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by hinaseno

もうひとりのコニー、そして永遠のワン・ボーイ


アメリカン・ポップス伝パート4 第5夜(エンディングまで)

(はじめに)アメリカン・ポップス伝の最終回のプログラムの文字起こしを「かわいそうなのはコニー・フランシス」で終わるのはなんだかコニー・フランシスに悪いような気がするので、この日のプログラムの最後まで文字起こしすることにしました。

放送の最後、大瀧さんは「パート5ではいよいよ本格的に60年代ポップスへと突入します」と。さあ、いよいよ始まるんだ、というところで残念ながら永遠の最後になってしまったわけです。そして最後にかかったジョニー・ソマーズの「ワン・ボーイ」は永遠の1曲となりました。

ということで、文字起こしを。


 *    *    *


さて、『ギジェット』で幕を開けたビーチ・ムーヴィーは63年に女王の座がサンドラ・ディーからアネットへと移ります。そのアネットのシングル・デビューは59年でした。


Tall Paul / ANNETTE

(注)ここでかかったのは演奏前の言葉とアネットの咳払いが少し入ったテイク。YouTubeにはありませんでした。「Take 6」との声が入りますが、これがOK Takeだったんでしょうか。この音源も何に入っているかわかりませんでした。それにしても大瀧さんは「アメリカン・ポップス伝」ではそういう音源をたくさんかけていましたね。集めるだけでも大変だったと思います。


59年、7位のヒット曲「トール・ポール」。ディズニーの人気テレビ番組『ミッキーマウス・クラブ』で人気が出たので、アネットの歌手デビューとなりました。

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『ミッキエマウス・クラブ』時代のアネット(左)

ただこれはアネット用の曲ではないんですね。以前に『ミッキーマウス・クラブ』の先輩が歌っていたものですけど、そのカバーでしたがアネットに合っていたということなんでしょう。

で、『ミッキーマウス・クラブ』は子供向けでしたが、この頃大人に人気があった番組に『サンセット77』がありました。


77 Sunset Strip / The Big Sound Of DON RALKE


このドラマで一気に人気が沸騰したのがエド・バーンズ。まあ、いつも櫛で髪をといているというアクションが人気で彼の歌も大ヒットしました。


Kookie, Kookie (Lend Me Your Comb) / EDWARD BYRNES & CONNIE STEVENS


59年4位となった「クーキー、クーキー、櫛貸して」ですね。ドラマのシチュエーションをそのまま歌にしたもので、まあ今で言えばラップということですかね。女性の声はコニー・スティーヴンスです。


(注)2人でいっしょに歌っている映像がありました。



彼女もテレビドラマ『ハワイアン・アイ』で人気が出たので、ワーナー・ブラザーズは彼女用の歌を探します。ビル&ドリーポストという夫婦デュオチームが作った曲が「シックスティーン・リーズンズ」。


Sixteen Reasons (Why I Love You) / BILL & DOREE POST


コニー・スティーヴンスを想定して書いた曲とのことで、コニー・スティーヴンスにはぴったりでした。


Sixteen Reasons / CONNIE STEVENS


60年、POP3位、R&Bでも10位にランクされたコニー・スティーヴンス「シックスティーン・リーズンズ」でした。

映画『アメリカン・グラフィティ』で、路上を歩いている女の子に「コニー・スティーヴンスにそっくりだね」と声をかけると喜んで車に近づいてきて「そう、うれしい! でも自分ではサンドラ・ディーに似てると思ってんだけど」というシーンがありましたね。サンドラ・ディーもコニー・スティーヴンスも女性アイドルのいちばん人気だったんですね。

(注)このシーンで女の子(キャンディ・クラーク)に声をかける「愛すべき近眼坊や」のテリー君を演じているのはチャーリー・マーチン・スミスという俳優。川本三郎さんは『傍役グラフィティ』(川本三郎、真淵哲共著 1977年)でこのチャーリー・マーチン・スミスを一つの章で取り上げています。「『アメリカン・グラフィティ』の成功の大部分は、この愛すべき道化役者チャーリー・マーチン・スミスとキャンディ・クラークに負っていると思うのだが、どうだろうか」と書かれていますが、同感です。ちなみにこの『傍役グラフィティ』という本のことは今年になってアゲインの石川さんに教えていただきました。

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キャンディ・クラークとチャーリー・マーチン・スミス(『傍役グラフィティ』より)

この「シックスティーン・リーズンズ」、ストリングスの華麗なアレンジはドン・ラルク(Don Ralke)。そのドン・ラルクがストリングス・アレンジを施して大ヒットとなったのがジョニー・ソマーズのこの曲でした。


One Boy / JOANIE SOMMERS


(注)一旦「ワン・ボーイ」の音量を絞って、

ジョニー・ソマーズもコニー・スティーヴンスと同じワーナー・ブラザーズ・レコードからのデビューでした。まさにハリウッド調のポップソングでしたが、このあと映画、テレビ、歌から続々と女性アイドルが登場してきて60年代ポップスと呼ばれるひとつの時代が作られたのでした。

(注)この言葉の後、再び「ワン・ボーイ」の音量を上げて、エンディングまで曲がかかります。で、そのあと番組のテーマソングである「夏のペーパーバック」のインストゥルメンタル・バージョンがかかります。

興味深いのはドン・ラルクによってアレンジされた「ワン・ボーイ」の弦の演奏の最後の部分と、そのあとに井上鑑さんによってアレンジされた弦の演奏の最初の部分が重なって聴こえるんですね。このつながりに気がついた時には心が震えました。

で、大瀧さんの最後の言葉。

渋谷区神南NHKスタジオからお送りしましたアメリカン・ポップス伝パート4、最終日の本日はウェストコーストの50年代ポップス事情をお送りいたしました。ウェストコーストのポップス・クリエイターたちの顔ぶれも、だいたい50年代末にそろっていたということがお分かりいただけたことと思います。

パート5ではいよいよ本格的に60年代ポップスへと突入します。

それではまた次回をお楽しみに。大瀧詠一でした。


by hinaseno | 2016-12-03 11:05 | ナイアガラ | Comments(0)