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by hinaseno

1995年の大瀧詠一(その3)


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昨日紹介した2002年の新春放談では、こんなやりとりがありました。
山下:やっぱり、ポテンシャルの大きいヤツにどんどん流れていく。
大瀧:オレはね。元々そういうヤツだよ。自慢じゃないけど。

もし今、大瀧さんが生きていれば、きっと日本ハムの大谷君を熱狂的に応援しているだろうなと思います。出身も大瀧さんと同じ岩手県(生まれた場所もそんなに離れていないようです)。右投げ左打ちというのも大瀧さんと同じ。さらに言えば7月生まれというのも。
僕は松井が引退して以来、野球への興味がすっかりなくなってしまっていたのですが、今年になって(正確にいえば昨年暮れにテレビで見たダルヴィッシュと大谷との対談)から大谷君を応援するようになって、彼が投げた日のスポーツニュースは必ず見るようになりました。なんたって名前が「ショウヘイ」ですからね。木山捷平ファンとしてはほっておけません。大谷という名前も大瀧とかなりかぶります。

ただ、大瀧さんと僕(あるいは一般人)とでは同じファンといっても、熱の入れ方が違います。大瀧さんがある選手をこれと見定めた場合、放映されたものは全試合録画。行ける限りは球場に足を運ぶ。そしていろんなことを調べ尽くす。とても真似できません。

さて、大谷君が生まれたのは1994年。この年、野球界では大きな出来事がいくつかありました。特に大瀧さんにとって。大瀧さんの1995年を考えるには、その前年の1994年のことを考えておかなくてはなりません。すべては1994年に始まっていたと言ってもいいかもしれません。

大瀧さんと野球といえばなんといっても長嶋さん。エルヴィス・プレスリーと長嶋茂雄というのが大瀧さんにとっての最大のアイドルでした。その長嶋さんがジャイアンツの監督に復帰したのが1992年の暮れ。復帰が決まって間もない時期に開かれたドラフト会議で松井秀喜を引き当てます。復帰初年度の翌93年は3位に終わりますが94年は、かの「国民的行事」と言われた優勝決定戦で勝利して優勝。そして日本シリーズでは監督となって以来ずっと負け続けていた宿敵西武を破って初の日本一になりました。大瀧さんが熱狂したことは容易に想像ができます。そしてこの出来事が冬眠状態であった大瀧さんに火をつけたのも確かなようです。
相当に重い状態になっていた腰を上げさせたわけです。

ただ長嶋さんとは別にもう一つ、大瀧さんに大きな影響を与えたはずの出来事が1994年の暮れに起こります。
by hinaseno | 2015-08-20 12:17 | ナイアガラ | Comments(0)