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by hinaseno
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平川克美著『言葉が鍛えられる場所』(その3)


まず、はじめに。今日書くことは映画で言えば「ネタバレ」になる話なので御注意を。

『言葉が鍛えられる場所』の18(あるいは19)の章のうちで、どれか一つ好きなものをと言われたら、2番目の章の「『切なさ』をめぐって――二十年後のシンクロニシティ」をあげるだろうと思います。

ここで紹介されるのは詩人の言葉ではなく、平川さんが学生時代に毎年夏になると訪ねていた信州の乗鞍岳にある民宿を旅館を二十年ぶりに訪ねたときの話。そこを立ち去ったときに平川さんは帰りの車の中で「急に胸が締めつけられるような気持ちが込み上げて来て往生」します。ほとんど泣き出したいような気持ちに。
で、その気持ちを表現する言葉を考えたときに、それは「切ない」という言葉しかないと。これ以降、その民宿のある村は平川さんの中で「切ない場所」として登録されるようになったそうです。

改めて考えてみると、「言葉が鍛えられる場所」というのは「切ない場所」と言い換えてもいいのかもしれません。実際、この本には、平川さんが切ないという表現を使ってはいないけれども、やはり切ないというしかない言葉、風景がちりばめられています。

で、この章の最後に「なぜか切ない気持ちが込み上げてくるような気もする一篇」として次のような詩が紹介されます(実は、ネット上で書かれていたときには別の作品が紹介されていました)。
あとで、平川さんがこの詩に出会ったのが、まさに何度もこの「切ない場所」を訪れていた学生時代に出会った詩であったことがわかるのですが、それは別として、これは本当にいい詩です。

自転車にのるクラリモンドよ

目をつぶれ

自転車にのるクラリモンドの

肩にのる白い記憶よ

目をつぶれ

クラリモンドの肩のうえの

記憶のなかのクラリモンドよ

目をつぶれ
目をつぶれ

シャワーのような

記憶のなかの

赤とみどりの

とんぼがえり

顔には耳が

手には指が

町には記憶が

ママレードには愛が

そうして目をつぶった

ものがたりがはじまった
 


自転車にのるクラリモンドの

自転車のうえのクラリモンド

幸福なクラリモンドの

幸福のなかのクラリモンド
そうして目をつぶった

ものがたりがはじまった

町には空が

空にはリボンが

リボンの下には

クラリモンドが

カラフルで、音楽的で、そして不思議な詩。
「記憶」に何度も「目をつぶれ」と命じて、ようやく目をつぶったときに「ものがたりがはじまった」という言葉が出てくることの意味を考えてしまいます。

平川さんはこの詩を紹介する前にこう書いています。

「この詩を書いた人間は、どのような人生経験を経てきたのでしょうか。(後に、この詩人についてもう少し詳しく書くつもりです)」

実際には詩の末尾に詩人の名と作品名が記されているのですが(僕はその詩人を知りませんでした)、本文中ではこの詩人の名を明らかにしていません。

ちなみに僕はこの本を1日1章ずつ読んでいました。で、二日後、つまり一つ章をおいた4つめの章で、この本の中に紹介された言葉の中で最も心に突き刺さる言葉にぶつかります。

「どうぞ、ここにのべた内容の中で理解できるものは理解し、理解の困難なものは、そのままのかたちにしておいて下さい。自分の理解の領域にないものを、ただちに許すべからざる異質なものとして拒むという態度をおとりにならないで下さい」

この章では、この言葉以外にもいくつか詩の紹介がされるものの、「詩人」の名は明かされないまま、あるひとりの「詩人」の話が続きます。そしてようやく最後の最後で詩人の名前が明かされます。
「石原吉郎」

この詩人が、先程紹介した「自転車にのるクラリモンド」という詩を書いた人だとわかったときには鳥肌が立ちました。

ところで平川さんはこの詩人との出会いについてこんなことを書かれています。いうまでもありませんが、僕はこういう話が大好きです。

 まだ二十歳の頃だったと思います。わたしは、その詩人の詩集『日常への強制』を渋谷の宮益坂にある古書店で手に入れました。中村屋という古書店で、詩の本がたくさん並べられている珍しい店でした。詩集が並んでいるコーナーに、段ボールのケースに収まっている、黒い表紙の詩集がありました。正確には、詩と評論が一冊にまとめられた自作のアンソロジーのような本でした。詩は『サンチョ・パンサの帰郷』と『いちまいの上衣のうた』という、ふたつの詩集から抜粋されていました。その本をパラパラとめくっているうちに、ここには何か大変なことが書かれていると直感しました。

by hinaseno | 2016-07-10 12:29 | 文学 | Comments(0)