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by hinaseno
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荷風の総社を歩く、走る(その2)


荷風の総社を歩く、走る(その2)_a0285828_133954.jpg

勝山に疎開していた谷崎潤一郎に会った後、荷風は伯備線で岡山に戻る途中の汽車の中で終戦を迎えます。実際に終戦を知ったのは下宿していた三門の家に戻ったとき。終戦を知り一刻も早く東京に戻ろうとしますが、東京に戻る切符を手に入れることができない日々が続きます。
そんな中、この日のブログでも書いた通り、東京にいるときから親しい関係にあり、偏奇館が焼失して以来ずっと行動を共にし続けて岡山の三門でも同居していた菅原明朗と永井智子夫妻の関係が悪化。ついには一緒に暮らせないということになって、荷風は総社に行くことになります。東京に帰れるようになるまでの日を過ごすために。

総社にいったのは昭和20年8月27日。その日の『断腸亭日乗』。

晴、三門町の寓居には同宿人との関係追々日を経るに従ひいとはしき事の多くなりたれば、未明に岡山駅に至り汽車切符を購ひ、午後吉備郡総社町の旅館以呂波に至る、戦争以来日本国中旅館は大小に限らず戸を閉して客をことはるが例なれど、総社町の以呂波と云ふは二三個月前より其主人東京よりの避難者某氏等と心安くなりし事あり、目下村田武雄氏の一家泊り居れば余も赴きて暫く逗留せむと思へるなり

荷風が総社で泊るようになったのは「以呂波(いろは)旅館」。
僕が総社に立ち寄った最大の目的はこの以呂波旅館を調べることでした。結果的にはこの以呂波旅館のために足を...。
『日乗』に書いているように以呂波旅館には知人の村田武雄の家族が滞在していました。知人といっても知り合ったのはふた月前の6月23日。岡山市が空襲を受ける1週間ほど前に菅原明朗の紹介で村田武雄に会います。場所はもちろん岡山市内。戦後は音楽評論家として活動していることからもわかるように村田武雄は菅原明朗と音楽関係の知人だったんでしょうね。菅原明朗の音楽関係のつながりのあった宅孝二というピアニストも岡山に疎開していました。

さて、岡山駅から総社に向かった荷風。乗ったのは今も走っている吉備線。途中の風景をこう記しています。

総社町は岡山より汽車四十分ばかりの西方、田園の景色しづかなる処に在り、人口二三千人と云ふ、鉄路岡山より三門、大安寺、一宮、吉備津、高松、足守、服部の諸駅を過ぐ、一宮および吉備津には老松深き処に名高き神社あり、又高松の丘陵にはむかし豊臣秀吉の為に水攻めにせられし古城の廃址わづかに存すると云、沿道の眺望、右手は山、左手は曠然たる水田にて三門町郊外にて見る処に似たれど山の姿行くに従ひ次第にやさしくなりて、時には京都東山の姿よりも更に佳しと思はるゝ処もあり、足守と服部といふ駅の間に小川二流あり、日でりにて水涸れ白き砂に野草の花の点々とさけるを見る。

ちなみに川本さんの「東京つれづれ日誌」にも紹介されていた『問はずがたり』には主人公が総社に帰省するときの風景をこう描写しています。8月27日の『日乗』をもとにして書かれていることがよくわかります。

 西の方総社と呼ばれる町をさして、極めて速力の鈍い旧式の支線列車は、岡山の町を出るが否や備前備中の二国にひろがる明い沃野の唯中に僕の身を運んで行く。今更言ふまでもなく、旅行好きの人は一ノ宮、高松、吉備津などゝいふ町や村の散在してゐる松の多い丘陵の風景の、いかに明媚であるかを知つてゐるだろう。北方の空を限る長い連山の麓から南の方面一帯、瀬戸内の海岸までひろがつてゐる中国筋の沃野は、今しも麦の収穫を終つて稲の植付けに忙しい最中であった。二筋三筋この地方を貫き流れる河川から、縦横に幾筋となく導かれる灌漑用の溝渠には、早苗を積んだ田舟が水の流れに従つて、白壁づくりの農家の軒下を往復し、天鵞絨のような藺草の青さは、洗つたやうな砂道の白さに強烈な色の対照を示してゐる。
 僕の生れた家はかういつた平野の真中に立つてゐる小さな停車場からまたもやバスに乗換えて十五分ばかり樟と松との森林に蔽はれた山際に並んで、いづこも白壁の塀を繞らしてゐる人家の中の一軒である。

途中の風景のことについては以前に何度か紹介しましたが改めて。
『日乗』に「一宮および吉備津には老松深き処に名高き神社あり」と書かれていますが、この一宮にあるのが吉備津彦神社、吉備津にあるのが吉備津神社。
吉備津神社の本殿は比翼入母屋造と呼ばれる本当に美しい建物。遠景も素晴らしいものがあります。昔撮った写真がどこかにあるはずですが見当たらなかったのでネットからお借りしました。
荷風の総社を歩く、走る(その2)_a0285828_14173725.png

吉備津神社のことは以前も紹介した通り、成島柳北の『航薇日記』にも、あるいは上田秋成の『雨月物語』にも出てくるので、荷風はよく知っていたはず。

というわけで僕も超久しぶりに(何十年ぶりだろう)吉備線に乗って総社に向かいました。
by hinaseno | 2016-05-10 14:19 | 文学 | Comments(0)