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by hinaseno
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市川の永井荷風と星野道夫


自分にとって大切な人が出会ったりすれちがっていたりするのを知るのも愉しいこと。今、一番考えているのは荷風と星野道夫がどこかですれちがっていたのではないかということ。

荷風は岡山の総社を離れて東京に向かいましたが、実際には東京に戻ることなくいくつかの場所を点々とし、結局住むようになったのは千葉県の市川。星野道夫が生まれた町です。
荷風が市川に住むようになったのは昭和21年。昭和34年4月30日に亡くなるまで市川に住み続けています。
星野道夫が生まれたのは昭和27年。7年間ほどの重なりがあります。ちょうど小学校に入学した頃に亡くなっています。

荷風が住んでいたのは市川市の菅野と八幡。一方星野が生まれたのは八幡。通っていた小学校は菅野駅の近く。
もちろん近所に住んでいてもそんなに外に出ない人間同士であればめったに出会うことはないのかもしれませんが、散歩好きの荷風は市川の町を連日歩いています。そして星野も子供の頃から自然が好きだったので外にはよく出ていたはず。

荷風が幼い星野に気がつくことはなかったはずですが、星野は家族などから荷風のことを聞いていたのでは、と思って星野の著作をいろいろ見てみましたが、荷風に触れるような話はありませんでした。
市川の子供時代のことについても今のところ見つかったのは『魔法のことば』という講演集の中に収められた「アラスカに魅せられて」と「二つの時間、二つの自然」と題された講演。
「アラスカに魅せられて」はまさに星野の生まれた市川市の動植物園で行われた講演。そこで少しだけ子供の頃の話をしています。

 僕は平田小学校を出ているんですが、市川で生まれて市川で育ったんです。
 僕の家は本八幡駅前なんですけれども、僕が育った頃は現在のようにいろんなものがなくて、当時は畑に囲まれていたような所でした。ただ、市川といってもやっぱり東京に近いし、田舎育ちではなかったことが却って自然に魅かれていったひとつの原因のような気もします。
 子どもの頃を振り返ってみると、最初に「自然ってすごいな」と思ったのは「チコと鮫」という映画を観たときです。昔、小学校の四、五だったと思いますが、本八幡駅前に映画館があって、チャンバラ映画が好きでよく観に行っていたんです。
 そしてあるとき「チコと鮫」を観たんですね。たぶんものすごく古い映画なんですけれども、南太平洋のタヒチを舞台にした、チコという現地の少年と鮫の物語でした。その映画がすごく印象に残っていて、何が印象に残ったかというと、その映画の中に何度も出てくる南太平洋のシーンなんです。
「こんな世界があったのか」と、それまでチャンバラ映画ばかり観ていたのが急にそういう世界に魅せられて、すごくショックを受けたのを今でも覚えています。


市川での荷風と星野のことについていろんな想像をめぐらしていたときに見つけたのがこれでした。

荷風や星野だけでなく幸田露伴、幸田文父娘、あるいは成瀬巳喜男の『おかあさん』などの脚本を手がけた水木洋子の暮らしていた風景を地図に表したもの。これには興奮しました。
星野の家から北に向かえばそこは荷風の散歩道。ぜったいにどこかですれちがっていそうです。
あるいは荷風が亡くなる直前まで通い続けた大黒屋という食堂も星野の家までは300mほどの距離。もしかしたら星野の家も何度か大黒屋に行っていたかもしれません。

これは荷風の亡くなった年の3月から4月にかけての『断腸亭日乗』。
「大黒屋」の名がずらっと並んでいます。
荷風が暮らしていた風景のすぐそばに6歳の星野少年が暮らしていたんですね。
市川の永井荷風と星野道夫_a0285828_12551972.jpg

by hinaseno | 2016-05-18 12:55 | 文学 | Comments(0)