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Talks About Music, Books, Cinema ... and Niagara


by hinaseno

「僕のキャリアの節目には、必ず大滝詠一という人がいるんです」


『NIAGARA 45RPM VOX(ナイアガラ 45 ヴォックス)』に合わせるように発売された『大滝詠一読本 完全保存版 2017 EDITION』。大瀧さんのインタビューなどが載っているわけではないのでどうしようかと思っていましたが、立ち読みでいくつか読んでいたらおもしろそうだったので結局買ってしまいました。

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巻頭の特集は「周辺アーティスト&スタッフ最新インタビュー」。大瀧さんの”書生”というか”丁稚”をしていた湯浅学さんが大瀧さんの身近にいた5人の方々にインタビューをされています。5人の中には名前だけ見ただけでは誰だろうという人も。もちろんよく知っている人もいますが、大瀧さんが亡くなって以後いろいろ出た本の中では、たぶんそれほど大きく取り上げられることがなかった人たちばかり。松村邦男、駒沢裕城、後藤博、吉田保、中村欣嗣、子安次郎。

村松さんと駒沢さんはナイアガラ・サウンドを支えた重要なミュージシャン。村松さんはエレキ・ギター、駒沢さんはペダルスティールを演奏。ちなみに『多羅尾伴内楽團』の『Vol.1』は駒沢さん、『Vol.2』は村松さんをフィーチャーしています。

吉田保さんは『ロンバケ』以降のエンジニア。あのナイアガラサウンドに欠かせない人。後藤さんはそのロンバケの一つ前の『レッツ・オンド・アゲン』のエンジニアをされていたんですね。知りませんでした。しかも『レッツ・オンド・アゲン』に収録された「ピンク・レディー」という曲を歌っていたようです。グループ名はモンスターですが、『レッツ・オンド・アゲン』の解説(書いたのは大瀧さん)には「正式には『後藤博とモンスター』といい、メンバーは後藤(32才)を中心に全5人で平均20才のグループ。全員がピンクレディーの大ファンで、さるアマチュア・コンテストで、ピンクレディーの曲を歌い、その熱狂ぶりがプロデューサー大瀧の目にとまり、大瀧は一週間眼科へ通うはめになった。…」と書かれていますね。まあ、遊んでいるというかなんというか。これがあの『ロンバケ』の一つ前のアルバムなんですから。

子安さんは湯浅さんと同じく大瀧さんの”書生”だった人。のちにディレクターとなってウルフルズを担当されていたようで、ウルフルズがらみの興味深い話がいっぱい。

中村欣嗣さんはオーディオショップのスタッフとして大瀧さんの家のオーディオ・システムを長く見てきた人とのことですが、実はこの中村さんのインタビューが一番面白かった。大瀧さんの”人となり”がよく出ているエピソードの連続。「(大滝さんは)”良い音”の一歩手前がお好きなんです」という言葉には、ひざを10回くらい打ってしまいました。


さて、最後に一番いい話を。それは駒沢さんのインタビューの中の言葉。駒沢さんは先ほどの『レッツ・オンド・アゲン』でも「ピンク・レディー」という曲をはじめとしてほとんどの曲でペダル・スティールを弾いているんですが、実は駒沢さんはこの後、しばらくミュージシャンとしての活動から離れられるんですね。


駒沢:(大滝さんは『レッツ・オンド・アゲン』で)やり尽くした感じがあったんでしょうね。でも、今から思えば大滝さんがコロンビアでナイアガラを閉めたタイミングと、僕が足を洗ったタイミングはほぼ同じ。どこか運命的なものを感じますね。
湯浅:どうして足を洗おうと思ったんですか?
駒沢:業界の俗っぽい感じとか、いろんなことに嫌気がさしてしまったんです。その間は農地を開墾したり無農薬の野菜を育てて売ったりしていました。7年ぐらいそんな生活をして、85年の12月にまた戻ってきたんですけど。湯浅:復帰後、大滝さんとも再会したんですか?
駒沢:それがね、またしても運命を感じないではいられなかったんだけど、音楽をやめていた後、最初に電話してきてくれたのが大滝さんだったんですよ。「頼みたいことがある」と。
湯浅:復帰のきっかけが大滝さんだったんですね。
駒沢:具体的にどんな仕事だったかは忘れてしまったけど、誰かへの提供曲のレコーディングだったのかな。とにかくそれが復帰後最初の仕事。だから僕のキャリアの節目には、必ず大滝詠一という人がいるんです。
湯浅:そういう時に閃くんですよね、大滝さん。関わりの深い人の節目、節目に出てくる。
駒沢:つい先日、武蔵小山のAgainで安宅浩司くんとダブル・ペダル・スティールのライブをやったんです。そのアンコールで「空いろのくれよん」を演奏してね。いろんなことを思い出しました。大滝さんのことは、亡くなってからずいぶん考える時間が増えた気がします。僕は村松くんのように近年まで一緒にやっていたわけではないけど、あれほど濃密な時間を過ごした人は他にいません。
湯浅:コロムビア時代には、左チャンネルから駒沢さんのペダル・スティールが聴こえる曲が本当に多いですね。いつも駒沢さん用のトラックを空けて待っていた。大滝さんにとっては、自分の中にある得も言われぬ感覚を音にしてくれる要人だったんだと思います。
駒沢:そう思ってくれていたなら嬉しいけど。

音楽を離れていた時に、農業をされていたという話に驚きました。川上哲治みたいですね。

そして駒沢さんの話の最後にはアゲインのこともちらっと。以前、そのアゲインの石川さんから駒沢さんの『私のモーツァルト』という素晴らしいアルバムを録音したものを送っていただきましたが、他のアルバムも聴いてみたくなりました。


by hinaseno | 2017-04-03 14:44 | ナイアガラ | Comments(0)