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by hinaseno
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上林暁の『晩春日記』のこと


「晩春」と「初夏」は五月下旬のちょうど今頃の時期を表す言葉なのにずいぶん肌触りが違う。明るさも、湿り気も、風の吹き具合も違う感じがします。いうまでもないけど「晩春」の方が少し暗くて湿度もある。


10の短編からなる上林暁の『晩春日記』は1月ごろに数編読んで中断、4月下旬、つまり晩春に入って読むのを再開しました。そのときには吉田篤弘さんの『神様のいる街』に『晩春日記』のことが出てくるなんて知る由もなし。


上林暁の『晩春日記』が出版されたのは終戦翌年の昭和21年9月。ということなので10の短編すべてに戦争が深く入り込んでいます。さらに奥さんも回復する見込みのない病に陥っていて、その意味では暗い作品が多い。

でも、だからこその明るさや幸福が上林さんの作品にはあるんですね。とりわけ7編目の「風船競争」はかなり笑えます。たぶん本当にあった話だとは思いますが上林さんらしさが炸裂。


読みながら、おっ、おっ、となったのが次の「嶺光書房」。「嶺光書房」なんて出版社が知らないなと思いながら読み始めたら、おっと思うことがいくつも出てきました。

戦争が続く中、「嶺光書房」から上林さんの作品が出る話が進んでいたんですね。少しでもお金が必要な上林さんにとってはぜひ出版してほしい。でも、空襲によって出版社とあった建物が被災して預けていた原稿が失われたりする。おっと思ったのはこの部分。


書下ろしの原稿で、草稿も何もないのが一つあつた。私は一旦は落膽したが、本の題名もその作品から採つてあるし、その作品が無くては、一冊の本の主柱が失はれることになるので、私は勇気を揮つて筆を動かし、改めて稿を起すことに肚を決めた。そして、朧げな記憶を頼りに、思ひ浮ぶ断片を綴り合せてゐるうちに、漸くもとの形に近いものに纏めあげることが出来た。

これ「夏暦」のことじゃん、でした。『夏暦』が出版されたのは1945年11月。発行所は筑摩書房。

そうか、上林さんは筑摩書房を嶺光書房と名前に変えて作品を書いていたんだなと。とすると登場人物も。

実はその嶺光書房から本を出す予定になっている作家で気になっていた人がいたんですね。その作家の名前は永濱高風。こんな話が出てきます。


「永濱氏もやられましてね。」と由利氏は附け加えた。
「さうですか。焼けたんですか。」
「書き溜めの原稿の入つた箱だけ提げて、身を以て脱れたんださうです。今写してゐるのも、その一部なんです。」
「さうですか。」と私は唸るやうな気持で聞いた。つづいて私は、「さうですか。」と二度繰り返し、「あの名高い麒麟館も焼けたんですかね。」と溜息を洩した。
 私達は、「麒麟館主人」として永濱高風氏を知つてゐた。高風氏の住むといふ街を歩きながら、麒麟館はどのあたりかなと思ひながら、頭を回らしたこともあつた。さう思つてみると、街の空気も自ら他と異つて、高風氏の作品の醸し出す雅酵な情緒がそこらにたゆたつてゐるとしか思はれなかつた。その麒麟館も今は焼け失せて無くなつて了つたかと思ふと、文学上の聖地を喪つたやうな寂しさが湧いた。

永濱高風はもちろん永井荷風。麒麟館というのは偏奇館のこと。「嶺光書房」という作品ではその後も荷風の消息についての話が何度か出てきます。東中野に移ったこと。で、作品の最後はこんな形で終わります。


「永濱高風氏の原稿はどうなりました?」
「あれは、企画届が通らなくて、駄目になりました。例の情緒的なところが、いまの時勢にいけないんでせう。私は原稿を読んでみましたが、面白いものですがね。」
「闇から闇に葬るのは、惜しいなァ。」
「いつになつたら、世に出されることでせうかね。先生もまた東中野をやられましてね、今は中国筋の知人のところに身を寄せてるんださうです。」
 私は温かくなつた懐ろに触つてみながら、「これで空襲さへなかつたらなァ」と夕暮じみた空を見上げながら、御茶ノ水驛指して、歩いて行つた」

ということで、上林さんはどうやら荷風が岡山に疎開していたことを知っていたようです。ちなみに荷風は筑摩書房から同じ昭和21年に『来訪者』を出しています。


さて、その岡山という地名が出てくるのが『晩春日記』の最後に収録された「四国路」。岡山を通って郷里の高知に帰省する話。

実はこのゴールデンウィークに、本当に久しぶりに四国に行きました。行ったのは徳島だったんですが、土讃線に乗ったとき、このまま乗り換えせずにまっすぐ行けば上林さんの郷里の高知だなと、まだ一度も行ったことのない高知のことを考えていました。で、四国から戻った翌日に読んだのがその「四国路」だったんですね。

ということで次回はちょっと四国の話を。


by hinaseno | 2018-05-23 15:18 | 文学 | Comments(0)