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Talks About Music, Books, Cinema ... and Niagara


by hinaseno
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吉田拓郎についてびっくりした3つめのこと


吉田拓郎がA面全曲をかいた太田裕美の『背中あわせのランデブー』を何度か聴きましたが、久しぶりに何度か聴いて気がついたのは、僕はある時期から1曲目の「失恋魔術師」よりも2曲目の「花吹雪」という曲の方が好きになっていたなと。軽いシャッフルビートのポップな曲。何も知らなければとても吉田拓郎の曲とは思えない(といえるほどに拓郎の曲を聴いてきたわけではないけど)。松本隆の詞もとてもいいです。
YouTubeに音源があったので貼っておきます。



さて、吉田拓郎についてびっくりしたことの3つめの話。大瀧さんにまつわる不思議な縁の話です。といっても大瀧さんと拓郎が直接につながったという話ではなく、もしも拓郎がいなければという話。

大瀧さんのソロの活動が実質的に始まるのは1973年1月。前年のまだ、はっぴいえんどに在籍していたときにソロアルバムを出していましたが、それはあくまで「話があったから」作っただけのこと。別にソロ活動を開始する意図があったわけではありませんでした。
そのはっぴいえんどが正式に解散したのは1972年の暮れ。
翌年1月に福生に引越し。その1月に、大瀧さんの言葉をそのまま使えば「大瀧詠一史的には大事件が起こ」ります。それが三ツ矢サイダーのCMの依頼。

今でこそ大瀧さんの曲は毎年何かの曲がCMに使われていますが、最近のCMで流れている曲はすべてある楽曲の一部を使ったもの。でも、昔はCM用に曲を書いていて、その曲を集めたレコードも出してもいます。
大瀧さんにCMの依頼が来た当時というのはCMの曲を専門につくる作曲家(三木トリローとか小林亜星とか)がほとんどのCMソングを作っていた時代なので、シンガーソングライターとしての活動をしているアーティストにCMの依頼がくるのはかなりめずらしいこと。大瀧さんのところにその話を持ち込んできたのが、当時まだできたばかりのONアソシエイツというCM制作会社。

その社長の大森昭男さんとサイダーなどのCMの作詞を手がけた伊藤アキラさんと音楽プロデューサー(当時は六文銭を担当)でONアソシエイツとも接点のあった牧村憲一さんの3人を招いての「Niagara CM Special」という特集が放送された1977年3月22日の「ゴー!ゴー!ナイアガラ」を昨年初めて聴いたのですが、これが興味深い話の連続で、その特集の冒頭、牧村さんの話の最初の最初に飛び出したのが吉田拓郎の名前でした。

「あの、吉田拓郎選手がフジカラーをやったでしょ。『Have A Nice Day』ね。その頃に、当時はっぴいえんどというグループがあって、そのときマネージャーだった石浦先生(石浦信三のこと)がいて。今、慶応でしょ? その方が「吉田拓郎がフジカラーなら、はっぴいえんどはサクラカラーをやりたい」という趣旨のことを言ったんですよ」

この話は大瀧さんも初耳だったようで「石浦が最初に言ったんですか?」と聴き返していました。かなりびっくりしたようです。
牧村さんの話はさらに続きます。


「それを僕は石浦さんから聴いたんですよ。なかなか面白いと。吉田拓郎は当時かなり人気が出ちゃって、はっぴいえんどは知る人ぞ知るという感じでしょ。で、ぜひ、これをやりたいと思ったんですよ。次に大森さんと知り合ったから資生堂のCMではっぴいえんどはないかなって言ったんですよ。資生堂ではっぴいえんどでやったら面白いんではないかと思って大森さんに話をかけて、それが資生堂ではなくサイダーに変わった。そのサイダーを持ち込むところが、ちょうどはっぴいえんどの解散とぶつかって...そういう噂が出て、大瀧氏がソロアルバムをちょうど作り上げた頃なんですよね。すごい面白い録音があるから大森さん聴いてくれと。確かテスト盤の段階で持ち込んだんですね」

ここで大森さんの話。

「はっぴいえんどというのはね、僕、噂に聞いてたの。あれは絶対聴くべきだと言われてたわけね。それとちょうどタイミングが合ったわけです」

それから再び牧村さんの話。

「今だから話せることだけど、(はっぴいえんどには)おもにライターが二人いるってことがわかったわけですよ。クレジットを見ると細野晴臣、大瀧詠一っていうのがだいたい作曲のメインになっていると。私はたいへん恥ずべきことだけど、当時、だれがだれだかわからない。まだ知識としては。曲と名前が一致しなかった。どういうタッチなのか全然わからなかったんですよ。それぞれの特徴として。そっからはっぴいえんどを全部さかさまに「3」「2」「1」と聴いて、なるほどと。それなりの差別というか違いがわかるようになった。そのときに折よく大瀧氏のアルバムが出たのでこれほどポップなことをできる人はいないから、プロモーションできるだろうと。それで大森さんにそのレコードはともかく、はっぴいえんどだけではスポンサー側に迷いが出るから、これを一緒に聴いてくれと。で、この段階で大瀧詠一選手にしようと。つまりはっぴいえんどはないんだから大瀧詠一さんに頼もうじゃないかということだったんです」

大瀧さんの音楽活動の歴史で絶対に無視することのできないCM活動のそもそものきっかけにあったのは吉田拓郎だったわけです。でも、ここにもいろんな偶然、たまたまがありますね。
というわけで、僕が先日作った『EIICHI OHTAKI Tracks』には大瀧さんが最初のサイダーのCMから10年後に作った最後のCMのための曲「CIder ‘83」と、『Niagara
CM Special Vol.2』のテーマ曲を入れました。

ところでこの日の特集では途中で大森さんの口からちょっと面白い話が。
大瀧さんの場合はスタジオで決められた時間内には曲をレコーディングできなかったという話になって、大森さんとしてはコマーシャルソングでもこだわり抜いていたということに敬服していたようですが、ただ周りの人は大変だったねということで、こんな話が出てきます。

「僕も会社、ONというのを始めたばかりで、そこにアシスタントディレクターと言うね、関口という若者が...」

この瞬間、全員が大爆笑。よほど大変なめにあっていたということをみんな知っているんですね。

「...若者がいるわけなんだけれども、で、彼、この仕事、入ってもらったはいいけどね、こんなに地獄攻めしてね、逃げ出しはしないかと心配したけれども。しかし頼まれていることで、スポンサーのためにやっているんだけど、そこから生まれてくる空気の中でさ、やっぱり自分自身が楽しかったしね、そういうことあったと思うのね」

この「関口という若者」についてこのあと、大瀧さんの口からシリア・ポールにからんだ関口さんとの不思議な縁のこと、例の関口さん作曲の「海の底でうたう唄」が紹介されます。

もちろんこの「関口という若者」というのはあの関口直人さんのこと。『昔日の客』の著者の関口良雄さんの息子さんですね。
僕もこれまでいろんな「縁」で驚いてきましたが、これを知ったとき程驚いたことはありませんでした。
by hinaseno | 2016-05-29 12:41 | 音楽 | Comments(0)