この世界がきみのために存在すると思ってはいけない。世界はきみを入れる容器ではない。
世界ときみは、二本の木が並んで立つように、どちらも寄りかかることなく、それぞれまっすぐに立っている。
きみは自分のそばに世界という立派な木があることを知っている。それを喜んでいる。世界の方はあまりきみのことを考えていないかもしれない。
でも、外に立つ世界とは別に、きみの中にも、一つの世界がある。きみは自分の内部の広大な薄明の世界を想像してみることができる。きみの意識は二つの世界の境界の上にいる。
大事なのは、山脈や、人や、染色工場や、セミ時雨などからなる外の世界と、きみの中にある広い世界との間に連絡をつけること、一歩の距離をおいて並び立つ二つの世界の呼応と調和をはかることだ。
たとえば、星を見るとかして。
二つの世界の呼応と調和がうまくいっていると、毎日を過ごすのはずっと楽になる。心の力をよけいなことに使う必要がなくなる。
水の味がわかり、人を怒らせることが少なくなる。
星を正しく見るのはむずかしいが、上手になればそれだけの効果があがるだろう。
星ではなく、せせらぎや、セミ時雨でもいいのだけれども。
これは池澤夏樹の『スティル・ライフ』の冒頭部分。今回、ずっと書き続けている話のタイトルはこの中の言葉。1回目に引用したこの会話もやはり『スティル・ライフ』からの引用でした。
「人の手が届かない部分があるんだよ。天使にまかせておいて、人は結果を見るしかない部分。人は星の配置を変えることはできないだろう。おもしろい形の星座を作るわけにはいかないんだ。だから、ぼくたちは安心して並んだ星を見るのさ」
「大熊座が、新しいクマの玩具の宣伝のために作られたわけじゃないからか」
それから先日ちょこっと書いた「チェレンコフ光」というのもこの会話の中に出てきます。
池澤夏樹の『スティル・ライフ』をどういうきっかけで手にしたかは覚えていません。『スティル・ライフ』が芥川賞をとったのは1988年ですが、芥川賞を取ったから読むなんてことはしていなかったし。何かで読んだ丸谷才一さんの書評がきっかけだったような気もします。丸谷さんはデビュー当時から池澤夏樹をとても評価していたので。
『スティル・ライフ』は単行本も文庫本も両方買ったけど、単行本が例によって見当たらない。文庫本の出版年を見ると1991年12月。初版でした。
『スティル・ライフ』は僕にとっては人生の一冊といってもいいかもしれません。特に冒頭の散文詩のような言葉には強い衝撃を受けました。世界の見方が完全に変わったような気すらしました。考えてみると、今、僕がイメージを作りつつある珈琲豆的楕縁の世界にもつながっている気がして、今なお強く影響を受け続けていることがわかります。
作品としてはその前に書かれた『夏の朝の成層圏』が一番好きですが、手に取った回数は圧倒的に『スティル・ライフ』の方が多い。たいていは冒頭部分を読み返していたのですが。
そういえばちょうどひと月前に『スティル・ライフ』のことをちょこっとだけ書いています。そう、余白珈琲さんの話。
余白珈琲さんのInstagramのコメント欄を順番に読んでいたときに『スティル・ライフ』の冒頭部分の引用があって、おおっ!って思ったんですね。
もう何年も前に、僕がツイッターに書いていたものをずっと読み続けていてくれていた人が、ある日、僕が池澤夏樹のことを初めて書いたら(『スティル・ライフ』のことだったかもしれない)、「やっぱり、◯◯さんには池澤夏樹が入っていたんですね。最後のピースがはまった感じがしました」というメッセージをもらったことがあったんですが、余白珈琲さんのコメント欄の『スティル・ライフ』の引用を見たときには、まさにそれと同じ感じを抱きました。小さなピースではなく、かなり大きなピース。
『スティル・ライフ』の衝撃以降、僕は池澤夏樹の本を憑かれたように読み続けました。当時、ちょっとした池澤夏樹ブームがあったようで、1990年代の前半はかなりの本が出たんですね。全部買って読んでいました。完全に「春樹」よりも「夏樹」の時期でした。
池澤夏樹から受けた影響は計り知れなくて、とりわけ次の3つが僕にとって大切な存在になったのは、まぎれもなく池澤夏樹がいたからこそ。
まずはなんといっても星野道夫ですね。星野道夫を知ったのは池澤夏樹の『未来圏からの風』に収められた対談に衝撃を受けたからでした。
それから宮沢賢治。
そして沖縄。
池澤夏樹を熱心に追いかけていたとき、彼は突然沖縄に移住したんですね。最初はすごくびっくりしたけれど、彼の言葉を通じて沖縄のことをいろいろと知り、沖縄が大好きになりました。僕もいつかは沖縄に移り住みたいと思ったくらい(今でもその気持ちは少しあります)。そういえば沖縄に移住した直後のインタビューが載った雑誌があったはずだけど、これも探したけど見当たらない。あの雑誌に載った池澤夏樹の服装を真似ていた時期も。全然似合わなかったけど。
この日のブログにも書いたことですが、僕は一度だけ池澤夏樹の講演に行きました。おそらく1997年か1998年の夏。場所は加古川。
その日は7月7日。「七夕」ですが制定されたばかりの「川の日」にちなんで加古川で開かれたんですね。「川の日」というのが制定されたことはその講演で初めて知りました。
冒頭、池澤夏樹がこう言ったんですね。
「実は今日は僕の誕生日なんです」と。
正直、震えるくらいにびっくりしました。なぜならば…、と書こうと思ったけど、やっぱりそれは書かないでおきます。でも、七夕という星に願いをかける日に、なんて奇跡なことが起こるんだろうと体が震えたことを覚えています。
で、先日、そのときと同じくらに体が震えてしまうことが起きたんですね。そう、スロウな本屋でのイベントで河野さんの口から驚くことが語られたんです。