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by hinaseno
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海を渡って寺子屋を(1/2)


先週から岡山のスロウな本屋さんで、松村圭一郎さんが小さな勉強会を始められました。題して「寺子屋スータ」。

「スータ」というのは松村さんがフィールドワークをされているエチオピアの最大の民族オロモ人の言語であるオロモ語で「ゆっくり」を意味しているとのこと。英語で言えばスロウ。

寺子屋スータでは、一冊の本をゆっくりと読んでいくそうですが、最初に取り上げた本は先頃亡くなった石牟礼道子さんの『苦海浄土』。

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僕ももちろん買いました。でも、池澤夏樹=個人文学全集から出ているこの本は、なんと800ページ近い大書。読むの大変です。ちなみに石牟礼道子さんは熊本の人。実は松村先生の出身も熊本なんですね。


それにしても古い民家をそのまま使っているスロウな本屋は寺子屋をするにはぴったりですね。この企画を知ったときには絶対に参加するつもりでいたんですが、残念ながら時間の都合がつきませんでした。でも、定員に対してその何倍もの希望者がいたそうなので、希望しても無理だったかもしれません。かなり遠方からの参加者もいるとか。松村先生の人気、すごいです。とりあえず寺子屋への参加はできなかったけど、一緒に勉強するつもりでゆっくり読んでいこうと思います。


ところで寺子屋といえば、実は僕の母親の祖先は江戸時代に寺子屋をやっていました。それを知ったのは10年ほど前のこと。初めて母から聞いたときには本当にびっくり。ほんまかいなと。

びっくりはしたものの、その話は半信半疑のまま調べることもなく放置していたんですが、5年ほど前に急に思い立って母の生まれ育った町の町史やら郡史などをいろいろと調べていたら「〇〇家が寺子屋を経営」と書かれているのを発見。その翌年くらいに先祖の名前がきちんと記載された文献を見せてもらって、間違いがなかったことを確認しました。


その寺子屋があったのは牛窓からそう遠くない小さな海町。今では完全にさびれてしまっていますが、江戸時代には海運業が盛んで牛窓よりも栄えていた町でした。目の前にはこの上なく美しい海。寺子屋のある丘の上からもその海を望むことができました。


四国の徳島にいた母の祖先は、江戸時代の初め頃にその地に”呼ばれる形で”船でやって来て、で、その美しい湾を魅せられてそこに住む決心をします。最初は医者として。でも、江戸の後期になって、これからは学問が必要ということになって、ある民家を借りて寺子屋を始めたと。

ただ、その地に住み着いてからも一代に一度は必ず徳島に戻り、母方の名字のある神社にお参りしていた。


…という言い伝えを母は母の祖母にあたる人から幼い頃に何度も何度も聞かされていたそうです。


ちなみに長く続いた戦争と戦後の混乱の中で母の一家は母の言葉を使えば”没落”。海沿いの一番いい場所にあった大きな屋敷は没収されて山あいの小さな家で母と母の祖父母といっしょに暮らすようになります。

学校の校長も勤めた母の祖父は戦争中に死亡、祖母も戦後しばらくして亡くなり、幼くして母は血縁がひとりもいない状態になりました。


身寄りがなくなったとはいえ母は、母の祖父が校長を勤めていた小学校(母の祖先が作った寺子屋のそばに作られた学校)の校長や先生たちからいろんな形で手助けをされながら何人もの祖先と同じく教師になることを目指しました。そして岡山にあった女子師範学校に合格。でも経済的な理由から最終的にそこに通うことを断念して岡山にあった工場で働くようになります。毎日、あの西大寺鉄道の軽便に乗って通ったそうです。


ところで岡山の女子師範学校(正しい名称は岡山師範学校女子部)は永井荷風が滞在して空襲に見舞われた弓之町の松月のすぐ近くにあったので、荷風はそのそばを何度も通っていました。で、『断腸亭日乗』昭和20年6月23日の記述の中に岡山師範学校女子部のことが出てきます。その日、荷風は講堂の中まで入っていってるんですね。この日の日記は『断腸亭日乗』よりも『罹災日録』の方が詳しく書かれていて、そこにはこんな記述があります。


「女先生ピアノを弾じ女生徒吠ゆるが如く軍歌を唱ふるなるべし」

荷風はもちろんこの様子にあきれ返るわけですが、もし母が願い通りにこの師範学校に入っていれば、このとき荷風が見ていた女生徒の中にいたのかもしれなかったんですね。

ちなみに同じ弓之町に住んでいた父親も、ときどきは彼女たちの歌声を聞いていたのかもしれない。このすれ違いのことは父も母ももちろん知らない。


さて、母が幼い頃ずっと祖母から聞かされていた”言い伝え”のこと。

母はおそらく30年ほど前から僕たち家族には内緒でその”言い伝え”を確かめる努力をし始めました。今であれば確かめる手段はいくつもありますが、30年ほど前の母にとって手段は電話と手紙しかありませんでした。ちょっと気の遠くなるような手間のかかることをしていたんですね。で、ある日、ついに...。


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by hinaseno | 2018-05-25 15:41 | 雑記 | Comments(0)