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by hinaseno
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「目にみえぬ大きな無道の前の小さな声、小さな歩幅」


先日、永瀬清子の家に隠れ部屋があることを紹介しましたが、『短章集』の昨日読んだところにその部屋の話が出てきたので紹介しておきます。
タイトルは「田植と不受不施」。このエッセイは読んでいて胸が熱くなりました。
永瀬さんという女性の素晴らしさ、人としての美しさがよく表れていてるので全文紹介しておきます。

田植と不受不施

 不受不施派と云う日蓮宗の中でも特別にきびしい歴史をもった私の家の宗旨は、三百年間の徳川時代を通じてご法度であった。「キリシタン不受不施信じる者一人も無之」と村おさは役人の前で読みあげていたと母は私に話した。
 自分たちの信仰を不当に政治の力で否定されたこの宗旨の人はかくれて信じかくれて祭り、見つけられれば僧侶は遠島申しつけられそこで死に、信者もろとも餓死して抗議した人もある。
 田舎の私の家にもそうした時代の法中(僧侶)をかくまうための窓のない部屋が残っている。
 私の精神の要素に、頑固、ひたむき、忍耐、潔癖などがあるとしたらそれはその古い人たちがくれたのかもしれない。ほかの女の人が美徳とすることにうとく、そうしたことに強いことも致し方のない理由があるのかも知れない。
 矢田と云う村ではかくまわれていた法中を捕方が探しだし引きたてていくとの報せがつたわるや、折から田植をしていた篤信の百姓衆はせべて苗をおっぽりだしてその難にはせつけた。その内の六人はついに四十キロの道を捕われた上人について岡山までいき、その不当を訴えようとしたが、共に捕われ打首に処せられた。
 戦後農婦になってからの私は、田植の最中と云うことがいかにのっぴきならぬ意味をもっているかを知った。田植水が来たら一日を争って植えるほかない。それは文字通り一家の一年の生活がかかっているのだ。苗をほうりなげてそのままついていった人々の胸の内をおそろしいまでに思った。しかも一年どころか再び帰れなかったのだ。そして家族は四散した。
 しかし、今年私が廻りトの田圃で一人苗をとっている最中、小瀬木の山の曲り角から赤や緑の旗をなびかせて、原水爆禁止の人々の一群があらわれた。
 それは歩いて東京での八月六日の大会に参加しようと、沖縄から九州のはてからはじまった行軍だったのだ。地域地域の人々もその行を応援しようと共に歩き、又ある者は東京までも一緒にいくのであった。
 みなすげ笠や巾広のつばの帽子をかぶり、その手にプラカードをにぎりその顔はすでに銅のように日焼けていた。
 私は何を考えるまもなく苗の束をほうり出して彼等の行列の方へ走っていった。役場の前で休憩の時、お茶の一杯も汲んであげたいと思ったからだ。助役が出てあいさつをした。
 けれどもそこで少休止の後再び出発した時、私の足はひとりでについて歩きだした。その時は苗のことも田植のことも忘れていた。私はだんだん一緒に歩いていきとうとう和気の町を過ぎ山を越して、瀬戸内海の片上までついていった。原水爆禁止の、沖縄を返せの歌がさまざまに歌われ、梅雨時の雨が何度も私たちをぬらした。
 あとから考えてその事は奇妙にさえ思われる。いつもとどきかねると思っていた六人衆の心が、その時はいつしらず、ぴったりと身近になっていた。いつもなら心にかかる筈の夕食の支度のことも思わず、自分の疲れやすいこと、明日の田植に困ること、その他一切が消えて、いま原水爆の恐ろしさを訴えなければ、訴える時は絶対にないかのように足が従ったのだ。
 あの歌声と赤い旗は、まだらの服を着た笛吹き(パイパー)が山のかなたへと子供を吸いよせたように私を連れていった。
 原水爆の灰が降ってくるなら百姓がつくる米はすべて犯される。そして子供たちもすべて犯される。不当な実験は次ぎ次ぎに行なわれていまここでやめさせなければ地球はだめになるのだと叫びたかった。
 藩主に百姓たちが命がけで訴えようとした。そのように、目にみえぬ大きな無道の前の小さな声、小さな歩幅をみせつけなければ私はいられなかったのだ――。


この日のブログから何度か紹介した片上まで歩かれていたとは。そういえば、この日、紹介した今村昌平の『黒い雨』が今日、NHK-BSで放送されます。片上も少しだけ映ります。

最後に大好きな「ハーメルンの笛吹き男」の伝説の話が出てきます(この伝説が実は史実に基づいたものであるという阿部謹也の『ハーメルンの笛吹き男』は何度読み返したことだろう)。

あの隠れ部屋は不受不施派の僧侶をかくまうための部屋だったんですね。
「目にみえぬ大きな無道の前の小さな声、小さな歩幅」_a0285828_1231794.jpg

「窓のない部屋」と書かれていますが、先日見たときには小さな窓がこんなふうにありました。
あとになってこしらえたんでしょうか。でも、この窓は「南」にあるので、ここから熊山は見えないはず。

最後に、これは昭和23年、熊山に暮らしていた頃の農婦姿の永瀬清子さん。美しい。
「目にみえぬ大きな無道の前の小さな声、小さな歩幅」_a0285828_1225286.jpg

by hinaseno | 2016-08-05 12:05 | 文学 | Comments(0)