先日の水曜日、2015年10月21日はわが愛する映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の「パート2」で、マーティ(マイケル・J・フォックス)が行ったのがまさにこの日。30年前の映画の「未来」がやってきたわけですね。日本でも海外でもかなり盛り上がっていました。この日に備えていろんなものが準備されていたようです。
でも、個人的には1985年当時の30年後の未来であった2015年よりも、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の「パート1」で行った30年前の1955年の方がやっぱりわくわくします。ジョン・フォードの『太陽は光り輝く』が公開された2年後。
もしタイムマシーンがあれば、僕はやはり圧倒的に過去のいろんな時代に行くでしょうね。
さて、その2015年10月21日、デロリアンではなく普通の車でとある場所で開かれていた古書展に行きました。結局向かったのは「過去」ですね。
昨日紹介した『キネマ旬報』とともに手に入れた本は2冊。今日はその1冊を。
更科源蔵の『北海道・草原の歴史から』( 1975年 新潮社)。「草原」は「くさはら」と読むようです。
最初に「父と母と、名もなく北海道の土になった開拓者たちに捧げる。」との言葉があるとおり、更科源蔵が北海道で出会った名もなき開拓者たちの19の話が綴られています。
更科源蔵は木山捷平が東京にやって来たときからの友人で、木山さんが晩年に何度か北海道を訪ねたときには必ず更科源蔵に会っていました。
『北海道・草原の歴史から』をぱらぱらめくってみましたが、木山さんのことが出てくる話はなさそう。でも、歴史書ではあまり知ることのできない北海道の開拓の小さな歴史をいくつも知ることができそうです。ぱらっとめくって目に入った言葉もへえ〜っと思えるものでした。
ところで、本を開いていたら新聞の切り抜きがぱらりと。ときどきこういうことがありますね。何だろうと見てみたら、更科源蔵が死亡を伝える記事でした。この本を持っていた人はきっと更科源蔵のことを愛していたんでしょうね。
その記事には25日に亡くなったとしか書かれていなかったので調べてみたら、更科源蔵が亡くなったのは1985年9月25日のことでした。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』で、マーティが過去や未来に行ったひと月ほど前に、更科源蔵は別の場所に旅立っていたわけですね。でも、彼はきっと今も北海道のコタンにいるはず。
でも、個人的には1985年当時の30年後の未来であった2015年よりも、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の「パート1」で行った30年前の1955年の方がやっぱりわくわくします。ジョン・フォードの『太陽は光り輝く』が公開された2年後。
もしタイムマシーンがあれば、僕はやはり圧倒的に過去のいろんな時代に行くでしょうね。
さて、その2015年10月21日、デロリアンではなく普通の車でとある場所で開かれていた古書展に行きました。結局向かったのは「過去」ですね。
昨日紹介した『キネマ旬報』とともに手に入れた本は2冊。今日はその1冊を。
更科源蔵の『北海道・草原の歴史から』( 1975年 新潮社)。「草原」は「くさはら」と読むようです。
最初に「父と母と、名もなく北海道の土になった開拓者たちに捧げる。」との言葉があるとおり、更科源蔵が北海道で出会った名もなき開拓者たちの19の話が綴られています。
更科源蔵は木山捷平が東京にやって来たときからの友人で、木山さんが晩年に何度か北海道を訪ねたときには必ず更科源蔵に会っていました。
『北海道・草原の歴史から』をぱらぱらめくってみましたが、木山さんのことが出てくる話はなさそう。でも、歴史書ではあまり知ることのできない北海道の開拓の小さな歴史をいくつも知ることができそうです。ぱらっとめくって目に入った言葉もへえ〜っと思えるものでした。
「北海道に富山県の人が多いのも、この薬屋さんが隅から隅までくまなく歩いて、そのよい土地を探しては故郷の人たちに宣伝したからである、」
ところで、本を開いていたら新聞の切り抜きがぱらりと。ときどきこういうことがありますね。何だろうと見てみたら、更科源蔵が死亡を伝える記事でした。この本を持っていた人はきっと更科源蔵のことを愛していたんでしょうね。
その記事には25日に亡くなったとしか書かれていなかったので調べてみたら、更科源蔵が亡くなったのは1985年9月25日のことでした。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』で、マーティが過去や未来に行ったひと月ほど前に、更科源蔵は別の場所に旅立っていたわけですね。でも、彼はきっと今も北海道のコタンにいるはず。