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by hinaseno
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荷風の総社を歩く、走る(最終回)


荷風の総社を歩く、走る(最終回)_a0285828_13173549.jpg

何もないことがわかっていてもやはりその場所に行ってみることに迷いはありませんでした。総社を訪れた一番の目的は以呂波旅館だったので。
時間のこと、距離のことを考えて走ればぎりぎり間に合うかと。

というわけで走って数分でその場所に。このあたりに以呂波旅館がありました。
荷風の総社を歩く、走る(最終回)_a0285828_13175327.jpg

場所は総社高校のすぐ前。向こうに見えるのが高校の校舎。
そういえば大学時代の同級生の女の子が総社高校出身だったなと。ちょっと松田聖子に似た感じだったので少しだけ想いを寄せていました。
総社高校では国語の授業などで、目の前に見えたはずの建物を指さして、あそこに永井荷風という人が少しの間だけいたんだよという話なんかをしていたんでしょうか。あるいは総社に関することが書かれている『断腸亭日乗』の8月27日から31日にかけてのものを読ませていたんでしょうか。

なんてことを思い浮かべたのは家に戻って数日経ってからのこと。そんな心の余裕など全くなく、写真を撮った後は総社駅までの激走。スマホのナビを見ると、少々のスピードの走りではとても間に合わない時間になっていました。
荷風もきっと歩いたはずの町並みをゆっくり眺めることなく走り抜けました。
駅に到着し、ホームの階段を下りるときには発車のベルがなっていました。

列車に乗り込んで次の清音駅で乗り換え。
昭和20年の荷風の世界から、ほんの数分で一気に大正6〜11年の木山捷平の世界へと入り込みました。さらにはそのあと、足の痛みをこらえながら昭和18年の木山捷平の世界に入っていったわけです(木山捷平の『酔いざめ日記』を調べたら、昭和18年に木山捷平が国勝寺などを訪れたのは今日と同じ5月14日)。

昭和20年の荷風の世界から昭和18年の木山捷平の世界までの距離は直線で10km余り。でも、残念ながらこの二つの世界がもっとも近づいた場所であったはずの吉備真備駅あたりまでは足の痛みがひどくて辿り着くことができませんでした。
一応地図で。右上の赤丸が昭和20年の荷風の世界。その下の紫の四角が清音。左の青丸が大正6〜11年の木山捷平の世界。そしてその横のオレンジ色の丸が昭和18年の木山捷平の世界。
荷風の総社を歩く、走る(最終回)_a0285828_1319296.png

まあ、歩いて行くにしては欲張り過ぎでした。
でも、何度も言うように、このおかげで世田谷ピンポンズさんと会うことができ、木山捷平の曲が生まれたのだから、人生はからくりにみちています。

ところで、荷風もからくりに満ちた人生に翻弄されて総社までやってきたわけですが、総社に滞在していたのは4日間ほど。東京に帰る切符が手に入るまで滞在するつもりでした。
総社にやって来た翌日の8月28日の日記には「早朝村田氏に案内せられてあたりを歩む」と書かれているので、少しは総社の町を歩いたようです。どのあたりを歩いたんでしょうか。
29日には切符を手に入れて(『日乗』には「 ツーリストビユーローの事務員に面会し、金子一包を贈り、東京行二等の切符を手にすることを得たり」と書かれています。前日の日記にも「地獄の沙汰も金次第」と)、8月30日に東京行きの汽車に乗ります。

8月31日の日記にはこんな言葉。

「終日車中にあり。総社町以呂波旅館のつくりし握飯、岡山の媼より貰ひたる奈良漬を食ひ葡萄汁に咽喉を潤す。美味終生忘れまじと思ふばかりなり」

この「媼」は荷風の下宿していた三門の家の近所に住んでいた大熊世起子さん。この人のことは以前紹介しましたね。もう少し調べようと思ってそのままになっています。
by hinaseno | 2016-05-14 13:20 | 文学 | Comments(0)