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by hinaseno

もうひとつの平山家(11)――昭和28年6月30日の尾道ロケハンの行程


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『東京物語』の尾道でのロケを考えるとき、最も重要だったのは昭和28年6月30日のロケハンでした。改めてこの日の厚田さんの撮影日程表を。
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最初は書かれている字も含めてわからないことだらけだったのですが、いろいろ調べてどうにかこの日小津たちが歩いた場所がわかりました。
その歩いた道を図示したのがこの地図。
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本当は昭和28年ごろの大きな地図があれば一番よかったのですが、現段階では手に入らなかったのでネット上にあった昭和3年のこの地図を。ちょっと古いですが、後の地図には記されていないはずの貴重な地名が書かれているので。

赤の矢印で示したのが、この日小津たちが浄土寺から歩いた道。青丸が『東京物語』に登場するシーンのロケ地。
この日に小津たちが歩いたり、行ったりしたのは、映画のシーンには出てはこないけど興味深い場所ばかり。もし、この先『東京物語』の尾道ロケの写真がいろいろと出てくることがあったら、このコースのどこかであることは間違いありません。今度尾道に行ったら絶対にこのルートで歩いてみようと思っています。紅葉が始まっていて、気持ちのよい青空の広がった(鱗雲か鰯雲が出ていてもいいですね)秋の日に行けたらなと。

地図の1番の浄土寺周辺では映画のたくさんのカットが撮影されたのでここでは省略。
2番が筒湯小学校。このカットですね。
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撮影日程表では筒湯小学校の記載はありませんが、この日間違いなく小津たちはこの学校の前を通っています。尾道をロケするときにはおそらく地元の地理に詳しい案内人がいたはずで、最初に紹介されたのが土堂小学校だったはず。でも、小津はこっちにしたんですね。建物としてははるかに土堂小学校の方が魅力的だったはずですが。

3番は昨日紹介したこのカットが撮られた場所。
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なぜこの日にここを通ったかがわかったかといえば、ポイントは撮影日程表に書かれていた「保ケン病院」という言葉でした。昭和3年の地図の3番の近くに診療院というのがあります。これがなんとなくにおったんですね。
で、その後で手に入れたこの地図。
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昭和45年の地図ですが、診療院のあった場所には保健所の文字。その右下には市民病院。「保ケン病院」とメモされた言葉はここの「保健所」と「市民病院」に違いありません。『東京物語』では病院のシーンは出てきませんでしたが、長男の幸一は尾道の病院で働いていて、のちに東京で個人の病院を開業したような感じなので、幸一が働いていた病院としてここを見に行ったのもしれません。
とみが危篤の状態になったときに地元の医者がやってきますが、幸一とかなり細かいやりとりをしていることから2人はもしかしたら尾道の病院で先輩後輩の関係にあった可能性もあります。
ちなみに地元の医者と幸一のやりとりはシナリオではこうなっていました。映画では何を言っているのか聞き取れませんでした。

医者「アーデルラッスしてブルートドルックは下がったんですが、どうもコーマが取れませんので……」
幸一「あゝ、さうですか。レアクチオンが弱いですね」
医者「はあ」


これはかなりの専門用語のはず。お互いに相手が専門医であることを知っていなければできない会話ですね。というわけで、なんらかの形で映画に使う可能性も考えてここにロケハンに行ったような気がします。結果的には病院は使わなかったけれども、そこでたまたま通った路地を映画に使ったんですね。
ところで、昭和45年で市民病院と書かれている場所には現在、尾道市立中央図書館が建っているようです(「なかよし号」という名の移動図書館も走っているみたいですね)。今度尾道に行ったときには、ここに立ち寄ってぜひ調べてみたいことがあります。
このあたりでぜひ立ち寄ってみたいといえば、以前紹介した久保小学校。そして何よりも見てみたいのが西郷寺。
この寺、ネットで調べたら素晴らしいんですね。特に寄棟造りの本堂の美しいこと。しかもこのお寺、個人的に大好きな一遍さんが開いた時宗。あとでわかったことですが尾道には時宗の寺が多いんですね。その中でもこの西郷寺は最高です。

さて、ここからは道順は少しわからないものの次に行ったのは「れんが坂」と呼ばれる坂。厚田さんの日程表の字は「練瓦坂」だったんですね。「れんが」の正しい漢字は「煉瓦」ですが厚田さんらしい当て字。ただ「煉瓦坂」というのが正しい表記でもないようです。
ネットで調べてれんが坂がどのあたりにあるのかはわかりましたが、昭和3年の地図を見ると同じ場所に変な漢字の坂が。文字を縦向きにして拡大するとこうなります。
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最初の字は木へんに「電」。こんな字、存在しないんですね。どうやら「でんぎ坂」と読むようです。これが訛ったのかどうかはわかりませんが「れんが坂」になったということがネットに書かれていました。
このれんが坂のことがわかったのもつい先日。ここを少しだけ歩いていたこともわかりました。ストリートビューを使ってれんが坂をこの方向に歩いていると、突然、こんな風景が飛び込んできます。
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景色が開けた瞬間に、あの福善寺の墓地が現れてくるんです。福善寺の墓地かられんが坂に入れるようになっているので、映画に映った墓地を探していたときにここまできていたんですね。
それにしてもれんが坂を歩いていて、突然この風景に出会ったら、かなり感動するのではないかと思います。小津たちが福善寺の墓地を見つけたのは、たまたまこのれんが坂を通っていたからではないかなと。
実はこのとき小津たちが向かっていたのは御袖天満宮。厚田さんの撮影日程表に書かれていた「天満宮」ってどこだろうと思っていたんですが、尾道には天満宮はここしかなかったんですね。場所は福善寺のすぐそば。もっと早くわかっていれば行ってたのに、でした。小津たちがれんが坂を通ったのは、市民病院のあったあたりから一番の近道だったからだと思います。
ストリートビューで見たこの神社の境内からの風景がこれ。
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この風景を見て思ったのは、ここがこのシーンを撮影する候補地だったのではないかということ。
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シナリオを見るとこのシーンのト書きはこうなっています。
街と海を見下ろす崖上の空き地。

結果的には浄土寺の境内で撮影されることになったわけですが、このロケハンをしているときにはまだ平山家をどこにするかは決まっていなかったはずなので、街と海の見下ろすことのできる空き地(一応境内は想定したはず)を同行したはずの人に訊いて連れてきてもらったのがこの場所だったのかもしれません。ただ、あのシーンを撮るには塀とかが邪魔な感じがします。と言っても今は浄土寺の境内のあの場所にも塀が作られてしまっているのですが。
そういえば上に貼った昭和45年の地図についていたガイドブックに浄土寺のこんな写真が載っていました。
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まだ、鐘楼も塀も建てられていない、『東京物語』が撮影された時のままのあの場所を見ることができます。

さて、御袖天満宮の次は4番目の福善寺。このカットをはじめ墓地のいろんな写真が撮られた重要な場所ですね。
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この場所もト書きに書かれている、向こうに海の見える墓地がある寺として連れてきてもらったのかもしれませんが、御袖天満宮に向かう途中でたまたま発見したような気もします。その方が面白いですね。

その次に行ったのが「丹花町」(ピンクで丸をした場所)。そこに何かがあるというわけではなさそうですが、何かがあったんでロケハンをしたんですね。ただ通っただけの町を書き留めていたらきりがないはずですから。
福善寺の方から山陽本線と国道を渡ってこの丹花町に入る場所をストリートビューで見るとこうなっています。
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歩道からすぐに石段があって、石段に上るそばには「丹花小路」と書かれた石柱。この前の歩道は2往復くらいしていたんですが気付きませんでした。昭和3年の地図を見てもわかるように、このあたりの路地は「○○小路」という名前がついているところが多いんですね。たぶん地図に載っていないものもいくつもあるはず。

この丹花小路はとても気になるのですが、残念ながらストリートビューで入ることができません。ネットにいくつか写真が上がっていますが、なんとも雰囲気のある路地。映画ではこの路地の風景は何も使われなかったわけですが、いったい小津たちはここで何を見ていたのか。これが今回の謎でした。でもその答えが見つかったんですね。それは次回に。

この丹花小路を抜けてまっすぐ南に下った5番目の場所がこのカットが撮影された米揚町(または米場町)。
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ちなみに小津たちが泊まった竹村旅館は海沿いの赤丸の場所。そこを囲むように歩いたことがよくわかります。

ところで、地図には丹花小路からは東に100mほど行った場所に黄色で☆印をつけています。ここには昔病院があったようです。この場所のことについてはまた改めて。
by hinaseno | 2016-09-26 13:17 | 映画 | Comments(0)