スロウな本屋さんでの河野通和さんと松村圭一郎さんのトークイベントは、前日の岡大のときとは違って穏やかで親密な空気の中で行われました。会場となった部屋には柔らかい日差しが降り注いでいました。やっぱり場所って大事ですね。
河野さんと松村さんが会われるのはこれで3度目とのこと。でも、すっかり打ち解けた関係になっていました。もちろんそれぞれの人柄もあってのことですね。前夜はいっしょにワインを飲まれたとか。
参加者は定員いっぱいの約20名。やはりほとんどが女性でした。県外からきた人もいたようです。
これはイベントが始まる前の様子。右が河野通和さん、そして左が松村圭一郎さん。
前日の岡大での講演はどちらかといえば厳しめの表情が多かった感じでしたが、この日の河野さんはこんなふうに終始笑顔が絶えませんでした。
もちろんときには厳しい表情になられることも。言葉というものと真摯に向き合い続けられた人ならではという感じで、語られるすべての言葉に感銘を受けました。
お二人の後ろにずらっと並べられているのは雑誌『考える人』のバックナンバー。
『考える人』が創刊されたのは2002年7月。創刊時の編集長は松家仁之さん。松家さんは33号まで編集長を務められて、そのあとを河野さんが引き継いで60号まで出されて休刊ということになりました。
僕が『考える人』を知ったのは5号くらいのときでしょうか。ある日、どこかの書店でタイトルと表紙の絵(創刊時にずっと使っていたのはサンペというイラストレーターの絵)に惹かれて目がとまったんだと思います。執筆者に池澤夏樹や河合隼雄など僕の大好きな作家が並んでいるのがわかったので即購入。すごく気に入ったので創刊号からバックナンバーをすべて揃え、それから毎号買うようになりました。
10号くらいから内田樹先生が登場されたのはうれしかったですね。大好きな池澤夏樹と内田先生がいっしょの雑誌に載っている、と、こういうのを密かに喜んでしまうのは昔から。後に池澤夏樹と内田先生が『考える人』のパーティで同席されたり、さらには対談をされたりするのをなんともいえない気持ちで眺めていました。
『考える人』の編集長が変わったことはよく覚えています。松家さんが編集長をつとめた最後の号に載ったのが「村上春樹ロングインタビュー」(なんと100ページ)だったんですね。聞き手は松家さん。めったにインタビューを受けない村上さんがあえて引き受けたのは相手が松家さんだったから。懇意にしていた編集者が新潮社をやめることになったのでインタビューを引き受けたんですね。
その33号の最後のページに載っている「編集部の手帖」の最後に松家さんはこう書いています。
私事になりますが、この最新号が書店に並ぶ直前に、新潮社を退社することになりました。次号からは、先輩編集者である河野通和さんが入社し、編集長を引き継いでくださいます。
もちろん僕はこのとき河野さんという人のことを全く知らなかったわけですが、松家さんが辞められるという段階で廃刊ということになってもやむを得なかったかもしれない『考える人』を引き継ぎ、そのクオリティを全く下げることなく刊行され続けたというのは本当に偉大なことだったと思います。
ところで僕は60号のうちの3分の2くらいは持っていましたが、引越しの時に大量に手放してしまって(大切な本だったのでおひさまゆうびん舎にかなりの数を買い取ってもらったような気がします)今、手元にあるのは10数冊。
そういえばこの秋、おひさまゆうびん舎で開かれていた夏葉社フェアのテーマは「家族」ということで、「家族」にちなんだ本も並べられていたんですが、その中に「家族ってなんだ?」という特集が載っていた『考える人』を見つけて買いました。この号は松村さんの『うしろめたさの人類学』の帯文を書かれた山極寿一さんのロングインタビューが載っているんですね。このときの編集長は河野さん。河野さんの『言葉はこうして生き残った』には山極さんとお会いされた時の面白いエピソードが載っています。
そういえばこの日のトークの途中で松村さんが後ろに並んでいるバックナンバーから1冊を取り出して本立てに置かれたんですね。たまたま松村さんの目に留まったので置いたって感じだったんですが、僕にとっては思い出に残る1冊だったので、おっ!でした。この写真の真ん中に置かれています。
それは2012年の秋号。特集は「歩く」。「時速4kmの思考」という副題がついています。編集者はもちろん河野さん。
2012年の秋といえば、まさにこのブログを始めた頃。つまり僕は姫路での木山捷平を追いかけ始めた時でした。
木山さんは本当によく歩く人なので、いったいどれくらいのスピードで歩いていたんだろうかと思っていたときにこれを手に取ったんですね。この日のブログで「今朝、たまたま見た本」と書いているのはまさに『考える人』のこの号。こういうのも縁というかセレンディピティというか。
ということで最後の質問コーナーで、そんな僕のセレンディピティの話を少しして、ぜひ訊いてみたいと思っていた質問を河野さんにぶつけました。
「河野さんにとってのとびっきりのセレンディピティの話を教えてくださいませんか」
と。
そこで飛び出したのが池澤夏樹の名前でした。