成瀬巳喜男の『秋立ちぬ』をようやく見ることができて、久しぶりに『東京人』の大瀧さんと川本三郎さんの対談を読み返しました。お二人が語られていることを映画で確認するという夢がようやく実現したわけです。
『秋立ちぬ』という映画を見て思ったのは、川本さんの『銀幕の東京』をもとにして、さらにいくつもの偶然が重なって大瀧さんは『秋立ちぬ』と、同じ築地を舞台にした『銀座化粧』の研究をはじめたわけですが、きっと映画そのものにも強く惹かれていたにちがいないだろうなと。
昭和35年公開の『秋立ちぬ』の主人公の少年は小学校6年生。まさに大瀧さんと同い年なんですね。さらにいえば母一人子一人の母子家庭であること。引越し。野球ファン(ジャイアンツの帽子をいつもかぶっています)。いくつも大瀧さんと重なる部分があります。こういった要素が大瀧さんを惹きつけないはずがありません。
さて、その対談で大瀧さんはこんなことを語っています。
この言葉を読んではっと気がついたのは、今、まさに僕が書き続けている木山捷平の昭和2年の「秋」と昭和8年の「秋」という詩も6年間という時間と、姫路と東京という場所を隔てて「シンメトリックな構造」になっているということでした。僕も木山さんの視線で85年後の姫路を歩いた結果わかったことですが。
どちらもテーマは「友」と「秋」。それだけではなく、偶然にしてはできすぎている言葉の重なりがあります。
改めて詩を並べておこうと思います。
まずは、昭和8年に書かれた「秋」。
それから昭和2年に書かれた『野人』に掲載された「秋」。『野人』は姫路市南畝町288にあった大西重利の家で発行されたものでした。
で、2年後の昭和4年に出版された『野』に掲載された「秋」。このときに「大西重利に」との言葉が添えられます。「あつい番茶をのませてくれる」が「くれた」と過去形になっています。
そして木山さんと同じ視線であちこちを歩かなければ絶対に気づけなかったはずのこの「友の秋」という詩。大西重利と娘の「さと子」さんが登場する詩です。やはり昭和2年に書かれたもの。
「下駄」をはいて「郊外」を歩く「友」の姿。昭和8年の「秋」と見事なほどにシンメトリックな構造になっています。
そういえば「野長瀬正夫君と私」の最後にはこんな話が書かれています。
昭和8年の「秋」に描かれた友、野長瀬正夫は、木山さんが家に訪ねて行ったら「どこで手に入れたか知れないコーヒー茶碗」で「彼の煎じたコーヒー」をご馳走してくれたんですね。
昭和2年の友、大西重利が「口のこはれた湯呑であつい番茶をのませてくれた」のと似た風景がここにもあります。
まさにレコードのA面とB面のような風景。
『秋立ちぬ』という映画を見て思ったのは、川本さんの『銀幕の東京』をもとにして、さらにいくつもの偶然が重なって大瀧さんは『秋立ちぬ』と、同じ築地を舞台にした『銀座化粧』の研究をはじめたわけですが、きっと映画そのものにも強く惹かれていたにちがいないだろうなと。
昭和35年公開の『秋立ちぬ』の主人公の少年は小学校6年生。まさに大瀧さんと同い年なんですね。さらにいえば母一人子一人の母子家庭であること。引越し。野球ファン(ジャイアンツの帽子をいつもかぶっています)。いくつも大瀧さんと重なる部分があります。こういった要素が大瀧さんを惹きつけないはずがありません。
さて、その対談で大瀧さんはこんなことを語っています。
登場人物の視線でその世界を歩く、約五十年、六十年後の東京を歩いた結果、この二作品は約十年という時間を経て、レコードでいうならばA面とB面、続編でもあり姉妹編でもあることがわかりました。「母ひとり子ひとり」という同じ設定のほか、さまざまなところでシンメトリックな構造になっています。
この言葉を読んではっと気がついたのは、今、まさに僕が書き続けている木山捷平の昭和2年の「秋」と昭和8年の「秋」という詩も6年間という時間と、姫路と東京という場所を隔てて「シンメトリックな構造」になっているということでした。僕も木山さんの視線で85年後の姫路を歩いた結果わかったことですが。
どちらもテーマは「友」と「秋」。それだけではなく、偶然にしてはできすぎている言葉の重なりがあります。
改めて詩を並べておこうと思います。
まずは、昭和8年に書かれた「秋」。
秋
新しい下駄を買つたからと
ひよつこり友達が訪ねて来た。
私は丁度ひげを剃り終へたところであつた。
二人は郊外へ
秋をけりけり歩いて行つた。
それから昭和2年に書かれた『野人』に掲載された「秋」。『野人』は姫路市南畝町288にあった大西重利の家で発行されたものでした。
秋
僕等にとつて
秋はしづかなよろこびだ。
夜
僕が五銭が煎餅を買つて
ひよこ ひよこ と
この土地でのたつた一人の友を訪ねると
友は
口のこはれた湯呑で
あつい番茶をのませてくれる。
あゝ さびしくも
貧しいなりはいのなつかしさ。
で、2年後の昭和4年に出版された『野』に掲載された「秋」。このときに「大西重利に」との言葉が添えられます。「あつい番茶をのませてくれる」が「くれた」と過去形になっています。
秋 ―大西重利に―
僕等にとつて
秋はしづかなよろこびだ。
夜
僕が五銭がせんべいを買つて
ひよこ ひよこ と
この土地でたつた一人の友を訪ねると
友は
口のこはれた湯呑で
あつい番茶をのませてくれた。
ああ 友!
秋!
貧しい暮しもなつかしく。
そして木山さんと同じ視線であちこちを歩かなければ絶対に気づけなかったはずのこの「友の秋」という詩。大西重利と娘の「さと子」さんが登場する詩です。やはり昭和2年に書かれたもの。
友の秋
つとめからかへると
洋服に柾歯の下駄をひつかけて
がたがたの乳母車に里ちやんをつんで、
ゐなか郊外の午後を
行きつもどりつする友である。
今は道ばたの
やなぎの細葉も色づいて
しみじみ後妻のほしい秋十月。
日がだんだんとかたむくと
痩せてのつぽの友の姿は
乳母車をおしたまま
ひよろひよろと地球の皮をはふのである。
「下駄」をはいて「郊外」を歩く「友」の姿。昭和8年の「秋」と見事なほどにシンメトリックな構造になっています。
そういえば「野長瀬正夫君と私」の最後にはこんな話が書かれています。
そこで私どもは、彼の煎じたコーヒーを、どこで手に入れたか知れないコーヒー茶碗で御馳走になつたのであるが、そのコーヒーが実にうまいのである。
「もう一杯」
「もう一杯」
と、私は一気に三杯も飲んだのであるが、あの山育ちの彼が、どうして、何時の間に、コーヒーのいれ方なぞ覚えたものか、不思議でならなかつた。
いや、それは或ひは不思議ではないかも知れない。しかしそれにしても、彼のコーヒーの入れ方はやはり山育ちらしいヘンチクリンなものであつた。
昭和8年の「秋」に描かれた友、野長瀬正夫は、木山さんが家に訪ねて行ったら「どこで手に入れたか知れないコーヒー茶碗」で「彼の煎じたコーヒー」をご馳走してくれたんですね。
昭和2年の友、大西重利が「口のこはれた湯呑であつい番茶をのませてくれた」のと似た風景がここにもあります。
まさにレコードのA面とB面のような風景。