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Talks About Music, Books, Cinema ... and Niagara


by hinaseno

東京でオリンピックをやらなくったって古関裕而の時代は続いている(1)


昨日は原節子さんの誕生日、でしたね。

本当は昨日、「今日は原節子さんの誕生日」と書き始める予定でしたが、書くための時間を十分とることができませんでした。


原節子さんの誕生日といえば、え~っといろいろありましたね。まずは東京のシネマヴェーラ渋谷という映画館(名画座です)でミュージカル映画特集の初日。今日はフレッド・アステア主演の『有頂天時代』が上映されます。野口久和 THE BIG BAND with “BREEZE”のライブで、BREEZEの新曲として歌われた「Pick Yourself Up」をはじめ石川さんの大好きなジェローム・カーンとドロシー・フィールズの曲がいくつも使われている映画。DVD買おうかなと思いつつ、やっぱり映画館で見たいですね。石川さんは行かれるんでしょうか。うらやましいな~。こんな名画座が近くにあればと思いつつ、名画座の経営は大変なんでしょうね。

「名画座」といえば世田谷ピンポンズさんに「名画座」という曲があります。本当に素晴らしい曲で大好きな1曲。そのピンポンズさんのライブをはじめ最近では益田ミリさんの『今日の人生』について語り合う会など、姫路のおひさまゆうびん舎で行われたいくつものイベントでご一緒させていただいてすっかり顔なじみになったKさん(星くずさんと呼んだ方がいいのかな)のご友人のいとこの方がなんとシネマヴェーラ渋谷のオーナーなんだそうです。名前は内藤篤さん。内藤さんは『円山町瀬戸際日誌』という本を出されているとのこと。

Kさんのご友人は世田谷ピンポンズさんの「名画座」が気に入って、「名画座」が収録された『天井の染みを数えている間に』を買われたそうです。ピンポンズさんの歌に出てくる名画座はとり壊されてしまうのですが、シネマヴェーラ渋谷はずっと続いてほしいですね。

それにしても縁というのは不思議なもの。


縁といえば、僕が東京に行った日に、アゲインのイベントにいらっしゃっていたのが作家で翻訳家の松本侑子さん。その松本さんも昨日が誕生日。つまり原節子さんと誕生日が同じなんですね。

その松本さんがアゲインのイベントでも紹介されていた『みすゞと雅輔』(石川さんからいただきました)をちょっとずつ読み進めています。たぶん今日か明日くらいに読了するはず。この本、僕がよく行っている大きな書店の棚に表紙が見えるような形で5冊くらい置かれていました。よく売れているみたいですね。

昨日読んだところでちょっと驚いたのは金子みすゞの弟である上山雅輔が上京して住むようになったのがなんと大田区の矢口。そこって、あの未来門や新田神社のある場所の地名。彼はその矢口から金子みすゞに何度も手紙を出していたんです。住所がどこだったんだろう。手紙は残っているようなので、松本さんはきっと住所をご存知のはず。

ということで改めて武蔵新田周辺の戦前の地図を。

東京でオリンピックをやらなくったって古関裕而の時代は続いている(1)_a0285828_11452567.png


僕は池上線の千鳥町駅から慶應大学のグラウンドの野球場の端の方を通って武蔵新田駅に行き、そして石川さんと高橋さんといっしょに新田神社まで歩いたわけです。

で、その新田神社近くの喫茶店で三人で話していたときに石川さんが口にしたのが「古関裕而は誕生日が僕と同じ8月11日で、人に言うとたいてい『へえ~』で終わっちゃうんだけど、これは僕にとってすごいことなんだ」という言葉。

もちろん僕はそれはすごいことだと思っています。あの古関裕而と誕生日が同じなんですから。話のきっかけは、前日、僕がアゲインに行ったときに最初にかかったのが古関裕而の「長崎の鐘」だったんで驚いたという話をしたこと。この日ニコライ堂に行っていたので「ニコライの鐘」だったらもっとよかったんだけど、と。

考えてみたら、石川さんの実家のある慶大グラウンドの野球場ではもちろん早稲田との試合が何度もあったはず。で、早稲田といえば昭和5年に作られたこの応援歌。タイトルは「紺碧の空」。この曲を作ったのも古関裕而。




ちなみに古関裕而は慶応の応援歌も作っていますが、それが作られたのは武蔵新田のグラウンドがなくなった後のこと。でも、古関裕而の作った歌が何度もこの辺りにこだましていたはず。


そういえば「こだま」といえば東日本大震災の後、テレビのCMで流れ続けていたのが金子みすゞのこの「こだまでしょうか」という詩でした。あまりにも何度も流され続けていたので、逆にある時期からはもう聞きたくないって感じになっていましたが、改めて読むといい詩です。


「遊ぼう」っていうと
「遊ぼう」っていう。

「ばか」っていうと
「ばか」っていう。

「もう遊ばない」っていうと
「遊ばない」っていう。

そうして、あとで
さみしくなって、

「ごめんね」っていうと
「ごめんね」っていう。 

こだまでしょうか、
いいえ、誰でも。

その東日本大震災が起こったとき、ある人の心に流れ続けていたのはこの曲でした。NHKのラジオ番組「ひるのいこい」のテーマソング。作ったのは古関裕而。ある人というのは大瀧さんでした。




by hinaseno | 2017-06-18 11:47 | 音楽 | Comments(0)