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Talks About Music, Books, Cinema ... and Niagara


by hinaseno
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「わしゃさんにょうがちごうた」


今日で8月も終わり。大瀧さんが生きていれば、この夏、まだアメリカン・ポップス伝を聴くことができたのかなとか、いや、アメリカン・ポップス伝にかわってブリティッシュ・ポップス伝がはじまっていたのかなとか、やはり考えてしまいます。

その大瀧さんの郷里は岩手県ですが、台風の被害が心配です。まだ震災の復興が不十分どころか手つかずのままの場所があちこちにあるはずなのに東京のオリンピックのために金も人もそちらにつぎこんで...。大瀧さんが目には見えない形でいろんな支援をされていたことを考えるとなんだか怒りすら覚えてしまいます。

ところで岩手県といえば宮沢賢治の郷里でもありますが、その宮沢賢治の誕生日が4日前の8月27日でした。生きていれば120歳。ということでいろんなイベントが各地で行われているようですが、賢治の郷里で大瀧さんの生まれた場所にも近い花巻の宮沢賢治童話村でも「宮沢賢治生誕120年イーハトーブフェスティバル2016」というイベントが開催されていました。賢治の誕生日当日には最も好きな映画監督の一人である岩井俊二さんと、一時期ピチカート・ファイヴに入っていたミュージシャンの田島貴男さんがゲストで参加されていたとのこと。そこで上映された岩井さんの「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」と「少年たちは花火を横から見たかった」は宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』が入り込んでいるんですね。「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」は夏に一度必ず見る映画です。
田島さんは賢治と何か縁があるんでしょうか。生まれは東京都大田区とのことですが。

さて、その宮沢賢治との関係が深いこともわかった岡山の熊山出身の詩人、永瀬清子さんは賢治の10年後に生まれたので今年生誕110年。永瀬さんと賢治のつながりでいえば、賢治が亡くなった翌年にあの「雨ニモマケズ」を記した手帳が発見される場に永瀬さんが同席されていたんですね。
で、うれしいことに今週の金曜日から熊山で「宮沢賢治のほとりで-永瀬清子が貰った「雨ニモマケズ」」と題された展示会が開かれることを知りました。講演会の日にもぜひ参加しようと考えています。

その永瀬清子さんの『短章集』には先日紹介した「日輪の山」以外にも宮沢賢治に触れる話がいくつも出てきますが、それとともに熊山近辺の、よく知った風景が出てきて楽しませてもらっています。
数日前に読んだ「地の人の声」にはいきなり「Uバス」が登場します。これは僕も何度か乗ったことのある宇野バスのこと。ただ、今は宇野バスは熊山まで走っていないようですね。いい話だったので長いですが全文引用しておきます。「市内」というのは岡山市のこと。

 Uバスは市内から遠い田舎の方へいくバスなので、座席のうしろの方などで大きな声でしゃべっている人が時々ある。
 顔も見えず姿も見えないのに、声だけきこえてバスの中の人がみんなくすくす笑ったりするのは、いかにも地の人の声と云った感じ。
 今日は野太いおじさんの声で
「むかいの××屋のおばあがとうとう死んでなあ」と云う。となりの人はぼそぼそと何か答えている。
「わしを呼びつけ(敬称なしの意)で小さい時からがみがみ叱りやがって、口やかましいばあさんじゃった。この間から湯水が通らんようになって、もうあかんと思うてからに、あばあの耳もとで
『おばあ、何か云い置くことはねえか』とわしが云うたとみんさい。おばあは小せえ声でひとこと、
『わしゃさんにょう(算用・計算の意)がちごうた』
と云やがった」。
 バスの中の人々がにやりとし、かすかな声でなにか笑ったような感じ。
 でもその笑いは会心の笑みと云うのでもなく、ただおかしいと云うのでもなく、何となく同類相あわれむようなほんの声なく笑いをみなその頬にうかべたような感じだったのだ。
 田舎の家へ着いてから私は隣のおばさんや向いの人に逢ったので、今のバスの中でのことを話したら、みんな同じように
「ほおん、そりゃほんまの事じゃ」とか「よう云うたのう」とか「かわいやのう」とか、みんなその見ず知らずのおばあさんに共感の意を表わした。
 人生の終りにあたって、自分の一生を省みれば、きっとしまいには楽になるだろうとの心づもりで、苦にみちた道程を働きつづけ、さて何の報いられる事もなく、苦闘の終らぬまに人生は済んでしまうのだ。
 それ位ならもうすこししたい事もするように望んだらよかった。楽しい事を知りたかった。人をゆるせばよかった……とさまざまの感慨が、単純なその言葉になって思わずほとばしったのだろう。
 意識も失せるまぎわなのに(自分はそろばんの計算をまちがえた)とさりげなくユーモラスに、具体的に、その痛切な内容を表現したおばあさんに田舎の人は誰も彼も信愛の情をそそいだのだ。
 所が私は又都会へ帰ってその話をした時にふしぎにも意味はちっとも相手に伝わらず、蓮の葉の上を露がころげるように、このことばはしみこまないのだ。
「へえ、何の算用をまちがえたの」とか、「なぜまちがえたんだね」とか、それが人生のすべてのもくろみ、予定、希望の意味だったことがさっぱり受けとれない。又その計算は、モータルである人間にはどうしてもまちがわずにいられない事なのがわからない。
 都会の人が人生をすべて計算通りすすめ得るとは限らないものを、その頭のわるさにはあきれるほかなかった。田舎の人なら身に引きくらべて、どんな人でも「なぜ」などときく人はいないのに。
 都会人というものがいきで敏感で、田舎者は勘がにぶく物わかりがわるいという通り相場は、私には到底信じられない嘘っぱちなのだ。

by hinaseno | 2016-08-31 11:37 | 文学 | Comments(0)