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by hinaseno
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荷風の総社を歩く、走る(その1)


荷風の総社を歩く、走る(その1)_a0285828_13395019.jpg

昨日紹介した、世田谷ピンポンズさんと輪佳さんに初めてお会いした日のブログ、自分で書いていながらなかなか興味深いものがありました。僕がおひさまゆうびん舎で開かれていた小山清展の最終日に行くことになったのは、その10日ほど前に木山捷平ゆかりの地である矢掛に行った後遺症があったからだったんですね。
矢掛に行ったときのことを書いた「早春の小田川」という長い話の最初でこんなことを書いていました。昨年3月27日のブログ

というわけで、昨日休みが取れたので矢掛に行ってきました。歩いたのはおもに小田川流域。有名な矢掛本陣は横目で通りすぎただけ。
それにしても昨日一日本当によく歩きました。家に帰って歩いた距離を調べたらなんと20kmを超えていました。歩数にして28000歩。いや、途中で走ったところもありました。

矢掛に行く前に荷風が滞在した総社に途中下車しましたが、その話はまた改めて。たまたま立ち寄った場所で、偶然にも総社での荷風を調べられている人にお会いしていろいろと話をうかがったりしているうちに予定時間をオーバーしてしまい、そこから総社駅まで2km近くの距離をかなりの速度で走ることに。乗る予定の列車にぎりぎり間に合いました。木山さんの言葉を少し借りれば、”走ったから遅れなかった”でした。でも、ここで走ったことが最後にこたえました。

靴も履けないくらいの足の痛みの最大の原因になったのは矢掛に行く前に立ち寄った総社でかなりの距離をかなりの速さで走ったため。日頃5kmくらいは走っているので距離は問題なかったのですが、靴が運動靴ではなく革靴だったので、あとでひどいことになったんですね。でも、世田谷ピンポンズさんにお会いすることができたのは、ここで走ったおかげともいえるので、災い転じて福というか、やっぱり人生というのは本当にからくりに満ちています。

ところで、その日のブログで、僕は総社で途中下車した話を「また改めて」と書いていたのに、なんだか書くタイミングをなくしてしまって今日まで来てしまいました。
でも、最近、実はちょっといい話が。

『東京人』で川本三郎さんが「東京つれづれ日誌」というエッセイを連載しているのですが、そのエッセイの前月号のタイトルがこれ。
荷風の総社を歩く、走る(その1)_a0285828_931525.jpg

もう、びっくり仰天。川本さんが最近岡山にみえられていたんですね。いったいどこに来られたのかとわくわくしながら読んだら、なんとそこは総社。しかも川本さんが下車されたのは清音駅!
先程紹介した日のブログで書いている通り、ようやく乗ることのできた電車で向かったのが清音駅。ここで矢掛に向かう井原鉄道に乗り換えたんですね。
木山捷平のことを調べるときにいろんな資料を送っていただいた清音読書会のNさんがお住まいなのもこの清音。
改めて思いますが、清音ってなんて美しい地名なんだろう。

川本さんは清音と総社についてこんな話を書かれています。横溝正史のことは知りませんでした。

 高梁からの帰り、同じ伯備線の清音駅で降りてみた。倉敷の隣りの駅だが、木造の小さな駅舎で、駅周辺には、まだ昭和三十年代の懐かしい町並みが残っている。
 横溝正史は神戸の生まれだが、母親は清音の出身。その縁で戦時中、このあたり(現在の倉敷市真備町岡田)に疎開した。
 そこでの生活が気に入り、横溝は、昭和二十一年に、岡田村を舞台に『本陣殺人事件』を書く。金田一耕助初登場の作品。
 横溝正史ゆかりの地だからだろう。駅前には金田一耕助の顔出し看板が置かれている。可愛い。駅前の小さなパン屋には、横溝正史と、この町の関わりを書いた小冊子が売られている。そこに『本陣殺人事件』ウォーキングマップが載っていて、作品の舞台となった場所が克明に記されている。
 この小冊子にはさらに、昭和二十年の終戦直前の八月十三日に、永井荷風が疎開先の岡山市から、勝山に疎開していた谷崎潤一郎を訪ね、そのあと、八月十五日の終戦の日、再び伯備線に乗って岡山に戻ったことが記されている。どこかで荷風と横溝正史はすれ違っていたかもしれない。
 清音駅の隣り(高梁側)は総社駅。こちらは大きな駅。総社市はあまり語られてないが、荷風が訪れたことのあるところ(当時は、総社町)。
 岡山市で終戦を知った荷風は混乱のなか、東京に戻ることになるのだが、このとき、八月二十七日から二十九日まで、総社の旅館に滞在している。
 散歩好きの荷風のことだから、短期間とはいえ総社の町を歩いたのだろう、終戦直後に書かれた小説『問はずがたり』は、長く東京で暮していた主人公が、最後、故郷の町へ帰り、隠棲するところで終っているが、この町が総社に設定されている。一度ゆっくり歩いてみたい。

この日川本さんは津山、勝山(おおっ!)、備中高梁を旅した帰りで、総社にはあまり滞在する時間がなかったようで、おそらく歩かれたのは清音駅の周辺だけだったようです。最後は「一度、ゆっくり歩いてみたい」という言葉で終わっているので、また来ていただける日を僕も楽しみにしたいです。

ということで、一年以上の歳月が流れてしまいましたが、ほんの一時間あまりの総社探訪の話を。かなり忘れてしまっているけど。

昨年の3月26日のことです。
by hinaseno | 2016-05-08 09:31 | 文学 | Comments(0)