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by hinaseno
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旅をする”本”


星野道夫の『旅をする木』の「アラスカとの出合い」の最後の「人生はからくりに満ちている。日々の暮らしの中で、無数の人々とすれ違いながら、私たちは出会うことがない。その根源的な悲しみは、言いかえれば、人と人とが出会う限りない不思議さに通じている」という言葉をかみしめる日々。
偶然に出会うということができた裏には無数の「すれ違い」があるということ。人や本や、その他いろんな物事との出会いを含めて、もう少し早ければ、あるいはもう少し遅ければ、出会うことなくすれ違っていたわけで、すれ違っていたことすら気がつかない。

先日の夜、テレビをたまたまぽっとつけたら星野道夫の『旅をする木』の文庫本が映ってびっくり。ブログで紹介しながらいくつかのエッセイを読み返したばかりだったので。
運のいいことに番組は始まったばかりで、あわてて録画もしました。

画面に映った、表紙も取れ、ぼろぼろになった『旅をする木』の文庫本、よく見ると「木」に横線が一本書き加えられて「本」になっていました。番組のタイトルは「”旅をする本”の物語」。
旅をする”本”_a0285828_136596.jpg

最初の持ち主が「この本に旅をさせてやってください」と本に書いて、旅に出る知人に手渡したり、あるいは旅先の古本屋で本を発見した人がそれとともに旅をし、さらにまた旅をする知人に手渡す。そしてそれぞれの人がその文庫本に自分の名と旅をした場所を記録していく。
その全員を確認できたわけではなかったようですが、確認をとれた人それぞれのその本にまつわる物語があって、それがどれも心打たれる話ばかり。とてもいい番組でした。

ところで番組でも紹介されていましたが、星野道夫の作品のタイトルにもなっている「旅をする木」というのは、星野道夫の愛読書『極北の動物誌』の最初の章に載っている星野が「宝物のように大切にしていた」話。
星野はその物語をこう紹介しています。もちろん僕も宝物のように大切にしている話です。

それは早春のある日、一羽のイスカがトウヒのい木に止まり、浪費家のこの鳥がついばみながら落としてしまうある幸運なトウヒの種子の物語である。さまざまな偶然をへて川沿いの森に根づいたトウヒの種子は、いつしか一本の大木に成長する。長い歳月の中で、川の浸食は少しずつ森を削ってゆき、やがてその木が川岸に立つ時代がやって来る。ある春の雪解けの洪水にさらわれたトウヒの大木は、ユーコン川を旅し、ついにはベーリング海へと運ばれてゆく。そして北極海流は、アラスカ内陸部の森で生まれたトウヒの木を、遠い北のツンドラ地帯の海岸へとたどり着かせるのである。打ち上げられた流木は木のないツンドラの世界でひとつのランドマークとなり、一匹のキツネがテリトリーの匂いをつける場所となった。冬のある日、キツネの足跡を追っていた一人のエスキモーはそこにワナを仕掛けるのだ……一本のトウヒの木の果てしない旅は、原野の家の薪ストーブの中で終わるのだが、燃え尽きた大気の中から、生まれ変わったトウヒの新たな旅も始まってゆく。

このようなことは自然の世界ではあたりまえのように無数に存在するはず。でも、いくつもの偶然が重なって旅を続けるトウヒのことを考えると、それがまるで奇跡のような物語に思えてしまいます。

「”旅をする本”の物語」では、いくつかの本のつながりは手渡しであったり郵送で贈ったりという形がとられているようなので、すべてが偶然とはいえないのかもしれませんが(でも、それぞれの人のつながりにはいろんな偶然があったことは言うまでもありません)、一番興味深かったのはタイのバンコクの古本屋でこの本を見つけた人。
そもそも日本の古本屋だったら、表紙も取れていて、落書きだらけで、しかも背表紙の「木」を「本」と書き変えているような本を買い取ったりすることはまずありえません。
ただで引き取ったとしても店頭に並べることはなさそう。

でも、それが海外の書店に並べられ、そして、それを見つけて手に取った人がいたんですね。
その男性は大学院時代にタイに留学していたとき、何度か立ち寄っていた書店でたまたま見つけたとのこと。手に取ったときには『旅をする木』が『旅をする本』になっているとは気がつかなかったそうです。

そして彼は、あるひとりの日本の女性にその本を送ります。きっと彼女ならその遊びを楽しんでくれるだろうと。
それが田邊優貴子さんという女性。現在は生態学者として南極を中心に活動している彼女の物語がこの番組のメイン。

彼女はもともと星野道夫の大ファンで、すでに『旅をする木』を持っていました。でも、送られてきた小包の中にあった本を見て驚きます。
それを手に入れたときの気持ちを彼女はこう語ります。いい言葉です。
「いろんな人がこれをいろんな所に持って行って、いろんな思いの中で、偶然ここにやってきたんだということの奇跡にすごく感動した」と。
で、彼女はその本をつれて南極に二度行きます。
旅をする”本”_a0285828_137815.jpg

番組ではこの後、彼女の生い立ち、星野道夫との最初の出会いが語られます。
彼女はある日、自分自身にいつか訪れるかもしれない病気のことを知り、死ぬことの恐怖と向き合うことになります。そして、生きることの意味を考えている中で星野の本と出会います。

番組の中で田邊さんは彼女の持っている『旅をする木』(単行本)を取り出し、あるページを開きます。そこには「全て」という付箋が貼られている。その文章の全てが好きだということ。それがあの「十六歳のとき」。
旅をする”本”_a0285828_1392637.jpg

で、彼女はその出会いから間もなくアラスカに行きます。僕が星野の本を貸した少年と同じように。
その2週間の旅の最後の日に、彼女は一人佇んで目の前に広がる大自然を眺めていたとき、突然、体全体がゾクゾクとしはじめ涙があふれ出したとのこと。見ていた僕の方も体がゾクゾクしてしまいました。

調べてみたら彼女は『情熱大陸』にも出られていることがわかりました。YouTubeにもアップされていますね。本もいくつか出されているようです。
本当に魅力的な女性でした。

星野道夫という人間が落とした幸福な種子は、いろんな形で成長し、いくつもの素敵な旅をしているようです。
by hinaseno | 2016-05-16 13:09 | 文学 | Comments(0)