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by hinaseno
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たとえば、星を見るとかして(最終回)


「河野さんにとってのとびっきりのセレンディピティの話を教えてくださいませんか」


実はこの質問と同時にもう一つ別の質問を河野さんにしました。超ベテランの編集者にぶつけるのは失礼にあたるのではないかと思いつつ、あえてした質問でした。

それは松家さんから『考える人』の編集長を引き継ぐとき、松家さんが編集長を務められた最後の号が、村上春樹のロングインタビューが掲載されたためにすごく売れたはずなので(実際ものすごく売れたそうです)、相当のプレッシャーがあったのではないでしょうかということ。

河野さんはまずこの質問に答えられました。全くありませんでした、と。

で、そのことにからめてちょっとしたエピソードを聞かせてもらいました。河野さんが『考える人』の編集長になってしばらくしてある方から手紙が届いたそうです。その手紙にはこんな内容のことが書かれていたそうです。「編集長が変わると普通は雑誌の雰囲気もかなり変わるはずなのに、『考える人』は編集長が変わったということを全く感じさせないというのが素晴らしいですね」と。

それが糸井重里さん。糸井さんは『考える人』を通して河野さんへの信頼を高めていったようでした。


で、この後、セレンディピティのことに。こちらの方はちょっと考えられていました。もちろん河野さんは僕なんかとは比べものにならないほど多くのセレンディピティを本の世界で体験されていることは言うまでもありません。それを知りつつ、僕はとびっきりのものを、と尋ねたんですね。


そして河野さんは少しずつ語り始めました。

「そうですね、やっぱり、さっきの話の中に出てきた人につながる話ですが…」と。

「さっきの話」というのはその前の松村さんとのトークの中で語られた河野さんの大学時代の話。河野さんが行かれたのは東京大学(トークでは東大の名は出なかったはず)の文学部のロシア文学科。ロシア文学科を選ばれたのは変わった人が多いはずだと思ったからだそうです。実際、そこには変わった人が多かったようですが、その中にとびっきり変わった人がいたんですね。

授業には全く出てこなかった人のこと。河野さんがときどき研究室に行ってみると(河野さんもあんまり熱心な学戦ではなかったようです)沖縄の焼酎(泡盛だったっけ?)を1本置いてある。どうやらそれを持ってきているのは同級生の一人だったらしいのですが、一度も顔を会わせることがない。で、そのまま卒業式の日がやってきます。そこで初めてその人に会ったんですね。「あれは君だったのか」ということで、いっぺんに意気投合。卒業後も親しい関係を続けるようになったようです。のちのその人は雑誌『旅』などの編集に携わった後、フリーランスのライターになって、全国の島をめぐって島関係の著書をいくつも出されていると。


トークではその人の名前の名字だけをおっしゃられていたので家の戻って調べてみました。

斎藤潤さん。なんと岩手県出身。これも縁ですね。

縁といえば、もしやと思ってスロウな本屋さんのことが載っている『せとうち暮らし』の20号を見たらなんと斎藤潤さん関係の記事がいくつか。つながっています。


さて、その斎藤さんが『旅』の編集をされていたときに、ちょこちょことエッセイを寄稿されるようになったのが池澤夏樹(池澤夏樹はなぜか「さん」付けしないほうがしっくりくるのでこう表記します)。斎藤さんと池澤夏樹がつながっていくんですね。

ところで河野さんが入社されたのは中央公論社。プロフィールを見ると1978年入社となっています。その中央公論社が発行している『海』という雑誌の1984年5月号に池澤夏樹の初の小説が掲載されます。それが南の島を舞台にしたあの『夏の朝の成層圏』。今気づいたんですが、この小説が掲載されたのは大瀧さんの『EACH TIME』が発売された翌月だったんですね。ただこの作品については河野さんはノータッチのようです。

『夏の朝の成層圏』はその年の9月に単行本になったものの、『沖にむかって泳ぐ』に載った池澤夏樹のインタビューよれば「数人の作家、編集者が注目したけれども、反応は限りなく静かであった」と。

で、池澤さんはしばらく小説から遠ざかります。でも、その池澤夏樹に再び小説を書くように勧めた人がいたんですね。

『沖にむかって泳ぐ』に、こんなことが書かれていました。


「その頃、中央公論の編集者から、『夏の朝の成層圏』はよかったんだから、またちゃんと小説を書かないかとすすめられて、やってみる気になったんです」

この編集者がまさに河野通和さんなんですね。そして河野さんがかなり手を入れる形で書き上げたのが『スティル・ライフ』。

家に戻って調べてみたら、このあたりの話はいろいろとネットに載っていて、今年の初めには河野さんと池澤夏樹のトークイベントも行われたりしていたこともわかったんですが、とにかくこの『スティル・ライフ』につながる話をスロウな本屋で河野さんの口から聞けたのはこれ以上ない喜び。興奮しすぎて、冷静さを失ってしまいました。


河野さんの話はそれだけにとどまらないんですね。河野さんにとってのとびっきりのセレンディピティは僕にとってもとびっきりのセレンディピティでもありました。


いつの頃からか河野さんと池澤夏樹と斎藤潤さんの間に強いつながりができあがっていたようで、池澤夏樹は斎藤さんからいろんな話を聞いているうちに、とりわけ沖縄に興味を持つようになったようです。もともと池澤夏樹も島好きではあるけれど、沖縄に特別なものを感じたんですね。で、何度か沖縄に通っているうちに、そこに住みたくなり、ついに移住することを決意します。で、その移住の手助けをされたのもまさに河野さんと斎藤さん。いや、もう涙があふれそうでした。


ということなので斎藤さんにも是非お会いしたくなりましたが、なんとなく来年はそういうことが実現しそうな予感もします。「せとうち」つながりで。

予感といえば、来年の1月にはいよいよ待望の平川克美さんの新刊がミシマ社から出ることになります。前にも書いたようにタイトルは『二十一世紀の楕円幻想論』。贈与と縁をめぐる話が語られているはず。

この平川さんと松村さんの対談が実現すればどれだけうれしいだろう、といううれしい予感を書いてこの長い話を終わりにします。


最後は『夏の朝の成層圏』の最後の部分の引用で。


雲の上端はもう光っていない。そわそわと夜風が吹きはじめた。海は静かに砂浜を洗っている。星が……。



by hinaseno | 2017-12-29 14:52 | 文学 | Comments(0)