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by hinaseno

大瀧さんがいつかしてくれたはずのボビー・ヴィー・ストーリー(前編)


つい先日もかなり有名なミュージシャンが亡くなりましたが、今年も数多くのアーティストが亡くなりました。とりわけショックが大きかったのは村田和人さん。彼の歌をアゲインで聴きたかった。石川さんからは何度も村田さんのライブほど素晴らしいものはないから一度は見ておいて欲しいと言われていたのに。


そしてボビー・ヴィー。

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60年代のアメリカン・ポップスで、僕の最も好きな男性シンガーがボビー・ヴィー。永遠に中断することになってしまった大瀧さんの「アメリカン・ポップス伝」で、いちばん聴いてみたかったのも必ずやってくれたはずのボビー・ヴィー・ストーリーでした。


1977年7月に放送された「(スナッフ・ギャレットの)リバティ・サウンド特集」でボビー・ヴィーの「Rubber Ball」と「The Night Has A Thousand Eyes」の2曲をかけたあと大瀧さんはこう語っています。


(プロデューサーの)スナッフ・ギャレットとボビー・ヴィーというこのコンビはたくさん大ヒット曲がありますけどもね。この頃ボビー・ヴィーは、まあ、郷ひろみみたいな感じだったですね。いわゆるティーンのアイドルでしたね。超、超アイドルでしたけれどね。非常に曲がいいのと、それから作家に恵まれたというか、いい作家を起用したというか、その辺もいわゆるプロデューサーの才能なんですね。その辺はボビー・ヴィーの特集のときにまた詳しくお話ししたいと思います。

大瀧さんは近いうちに必ずボビー・ヴィー特集をすることを考えていたことがわかります。でも、このあと60回ほど放送がありましたが、結局ボビー・ヴィー特集は実現しなかったんですね。


さて、大瀧さんはかつて、もしだれかミュージシャンが亡くなってその人を追悼するのであれば、その人の曲をかけるんじゃなくて、その人が好きだった曲をかけてあげるべきだと語られていました。

というわけなので、昨日は大瀧さんが死ぬほど好きだったはずの曲を何曲か集めて聴いていました。大瀧さんが死ぬほど好きだという曲ですぐに浮かぶのはやはりこの2曲。

一つはスティーヴ・ローレンスが歌った「ゴー・アウェイ・リトル・ガール」。




もう一つが、今年ようやく日本盤のシングルを手に入れることのできたジミー・クラントンの「ヴィーナス・イン・ブルー・ジーンズ」。




この2曲、実は少なからずボビー・ヴィーが関係しているというか、もしボビー・ヴィーというシンガーがいなければは生まれなかったと言ってもいいかもしれません。そんなたまらないストーリーがもしかしたら「アメリカン・ポップス伝パート5」で語られていた可能性もあります。


61年の大ヒットとなったボビー・ヴィーの「Take Good Care Of My Baby」を書いたのはキャロル・キングとジェリー・ゴフィンのコンビ。彼らは次に書く曲もボビー・ヴィーに歌ってもらえるだろうと考えて新しい曲作りにとりかかります。それが「ゴー・アウェイ・リトル・ガール」。

ジェリー・ゴフィンはこんなことを語っています。


「僕が『ゴー・アウェイ・リトル・ガール』を書いていたときに、僕の心にあったのはボビー・ヴィーだった。キャロルと僕はそれを10分くらいで書き上げたんだ。僕はきっとその曲をボビーのプロデューサーであるスナッフ・ギャレットも大好きになってくれるだろうと思っていたんだけど、彼はそれを気に入ってくれなかった」

あの曲を詞も含めてたった10分で書き上げたというのには驚いてしまうけど(でも、アメリカン・ポップスの名曲はたいていそれくらいの時間で作られていることが多いですね)、たとえば松田聖子のために優れたアーティストが競うようにして優れた曲を書いていたのと同じようなことが当時のボビー・ヴィーにもあったんですね。彼に、正確に言えばスナッフ・ギャレットがプロデュースしたボビー・ヴィーに、できればシングルとして歌ってもらえるような曲を作ろうとしていたわけです。彼の歌った曲に素晴らしい曲が多いのはそのためですね。

ただし、スナッフ・ギャレットはどんなに前作で大ヒットを飛ばした曲の作家でも、曲がアーティストに合わないと判断すれば使わない。

ということで、「ゴー・アウェイ・リトル・ガール」はいったんはスナッフ・ギャレットに渡されたものの結局、彼はその曲をボビー・ヴィーの新曲として使うことはしませんでした。ちょっと大人の歌だったので、もう少しあとで使ってもいいと考えたのかもしれません。

そんなときに、その曲のデモに耳を止めたのが”黄金の耳を持つ男”ドン・カーシュナーでした。そう、最初はボビー・ダーリンとコンビを組んで曲作りをしていたものの、自分の才能がないということがわかって作家としての道はあきらめて、音楽出版会社を作った人。大瀧さんに「人生早めの切り替えが大事」と言われたあの人です。彼は友人のスティーヴ・ローレンスに曲をあげてすぐに録音させるんですね。それが大ヒットとなったわけです。


ところで、ジェリー・ゴフィンはあのように発言していますが、スナッフ・ギャレットがデモの段階からこの曲を気に入らなかったわけではなさそうです。実際彼はスティーヴ・ローレンが録音するよりも先にボビー・ヴィーの歌った曲を録音します。録音したのは1962年3月28日。前日にはのちにシングルとしてリリースされる「シェアリング・ユー(Sharing You)」(曲を書いたのはキャロル・キングとジェリー・ゴフィン)を録音しています。

ボビー・ヴィーの「ゴー・アウェイ・リトル・ガール」は残念ながらYouTubeにアップされていませんがイギリスのACEから出た『Honey And Wine: Another Gerry Goffin & Carole King Song Collection』に収録されています。スティーヴ・ローレンスのバージョンに耳が慣れているせいもあるとは思いますが、このアレンジ、特に弦のアレンジにはかなり違和感を覚えてしまうんですね。ちょっと曲を殺してしまっているような感じ。アレンジャーはボビー・ヴィーのほとんどの楽曲で素晴らしいアレンジをしているアーニー・フリーマンなんですが、彼にしてはちょっと意外なほど残念なアレンジ。スナッフ・ギャレットもそれを感じたようです。もしかしたらもう一度アレンジをやり直してあとで録音し直そうと思っていたような気もしますが、とりあえずはボツ。そのタイミングをドン・カーシュナーが逃さなかったんですね。


ところで「Take Good Care Of My Baby」の次のシングルとして選ばれたのがこの「ラン・トゥ・ヒム(Run To Him)」という曲。




のちにキャロル・キングとジェリー・ゴフィンが書いて、「ゴー・アウェイ・リトル・ガール」の前日に録音されたこの「シェアリング・ユー」は明らかに「ラン・トゥ・ヒム」の影響を受けていますね。




いや、「ゴー・アウェイ・リトル・ガール」も曲に関しては「ラン・トゥ・ヒム」の影響を感じてしまいます。

この「ラン・トゥ・ヒム」。作詞はジェリー・ゴフィン。でも、作曲はキャロル・キングではなくジャック・ケラー。あの「ヴィーナス・イン・ブルー・ジーンズ」を書いた作曲家でした。ボビー・ヴィーというシンガーを介してキャロル・キングとジャック・ケラーはお互いに影響を与えあっていたんですね。


by hinaseno | 2016-12-31 14:10 | ナイアガラ | Comments(0)