な土地であったときの石牟礼さんの幼時の記憶が書かれているようです。ということで『苦海浄土』はちょっと後に回して僕も『椿の海の記』から読むことにしました。きっと母の記憶とかなり重なっているはず。


もしも僕の母方のファミリーヒストリーを書くとしたら、やはり最初は母が幼少期を過ごした町の前に広がっていた美しい海のことから書き始めることになるだろうと思います。浜辺で遊び、夏になれば泳ぎ、さまざまな貝や海藻などを獲っていた幸福な日々のことから。

で、そこから時代は300年くらい遡って、江戸時代の阿波国の吉野川上流の山間の町にあった問屋を営んでいた家の、たぶん次男であると勝手に思っている元良という人物の話になります。彼は医学の勉強をしていて、特にお灸を研究していました。時には治療のようなことをして。

ある日その家に備前の国の港町に住む商人が海を渡って船でやってくる。元良が医学に詳しいことを知り、その商人は自分の村に医者がいないので、元良にぜひ村にやってきてほしいと頼む。彼は元良に彼の住む村やその前に広がる海の素晴らしさを語る。悩んでいる元良に、では一度村にやってきてその海を見て欲しいと言う。もし気に入らなければ仕方がないと。

元良は父に相談する。父は、暇があれば本ばかり読んでいた元良が商いに向かないことはよくわかっていたので備前の地に行くことを許可する。

そして元良は商人の船に乗って吉野川を下り、瀬戸内海を渡って備前の地に入る。ちょうど船が村のある湾に入ったときに日が沈むかけて、海はその名の通り錦色に輝いていて、それを目にした元良はその素晴らしさに感動し、その地に住むことを決心する…

そして時代は再び下る。母親が結婚してその村を去ったまさにその年、湾の入り口を堤防で締め切ったところで物語は終わる。


ここまでの話であれば物語のタイトルは「もうひとつの苦海浄土」ではなく「錦の海の記」のほうがふさわしいようです。

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by hinaseno | 2018-05-29 12:53 | 文学 | Comments(0)