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by hinaseno

神戸のはずれの小さな海街で珈琲を飲む日のこと(その13)ー 「ださべんファン、現る」 ー


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僕の知らない間に再開されていた余白珈琲さんのInstagramには、投稿された写真の後に、ちょっと長いコメントが添えられていました。コメントというよりもエッセイといった内容。どの文章にも、まるでほどよく焼かれてほどよく挽かれた珈琲豆のスキマを湯がゆっくりと通り抜けていくような言葉が心地いいリズムで綴られていました。ところどころには僕にとって大切なキーワードが散りばめられていて(池澤夏樹の『スティル・ライフ』の冒頭の言葉など)。もちろん投稿された写真の1枚1枚が素晴らしいことはいうまでもありません。何よりも最初に投稿されていた写真に写っていたのが大瀧さんの『EACH TIME』のレコード(CDではなく)...、僕は迷うことなく彼に珈琲豆を注文しました。僕のことがわかるかなと思いながら。


注文した豆が届くまでに、少しずつInstagramに投稿された写真のコメントを読み進めました。すると、あっと驚くようなことが。


今、ブログに書き続けている話のきっかけとなったのはミシマ社ですね。ミシマ社が作ってくれた縁によっていろんなものがつながっていきました。実質的には10月14日にスロウな本屋さんで行われた松村圭一郎さんの『うしろめたさの人類学』に関するトークイベントから珈琲をめぐる素敵な物語が始まったわけですが、その1週間前の10月8日に余白珈琲さんが投稿した写真のコメントの中にびっくりすることが書かれていて、で、調べたらナント!でした。

せっかくなのでその日彼が書いたことをそのまま貼っておきます。


夏の思い出を、ひとつ。
京都にある「ミシマ社の本屋さん」に行った時のこと。


ミシマ社さんは、簡単に言ってしまえば、「とても面白い」出版社です。
なんだか生き生きとしている。
そんなミシマ社さん、本ももちろん好きなのですが、僕がすごく楽しみにしているのが「ださべん」です。

「食べられたらそれでいい」をモットーに、インスタ映えなんて気にせず、とにかく弁当を「作る」ことを目的としたミシマ社弁当部。
途中参加の「オカダ」さんが、今は主人公みたいなものです。
ただただ、ださいお弁当の写真が投稿されているだけのようですが、そのちょっと気の抜けた感じにほっこりし、美味しそうーとなります。


さて、ある日、ミシマ社の本屋さんに初めて行った時のこと。
靴を脱いで、ちゃぶ台の置かれた畳の部屋にワクワクしながらあがると、店番の人(ミシマ社で働く人が店番をしています)がいました。
ありふれた挨拶と世間話の後、「実はださべんのファンです」と切り出してみました。


すると店番の人は、「そんな人いるの!」と少し驚いた後、当たり前のことのように誰かに電話をかけ始めました。
なんと、その相手は東京オフィスにいるださべんの主人公「オカダ」だったのです。
こちらからすると、そこで普通に電話をかけてくれる店番の人の方が、「そんな人いるの!」です。
ドギマギしながら会話をする様子は、ミシマ社のウェブマガジン「みんなのミシマガジン」の7日の記事に掲載されています。


仕事や生活において、責任感や使命感が果たす役割も大きいのかもしれませんが、何よりも「面白がる」が基本だなあと、改めて感じた日でした。
よく分からないけれど、ほっこりできる「ださべん」、よかったらフォローしてみてくださいね。


ちなみに、焙煎所を塩屋へ移したら、「ださべん持って来てくれた人にはコーヒープレゼント!」という物々交換をやり続けようと思っています。


「みんなのミシマガジン」に関してはこのブログでも何度も紹介していますが、正直「ださべん」はちゃんと読んでいませんでした。すぐに10月7日に更新された「みんなのださべん」を見ました。するとそこにはこんなタイトルが。


「ださべんファン、現る」


なんと余白珈琲さんのことが書かれていたんですね。まさか余白珈琲さんがミシマ社とこんな形でつながっていたとは思いもよりませんでした。ミシマ社のオカダさんも驚いたようですが、僕も驚きました。いやホントに。


ちなみに、後で、というか昨夜のことですが余白珈琲さんからミシマ社の本屋さんに行ってきたときのことを聞いたらもっと面白いことを教えてもらいました。

彼が行ったときにミシマ社の畳の部屋に置かれているちゃぶ台の上で学生が何かの作業をしていたとのこと。作業をしていたのは岡山から来た岡山大学の学生でした。彼らはまもなくミシマ社から発売されることになる1冊の本の手書きPOPを作っていたんですね。いうまでもなくそれは松村圭一郎さんの『うしろめたさの人類学』のPOPでした。POPを作っていたのは岡大で松村先生の授業を受けている学生だったんですね。

でも余白珈琲さんは、そのときにはミシマ社って面白いことをやるんだなって思っただけで、このときにはその後に始まる縁には気付くはずもありません。

でも改めて考えてみると、縁というのは、ただ積極的に行動すれば生まれるというものではなくて、実はなんとなく行ったところで、なんとなく目にした光景や、なんとなく交わした会話の中に縁の尻尾のようなものがあったりするんですね。で、問題はそれに気づけるかどうかのようです。

いや、それにしても面白すぎますね。


さて、豆を注文してから数日後、いよいよ余白珈琲から焼きたての珈琲豆が送られてきました。封筒の中には注文した豆と潜水艦のロゴの入った素敵な豆かんといっしょに、温かい”贈与”が添えられていました。

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(ちなみに、この写真にはその”贈与”は写っていません。送られてきてすぐにある方にそれを送ったので)


by hinaseno | 2017-11-29 13:26 | 雑記 | Comments(0)